勇猛王と呼ばれる男
ディノス様は口元に笑みを浮かべると、ジュリアスさんに近づいてくる。
ジュリアスさんは背が高いけれど、ディノス様はさらに大きい。
ジュリアスさんだけでなくて、ここにいる男性たちは、細身で小柄なジーク様とディノス様の腹心というランバートさんをのぞいてみんな大きいのだけれど、ディノス様はそんな男性たちの中でもさらに大きい。
筋骨隆々な肉体を惜しげもなく晒していて、まさに肉体が鎧、というような感じの方だ。
私はジュリアスさんの隣にいるので、ディノス様がまるで私に向かって近づいてくるように感じられて、あまりの迫力に身をすくめた。
「ファイサルから聞いていた。アストリアには、我らディクセンを苦しめたディスティアナの黒い竜騎士がいると。空から黒い雷のように飛来しては、ディクセンの誇る騎馬隊を沈めていく。あの時は、竜と馬との差を思い知らされるようで大層腹が立った」
「……ジュリアスさん、本当に有名人ですね。肩書きが増えましたよ」
「…………忘れろ。まるで児戯だ、虫唾が走る」
「結構格好良いと思いますけれど」
「お前が、天才美少女錬金術師とロジュやシリルに真面目に言われて照れる気持ちが、多少はわかる」
「ね、結構恥ずかしいんですよ……黒い雷鳴とか、黒太子とかは、格好良いと思いますけどね。いっそ、服を赤にするとかはどうでしょう……黒、なくなりますよ、黒」
「黒が赤に変わるだけだろう」
「それもそうかも」
私がジュリアスさんとこそこそ話をしていると、ディノス様の堂々とした体躯が私たちの正面にくる。
私の目線には、盛り上がった胸板。
ジュリアスさんの胸も私よりも大きいけれど、ディノス様はさらに大きい。豊満。すごい。
「ディクセン王国は切り立った山岳地帯に囲まれた天然の要塞だ。岩山の悪路を駆けることのできるディクセン馬は足腰が強く、疲れ知らずの駿馬ばかり。平野での戦なら、誰にも負けはしない。それが、山岳ならばなおのこと、地の利は我らにあると自負していた」
ディノス様は獅子が吠えるような力強い声音で言った。
それほど大きな声を出しているわけじゃないのに、頬が震えるようなよく響く声だ。
王族というと、ジーク様やシリル様、ファイサル様もそうだけれど、そのどの方とも違う奇妙な威圧感のある方である。
怖い、というわけではないのだけれど。
ディノス様を前にすると、自然と背筋が伸びるような感じだ。
「実際、ラシードもディクセンも、攻めるには容易な場所ではなかった。ディスティアナの侵攻など、羽虫が飛び回っているようにしか感じられなかったのではないか」
ジュリアスさんはいつも通り。
ジュリアスさんの影に隠れて思わずこそこそしたくなる私の気持ちを察してか、片腕で軽く庇うようにして私を背後に退けた。優しい。
もうジュリアスさんの優しさにいちいち感動しなくても良いのかもしれないけれど、思わず、じんとしちゃうわね。
頑張ったわね、私。
なんでジュリアスさんみたいな横暴な人を好きになったのかしらって、自分でも不思議だったのだけれど。
やっぱり優しいところがあるのよね。それは以前から、私が気づかないだけで、ずっとそうだったような気がする。
「まぁ、そうだ。なんとまあ単純で愚かな、力任せの侵攻か、とな。ディスティアナの寄せ集めの兵はディクセンの脅威などではなかったが、お主は違うぞ、黒い雷鳴。お主が襲来するたび、我が軍の騎兵一個隊が壊滅状態に陥ったのだからな。たった一騎でディクセンの誇る騎馬隊を壊滅させるお主に腹を立てて、俺が自ら出向いたほどだ」
「あの時は、大変でした。戦況が逼迫しているというわけでもないのに自分が出ると言ってきかない陛下を追い回し……この馬鹿殿がと、皆で悪口を言い……」
「我が忠実なる家臣たちは、そんな馬鹿殿が大好きなことを俺は知っているぞ、ランバート。結局、お主とは一度刃を交えたきりだったな。黒い雷鳴よ……いや、ジュリアスか。そんな名だと、ファイサルからの手紙に書いてあったな」
ディノス様の隣で、ランバートさんが肩をすくめた。
ジュリアスさんはディノス様と一度戦ったことがあるらしい。
