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虹の記憶  作者: 湯浅 裕
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虹色の記憶4

「さぁ、できた。早くりの返ってこないかなぁ。」白いドレスを満足げに広げ眺める柴崎。

わが5組の文化祭の出し物は、お化け屋敷で、女子たちはもっぱら、持ち寄ったドレスに血のりを模した赤いペンキで汚した物を着ている。昨日の衣装合わせの時、柴崎がりのちゃん用に用意したドレスは、丈や身幅が大きすぎて、ドレスの裾を引きずり踏んで廊下でスっ転んだりのちゃん。着ないとふてくされたりのちゃんに、柴崎は徹夜で手直しをして、文化祭が開会した今までかかって、間に合わせた。

「お前、去年といい今年といい、良くやるよな。」

「りのは、学園のアイドルなのよ。変な衣装なんて着せられないわ!」

「中島に引けを取らないマニアになってきてないか?」

「やめてよ!あいつの考える衣装、何のアニメか知らないけど、とんでもないのよ。任しておけないわ!」

中島が考えた衣装が、どんなものか知らないけど、中島の持ち物を見れば容易に想像がつく。確かに、柴崎が担当した方が断然いいだろう。だけど、ほんと、これに関しては、柴崎も毎年マメによくやる。生徒会の仕事もかなりの忙しさだと言うのに。髪につけるコサージュも用意し、まだつけられたままの値札を取り、形を整える。準備万端過ぎて、寝不足の目が充血している。そんな柴崎に飽きれ、亮は苦笑する。自分を着飾る事に一生懸命になるなら気持ちはわかるが、人を着飾る事に、ここまで力を入れる気持ちはよくわからない。それは亮が男であるから、そんな女心を読み取り、よく理解しているつもりでも、まだわからない事の方が多いと実感できる。柴崎のお母さん、柴崎会長にそれを指摘されてから、身に染みて思う事である。

「それより、森山と三浦さんに土曜日からの事、ちゃんと頼んだか?」

「ええ、頼んだわよ。藤木もお願いね。」

「俺はいいから、前日にも、ちゃんと念押ししとんだよ。」

「はいはい、わかってますって。」

 今週の土曜日と日曜日、りのちゃんは全国大会に出場する為に山口県まで遠征に行く。柴崎はクラブバックアップ支援の考案者、生徒会代表の視察として、遠征についていく。というのは建前で、実情は、単なるりのちゃんの付き添い。本来なら学園祭の後の土曜日は、そんな所に行っている暇は、柴崎に、生徒会全メンバー誰にもない。学園祭の報告まとめと反省会がある為、生徒会会長として指揮をとらなければならないのだけど、それを欠席して弓道部の試合についていく事に、生徒会メンバーは、承諾してくれていた。が、胡坐をかいて甘えて言い訳じゃない、柴崎がいない事で、メンバーの仕事は大きく増え、迷惑をかけるのは間違いないのだから、だから亮は念を押して頭を下げておけと言ったのだけど、柴崎は亮の言葉半分に、衣装の準備に夢中だ。柴崎がどんな態度をとっても、誰も文句は言わない、言えない。だからこそ、少しの我儘が、経営者の娘の権威が誇張されて、横暴の印象を与える。

亮はため息をついて。何気に、柴崎が外した値札を手に取って、びっくりした。

「4800円!こんなもんに4800円って!」

「こんなもんって言わないでくれる!するわよ。これ、安い方よ。」

「はぁ?似たような100均で見たぞ!」

「やめてよ!100均なんて、ダサイの。」

「ダサイって。そんな問題じゃないだろ!こんな高い物を、しかも個人で使うのに、予算を使うなよ!」

「使うわけないでしょう! これは個人出費よ。」

さらに呆れて物が言えない。たかが学園祭の仮装衣装に4800円を使うとは。しかも自分のじゃない。

「りのちゃんがこれを知ったら怒るぞぉ。」

ただでさえ、柴崎の着せ替え人形にされて、昨日から機嫌が悪いというのに、4千円の無駄遣いを柴崎がしたと知ったら・・・想像つくから怖い。

「言わないでよ、それこそ100均って言ってよね。」

「お前、もう約束を破るのか?」

「もう!うっさいわね。お金に細かい男は嫌われるわよ。」 

「細かいとかじゃなくてだな」

「あっ、帰って来た! おかえり、あれ?一人?新田は?」

りのちゃんと新田は、朝一番で他のクラスの店を見に行っていた。柴崎は生徒会本部に頻繁に顔を出さないといけないから、クラスの当番は免除。他の店を回るのも、開いた時間を見計らっていくしかない。亮も生徒会本部に顔出さないといけないけれど、柴崎ほど忙しくない、学園祭終了後からの報告書作成が大変だから、それを見越して、書記は常翔祭当日の本部当番が免除されている。

そうはいっても、知らぬ顔はできないし、状況把握はしておかないと、報告書を作る時に手間取ってしまう。

「ファンクラブに捕まってる。」りのちゃんは涼しい顔でそう言うと、小さな手提げかばんを机の上にひっくり返して中身を出し、各クラスのチラシを取り出して、眺めはじめた。

学際期間中、廊下を歩けば、クラスの出し物の客寄せと宣伝の為、チラシを手渡される。中には飴玉を配っているクラスもあったりして、りのちゃんは、沢山、貰ったと嬉しそうに飴を一つ、包装を破って、ぱくっと口に入れた。

「はぁ~、あいつも観念して、つき合って回ればさ、女の子達も満足するのに。まじめーに全員に断るから、いつまでも付きまとわれるんだよ。そういう不器用に、ほんと呆れるっつうか」

「それ、りのの前で言う?」

「私?私も藤木と同じ意見だけど、女の子の思いをなんだって、無下に断れるのか?非道極まりない。」

あーと亮はうなだれる。

りのちゃんの意見と、亮のとは、根本的なところが違う。

「えーどうして?りのは、ニ、痛った・・・」亮は、柴崎の足を机の下で蹴った。

「ん、何?」

「あぁまぁ新田の事より、ほら!これ、できたわよ。着替えて。」

「えーまたそれ着るの?」

「大丈夫、ちゃんと長さ調節したし、ほらコサージュも用意したわよ。」

「柴崎が着ればいいじゃん。自分で作ったんだし。」

「りのは入り口で案内役でしょ。これ着るのがお仕事。さぁ文句言わずに更衣室行くわよ!」

「えー、まだ私の仕事時間じゃないよ」

「いいから、私この後、本部に行かなくちゃいけないんだから」

「何故、柴崎の都合に合わせなくちゃいけないの~」

「細かい事、気にすんじゃないの!」

「いやだぁ~藤木ぃ助けて~」

「ごめんね~無理だから。」

嫌がるりのちゃんの腕を、がっしりとつかんで無理やり更衣室へと引っ張っていく柴崎。

あの状態の柴崎を止められる奴なんて、この学園には居ない。亮は手を振りつつ、元に戻ったこの状況を心から楽しむ。  

りのちゃんは、自分が解離性同一障害、いわゆる二重人格を発症して、催眠療法を受けて元に戻った。というすべての経緯を退院前に村西先生から説明を受けた。亮が柴崎の足を蹴って遮った言葉は、『だって、りのはニコと合わさったから、新田の事を好きという気持ちも合わさったんじゃないの?』っ的な事を言いそうだったから止めた。

ニコと言う名称も禁句だけど、それよりも、りのとニコが合わさったから新田の事を好きという感情が素直に出るかというほど、りのちゃんの心は単純じゃない。そこは単純な柴崎には理解しがたいものが、ある。

村西先生の説明後、りのちゃんの表情は、よく変化するようになり、読み取りやすくもなった。今まであいまいだった記憶と過去の不安、沢山の不透明がクリアになったので、すっきりしたんだろう。だけど依然、亮が出会った人の中で一番読み取りにくいのは変わらない。特に新田への気持ちが読めない。りのちゃん自身が新田の事を本当に何とも思っていないのか、それとも亮に理解できないような女心があるのか。

「藤木、りの帰って来なかった?」新田が帰って来た。

「あぁ一人で帰ってきて、柴崎に捕まった、今、更衣室。」

「はぁ~、良かった。」

「お前さぁ。もっと器用になれよなぁ。りのちゃんも言ってたぞ。」

「はぁ?手先なら、りのより器用だぞ。」

「違う!女子の扱いに関してだ!」

「はぁ?」




藤木の前のテーブルを見たら、りのの鞄が無造作に置かれていた。さっき校舎を一周する間に、たんまりと貰ったチラシと、飴玉が散乱していて、柴崎が無理にりのを更衣室に連れいった有様が目に浮かぶ。藤木の前にすわり、飴玉を一つ口に入れた。

「ファンの女の子に1日だけでも付き合ってあげたら、2日目はりのちゃんと思う存分、回れるのに。中途半端に期待させるような余韻があるから、お前、捕まるんだろ。りのちゃん、一人にされて可愛そうに。」

「んな事、お前みたいに器用に、いい加減な事できるか!」

藤木も何人かの女子に告白されている、全員後輩で、藤木曰く、『サッカー部の副部長と生徒会の肩書が、格好良く見えんだろうよ。彼女たち本気で俺の事が好きじゃなくて肩書に憧れるタイプだよ。』と言うくせに、時間をずらして全員と店を回るという。慎一には理解しがたいプレイボーイぶり。そういえば、ダンスの相手は誰かと聞いてなかった。ま、明日になればわかるだろう、チークダンスの相手が本命という事だろうし。

「その、下手な真面目が、りのちゃんを泣かすことになるっての、まだわかんないかね、新田君。」

「泣かす?」 

藤木は、大きなため息をついて、肘をテーブルについて顎を手に乗せた。

「あのさ、たかがファンのテンションに、まじめーに断ってどうすんの?。相手は本気でお前と、どうにかなろうって考えてなくて、単に学祭を一緒に回りたいってだけ。祭りの時ぐらいは一緒にはしゃぎたいとか、話したいとか、その程度の事。それぐらいの事も駄目って断ってさ、ファンが納得するわけないだろ。だから、いくら断っても当日の今日になってまで追いかけられるんだよ。だったら30分でも一時間でも付き合ってやったらさぁ、満足して、追っかけも収まるって、俺、確か、去年も言ったはずだけど。」

あぁ確かに去年もそんな事を言われたような・・・でも去年は、あの強打事件が1日目の夜にあって、次の日、りのは頭に包帯を巻いて学祭を過ごした。その痛々しい姿のりのに俺は、ずっと付き添っていて、流石にファンも俺達に近寄ってこなかった。だから去年は何だかんだでファンの要望に応えなくて済んだんだけど。今年は、最後の年と言うだけあって、同級も後輩も人数が増えて、2週間ぐらい前から呼び出しが酷かった。藤木と口を利かなくなっていたから、藤木に相談なしで、すべて断っていたんだけど・・・・なんだ、この先生に怒られているようなシチュエーション。

「いや、だからって。俺が他の女子と一緒にいるのを、りのが見たら、それこそ。」

りのは、良い気がしないんじゃないか?あの時の言葉は嘘だったのか?となりはしないか

慎一は、りのの選ぶすべてを受け入れ、変わらずお前だけの心配をすると言った。あの時、りのかニコかどっちであったのか、知らないけど、そんな事はどっちでも良くて、どっちであっても慎一の気持ちは変わらない。りのがその慎一の言葉を覚えているかどうかもわからない。

精神科医の村西先生は催眠療法で父親の死を事故と修正して、りのとニコを合わしたら、自然と、りのの記憶の時系列は整うだろうと言っていた。だけど人間には忘れるという都合のいい処理能力があるから、膨大な記憶の中で、どれを覚えておくか、どれを忘れるかは、本人次第だと。精神科医は記憶の操作をそこまでしようもないこともないけれど、しない方がいい。と、りのにとって都合の悪い記憶を消す作業は行っていないという。

「りのちゃんが、その程度の事を気にするわけないだろう!逆に何度も何度も目の前で一人ぼっちにされる方がきついだろ!」

「そうかなぁ?」

「 はぁ~。」藤木は、大きなため息をついて天を仰いだ。

「お、りのちゃん帰って来たぞ。お前ちゃんと謝れよな。」

「あぁ、ごめん。」

「俺じゃない!りのちゃんにだ!」

丸めたチラシの束で頭を殴られる。藤木先生は厳しい。





毎年、毎年、柴崎は何に拘って私にコスプレをさせるのだ?

