戦争の理由
お酒、取られてしまったわね。
こんな夜にはお酒の一杯ぐらい、飲みたい気分なのに。
なんて、ちょっと大人の女みたいなことを心の中で呟いてみたり。
うん。別に、どっちでも良いんだけれど。
特にこだわりもないし。この間は、飲みすぎて記憶をなくして、どうやらジュリアスさんに迷惑をかけてしまったようだし。
「お酒……」
私の分のグラスを手にして、挙句中身の赤葡萄酒を一息に飲み干してしまったジュリアスさんに、ちょっと恨みがましい視線を向けてみる。
無言で何か言いたげな視線がかえってくる。
絶対飲むな、と言われている気がする。
そうよね。どうやら私、酔っ払うと裸になって踊るらしいのよね。
酒癖が悪いなんて知らなかった。もともと、酔うほど飲んだこともなかったのだけれど。
私はすごすごと席から立ち上がると、多分エライザさんやアンリ君用に保管してある飲料水の中から、クランベリーの絵が描かれた瓶と新しいグラスを持って戻ってきた。
「クロエちゃん、手料理、滅茶苦茶旨いよ! ジュリアスはもっとクロエちゃんに感謝しろ! こんなに美味しい料理を毎日作ってもらえるとか、幸せな男だぞ、お前は……!」
「ロジュさん、それはちょっと褒めすぎですよ。私、豆のスープばっかりをジュリアスさんに食べさせていたりしますし」
「豆のスープ、最高じゃないか……!」
「そんなに褒めなくても大丈夫ですよ、パンとチーズとサラミを焼いたら、それは大抵の場合美味しくなります。誰がつくっても同じですよ」
「……いや、クロエ。本当に、美味しい。……もともとクロエは、料理とは無縁な貴族令嬢だったのに、……苦労、したのだな。俺のせいで」
「その通りだから、お前の分のチーズパンも俺に寄越せ」
「その通りよ。あなたのせいなんだから、あなたの分のチーズパンも私に寄越しなさい、元国王」
「すまない」
ロジュさんとナタリアさんがシリル様をいじめているわね。
私は瓶からグラスに移して、口に含んでいたクランベリージュースを慌てて飲み干した。
「ご飯、足りなかったらもっと作りますから、ご飯を奪うのはやめてあげてくださいな……!」
「……クロエ」
ずっと静かにしていたジュリアスさんが、私の名前を呼んだ。
ジュリアスさんのお皿は空っぽになっている。
これは、もっと食べたいという意味なのかしら。ジュリアスさん、結構たくさんご飯を食べるものね。
「ジュリアスさんには私の分をあげますよ……」
私はまだちょっとしか食べていないサラミとチーズのパンを、ジュリアスさんに半分あげた。
ジュリアスさんは数口でそれを食べてしまって、それからグラスに口をつけた。
私はちまちまと自分の分のパンを食べながら、ちらちらとジュリアスさんを見る。
ロジュさんの「死ぬほど羨ましい……」という唸るような声と、ナタリアさんの「彼女でも作りなさいよ、あなた、まだ若いんだから」という呆れた声が聞こえる。
「お酒とご飯で心が満たされたところで、ジュリアス。あなた、ディスティアナの皇太子……ヴァイラス、だっけ? ヴァイラスが、どうして死にかけているのか、事情を知っているの?」
ナタリアさんが日常会話の延長線上のように、気軽な口調で言った。
「そもそも私たちは、ディスティアナ皇国についてあまり詳しくないのよね。敵国、というだけで。先の戦争の目的は、一体何だったのかしら。どうして、ディスティアナ皇国は他国を支配したがるの? 国土だって、周辺諸国よりもずっと大きいでしょう」
「……ディスティアナが周辺諸国に対して侵略のための軍を送っていたのは、……おそらくは、港が欲しかったからだろう。国土が広いとはいえ、ディスティアナは内陸にある。湖はあるが、海はない」
「海ですか……」
