黒太子ジュリアス・クラフト 1
私の人生はついてないの一言に尽きる。
それを目の前の男に訥々と語ったところで仕方ないのでしょうけれど、不遜な態度で足を組んでいる金色の髪とくすんだ青い目を持った男に多少は私の状況を理解してもらわないといけない。
部屋の奥には大きな錬金窯。カーテンが開いた窓からは明るい日差しが差し込んでいる。赤い椅子と、執務机。きのこの形をした可愛いランプ。素材が沢山入った無限空間トランク。
全て私がお金で買ったものである。
そして黒い丈夫な革の椅子に座った、薄汚れて多少痩せているけれど体格の良い男もまた、私がお金で買ったものである。
くすんだ金色の髪はばらばらとしどけなく伸びている。多少ぱさついているけれど艶やかさを失わない髪は元々の美しさの名残がある。右目には眼帯代わりだろう、あまり衛生的とは言えない包帯が巻かれている。くすんだ青色の美しい左目はつまらなそうに私を見据えていた。
ぼろぼろになった黒い外套から伸びる長い足は、不遜なぐらいに大きく開かれている。脚にぴったりとしたズボンには固そうなベルトが何本か巻きついている。擦り切れたブーツには泥がついている。
男は両手を足の間にだらりと垂らしている。その両手には魔力錠が付けられていた。メビウスの輪のような形をした魔力でできた赤い蛇のような輪である。鍵の差込口はない。主人の私が魔力を込めれば外れる、奴隷用の手枷だ。
猫背気味に丸まった背中。お世辞にも、姿勢が良いとは言えない。だらけたその態度には、かつての栄華のかけらもないように見えた。
「良いですか、あなた。あなたのご主人様は今日から私です。はい、私の名前は?」
私は男の前に立って、両手を腰に当てて言った。
くすんだ男の目には私の姿が映っている。
桃色がかった金色の、少しだけ癖のある肩までの髪、頭にはレースの三角巾を付けている。髪よりも濃い色合いの薄桃色の瞳。白い肌。赤い色のエプロンドレスでも走れるように膝丈のドロワーズを穿いて、茶色いブーツを履いている控えめに言ってもそこそこに美女の私。
王国一運のない女。私の名前はーー
「クロエ・セイグリットだったか」
中低音のやや甘さのある、けれど底知れない迫力のある声で男は言った。
「そうです。ジュリアス・クラフトさん。様? 様の方が良いですか? 様付けした方が気分が良いならそうしましょうか?」
「小煩い女だ。どうでも良い」
「また小煩いと言いましたね。良いですか、ジュリアスさん。私は主人、あなたは奴隷です。私がお金で買ったので、今日から私の奴隷です。いやぁ、良い買い物でした。なんたって、常勝将軍、黒太子ジュリアスさんがたったの五百万ゴールドで買えちゃうんですから。良い世の中ですね。五百万ゴールドなんて、神秘の霊薬一個作ったらすぐ稼げちゃうお金ですよ。いやぁ良いですね、錬金術。材料費がただなのに儲けはすごいんですから、こんなに良い商売はありません」
「それで、たったの五百万ゴールドで俺を手に入れてどうするつもりだ、お嬢さん? 国でも取るのか? それとも、復讐か?」
「ジュリアスさん……、復讐は儲からないんですよ……」
酷薄な笑みを浮かべて言うジュリアスさんに、私は嘆息した。
全くジュリアスさんはわかっていないわね。
復讐は儲からない。儲かる場合もあるのだろうけれど、そんなものはごく稀だ。
この世の中で何よりも大切なのはお金。お金があればなんでもできる。信用できるのはお金だけ。地獄の沙汰も金次第。
つまり私は儲からないことはしたくない。
「良いですか、ジュリアスさん。私はクロエ・セイグリット。由緒あるセイグリット公爵家の一人娘でした。それがですね、聞いてください。語るも涙聞くも涙のこの話を」
「興味がない。だが、どうせ勝手に話すんだろう」
「まぁ、そう言わずに。どうせ暇でしょ、ジュリアスさん。魔法錠がある限り身動き取れないんですから」
ジュリアスさんは忌々しそうに舌打ちをした。
品がないわね。
「あのですね、ジュリアスさん。私は由緒あるセイグリット公爵家の一人娘でした。敵国の将だったジュリアスさんはアストリア王国の貴族事情については詳しくないと思いますけど。で、セイグリット公爵家は没落しました」
「……過程を話せ」
「あら、ジュリアスさん。興味津々じゃないですか。稀代の美少女錬金術師クロエちゃんのこと、そんなに気になっちゃう感じですか?」
「美少女という年齢ではないだろう、お前」
ジュリアスさんが案外的確にツッコミを入れてくれることに私は満足した。