しかも自前の衣装なのに、自分は散々着てるからいいんだとか言って、本人は着ない。

私だって柴崎のドレス姿を見たいのに。私なんかより絶対に似合う。やっぱり育ちが違う。着物もそうだけど、こういうドレスだって、着慣れているかいないかでは、全然違う。立ち振る舞いに差が出る。昨日なんか私、ドレスの裾を踏んづけて派手に転んだし。こんな高いヒールの靴だって履いた事がないから歩きにくくて、変な姿勢になる。つま先でドレスを少し蹴り上げる感じで前に出すのよと、柴崎がアドバイスしてくれるのだけど、うまくできない。大体、生まれてからスニーカーと学園指定靴のローファーぐらいしか履いたことない。無理だって言ったら、「じゃ、いい機会じゃない、練習しておいて、そのうち、りのも社交界に連れ行くから。」と、恐ろしい事を言う。「楽しみだわ。そん時は何を着せようかしら」と、さらに目をキラキラさせて言うもんだから、そん時は5歳児に戻ってやると言ったら、おでこをバシと叩かれて、

『私達がどんな思いで、あんたを心配したと思ってんのよ!冗談でも2度とそういう事言わないで頂戴!』

と、お説教を食らう。

私が5歳児であった時と14歳のニコであった時の記憶は、おぼろげにある。そして消えたと思っていた去年の学園祭の記憶や他の物がある程度に戻ってきていた。今まであやふやだった記憶の時系列もちゃんと正しく並んでいて、これはいつの記憶かと不安にならない。

ただ、戻って来た記憶にはフィルターがかかったようになっているものがあり、今一つ自分の記憶であって自分のじゃないような感覚がする。おそらくそれはニコが作った思い出の数々だろう。グレンとの思い出は、はっきりしているのに、キャンプの多くはフィルターがかかっていて、皆と輪になって手を繋いだ記憶が、まるで撮影したビデオを再生してみているようで、今一つ実感がない。

それを昨日の診察で村西先生に言ったら、「記憶なんてそんなものだよ。逆にはっきりしてる方が稀なんだけとねぇ」と言われた。

先生がそう言うのだからそうなのかぁと納得するしかない。時系列的に最近の記憶なのに靄がかかっていたり、逆に昔の記憶なのに鮮明だったり、同じ記憶の中でも鮮明度が混在していたりもするから、気持ちが悪い。催眠療法直後であり、時がたてば、自然とならされていくはずだから、慣れるまでの辛抱だよ、とも言われた。結局、私は、ずっと精神科に通わなければ行けないのかぁと溜息をついたら。

『先生は、りのちゃんに会えるの楽しみにしてるから、ゆっくり治そうねぇ~』なんて、ふざけた事を言われて、本気でむかついた。誰が、精神科に楽しんで何年も通いたいか!さっさと治して、顔黒ともおさらばしたい。

「うーん、やっぱ歩き方が残念だよねぇ、りのちゃん。」藤木が私の歩き方を見て苦笑する。

「運動神経が良いのに、どうしてちゃんと歩けないのよ!」半切れの柴崎。歩き方って運動神経?

大体、着たくないって言ってるのに無理やり着せて、笑う、文句を言うってどういう見解?

むかついたから、ヒールを蹴り出した。2つとも。

そのヒールの一つが勢い余って慎一の顔の方に飛んで行く

「うわ!あぶね。」

流石サッカーをやってるだけあって、反射神経はいい、当たると思った顔をすっとよけて手でヒールをパシっと受ける。

「おぉ。ゴールキーパーも出来るな、慎一。」謝りたくない意地で褒めて誤魔化す。

「りの~」慎一の頬が引きつる。怒る寸前。

「りのちゃん、お行儀悪いっ!」

えー!怒るの藤木?と同時にぼやけた記憶が瞬時によみがえってきた。

パソコンルームで慎一と蹴り合いしてたら、手が配線に引っかかって、抜いてしまった。藤木に今と同じように怒られて、初めて藤木を怒こらせたと焦った。この記憶は・・・・ぼやけているからニコの物。

【りのはニコ、ニコはりの】

それを思い出すと涙が出そうになる。

小さい慎ちゃんを追いかけようと暴れる私、

輝く彩都市の街並みを冷静に見つめる私、

同じ瞬間に2つの視点がある不思議な記憶。

ニコはあの時、消えなければならない現実を知って、絶望に涙を流していた。

その感情が私の中にある。ニコが綴った記憶も私の中に。

「ちゃんと靴履いて、ほら。ヒールの高さに合わせてドレスの長さを決めてんるんだから。」

「・・・・・・」

「りの?」

「りのちゃん?」

「りの・・・・」

「あぁ、ごめん、ボーとしていた。」

慎一が、険しい顔で椅子から立ち上がり、手をあげた。怒られると首をすぼめて構えた。叩かれる!謝らないと。目をつぶった。

「ごっ、ごめ」

「熱は、なさそうだな。」

「え?」

慎一の手は頭じゃなくて、額にあてられていた。またフィルターのかかった記憶がよみがえる。

『病院に行ってたのか?大丈夫か?熱は?』

『もうない。』

『嘘じゃないな。良かった』

『柴崎が授業のノートのコピーを持っていけと。あと、これ。好きだろ、プリン。店から取ってきたんだ。』

『・・・・何個入っている?』

『4個だけど。さつきおばさんの分と。』

『食べていくか?母は夜勤だ』

『さつきおばさん、急に夜勤になったらお前、晩御飯どうすんだ?』

『・・・・・プリンを。』

『馬鹿か。プリンはおやつだ!それに、俺がプリン持って来なかったら、どうするつもりだったんだよ。』

『・・・・・別に、食べなくても。』

『はぁーそんな事してるから、熱、出るんだろう。』

『何が食べたい?』

『???』

『俺がつくるよ。』

駄目だ、ニコ、出てくるな。りのはニコ、ニコはりのだろう。一緒に楽しむなら笑うんだ。ニコは得意だったじゃないか、ニコニコのニコ。

「ちがう、違うの。」

慎一が置いたハイヒールを拾って履く。でも、うつむいた拍子にポタポタと涙が床に落ちてしまった。

まずい、皆に涙を見られる。慌てて、置いたままの手提げカバンからミニタオルを取って顔を拭いた。

「りの!。」

「どうしたの?」

三人が慌てて、私の顔をのぞき込むように見る。

「違う、違う。私じゃない。ニコが勝手に・・・」

三人の動きが止まった。

「ニコの記憶が勝手に蘇って、勝手に泣く・・・私じゃない。大丈夫」

大丈夫って言ったのに、まだ心配そうに、というか固まって動けないでいる三人に、笑ってアピール。   

「えーと、まだ暴れ足りないみたい。」

おっ、これ使えるな。と考えたら頭の中でコラッと突っ込む私の声が聞こえたような気がした。

「りの、病院いくぞ。」

慎一が、真顔で手をつかんで私を出口へ連れて行こうとする。

「違う、行かない、ごめんって、ジョークだ!」

「りのちゃん、新田にその手のジョークは厳禁だよぉ~。」

「はぁ~びっくりさせないでよ。焦ったじゃない。」

「ごめん。」

「真辺さんいる?」

今野君と佐々木さんが、私達がいる個別教科室に顔をのぞかせた。

私達のクラスの出し物は理科実験室を段ボールで区切って迷路にしてお化け屋敷にしている。やっぱりお化け屋敷と言えば理科室でしょうという話になって、理科実験室を割り当てしてもらうように申請したらしい。その理科室の奥にある空き教室、この教室は教科によって、少人数にクラスを分けたりする時に使う教室で、テストの成績が悪ければここで補習をしたりする教室。慎一がよく英語の補習でお世話になっている教室だ。ここが今は3年5組の荷物置き場兼、控室になっている。

そして、私達の5組の教室は4組が喫茶店として使っている。

「は、はい。」慎一の手を振りほどく。ジョークもわからないなんて、ほんと面倒なやつ。

「ちよっと頼まれて欲しい事あるんだけど。」

嫌な予感。人が私に頼むって、頼む側は大した事ないと簡単に頼んでくるんだけど、私にとっては一大事な事が多い。

1年前のスピーチ大会がそうだ。あれは、ほんとに、えらい目にあった。

「今、向うで音を流してるでしょう。効果音。あれじゃ、今一つでさぁ。お化け役がその場で言うんだけど、なんか、こう明らかに生きてる人って感じで、笑われてたりするのよね。人の声を録音したやつを、流したらどうかって案が出てさ。」

「生で言うより、録音した声を、聞き取れるか聞き取れないぐらいに絞って流した方がいいんじゃないかって話になってね。」

「真辺さんに、しゃべってもらおうかと。思って。」

「なっなぜ?わ、私?」

「洋館だもの、うちのお化け屋敷」

「英語だとねぇ、皆ヒアリングが出来るじゃない。フランス語の方が雰囲気あるんじゃないかって話になって。」

「真辺さんに、お願いできないかなぁて・・・駄目?」

「・・・・・・」

皆が私に注目する。

今野君と佐々木さんは、だいぶ慣れたとは言え、それでも柴崎や藤木との付き合いと比べたら日が浅い、こんな風に注目されると緊張する。

催眠療法では苛められた記憶は触っていないと村西先生が言っていた。もし辛かったら、消すことはできないけれど、気にならないレベルにまでフィルターをかけて楽にすることはできるよと言っていた。これ以上フィルターのかかった記憶が増えるのは嫌だ。それに辛い記憶だけと、私にとっては大切な記憶だ。あのいじめと父の死があったから、私はこの常翔学園の特待生になろうと、あの暗い部屋から出られたから。

イジメる側にも言い分がある、私に全く非がなかったわけじゃない。非がない所からはイジメは発生しないというのが、昔からの私の持論だったが、まさか自分がそのいじめられる側になると思わなかった。いじめられる側になり、その持論が覆えったりはしない。私がいじめられる要素を持っているのは事実だから。持論に身をもって証明したようなものだ。

「何でもいいの、適当にしゃべってくれれば、どうせ誰もフランス語なんてわかる人いないんだし。」

「そうそう、声のトーンだけ落としてもらえれば。」

「・・・・・」

今野君と佐々木さんにはお世話になりっぱなしだから、断りづらい。

「な何でも、い、いいのね。」

「やってくれる。ありがとう。」

  


 


りのがぎこちない足取りで窓際の隅に行く。幽霊というよりはゾンビの足取り。まぁこのお化け屋敷ならオッケーだけど、今年中にはハイヒールに慣れてももらわなくちゃ。次の華族会の社交パーティに、りのも連れ行こうと思っているのに、あの歩き方じゃ困る。りのなら確実に皆の人気の的よ。常翔の特待だけで素質ありと認められる上に英仏露の3ヶ国を話せる語学力は、もう華選の称号を得られる基準を満たしたはず。今から華族会に顔を出しておけば、16歳の華冠式に一緒に出席できるかもしれない。

あんな薄汚れた血のついたドレスじゃなくて、もっと素敵なものを準備して。

「こ、こっち来ないでよ。」

「行かない、行かない。」

今野から預かったmポットを口元に持って始めるかと思ったら、りのはまた降ろして、こっち向く。

「耳、塞いでて。」

「何言ってんのよ、フランス語わかるわけないでしょう。」

「は、恥ずかしいから」

「良く言うよ、スピーチは得意だと、去年、特別賞を貰ったやつが言うか?」

「うっさい!あれと、これは別だ。だったら慎一お前がやれ!」

相変わらず、新田と会話すると、すぐに喧嘩になるのは、一体何なの?

「新田がやったらコントになっちゃうからねぇ、りのちゃん」

「わかった、私達しばらく外に出てるから、ちゃちゃとやっちゃいなさい。」

窓から差し込む逆光の光を浴びて立つりのの姿に、麗華は展望の柵の向こうで立っていたニコの姿を思い出した。

ニコはりのの中にいる。

りのはニコ、ニコはりの、

新田が繰り返し言った魔法の呪文。さっきもニコが勝手に記憶を掘り出して泣いてると言った。

ニコ、泣かないで、ニコは笑うのが得意なんでしょう。

ニコニコのニコちゃん。

私達は置いていかない。ずっと一緒に夢の自由帳にニコちゃんマークを描くから、消しても消されても、何度でも。

「雰囲気あるなぁ~。」

「うん、流石ね~絵になるわ~。」

今野と佐々木さんもりのの姿にうっとりと見つめる。りのは白のドレスに白い髪飾り、白いハイールで

左胸には絵の具で血糊を表現している。夢半ばで死んだ花嫁さんという設定。本当は血糊なんてつけたくなかったんだけど、仕方がない。りのは、窓の外を向いて、入ってくる秋の澄んだそよ風に髪をなびかせている。

カシャ、カシャ。カシャと突然カメラのシャッター音が鳴るり、麗華は振りむいた。

一眼レフのカメラを持った中島がりのの姿を撮影している。

「ちょっと!何やってんのよ!」

「いいの撮れた。」

「どれ?あら、ほんときれいね。これなんか絵画ぽっくて・・・・って!勝手に撮ってんじゃないわよ!盗撮よ盗撮!」

「しっ、柴崎さん声、入っちゃうじゃない。」

「ごめん。」

録音を始めたりのは、集中しているのか、中島の登場で騒ぐ麗華達には目もくれず、mポットのマイクに向かって異国の言葉を発している。

「ちょっと中島、写真取るなら、りのに断ってからにしなさよ!」小声で牽制。

「柴崎、あの髪飾り、どこで買ったんだ。」

「えーと、東京の青山通りのウィルって店だけど。」

「お前、良く見つけたよなぁ。俺たちマニアで探してたんだ。」

「はぁ?」

相変わらず、人の話を聞かない中島、独自基準で話を進めていく。麗華はこの中島の独自基準にどういうわけか巻き込まれてしまう。

「あのドレスも真似たんだろ、流石だなぁ。真辺さんは二次元界の神だね。」

「全く話が見えないんだけど・・・。」藤木に助けを求めたら、流石の藤木もわからないらしく、肩をすくめてお手上げの仕草。

「そんな、ごついカメラ持て来ていいのかよ。」新田が根本的な疑問で牽制。

中等部の校則では学業に関係のない物は持ってこないという規則がある、本来なら携帯も駄目だけど、それは暗黙の了解になりつつあり、しかしながら先生陣に見つかれば没収だ。写真を取りたければ写真部を捕まえて取ってもらうか、先生に見つからないように携帯のカメラ機能で撮るしかない。りのが使っているmポットだって、常翔祭期間中の特別使用備品として生徒会本部に申請してからの使用で。申請が通った物に申請済みのシールを機器に貼ってやっとの使用が叶う。自前の備品を持ち込んで紛失、盗難などのトラブルを防ぐためのルールである。この申請の審議と許可が生徒会本部の仕事であり、それは大変だった。