そんな理由で、戦争を起こすものなのかしら。
よくわからない。
私が呟くと、ジュリアスさんは少し考えるように黙った。
それから「昔の話だ。何世代か前の皇帝の話だな」と付け加えた。
「侵略戦争がはじまり、ディスティアナ皇国は徐々に国土を広げていった。だが、周辺諸国の守りはかたく、国を支配下に置くまでには至らずに、領地を削り取っては、奪い返されることを繰り返していたようだ」
「うまくいかなかったのに、戦争をやめなかったのですか?」
「ディスティアナに奪われた領地には、元々の国の者たちが住んでいる。当然奪い返そうとするだろうし、死人の山ができる。後に残るのは、憎悪の感情だけだ。ディスティアナ皇国の者たちは他国を恨み、他国は皇国を恨む。戦いは終わることがない」
「……それでも、しばらくは平穏とは言わずとも、大人しくはあっただろう。ジュリアス、お前が戦場に姿を表すまでは」
シリル様が記憶を辿るように言った。
ジュリアスさんが戦場に出たのは、十五歳の時。
その時私はまだ十歳で、国と国との問題も、戦争についても、考えたりはしなかった。
シリル様の方が私よりはよほど詳しいわよね。
貴族女性の立場は守られていて、戦いとは無縁だ。これが男性になると、領民を守るために武器を持たなければいけないのだけれど。
女性の場合は違う。政治やら戦争に興味を持つのは、あまり良いとは思われない。
だから、かつてシリル様とそんな話もしたことがなかった。
私が知らないだけで、色々と気苦労もなさっているのだろう、シリル様は。
「俺の父、ジーニアスが生きていた時。皇帝オズワルドは野心家には見えたが、そこまで好戦的な人物というわけでもなかった。国境のそこかしこに火種はあったようだが、国内は比較的安定していた」
「ジュリアスの父親は、亡くなったのか?」
ロジュさんが言う。
そういえば、ジュリアスさんの過去を知っているのって、この中では私ぐらいね。
ジュリアスさんのお父様が処刑されて、それから、お母様が後を追うように自死してしまったこと。
きっと思い出したくない記憶だと思う。
でも、ディスティアナ皇国とジュリアスさんの話をするのなら、避けて通れない話題だろう。
私は自分の手をぎゅっと握りしめた。
ジュリアスさんはそれを見つけたらしく、私の手に徐に指を伸ばして、握りしめていた私の指を持ち上げるようにして開かせた。それから、どこか戯れるようにして指を絡める。
大切な話をしているのに、私は混乱した。
これは、一体何かしら。握手とは、ちょっと違うわよね。
手持ち無沙汰な子供が、母親の手を握らせたり開かせたりして遊んでいる。そんな感じだ。
「俺が十五の時。ラシード神聖国と通じていたという疑いをかけられて、処刑をされた。確かに、父はよくラシード神聖国に足を運んでいた。だから、その可能性もあると考えていた。……それからだな。オズワルドが、戦争に本腰を入れ始めたのは」
「それで、お前は、……ヘリオスと共に戦場に出るように命じられたんだな。……そうか、ジュリアス。苦労してるな、お前……っ」
「……オズワルドの傍には、悪魔がいる。もしかしたら父は、フォレース探求所と通じていたのかもしれない。……オズワルドは父から聞き出した知識で、悪魔の存在を知ったのだろう。そうして、知識を得て、父が邪魔になり殺した。……確証はない。ただの予想だが、その可能性は高い」
目尻に涙を浮かべるロジュさんを無視して、ジュリアスさんは言った。
「……悪魔に力を借りることにより、巨大な力を得られる。前提としてそれがあれば、あの無鉄砲な侵略についても理解ができる」
ジュリアスさんは深く嘆息をした。
それから、「その割には、成果の薄い侵略戦争だった上に、唐突に終わった」と言った。




