ジュリアスさんの本心
私の腕を握っているジュリアスさんの姿と、その後ろで「キュ!」「クルクル!」と嬉しそうに鳴いているヘリオス君とリュメネちゃんの姿。
私は唖然としながら、ジュリアスさんを見上げた。
見開いた目から、ぼろぼろ涙がこぼれ落ちる。
「じゅ、ジュリアスさん、どうして……!」
「どうして……も、なにも。お前が寝ている間に、少し、出かけてきただけだ」
「私、てっきり、ジュリアスさん、居なくなったと思って……」
「何故そう思う」
ジュリアスさんが呆れたように嘆息する。
いつものお気に入りのゆるっとした黒いローブに身を包んだジュリアスさんは、帯剣もしていないし、特に何の荷物も持っていない。
本当に、ちょっとそこまで散歩をしてきた、みたいな感じだ。
「良かったぁ……」
安堵から、緊張して硬くなっていた体の力が抜ける。
足がふらついて座り込みそうになった私を、ジュリアスさんは軽々と肩に担ぎ上げた。
「…………お前は、ヘリオスに乗ってディスティアナに行こうとしていたのか?」
「そうですけど……」
「何故」
お部屋に向かって歩きながら、ジュリアスさんが淡々と尋ねてくる。
私は肩に担ぎ上げられた状態で抗議した。
勘違いした私も良くないけれど、ジュリアスさんも良くないのよ。
ヴァイラスさんが空から落ちてきた翌日に、首輪を外していなくなったりするから――。
それは、勘違いしちゃうじゃない。
ジュリアスさんが悲壮な決意の元、ディスティアナに向かったって思うのも、仕方ないと思う。
「なぜって、それは、ジュリアスさんを助けるために」
「お前が一人でディスティアナに向かって、どうにかなると思っているのか、阿呆」
「なります! なるんですよ……! だって私、強いですから、なんたって私は……」
「天才美少女錬金術師だろう。知っている」
ジュリアスさんは寝室に私を連れて行くと、ベッドに私を放り投げた。
「わぷ」
奇妙な声をあげて、私はベッドに落ちて、ぼふりと弾んだ。ベッドは柔らかいけどちょっと痛い。
ジュリアスさんはもう少し私に優しくした方が良いと思う。
私を泣かせておいて、ベッドに投げるとかどうかと思う。
「……ともかく、ジュリアスさんがいなくならなくて、良かったです。あと少しで、ヘリオス君と一緒にディスティアナに突撃するところでした。危なかった」
「ヘリオスは賢い。お前の勘違いからの命令には従わないだろう」
「……さっきの私、ヘリオス君にとっては、急にどうしたのって感じだったんでしょうね、……困らせてちゃいましたね、すみません」
私はベッドに転がって、深い溜息をついた。
それからよいしょ、と体を起こすと、ベッドの端に座った。
ジュリアスさんは寝室のテーブルの上に置かれているちぎれた首輪に、指先で触れている。
「……クロエ」
ジュリアスさんが呆れた表情を一転させて、真剣な顔で私を見た。
夕日みたいな赤い瞳と、青空みたいな青い瞳が私を見つめている。
今までにない真剣さで私を見つめるジュリアスさんに、私はびくりと震えたあとに居住まいを正した。
「ジュリアスさん、何か、ありましたか……?」
ジュリアスさんも大人だ。
一人でお散歩に出かけたいときだって、あるわよね。
今まで、黙ってどこかに行ってしまうことなんて、よく考えたら一度もなかったけれど。
だから、余計に混乱してしまったのよね、きっと。
「ヴァイラスが目覚めたら、ディスティアナとの戦争になる。……お前と、話す余裕もないかもしれない」
「ええと……はい」
「首輪を千切ったのは――生きる覚悟を決めるためだ」
「生きる、覚悟……」
ジュリアスさんは、静かな、けれどどこか熱の籠った声で言った。
いつもと違う気がする。
ジュリアスさんと私の間には、いつもどこか、少しだけ――見えない、薄い膜のような距離があったような気がするけれど。
それは今は、薄紙を燃やしたときのように、穴が開いて、消えて行っているみたいに。
「……あぁ。俺は、お前の奴隷のままで良いと、言った。ディスティアナと戦い、オズワルドや悪魔に打ち勝ちお前の望む平穏を手に入れる。それが、俺の奴隷としての最後の役割だと」
「はい……それ、私、すごく……嫌です。……だって、それじゃまるで」
「あぁ。奴隷として、お前のために、生きる。それは……お前を守るために死ぬということと、同義だ。俺の生きる意味は、お前を守るため。そのためになら死んでも良い。……いや、多分、死にたい。そう思っていた」
「ジュリアスさん……」
私は膝の上に置い両手をぎゅっと握った。
それは――なんとなく、薄々気づいていた。
ジュリアスさんは横暴だし、自分勝手だし、我が儘だし、とても強くて、ちょっとぐらいのことじゃ死にそうにない人だけれど。
でも、生きることに執着していない。
自分が傷を負うことに躊躇いが無くて、自分の体を犠牲にしながら、敵を仕留めたりすることを、平然と行うこともある。
だから、私が傍にいなきゃと思っていた。
ジュリアスさんは命を大切にしないから、私が、そばにいて見ていなきゃいけないって。
「クロエ。お前が傷つき、失われるぐらいなら、お前を守って俺は、死にたい。お前が、間抜けな顔で笑うことができる世界を守るためなら、死ぬことも厭わない」
ジュリアスさんの心の内を、はじめてきちんと聞くことができた。
けれど、私はそれを、多分知っていたんだと思う。
ジュリアスさんの言葉は、やっぱり――と、心にすとんと落ちてきた。
「いつか、オズワルドと相対しなければいけないと、決着をつける必要があると、分かっていた。だから、確かに俺は、一人でディスティアナに向かおうと思っていた」
「そんなふうに、……その、大切に、思ってくれるの、嬉しいですけど。何度も言いましたよ、私。私も強いって。私もジュリアスさんを守るって、言いました……」
守るために死ぬって覚悟を決められても、嬉しくなんてない。
戦うのは、生きるため。
みんなの、大変だけれどささやかな幸せに満ちた日常を、守るため。
全部が終わったとして、ジュリアスさんがいなければ――そこに平穏なんて、ない。
「あぁ、そうだな。そう考え続けていたせいで、お前を不安にさせていたことには、気づいていた。……クロエ。だからもう、奴隷でいることを求めるのは、やめる」
ジュリアスさんがちぎれた首輪を握りしめると、それは青い魔力の炎を立ち上らせて、燃え上がり、消えてしまった。
私がはずそうと言っても、外してくれなかった、それ。
私が嫌がることはしないと、制約がかけられている、奴隷の証のような首輪。
あっけなくその首輪が消えてしまって、私はなんだか安心して、喉の奥につっかえていた空気を吐き出した。