「あぁ、俺、写真部だからね、ほら。」

中島が右腕の腕章を見せて指さす。

「中島って美術部じゃなかった?」しかも入学以来一度も活動した事のない幽霊部員だったはず。

「掛け持ち。」

「いつの間に⁉」情報網に入ってなかったのか驚愕に叫ぶ藤木。

写真部はこの学園祭のシーズン準備段階から、腕に腕章をつけていれば自由に写真を取っていい事になっている。その写真は、学祭後に廊下に貼り出され、格安で購入することが出来る。 

「だから、いちいち真辺さんに断らなくても自由に撮れるんだよねぇ。」

カシャ、カシャ。とまた、りのを被写体に撮りはじめた。

「それは・・・っていうか、写真部なら、公平に撮りなさいよ!りのばっかり撮らないで」

中島がカメラを顔から下ろすと麗華をぎろりと睨む。そしてまた腕の腕章を指さす。

見ると、黄色い腕章の写真部と書かれた上に、小さくマジックで真辺りの専属と記入されていた。

「真辺りの専属?!」 3人で叫んだ。

「ちよっと、皆、声大きいわよ。」と佐々木さんは冷静に窘める。

「そんなの、聞いてないわ!認めないわよ。生徒会は。」

「あぁ、大体、写真部からの名簿リスト及び活動申請にお前の名前は、なかったぞ。」書記としてビシッと指摘する藤木。

「あれ?2週間前に入部した時、すぐに追加の申請書を出したよ。ちゃんと生徒会から許可の判子も押されて返却されてきたけど。」

2週間前って・・・・。麗華は記憶を巻き戻す。りのが手に怪我した時期、病院に駆け込んだあの時、藤木の報告を元に病院から生徒会役員に指示を出した。いつもは全部の書類に目を通す麗華だったが、あの日だけはそれをできていない。副会長の森山に、特に問題なさそうだったら許可しといてと任せたのだった。

藤木と顔を見合わせた。藤木もあの日の事を思い出して、しまった、という表情をする。

藤木は麗華の代わりに生徒会に残り仕事をこなした。自分だってりの事が心配で病院に来たかっただろに麗華にそれを譲ってくれた。残って仕事をこなした藤木のミスじゃない、これは生徒会の仕事を一時でもおろそかにした麗華のミスだ。

と言っても、写真部に入った中島を学祭活動メンバーに登録することに何の問題はない。個人的に嫌だからと未許可にするわけにはいかないから、ミスと断言できない事案である。

「2週間前って・・・・お前、まさか、この日の為に入部したんじゃ・・・・」

新田が、誰もが思っていても口にしなかった事を言う。

「そうだけど。」涼しい顔で答える中島に、新田も何も言えなくなった。

「入部はいいとして、活動申請に、りのの専属なんて書いたの?」書いていれば流石の森山も見逃しはせずに麗華に報告するはずだ。

「記入しろとは書かれてなかったもんね~。写真部全体の活動申請はちゃんと書いて許可を貰ってるし、学祭注意事項には専属撮影は駄目とも書かれてないもんね~。」

各クラスやクラブから届く学祭の活動に不備、違反がないか、何度もチェックした。歴代の役員がその都度改定を行い引き継いできた注意事項、もう何度も見比べて覚えてしまっている文面を頭の中で必死に呼び起こす。写真撮影、写真販売に関しての項目に、確かに、そんな注意記載はない。

「だけど、そんなの書いてなくても、倫理上駄目でしょう。」

「去年、写真部が撮った真辺さんのメイド姿の売り上げが凄かったの知ってるよね。俺が手掛けた喫茶の売り上げも1位だったし。」

「・・・藤木、援護は?」

「・・・無理。完敗」

生徒会はオタクの情熱に負けた。

「売上うんぬんの前に、りのが嫌がるだろ!」と最後の砦、新田の必死の攻防。

運動部最高峰サッカー部、部長VS文化部弱小写真部、新人部員の戦い。

新田の威厳に中島は怯むことなく、持っているカメラをいじって、新田に見せた。

「昨日の準備の時もいい顔が撮れたんだよねぇ。新田は要らないんだね」

りのが、しゃがんで段ボールに色を塗っている所、誰かに呼ばれたか満面の笑みで振り返ったシーン。本当に楽しそうな顔の写真。

「うっ・・・いや・・・あの。」

「これも、最高だよね。藤木も買わないんだねぇ。」

と次に見せたのは、体育祭で出場したバスケでボールを持って躍動感あふれる真剣なまなざし。

中島の写真の腕はいい。あっいや、認めちゃ駄目よ

「要ります。買います。」

新田と藤木が声を揃えて中島に完敗する。

常翔学園クラブ最高峰サッカー部、部長、副部長共、オタクに負けた。





不思議な感覚だった。そっか・・・・皆にお礼を言いたかったんだね、ニコ。

ニコが日本語で考え、りのがロシア語とフランス語を混ぜて話す。私の口から出てくる言葉は私の物であって、私の物でないようなそんな感覚でmポットに声を入れ終えた。完全にりのとニコの意識が一つになるには時間が、かかりそう。村西先生がゆっくり治そうねぇと言って笑ったのも納得。

慣れないヒールで皆のいる廊下まで行くと、何やら騒がしい。

「ありがとう、真辺さん。助かるわ。」

佐々木さんにmポットを渡して、お仕事終了。

フランス語でしゃべってと言われたけど、ロシア語も混ぜた。不気味さを出すには、リズムを狂わすのが効果的だろう。

お化け屋敷と言いながら、私を含めて、ドレスを着ている子が多いから、洋館的な様相になっている。

たまに、落ち武者みたいな恰好をしている男子もいるて笑えるけれど。

慎一は、ドラキュラだとかで昨日、演劇部の衣装を借りていた。

藤木は、ナイトメアの死神だとか言って、顔に傷を描いて燕尾服を着ている。その燕尾服は、東京の実家から送ってもらったと言って、その自前の燕尾服に容赦なく血糊に見立てたペンキで塗りたくる。

柴崎もそうだけど、家にドレスや燕尾服が普通にあることも驚きなのに、平気で汚す価値観についていけない。

実家を嫌がって、特に父親の事をいつも酷く言う藤木に一度、異見をぶつけた事がある。

『ここの授業料とか、親に世話になってる事は棚上げするんだ』と言ったら、

『こっちは、それ以上の迷惑を被っている。俺が贅沢して藤木家がつぶれるなら本望だ。世の為人の為に、藤木家はつぶれた方がいい、俺はそれを手伝っている。』とまくし立てられた。それ以降、藤木に前では実家の話は禁句とマイルールに決まる。

そして、私は思う。そんな風に親に感謝できないのは、寂しいの裏返しだと。自分がそうだったからわかる。

「真辺さん!やっぱり神だよ、まさかファンタシアのメリルの花嫁のコスプレをするとは、目の付け所がいいねぇ。」

「なっ何の、はっ話?。」

「まじめに聞くな!」

「コスプレじゃないわよ!」

「皆、知らないの?これだよ、これ、俺たちの中ではこの髪飾りのデザインの元になった本物あるらしいと探して、ネットでも高値で取引されてんだよ。柴崎、良く見つけたよな。」

中島君は、自分のスマホをポケットから取り出して裏を見せる。

スマホカバーにはショートカットで頭に大きな白い花の髪飾りをつけた女の子のアニメキャラ。深夜のアニメ枠で見た事ある。

毎週見てたわけじゃなくて、眠れない時の暇つぶしだったから、チャンネル色々変えて気になった番組だけを見ていた。

去年もアニメの何とかに似てると言われて、アニメ同好会と称するグループに取り囲まれて写真を取られた。

今度は、何。柴崎が見つけてきたって?中島と手を組んで、一体、私に何やらせてるの!

「しっ、知らないわよ。そんなアニメ。私、贔屓にしてる青山のブティクで買ったのよ。」

ブッティクで買った?家にある奴を持ってきたと言ってたのに?嘘だった。

「しーばーさーきぃ!」

「あっ・・・・違う、ブティク100均っていう青山の100均の店よ。」

青山に100均の店なんかあるわけがない。

カシャ、中島君に写真を撮られた。

「怒った顔も、絵になるねぇ。」

「・・・・・・」  

この学園は、どうなっているんだ!普通の感覚の者がいないのか!

「やってるねぇ。おっ、今年のりのちゃんは、白いドレスかぁ。うん?身長、伸びた?」

「やーね。凱兄さん、ヒールで高くしてんのよ。それでもこのドレス引きずるから腰の所で身上げて、縫い目をリボンで誤魔化してるのよ。」

普通ではない感覚の人間が更に増えた。

「そうだよねぇ、いくら伸び盛りと言っても、そんなに急には伸びないよね~。びっくりした。うんうん、やっぱりこれぐらいの身長は要るよねドレス着るなら。」

穏やかに言っているけど、私にとっては、それは完全なるいじめコメントだ。

「な、殴っていいか?」

「我慢するんだ。柴崎家には世話になってる。」慎一が、震える私の拳を抑え込む。くっそー格差社会の日本なんて大嫌いだ!

「ん?」凱さんは急に黙り込んで、お化け屋敷の方に目を向け耳を澄ませる。

「あれは・・・」

はっ、しまった。凱さんの存在を忘れていた!

入り口を塞ぐ、柴崎と中島君の間をかき分け、走った。

「だっ駄目!さっ佐々木さん!それ消して、や、やりな直し!」

「ちょっと何!?」

「りの?」

フランス語とロシア語が理解できる生徒はいない、見学に来る保護者や一般人も稀だろうと、高を括った。だけど凱さんはロシア語を理解する。もしかしたらフランス語も理解できるかもしれない。何せ辞書を記憶すればどんな言語だって理解できるのだから。

慣れないハイヒールで駆けだしたらまたドレスの裾を踏んづけた。

「りの!」

「あちゃー。またこけたよ」

痛い・・・いや、こんな打ち身は痛くない。あのmポットの声の方が痛い・・・

「とっ、止めて~。あ、あれを。」

「青春だね~。」

凱さんがどんな顔してそのコメントを言ってるのか、見ずしてわかる。もう立ち上がる気力も失せた。

「大丈夫か?」慎一が私の手を引っ張る。

「熱が出てきた。保健室に行く。早退する。病院に行く。」

「はぁ?」

「重症。もう治らない。余命なし。私はもう死んでいる。」

「何だ、新しいジョークか?」

ジョークにしたいよ~。

お化け屋敷から私の声がささやく。

ニコの心。



露「皆、ありがとう。」

仏「可愛いあだ名ねと言ってくれた事がうれしかった。」

露「いつも、まっすぐなあなたがまぶしくて羨ましかった。」

仏「親友になってくれてから、毎日が楽しくて。」

露「時にお母さんのように厳しく、姉のように優しく、友としてライバルで、」

仏「私は親友として、ふさわしい人間だったかな?」


露「毎日おはようの挨拶をありがとう。」

仏「最初から変わらず、声をかけてくれた。状況を変えてくれたね。」

露「いつも、私はそれに甘えて、お礼も言えず。」

仏「優しくて厳しい目が、私を導いてくれた。時にその目が怖いと思った。」

露「そんな私の本心も咎めることなく、変わらない目で私を見ていてくれた。」

仏「感謝しています。」


露「そして、・・・・何から、言っていいか。」

仏「言葉にすれば・・・・・嘘っぽくなるような気がする。」

露「まだ、完全じゃないから・・・・」

仏「ただ、もう心配をさせてはいけない、これが共通の思い。」

露「今度は私に誓わせて、心配はかけない。強くなると」 

仏「あの頃のように、いつだって手を繋いで競った、私達は・・・」

露「待っていて。完全になるときを、その時はきっと見つかるはずだから本物の虹玉」


仏「皆に心から、感謝の想いを送ります」

露「皆、ありがとう」

  

仏「可愛いあだ名ねと言ってくれた事がうれしかった。」

露「いつもまっすぐ。

    


お化け屋敷の効果音、フランス語とロシア語が交わる、恐ろしいささやき。

お客様が、鳥肌をたてて、帰っていく。

繰り返されるニコから皆へのメッセージ。

血に汚れた白いドレスを着て、無表情に接客をする。

仏「ようこそ、恐怖の館へ、お代は頂きません。どうぞ足元にお気をつけて、行ってらっしゃいまし。」   








柴崎先輩の声が校舎に響き渡る。

『本日はご多忙の中、常翔学園、常翔祭にお越しいただき、ありがとうございました。体育祭と文化祭を合わせた3日間、学園最大のイベント、常翔祭は、いかかでしたでしょうか?全生徒一丸となって、日ごろの感謝と成長をお見せするべく、がんばってまいりました。それも保護者の皆様、地域の皆様、並びに関係者様の方々の暖かいご支援の賜物です。稚拙ではありますが、生徒代表として生徒会本部より心よりお礼申し上げます。

我々常翔学園はその名に恥じない、常に羽ばたく努力を惜しまない生徒である事を胸に、さらなる飛躍を目指します。

ありがとうございました。』


『引き続き構内の案内を、させていただきます。

この3時15分を持ちまして、各ブースは終了とさせていただきます。正門と駐車場側の裏門は4時に締めさせていただきます。防犯対策の為、申し訳ございませんが、学園生徒と職員関係者以外の方々は4時までに、速やかに退出して頂きますよう、ご協力をお願い致します。なお4時以降の退出となりました方は図書館経由の出口をご利用ください。その際は記名退出とさせていただきますので、ご了承ください。』


