俺と僕
風の噂に聞いた土地、「理の地」を目指して、一人(二人?)の小さな旅が幕を開ける。
序章
「なあ・・・ここ、どこだと思う?」
見渡す限りの水平線にウンザリしながら問い掛けると
(さあ?僕もわかりません。)
気のない返事が帰ってくる。緊張感の欠片も感じられない事に苛立ちを覚えながら、深い溜息をついた。
幸いなのは、海が穏やかで天候に恵まれている事だ。こんな一人乗りの筏じゃ、ちょっとした時化でも御陀仏だからな。
それにしても、今朝から船が一隻も通らないのは、航路から相当外れているという事だろう。
(僕達、どうなるんでしょうかねえ・・・。)
奴は、まるで他人事のように呟く。
「まったく・・・お前には緊張感というものはないのか?」
(仕方ないじゃないですか。焦っても、悩んでも、どうにもならないんですから。)
「それはわかってるのか?偉い、偉い。」
(むぅ・・・子供に子供扱いされたくないですね。心外です。)
「誰が子供だ!お前だって同い年だろ!」
(精神年齢の事を言って・・あ!)
そんなくだらないやり取りを止めてくれたのは、見たことのない樹が生えた小さな島だった。
櫂を操る手に力が入る。2時間ほど漕ぎ続けて、ようやく岸に辿り着いた。
「ふう。取り敢えず、溺死は免れたわけだ。」
(ですね。安心したらお腹が空いてきましたよ。食糧調達しますか。)
「そうだな。寝床捜しもしたいが、手分けするわけにはいかないからな。」
(まずは、島の大きさを確認しながら山の恩恵を授かりに行きましょう。)
俺はおもむろに立ち上がり、歩を進め始めた。
第一章 2日前
「潮風が気持ちいいね…。」
隣で亜紀が呟く。
「誠…本当に行くの?」
真剣な眼差しで俺を見つめる亜紀。
「ああ…行かなきゃならないんだ…亜紀のためにも…。」
「私は構わないわよ…貴方が二重人格だとしても…。」
「それだけじゃない。俺も、奴も、どっちが本当の自分か知りたいんだ。」
(その通りです。無論、僕ですがね。)
(え~い、今は黙ってろ!)
「誠…?ねえ、聞いてる?」
気付くと、亜紀の顔が目の前に…少々たじろぎながら俺は頷いた。
「またあの人なのね…確かに、はっきりさせた方が良いかも…。」
考え込む亜紀。
「ああ、そのためにも理の地に行かなきゃならないんだ。この海を越えて…な。」
水平線に視線を移す俺と亜紀。「でも…なんで筏なの?」
亜紀は半ば呆れ顔で尋ねてきた。
「な…!何を言ってるんだ!海、と言えば筏だろ!?」
(そう、そう。)
「ボートでも借りればいいのに…カヌーだって…」
確かに周りには、ボートやカヌーが所狭しと並んでいる。しかし…
「いいや、筏は男のロマンだ!筏で行ってこそ、意義があるんだ!何故ならば…」
握り拳を振り回しながら熱弁を振るう俺を冷ややかな眼で見る亜紀の姿に気付いたのは、少し経った後だった。
いよいよ出航の時…見送る亜紀に大きく手を振り、櫂で漕ぎ出した。
「いざ、理の地へ!」
一方、亜紀は…
「…はあ…他の人、探そうかしら…。」
第二章 異形の者
(結構広いんですね・・・・)
かれこれ5時間…途中、変わった木の実を食べて休んだ分を差し引いても、20kmは歩いた事になる。
「ふう・・・少し休むか。」
倒木に腰を下ろして、大きく伸びをすると、慣れない筏の旅で疲れていたのか、不意に眠気が襲ってきた。
「少し、寝よう。」
(そうですね。)
倒木の上に横たわると、すぐに深い眠りへと誘われた。
…冷たい…
…波の音がする…
…苦しい…
…!?
「…ぷはあっ!!…ぜい…ぜい…」
どれだけ寝たのだろう、気付いたら潮が満ちていた。
「…はあ…はあ…危なく溺死するところだった…。」
(…はあ…はあ…全く…溺死を免れたなんて言ったのは誰でしたっけ?)
「…お前も賛同しただろうが…ふう…とにかく、高台に上がるか…。」
濡れた服を絞りながら、高台に上がって一息つく。
「ふう…まずは服を乾かそう。」
(でも乾きますかね…もうじき、日が暮れますよ。)
確かに、辺りに闇が広がり始めていた。日照で乾かすのは無理だろう。
「火を起こすか。えっと…」
中学生の頃、文化祭で縄文文化の展示を行なった際に体験しておいて良かった。当時の衣装を着せられて馬鹿にされた事が、昨日の事のように蘇って来る…段々腹立たしくなってきた…。
「うおおおお!」
木をこする手に力が入る。
出来た火種を枯れ葉で囲んで空気を送ると…
「…よし…点いた!」
後は火が絶えないように、木の枝や枯れ葉を火にくべればOKだ。
…服が乾くのを待ちながら、これからの事を考え始めた時、不意に奴が呟いた。
(ねえ…僕、思ったんですけど…。)
「ん?なんだ?」
「満潮と言うことは…」
珍しく言葉を濁す。
「…らしくないな…はっきり言えよ。」
(…筏…)
「筏がどうした?」
気のない返事をした所で、俺も気付いた。自分でも顔が青ざめていく事がわかる。
「ちっ…戻るぞ!」
まずは、手頃な木の枝に火を移し、乾ききらない服に袖を通しながら、足で火をもみ消す。今更行っても手遅れなのは重々承知の上だが、行動せずにはいられなかった。
もう、あたりは真っ暗だった。松明の灯りを頼りに、海岸線を進む。
(星が綺麗ですね…。)
相変わらず呑気な奴だ。相手をする気にもなれず、黙々と歩を進めていた。やがて驚くべき光景を眼にすることになるとも知らずに…。
(これは…どういう事でしょうか…?)
「…」
恐らく、今の俺の顔は『狐につままれた』顔だろう。そんな俺をあざ笑うかのような光景を目の当たりにしたのだから、当然かも知れないが…。
筏は…あった。無い筈の筏がそこにあった。しかも、波に揺られている…流されもせずに、だ。
高台にあったのなら、波に打ち上げられたのかと思うだろうが…
(あ、あれは何でしょう…?)
視線を移した先には、何か長いものが見えた。松明を手に、近付いてみると…
「…縄…?」
縄だ。どこからどう見ても縄だ。その縄が樹と筏とを繋いでいる。明らかに人為的なもの…普段なら気にも留めない光景だが、今回はそうは行かなかった。
「誰か…いるのか?」
当然の疑問が浮かんでくる。ほぼ半日歩いて生活感を感じる跡には出逢わなかったのだが…。
(なんか、薄気味悪いですねえ…。)
「そうだな…何故、筏を繋ぐ必要があったんだ?」
(自分が島を出るための手段を確保するためとか…。)
「それなら、すぐに島を出れば済む事だろう。他に理由があると考えた方が妥当だな。」
(へえ…珍しくまともな事を言いますね。)
「…お前な…ん?」
ふと、誰かに見られている気がして周囲を見渡す。
「気のせい…か…」
とりあえず筏を陸に引き揚げることにした。誰だか知らないが感謝しなくては。
(どうします?島を出ますか?)
「いや…あてもなく出るのは危険だろ。現在地を確認してからでいいんじゃないか?」
(もしかしたら、その人が知っているかも知れませんしね。)
辺りは既に暗闇に包まれていた。今日はここで休む事にしよう。
疲れが溜まっていたのか、横になるとすぐに眠りに落ちた。
草むらからうかがっている眼に気付かずに…。
明くる朝、すっかり潮が引いた海岸で貝を拾い、朝食をとった。何の貝か分からなかったが、空腹が満たされれば問題ない。
「さて…今日はどうしたものか…。」
(昨日とは反対側を回りましょう。)
「そうだな…じゃあ、早速行くか。」
勢い良く立ち上がったその時、昨夜と同じ感覚に襲われた。
「…誰だ?」
辺りを見回しながら問いかけてみる…返事はない。
「何か用か?出て来いよ!」
不安からか、自然に声が荒くなってくる。
(言葉が分からないのでしょうか?)
確かに可能性はあるが、他に方法がないから、致し方ない。
…と、左手の草むらが僅かに動いた。急いで草むらに向かってみると…
「…蛇か…」
毒性のない青大将だ。どうも神経過敏になっているらしい。
「…肩すかしだな…行こう。」
俺は荷物を片付けて海岸線を歩き始めた。
「…ガァァ…」
「…!」
体が凍り付くような感覚…今まで感じた事がない緊張が体を縛り付ける。
(今の…何でしょうか…?)
「分からない…ただ人間ではなさそうだ。」
断続的に聞こえる低い唸り声…歓迎されているとは考えられない。
暫くの間、睨み合いが続く…とは言っても、こちらからは姿を確認する事ができない。かなり不利な状況だ。
「埒があかないな。」
どうも待つのは性に合わない。俺は意を決して飛び込む事にした。
(待ってください。)
「…なんだよ…」
勢いよく駆け出そうとした所で奴が口を挟む。
(丸腰では余りにも無謀でしょう。手荷物にペーパーナイフがあるでしょう?せめてそれ位は…)
「…傷付けたらどうするんだよ。ろくな手当ても出来ないんだぜ?」
救急セットはあるが、知識はない。赤チンという訳にもいかないだろう。
(…まったく…致し方ありませんね。では、私が脚を担当しましょう。)
意識を上半身と下半身で分ける。片方に意識が集中するともう片方が疎かになるから、こういう時は二重人格は便利だ。
「急所は外せよ。」
(心得てますよ。)
俺達は草むら目掛けて突進した。瞬間、何かが飛び出して背後に回られた。
下段後ろ回し蹴りで脚払いを仕掛けるが、ジャンプでかわされ、再び背後を取られる。バク転をしながら蹴りを見舞うが頑丈な体に跳ね返される。体毛の凄さに驚きながら距離を取ろうとしたが、またもや背後を取られた。裏拳で牽制しながら中段回し蹴りを脇腹に入れるが効いていない。
ここでようやく姿を確認できた。
「参ったな…これは何て生き物だ?」
全身が黒い体毛に覆われ、顔の中央には大きな眼が一つと裂けた口…おびただしい量の歯と涎…3本の脚と長い両腕…
(はてさて、どうしたものでしょうかね…。)
考える隙もなく、その生き物が襲いかかってきた。
振り回された長い腕を辛うじてかわしながら、下段蹴り。
「効かないか…」
まったく怯む様子もなく、逆立ちしながら体を回転させて脚で攻めてくる。
両腕でガードしたが、余りの衝撃の強さに吹っ飛ばされる。
ようやく離れたかと思いきや、唾を吐きかけてきた。
「きたねっ!」
慌ててよけると、後ろの岩に当たり、大きな穴が空いた。
「おいおい…嘘だろ…」
理の地を目指していた筈が、なんでこんな所でこんな眼に合わなきゃならないんだ?…段々悲しくなってきた。
(どうも、分が悪いですねえ。)
「悪いなんてものじゃない。全く勝ち目がないぜ…。」
正直、勝てる気がしないのは確かだった。急所を狙えばなんとかなるかも知れないが、相手にとっては俺達は侵入者に過ぎない。
「…負けだ…俺達の負けだよ。好きにしな!」
そう投げやりに言って、その場に寝転んだ。
「まさかこんな所で死ぬ事になるなんてな…亜紀…ごめんな…。」
(はあ…理の地に行きたかったですね…。)
覚悟を決めた俺達に忍び寄る気配…いよいよ最期の時か…
「ガアアアァ!」
突然、凛とした声が響き渡ると、間近に迫っていた気配が遠ざかっていくのを感じた。
代わりに、微かな華の香りが辺りを包み込んでくる…。
「そろそろ起きてはいかが?」
優しく問い掛ける声に導かれるように上半身を起こす。
眼の前には…残念ながら人間ではないようだ。これまた見た事もない鳥が羽ばたきもせず、宙に浮かんでいた。
「君は…?」
「あら、まずは御自分から名乗るのが礼儀ではなくって?」
「あ…ああ、済まない…俺の名は誠だ。人間をやっている。」
(何を言ってるんですか…どう見ても人間でしょう?)
(わからないだろう?向こうは違うんだから。)
「ふふふ…人間なのは分かりますよ。私も人間の言葉を遣っているのですもの。」
(ほら…。)
(う、うるさいな…)
「私は…人間の言葉に合わせた名前はありませんの。ま、好きに呼んでくださいな。」
「じゃあ、『ガアアアァ』で…」
「ガアアアァですか?それはちょっと…」
(馬鹿丸出しですね…。センスの欠片も感じられません。)
(んだと!?なら、お前が考えてみろよ!)
