建前と本音
私が一人で入るには広すぎる浴槽には、薔薇の花弁が豪勢に散りばめられていた。
白壁の浴室には薔薇の香りが充満していて、お湯の中に体を沈めると、それはもう高貴な身分になったような感覚を体験できた。
私は浴槽の中で悠々と体を伸ばして、薔薇の香りを肺いっぱい吸い込んだ。
「最高過ぎる……!」
思わず独り言が唇からこぼれた。
どう考えてもこの宿は破茶滅茶に高級なのに、それが無料。
私は天井を見上げながらにまにました。
にまにましながら天井を見上げて、しばらく超高級宿泊施設の素晴らしい至れり尽くせり感を満喫していると、不意に浴室のくもり硝子の扉がガラリと開いた。
びっくりして、私はざばっと半分横になっていた体を浴槽の中で縦に戻した。
扉を開いて入ってきたのはジュリアスさんだった。
ジュリアスさん以外だったら困る。だとしたら完全な不審者だ。
あれ? でもうら若き乙女であるところの私の入浴中に、さも当然のように何の許可もなく入ってくるジュリアスさんも、不審者なのではないかしら。
あまりにも自然体すぎて、あと、どういうわけか一緒に入ることが多いせいもあって、つい忘れそうになるのだけれど、これって普通、なのかしらね。
私は首を傾げる。
確かに街には共同浴場があるのだけれど、男女は別々に入浴している。
もしかしてディスティアナでは男女は共同浴場で混浴するのが普通なのかしら。
いえ、でも、ジュリアスさんは元公爵なのだし、共同浴場とか使用しないわよね。
だってアストリア王国のことは田舎だって小馬鹿にするぐらいだもの。
田舎だって小馬鹿にしているのだから、当然ディスティアナの方が国として発展しているはずよね。
「は……! あまりにも自然すぎてつい受け入れそうになっていましたが、ジュリアスさん、私、お風呂に入っているのですが……!」
特に私に声をかけるでもなく、壁に設置されたシャワー(これは私の作ったものと似ている、錬金物だと思う)を浴びて、髪や体を洗っているジュリアスさんに、私は浴槽の中から顔だけ出して文句を言った。
もしかしてジュリアスさんには私が見えていないという可能性もある。
数カ所あるお風呂から、偶然私が使用している場所を選んでしまっただけ、とか。
一人で入るつもりだったのに、たまたま私がいた、とか。
そういうやつかしら。
まさかね、まさか。
いえ、でもそうだとしたら、先に入っていてごめんなさい、という感じだ。
「見ればわかる」
ジュリアスさんはチラリと私を一瞥して、呆れたように言った。
呆れられたわよ。ちょっと意味がわからない。
ジュリアスさんはちゃんと私の存在に気づいた上で、お風呂に入ってきたらしい。
なんでよ。
アストリアの我が家と違って、お風呂、いっぱいあるのに。
「それにしても、似合わないなクロエ。そうも薔薇に塗れていると、確かにお前がどこにいるのか見失いそうになる」
「地味って言いたいんですね、さては」
「お前の色に比べて、薔薇が派手過ぎる」
私は自分の濡れた髪を引っ張った。
ピンクブロンドの髪は確かに、艶やかな色をした赤い薔薇に比べたら大人しい色かもしれない。
ううん、確かに。
なんて納得しそうになってしまった私は、惜しげもなく立派な体躯を晒しながら水も滴る良い男っぷりを存分に発揮しているジュリアスさんにもう一度文句を言うことにした。
ジュリアスさんはいつだか私の体とか見慣れてる、なんて言っていたけれど、見慣れているからといって好きなだけ見て良いわけではないと思うの。
確かにあんまり色気のない自覚はあるけれど、色気がないからといって恥じらう権利がないわけではないのよ。やっぱりジュリアスさん、私のことを飛竜の親戚だと思っているのかしらね。
「ジュリアスさん、私が入浴中なのを知っていたのに、どうして入ってくるんですか。他にもお風呂、あるのに」