「この絵、市内の展覧会にも出すんでしょう。」

「うん。そのつもり。」

「絶対、賞を取れるよ。」

「無理だよ。あの展覧会の趣には合ってないからね。」

「そんな事ないよ。だってこの絵は・・・」

りのりのが涙したぐらい心を動かす絵なんだから。

黒川君が、夏前から描いていた油絵。慎にぃの机から盗って来た虹玉の入ったチャームをモチーフに、黒川君は40号の大きさのキャンパスに抽象画を描いた。美術部として文化祭の2日間、展示していたのを外して、後片付けをする。

私達1年2組のブースは、日本の遊びを再現したお店。射的や、輪投げ、駒回し、ヨーヨー釣り、面子など、店当番は半被を着て、教室には提灯を飾り付けて、慎にぃ達の洋館のお化け屋敷とは正反対の、こっちは純和風のお店、懐かしいと評判だった。

今日の午前に、りのりのは柴崎先輩と一緒に来て一通り遊んだあと、黒川君は?と聞かれる。美術部の当番で美術室にいると言ったら、りのりのがちゃんとお礼を言いたいと美術室に向かうのについて行った。

りのりのは黒川君にお礼を言う前に、この絵を見て動けなくなった。

『ニコの虹玉・・・』

そう呟いたあと、ポロポロと涙を流して、まるで絵の中の虹玉を取りに行こうと触ろうとするから、えり達は慌てて止めた。油絵は乾くのに時間がかかる。5日前に完成した絵は完全には乾ききっていないから、触れば崩れる。

結局、りのりのは黒川君に、お礼が言えず、あたしと、柴崎先輩とで、りのりのを3年5組の控室まで連れ戻した。

慎にぃが、あの虹玉が入ったチャームを投げ捨てていた事、後から彼女らしき人と一緒に美術室に来た藤木さんから聞いて知った。

「改めて、お礼に来るって言ってたよ。」

「いいのに。どんな大きな展覧会の賞より、あの涙の方が価値があるよ。絵を描く者にとって最高の賛辞。お礼は十分に貰ったよ」

照れながら言う黒川君の態度に、えりは内心、不愉快。そして、やっぱり、りのりのには敵わないと諦めのため息。





『全生徒に連絡いたします。第58回常翔祭を終了いたします。金券を扱うブースの会計係は、速やかに集計を行い、会計係本人が本部に持参してください。その際はIDカードを忘れずに、代理での持参は認めません。この後4時より体育祭の表彰式及び生徒会主催のダンスパーティを予定しておりますので、金券の集計の受理やその他の生徒会本部の業務は本日4時までです。遅れないようにしてください。』


柴崎の大人顔負けの、堂々たる礼賛の声をBGMに、亮は学園祭本部となっている生徒会室で、次々と届けられる各クラス、クラブからの報告書や、三浦さんの元に集まってくる金券と計算書の整理に追われていた。

柴崎は、今の放送を原稿なんて作らずにしゃべっている。りのちゃんが外国語でのスピーチが得意と賞を取るに至ることの、柴崎は日本語版だ。日本語のスピーチならばプロを顔負けに、どんなシチュエーションの場でも堂々と取り仕切れる。

学園を継がないなら、アナウンサーもいいなと言う通りに、目指せば人気アナウンサーになるだろう。

「藤木君、いいわよ、あとは私がやっておくわ。」と三浦さんが手元から顔を上げる。

クラスやクラブの会計係や代表委員が提出してくる列が、ひと段落がしてなくなり、さっきまでの喧騒に反比例して静かになった。

「いや、まだ4時まで時間あるし」と亮は時計を確認してから答える。

「私、体育館には行かないから、それもやっておくわ。」と亮の前にある書類の束を引き寄せる三浦さん。

「駄目だよ。逆に三浦さんの分を手伝うから、二人でやれば4時までに間に合うでしょ。」

「違う違う、間に合わないとかじゃなくて、元から行くつもりないから私。」

「えっ、出ないの?」

三浦さんはこの2日間、ずっとこの生徒会室に居てる。クラスは劇が出し物で、その上演時間帯だけ席をはずしたぐらいで、いつ覗いてもここに座って、迷子の子供の相手までしていた。店を回らないのかと聞いたら、準備段階で、どのクラスが何をするかわかっちゃてるから、いかなくても大丈夫と言う。三浦さんがクラスで浮いているという事はない。店を回る友達がいないわけじゃなくて、

「えぇ、興味ないから。」

嘘ではなく、本当に、興味がない。亮と三浦さんは、ダンスパーティの準備もこの会計集計が大変だとわかっているから免除になっていて、確かに体育館に行かなくても問題はない。もし、義務感だけで、ここに残ろうとしているのなら、ダンスの一曲ぐらい誘って体育館に行くよう誘おうと思ったが、気持ちの良いぐらい、そういう事には興味がない本心をしていた。逆に亮が誘えば、この涼しい顔が嫌悪でゆがむと判断。

特定のグループに所属しない、小学部からの内部進学組にしては珍しいタイプだった。だからこそ亮は、柴崎に三浦さんを生徒会に誘えと助言した。森山と同じく陸上部で、専門競技は高跳び。この一匹狼的なところは、りのちゃんと似ている。しかし根本的に違うのは、三浦さんは、根っからの一匹狼で、一人であっても、誰かと一緒であっても問題はなく過ごせる性格で、誰も三浦さんを悪く言う人がいない。対して、りのちゃんの今の一匹狼状態は、苛められた経験から編み出したりのちゃん自身の自衛的なもので、本来なら皆の輪の中心にいる子だ。いじめにより自分に自信がなくなったから、中心より外れようとした。だが本来持っている人を引き付ける要素は何をしても隠せないし、皆は視線を外せない。駒の中心がズレる違和感が、周囲に嫌悪を抱かせる。だからこそ、りのちゃんへのイジメは執拗に追い続く。

「早く行ってあげたら、女の子たち待っているんじゃないの?」

「いやぁ・・・達と言うほど、いないんだけど。」

「またぁ~、ご謙遜を。噂は色々と聞いてるわよ。」

「えー、なんか嫌な噂っぽいなぁ。」

「という事は、心あたり、あるって事よね。」

「うーん。」

「とりあえず、柴崎さんの手伝いには、行ってあげたら?」

三浦さんの言う通り、体育館では柴崎だけじゃなくほかのメンバーも表彰式の準備で忙しいだろう。

生徒会室を出た直後に女の子から声をかけられた。振り返ると1年生の女の子、名前は・・・なんだったか。

この後のダンスパーティのお誘い、意を決して声をかけてくれたのは間違いない。勇気が要っただろう。だけどダンスの相手を既に決めていた。

「あの~もし、まだ、ダンスのお相手・・・」色白で、まだあどけない表情の残るかわいらしい1年生、思い出した、白井さんって名前だった。運動場と校舎の間にある側溝で鍵を落とし困っていたところを、鉄柵を開けて、取り出してやったんだった。翌日、お礼だと言ってスポーツタオルをもらった。あの時、そばに居た柴崎に、重い鉄柵の反対側を持てと手伝わしたら、「私だって女なのよ、非力なのよ、一人で女の子を助けられないんだったら、むやみやたら声かけんじゃないわよ!」と怒られた。

「ごめんね。決まってるんだ。」

「あっ、あ、そう、ですよね。」落胆の心。

「今、携帯持ってる?」

「えっ、はい、ありますけど・・・」

「カメラ貸してくれる?」

白井さんから携帯を受け取り、カメラ機能を呼びだして、白井さんの隣に肩を寄せて並んだ。

「はい、笑って。にぃ。」

カシャ。突然、亮に肩を抱き寄せられて驚いたおかけで、大きな目の表情のかわいいツーショット写真が撮れた。亮はダンスを踊りたいと言って来る女の子には、断ったあと、こうして写真を撮って返している。

新田みたいに中途半端は良くない。彼女たちは断わられる代償がこの写真なんだと納得する。白井さんは顔を赤くして頭を下げて嬉しく高揚したドキドキ感で去っていった。

後輩からの告白が多い。亮が生徒会をやってる事とサッカー部の副部長として新田と一緒に居るから、目立ったのが要因だ。亮に告白をしてくる女子の本心は、肩書にお焦がれる傾向の子たちばかりだ。

そこが新田との違い。

新田は今年も本気モードの告白を二人ほど断っている。学園1の才色兼備の真辺りのと幼馴染であることが周知されもして、新田の行動が誰にでもわかるほどに、りのちゃんに向いているというのに、諦めきれない女子が最後のチャンスとして告白する。そのどれもが本気の恋心だ。その恋心を育ててしまうのが新田のカリスマである。

携帯の時計で時刻を確認。3時45分。

廊下で会う同級生や後輩たちに、お疲れと声をかけながら、体育館の方に向かう。同じ方向にお化け屋敷の理科実験室があるから、覗いてから向かおうと、迂回する。

北校舎から中校舎への渡り廊下を歩いていると、ゴミ袋を2つを引きずるように歩くりのちゃんに、ばったり会う。

「りのちゃん、その恰好・・・・」

りのちゃんは、長いドレスの裾を腰のリボンにひっかけて、ミニスカートにして、ヒールの靴は脱いで上靴をはいていた。

「柴崎が絶対脱ぐなって。ダンスパーティ終わるまで、ドレスを脱いだら絶交だって脅すんだもん。」

あいつ、何を、しょうもない所で仕返しをやってんだ。と呆れて天を仰ぐ。

修学旅行前、ニコちゃんの事を心配のあまり、テニス部の試合を蹴ってまで、弓道の試合についていこうとした柴崎に、怒ったニコちゃんの絶交宣言。あの後、柴崎は手が付けられないぐらい落ち込んだ。

「柴崎が、その恰好を見たら怒るぞぉ。」

「だって・・・裾、邪魔で歩きにくい。」

「俺が運ぶよ」ゴミ二つを取り上げると、白い太ももがきわどい所まで見えた。「ごめん、やっぱり一個持って」ゴミ袋を一つ返す。目のやり場に困る亮に対して、首をかしげるりのちゃん。顔に似合わず、素行が荒く羞恥心が薄いのは、長らく精神的な病気で成長が止まってしまった影響かもしれない。体もまだ小学生並みと言えども、きわどい太ももを晒していいことはない。

「お疲れ、だったね。」

「今年は高等部の店に行けなかった。」

「あれ?新田と行ったんじゃなかったの?」

「行ってない。柴崎も忙しくて、中等部しか回れなかった。」

クラスのお化け屋敷は、そこそこの人気で終わった。段ボールの迷路仕立ては、やはり作りに限度ってものがあるから、本格的なお化け屋敷と比べると稚拙だ。ただ、それをカバーした生徒のお化けの役作りが凝っていると評価をもらっていた。準備途中から、女子の選ぶ衣装がドレスばかりだからと洋館のお化け屋敷にしようと路線を明確にして飾り付けをしたのが成功した。効果音の中に、何語かもわからない声が漂うのも雰囲気あると絶賛され、おまけにロシア語、フランス語オンリーの案内役であるりのちゃんのその無表情がが役にはまった。中島が率いるオタク集団が繰り返し訪れたのが、他の客の呼び込みになった。

新田は、結局、りのちゃんの為に時間を作れなかったようだ。亮が初日の朝に注意したことを聞き入れて、その後ファンと一緒に店を回っていたのは知っている。しかし、器用には振りまわれなかったようだ。女に逆らうなの新田家の教訓が仇となったのかもしれない。りのちゃんの事は新田と柴崎に任せとけばいいと、亮はいつもの計略的な引きを貫いたのが間違いだったかな。こんなに残念そうにしているのなら、一緒に廻ってあげればよかった。

「そっか・・・・残念だったね。」

ゴミ集積所は裏門の側にある。そこは扉が締められないぐらいにごみの袋で溢れていた。段ボールもしかり。

「すごい量。向こうではありえない。」

「フィンランド?」

「うん、フランスも。」

「あぁ、ヨーロッパ方面はエコに厳しいもんね。」

「うん、ママが困ってた」

「そうかぁ。そういった面では、海外生活って、女の人の方が大変だよね。」

年々増え続ける常翔祭のゴミの量に対して、学園側から生徒会本部に注意喚起されていた。それに対して、生徒会会長である柴崎が、無視を独裁した。ごみを制限されたら楽しめなくなる。自分がこの学園に居る間は、くだらない学園側からの言及に聞く耳などないと豪語した。その独裁は亮たちにとって強い鉾であるが、それでは会として面目が立たない。表面的対処として、各実行委員にはクラスで出すゴミの量を抑えるようにと会議書類に書き添えただけに止め、読み上げもしなかった。だから、こうしてゴミが集積場にあふれ出るのは当然のことである。柴崎がここを去る卒業後に、その反動が、後輩たちに負うと思うとかわいそうであるけれど、学園経営者の娘が同級生であるという恩恵は捨てがたい特権だ。

「ありがとう、助かった。」

「お安い御用です。お嬢様。」

「また、執事?」と苦笑に顔をほころばせるりのちゃん。本当に見違えるほどよく表情が動くようになった。

「まぁまぁ藤木は、りのお嬢様と二人っきりになる時間が欲しかったのでございます。」

「へ?」

「りのお嬢様、チークのお相手を、この藤木にご任命ください。」

「あっ、えっ?ダ、ダンすぅ?」

腰を落とした姿勢のついでに、りのちゃんのスカートを元に戻してあげた。りのちゃんはそれでも恥じることなく別の事で焦りの言葉を発する。

「私、踊ったことない」

「大丈夫、誘導するからついてくればいいだけ」

「でも・・・」

「綺麗な花嫁が死神とダンスを踊る、お化け屋敷、最後の演出として最高の締めくくりにね。」

断れないはずと見込んだ亮の戦略通りに、りのちゃんは困った表情をしながらもコクリと頷いた。





去年、麗華が立案したダンスパーティ、初めての試みで、様子見や照れもあり、一部の生徒しか踊らなかったダンスパーティも、今年は参加者が増えた。曲も3曲から5曲に増やして予定時間も長くとってある。

11月はハロウィンという事もあり、生徒会側からは何も告知していないが、仮装パーティ化していて、もう常翔学園の恒例行事と言ってもいいぐらいの反響になりつつある。

去年同様、麗華は司会進行役として、体育祭の表彰式から次いで始まったダンスパーティを舞台上から観察して企画の成功に酔いしれる。

私の学園であり、私が作り上げた学園生活にあふれる笑顔。

この成功が至福の時。

これが、学園を経営していく醍醐味だと、麗香は実感する。

理事長の仕事なんて退屈だろうと思っていた。だけどそうじゃない。退屈は自身で壊していけばいい。

麗華はもう一度フロア全域を見渡す。

藤木が、りの手を引き、体育館中央へと連れていくのに目を見張った。

うそ!?あいつのチークのパートナーってりの?

