闘技大会の開始
ジュリアスさんを購入する時一度しか、奴隷闘技場の中には入ったことがない。
あのときはずいぶんと、埃っぽくて、荒れた場所という印象が強かった。
といってもここにはジュリアスさんを購入に来ただけだった。
だから私が通されたのは奴隷剣闘士たちの控室というか、居住空間だったよね、多分。
実際に、観客席や試合会場の様子は見ていないけれど――ロキシーさんやロバートさんの話では、お金を払って殺し合いを見学に行って、あまつさえお金を賭けるもの好きなんて大概金持ちばかり――だそうだ。
だから多分、観客席はそれなりに豪華なつくりになっているんじゃないかしら。
そんなことを考えながらジュリアスさんとわかれた私は、ムジークさんにもさようならを言うと、観客席に向かった。
ムジークさんに「クロエさんは参加しないのか?」と聞かれたので、まさかと、否定しておいた。
私は確かに王国最強天才美少女錬金術師ではあるけれど、ジュリアスさんには勝てない。
それに、ナタリアさんにも多分勝てない。
そのあたりは私もわきまえているし、必要があれば戦ったりはするけれど、そもそもあんまり戦うこと自体は好きじゃない。お金にならないし。
私が戦うのはお金を稼ぐためなのよ。素材集め以外で戦うなんて、本当はあんまりしたくない。
観客席までの通路は、ムジークさんの奴隷闘技場の開放という気持ちが入っているためか、なんだかとってもファンシーで可愛かった。
そこここに、たぶん私がつくったきのこ型錬金ランプと、星屑金平糖型錬金ランプが並んでいた。
きのこ型錬金ランプの上には、光って飛び跳ねるカエル人形もおかれている。
これも私がつくった錬金物である。光って飛び跳ねる以外に特に効果はない。用途としては、可愛い、という一点に尽きる。
飾り付けられた通路を抜けると、開けた場所に出た。
楕円形の闘技場は、お城の舞踏会で使用される大広間より少し大きい程度。
天井はなくて、楕円形の闘技場を囲むようにして観客席がある。
観客席と闘技場を隔てるようにして、深い溝が彫られている。
深い溝は飛び越えるには幅が広くて、奈落に通じているぐらいに深く暗い。
たぶん、剣闘士の方々が逃げ出さないように、何か罠を仕込むためのものなのだろう。
あいている席に座って、かつてジュリアスさんはあの場所で三年近く戦っていたのかと、私と出会う前の過去に思いを馳せる。
痛い思いも、嫌な思いも、沢山したわよね。きっと。
私が出会ったときのジュリアスさんは、右目がなくて、体中傷だらけでぼろぼろだった。
あんな姿のジュリアスさんは、できれば二度と見たくない。
「クロエちゃん、良かった、間に合ったわ」
ロキシーさんの声がして顔を上げると、観客席に座る私のそばに、ロキシーさんが笑顔で駆け寄ってくるところだった。
ロキシーさんは私の隣に座ると、「はい」と、紙につつんだ薄いパンにお肉と野菜がたっぷり挟まれた軽食を私にくれた。
「同じの、二個、作って持ってきちゃった。一個、クロエちゃんにあげるわね。お茶もあるわよ。紙カップラージサイズで二個。試合回数どれだけあるかわからないけど、長丁場になったら嫌だし」
「ありがとうございます、ロキシーさん。お店は?」
「もうすぐ試合がはじまるでしょう。お客さんもほとんど捌けたから、いったん閉じてきたわ。ほぼ売り切れだし、良いかなって」
「ロキシーさんのご飯は大人気ですからね!」
「たまには食べに来てよ、クロエちゃん。クロエちゃんが来てくれないと、私のお店、筋肉質な男ばかりくるから暑苦しいのよね。ロジュさんはクロエちゃんに会いたいって騒ぐし」
「ロキシーさんには会いたいですけれど、ロジュさんがいると、シリル様もいるんですよね」
「そうね。最近は大抵一緒に居るわよ。クロエちゃんの元婚約者の元国王陛下。悪い子ではないけれど、ちょっと世間知らずな感じよね。……色々あったとは思うけれど、やっぱり会いたくないの?」
ロキシーさんは、自分の分の薄いパンにはさまれたお肉を食べながら、気づかわし気に言った。
私はそういうわけじゃないと首を振る。
「シリル様のことは、特になんとも思っていないので、私は別に構わないんですけど、ジュリアスさんが不機嫌になるんですよね。シリル様のこと、あんまり好きじゃないみたいで」