「建前と、本音。どちらが知りたい?」
ジュリアスさんは、額に落ちる濡れた金の髪をかきあげながら言った。
どう考えても私よりも色気が凄い。
街の人たちに今の私とジュリアスさんどっちがセクシーかアンケートを取ったら、満場一致でジュリアスさんになる気がする。
体に残る無数の古傷も、ジュリアスさんの美しさを全く損うものじゃない。それどころか、傷のせいで余計なお肉のない筋肉質な体が、更に美しいものに感じられる。
ジュリアスさんの裸体を前に、私の全裸など無価値なのではないかしら。つい、拝みたくなっちゃうわね。
今までにない返答をしてきたジュリアスさんに、混乱した私は、現実逃避を決め込んだ。
程よい温度のお湯にゆったりつかっていたはずなのに、今はなんだか全身が熱い。
頭が茹っているのは、のぼせそうになっているせいからかもしれない。
「……え、ええと、どちらでも……!」
髪と体を洗い終えたジュリアスさんが、堂々とした立ち振る舞いでお風呂に入ってくる。
ジュリアスさんの立ち振る舞いと真逆な私は、こそこそと浴槽の端の方へと逃げて、膝を抱えて体を小さくした。
私には華美な薔薇風呂が、ジュリアスさんにはよく似合うわね。
ジュリアスさんのための薔薇風呂なのではないかしらというぐらい、しっくりきている。
美男子は何を着ても似合うけれど、薔薇風呂も似合っちゃうのね。
「……風呂をすませて、酒が飲みたい。俺は魔法を使えないからな、お前がいないと体や髪を乾かすのが面倒だ。だから、共に入った方が効率が良い。これが、建前。俺の主人であるお前の体に新しい傷がないかを確認する義務が、俺にはある……これも、建前だな」
「両方建前じゃないですか」
どちらもとってもジュリアスさんらしい言い分だけれど、本音ではないのかしら。
ジュリアスさんはいつも本音で生きていると思っていたのだけれど、違うのかしら。
じゃあ、本音というのは、何なんだろう。
「どちらも本音であり、建前だな。だが……慌てるお前の反応を見るのが面白いから、というのが一番本音に近い」
「その本音、意地悪なやつですよ」
私は頬を膨らませた。
私をからかうために私の至福のお風呂タイムを邪魔してくるとか、ジュリアスさんめ、という気持ちだ。
「お前と一緒にいると、落ち着く」
ジュリアスさんはむすっとする私を見て薄く笑った後、ぽつりとつぶやくように言った。
「お風呂の中でも?」
「あぁ。お前に買われた時、お前は俺を風呂に入れただろう。……だから、身に染み付いているのかもな。風呂はお前と共に入るものだと」
「卵から孵って最初に見たものをお母さんって思う、ひよこみたいなこと言わないでくださいよ」
あぁ、駄目だわ、私。
だって可愛いと思ってしまったもの。
両手の中に顔を隠して、私はもごもごと言った。そんなことを言われたら、許しちゃうわよね。
頭とか、洗ってあげたくなっちゃうわよね。
「仕方ないですね、一緒に入ってあげても良いです、これからも」
「お前のせいだ。つまり、お前には拒否する権利はない」
「横暴すぎやしませんか」
私は両手で隠していた顔を上げると、ため息をついた。
薔薇風呂につかるジュリアスさんという貴重な光景が見れたのだから、良しとしようかしらね。
だって自分からは率先して薔薇風呂に入りそうにないものね、ジュリアスさん。
似合うのに。
「……じゃあ、今度また髪の毛、洗ってあげます」
「あぁ」
あの時はジュリアスさん、何を考えているのかさっぱりわからなかったけれど、結構気持ち良かったのかしらね。
そう思うとなんだか嬉しくて、私はジュリアスさんに言った。
短く返された肯定の返事に、私はほっとした。
良かった。
出会ったばかりの頃は私もかなり強引だったし、実は割と必死だったから、私の行動がジュリアスさんを傷つけるものではなくて、今は良かったと思う。