後輩の誘いに、もう決まっているからと断るのを見て、麗香は誰?と聞いた。藤木は「内緒」と言って教えてくれなかった。

りのも、藤木と踊るなんて言わなかった。

新田も驚いている。

踊る相手を二人に隠されていた事に、麗香は怒りと寂しさがシェイクされた複雑な嫉妬に顔を歪ませた。

燕尾服姿の藤木と花嫁姿のりの。結婚式さながらに絵になっていた。

藤木のダンスが上手い。そんなことまで卒なくこなす。麗香は改めて藤木の多才さにため息を吐く。りのは、藤木の誘導に必死にしがみついていた。綺麗さの中の可愛さ。敵わない。りのと藤木は、文句なくお似合いだ。

そうだった、藤木は、ずっとりのの事を「かわいい」「綺麗だ」「美人だ」と恥ずかしげもなく言い、そして「好きだ」とも言っていた。それでも告白してくる女の子と断ることなく付き合うから、りのに対するそれは、ただのファン的な物だと麗華は思っていた。

策士・・・騙された?

何故か胸に苦しい。

麗香は恍惚な舞台から一転して、降りる。





フィンランドで、ハイスクールのお姉さんお兄さんが楽しそうに踊っているのを見て、大人になったら、あぁいう事が楽しくなるのだろうかと見ていた。子供だった私はテーブルの下に潜り込んだり、カーテンの裏に隠れたりして、そっちの方が楽しかった。

来年は、そのダンスパーティを楽しんでいたお兄さんお姉さんと同じ年齢になる。

ダンスの楽しさは、まだわからない。成長が遅れている私は、そんな楽しさも遅れているのかもしれない。

体育館は当然ながらヒールの靴はダメで、やっと歩きにくい靴から解放されたけれど、社交ダンスのステップなんて知らないから、足は左右で絡まり躓いて、何度、倒れそうになる。何度も藤木の足を踏んづけ、謝る始末。藤木は「大丈夫」と笑い支えてくれる。自分から誘うだけあって、藤木の誘導は上手だ・・・と思う。それすらもわからない。

社交ダンスなんて始めて踊るのだから。

「りのちゃん、足ばかり見てないで顔を上げて、力抜いて、その方が誘導しやすいから」

「は、はい。」何故に畏まった返事をする私。

顔を上げたら藤木は、目じりの皺を作って微笑んでいる。この余裕の笑みが女子を悩殺する特技だ。恋心のない私でも照れる。

言われた通り力を抜いて、藤木に促されるままにした。

躓く事が無くなる。そう、今までずっとそうだった、藤木の誘導で、辛い視線や圧力から逃げることが出来た。

ちゃんと言わなくちゃ、感謝とお願いを日本語で。

「慎一から聞いた。私が、おかしいと真っ先に気づいたのは藤木だと。あの約束を守ってくれていたのに、私は自分で否定して、藤木を恐れた。・・・ごめんなさい。」

藤木は私の為に泣いてくれた、それさえも、泣くほど私はおかしいのかとショックを受けた。

もしあの時、藤木が病院に行けと言ってくれなかったら、私は今頃、どうなっていただろう。幼児退行した奇行や、英語が全くできないなんて、特待生規約から外れすぎている。非難を浴び、退学しても、きっと後世にまでにその奇行伝説は顔を顰めて語られる。

「謝られることをされたと思ってないよ。」その言葉が気遣いの嘘だったとしても、私の心はすっと軽くなった。流石だ

「ありがとう。でもね、またおかしくなりはしないかと怖いんだ。だから、また」

「約束は出来ないよ。」

「えっ?」

「約束する相手を間違っている。俺じゃなく、りのちゃんには昔から専属がいるだろ。」

そう言って藤木が外した視線の先には慎一がいる。慎一はぎこちない足取りで、後輩の女の子と踊っていた。

「俺より、ずっと理解できるはず、双子のように育った二人なんだから。ただ、あいつは、りのちゃんの事が大事過ぎて、躊躇しすぎた。今回で新田は反省もしたし、成長した。次からは」

「躊躇なくついてくる。」

「えっ?」

「慎一は私が選ぶ物をすべて認めると言った。それが間違った方向でも」死へ向かっていても「慎一は躊躇なくついてくる。だから、ダメなの、慎一は。」

藤木は目を細めて私を見る。

「そんな慎一の優しさが・・・怖い。」

「怖い?」

頷きの答えのままに俯いた。

藤木はしばらく黙って私を誘導する。藤木の視線がずっと私の顔を指しているのを感じる。しばらくして、藤木は静かに語る。

「りのちゃん、俺、りのちゃんの事、本気で好きだよ。」

「えっ?」思わず顔をあげた。

藤木は真顔で私を見つめている。

「新田よりもちゃんと言葉にしてきた。りのちゃんは本気にしてなかったみたいだけど。新田に負けないぐらいマジだよ。」

そんな、どうして今、こんな告白を?

「本気じゃないのが俺だと思っていたでしょう?酷いねぇ。でも、そう、それが真辺りのの本質。」

本質?

藤木は急にステップを止めて、私の腰に添えていたのを強く引き寄せた。逃れず顔がすぐそばに。

「俺もついて行く。地獄の果てまで。」

囁きが、いつになく本気だと思わせる。

「さぁ、どっちと契約をする?」

密着する身体、そして唇。

周りのどよめき。

「や、やめて・・・」かすれた声しか出ない。

キスされる、皆の前で・・・覚悟して目を瞑ったらふいに離された。

「嘘だよ。 吸血鬼に狙われた花嫁の魂を、死神は刈り取る事が出来ない」

嘘?

「これが最後の演出。」といつもの目じりに皺を作って微笑む。

「ダンスのパートナーも間違っている。」と藤木は私をくるっと回転させる。「さあ、行っておいで、本当のパートナーの所へ。」

藤木の手が背中を押す。その反動で私はつんのめる。





藤木がりのの手を取り踊り始めたのを見て、そうだよなと納得した。りのが選ぶものに、慎一は認めると誓った。

りのが藤木を選んだのなら、誰であれその誓いは心に認めなければならない。他のならなぬ藤木なら問題なく納得、のはずだ。

入学当初より藤木は、はっきりとりの本人にもそして慎一に対しても、ためらいなく「真辺さんが好きだ」と言っていた。それが冗談ではなく本心だったのだ。

大丈夫、グレンの時ほどショックじゃない。二人は体育館の中央へ、他の生徒たちに紛れてしまってから、慎一は視線を足元に落とした。暗くした体育館で良かったと思う。おそらく自分は嫉妬の顔をしている。ため息を何度かついた時、誰かが声をかけてくる。

顔を上げると、少し前、慎一に告白してきた後輩の女子が自信満々に「踊ってください。」と言って来る。

告白した時の態度といい、付き合いを断ってもこうして堂々と誘って来ることといい、強気な気質の女子。苦手なタイプだ。

しかし、自分にはそんな相手の方が相応しいのかもしれない。自棄になった心も相まって、慎一は「いいよ。ダンスなんて踊ったことないけど。」と誘いに応じた。

「大丈夫です。」という言葉は、無様でも大丈夫という意味ではなかった。踊ったことがない慎一を上手に誘導する。

名前は「水野成美」その名前が戦国武将の「水野勝成」と似て、気性の強さに変に納得した。水野勝成は一万の敵に一人で戦いを挑み300の首級をとった強者である。それは体育館のフロアに所狭しと踊る生徒たち敵の軍勢を、割って向かっていく様と重なる。

「どうして、一度、断られているのに、もう一度誘おうと思えるの?」慎一の突然の質問に水野さんはわずかに驚くものの、その気の強さは乱れずまっすぐ慎一を見る。

「どうしてって、誘わなければ、そこで終わってしまう。負けだわ。」

「負けか・・・まるで戦いみたいだね。」

「そうですね。恋愛は戦いです。特に新田さんみたいにモテる人へのアプローチは争奪戦ですよね。」

この子にとって慎一は戦利品なのかもしれない。

「嫌いですよね。私みたいな気の強い女は。」

「そんな事・・・」ないよと言いかけて、口を噤んだ。嘘は何の効果ももたらさない。

クスッと水野さんは笑う。

「もう一度誘ったから、私は新田さんと踊れた。そこがライバル達とは違うところ。」

水野さんが本当に水野勝成の子孫かどうかは知らないけれど、この勝気さはある意味尊敬に値する。

「うらやましいよ。その強さが。」

「新田さんも強いじゃないですか。」サッカーの事を言っているのだと思った。「子供のころからずっと変わらず好きだなんて、なかなかの忍耐力。凄いです。」

「そうかな。」

「はい。なのに、ひどいですね。それをわかっていて、あぁやって他の男と踊るなんて」

「えっ?」

水野さんの視線の先はりのが居た。藤木の誘導で優雅に踊るりの。藤木のダンスの上手さは素人の慎一でもわかる。どこで覚えたんだが、女にモテる為には何でもやる奴だなと半ばあきれた。

「私の最大のライバルは真辺りのさんです。」強い語気で言った水野さんはりのを睨むように見つめる。

藤木がふいに、りのを強く引き寄せた。

「えっ・・・」慎一はあまりの事で足を止めた。水野さんも同じくダンスを止めた。

藤木はのけぞるりのの顔に迫り、キスをするかのように・・・

気付いた周りの何組かのペアが注目して、どよめき。

藤木は寸前でりのから離れた。

そして、くるっとりのを回すと、背中を押す。押された勢いにりのはつんのめる。

「あっ・・・」慎一の身体が反応し、りのを受け止めようと動いたものの、水野さんと繋いでいた手が離れず、助けられなかった。

りのは床に手をつく。

「ごめん。」慎一は自棄で踊ってしまった事に後悔して、心から謝った。そしてつないだ手を放す。水野さんから背を向けた時、

「それが、真辺さんの違うところ。」とつぶやいた。

水野さんがどんな気持ちでその言葉を慎一に投げかけたのかわからない。ただ慎一にとっては、この全校生徒の中でりのだけは、「違う」のは間違いない。

「大丈夫か?」

りのは乱れた髪の間から慎一をみやる。りのが今、どんな気持ちで慎一を見上げたのかもわからない。

「また、こけちゃったな。」

「やっぱり心配ばかり」

「それしか、できないからな。」

りのは、差し出した慎一の手を素直に掴んだ。





りのから離れて体育館の壁際に戻って来た藤木に対峙する。

「何てことしたのよ。」自分の声がいつになく尖っているのを自覚する。

「あぁでもしないと、二人は踊ろうとしないだろう。」

藤木はりの達の方を見やるふりをして、麗華の視線から逃げた。自分はきっと怒った顔をしている。そんなことを思考できるほどに麗華は冷静だ。

「二人の為の演技ってわけ?」

「何怒ってんの」と藤木は目じりを細めて麗華に視線を戻した。

「怒るわよ。あんなこと、先生に見られたりしたら、来年からのダンスパーティはできなくなるじゃない。」

「あんなことって、何もしてない。」

「しようとしてたじゃない。」

「何を?」

こいつはわざと挑発している。麗華はカッと怒りが沸騰するのを息を吐いて抑えた。

「もういいわ。」時として藤木は、策士的に麗華の考えより逸脱した行動をとられる。それに賛同できない時がある。

まただと麗華は呆れ半分に踵を返した。

「ごめん。悪かったよ。」と腕を掴まれる。

「やめてよね。また新田と不仲になりかねないような言動するの。」

「俺に、りのちゃんを諦めろってか?」

「えっ・・・本気なの?」

藤木は、掴んだ腕を離して、意味深に黙る。その束の間、言い知れない焦りに麗華は困惑する。

「本気だったら、キスのチャンスを逃したりしないさ~」と急におどけて、とがらせた唇に人差し指をあてる。

本当だろうか?本気だからこそ、こんな皆が見てる前でキスはできないのでは?と麗華は思った。

「全く、あんたって嘘か本気か、わからないわ。」

「ふんっ、他人の本心を読む俺が、他人に読まれてどうする。」と片方の口角を上げて挑戦的な視線を麗華によこす。

嫌な奴・・・

りの達の様子に視線を送ると、二人はぎこちなく踊り始めた。

「さて、俺たちも踊りますか?」

「えっ・・・私?」

「そうでございます。お嬢様、私と踊ってください。」と、片足を一歩後ろに引いて、手のひらを私に向け頭を下げてくる。それは社交界の紳士マナー。燕尾服を着た藤木の振る舞いは、堂に入ってスマートだ。

「それをされたら、断れないじゃない。」そう断らず、嫌な相手でも一曲だけは踊るのが礼儀。

麗華は差し出された手に手を添えて、右足を後ろに右手でスカートをつまみ膝を曲げる。ドレスを着ていない自分が悔しい。

藤木は麗華が持っていたマイクを取り上げて、燕尾服のズボンの後ろポケットにしまい込む。

卒ない奴。

藤木のリードは、見た目以上に上手かった。踊りやすい。

それまでの尖ったり焦ったりして荒れた胸が、ほっと落ち着いて満足しているのを感じる。

そして、ふと、懐かしい記憶を思い出す。

幼き頃、誰かと踊った記憶。顔も名前も覚えていない。大人の見よう見まねで踊ったら、周りの大人たちが、可愛いわね。上手よと褒めてくれて、今のように麗華は満足した気持ちになった。

何のパーティだっかしら?