話をしてくれないタイプの人だったらどうしようかなと思っていたところだ。コミュニケーションが取れない大男を飼う金銭的な余裕は私にはないので。
「私は二十歳なので、まぁ、美女ですね」
「美女という程でもない」
「うるさいですよジュリアスさん。セイグリット家が没落したのには深いわけがありまして。私が十三歳のころでしょうか、お母様が亡くなってお父様が再婚しましてね。この義母ってやつが、長年お父様と不倫してた女なんですけど、すでに子供が一人いて、私は突然腹違いの一つ年下の妹ができたわけですよ。で、その頃私はこの国の王子様、シリル・アストリア様と婚約していたわけです」
「シリル・アストリア……第一王子か」
「そうですそうです! 流石はジュリアスさん、話が早い! それでですね、まぁそのまま結婚かなぁなんて思っていたんですけれど、三年前に貴族学園の卒業式がありまして、見事に婚約破棄されちゃったんですよ、私」
「婚約破棄?」
「えぇ、えぇ、そうなんです。身に覚えのないことだったんですけどね。衆人の目の前で投獄された私は、命だけは助けて貰ったんですけど、そのままお家は没落、私一人だけ王都にポイッとされましてね」
「虫も殺さぬような顔をして、お前はどれほどの罪を犯したんだ」
「人聞きの悪いことを言わないでくださいよ。私は何にもしてませんよ。妹のアリザちゃんが、セイグリット家の罪を暴いたそうですよ。なんだか知らないけど、お父様が裏で悪いことをやっていたとかなんとか。幼女誘拐に人身売買、高利貸しに殺人。悪い薬の販売。とんだサスペンスですよ。私全然知らなかったですもん」
「本当に行っていたのか?」
「知りませんよぅ。急に言われて、牢屋にポイっとされて、その後王都の路地裏にポイっですよ。お父様は処刑、家は没落。もうわけがわかりません。わけがわかりませんが、生きるしかありませんので、この通り私は錬金術師として一代で富を築きあげたわけです。今や私は大人気錬金術師。いやぁ、魔法が使えてよかったです。ただの魔導師よりも錬金術師の方が昨今は儲かりますからねぇ」
ジュリアスさんの瞳に初めて感情的な輝きが灯った。
それは残酷な炎のように、瞳の奥で静かに揺らめいている。
「やはり復讐を望んでいるんだろう、クロエ。俺がお前の憎い相手を、皆殺しにしてやろう」
「そういうんじゃありませんから。そういうの要りませんから。ジュリアスさん、わかってないなぁ、復讐は儲からないんですよ」
「お前を陥れたその妹とやらは、のうのうと生きているんじゃないのか?」
「のうのうと生きて今じゃお妃様ですよ。シリル様と無事に結婚したみたいですよ。こないだ結婚お披露目パレードがありましてね。お陰様でクロエちゃん特製の、空でお花がはじけて舞い落ちる、その名も花花火が売れる売れる。素晴らしい売れ行きでしたね」
「お前のそれはよくある話だが、憎くはないのか」
「よくあるんですか、私のこの話は。そんなによくあるんですか、没落」
「よくある単純な話だ」
「王国一不幸な女だと思ってたのに。おかしいな。……まぁ、思うところはありますけれどね。でもジュリアスさん。この世の中で一番大切なのはお金です。お金は裏切りません。だから私はジュリアスさんを金にものを言わせて奴隷闘技場から買ってきたんですよ」
奴隷闘技場に行くの怖かったけど、頑張ったのだ。
だって黒太子ジュリアスさんが五百万ゴールドで買えるって小耳に挟んだし。
「金にものを言わせて買った理由が復讐ではないのかと聞いているんだ。お前が命じるのなら、俺はシリルの首を取ってきてやろう。お前を裏切った男のな。拷問が望みなら、生きたまま連れてきてやることもやぶさかではない」
「血腥いなぁジュリアスさん。だから、違うんですってば」
「じゃあなんだ。なんのために俺を買った? 男娼にでもするつもりか。その様子ではさぞ相手に困っているだろうからな」
「下世話だなぁジュリアスさん。男よりも金です、ジュリアスさん。結婚相手なんていりませんよ。男娼なんてもってのほかです。一銭にもなりません」
「じゃあ、ーーなんだ」
「良いですかジュリアスさん。良い錬金には、良い素材。良い素材には、強い魔物と相場が決まっています。ジュリアスさんはこれから私のために馬車馬のように働いてもらいます。素材採取のための魔物討伐のお供をしてもらうんですよ」
ジュリアスさんはつまらなさそうに私から視線を逸らして「なんだ、そんなことか」と小さな声で言った。