救出の決意、そして。
お部屋はもうすっかり明るくて、私が一人で眠っているベッドの、隣。
ジュリアスさんがいつも眠っている場所には誰も居なくて。
シーツに触れるとひやりと冷たい。
温もりさえ残っていないということは、私よりもずっと早くにジュリアスさんは起きたのだろう。
(さすがに、寝過ぎたわね……)
昨日は色々あったし、夜更かししてしまったので――仕方ないのかもしれないけれど。
いつも私の方がジュリアスさんより早く起きて、ベッドから静かに抜け出して、朝の支度をするのが日課なのに。
ジュリアスさん、朝ご飯食べていないんじゃないかしら。
お腹をすかせて、ご機嫌が悪くなっているんじゃないかしら。
あわててベッドから起き上がって、私は黒いエプロンドレスに着替えた。顔を洗って身支度をすませて、それから――寝室のテーブルの上に置いてある、黒い首輪に気づいた。
「……これって……」
小さな南京錠が砕けている。
黒い紐も途中からちぎれていた。
「……ジュリアスさんの」
ジュリアスさんの首に嵌められている、魔法錠だ。
嫌な予感がする。
私がいくら外しましょうよと言っても、外そうとしなかったもの。
魔法錠にかけられた制約は『私の嫌がることをしないこと』の一つだけ。
かつて――私がジュリアスさんと、別れを告げようとした日の記憶が蘇る。
アストリアの動乱が終わったとき私は、空の似合うジュリアスさんを、私が奴隷として縛り続けるのはいけないと考えた。
だから、ジュリアスさんには自由になって欲しくて。
それに、私のせいで危険な目にたくさんあわせてしまったから、私と一緒にいないほうが良いと思って。
だから、さようならを、言おうとした。
ジュリアスさんはそのときに「首輪は記念に貰っておく」と言ったのよね。
もし私が、ジュリアスさんと離れることが嫌だと思っているのなら、首輪の制約が発動して、ジュリアスさんに苦痛がもたらされる。それでも良いのかと。
もちろん、そんなの、嫌に決まってる。
私はジュリアスさんのことが好きで、離れたくなんてなくて。
そんな風に試してくるのは、私の本音を引き出そうとしてくるのは、ずるいって、思ったのだったわね。
「首輪……」
首輪を外したのは、――私から、離れるため。
ジュリアスさんには魔力がもう戻っている。
全てじゃないけれど、私よりもずっと強力な魔法が使えるぐらいの魔力が、ジュリアスさんにはある。
だから、私の魔力によって制約を結んでいる魔法錠を、無理矢理外すことができる。
でも、どうして、今日なの。
「ジュリアスさん……!」
手足が冷たい。
体の体温が、突然奪われたみたいだ。
心臓が氷に変わってしまったかのように、喉の奥に無理矢理氷塊を詰め込まれたように、苦しい。
息ができない。
いつもの、見知った自分の家なのに。
足がもつれて、まるで、深い泥の中でもがいているようで。
「……ヘリオス君は……?」
家の中には誰の気配もなかった。
名前を呼んでも、答える声はなくて。私のたてる足音以外に、物音はなにひとつない。
窓から注ぐ明るい日差しが、石造りの廊下を照らしてきらきら輝いている。
全部、嘘みたいだ。
夢をみているみたい。
でも、これは現実で。息の苦しさも、滲む視界も、全部本当。
「ヘリオス君……!」
転がるように家から飛び出して、庭に向かう。
涼しい風が草木を揺らしている。晴れ渡った空には、薄い雲がなびいている。
草原には薄桃色と、チョコレート色のコスモスが、愛らしく咲き乱れていた。
「ヘリオス君……良かったぁ……」
ヘリオス君は、いつものように草原に寝そべっていた。
私が駆け寄ると、どうしたの、みたいな顔で私の顔を覗き込んでくれる。
リュメネちゃんも起き上がって、私に近づいてきて、私の体に鼻先をこすりつけた。
少し離れた場所で、白い飛竜が眠っている。
昨日の夜と、同じ。
ヘリオス君が心配そうに「キュウ?」と鳴いた。不思議そうに、私を見つめる大きな金色の瞳に、情けない顔をした私がうつっていた。
「ジュリアスさんは……ヘリオス君も、おいて……?」
大切なヘリオス君を置いて、一人でディスティアナ皇国に行ってしまうなんて、考えられない。
でも、大切なヘリオス君だから、置いていったという可能性もある。
ジュリアスさんはずっと、何かを考えているみたいだったもの。
ラシード神聖国でオズワルドに会ってから。
私に、凄く優しくしてくれるようになった。けれど、やっぱり入り込めない一線みたいなものがそこにはあって。
昨日、ナタリアさんやみんなに言われて、アストリアに残って、皆で一緒に戦うことを決意してくれたと思っていたのに。
「……約束、したのに。一緒にいるって」
私はヘリオス君の太い首に抱きついた。
つるりとした鱗が、ひやりとした体温が気持ち良くて、少しだけ心が落ち着く。
優しさも、約束も。ほんのひとときの休息を――名残惜しんでくれていた、だけだったのかもしれない。
私の奴隷ではなくなるって、ジュリアスさんは言ったものね。
奴隷のとしての最後の仕事が、私の望む平穏を、手に入れることだって。
「ジュリアスさんの馬鹿……っ、ひとでなし、横暴……!」
約束してくれたのは――帰ってくるつもりで、いてくれているから?
でも。
ジュリアスさんは強いけど、一人で立ち向かって勝てる相手だとは思えない。
そんなに、遠くまで行っていないかもしれない。
どうやってディスティアナ皇国に向かったのかはわからないけれど、方法はいくらでもある。
それでも、ヘリオス君に乗って飛ぶのが、一番早いはずだ。
「ヘリオス君、行きますよ……! 言うことをきいてくれない、悪いジュリアスさんを、助けに行きましょう……!」
泣いている場合じゃないし、怒っている場合でもないわね。
支度をして、追いかけなきゃ。
私一人でも、ヘリオス君に乗って飛べるはず。
リュメネちゃんとヘリオス君が、心配そうに喉の奥で鳴いている。
「…………誰が、悪くて、どこに助けにいくつもりだ」
「今、忙しいんです! 急いでジュリアスさんを追いかけないといけないんです。あとにしてください!」
誰かが話しかけてきたので、私はおざなりな返事をした。
誰かの相手をしている暇なんて私にはないのよ。
ジュリアスさんを連れ戻さなきゃいけない。どうしても一人で行くというのなら、私は一緒に行く。
私が、ジュリアスさんを助けないと。
だって――私は、王国最強の美少女錬金術師なのだから。
私に、できないことはないのよ。
「……おい、クロエ。何があった。落ち着け」
支度をしようと家に戻ろうとしていた私の腕は、強引に掴まれた。
ぐい、と引き寄せられる。
振り向いた私の前に、今まさに追いかけようとしていたジュリアスさんが、もの凄く呆れたような表情で立っていた。