思い出せたのは、着ていたドレスの色と新しい靴、広い会場に沢山の大人たちの朧気な記憶。

誰だったかしら?





やっぱり、覚えてないか。柴崎と踊るのは二度目、

亮がまだ福岡に住んでいて、あいつの政治活動に家族が振り回されていた時だ。亮は両親と共に東京と福岡を行ったり来たりを繰り返していた。帝都ホテル開業50周年の大きなパーティで出会った女の子は、とても可愛かった。漆黒の目が大きく潤んでいて、フワフワカールの髪に、ドレスの色と合わせたリボンに靴。父も母も人との挨拶で忙しくて、亮たち子供は、会場の隅で子供用に用意されたテーブルでジュースや軽食を取っていた。子供たちは暇を持て余し、広い廊下やロビーを使ってかくれんぼが始まった。大人達に走らないのよなんて注意を受けたりしたけど、そんなのは聞く耳持たずの子供たち。サイズの合わないヒールのある靴を嬉しそうに履いたその女の子は、かくれんぼの時に転んで靴が脱げた。シンデレラさながら、亮はその靴を拾って、大丈夫?と声をかけた。それをきっかけに仲良くなった女の子。パーティがダンスタイムになった時、亮は大人のまねして、その女の子をダンスに誘った。

大人たちが、可愛い、上手と褒めてくれたのを誇らしく自尊心を満足に。

2年後の小2の時、文部省の教育推進なんとかという良くわからないフォーラムに参加する父に付き合わされた時、またその女の子と出会う。でもその女の子は2年前のダンスの事は覚えていなくて、しかも、亮が福岡から来ていると知ると、鼻で笑った。田舎者だと中傷する薄汚い心を読んだ。人は、変わるものだと思い知らされた。それから亮は地元のサッカークラブに入部して、父と共に東京を言ったり来たりすることもなくなり、その女の子の名前も知らず、存在も忘れた。

常翔学園のサッカー推薦に合格して、春休みに寮に入寮した際、理事長が寮に様子を見に来た。その理事長に付き添って来ていた女子が、三度目の出会いとなるかつてのかわいらしい女の子。常翔学園経営者の娘であるその女子は、更なるお嬢様ぶりに発車がかかり暴君的嫌厭な変貌ぶり、理事長が、同じ学年だからとよろしくと紹介しても、高飛車な目で寮生を眺めるだけで一言も口を開かなかった。その時亮は、こいつがこの学園を継ぐなら、終わったなと思った。

「藤木、ダンス上手いわね、習ってたの?」と柴崎は亮を思い出の世界から現実の世界に戻す。

「いや、習うというか、慣らされたと言うべきだな。お前もそうだろう。」

「まぁね、私はお嬢様ですから。」

はじめてのダンスの時より、亮たちは上手くなっている。柴崎はあれから、数々のパーティで場数踏み、亮も藤木家の長男として、どこに出ても恥ずかしくないようにと、あらゆる事を教授されている。その成果が、こんな所で役に立つ。

りのちゃんと違って、慣れたステップを踏む柴崎。ドレスを着てないのが残念だ。

柴崎のお母さんが言うように、柴崎は変わった。あれだけの横暴君主ぶりだったのを変えたのは、亮ではなくりのちゃんだ。

りのちゃんとの関りが柴崎の思考を変えた。亮は二人の関係に少しだけ助言、手を貸しただけ。

柴崎は亮達の指針となって突き進む。

学園最強のお嬢様は全生徒の指針。

曲が終わりへとフェードアウトしていく。

「麗香お嬢様、残念ながら、もうそろそろ、魔法が解けるお時間です。司会進行役にお戻りください。」

片膝をついて、柴崎にマイクをささげた。

「馬鹿。」





周囲の見よう見まねで踊り始めたが、どうしていいかわからず、りのの足を踏んで転倒しそうになって動きを止めた。

「ごめん。ダンスなんて無理だ。」

「私も。」とりのも苦笑する。

ふと、周りのざわつきに見やると、藤木と柴崎が踊っている。めちゃくちゃうまい。

「・・・流石、上流階級ペア。次元が違う。」

「うん。あそこまで、完璧だと逆にすがすがしい。」

柴崎と同じく上流階級の子供が多く通う常翔学園。柴崎の幼稚舎からの友達、白鳥美月も彼氏と踊り始めたら、もうそこは、体育館じゃなくて、本物のパーティ会場の様だ。他にも上手い奴らが、フロアの中央に集まりだして、慎一たちはもう当然に体育館の隅へと追いやられて眺める事になった。

場つなぎ的に、聞こうと思って中々話題にできなかった事を問う。

「りの、明日の誕生日、何が欲しい?」

「誕生日プレゼント?」

「うん。好きなもの言っていいよ。」

「いいよ、別に、要らない。」

「去年も一昨年も、まともな物をプレゼントできていないから、今年こそはと思ってるから、遠慮すんなよ。まぁ、あんまり高いのは無理だけど。」

「私は慎一にプレゼントしたことない・・・っていうか、慎一の誕生日っていつ?」

「ぶっ!あははは。」

「何?」

「だよな・・・俺も一昨年、同じ事を母さんに聞いた。俺も、それまでりのの誕生日を知らなくてさ。俺たち、買ってきたホールケーキと晩御飯に並ぶごちそうを見て、初めて、今日は誰かの誕生日かって、日付なんか見てなかったよな。」

「うん、で、いつ?慎一の誕生日。」

「8月10日」

「暑苦し。」

「聞き出しといて、なんだよ、そのコメント。」

本当に嫌そうに顔を背けるりの。暑い夏が苦手りのの、誕生日すらも、りのの嫌いな物にハマってる自分に苦笑するしかない。

「夏休みだったから、話題に、ならなかったのか・・・」

「まぁな、家でも、えりの誕生日会は、ちゃんとホールケーキのローソク消しやって夕飯も豪華だけど、俺のとなると、普通の夕飯にデザートでカットケーキ食べるぐらいだからな。」

「新田家の男は肩身が狭い。」

「そう。仕方ない、それが新田家だから」

今年は、りの誕生日会はやらない。さつきおばさんが、けじめをつけたいからと、次の日の栄治おじさん命日に、墓の刻印式を予定している。さつきおばさんは栄治おじさんを死なせたと責められて、芹沢家とは絶縁して離婚した。だから栄治おじさんの仏壇もなければ墓も無い。自殺したと思っていた二人にとって今まではそれでよかったけど、自殺じゃないとわかって、さつきおばさんは、真辺家の墓に名前だけでも刻むことにしたという。

「で、何が欲しい?女の子の欲しい物なんて全くわかんないし。はっきりこれが欲しいと言ってくれた方が楽。」

「うーん」りのはしばらく考えてから慎一に顔を向ける。「明日じゃなくてもいい?」

「ん?」

「きんぴかのメダルが欲しい。」

「きんぴかのメダル?」

「うん、全国大会で優勝したら、もらえるんだろう。」

昔の記憶がよみがえる。

『ニコ、何番だった?俺一番っ!』

『あたしも一番だよっ。ほら』

『僕も持ってるもん、ほらっきんぴかのやつ。』

『えー私、ピンクのぉーいいな慎ちゃんのきんぴかで、』


「全国大会まで待つ、きんぴかのやつ。」

「わかった。約束する。必ず優勝すると。でも、その前にりのが先にメダル貰わないといけないんじゃない。」

俺たちはいつだって競ってきた。手を繋いで一緒に。

「そうだね。ピンクのメダルを取ってくるよ。」

いつだって、りのが先に何でもできた。そうして慎一は悔しくて練習する。負けたくないって、りのに勝とうと必死で。



10




誕生日ケーキの代わりに大好きなプリンを夕食後に食べた翌朝、早起きして私とママは始発電車に乗り込む。

東京の、昔、住んでいた町で一旦降りて、住んでいたマンションを見上げる。昔、私が引きこもっていたあの部屋は、今は見知らぬ人が使っているだろう。まだ薄暗い街の中、ママと二人で、マンションの壁をそっと触って、また駅へと向かう。

心の中で「パパ、おはよう。」と囁く。もう一度、電車に乗ってパパが事故死した長瀬駅へ向かう。

ラッシュ前の人の少ない時間ならと、お坊さんを呼んで法要してもらう事に鉄道会社の人は了解してくれた。日曜日とは言え、パパが死んだ8時台のホームは混むから駄目で、今は朝の6時、まだ、夜の冷やかさが残る。

ホームの一番端っこで、短く端折ったお坊さんのお経を聞いて、手を合わす。ここで、パパが死んだという実感はない。私がパパを最後に見たのは、お葬式の棺の中にいる血にまみれた顔だったから。

お坊さんに頭を下げて、啓子おばさんと帰っていくのを見送る。啓子おばさんは朝早く、真辺家のお墓のあるお寺まで車で行ってお坊さんを駅まで連れてきてくれていて、一緒に法要につきあってくれていた。  

啓子おばさんと一緒に来た慎一は、今日から東京で全国試合が始まると言うのに、私とママと一緒にパパが死んだ8時12分まで付き合ってから行くという。試合は午後からで本人が大丈夫だというのだから、来るなとは言えない。慎一も、パパのお葬式に行けなかったから、本人なりにも思いがあるようだ。

この後、8時12分の特急スカイライナーを迎えたら、真辺家のお墓のあるお寺に行って、また法要をし、刻印したお墓に手を合わす事になっている。

朝が早かったからか、朝から結構な距離の電車に乗ったからか、身体が少々だるい。

慣れないヒールを履いた文化祭の疲れも残っているのかもしれない。

相変わらず、私の微妙な疲れを読むのだけは長けている慎一が、大丈夫かと顔をのぞき込む。

「大丈夫」

これぐらいの事で大丈夫じゃないと言っていたら、医療費はとんでもない額になる。

3人でホームを北上して階段を下りる。鉄道会社の人が、駅舎内の応接室を時間まで使ってくださいと貸してくれた。

鉄道会社の人が部屋を出ると、ママが私の前に紫色の風呂敷にくるまれた物を置いた。

「りの、これを。あなたに。」

手に持っていたパパの写真が入った小さな額を脇に置いて、風呂敷を開けた。

「これ・・・!」

細長い、白地にピンクの水玉の包装紙に赤いリボン。


『これ・・・・誕生日のプレゼント・・・・遅れたけど。』

『芹沢りのちゃん?』

『これ、お父さんが握っていたの。誕生日プレゼントかな?』  

   

私がいらないって突き返した。あの時のパパからのプレゼント!