「あんまり好きじゃないどころか、嫌いでしょ?」
「そうかも。ジュリアスさん、シリル様とあんまり関わったことないと思うんですけど。どうにも嫌いらしくて」
「嫉妬ね」
「そ、そういうわけじゃないと思いますけど……」
「そういうわけに決まってるじゃない。私はてっきり、ラシード神聖国に新婚旅行に行っていたとばかり思っていたんだけど、違うの?」
「違いますよ。飛竜の女の子を買いに行ったんです」
「でも、新婚旅行でしょ? いいわね、若いって」
うふふ、と笑うロキシーさんに、私は苦笑した。
否定するほどロキシーさんがにこにこするので、私は訂正するのを諦めて、薄切り肉を齧った。
胡椒のきいた濃い味付けに、瑞々しい千切りのキャベツがあっさりとしていて、口の中をすっきりさせてくれる。
美味しい。この世の中に、無料のご飯ほど美味しいものはないわね。
「闘技大会は、優勝が決まるまでトーナメント戦らしいけれど、参加人数が多いから、最初は複数人での混戦なんですって。ロジュさんが張り切っていたわよ。優勝して、クロエちゃんに良いところを見せるんだって」
「ロジュさんが強いことは知っていますけど、どうしてわざわざ」
「男って馬鹿なのよ」
ロキシーさんが肩を竦める。
夕暮れから夜に変わっていく薄紫色の空には、一番星が明るく輝いている。
錬金ランプが明るく闘技場内を照らしている。
ひさびさのお祭りの、大きな催し物とあって、観客席がいっぱいになるぐらいにお客さんは多い。
やがて、闘技大会の始まりを告げる太鼓とラッパの音が、あたりに響き渡った。
『お集りの皆さん、一夜限りの腕自慢大会へようこそ! 今宵は己の強さに自信のある、アストリア王国の腕自慢たちが沢山集まってくれました。なんせ人数が多いので最初は紹介は割愛。まずはじめに、全員参加の腕章取りゲームをします。より多くの敵を倒し、腕章を手に入れた者がトーナメントへと進むことができます!』
闘技場の中央の端につくられた舞台の上に、ムジークさんが立っている。
錬金物のひとつである、発声増幅器を手にしているムジークさんの声が、観客席に響き渡った。
選手たちが、開け放たれた大きな扉から、ゆっくりと石造りの広場へとやってくる。
その中には、巨大な剣を背中に背負ったロジュさんと、義手をつけたシリル様の姿もある。
それと、箒でふわふわ浮かんでいるやる気がありそうでなさそうなナタリアさん。
一番後ろに、ジュリアスさんの姿がある。
ジュリアスさんの腕には、ムジークさんの言葉通り、赤いリボンが巻かれていた。
観客席から、「ロジュさん、頑張ってー!」という女性たちの声と、「団長、優勝してくださいよ!」という男性たちの声が聞こえる。
ロジュさんが笑顔で手を振ると、黄色い声があがった。
ロジュさんと同じぐらいの声援の量があるのはジュリアスさんで、「ジュリアスさん頑張れー!」というおばさまたちの声と、「ジュリアスお兄ちゃん頑張って!」という幼い少年少女の声が殆どだ。
「ロジュさんは、人気者ですね。ジュリアスさんも声援がすごいですけど、見た目は良いのに、若い女の子からきゃあきゃあ言われていないのが不思議です」
「それは当たり前じゃない、クロエちゃん。アストリアの街の人たちは、ジュリアスさんがクロエちゃんの旦那様だってみんな知ってるのよ。クロエちゃんの旦那様を奪おうとするなんて言語道断、次の日には商店街のおばさまたちがその女に説教をしに突撃に行くわよ」
「そ、それは、心強いです……」
色々否定するのも疲れてしまって、私は小さな声で呟いた。
ありがたいけれど、とてもありがたいのだけれど、すごく恥ずかしい。
恋人だって思われていることは知っていたけれど、もうすでに結婚したことになっているのね、私とジュリアスさん。
してないのに。
内心困り果てながら、私は広場へと視線を落とした。
ジュリアスさんとばっちり目が合った気がした。
かなり距離があるのに、ジュリアスさんは私の顔を見て、呆れたように目を細めた気がした。
今の会話、聞こえていたのかしら。
そんなことないわよね。観客席からは距離があるし。会場だって、ざわついているもの。
私の動揺をよそに、大きな太鼓の音と共に、一試合目の混戦が開始されたのだった。