「そうですね…では、『見たこともない鳥』を略して『ミコト』さんでは如何でしょう?どことなく品も感じられるかと。」
「あら、いい感じね…ところで、先程と口調が違うのですけれど?」
「ああ、気になさらないでください。これが本当のすが…あっ!」
「こら!口は俺の担当だろうが!」
「…??」
ミコトは不思議そうに首を傾げる。
「それよりも…何故人間の言葉を?」
話題を変えようと、率直な疑問を投げかけた。
「昔は人間でしたのよ、こうみえても私。」
「!?」
(そんな馬鹿な…人間が鳥になんて…)
「ふふ…冗談よ。本当はね、人間と逢う機会が多くて、いつの間にか覚えてしまったのよ。」
(…でしょうね。突然変異にも程がありますよ。)
「さっきの生き物は…あっ!まだ礼を言ってなかったな。お陰で助かったよありがとう。」
深々とお辞儀をする俺に
「あら、今更?…なんて、構いませんわ。あれも久し振りに遊びたかっただけですから。」
(あれが遊び?…命が幾つあっても足りません…。)
「この島には色々な生き物がおりますのよ。あれはまだ大人しい方。森の奥にはもっとやんちゃなのがたくさん…」
「いや、もう勘弁してくれ…全く歯が立たなかったんだから…。」
「そう?今までで一番じゃないかしら?」
(人間の中で、でしょう。)
「そうだ、他の人間達は?」
「いないわよ。」
「でもさっき、逢う機会が多いって…」
「ええ、でも長居はしないから…。」
少し寂しい眼をしたように見えたが、気のせいか?
「目的を果たしたら帰ってしまうもの…。」
「目的…?そう言えば、ここはどこなんだ?」
俺の言葉にミコトは眼を丸くした。
「知らずに来ましたの?」
「筏である所を目指していたら、遭難したんだ。」
「呆れた…ここは…いえ、折角だから言うのはやめましょう。」
「折角なら、言ってくれ。」
「駄目ですよ。御自分のお力で見つけてくださいな。」
ミコトは飛び立とうと羽を拡げた。
「待ってくれ!さっきみたいな生き物にまた逢ったらどうしたら…」
「大丈夫ですよ。彼らは遊びたいだけですもの。」
そう言い残すと、ミコトは華の香りを残して飛び去ってしまった…。
(弱りましたね…。)
「ああ…とにかく、現在地を知るためにも、調べるしかないだろうな。」
頭が痛くなってきた。
第三章 調査
まずは海岸線沿いを調べた。
筏がある位置から西に向かい、水平線の向こうに島などがないか、海岸線沿いに人間の足跡がないか調べたが、徒労に終わった。
幸い、あの生き物は姿を見せず、静かすぎる事に返って不気味さを感じる位だった。
(平和ですね…)
「お前の頭がな。」
(だから、同じなんですよ。脳みそは一つなんですから。)
「なら、なんで人格が分かれるんだよ。」
(またその話ですか…分かっていたら、理の地なんて目指しませんよ。)
確かにその通りだ。
(理の地に行くためにも、早く調査を終えましょう。)
明日は島の内陸部に入る。『やんちゃな生き物』との遭遇に備え、早めに就寝する事にした。
翌朝、前日に集めた木の実と山菜を食べ、身支度を済ませた。内陸部に脚を踏み入れるのは気が進まないが、今までの道程では情報が得られなかったのだから仕方がない。
意を決して一歩を踏み出す…何も起こらない。
(そんな歩き方じゃ日が暮れてしまいますよ。ちゃっちゃと歩きましょう。)
そう言うや否や、脚の意識を俺から奪い取り、ずんずんと進んでいく。
「ちょっ…ちょっと待てって…もっと慎重にだな…。」
(はいはい、それよりも、周りを見ていてください。何が出るかわかりませんから。)
「だからこそ、慎重に…わあっ!」
急に立ち止まられたため、上半身だけが慣性の法則に従い、前方につんのめる。
「…おい…何でいきな…!!」
言いかけた言葉を飲み込む。姿こそ見えないが、すっかり囲まれたらしい。
「だから慎重に、って言っただろうが…どうすんだ、この状況。」
(ふむ…どうしましょうね…)
「ふむ…じゃねえだろ!八方塞がり、四面楚歌になっちまったじゃねえか!」
(おお、いいフレーズですね。頂きます。)
こいつは…
「だから…この状況を…」
(私の座右の銘、覚えてます?『暖簾に腕押し、ぬかに釘、柳に拳、水に剣』ですよ?)
そうだった。
「言うだけ無駄、だな…。」
(そう言う事です。では、このまま脚を受け持ちますよ。)
「ああ…って、おい!闘うつもりか?」
(無論です。逃げられそうもありませんしね。)
「その状況に陥らせてくれたのは誰だっけ…?」
(星が綺麗ですね…)
「昼間だ。」
(太陽が眩しい!)
「日なんて射し込んでいないぞ?」
(あ、今日の晩御飯、何にします?)
「ん?…そうだな…何か山の幸でも…って言ってる場合か!」
(…来ますよ!)
背後から2人…いや、2匹か?2頭か?…2体でいいか。急激に間合いを詰めてくる。
見計らったように振り向き様に掌底を打ち込んだ。
「まず1体。」
その流れでもう1体に鉄肘を見舞う。左によけたところを左回し蹴りで迎え撃つ。側頭部と思われるところにクリーンヒットし、空中で一回転しながら地に伏した。
「2体…」
ふと、頭上に気配を感じて飛び退く…が、着地と同時に突っ込んできた。懐に入られた所を膝と肘で挟み撃つ。
「3体!」
左右から何かが飛んできた。しゃがみ込んでやり過ごし、右の草むらに飛び込む…が、そこには仕掛けがあるだけだった。
「…罠か!?」
とんぼ返りで草むらから飛び出した所に背後から突進してくる気配…だが…
「遅い!」
床に伏しながら後方両脚蹴りを見舞う。
「4体…」
急いで体勢を整える…が、他の気配は消えていた。どうやら、やり過ごしたらしい。
「アイツ程じゃなくて助かったな…しかし…まさか、こんな所で役立つとは…。」
俺は、昔を思い出していた。
第四章 回想
「1!2!…」
静かな道場の中に声が響く…
「誠!声が小さいぞ!腹の底から出してみろ!」
師匠のどす黒い…じゃなかった…ドスの効いた声が飛んでくる。
「はいっ!…1!2!…」
精一杯の声を出す。周りのみんなも必死だ…。
(ゴ~ン…)
不意に鐘の音が響き渡る。ようやく昼だ。
「よし…そこまで!午後は組み手を行う!各自、1時には戻って来いよ!」
そう言うと、師匠は道場の奥へ消えて行った。
みんなも各々帰路につく。自宅が近いから家に帰るのだ。
「さて…今日はどうするかな…」
家には誰もいないし、かと言って何も食べないわけには行かない。
「裏の川にでも行くかな…」
道場を出て、川に向かう。途中、 急な階段を慎重に降りていく。
(また魚ですか?…たまにはお肉も食べたいですね…)
「たまにはって…昨日の夜は鶏肉だっただろ…」
(小学生は食べ盛りなんですよ。)
「仕方ないだろ…お金もないし、狩りをするわけにもいかないんだから…」
辺りは禁猟区だ。何より、素手で動物を捕獲するなんて出来ない。ただ、川魚だけは大丈夫という所が不思議だ。
そうこうしている内に、せせらぎの音が近づいてきた。川独特の臭いも感じる。
「さあ、着いたぞ!」
(あれ…先客がいますね…)
見ると、川の中腹に人影が見える。…いや、人のような影、と言うのが正しいところか…随分大柄なようだが…。
「…!?」
向こうも気付いたのか、こちらを振り向いた。
「…あれ…何だと思う?」
(…何でしょうね?)
細い眼
切れ上がった口
穴だけの鼻
頭には藻のようや物が垂れ下がり、頭頂部は禿げ上がっている。
全身は藻に似た色で、異様にテカテカ光っていて、とても人間とは思えない。
「河童…かな?」
(河童…でしょうね…)
「どちらにしても、魚を捕らなきゃ昼抜きだ。お~い!」
俺が声をかけると、河童らしい生き物はビクッと竦み上がった。少し震えているような気がする。
「俺も魚捕りたいんだけどいいかな~?」
その生き物は竦んだままコクコクと頷いた。
(驚きましたね。人間の言葉が理解できるとは。)
「…ん?…そう言えばそうだな…ま、いいか。」
(ふう…まったく…)
俺は服を脱ぐと、ゆっくりと入った。相手の邪魔をするわけには行かなかったし、何より、水が予想以上に冷たかった。
川の流れに潜んでいるであろう魚を捜す。水の冷たさに段々慣れてきた頃、ようやく一匹の鮎を見つけた。
(よし…そ~っと…)
鮎の後方に静かに手を沈め、タイミングを図る…そして徐に…
「…やった!」
一気に鮎を掴み取り、岸に投げ上げた。
(意外に大きいですね!)
「ああ、これなら昼食に充分だな。」
(え?一匹くらいじゃ、足りないですよ。)
「…午後は組み手なんだから、これぐらいで抑えとこうぜ。吐いちまう。」
(あ…それもそうですね。)
岸に上がって道着を着ながら、ふと河童の方に視線を移す…が、姿は無い。
「いなくなったか…何だか悪い事したな…」
鮎を木の枝に刺して地面に突き立てる。周りから落ち葉と木の枝を集めて火を興し、焼けるのを待つ。
「何してるの?」
不意に背後から声が掛かる。驚いて振り返ると、河童が鮎を生で頬張りながら、興味深そうに覗き込んでいた。
「何って…焼いてるんだ。」
「食べないの?」
「だから…焼いてから食べるんだ。」
「このままの方が美味しいのに…」
「いや、焼いた方が美味しい。それに、細菌がいるかも知れないしね。」
「…よくわからないけど…僕のも同じようにしてくれる?」
そういうと、腰にぶら下げていた魚籠から鮎を取り出した。
「ああ、いいよ。」
俺は鮎を受け取ると、火にくべた。河童は向かいに座って、しげしげと鮎を見つめている。
「それにしても、人間の言葉を喋れるなんてな…どこで覚えたんだ?」
「…理の地…」
「!?…なんだって!?」
(実在するんですか!?)
「それって…行けば全ての疑問に答えてくれるという…?」
「…良くわからないけど…僕達は『願いが叶う』と聞いてるよ。」
鮎から視線を離さずに、河童が呟いた。
「ふ~ん…願い、か…。何で人間の言葉を話したかったんだい?」
「話したかったんじゃ無いよ…何を話しているかを知る必要があったんだ。」
そう呟く河童の眼は、どこか寂しげに見えた。
「…人間は…君達人間は…僕達の住処を奪うだろ?山を切り開いたり、大きな池を作ったり…それはいつも突然なんだ。気付いたら、住む場所が無くなっているんだ。事前に知るためには言葉を知らなければならなかったんだ。」
眼に怒りと悲しみが滲み出ていた。
「…そうだよな…人間は自分勝手に地球を蹂躙してるもんな…まるで自分達の独占物のように…」
そう言う俺を、河童が不思議そうに見つめている事に気付いた。
「…へえ…そう感じる人間もいるんだ…」
心なしか、河童の眼に優しさが宿った気がした。
「あ…鮎、焼けたぞ。さあ、食べよう。」
そう言うと、河童に鮎を手渡して自分も頬張った。
「やっぱり、美味いな!…えっと…君はどうだ?」
しげしげと鮎を見つめていた河童に問いかける。
「はむ…!!…熱い!…でも美味しいよ。」
ふうふう言いながら、夢中で鮎を貪る。
(喜んでくれたようですね。)(ああ…良かった。)
「そう言えば…君は名前があるのかい?」
試しに聞いてみた。
「名前?…うん、あるにはあるけど、人間には発音できないよ。」
鮎に満足したのか、笑顔で答えた。
「そうか…俺は誠って言うんだ。そこの道場に通ってる。」
そう言って林の上の方を指差すと、
「あの小屋かい?…あれって何をしてるの?」
「簡単に言うと、身を護る術を学んでいるんだ。」
「それって、敵をやっつけるって言う事?」
「ちょっと違うな…大切な何かを護るためのものさ。君にもあるだろ?」
「…うん。護るためにやっつけるんでしょ?」
「場合によっては、そうなる時もあるけど…それが目的ではないさ。」
「ふ~ん…変なの。よく分からないや。」
そう言うと、河童は立ち上がった。
「じゃあ、僕は帰るね。みんなに焼いた鮎を食べさせてあげるんだ!」
「あ、俺も道場に帰らなきゃ。じゃあな。」
「うん、バイバイ!」
河童は手を振りながら林の中に消えて行った。
(それにしても…河童っているんですね…)
「ああ…それに、理の地があるなんて…」
(…行きたいのでしょう?)
「俺達の人格が何で分かれているのか…本当の人格はどっちなのか…知りたいとは思わないか?」
(確かに…ね…でも、どうやって探すんです?)
「あ…聞くのを忘れてた…仕方無い。毎日、ここに来るしかないな。」
(…はあ…しばらく鮎ばかりになりそうですね…)
第五章 調査②
辺りに注意を払いながら先に進んでいると、せせらぎの音が聞こえてくる。
「ありがたい!水にありつけるぞ!」
今まで海水を蒸留濾過して凌いでいたが、実のところ水に餓えていた。増してや、あんな運動の後なら尚更だ。
自然に駆け足になる。程なく、川辺に出た。
夢中で川に顔を突っ込み、水を飲み始める。途中、息継ぎを忘れて溺れそうになりながら、なんとか喉、いや、体の渇きを潤した。
「…はあっ…はあっ…水をこんなに美味しく感じたのは、初めてだ…」
(本当に…生き返りましたね。)
「折角だから、汲んでいこう。」
(…入れ物は…?)