「パパのお葬式のあと、芹沢のおじいちゃんおばあちゃんがパパの遺品を全部持って行ってしまって、何も残らなかったけれど、これだけは、不思議と残っていた。何度も捨てようと思ったけど、捨てられなかった。」

「ママ・・・・。」

「パパ、どうしても、りのに渡したかったのね。」

プレゼントの包装紙はパパが握ってつぶれたのか、歪に曲がって包装紙も角は汚れて破れて、リボンもずっとこの風呂敷に包まれていたから変な方向に曲がってへばりついていた。

強くなるって、もう泣かないと決めたのに、どんなに歯を食いしばっても、無理だった。

「パパ・・・ご、ごめんなさい。」

「りの、あなたのせいじゃないのよ。パパは」

「わかってる。パパは自殺じゃない。でも、あの日パパは、私にお誕生日おめでとうって、これをくれたのに、要らないって、私は要らない、触らないでってパパの手を振り払って・・・・・パパを、部屋から追い出した。パパは・・・・・パパのあの、悲しそうな顔が最後になるなんて思わなかった。私は、虹玉にお願いしてたの。ずっと、パパとママが仲良くできますようにって。願いが叶うなら、誕生日は要らないって。だから、プレゼントを貰らったら。虹玉のお願いが叶わなくなる。だから、プレゼントもパパと一緒に追い出した。」

「りの・・・・・ママとパパの為に、ありがとう。りの。」

慎一が背中をさすってくれる。

息ができないぐらい泣いた。何が起きたかと鉄道会社の人も様子を見に来るぐらい。

ママが出したタオルが涙で重くなり、落ち着いたところで、ママが、プレゼント開けてごらんなさい。という。

「ママも中は何か知らないの。」

開けるのに、ちょっと手が震えた。箱はつぶれてしまっていたけど、中はきれいなまま。

出てきたのは、地球に羽根が着いた銀細工の綺麗なキーホルダー。

   

『りのは、世界が遊び場』


「パパらしいね。【りのは世界が遊び場】パパの口癖だった。」

「うん。うん。」


ホームに人があふれている。ママの喪服姿が異様で、皆、不審な目つきで振り返って見ていく。

ママの手を握った。ママは、私の手を両の手でさするように握り、私の肩を引き寄せた。ママもずっと苦しんでいた。

おじいちゃん、おばぁちゃんに責められて、私に責められて、私なんかより、ずっと辛かったはず。私の事も心配して。

ママ、ごめんなさい。りのは強くなる。もう心配はかけない。

8時12分、東京行き、特急スカイライナーがパーンと汽笛を鳴らして通り過ぎた。風が髪を巻き上げて吹き抜けていく。

風の音にまぎれてパパの声が聞こえた気がした。

『怪我する前にやめないと、りの、また見誤ったね。』

パパ、りのはまだわからないよ。怪我をする前の限界点。

いつだって、うまく行かない。





「あの・・・芹沢さんの奥さまですか?」

特急スカイライナーを見送って駅を後にしようとしたとき、黒のワンピースを着た若い女性が声をかけてきた。

小さな女の子と手を繋いだ女性は妊婦さんだった。

「私、戸倉と申します。」その声に聞き覚えがあった

「あっ、あのボイスレコーダーの。」

「はい。申し訳ございません、こんなところまで押しかけてしまって。」

「真辺さん、私がお連れしました。」

女性の後ろから、柴崎会長がグレイの色のスーツの出で立ちでゆっくりと現れる。

慌てて、頭を下げると、落ち着いた声でおやめください。と窘められたる。

「私が無理をお願いしたんです。今日、法要をされるとお聞きして。先ほど、私も簡単ですが、手を合わさせていただきました。」

戸倉さんの手にはご丁寧に、ピンクの数珠が下がっていた。

「ありがとうございます。それから、レコーダの声を頂いて、私もりのも救われました。こちらこそお礼に伺わなければいけませんのに。」

まさか、妊婦さんだったなんて、こんなところまで申し訳ない。真っ先にお礼に行かなければいけなかったのに、りのの退院やら、墓の事やらで、仕事も詰まっていて行けなかった。

「やめてください。私は何もできなかったんですから。お嬢さん、予想以上にお綺麗でびっくりしました。芹沢さんの面影ありますね。」

女性が微笑むのを、りのは、ピクリと固まって、私の後ろに隠れようとする。

「これ、りの、ご挨拶。すみません、無作法で。」

「こ、こんに、ちは。あ、あ、りが」

まだ、初対面の人としゃべる時は吃音が出る。パパが自殺じゃないとわかって、だいぶ顔の表情も昔のりのに戻ってきているけど、言葉がおかしいと苛められたシコリは残っている。あんまり辛いなら、村西先生に治療してもらう?と聞いたら、

これは、パパとは関係ない、自分に原因があったから、苛められた。悪い記憶だからと消してばかりいたら、私は成長しない。と言った。相変わらず、どこまでも自分に厳しいりの。もしかして、あの人がいつも言っていた、りのは限界点を探っているのかもと思った。

「りのさんの事はお聞きしてます。無理しないで。ごめんなさいね、おばさんがちゃんと警察の人に言っていれば。」

「ち、ちがい、ます。わ、私が」りのは急に言葉を止めて足元に顔を向ける。戸倉さんのお子さんが見上げるようにして、りののスカートを引っ張っている。

「ねぇね。プレぜんと。」

こどもが持っているカードをみたら、クレヨンで描いた歪なニコちゃんマークが描いてあった。

「あら、ごめんなさい。この間、柴崎さんのお嬢様に一緒にお絵かきして頂いて、今日、柴崎さんのお嬢様に会えると勘違いしてるみたいなんです。すみません。」

りのが、子供の目線に合わせてしゃがむ。

「お名前は?」

「ナナぁ。」

「七海っていうんですけど、皆がななちゃんッて言うもんですから」

「ナナちゃん。ありがとう。柴崎のねぇねに渡すね。」子供相手ではスムーズに言葉が出ている。

りのに頭に撫でられたナナちゃんは、ニッカっと笑って、お母さんの所へ戻っていった。かわいい。

ナナちゃんの笑顔が小さい頃のりのと重なった。満面の笑みで、駆け回るりの、世界のどこに行ってもその笑顔は変わらなかった。幸せをもたらすピースマークに負けないりのの笑顔。りのが居たから私は異国の地でも頑張れた。

「何か月ですか?」

戸倉さんのお腹を気遣って、ベンチに誘導した。ホームに人も多くなって来た。

「8か月です。ずっと、つわりがひどかったんですけど、柴崎さんがいらっしゃって、事故のお話した後、不思議とぴったりとなくなりまして。芹沢さんが助けてくれたのかなと。私も救われました。」

戸倉さんも、ずっと辛かったんだと思った。目の前で、自分と関わった人の事故死を目撃、しかも妊婦の精神的にも体力的にも辛い時期に。よくぞ無事で元気なお子さんを産んでくれたと思う。もしこれで何かあったら、私もあの人も浮かばれなかった。

『さつきは座ってて、僕が全部やるよ。』あの人が身重の私を気遣って良く言ってくれた言葉。

「触ってもいい?」

「どうぞ。是非。」

暖かい。あの人も良く、私のお腹を触って、まだかなぁ。と、りのが生まれるのを心待ちにしていた。

女の子だとわかって、まだ生まれてもいないのに、嫁にはやらんと言って。

「りのちゃんもどうぞ。」戸倉さんのお誘いに、りのは固まって、首を振る。

「あっ、あ、いいい・・・・え、」

「沢山の人にお腹を触ってもらったら丈夫な子が生まれるって言われがあるのよ。」

柴崎会長がそう言ってりのを諭す。それでもりのは手を振り後ずさりする。

「だっ、だっだめ、わ、私がさわったら、う、移る、びょ、病気。」

「移るか!そんなんで移ったら、ナナちゃんどうなるんだ。」

「あっ・・・・」

慎ちゃんが、りのの言葉に反応して突っ込む。

「新田慎一君、私の親友の子供で、りのと同じ年に生まれてから双子のように一緒に育てたの。」

「そうですか、慎一君も良かったら触って、男の子みたいだから。」

「えっ!いや、俺は・・・・俺が触れば、英語が出来なくなる。りのが触れよ、賢い子になるぞ」

「男の子だぞ。将来有望のサッカーを伝授してあげたら。」

「もう、やめなさい二人共。」

「フフフ、二人同時で触らせてもらったらどうですか?どの才能を貰うかは赤ちゃんが決めますよ。」

柴崎の奥さまが教育者らしい言葉をかけて、二人を促す。

りのと慎ちゃんは顔を見合わせ、恐る恐る戸倉さんのお腹に触った。何も言わなくても同時に触るタイミングはぴったりで、

ほんと、双子みたいと思う。ほどなくして慎ちゃんが、びっくりしたように手を離した。

「動いたわね。」

「・・・・思い出した。えりちゃんの時も私、こうしてずっと触ってた。」

「えー、えりの時って俺達、二歳だろ。」

「うん。早く出できて、いっしょにあそぼって私言って。」

「早く出て来ちゃダメだろ。」

そう、さつきが良く言っていた、「ニコちゃんね、私のお腹をずっと触って離れないって、早く出て来ちゃダメなんだけとなぁ」と笑って。催眠療法で記憶をいじっているから、記憶が鮮明になっているのかもしれない。

「ナナもぉ。」ナナちゃんが戸倉さんのお腹に顔をつける。

「ナナちゃん、ねえねになるんだね。」

「うん。ナナ、ねぇね。」

子供の笑顔が、りのの心を癒す。スターリンへバイトに言ってた時も、毎日が楽しいと、生き生きしていた。

「いい、経験させてもらったわね。」

そばに立っている慎ちゃんに言葉をかけた。慎ちゃんは照れたように頭を描いて、小さく溜息をつく。

私より身長が高くなったもう一人の息子、もう「慎ちゃん」の呼び名も限界かな。

















11





身体が、だるい、重い。熱ぽい。でも朝、何度、体温を測っても平熱だった。

食欲もあんまりない。退院後はちゃんと食べれていたのに、久々に給食を残して慎一に怒られた。

相変わらず、うるさいし、しつこいから、残したおかずを慎一のお椀に全部入れて、食堂を出て来た。

「りの、新田、カンカンだったわよ。」私の後を追いかけて来た柴崎が隣に来て言う。

「うるさいんだ、あんな奴。」

「はぁ~。あんた達って一体いつになったら大人の付き合いできるの。」

「付き合ってない!私は好きじゃない!あんなうっさいの!」

「ふーん、じゃ誰かに取られてもいいの?」

「いい。熨斗つけて、リボンかけて、プレゼントする。」

「そこまで言う?新田の気持ちを知ってて。」

「慎一の気持ちと私の気持ちは別だ!何故合わせなくちゃいけない!」

「いや、まぁそうだけど・・・。でも、ギリの所でいつも助け求めんのは、好きな証拠じゃないの?」

柴崎は、時としても遠慮なくダイレクトに心を突きさす。まぁ、そのまっすぐさが私は好きで親友で居るんだけど。

「求めているわけじゃ・・・私達は双子だから。」

柴崎と並んでトイレに入る。個室に入って、歯磨きして、柴崎が髪を整えるのを眺めるのが、給食後の毎日の習慣。

個室が一個しか空いてなかった。こういう時は、髪のセットに時間がかかる柴崎に先に譲るのもいつもの事。

「いつまで兄妹気分でいるんだか・・・」柴崎が、捨て台詞気味に放ちながら個室に入る。

そんな事言われても、本当にわからない。

私は慎一に助けを求めたつもりもない。

いつかこの世から消える、消えた方がいいと消そうとした意識の中で、小さな手が目の前にあった。

その手は大好きな慎ちゃんの手、いつも通りに手を繋いで逝こうとしただけなのに、つないだ慎ちゃんは消えてしまって、うるさい慎一に変わった。

大好きだった慎ちゃんが成長したのが慎一、なのはわかっている。

けれど、わからないっていうか・・・あぁ、もう、考えんのもイライラする。頭を掻いたら、ボサボサになった。柴崎みたいに櫛は持ってきてない。手櫛で治す。

ショートは楽でいい。シャンプー後のドライヤーも短時間で済む。ショートにして二年が経った。

グレンはこの短くなった髪を残念そうにクルクル回して、りのがちゃんと大きくなれたら、大人のキスをしよう。

そう言って、おでこにキスをくれた。思い出したら、照れた。

結構、グレンは照れるフレーズを平気で囁いた。あの声に私は癒されて、うっとりして・・・

「お先、何?顔赤いわよ。」

「なっなんでもない。」

柴崎が空けた個室に慌てて入る。

慎一といるより、グレンと一緒に居る方がドキドキした。

好きとかの気持ちって、そんなドキドキのことだろう。

 

 




どうしたのかしら、急に顔を赤くして、あれは病気とかじゃなくて、照れて赤くしてたみたいだけど、

新田の事やっと好きだと自分でわかって赤くなってんのかしら。へぇ~可愛いとこあるじゃない。出てきたら、問い詰めよぉと。

「ぎゃっ!」

え?何?今の声。

個室の方に顔を向けた。りの以外の閉まっていた扉から同級生が出てきて、無言で、私じゃないわよと首を振る。

りのが入った個室から、ドンと壁に当たる音。

「りの?」

「し、しばっ・・・・・あっ。どっ・・・・・た、たす。」

「何?どうしたの!」

りのの、尋常じゃない焦りの声。吃音も酷く何を言ってるかわからない。

「ち・・・・」

「りの!何!」

「どうしたの?」

佐々木さんが同級生と入れ替わりにトイレに入ってきて、麗華の様子に顔を顰める。  

「りのが・・・・ねぇ、ここ開けてりの。」

「真辺さん?」

「だっだめ・・・・・もう、しっ、ぬ。」

「りの!」


 

   

「びっくりしたわ。」

「もう、ほんとよ。大げさなんだから、死ぬなんて。」

「ご、ごめん。」りのは保健室のベッドに座り、俯いた。

「まぁ、まぁ、真辺さんもびっくりしたのよね、突然の事で。この後どうする?授業休む?」

「・・・・・。」

「まあ、退院して間もないし、無理せず、ゆっくりするといいわ。5時間目の先生は誰?」

「数学の伊藤先生です。」

「そう、数学は、りのちゃん得意だから、休んでも問題ないわね。伊藤先生に言ってくるわ。」

そう言って、保健師の菅先生が保健室から出ていこうとするのを、りのが慌てて止める。

「あっ!、わ、わ、も、も、もしかして、こ、この事、む、むら西せんせ、に?」

動揺がまだ収まらないのか、吃音が酷い。

菅先生は一度行きかけた身体を戻して、りのの前にしゃがみ、目線を合わせた。

「うん、ごめんね。りのちゃん、こういう事も治療に必要な情報なの。村西先生と連携が取れるように、私はここに来てるから。大丈夫、これはいい傾向なのよ。村西先生も喜ぶわ。」

