飛竜愛好家ジュリアスさんと愛妻ヘリオス君 3
ジュリアスさんは何度かヘリオス君の首に巻かれている綱を引っ張って確認した後、問題ないと判断したのか鐙に足をかけた。
ヘリオス君は騎乗しやすいように長い首を下げて、大きな翼を折りたたんでいる。骨組みは黒い鱗に覆われていて、広げた翼は帆布のようで骨組みよりもやや薄色をしている。
翼を広げると大きく見えたけれど、ヘリオス君の体自体は細身でそこまで大きくはない。
鐙は首のすぐ下あたりについている。手綱と一体型になっているようで、太いベルトで首や胴体にとまっている。
ヘリオス君は尻尾と太く短めの足で胴体を支えている。手のかわりに翼がある。
宝石のような金の瞳と、細長い爬虫類に似た顔。移動手段として飛竜トラベルを使ったことは何度かあるけれど、ヘリオス君は運搬業で使われている飛竜よりもずっと、体型が洗練されている。
ヘリオス君が人間だとしたら、筋肉質な若者といった感じかしら。飛竜の寿命は長い。ジュリアスさんが卵から育てたのだから、ヘリオス君は二十五歳はいかないはずだ。
なのでまだ青年か、少年の可能性もあるわね。
ジュリアスさんは軽々と、見上げるほど高い位置にある鞍に跨った。
ヘリオス君が嬉しそうに軽く首を振った。いつも不機嫌そうなジュリアスさんも、今日は爽やかで明るい、とまではいかないけれど、それなりに楽しげな笑みを口元に浮かべている。
これぞ、黒太子ジュリアスとでもいうべき堂々とした姿だわ。
そしてお似合い。お似合いのカップル。
つまり私は仲人。二人の幸せを祝福する指輪職人。
左手の薬指にはめられた指輪はそういう意味だったのね。納得だわ。
ジュリアスさんは飛竜しか愛せない飛竜愛好家に違いないわね。世の中いろんな人がいるから、そっと見守ってあげよう。
「おい、クロエ」
ジュリアスさんが私を呼んだ。
すっかり忘れ去られたとばかり思っていたのに、覚えていてくれたみたいだ。
「はい? どうしました?」
「何を突っ立っている。早く乗れ」
「乗る?」
「乗らなければ飛べない。乗れ」
そうだった。
ジュリアスさんとヘリオス君の感動の再会ですっかり忘れていたけれど、本来の目的は慧眼のミトラ討伐だった。
ジュリアスさんの跨る鞍は一人用に見えるけれど、乗れるのかしら。
飛竜トラベルの飛竜の鞍は、運転士の後ろに三席程度座席があるのだけど、戦闘用の飛竜に乗るのは初めてだわ。
「どこに乗りますか? まさか尻尾に掴まれとかいいますか」
「死にたいのか。俺の後ろにもう一人乗せられる程度の余裕がある。はやくよじ登ってこい」
「了解です」
ジュリアスさんは背中の槍をヘリオス君の首元にある、槍置きへとひっかけた。
私はヘリオス君の元へ向かった。ヘリオス君は長い首を動かして私に顔を近づけた。
賢そうな金の瞳が、興味深そうに私を見ている。
「こんにちは」
私はジュリアスさんがしていたように、ヘリオス君の額をぽんぽんと撫でた。
拒絶されたり噛みつかれたりしなかった。目を細めて大人しく撫でられている。
とても可愛い。ジュリアスさんが夢中になっちゃうのも理解できるわね。
「おい。クロエ。不用意に飛竜に触るな。特に頭は駄目だ。噛みつかれたらお前の腕など簡単にもぎ取られる」
「ヘリオス君、賢そうだから大丈夫かなと思って」
「俺の命令しかきかない。俺がいなければ、今頃お前の腕はなかった」
「それは困りますね、生活が不自由になりそうだし。……ヘリオス君、撫でてごめんね」
本当は嫌なのに、ジュリアスさんの手前我慢してくれたのかしら。手を離すと、ヘリオス君は名残惜しそうに「キュルキュル」と小さな声で鳴いた。
それから私の頬に硬くて冷たい顔をそっと擦り付けた。
可愛さと愛しさが爆発しそうだわ。
私はたまらなくなってヘリオス君の頭を抱きしめてよしよしした。可愛い。腕の一本や二本あげたくなっちゃう可愛さ。
私の安息の地は飛竜にあったんだわ。ジュリアスさんを買わずに飛竜買えばよかった。
ヘリオス君が特別可愛いのかもしれないけれど。
「クロエ……、人の話を聞け。早く乗れ、行くぞ」
「はぁい」
ジュリアスさんが嫉妬している。
私とヘリオス君の初対面とは思えない仲の良さに嫉妬をしているわ。
そんなに苛々しなくても、ヘリオス君をジュリアスさんから奪ったりしないわよ。
私はヘリオス君の頭をぽんぽん撫でてからそっと離れた。
それから、ヘリオス君の背中によじ登ろうとして、何度か鎧に足をかけて力を入れてみた。跳ねたり、引っ張ったりしてみたけれど、ヘリオス君の背が高すぎて体が持ち上がらない。
飛竜トラベルの飛竜には、登りやすいように梯子がついている。ヘリオス君は左右に鐙が二つきり。