「…そうだった…仕方無い。飲み溜めするか。」
(馬鹿な事を…また来れば良いじゃないですか。)
「場所を覚えていられないだろ?」
(まったく…川はどこに続いているんですかねえ?)
「どこって…海に決まって…あ…」
(つまり、この川を下れば海に出るわけです。そこから筏津のある場所に戻れば良いでしょう?)
「でもさ…海岸周りを探索した時は、川なんて無かったぜ?」
(…確かに…じゃあ、下ってみますか。)
俺達は川沿いを下る事にした。なにより、水分補給しながら歩けるというのがありがたい。
しばらく歩いていると、辺りの風景が変わっている事に気付いた。
「…妙な雰囲気だな…」
(そうですね…昼間なのに、この薄暗さはなんでしょうか…)
全体がセピア色に映る。何か、言いようのない不安感が襲ってきた。
「…まあ、なるようになるだろ。先を急ごうぜ!」
自分を奮い立たせるように足を速めた。
「いてっ!…」
ふと、何かにぶつかったが、姿は見えない。
手で触れると、壁があるように感じた。
(何でしょうね…石でもぶつけてみますか。)
足下の小石を拾って投げてみる。
…コツンッ
普通に跳ね返った。
(川を下りますか。)
「…いてっ!…こっちもか?…仕方無い、川に入れるくらいまで引き返すか…いてっ!」
道を戻ろうとしたら、同じように壁のようなものにぶつかった。
「まさか…」
林の方角に手を伸ばしたら、やはり壁のようなものがある。
(囲まれましたね…)
「でも、一体誰が何の目的で…」
疑問に思う俺達の耳にどこからともなく、声が響いてきた。
「ふはははは…引っかかりおったな、愚か者め…。そのまま、そこで朽ち果てるがいいわ!」
「誰だ!姿を見せやがれ!」
声の主を探すものの、一向に姿を現さない。
「ふんっ!見せろと言われて、はい分かりました、と答えるわけが無かろうが!…せいぜい、ワシに出逢った事を嘆くのだな。」
「…そうか…見せられないような姿なのか…可哀想に…」
軽くけしかけてみる。
「…な…なんだと!この島屈指のダンディーなワシに向かって、ふざけた事を申すな!…よかろう…あまりの格好良さに度肝を抜かれるがいい!」
そう叫ぶと、眼の前に何かが現れた。
背は180cm位
全身は毛で覆われ
腕は四本
足は二本
胴体には大きな眼と口
人間でいう頭部はなく、代わりに大きな角が一本
(…ダンディーですか?)
(…どちらか、と言えばワイルドだな…)
「ふっ…余りの格好良さに声も出ないか?無理もない。」
(阿保らしいだけだ…)
(自己愛精神旺盛ですね。)
「まあ、これが見納めになるのだ。存分に眼に焼き付けるがいい。」
そう言うと、ポージングを始めた。
(嫌だ…こんなものを眼に焼き付けて死ぬなんて、嫌過ぎるにも程がある…)
(どうにかして抜け出さなければ…そうだ!)
(…どうした?)
(さっき、小石を拾えましたよね?下に壁がないという事は、上にも無いかも知れません。)
(なるほど…確かめてみるか。まずは…)
「素晴らしい!背中の筋肉など、さぞかし素晴らしいのでしょうね!」
「ほう…分かるか?そら、どうた!」
これ見よがしに背中を見せつける。その隙に川に向かって上から小石を投げてみる。
…チャポン
(…よし!意外に低いぞ!)
「ん?何の音だ?」
川を見ている隙に、壁を乗り越え、その者を羽交い締めにした。
「ぬう!謀ったな!…おのれ…この程度!」
凄まじい力で引き剥がされ、川に投げ飛ばされた。そのまま、水中を下流に進む。
「…あがって来ないな…溺れたか?まずいな…謝ったら出してやろうと思っておったのに…」
慌てて飛び込もうとする異形の者。
「お待ちなさい。相変わらず、早とちりですね。彼らなら、ほら、下流にいますよ。」
そう指し示すミコト。
「むう…こりゃ、一本取られたわい。今度のはなかなかやるのう。」
「ええ、最後までたどり着けるかも知れませんよ。」
そんなやり取りなど露知らず、俺達は必死に川を下っていた。
かなり下ったところで岸に上がる。
「すっかり冷えたな…体を温めなければ。」
林から木の枝を拾ってきて火を興し、濡れた服を乾かしながら辺りを見渡す。
(普通の景色のようですね。)
「何とか振り切ったようだな。あの力は半端じゃなかったからな…。」
安堵感からか、睡魔が襲ってきた。
(こんな所で寝たら、また襲われますよ。)
「分かっちゃいるが…すまん、少し交代してくれ。」
(仕方ありませんね…)
そう言うと、俺は眠りに落ちた。
「さて、これからどうしたものでしょう…」
表に出る事が滅多にない私は、正直、暇を持て余してしまう。
「下流は…まだまだ先は長そうですね。」
川の流れは穏やかで、せせらぎと鳥の声が絶妙のハーモニーを奏でる。
「ここは…一体どこなのでしょう…彼らは一体、何者なのでしょう…」
ふと上流に眼をやると、何かが川を下っているのが見える。
急いで火を消し、服を持って林の中に身を隠す。
「…あれは…河童?」
子供の頃に出逢った河童とは違うようだ。明らかに若い、と言うよりも、幼い。体の色も薄い気がした。
河童は私達の前をゆっくりと過ぎていく。眼で追っていると、突然河童の姿が消えた。
「え?…今、一体何が…?」
急いで川に戻り、下流を見る。
河童の姿は見当たらず、さっきまでの風景と何ら変わりはなかった。
「…何かありそうですね…服が乾いたら行ってみますか。」
改めて火を興しながら、大きな力の存在を感じ始めていた。
第六章 その先に
「服も乾いた事ですし…」
河童が消えた地点に近づいてみる。特に何か変わったものがあるわけでも無く、水は静かに流れていた。
…と、妙な感覚に襲われた。
「…なんです?」
何かに呼ばれているような、引き込まれるような…しかし、嫌な感覚ではなかった。
「では…御招待にあずかりますか。眠っている彼には申し訳ないですがね。」
私は眼を閉じ、力の流れに身を任せた。折角服が乾いたのに、また川に入るのかと思いきや、川沿いに下流方向に向かうようだ。
「…これは?」
不意に何かにぶつかった感じがして、眼を開く。辺りには先程までの風景は無く、洞窟のような場所に立っていた。もう引き込む力を感じないところを見ると、ここから先は自分で進まざるを得ないらしい。
「さて…どうしたものでしょうね…」
何かがいる気配を感じるが、襲ってくる様子は無い。
「まあ、どうにかなるでしょう。行きますか!」
幸い、視界は良好だ。壁全体が光っている。ヒカリゴケだろうか。
「…誰です?」
しばらく進むと、一つの影が現れた。
「名前などない。」
影に近づくにつれ、段々と姿が見えてきた…明らかに、人の姿ではない。
「…樹?」
洞窟には似つかわしく無い光景だ。青々とした葉をたたえて優雅に佇む姿に圧倒されていると、
「どうした?…そんなに不思議か?」
幹に口が現れた。
「そりゃあ、まあ…陽が当たらない洞窟にこんな立派な樹があれば…驚くのが自然でしょう。」
私は肩をすくめて見せた。
「いや、まずはワシが喋っている事に驚かんか?」
何故か、不服そうだ。
「ここまで、色々な生き物に出逢いましたからね…免疫が出来たのでしょう。しかし、見事な葉っぱですねえ。」
「ん…?葉っぱなど、どこにあるのだ?」
「いやいや、枝にたくさ…」
そう言いながら、改めて樹を見つめると、風も無いのに葉っぱが動いているように感じた。どうも、動きがバラバラだ。
「…これは…うわっ!」
近付くと、一斉にこちらに向かってきた。途端に視界を奪われたかと思うと、さっきの声がこだまする。
「のう?葉っぱではなかろう?ただの蝙蝠じゃ。」
どうやら、青く見えたのは反射のせいらしい。
「これこれ、あまり驚かすものではない。」
樹の声がこだますると、再び枝に戻っていった。
「…で、ここで何をしているのだ?」
「あ…先程、河童が通りませんでしたか?」
「通ったが…何用じゃ?」
「いえ、特に用があるのでは無いのですが…気になりまして…」
そう言うと、樹は少し考えるように黙り込んだ。
「…ふむ…然るに、お主は何故この島に?」
「海で遭難して流れ着きました。」
「何故この島を出ない?」
そう言われると、何故だか分からなくなってきた。
「何故でしょうね…何か気になったのでしょうかね…奇妙な生き物もいましたし…」
「ならば尚更、島を出たくならんのか?」
「きっと好奇心が旺盛なのでしょう。」
「その好奇心が、身を滅ぼす事もあるのじゃぞ?」
「その時はその時、ですよ。」
私は肩をすくめて見せた。
「ふむ…そうか…ならば通るがよい。敢えて止めるのはよそう。」
そう言うと、樹は静かに口を閉じた。
「あ、まだ聞きたい事が…」
しかし、樹は何も応えない。
「…仕方ありませんね…進むとしますか。」
樹の脇を通って先に進む事にした。
段々、道が狭くなり始めた。ヒカリゴケの輝きが眩しい。片手をかざして光を遮りながら進むと、分かれ道に出た。
「さて…どちらに行きましょうかね…」
思案していると、左の道から話し声が聞こえてきた。
「………。」
「…?」
何を言っているのか聞き取れない。もう少し近付こうとした時、
「君、誰?」
不意に後ろから声を掛けられた。
慌てて振り向いたが、姿が見えない。
「…気のせいですかね…」
再び前に進もうと吉備津を返すと、
「こら!無視するな!!」
再び、後ろから声がする。
しかし、振り向いても姿は見えない。
「…どなたかいらっしゃるのですか?」
しきりに眼を凝らしながら問いかけてみる。
「どこを見ているんだ!ここだよ、ここ!」
「ああ…こういう場合は…」
足下に視線を落とした。そこには…誰もいない?
「ああ、もう…焦れったい!」
…コツン…
頭の上に何かが乗っかった。
「…上ですか?」
「上に決まってるだろ!僕なんだから!」
「いや…私は初めてお逢いすると思うのですが…」
「僕だって初めてさ!!だから、誰か聞いたんじゃないか…」
「参りましたね…答のないクイズに挑戦しているみたいです。」
思わず、頭を振った。
「わわっ…落ちる!」
「あ…すみません。」
頭を下げた。
「だから、落ちるって!!」
「ああ、すみません。どうも身体が反応してしまって。」
「・・・まったく・・・勘弁してくれよ。こんな高い所から落ちたら大変じゃないか。」
「でも、私の頭上から落ちてきましたよね?どこにいたのですか?」
そう尋ねると、髪の毛をかき分けるような動きを感じた。少々くすぐったい。
「天井に張り付きながら、誰かが通るのを待っていたんだ。」
「待っていた?」
「そうさ。落ちたら大変だからな。誰かが通ったら頭の上に飛び降りようと考えたのさ!」
どことなく自慢げな様子で言葉を続けた。
「随分と長い間張り付いていたから、手足が痺れちゃったよ。しばらく休ませてくれ。」
勝手な申し出だが、それ以前に気にかかる言葉があった。
「長い間・・・?小さな河童は通りませんでした?」
「河童?・・・ああ、通ったさ。通ったけども飛び降りるには背が低すぎたんだ。」
「ああ、成程。ところで、その河童はどちらに?」
「ん?そんな事を聞いてどうするんだ?後でもつけているのかい?」
「まあ、そんなところです。」
「ふ~ん・・・まあ、俺には関係ないからいいけどさ。」
そう言いながら頭から肩の上に飛び移ったようだ。くすぐったさが肩に移行したから間違いないだろう。
「ねえ、君、姿を見せてくれませんか?見えない何かと話しているのも気持ちがいいものではありませんし。」
僕は手の平を肩に近づけた。
「ああ、いいよ。そらっ!」
手の平に飛び乗られた感触があった。すぐ傍の壁に生えているヒカリゴケまで手を近づけると・・・
「おい、眩しいじゃないか!」
そう叫びながら手をかざす小さな生き物が現れた。親指ほどの背の高さの小さな生き物。手足に吸盤のようなものがあり、全身は鮮やかな橙色、透き通った緑色の瞳。イモリのような生き物だが、顔の輪郭は人間のそれに似ている。なんとも不思議な生き物だ。まあ、もう慣れたが。
「もう、いいだろ?少し離してくれよ。目が潰れちまう。」
「あ、すみません。」
慌てて元の場所に戻る。
「ふう・・・。で、俺の姿を見たら尚更気持ち悪くなったんじゃないか?」
不機嫌そうで、どこか怯えたような声で尋ねてきた。
「いえ?特になんとも思いませんが。ここに来るまでたくさんの生き物に逢いましたし、なんか、私の方が変わった生き物のようにも感じてきましたので。」
本当、そんな感じがした。
彼らの姿は確かに人間から見ると変わっているかもしれない。だが、今この島の中では此方の方が変わった生き物に見えるのではないか?そんな考えが芽生え始めているのも事実だ。
「ふ~ん・・・変なの。今までの人間とは少し違うようだね。」
「今までの・・・あ、そう言えば、ミコトさんが今までの人間は目的を達成したら島を離れると言っていたけど。」
「ミコト?・・・何それ?」
初めて聞いたという素振りで問いかけてくる。当然だ。
「あ、すみません。名前がないとの事なので勝手にそう呼んでいるんです。綺麗な鳥のような・・・」
「ああ、あれか。・・・で、『なまえ』って何?」
「名前というのは、お互いに呼び合う時に困らないようにつけられた・・・いや、違いますね。人間の中では先祖代々受け継がれてきているものでしょうか。」
「ああ、前に来た人間がお互いを呼び合っていた言葉か。そいつらは俺を『イモリ』と呼んでいたな。」
「見たまんまですね。」
「イモリってなんだ?」
「私が住んでいるところでは『井戸を守る生き物』の略で井守と呼ばれています。水所を守るという大切な生き物として扱われてますね。」
「へえ、そう聞くと悪い気はしないな。」
照れ臭そうにそう呟いた姿が微笑ましい。
「それで、目的ってなんでしょう?」
「さあ?それぞれ違うんじゃない?俺は聞いた事ないけどさ。」
本当に知らなそうだ。
「そうでしたか・・・。」
歩を進めながら話をしていると、ふと眼前の風景が開けた。
「ここは・・・?」
「ん?ああ、ここは選択の地さ。」
「洗濯・・・?水場はありませんよ?」
(馬鹿か、お前は!選ぶという意味だろうが!)