それなのに、ディノス様の口調には怒りとか憎しみとか、そんなものよりも、親愛の情のようなものが感じられた。
「この俺と刃を交えて無事でいられた者は、後にも先にもお主一人きりだ、ジュリアス。結局、一太刀も浴びせることができず、それどころか戦いの最中で、ランバートたちに連れ戻された。俺が死ぬか、お主が死ぬまで、やり合いたかったものだが……」
「それでは困るのですよ、陛下。ディクセンには陛下が必要です。それを、兵たちよりも先に前に出て、命を散らすなど」
「俺が負けるようなことを言いおって」
「あと数刻、連れ戻すのが遅れていたら、陛下の命はなかったと、私は思いますけれどね」
「ジュリアス。今からあの時の続きをしよう。家臣に、お主に負けると思われているなど、ディクセンの勇猛王の名が廃る」
「勇猛王?」
小さな声で私が呟くと、ジーク様が小さな声で教えてくれる。
「ディクセンは、小部族がひしめき合っていて、戦の絶えない国でした。それを、国王陛下であるディノス様が自ら軍を率いて制圧し、内乱をおさめたのです。そのため、ディノス様は、ディクセンの勇猛王と呼ばれているのですよ」
私はうんうんと頷いて、ジーク様の説明を聞いた。
ジーク様の声は穏やかだから、なんだか少しほっとする。
ここにいる方々がみんなどちらかというと、武勇に優れていそうな軍人みたいな方々ばかりだからかもしれない。
ジーク様は小柄だし細身なので、親近感を感じるわね。
「馬鹿なことを言わないでください、陛下。戦の前に、怪我をなさるおつもりですか。いえ、陛下が怪我をしなくとも、ジュリアス殿に怪我をさせるのは賢明とはいえません。ディクセンは野蛮な国だと大声で吹聴するようなものです」
「……全くうるさいものよな。ジュリアス、ディスティアナとの戦争が終わったその時には、決着をつけよう。俺とお主、どちらが強いか、だ」
ジュリアスさんは無言だった。
いつもの無言で、舌打ちをしながらディノス様から視線を逸らした。
私は戦々恐々としながら、ジュリアスさんとディノス様を交互に見る。
これは、怒らせたのではないかしら。勇猛王というだけあって、ディノス様は好戦的な方に見えるし。
「ところで、そちらのお嬢さん。名はなんと言う?」
「クロエです。クロエ・セイグリットと申します、はじめまして、ディノス様」
急に話しかけられて、私は営業用の笑顔を顔に貼り付けて、挨拶をした。
ディノス様はジュリアスさんと今まで話していたのをすっかり忘れたように、満面の笑みを私に向ける。
「クロエ! 愛らしい名だな! 其方は、ジュリアスの嫁か?」
「そ、そういうわけじゃないです、けど……」
「ならば良い。愛らしいアストリアの少女よ、俺の二十番目の妻にしてやろう」
「に、二十番目の妻……」
ディノス様には十九人も奥さんがいるのね。すごい。
というか、少女と呼ばれてしまったわね。まだこの場では、さすがに美少女錬金術師と名乗っていないのに。
「ディノス様、私、もう二十歳なので、少女ではないんです……」
なんだか騙しているみたいで気が引けた私は、遠慮がちに言った。
「まさか! アストリアの女性はずいぶんと若く見えるのだな。てっきり、十五そこそこの年齢かと。黒い雷鳴も人の子だ、若い女が好きなのかと思ったが。いや、二十歳でも十分若いがな。だが、ジュリアスの嫁ではないというのなら、俺のものにしても良いだろう」
「……陛下、誰彼構わず口説こうとするのはやめてください、馬鹿殿が」
「ランバート、俺は愛らしい女性に目がないのだ」
「知っています」
「ディノス・ディクセン。これは俺のものだ。手を出そうとしたら、場合によってはお前を殺す」
ものすごくご機嫌を損ねたジュリアスさんが、低い声で言った。
ファイサル様が驚いたように目を見開いた後、口元を嬉しそうに綻ばせて私たちを見ている。
ジュリアスさんは慣れろと言っていたけれど、やっぱりこういうのは、慣れないのよ。
私は赤く染まった顔を両手で隠した。
ディノス様はつまらなそうに「なんだ。やはり嫁ではないか」と溜息混じりに言った。