どうしたものかしら。登れないわ。
「……手を貸せ」
「ジュリアスさん?」
しばらく格闘していると、ジュリアスさんが溜息混じりに私に手を差し伸べてくれた。
素直に手を取ると、簡単に引っ張り上げてくれる。
ジュリアスさんは私をジュリアスさんの背中側へと乗せた。鞍は確かに大きめの作りになっていて、ジュリアスさんにぴったりくっつけばまだ余裕があるようだった。
「ありがとうございます、飛竜に乗るのって難しいんですね」
「戦では馬が主流だ。飛竜は扱い辛いから、数が少ない。乗る機会もそうそうないだろう」
「飛竜トラベルなら使ったことありますよ? ジュリアスさん、知ってます? 飛竜トラベル。皇国にもありました?」
私はジュリアスさんの広い背中を眺めながら話しかけた。
長さの違うさらさらの金の髪が背中に落ちている。ジュリアスさんだからだろう、長さが違うのに様になってしまう。逆にオシャレ。そのうち王都で流行るかもしれない
シリル様が真似し出したら面白いわね。
「あれはどこにでもあるだろう。遠出のためなら馬車より早い。あれは家畜化するために改良された飛竜だ、ヘリオスとは違う」
「キュイ」とヘリオス君が得意げに鳴いた。ヘリオス君にも飛竜としてのプライドがあるようだ。
大変愛らしい。
ジュリアスさんは飛竜愛好家なのでなんでも知ってるわね。
ヘリオス君が曲げていた足を伸ばして立ち上がった。たたんでいた羽が広がる。
鞍を中心に、薄い魔力防壁が体に巡るのがわかる。落ちないように、鞍と体を固定されたようだ。
やはり、飛竜用の馬具全体が錬金物でできているようだった。
「ジュリアスさん、特殊な鞍ですね、これ」
「特殊だが、多少の守護になる程度だ。落ちて死にたくなければ、掴まっていろ」
「死にたくないので、遠慮なく掴まります」
羽ばたきとともにふわりと体が浮き上がる。
私はジュリアスさんの腰に腕を回した。細身に見えるジュリアスさんだけれど、身長があるせいかかなり大きい。硬い男性の体だ。嫌なことを思い出しそうになってしまったわね。忘れていたのに。
私はジュリアスさんの黒い外套の肌触りに意識を集中させた。
アリアドネの糸でできた黒い外套がつるりとして気持ち良い。触り心地的には、なめし革に似ている。
なめし革よりももっと柔軟で軽く、頑丈で耐火性能もあるのがアリアドネの糸である。私が作ったので間違いない。
良い出来だわ。高いけど。
ばさりと、何回か大きく羽ばたいて、ヘリオス君が高く浮かびあがった。
衝撃は少ない。防護壁で守られているので安定感がある。
ジュリアスさんの背中があたたかい。人気者のクロエちゃんだけれど、こうして人と間近に触れ合うのは久しぶりだわ。
昔はーーシリル様とも、それなりに上手くやっていた気もするのだけれど、なんでこうなっちゃったのかしら。
随分と遠くに来てしまった気がする。
それは気がするだけで、高く舞い上がったヘリオス君からは円形で城壁に囲まれた王都の街と、かつて通っていた学園と、シリル様とアリザの住む王城が見える。
本来なら私は、何事もなければ白亜のお城で優雅に扇などで顔を扇ぎながら、おほほほ、などと笑いつつ暮らしていた筈だ。
それが、今は敵国のジュリアスさんを奴隷に従えて飛竜に乗ってるんだから人生分からないものよね。
ジュリアスさんの背中に私は頬をくっつけた。
楽だわ。がっしりしていて、まるで新しいソファぐらい楽ちんだわ。
ヘリオス君の飛び方は、翼を大きく開いたままあまり羽ばたかない。飛竜トラベルよりも断然早いのに、体の衝撃はまるでない。眼下の景色が街から街道に、森林にと、どんどん変わっていく。
「寝るなよ、クロエ」
「乗り心地が良くて寝ちゃいそうですね。でも、ヘリオス君は本当はもっと早く飛べちゃうんでしょう? 気を遣ってくれてありがとうございます」
「お前が落ちて死んだりしたら、ヘリオスが傷つく。飛竜は繊細なんだ。ヘリオスは特に、俺を乗せることに、プライドを持っているからな」
「安全運転、無事故無違反ということですね」
「ここは戦場ではないし、無闇に駆ける必要もない」
「王国はいたって平和ですよ。戦争が終わったのが三年前なんて嘘みたいですね」
「頭が平和だな。お前の」
「さては悪口ですね?」
実際戦火に身を投じた方々にとっては、そうではないことは分かっているのだけど。
でも、私は毎日を生きるだけで精一杯で、恨みつらみや惚れた腫れたなどに関わっている暇なんかないのである。
ジュリアスさんの恋人がヘリオス君だとしたら、私はお金、かしら。
なんだかジュリアスさんよりも私の方が不毛っぽい気がした。