(あ、お目覚めですか。)
(ったく・・・寝ている間にどこまで来てるんだよ。)
(記憶は見えるでしょ?こんな感じです。)
(って、随分また色んな事が起きたな・・・小さい河童か・・・確かに気になるな。)
(でしょう?)
「・・・なあ・・・なあってば!」
気付くと、彼が手の平の上で飛び跳ねている。
「いきなり黙りこくるわ、遠い眼をするわ、一体どうしたんだよ?」
「あ、悪い、ちょっと確認していたんだ。」
「・・・??いきなり喋り方が変わったな・・・」
「ああ、仕方ないさ。俺、二重人格だからさ。」
「二重・・・よくわからないけど、その身体の中に二人いるって事だな。」
「二人、というのが正しいかどうかはわからない。ただ、お互いに会話ができるくらいの自我はあるんだ。」
(それを「二人」と呼ぶのでは?)
(あ、そうか・・・)
「それを二人と呼ぶんじゃない?」
「あ、ああ・・・そうだな・・・」
俺は反射的に苦笑いを浮かべていた。
「・・・で、河童はこっちに来たのか?」
「ん?ああ、こっちだったと思う。」
「また不安な返答だな・・・。」
「仕方ないだろ、天井から見える範囲なんて限られてるからさ。」
「まあ・・・な。それにしても人間の言葉がうまいな。」
「何人も来ているからな。コミュニケーションを取らないと、だし。」
「隠れていればいいんじゃないか?」
「なんで僕が隠れるのさ!何もしてないのに!」
少々お怒りの様子だ。
「ああ、ごめん、ごめん。そらそうだな。しかし、良く覚えたもんだ。君らの言葉とは全然違うだろうに。」
「確かにね。ただ言葉なんて音の羅列みたいなものだからさ。耳が慣れてくればいつの間にか覚えている物さ。」
「ふ~ん・・・そんなもんかねぇ・・。」
「そんなもんだよ。」
顎鬚もないのに髭をさするような仕草をする俺を怪訝そうに眺めながら彼は言葉を続けた。
「でも、この前来た人間は少し変わった言葉を使っていたね。」
「変わった?」
「うん、見た目もなんか違ってたよ。異様に白くて、鼻が高くて、眼が青くて・・・。」
「ああ、日本人ではなかったんだろ。」
「日本人?」
「あ、多分この島に一番近い国だろうな。多分、ね。」
「国?」
「なんて言ったらいいんだろうな・・・簡単に言うと、『ここからこっちは俺の領地だ!』って感じかな。」
「ふ~ん・・・なんか子供みたいだね。」
「まったくだな。その領土を守るために殺し合いをするんだから、子供以外の何物でもないさ。」
「え~~っ!!なんでそんな事のために!?」
「さあ?やっぱり子供なんだろうさ。いっその事、国境なんてなくなりゃあいいのにな。」
「人間って結構バカなんだねぇ・・・。」
「ああ、大馬鹿さ。」
(ですね。)
俺たちは人間である事を恥ずかしく感じながら歩を進めた。
第七章 人間である事
イモリのような生き物と俺はお互いの情報を交換しながら歩を進めていた。
人間という生き物について、島に住んでいる生き物について、価値観について・・・互いに新鮮だったのだろう、会話が尽きる事はなかった。
「・・・聞けば聞くほど、人間って愚かな生き物に感じてきたよ。なんでそんなに自分勝手に生きる事が出来るんだろうねぇ・・・。」
顔を顰めながら彼は呟いた。
「そうだな。他の生き物の命を軽々しく蹂躙しているし、地球を我が物顔で汚しまくるし・・・。」
「さっき言ってたビルとかいう建物って、他の土地から持ってきた土とかを使うんだろ?土地のバランスが崩れるんじゃないのかなぁ。」
「だろうな。一定の地域に重量が集中するから当然バランスは崩れてるだろうな。」
「それで地盤沈下だとか言ってるんだから、わけわからないね。そこにあるもので作ればいいのに。」
(全く同感ですね。自然の摂理に反してますよ。)
「それに食べ物だって・・・食べる生き物を無理やり交尾させて生まれた子供を食べるために育てる・・・食べられる側としたらこんなに残酷な事はないだろうに・・・。しかも生まれる前の卵を腹を掻っ捌かれて抜かれるなんて、悲しすぎるよ。」
「本当に罪深い生き物さ。多分、この地球上で唯一不自然な生き物だろうな。」
「そんな感じがするよ。・・・それにしても君も人間なのに、自分たちを随分と酷く言うんだね。」
「事実だからな。かと言って人間をやめるわけにもいかない。この重すぎる業を背負って生き恥を晒すのが人間に生まれてしまった義務だと思うんだ。」
「変えようとはしないの?」
「変わらないだろう。変えるには人間は数を増やしすぎた。一人の力ではどうにもならないし、自分たちを否定するような考え方に賛同する人間がいるとも思えないし。」
「確かにね・・・相当、数を減らさないとやっていけなくなりそうだし。」
(完全自給自足になるという事でしょうか?)
「自給自足且つ物々交換制度かな。努力しないものは生きていけない世界になるだろうな。」
「努力していない人間もいるの?」
「星の数ほどいるさ。俺も含めて、な。」
「ふ~ん・・・人間ってそんなものなんだ・・・なんかガッカリだね。みんな人間である事を自慢げに話していたから、凄い生き物なんだと思っていたんだけど。」
「凄くなんかないよ。まったく・・・ね。」
「人間が嫌いなんだ?」
「嫌いというのとはちょっと違うかな。人間というものを諦めているという方が正しいかもな。」
(表現するのが難しいですね・・・。)
「じゃあ、人間やめる?」
「それは出来ないさ。人間として生まれたからには人間として死ぬべきだろう。そうでないと、他の生き物に対して失礼だ。」
(人間の存在自体が既に失礼だとは思いますがね。)
「そう?この島で生きていくというのも悪くないんじゃない?」
「・・・へ?」
「さっき、選択の地って言ったでしょ?ここは生き方を選択出来る場所なんだ。まあ、人間をやめるなんて選択した人間はいなかったけどね。」
「だろうな。他の生き物になったら人間に蹂躙されるだろうからな。」
「この島ではそれは出来ないだろうけどね。」
「そうなのか?」
「だって、ここでは人間の道具は機能しないし。」
(そう言えば、携帯電話が繋がりませんね。)
「人間に絶望しているなら、別の生き物として生きていくという選択もあるというわけか・・・。だが、それでは逃げているだけになるような気もするな・・・。」
「まあ、そうなるだろうね。」
「ならば、このまま生き恥を晒す事を選ぶさ。人間でありたいとうのではなく人間として生きなければならないという意味で、な。」
「ふ~ん、そう。それが君の選択だね。」
そう頷くと、彼は忽然と姿を消した。途端にあたりに声がこだまする。
「君の選択、しかと受け止めた。これからも業深き人間として、他の生き物の命を蹂躙しながら生きていくがいい。」
「きつい事を言うな・・・まあ、そうなるか。」
(・・・)
声が消えるとともにあたりに霧が立ち込めた。暫くして霧が消えた後に目にしたものは断崖絶壁から望む水平線であった。
第八章 理の地へ
(・・・何をしているんですか?)
「断崖絶壁に腰を下ろして、水平線を眺めてるんだが?」
(そんな事はわかっていますよ。もうかれこれ30分程経ちますが・・・疲れたのですか?)
「そういうわけではないさ。うん、そういうわけではない・・・。多分な。」
(なんか、含みのある言い方ですね。では、交代しますか?)
「いや、いいよ。そろそろ動こうかと思っていたところだしさ。」
そう言って足元に気を付けながら立ち上がる。
さっきの彼と出逢ったことで、自分の人生観が浮き彫りになり自分自身で気付いていなかった部分に気付かされたような気がする。今まで誤魔化しながら生きてきた自分の気持ちに気付いた上で人間として生きる事を選んだ自分に我ながら驚いた。
「・・・そうだよな。それしかないもんな。」
自分に言い聞かせるように呟きながら後ろを振り返った。そこには見た事のある生き物が並んで立っていた。
(ミコトさん?・・・それに・・・)
「筋肉のおっさんだな。」
「筋肉のおっさん?誰の事だ?」
「あんたしかいないだろう。あれだけ自慢げにポージングしていたくせに。」
「む?そうか、また見たいというのか。致し方あるまい。そら!」
そう言いながらまたポージングを始めた。前にもまして念入りに、満面の笑みで。」
(・・・何をしにきたのでしょうかね・・・)
「・・・さあ。だが、ミコトさんも一緒にいるところを見ると、あの出来事は何かしらの意図があったと思うべきかな。」
「あら、勘のよいこと。」
そう微笑んだミコトさんの眼に、一瞬妖しい光が宿ったように見えた。
「でも何を考えているのかはさっぱりだ。教えてもらえるのかな?」
少し身構える、顔色をうかがいながら身構えた。
「ふん、そんなに警戒する事もあるまい。ここまで来た人間は久方振りだ。丁重に御持て成しをしなくては、な。」
そう言いながら手をバキボキと鳴らす。そんな御持て成しは真っ平御免だ。
「いやいや、丁重にご遠慮申し上げましょう。」
深々と頭を垂れる。無論、警戒は怠らない。
(敬語なんて使えるんですか?驚きましたね。)
「そんなご遠慮なさらずに。しかと受け止めてくださいな。」
言うが早く、ミコトさんの翼が唸りをあげた。途端、豪風が吹き荒れる。
「・・・っ!よりによって、断崖絶壁を背にしている時にこれはないだろう!」
地に伏して地面に指をめり込ませて耐え凌ぐ。・・・と、背後に嫌な気配が近づいてくるのを感じた。
(上です!)
「わかってるさ!」
右に転がりながら追撃を躱す。ヤツの片膝が地面にめり込む。
「おいおい・・・冗談じゃねえぞ・・・」
「左様、冗談ではない。行くぞ!」
猛突進で近づくヤツを躱しながら足をかける。これまた物凄い勢いで転げていった。
「ぬああぁ・・・おのれぇ猪口才な!」
(いつの時代の人間から教わったんでしょうね・・・)
「ヤツの寿命など知るか!来るぞ!」
四本の腕の内、二本をこちらに向けて構え、
「ロケットパンチ!」
どこかで聞いたようなフレーズを叫ぶ。
(ロケット?まさかね)
「そのまさかじゃねえか?近付いてくるぞ・・・」
事実、二つの拳が迫ってくる。
(・・・で、いつ到着するんでしょうね・・・)
「明日の朝くらいじゃないか?ふぅ・・・。」
頭を振る俺に向かって近づいてくるその拳は、さながらナメクジのごとくゆっくりと進んでいる。
「で、どのへんがロケットなんだ?」
「・・・この辺じゃ!」
次の瞬間、俺は後方に吹っ飛ばされた。どうやら、拳が命中したらしい。
「フェイントか!?やるじゃねぇか。」
(あの距離を一気に縮められては、避ける事は難しそうですね。)
「そら、もう一丁ロケットパンチ!」
やはり最初は遅い。この隙に一気に間合いを詰めようとすると、
「あらあら、私をお忘れですか?」
業風で押し戻される。その風にのった拳にまた吹っ飛ばされる。
「・・・なかなかの名コンビだな。燃えてきたぜ。」
(私は萎えてきましたがね・・・。真っ向勝負は避けましょう。こちらも変則的に行きますよ。)
そう言うと、足の意識が奪われ林に向かって駆け出した。
「どうするんだ?」
(まあ、見ててください。)
「逃げるか!卑怯者めぃ!」
(三十六計逃げるが勝ち、とは言いますが・・・そんな気はさらさらないですよ。)
「なんだありゃ?」
林に駆け込み、様子をうかがう。所在無さげに浮かぶその拳・・・いや拳のようなものはどうやら別の物体らしい。ヤツの腕はしっかりと四本あるのが見える。
「ふん、からくりを知ったところでどうしようもあるまい。観念して出てこい!」
「出てこいと言われて出る馬鹿が・・・こらっ!」
次の瞬間、俺の体は林から飛び出していた。
「おいおい、どうする気だ?」
(まあ、見ててください。)
「またか・・・はいはい、お手並み、いやお足並み拝見といきますか。」
颯爽と駆けていくが、策が見えない。なるようになるかと思いながら流れに身を任せる。
「出てきたか、おい、頼むぞ!」
「はいはい。そおれ!」
ミコトが豪風を産み出したが、俺の体には届かない。
「ん?・・・ああ、そういう事か。」
(そういう事です。行きますよ!)
林に入ったのは、ミコトとヤツと俺を直線で結ぶためだったわけだ。ミコトの豪風はヤツの体に遮られてヤツの武器を後押しする事も出来ないでいた。
「あら、してやられたわね。どうしましょ。」
「むぅ・・・致し方あるまい、肉弾戦じゃ!・・・お?」
突撃の体制を取るヤツより早く、ヤツの眼前に立つ。呆気に取られたヤツの顎に右回し蹴りを入れ、脳を揺らす。
「ぐっ!やるな・・・これしき・・・ありゃ?」
その場にヘタンと尻もちをつくヤツを尻目に、ミコトに迫る。
「きゃあ!」
咄嗟に身構えるミコトの背後に回り込み、翼を抱え込んで押し倒す。
「あ痛たたた・・・もう、乱暴ですのね・・・」
「その言い回しは誤解を招くぞ。・・・それで、何のつもりだ?」
「何の?ただ襲っただけですけど?」
「違うな。襲うだけならいくらでもチャンスはあっただろうに。ヤツもそうだ。まるで本気を出してないだろう。」
「ん?いや結構本気だったが?」
(嘘つきですね。)
「まったくだ。あれで本気だったら、その筋肉は見せ掛けという事になるぜ。」
「なんと!我が筋肉を愚弄するか!ぬぅぅ・・・」
みるみる目が紅くなっていく。どうやら本気になるらしい。
「ほらほら、もう良いでしょう?その辺にしておきましょうよ。」
ミコトが軽く嗜める。
「むぅ・・・まあ、致し方あるまい・・・。」
ヤツの眼から血の気が引いていく。俺もミコトを解放した。
「で?二人揃って出て来て『はい、さよなら』はないだろう?」
「そうですね。貴方、いえ、貴方がたを試させていただきましたの。」
(よくあるパターンですねぇ)
「よくあるパターンだな。俺達の何を試したんだ?」
「・・・先程の選択で出した答え、人間として生きていく覚悟があるかどうか、だ。」
座りなおしながらヤツが言葉を続ける。
「いまいち、意味がわからん。つまり?」
「業深き人間である事を受け入れて生きる覚悟を聞いた。それが真実であるならば、攻撃されても必死に足掻くであろう?人間に絶望しただけなら無抵抗に吹っ飛ばされるだろうからな。あの崖下に。」
そう言ってヤツは絶壁の方を一瞥する。
「なるほどな。今まで何人の人間が落ちたんだ?」
「星の数ほど、ですわ。」
ミコトが悲しそうな眼で呟く。
「人間である事を自慢げに語っていても、現実を眼前に突き付けられて落ち込まない人間はいませんでした。そのまま死を受け入れようとする人間ばかりで、何の抵抗もせず、自分自身を嘲笑しながら落ちていきましたよ。」
「死んでいったわけか・・・。」
「いや、死んだわけではない。元の生活に戻しただけじゃ。その後の人生は自身で考える事であるし。」
(そういう事ですか。なるほどね・・・。)
「貴方がたは人間として生きる事を選びました。今までの人間のように自暴自棄になる事なく、業を背負って生きるという事はとても辛い選択であると思います。それでもよいのですか?」
「違う選択をしても結局人間として生きるのであれば、人間らしく生きるしかないだろう。ただ、今までとは意識が変わってくるとは思うが。」
(そうですね。ただのんべんだらりと生きるだけでは他の生き物に申し訳ないですね。)
「食物、観賞用、ペットなど、人間の勝手で命を蹂躙している生き物に対する感謝と尊敬の念を心に抱いて生きていくさ。それしか出来ないからな。」
「そうですか。もしも人間を同じように扱う生き物が出て来たらどうします?」
「そのまま受け入れるというのもありだが、やはり精一杯の抵抗はしようかと思う。生まれた意味を問うつもりはないが、命という限りある時間をもらった以上、それが尽きるまではその命を護るのが生き物としての使命じゃないかな。」
(珍しく、正論ですね・・・熱でもあるんですか?)
「茶化すなよ・・・たまには真面目に語りたい時もあるさ。」
「今までの人間とは違う考え方ですね。罪を感じないわけでもなく、感じても逃げているわけでもなく・・・命ある限り生き恥を晒す・・・そんな生き方があるのですね。」
「そんな格好良いものじゃない。なんとなく、さ。」
(なんとなく、ですか・・・。貴方らしいですね。)
「・・・貴方がたなら良いかも知れませんね。ねぇ、キバ?」
「キバ?・・・何じゃ?」
ミコトに視線を向けながら言われた言葉にヤツが戸惑った。
「あら、貴方の名前ですよ。私が考えました。」
「名前?・・・ああ、人間同士が呼び合うアレか。」
「で、なんでキバなんだ?牙なんて生えてないだろ?」
(もしかしたら・・・安直な理由かも)
「だって先ほど、『筋肉馬鹿』って呼ばれてたでしょう?頭文字を取って、『キバ』かなと思いましたの。」
(あらあら、そこまでは言ってないですね。筋肉のおっさんとは言いましたが・・・。)
「筋肉馬鹿だと!?ぬぬぬぬ・・・貴様の『ミコト』とは何なのだ!?」
眼を真っ赤に染めてヤツが尋ねた。
「私?私は『見た事もない鳥』ですわ。結構気に入ってますのよ。」
翼をひらひらとさせながら回って見せた。
「・・・つまり、名前とは見た目からつけるものというわけか・・・。ならば致し方あるまい。」
「致し方ないって・・・筋肉馬鹿だと認めたようなものだな。」
「ん?・・・まあ、響きが悪くないから良しとしよう。今日からワシは『キバ』と名乗るぞ。」
「ええ、ええ、良かったこと。皆にも知らせないと。」
と飛び立とうとするミコト。慌てて呼び止める。
「ちょ、ちょっと!さっき言いかけた事は何なのさ?」
「??・・・なんでしたっけ?」
「俺達なら良いかも、って言ってただろ?あれはどういう意味なんだ?」
「ああ、その事。キバ、説明しておいてくれる?」
「む?ワシがか?・・・まぁ良いだろう。」
キバは頷くとどっかと座りこんだ。それを見てミコトは飛び去って行った。
「で、何から話したものやら・・・何が聞きたい?」
「いやいや、それがわからないから聞いてるんだろ?」
(大丈夫ですかねぇ・・)
「ふむ、それもそうか。お前達は何でここに辿り着いたかわかるか?」
「?・・ううむ・・・筏で、かな。」
(そうじゃないでしょう。理由を聞かれているんですよ。)
「そうではない。理由を聞いているのだ。」
「ああ・・そう。」
少し気恥ずかしくなってきた。
「そう言われてもなあ・・・俺たちはある場所を目指していて、偶然この島を見つけて・・・」
「偶然、か。お前さんもそう思うのか?」
キバの眼はまるで心の中を見据えるかのように真っ直ぐに俺の眼を見つめた。
(どうやら私に聞いているようですね。)
「そうだ、お前さんだ。お前さんはどう思う?」
(私は・・・川沿いで大きな力を感じた時、もしかしたらこの島に目的地があるのでは?と考えるようになりました。)
「そうなのか?俺には何も言ってないじゃないか。」
(まあ、あくまでも勘でしかなかったので。)
「なるほど。なかなかじゃな。」
うんうんと頷くキバ。その姿を見て俺達が今どこにいるのかわかったような気がした。
「もしかして・・・ここに『理の地』があるのか?」
「人間達はそう呼んでいるようじゃが、ワシらにはわからん。どうも何か悩んでいるような者ばかりが訪れるから、何かあるんじゃなかろうかとは思っておったが。まあ、島のする事だから確かなのだろう。」
(島?島に意思があるというのですか?)
「当然だ。ワシらは島の意思に従って生きている。じゃから島が呼んだ人間達を丁重に持て成しているのだ。」
そう言いながらまた指を鳴らし始めた。
「・・・話をまとめると、理の地を目指していた俺達はこの島に引き寄せられた、という事になるのか?」
「じゃろうな。」
(でもそうしたら理の地に来たがっている人間は皆辿り着きそうな気がしますが?)
「そうはならないさ。島が選んで呼んでいるんだから。」
「その通り。それにさっきミコトが言っていたように、今までの人間はあの崖から落ちて元の場所に戻っていったものばかりだからな。この島を特定する事も、思い出す事もないだろう。」
「じゃあ、なんで俺達の世界に理の地の事が知れ渡っているんだ?」
(そう言えばそうですね。思い出す事がないのであれば、噂にもならないでしょうに。)
「ふむ・・・なんでかのう・・・」
三人揃って悩み始めた。三人寄れば文殊の知恵とはいかないようだ。
「・・・まあ、考えても仕方ないか。とりあえず、理の地に行ってみるか。後は野となれ山となれ、だな。」
(まあ、その方が僕達らしいですからね。)
「案ずるより産むが易しというわけだな。それもよかろうて。」
(本当にいつの時代に言葉を覚えたのでしょうね。)
「じゃあ、俺達は先に進む事にするよ。どっちに行けばいいか知ってるかい?」
「知ってても教える事はない。お主等もわかっておろう?」
(まあ、ね。)
「感じるままに進むが良い。道は開けるだろう。」
そう言うなり、キバは立ち上がり林の中に消えていった。
第九章 試練
キバと別れた俺達は、キバが消えた方向とは逆の林の中に歩を進めた。そろそろ日が暮れる頃だが意外に明るい林の中は、なんとなく心地よい空間であった。
(なんか不思議な感覚ですね。)
「ん?ああ、確かにな。この島に来てから一番穏やかな気分だ。」
微かにそよぐ風、鼻をくすぐる草花の香、柔らかく足をいたわる土。自然に歩みも緩やかになる。
「さて、どこに向かったものかね。」
(まあ、風の向くまま気の向くままですね。)
「それは、そうなんだが・・・。」
(おや、いつも生き当たりばっかりの君らしくもない。)
「俺だって計画の一つや二つ・・・練った事はないか。」
(ですね。反射神経で生きているようなものですから。)
「どんな生き方だよ・・・。」
何気ない会話をしながら歩く。周りの雰囲気も相まってか、いつもよりも素直に話している感じがする。
ふと、道が二手に分かれた。右は少し明るく、左は真っ暗だ。暗闇が苦手というわけではないが、自然に右に足が向いている。
(左に行ってみませんか?なんか呼ばれているような気がしますし。)
「なら、尚更行きたくないな。嫌な予感しかしない。」
(そうですか?・・・僕には右の道に嫌な感覚を覚えるのですが・・・。)
「え?」
今まで、意見は異なっても同じ感覚を共有していたのに、ここでは感覚さえも異なっているようだ。当然の事ながら意見など会うはずもなく、10分程押し問答を繰り返していた。
「ふぅ・・・珍しく頑固だな・・・。」
(あなたも、ね。こんな事、今までなかったのですが・・・。)
お互い、釈然としないまま立ち尽くしていると、ふと聞き慣れない言葉が聞こえてきた。
「ならば、各々好きな道に行けばいいだろう。」
「誰だ?」
慌てて周囲に目を配るが視界にはなにも入ってこない。
「またこのパターンか・・・。ここだ、ここ。」
そういうと、目の前の道の上に目が現れた。
「・・・今度は岩男か?」
やれやれという感じで頭をふる。
「いわおとこ?よくわからんが、俺の事のようだな。」
しばしばと瞬きをしながら岩男?は言った。
(好きな道に行けと言われても、身体が一つですからね。)
「ああ、その事か。まあ、自分の行きたい方向に進んでみればわかるさ。」
「?・・・じゃあ、俺は右に」
(僕は左ですね。)
お互いの意識の中で進みたい方向に足を向けると・・・
「・・・何!?」
(え!?)
俺は右に行きながらふと左を見る。そこには紛れもなく俺の姿があった。まさに左の道に入らんとしている姿だ。向こうも俺を見て驚いていた。
「どういう事だ?身体が二つに分かれるなんて・・・。」
『全くです。何故こんな事が・・・あっ!?』
そう言うとヤツは口を押えた。
『こ、声が・・・出る!?』
俺も開いた口が塞がらなかった。まさか理の地を目指す途中でそれぞれが肉体を持つ事が出来るなんて。
「これなら、わざわざ人格を統一しなくてもいいんじゃないか?」
『そうですね。これなら・・・って、そうはいかないでしょう?』
「なんで?」
『同じ顔、同じ声を持った人間が自分以外にいたら、どんな混乱が起きるか・・・。』
「ああ、そうか。確かにな・・・。」
「な~に、今だけさ。後でまた一人に戻るよ。」
しばらく静観していた岩男が声をかけた。
「戻る?いつ?どこで?」
「そのうち、さ。先に進めばわかるだろう。ほら、ぐずぐずしていないで先に進めよ。」
『そうですね。ここで考えていても始まりませんし、先に進みますか。』
そういうとヤツは左の道に歩を進め始めた。
「あ、俺も行くぜ。俺は右だな。」
そう、自分に確かめるように呟きながら右の道を目指した。
<右の道へ・・・>
「少し冷えるな・・・」
俺は微かな明かりに照らされた道を進んでいる。
今まで二人だったせいか、思った事をつい口に出してしまう。答えてくれる相手がいないとわかっていながら・・・。
それにしてもどこまで続くのか、かれこれ1時間は歩いているだろう。足の裏が少し痛くなってきた。
「今日は歩きづくめだったからな・・・。途中でキバと格闘したし、少し休んでいくか。」
丁度いい大きさの岩に腰を下ろして一息つく。周囲を見渡したが特に変わったところはない。いや、既にこの状況自体が変か。
林の中というには少々薄暗い中で、頬杖をつきながら思考を巡らす。さっきの分かれ道でのやり取りから察するに、恐らく理の地への道を進んでいると考えて間違いないだろう。どこかでまたヤツと合流して一人に戻ったとして、その先にある理の地で何かしらの選択を迫られる、といったところか。その選択の結果、俺が残るのかヤツが残るのかが決まるのか・・・。
(ぐうぅぅ・・・)
思考を遮るように俺の腹が鳴った。そう言えばろくになにも食べていなかったな。かと言って何も食べ物を持っていない。現地調達するしかなさそうだ。
重い腰を上げてあたりを散策する。が、木の実どころか山菜も見当たらない。小動物の足跡もなく、川のせせらぎも聞こえない。無闇やたらに探すより先に進みながら探したほうが体力的にもよさそうだ。
「まあ、なにか見つかるさ。」
気を取り直して歩を進める。相も変わらず林の中は薄暗かったが、足元が見えないという程ではない。きょろきょろと挙動不審な行動を取りながら30分程歩いたころであろうか、割と広い空間に出た。
「・・・なんだ?」
そこには見慣れた顔があった。俺、いや、ヤツだ。大きな木の下に座り込んでいる。何かと戦ったのであろうか、至る所に怪我をしていた。
「だから、右の道だって言ったろ?・・・大丈夫か?」
(パシッ!)
そう言いながら伸ばした手をヤツは払いのけた。
「・・・なんだよ、心配してやってるのに。どうやら元気そうじゃないか。」
そう言って後ろを向いた俺の背後から異様な殺気が漂ってきた。
『・・・食べたい・・・』
その殺気に振り向いた俺の眼に映ったのは、だらしなく涎を垂れ流しながら突進してくるヤツの姿だった。
<左の道へ・・・>
『寒いですね・・・。』
僕は身震いしながら歩を進めていた。彼と交代する以外に自分の意思で行動する事がなかったからか、突然得た自由に戸惑いながら。
『それにしてもどれだけ進めばよいのでしょう。相も変わらず暗闇が続いているし、なにより寒すぎます。』
思った事がそのまま口に出てしまい、少々気恥ずかしい。一人照れ笑いを浮かべている姿は、他人から見たらただの変質者であろう。
『彼は大丈夫ですかね・・・。あちらの道には嫌な気配が漂っていましたから。』
暗い道を進みながら、なんとなく彼の事を思い浮かべていた。思えば、物心ついた頃から一緒だったから、急に離れると物寂しい感じがする。彼はなんとも思っていないだろうけども。
『ん?少し明るくなってきましたね。』
まだかなり先だが、明るい場所に近づいている事がわかる。自然に足が早まっていた。
『そう言えば、お腹がすきましたね・・・というか、すきすぎて眩暈がしてきましたよ。』
早めていた足がふらふらとおぼつかなくなってくる。あまりにも急激に体力が落ちてきた違和感に顔をしかめながら明かりを目指す。まだ200m位はありそうだ。
『何か・・何かありませんかね。』
辺りを見渡すと、野兎が目に入った。まだこちらには気づいていないようだ。
『申し訳ありませんが、その命いただきます。』
ゆっくりと野兎の後方にまわり、背をふせる。耳がよいから少しの物音をたてただけでも気づかれてしまう。細心の注意を払いながら野兎を捕まえようとしたその時、言いようもない悪寒に襲われた。
『・・・!?』
咄嗟に身をひるがえして横に跳んだ僕の眼に映ったのは、もの凄い勢いで地面ごと吹き飛ばされた野兎だった。
『あなたは・・・誰ですか?』
少しキバに似た風貌の生き物が立っていた。眼は真っ赤に充血して大きな口からはとめどなく涎が流れ出していた。幸い、地面は溶けていない。
『野兎を狙ったというわけではなさそうですね・・。』
吹き飛ばした野兎には眼もくれず、すぐさまこちらを振り向いた。異様な殺意にはらんだ眼からはなぜか涙が流れていた。
「・・・ごめんな・・・俺に食われてくれよ・・・。」
『そう言われて、はいそうですか、とはいきませんね。』
次の攻撃に身構えながら、この状況を打開する案を探る僕は生きる事を諦めかけていた。
<再会、そして>
『・・・食べたい・・・』
「いや、勘弁してくれ!」
ヤツの突進を避けながらヤツの延髄に手刀を入れる・・・が、効かない。
「おいおい、どういう事か説明してくれよ。」
『・・・お腹がすきました・・・』
間髪入れず、ヤツが突っ込んでくる。誰かに襲われるというのは気分のいいものではないが、それが自分自身の姿ならば尚更だ。
『いいじゃないですか、今までたくさんの命を頂いてきたのでしょう?今度はあなたの番ですよ。』
驚くべきなのはその眼が正気を失っていない事だ。あきらかにヤツの意思で俺を襲っている。
『僕だって食べられかけたんですよ?それもキバのようなごつい相手に。その時に初めて生きる事を諦めました。』
「だからって、何故俺を襲うんだよ。」
『彼は泣いていたんです。涙と涎を流しながら謝っていたんです。とても悲しい眼をしていました。他の命を頂く事に罪を感じていたんでしょう。それでも身体は命を求める。どう思います?』
「そういうのは腰を下ろして話すべき事だろうが!闘いながら話す事じゃあない。」
ヤツの攻撃をなんとか交わしながらヤツを諌める。自分の身体だけに癖がわかって避けやすいのが幸いして、大したダメージも受けていない。
『命あるものは他の命を奪いながら生きなければならない。そんな事はわかっているんです。それが生きるものの務めなのであれば、それに従うべきでしょう。』
「なんか、わけわからん。それと俺を襲う事になんの繋がりがあるって言うんだ?」
『繋がりなんてありません。僕の前に食べられる命がある、それだけですよ。』
「同じ人間、というよりも同一人物なのにか?」
そう言いながら、俺はある答えに辿り着いていた。
「・・・俺を食べて俺の身体を奪おう、というところか。」
一瞬、ヤツの動きが鈍った。その隙に後方に跳んで距離を取る。
『・・・そう・・・そう、ですね。そうなんですよ。僕は僕一人になりたいんですよ。』
ヤツは自嘲気味に笑いながら言葉を続けた。
『もう、うんざりなんです。さっき一人になったところで痛感したんです。僕は僕の意思で自由に行動したい。貴方の意見を伺いながら生きていくなんて耐えられないんですよ!』
そう言うなり、ヤツはまた距離を縮めてきた。怪我をしている割には動きが良すぎる事に不安を感じながらヤツに構えを取った。
「・・・しまった!」
背後に気配を感じて振り向こうとした矢先、羽交い絞めにされて宙に浮いた。
「・・・お前は誰だ!?」
『彼ですよ、先ほど僕を襲ったのは。』
「ごめんな・・・腹減って死にそうなんだ・・・喰わせてくれよ・・・。」
眼では確認できないが、その生き物は泣いているようだった。
「そう言われて、はいそうですか、とはいかないぜ。そりゃっ!」
俺は足を大きく振り上げ、その生き物の腹めがけて踵をめり込ませる。
「・・・ぐっ!」
俺を離したその生き物は腹を押えながら後ずさる。結構効いたらしい。
「おい、どういう事だ?お前が生きているという事は、こいつを倒したんじゃないのか?」
その生き物の動向に注意を払いながらヤツに問いかける。
『倒してなんていませんよ。倒せませんし、ね。』
「じゃあ、お前のその血はなんだ?怪我かと思ったが違うようだし、返り血じゃなかったのか?」
『木の実の汁ですよ。丁度いい色の木の実があったんで利用させてもらいました。』
「ふん、随分と悪企みがうまくなったじゃないか。そこまでして俺を消したいのか・・・。」
失意を通り越してむしろ称賛したい気持ちに襲われた。敵ながら天晴というやつだ。
「そうだ、こいつの方が美味いからって言われたからそいつは生かしておいたんだ。案内役として、な。でももう、お役御免だ。二人とも喰わせてくれよ。」
見る見る眼が真っ赤に染まっていく・・・どうやら本気モードのようだ。
「ちっ・・・前門の虎、後門の狼・・・か。万事休すだな。お前も今度こそ喰われるようだぜ?」
そう言いながらも、双方の気配を察しながら構えを取る。
「さ~て、どっちからかかってくるかな。ただじゃあ喰われてやらないぞ。心してかかってきな!」
一際大きく威嚇して相手の出方を探った。
『・・・では、行きますよ!』
ヤツが一呼吸早く突進してくる。が、その生き物はまだ動こうとしない。漁夫の利でも狙っているのか?ならば、とヤツの方に体を向ける。と、ヤツは大きくジャンプした。太陽の光で一瞬めくらましを食らう。
「・・・高すぎやしないか?」
手で庇をつくりながらヤツの姿を追いかけた。やはり飛びすぎだ。
ヤツの姿が大きく弧を描く。人間業とも思えないその跳躍力に驚きながらヤツの到着地であろう先に眼を凝らした。
「・・・あれは・・・湖?」
先程まで全く気付かなかったが、そこには湖があった。とても澄んでいて中で魚が泳いでいるのが見てとれる。
「あいつ・・・あの野郎!」
俺も湖をめがけて走り出した。ヤツの目的はあそこだったのか。に、しても湖の存在など知ろう筈もないのに何故?
小首を傾げながら走る俺の前にあの生き物が立ちはだかった。
「俺を忘れていないか?」
「忘れたいんだ、思い出させるな。」
「しかし、俺はお前らを喰うんだぞ?」
「はっ、喰えるものなら喰ってみろよ!」
言うが早く、俺は湖に飛び込んだ。ヤツは既に何匹かの魚を捕まえたらしく、岸に向かっている。
「ちっ、忌々しいが見事にやられたな。お前、最初からこれが狙いだったな?」
『当然でしょう、人間の肉なんて食べたくもない。それなのに、あんな簡単な嘘に騙されて・・・しかも僕があなたの身体を奪う?・・・悲しいですね・・・。』
なるほど、あの時の自嘲気味な言葉はそういう意味だったのか。
「すまん、あまりにも迫真の演技だったからさ。役者でも目指そうかな。」
『何を言ってるんです、台詞一つ覚えられないでしょうに。』
「ほっとけ。」
そう言いながら数匹の魚を捕まえて反対の岸にあがる。さも悔しそうな眼をしているだろう、とあの生き物の方を振り返ったが、その姿がなかった。
「やつは?」
『後ろですよ』
「後ろだ。」
背後からあの声が聞こえてきた。咄嗟に距離を開けて身構える。
『大丈夫ですよ。彼はもう僕たちを襲いませんから。』
「は?」
『魚がこんなに捕れましたしね。彼は水が苦手なんです。』
「あんなものに入りたがるやつの気が知れん。」
小首を傾げながらその生き物が呟く。
「・・・待て・・・待て待てい!じゃあ、さっきの二人まとめてってのはなんだったんだ!?」
「演出だ。」
途端に力が抜ける。
「あの涙は!?あの懺悔は!?」
「こんな事、頼むなんて申し訳なくってよ・・・」
『僕を最初に襲いかかった時、なんか不自然さを感じて問い詰めたんですよ。』
気付かなかったのは俺だけか・・・。
「・・どうせ俺は鈍感ですよ!ちぇっ、恰好つけて決め台詞なんて叫ぶんじゃなかったぜ。」
『決め台詞なんてありましたっけ?』
「さあ?」
穴があったら入りたい。
『ところで・・・小さな河童をみませんでしたか?』
「河童?頭が禿げ上がって甲羅がある種族だな?」
「まあ、そんな感じかな。俺達より先にここに来たと思うんだが・・・。」
「ここには来ていないな。別の道を進んだんじゃないか?」
『別の道があるのですか?』
「そりゃ、あるともさ。各々に違う道が示されるんだから。」
なるほど、俺達は二重人格だから別れたのか・・・。
『で、二人に分かれた僕達はどうしたら?』
「おいおい、それは自分達で考えようぜ。じゃないと意味がないだろ?」
『意味、ですか?それを見出すのも難しいと思いますが。』
「まあ、確かにそうだが・・・それにしても自分の顔と対面して話をするなんてなんともおかしな気分だな。」
『そうですね。言葉のやり取りはしていましたがね。』
「ふむ・・・なんとも面妖な話をしているようだが、俺はそろそろおいとまするで。腹も膨らんだ事だし、な。」
そういうと、その生き物は腹をさすりながら立ち上がった。
「ああ、じゃあな・・・って、おい!俺達の魚まで持ってくな!」
「いいじゃないか、非常食だ。」
『非常食って生ものですよ?』
「ま、それなりの保存方法があるんだよ。じゃあ、ありがとな。気を付けて行けよ。」
その生き物は洞窟の奥に消えていった。
『保存方法ね・・・以外に文明的なんでしょうか?』
「いや・・・そうは見えないな。なあ、少し気を引き締めた方がいいかも知れないぜ。」
『どうしたんです?』
「ミコト達の言葉がどうしても引っかかるんだ。俺達はここに筏で来たよな?」
『そうですね。』
「で、俺達より先に来た奴らは殆どが崖から落ちたんだよな?」
『そうでしたね。』
「で、なんで元いた場所に戻れるんだ?」
『崖の下にワープゾーンでもあるんじゃないですか?』
「そんな都合のいい話があるか?」
『あるんじゃないですか?』
「相変わらず楽観的だな。」
『悲観的よりもいいと思いますよ。』
「俺の場合は危険察知能力と言ってくれ。」
『でも今の話と保存方法がどう繋がるんです?』
「もしも、もしもだ。今までの奴らの言動が演技だったとしたら?崖から落ちた人間達を研究材料として保存していたとしたら?奴らが人間の言葉を離せるのも合点がいくと思うんだが。」
『まさか~考えすぎですよ。』
俺の言葉を振り払うように手をひらひらとさせてヤツは言った。
第十章 島の存在意義
俺の頭の中からは、この島に生きる者たちへの疑念が払えないままでいた。
そもそも、あんなにも流暢に話せるという事がおかしい。顔の構造や舌や喉の仕組みなど、到底同じとは考えられない。発声以外の何かで話しかけているのではないか?あんなに大きな口は一体何を食べるためのものなんだ?一度膨らんだ疑念は小さいが確かな影を俺の頭の中に落としていた。
『・・・まだ疑っているんですか?』
心配そうに、いや、興味本位といったところか。まじまじと俺の顔を覗き込んでくる。
「仕方ないだろ。俺の勘はなかなか外れないことはお前も知ってるよな?」
『確かに、的中率は高いですが、大事な時に外れるじゃないですか。』
「ああ、あれは演技だ。」
『演技?なんのために?』
「悪い予感を誰かに伝えると外れるんだ。良い予感は逆に当たっちまう。不思議な事だけどな。」
『そうなんですか。随分都合の良い能力ですね。』
「能力、じゃない。感覚さ。」
『似たようなものですよ。』
「確かに似てはいるが、似て非なるものだ。自分の意思で使うことが出来るのが能力、ただ感じるだけなのが感覚だ。」
『結果オーライ、でいいんじゃないですか?』
「本当に楽観的だよ、お前は。」
やれやれと肩を竦めながら俺は呟いた。毎度思うが、同じ人間の中にいたとは考えられないくらい意見が合わない。ヤツもそれは感じているようで、逆にそれを楽しんでいるきらいがある。まあ、だからこそ俺達はうまくやって来れたのだろうが。
『あ、あれは何でしょう?』
ふとヤツが指差した方向に眼を凝らす。はっきりとは見えないが、何かが佇んでいるようだ。いや、佇んでいるというよりも浮かんでいるという方が正しいか。
「何か浮かんでるな。」
『やっぱりそうですか?僕の眼がおかしくなったのかと思いました。』
「視力は2.0だ。」
『視力と観察力は違いますよ。』
「でも、見えなきゃ始まらないだろ?」
『物理的に見るだけでは判断がつかない事も多いですからね。身体全体で感じるように見ないと。』
そういうとヤツは感覚を研ぎ澄すために静かに眼を閉じた。
俺は肉眼の方が捉えやすいから眼を見開いて確認を試みる。
「・・・河童?」
俺達はほぼ同時に口を開いた。
そこに浮いていたのは、先ほど見かけた小さな河童だった。直立の状態で浮かんでいたから佇んでいたように見えていたのだろう。こちらを見ているようで、その眼に俺達の姿は映っていないのか、近づいても何も反応しなかった。
『ふむ・・・何をしているんでしょうね・・・。』
「河童の意思、というよりも何か他の力を感じるな・・・。」
時折、ピクッとつま先が動く。まるで地面を蹴るような仕草だ。
『走っているんでしょうか?』
「跳ねているのかも知れないぞ。」
勝手な想像論を呟きながらしばらく様子を見ていた俺達の耳に聞き慣れた声が響いた。
「あら、やっぱりいらしたのですね。」
「・・・ミコトか?」
振り向くと、10m程離れた距離にミコトが立っていた。
『そんなに離れたところから声をかけなくても。こちらに来たら如何です?』
「いえ、私は近づけないんですよ。そこは求める者達の聖域ですから。」
「求める者達?・・・俺達みたいな者というわけか。」
「ええ、私は特に今のままで良いと思っておりますの。」
「じゃあ、何故ここに?」
「貴方達を見学に、ですわ。」
『僕達を?』
「ええ、本当はキバも来る予定だったのですが新たな訪問者を出迎えてますから。よろしく伝えてくれとの事でした。」
『なるほど。結構訪問者がいるんですね。』
「今回は続きましたね。まあ、ここまで来れるかどうかはわかりませんけど。」
そう言うミコトの眼には心なしか寂しげな色が映った。
「ここが・・・理の地、なのか?」
「どうでしょう・・・最終地点ではあると思いますけど。何せ、この後は皆消えてしまうので。」
『消える?』
「ええ、元の場所に戻るのでしょうね。いつも別れの言葉を言う暇もないんですのよ。」
「別れ、か。再び来る者はいるのか?」
「いいえ、私が知る限りではいません。多分、これからもいないでしょう。」
「なら、何故消えた者達が元の場所に戻っていると言える?」
「存在を消す、なんて力はこの島にはありません。ただ呼び寄せて帰すだけの事しか出来ませんから。」
『それだけでも凄い力だと思いますが。』
「確かにな。消す事も出来そうな気がするが。」
「それは命を軽んじている種族の妄想です。命とは、そう簡単に奪う事などできませんよ。物理的にも、精神的にも、ね。」
「精神的?幽霊の事か?」
そういう俺の顔を微笑みながらミコトは見つめている。
「違いますわ。命を奪おうという意識を持つという精神的な行為の事です。人間は命を簡単に扱うような遊戯をしていますよね?」
『遊戯・・・テレビゲームの事でしょうか?』
「ええ、ええ、それです。何故あんな残酷なものを作り出せるのか、理解できませんもの。」
「ああ、俺もそれは感じている。特に、戦争を題材にしたゲームなど論外だと思うな。実際に体験した人たちを愚弄している。」
『でも、ゲームですよね?』
「ゲームだから良い、というもんじゃあないだろう。昔、戦争体験者に聞いた事があるが、吐き気がするほどの嫌悪感を抱いたらしい。」
「それが普通ですわ。あんなもの、経験したいという気が知れませんもの。」
『そうですね・・実際に経験なんてしたくないものです。』
「国同士のくだらない駆け引きのために命を失くす者がいる。大切な人を失くして涙を流す者がいる。人殺しの記憶に苛まれながら一生を過ごす者がいる。なかには精神的におかしくなって自分の命を絶つ者だっているだろう。どれだけ多くの犠牲を生んでも何一つ学ぶ事をしない、それが人間さ。」
『それではまるで駄目な生き物じゃないですか。』
「立派な生き物とでも言いたいのか?地球をこれほど破壊しつくしてまで生きようとする人間を。俺はこの地球上で唯一不自然な生き物が人間だと思っているんだ。」
『それは知ってますよ。何度も聞かされましたからね。それでも人間として生きるんでしょう?』
「ああ、そのつもりだ。自分の命を絶つなんて、今まで頂いてきた命に対して申し訳ないからな。」
『そうでしょうか?新たに命を頂く事の方が罪深いと思うのですが・・・。』
「その通りだ。だから生きるんだよ。このくだらない人間として生き恥をさらすためにな。」
「先程も聞きましたね、その言葉。貴方も同じ考えなのですか?」
ヤツの方を向いてミコトが問いかける。
『どうでしょうね・・・。確かに一理あるとは思います。まあ、その答えを知りたいという意味も込めて、ここを目指したんですがね。』
「そうなのか?でも、今まで聞いた事ないぞ?」
『当然でしょう。個人的な意見ですから。』
「個人的って・・・」
「まあ、致し方無いでしょう。肉体は同じでも人格が分かれているんですから。」
「まあ、確かにそうだが・・。」
『そういう事ですよ。』
そう告げるとヤツは俺にウインクしてみせた。自分の顔だけに気色悪い。
『ところで、島に意識があるって聞いたんですが、何故なんでしょう?』
「さあ、聞いた事ないですわ。何故なんでしょう。」
本当に知らないようだ。訝しげな表情でしきりに小首を傾げている。
「島も地球の一部だよな?という事は、地球の意思、なんじゃないか?」
『今日は随分とまともな事を言う日ですねえ。』
「茶化すな。島に何らかの意思が生まれるとは考えにくい。ならば地球の意思と考えるのが本筋だろう、って話だ。」
「確かにそうですわね。では地球は何をしたいのでしょう?」
「さあな。ただ、あの河童の様子を見る限り何かを選別しているようにも見えるな。」
そう言いながら投げかけた視線の先にいる河童は、何かに怯える様な表情でもがいていた。
『何に怯えているんでしょうか?尋常じゃないもがき方ですが・・・。』
確かに尋常ではないようだ。手足をばたばたさせて何かから逃げているようにも見えるし、溺れているようにも見える。
「助けた方がいいんじゃないか?・・・痛っ!」
河童に触れようとした俺の手が何かに引っかかれたような傷を受けた。
「何かいるのか?ミコト、離れた方がいいぞ。」
「もとから離れてますよ。私は大丈夫です。」
まるでいつもの事のように平然と微笑む。少し不気味だ。
『おかしいですね。何も見えないのですが、確かに何かがいるようです。』
眼を閉じてヤツが感覚を研ぎ澄ます。先程は河童の気配しか感じなかったためか、表情が険しくなっていた。
「また、このパターンか・・・おい、誰かいるのか!?いるなら姿を見せてみろ。」
辺りに空しく俺の声が響き渡る。どうやら答える気はないらしい。
「なんだ、見せられないような恥ずかしい姿なのか。かわいそうに。」
煽ってみたが反応はない。言葉が通じないのか?
『もしかして、地球の意思なのでは?』
「意思って・・・どんな意思なんだ?小さい河童を苦しめるなんて趣味が悪いだろう。」
『ここはそういう者達が集う場所、ですからね。あの河童が求めていた事が地球の怒りを買ったのかも知れませんよ。』
「かと言って、このまま見過ごすわけにはいかんだろう。どうすれば・・・。」
そう呟いて、先程のヤツの跳躍を思い出した。
「そう言えば、さっきの跳躍力は半端じゃなかったな。まるで俺の身体とは思えん。」
『?・・・確かにそうですね。』
「お前ならなんとか出来るんじゃないか?」
『どうでしょう・・・まあ、やってみますか。』
そう呟くと、ヤツは大きく息を吸ってジャンプした。いや、ジャンプというレベルではない。まるで空を飛んでいるかのような浮揚力だ。
『おお!凄いですよ!僕は今、空を飛んでいるんでしょうか!?』
「知るか!さっさと助けてやれよ!」
『感動の隙も与えてはくれないんですね・・・やれやれ、では!』
小さく息を吐いて虚空を蹴る仕草をした。ヤツの身体は一直線に河童の頭上を目指す。
『・・・ぐっ!』
途端、ヤツの身体が大きく仰け反った。何かにつかまったかのように見えるが、大きさが尋常ではないように見える。
「大丈夫か!」
『だ・・大丈夫に見えますか?』
「悪い、社交辞令だ!今、行く!」
俺はヤツの足元目指して突っ込んだ。気配は感じるが、どんな姿なのか全くもって見当がつかない俺は、当然の事ながら肩透かしを食らう事になる。
「んなろぉ!俺を離しやがれ!」
わけわからない事を口走りながら無我夢中で駆けずり回る。何とも非効率である事は頭でわかっているが、身体は納得しない。動きを止めるわけにはいかなかった。
『・・無駄ですよ・・・おそらく、宙に浮いてますから。』
振り絞るようにヤツが声を出す。
「浮いてる!?・・初めからそう言えよ!だったら・・」
俺は近くの木に登る事にした。猿と呼ばれた事があるくらい木登りが得意だったのが今にして役立つとは。
「この辺か・・・おりゃ!」
丁度ヤツの姿がある高さまで登って飛びついたが、異様に固いもので覆われているヤツには手が届かなかった。
「なんだこの固さは・・・びくともしやがらねえ!」
焦る気持ちが言葉を乱す。と言っても、丁寧な言葉は苦手だったが。
『・・・パワーアップした僕の力でもほどけないんですから、無理ですって・・・』
「だからって、指を咥えてみているわけにもいかないだろうが!」
とは言ったものの、手のような形ではなく、丸い形状にも感じられるその物体には一向に攻略法が思いつかなかった。
(今、自分で言ったように、指を咥えて見ているが良い。お前たちの出る幕ではない。)
突然、直接頭に声が響いてきた。
「・・お前が、地球の意思、か?」
(違う。地球ではなく、島の意思だ。)
「島?・・地球ではないのか?」
(地球は既に病んでいる。自分を洗浄する事に精一杯でそれ以外に力を注ぐことはない。)
そう言い放つと、俺もろともヤツを地面に放り投げた。
『・・あ、危ない!』
ヤツが俺を抱えて地面に着地する。確かにあの高さから落ちたら無傷ではいられないだろう。
「自分自身にお姫様抱っこされる日が来るとはな・・・勘弁して欲しいぜ、全く。」
『それはお互い様ですよ。それっ!』
そういうとヤツは俺を地面に下ろした。いや、正確には落としたというところか。
「いてて・・・随分と手荒じゃないか。」
『仕方ないでしょう。男を抱えた事なんてないんですから。下ろし方もしりませんよ。』
ヤツが言うと、至極当然のように聞こえてしまうのが不思議だ。
(さて、もう邪魔立てはするな。お前たちはこの生き物の後なのだからな。)
「その生き物が苦しそうだから助けようとしたんだろ?」
(それはお前達には関係がない事だ。こやつ自身が望み、求めた結果だ。そこで黙って待っていろ。)
『そうするしかなさそうですね。歯が立ちませんし。』
ヤツは観念したように腰を下ろした。
「そもそも、あの河童は何を求めたんだ?どうしたらあんな苦しむ事になるんだ?」
『さあ、はっきりしたのは、地球ではなく島の意思だという事でしょう。』
「そうだ、地球は自分自身の事で精一杯と言っていたな。人間の所業が原因なのだろうが…そうすると島の意思が見えなくなってくる。人間を粛清するのなら河童を苦しめる必要は無いだろうし・・・あ!」
突然、河童の体が大きくのけぞった。眼は大きく見開かれ、嘴の端からはよだれが垂れ流されていた。俺はこの光景を知っている。飼っていたウサギが死ぬ瞬間に全く同じ状況になった。おそらく、河童も同じ最期を迎えるのだろう。助けることができなかった自分の不甲斐無さに憤りを感じながらその一部始終を見届けるしかなかった。
河童の姿が消え、辺りを静寂が包み込み始めたとき、あいつが口を開いた。
「・・・死んだのですね。これが島の意思なのですか?」
(彼が望んだことだ。お前たちには関係ないだろう。)
「関係ないかどうか、なんて関係ない。目の前で命が失われる光景を指を咥えて眺めていることしかできなかったこの怒り、お前にぶつけさせてもらう。」
(何をわけのわからないことを。彼が望んだ結果を与えただけの事。怒りを買う言われはない。)
「あんな苦しみもがいている者が死を望んだですって?苦しませて死を選ばせただけでしょう?」
あいつの語気が強まっていく。よほど腹に据えかねたらしい。
(死を望んだ者に生の苦しみを与えたのだ。彼には必要なことだ。それに彼は死んだわけではない。そこの者が言ったように、我には命を奪うことなどできないからな。)
「生きているのか?」
(お前たちには関係ないと言ったばかりだろう。学ばぬ奴よ。)
「どうやら答えてくれる気はないようです。致し方ありませんね。帰ったら確認してみるとしましょう。逢えるかもしれませんしね。」
そう言ってかぶりを振ると、あいつは正面を見据えるように顔を上げた。切り替えが早いやつだ。俺も同じように正面に構えた。
(一つの身体に二つの心、か。難儀なことだ。一つにまとめたいのか?)
「そういう訳じゃない。ただ、どちらが本当の自分かを知りたいんだ。」
(どちら・・か。どちらとも言えんな。お前たちの人格は脳神経の異常がもたらしたものだからな。)
「脳神経・・ですか?」
(そうだ。脳の中の神経が二つの流れに分かれてしまったのだ。それぞれに記憶と感情を持ったまま・・な。)
「う~ん・・・よくわからないが病気ということか?」
(異常、という点では病気の類かも知れんな。)
「ということは治るのでしょうか?」
(それは一つになるということか?ならば答えは否だ。神経の分断は物理的なものだ。我には治すことはできない。)
「そう、ですか・・。」
残念とも、そうでないとも見える表情であいつは考え込んだ。
「おい、待て。だったらなんで俺たちは今わかれているんだ?それぞれが肉体を持ったからだろう?」
(それも否、だ。この島の中では肉体は然程の意味を持たない。お前たちを観察するために一時的にお互いを視認できるようにしただけだ。)
「そうでしたか。怪我をしてもすぐに治るからおかしいとは思っていたんです。」
「そうなのか?俺はよくわからないんだが。」
「幻覚みたいなもの、ですよ。物理的には分かれていないという事です。」
「・・・まあ、いいや。それで、俺たちはどうすればいいんだ?」
(?・・・何を言っている?お前たちがここに来たのは知るためだろう?答えを知ったのだからここにはもう用はないだろう。)
「答えって・・病気が答えということか?何とも締まらない答えだな・・・。」
「そうですね・・・何一つ解決していない気がします。」
(解決を求めるのであれば医者にでも行くがよい。物理的に神経を繋げることができるかどうかは定かではないがな。)
「はあ・・・散々な眼に合ってこれか・・・一体なんだったんだ・・・。」
「全くですね・・・亜紀に大見栄張って出てきてこれでは恰好つかないですよね・・・。」
「どの面下げて帰れっていうんだよ。はあ・・・。」
「良いじゃありませんか。答えが出たのでしょう?貴方たちはこれからも二人で生きていく事が出来るって答えが。」
振り返るとミコトがにこやかに佇んでいた。
「近づいて大丈夫なのか?」
「ええ、ええ。今は大丈夫です。答えが出ていますから。」
「そんなものなんですか?結構いい加減ですねぇ・・・。」
(いい加減とは何だ。別れの挨拶でもするかと気を利かせてやったというに。)
「別れ・・・?ああ、そうか。俺たちは答えにたどり着いたからここにはいられないわけだな。」
「そうですね。寂しい気もしますが。」
「私は慣れてますが、名前をもらったという点では私にとっても貴方たちは特別ですね。やっぱり少し寂しい感じがしますわ。」
「ミコトには随分と世話になったな。ありがとうな。」
「本当にミコトさんやキバさんに出逢えてよかったです。最後にキバさんに逢えないのが残念ですが。」
「なあ、ふと思ったんだが、島に入った当初のあの歓迎は誰にでもするのか?」
「歓迎?・・・ああ、あれですか。いえ、それぞれですよ。」
「何故、私たちの場合はあんな感じで?」
「さあ?何故です?」
そう首をかしげながらミコトは問いかけた。
(なんとなく、だ。お前たちに合っているような気がしてな。)
「ひでえな・・・。まあ、楽しかったけどな。」
「ですね。色々ありましたが良い経験でした。」
(では送るぞ。よいか?)
「ああ。・・・ミコト、元気でな。」
「キバさんにもよろしくお伝えくださいね。」
「ええ、ええ。伝えますとも。お二方の今後に幸多からんことを。」
少し名残惜しそうな素振りを見せながらミコトは空に舞い上がった。頭上でくるりと輪を描いて、森のほうに飛び去って行った。
(では、いくぞ。・・・それっ!)
掛け声とともに、視界が一瞬白くかすみ、視界が晴れた俺たちは愕然とした。
「・・・なあ、ここってどこだ?」
(・・・さあ、辺り一面海しか見えないですよね・・・。)
「これって俺たちが作った筏、だよな。」
(そうですね・・・これで帰れ、ということなんでしょうね・・・)
「・・・・あっの野郎・・・・ふっざけんじゃねぇえええ!!!!」
(せめて港まで送って欲しかったですねぇ・・・致し方ないですが。)
「なに涼しい顔してんだお前!」
(見えるんですか?)
「・・・見えない・・・」
馬鹿なやり取りをしながら帰る方法を模索するしかなかった俺たちは、意外にも心晴れやかだった。長年知りたかったことが知れたというだけではなく、お互いに理解を深めることができたような気がしていたからだ。とりあえず、この小さな旅は成功だった、というところだろうか。まあ、玄関を開けるまでが遠足、ともいうように帰るまでが旅なわけだが。
「・・・・や・・・やっと・・・たどり着いた・・・・」
(長かったですね・・・。二日もかかるとは・・・)
遠くに見慣れた港が見えた俺たちは少し安堵した。筏をバタ足で押したり手でかいたりして進めてきたから体力も限界に近く、すぐにでも倒れこんでしまいたかった。
(あ、あれは漁船じゃないですか?)
「ああ、そうだな。・・・お~~~~~い!!」
ちぎれんばかりに両手を振りながら声の限り叫んだ。暫くして、漁船がこちらに向かってきたときには涙が出そうになった。今までそう簡単には泣かなかったのだが、不思議なものだ。
「な~にしてんだお前ら。こんな筏で沖に出たら危ないだろうが。」
そう言って呆れと安堵の表情を浮かべたのは、亜紀の父親だった。
「まあ、見つかって良かった。亜紀から聞いた時には耳を疑ったぞ?このご時世に筏で海に出る大馬鹿者がいるなんてな。」
「なんとも面目ない。だが、やはり筏は男のロマンで・・・」
ポカッ!!
「阿呆かお前は。ロマンで死んだら意味ないだろうが。ほら、いいから早く乗れ。これから時化るぞ。」
そう手を伸ばしながら、その目は遠くを見据えていた。どうやらこれから海が大荒れになるらしい。
(助かりましたね・・・まさか亜紀のお父さんが来るとは思いませんでしたが。)
(このあたりの漁業組合長なんだから、当然といえば当然なのかも知れないけどな。)
「ありがとうな、おっさん。亜紀にも心配かけちまったな。」
「ん?亜紀か?・・・う~む・・・亜紀、ねえ・・。」
何とも歯切れが悪い。
「亜紀がどうかしたのか?何かあったのか?」
俺はおっさんに詰め寄った。距離が近すぎたのか、おっさんが少し後ずさる。
「い、いや特にどう、という事ではないんだが・・・直接本人に逢ったほうが早いよな・・・。」
そう言いながらおっさんは漁船の舵を取った。何かを誤魔化すような仕草に俺たちは不安を感じながら陸を目指した。
「あ、誠!良かった、無事だったんだ!」
港に着いた俺たちを亜紀が出迎える。特に変わった印象はないが、隣に見知った男が並んでいた。
「勇作か?久しぶりだな!こっちに戻ってきたのか?」
勇作は東京の高校に進学した幼馴染だ。同じ道場にも通った仲間でもある。
「戻ってきた、というわけではないんだが、誠の事を聞いて、な。」
「心配をかけたみたいだな。亜紀、勇作、すまない。」
「いいわよ。今に始まったことじゃないし。ね、勇作?」
そういうと亜紀は勇作に寄り添った。距離が近すぎる感じがする。
「おいおい、少し離れろよ、亜紀。勇作が困っているだろう?」
勇作には女性免疫が・・ってあれ?困っていないぞ?
「困るわけないじゃない。だって勇作は私の彼氏なんだから。」
「彼氏って・・なに~~~~!!」
あまりの衝撃に海に転落するところだった。おっさんに支えられなかったら危ないところだ。
「お、おい、ちょっと待て。お前、俺と付き合って・・・」
「だ、か、ら、海に筏で出るような馬鹿を待てるほど私は気長じゃないのよ。知ってるでしょ?」
(確かに昔から短気でしたからね。)
「い、いや、だけど、しかしながら・・・」
自分でもわけのわからない言葉を発しながら狼狽える。周りからみたら酷く滑稽な姿だっただろう。
「誠、ごめんな。誠の事で亜紀から相談を受けるうちに、さ。俺も亜紀が好きだったことに気付いちまって。」
(致し方ないですね。女性の気持ちは猫の目のようにくるくる変わるといいますし。)
(お前な・・・。少しは動揺しろよ!)
(勇作は昔から亜紀の事が好きでしたからね。まあ、必然の結果でしょう)
(知ってたのか!?俺は気づかなかったぞ!!)
(まあ、鈍感ですから致し方ないでしょう。)
「・・・誠、また、なの?」
「・・ああ、ごめん。折角答えにたどり着いたんだがな。どうやら脳神経の病気らしい。」
「良かったじゃない。原因がわかって。じゃあ、お医者さんに行くの?」
「・・・いや・・・俺はこのままでいいかなって思ってる。」
(おや、よいのですか?もしかしたら治るかも知れないんですよ?)
(まあ、確かにな。ただ、もし一つにまとまったとして俺が消えたら、って考えると怖くってさ。)
(そうですね。確かにどうなるかわかりませんしね。)
「いいのか?誠。それがお前の答えか?」
「そうよ。今までと変わらないなら何のために行ったのか、わからないんじゃないの?」
「まあ、結果は変わらないけど、この旅が全く無意味だったわけじゃあないからさ。」
「ふ~ん・・・まあ、誠がそれならそれでいいんだけど。ね?勇作」
そういうと亜紀はよりいっそう勇作にしがみついた。
「・・・だから、は~な~れ~ろ~~~~!!!」