先生の言葉とは反対に、りのは眉間に皺を寄せて本当に嫌そうに横を向いた。

先生は、りのの肩をさすると、立ち上がって、ベッド自由に使っていいと出ていった。

保健師の菅先生は、今年の4月に凱兄さんが、神奈川県医科大学病院の、りのの主治医である精神科の村西先生から紹介をしてもらって、常翔に呼び寄せた先生。精神医学も学んでいて、りのの為に、病院と連携を取れるようにした。それを、りのは知っていて、自分の主治医に知れるのかと嫌がっている。可愛そうだけど、仕方がない。

「りの、先生の言う通り、いい傾向なのよ。おめでたい事なのよ。」

「わ、わかってるけど、で、でも、なんだって、が、顔黒にまで。」

「顔黒って・・・・確かに村西先生、黒いけど。 」

「うわあぁ、嫌だ~。」とりのは、自分の体を縮めるように丸める。

「まぁ、気持ちわかるけどねぇ、私も小4で早かったから嫌だったわ。」

「えー佐々木さん早いわねぇ。私は、ちょうど中学入る前の春休みだった。」

「うん、身長あったからね。」

「あぁ、もう木に登れない、川遊びも出来ない、飛び蹴りも出来ない。」

「一体、どういう認識?」

「普通、子供でもしないわよ。そんなの。」

「真辺さんって、ほんと、知れば知るほど面白いわね。」

麗華達が授業をさぼって抜け出した事をクラスメートにどう説明するかと頭を悩ませていたとき、新田が、佐々木さんは、りののが、何かしらの病気持ちである事は知っていると、キャンプの肝試しの時に聞かれてごまかしきれなかったと言った。じゃ佐々木さんに相談しようという事になって。りのにも了解を得て、佐々木さんには、ある程度の経緯を知ってもらっている。

クラスには、りのが風邪をこじらせて入院して、肺炎を起こし、やばい状態になって、友達である麗華達の名をうわごとで呼んだから、先生に呼ばれて、授業を抜けて病院に駆け付けたという事にした。苦しい嘘だけど、本当の事をクラスメートには言えない。そこだけは、りのも納得の嘘をついていく。その嘘を佐々木さんの口から広めてもらったおかけで、当事者の麗華達が口にするより信憑性が高くなって、うまくいった。りのが手に怪我をしてから約1週間後に登校した時は、特に問題なく、クラスメートは、よかったね良くなってと迎え入れてくれていた。

「おい、りの!大丈夫か!」

どっから聞きつけてきたのか、バタバタと新田と藤木が保健室に駆け込んでくる。

麗華は大きなため息をつく。面倒なのが来た。

「何があった!?柴崎!」藤木も引きつった顔で麗華に問う。

新田は、一目散にりのに駆け寄り、どこを怪我した?とか言って、りのの腕を触るから。

「触るな!」思い切りバシッと振り払われて、りのは布団の中に潜ってしまった。

「え?おい、りの・・・・柴崎、そんなに酷いのか?」

「ぷっ。ほんと、新田君って、真辺さんの事になると面白いぐらい必死よね。」

佐々木さんが新田のオロオロさを見て吹き出す。

りのが布団の中で、「きらいだ、慎一なんて大嫌いだ」とくぐもった声で叫ぶ。

「はぁ~。もう、いいから、男は出て行ってくれる?」

「えーなんだよ。りのちゃんがトイレで怪我したとか聞いたから駆け付けたんだぞ。滑ってどこか打ったのか?」

「はいはい、大丈夫だから」

保健室からい追い出すように二人の背中を押す。それでも、何かしら納得の事を言わないと、こいつらずっと、聞いてくるに違いない。

「なっなんだよ。」新田もなかなか外へ出ようとしない。

「もう!新田は、家でお赤飯の準備でもしてなさい!」

「はい?・・・・あっ!」新田が顔を赤くして、目を見開く。やっと、わかったか。

「そういう事。はい。行った行った!」

「はぁ~?何言ってんだ。柴崎。赤飯って何だよ」

意外にも藤木は、わからないらしい。

「藤木も大嫌いだぁ!」りのは潜った布団の中で叫ぶ。

「行くぞ、藤木」

「りのちゃんも何?大嫌いって、俺なんにも?」

「いいから、ここに居たら殺されんぞ、お前。」新田が藤木の腕をつかみ慌てて出ていく。

「意外~、あの藤木君が、わからないなんて。」

「ええ、びっくり。」

「妹さん居たわよね、確か二人。やらなかったのかしら初潮のお祝いでお赤飯を頂くの。」

「あー、あいつ、寮に入ってからほとんど実家に帰ってないからなぁ。」

「藤木君の実家嫌いが仇となったわね。博識の藤木君に、こんな無知の落とし穴があったなんて。」

人の本心を読みとる能力と、それを利用し得た幅広い人脈も相まって、何を聞いても答えられる藤木は、今や学園では博識の藤木と呼ばれている。

「柴崎も大嫌いだ、私のプライバシーぃあぁ~。」

「はいはい、りの、5時間目終わったら迎えに来るから。」

「ノートは取っておいてあげるから、ゆっくりして。」

「日本なんて、大嫌いだぁ~。」

「ぷっふふふ、かわいい。」

「遅い反抗期ね。」  

そっか、りのは大人になったんだ。

  『だから、柴崎も藤木も、大きくなれない私を心配するんだろ!』

私達はりのを置いていかない。






「やっぱり、これは避けられないのかぁ・・・」

「あたり前でしょう。」

「前より名前が大きい。柴崎、理事長に頼んで、作り直すように言って。」

「駄目よ。」

「あぁ・・。こんなことなら、手を抜けばよかった。」

「それは無理、無理。りのちゃんの性格からして。」

「ほんと、とても手を抜くような意気込みじゃなかったじゃない。凄かったわよ。りのの気迫。二人に見せてあげたかったわ。」

と柴崎は遠い空を見上げて、一昨日の記憶に陶酔している。

「見せてあげたかったわ~。じゃねえーお前、何のためについていったんだ!あぁ、楽しみにしてたのに~」

弓道部の全国大会へ同行した柴崎は、ビデオの撮影係を買って出ていた。

学園に戻ってきた柴崎は、翌日の給食後に、視聴覚教室の鍵を開けてビデオ上映会を開いた。勝手知ったるわが学園。私物のように使う学園の施設を教職員達は誰も文句を言えない。やめてよ~と言うりのちゃんを無視して、弓道の試合上映会するわよ~と柴崎が廊下で叫んだものだから、結構な人数の生徒が見たいと集まった。元々、弓道部は屋上で練習しているから、どういう試合をするのか、練習だってまともに見たことがない生徒たち。皆、興味深々で、おまけにあの真辺りのの勇士なら尚更と、上映会場は満員御礼となった。柴崎は調子に乗って、チケット制にしてお金取るんだったと冗談を言い、マイクを取り出し司会までする有様。

ビデオは新幹線の中の弓道部員のはしゃぐ姿から始まり、降りた駅の街並みを映し出し、視聴生徒たちから、そんなのいらねぇと試合を映せとクレームがつき、柴崎は渋々早回しで送り飛ばす。団体戦の試合、部長の滝沢さん率いる5人の合計点数で競うそれは、順調良くトーナメントを勝ち進み、結果3位の成績を取った。りのちゃんを含む弓道部のメンバーが喜んでいるのを亮たちも拍手で祝い、そして個人戦のりのちゃんの試合。

神奈川県代表、常翔学園、真辺りのと放送が入ると、一歩前に出たりのちゃんがお辞儀をする全体像が映し出された。

弓道の個人戦は、その所作も点数に影響するという。袴姿のりのちゃんは凛として、気品ある出で立ちだ。

遠くからのアングルでもわかる、その顔は静かだが、ものすごい集中をしている。

25メートルの射場に着いたりのちゃん、目を閉じ一つ深呼吸して、ゆっくり目を開ける。そのアップで映し出された横顔、

ゆっくりと弓を弾くその姿の美しさに、視聴覚教室が、いや、画面の向うの会場も、ざわついていた音がシーンと静まり返った。

りのちゃんの集中が、美しい顔をさらに引き締め、誰もが息をのんだ瞬間、矢は放たれ、画面は矢を追うが、当たり前だけど、追いつかず。そのあと、画面はせわしなく振れたあと地面を写し・・・

映っていたのはここまで、的の結果も映らず、りのちゃんの姿も、その後は映らず、映っていたのは会場のコンクリートの地面ばかり。

おお、と声だけが聞こえて、慌てて、思い出したようにビデオは、りのちゃんの姿に向けられた。けれど、突然、撮影は終わった。

2矢目、3矢目はなくて・・・・・どうやら、柴崎は録画停止ボタンを何かの拍子に押したことに気づかないまま撮影を続けたらしい。

柴崎は視聴生徒のブーイングを思っいきり受ける。「あれ~?おかしいなぁ、機械壊れちゃったのかしら、」とかかわいらしい言い訳をしていたけれど、しつこいブーイングにキレた柴崎は、「りのの美しさをあんたたちに見せるのはもったいないのよ!」と、わけのわからない学園無敵に蹴散らして、上映会は終わった。

「だって・・・・りののあの姿見たら、誰だって、あぁなるわよ!会場全体が、りのの姿に息をのんで見とれたんだから。」

「大げさ。」

「そんなことないわよ。学校に届くファンレターの数、見なさいよ。」

全国大会直後からあの会場でりのの姿を見た他の学校の生徒から、学園にファンレターが届くようになったという。

「はぁ~返事を返さないといけない私の身にもなって。」

「返事なんて書かなくていいわよ。りのは堂々としていていいのよ。日本一なんだから。優勝よ。断トツの全国1位!胸張りなさいよ」

柴崎がバシっとりのちゃんの背中を叩く。

「痛っ!」

思い切りたたかれて痛がるりのちゃん、当たり前の痛みが戻っている。カッターで手を切っても痛くない!と叫んでいたのが昔の事のように感じる。

亮達は、風でなびく、校舎正面に掲げられた垂れ幕を見上げた。


  【祝、優勝、3年真辺りの 第42回全国弓道選手権大会、個人の部】

  

「次は、サッカー部ね。」

柴崎と、りのちゃんが亮と新田の方に振り返る。





12





私と、柴崎は、冬の寒空の中、国立競技場の観客席で慎一達の試合が始まるのを待っていた。

吐く息が白い。寒がりな柴崎は、制服の下に何枚も下着を重ね着しカイロを貼りまくって、ベンチコートを2枚も重ねて、ミノムシ状態になって隣に座る。今日は特に寒い、天気予報は今季最大の寒気が訪れていると気象庁は路面の凍結などに注意と促していた。冬は好きだ。空気が澄み渡り、その冷たい空気は、肺に入ると身体を一周し、汚れを落としてくれる気がする。

フィンランドの冬は、もっと冷たい、山も川も木も空も、家も人もすべてが銀色に輝く。長くて厳しい極寒のフィンランド、スクールバスを降りた後、家には帰らず、銀色に包まれた通り寄り道するのが日課だった。

帰りが遅いとママが心配してよく探しに来た。ママは『もう、心配するでしょう、さっさと帰ってきなさい!』と叱った後、決まって、手袋を脱いで、冷え切った頬を手で包み込み温めて、おかえりと言うのだった。

その暖かさに私は、ただいまぁと笑う。少しの暖かさがとても幸せに感じる瞬間。

「あぁ・・・・寒い。ホント、りのは寒さに強いわね。」とミノムシ状態の柴崎。 

「柴崎が寒がりすぎ。そんなんじゃ、やっぱり無理だね。フィンランドは。」

柴崎は、私が住んでいたフィンランドの町に行って見たいと常に言っている。

弓道の全国大会を終えた後、クリスマスに行くと突然、言い出して、冗談だと思っていたら、本気で行く計画を練りはじめ、おまけに私を学園とフィンランドを繋ぐ視察研修員とかなんとか、わけのわからない肩書をつけようとして、要は、私の旅費を柴崎家が出す名目をひねり出した案なのだけど、もちろん、そんな話はお断りした。理事長と凱さんも、やたら乗り気だったのが、ほんと、驚く。フィンランドまで、一体いくらの費用が掛かると思ってるんだろう。しかもクリスマス休暇のいっちばん高い値段の時期に。まぁ、金額なんて何も気にしていないから、平然とそんな事を言うのだけど、その階級格差についていけない。

サッカー部が全国大会に出場を決めて、トーナメントのコマを順調に進めていなければ、私は、本当に変な肩書でフィンランドを案内しなければならなかったと思うと恐ろしい。結局クリスマスは理事長も凱さんも、好調なサッカー部が優勝すれば、なにやら、日本サッカー連盟の用事が入ってくると言って、話は無くなった。

「夏に行くわ。夏に。」

「本気の目が怖い。」

「夏なら、りのも、うれしいでしょう。涼しいから。」

「うっ、まぁ・・・・」

私は、日本の夏が苦手だ。昔は夏でも、外で遊んでいた。真っ黒になって、肌の黒さも慎ちゃんと競争していた。

フィンランドにいた間に、暑さの耐性が衰えてしまったのかもしれない。日本に帰って来て、湿気を含んだ夏の暑さに、毎年辟易した。真夏の暑い中、フィールドを駆け回る慎一たちが、感心より、呆れる。

「決まりね。来年の夏はフィンランドにgo!」

「私は行くとは言ってない!」

「りのが行かなくちゃ、誰が通訳すんのよ。街中はロシア語なんでしょう。」

「凱さんがいる。」

凱さんは、特殊な脳をしている。記憶力が一般人と異なる。その記憶力は、紙面の文字を一瞬にして、写真のように覚えてしまう特殊な能力。それは常翔大学の脳科学研究所が検査し証明しているというお墨付き。覚えた文字は、何ページ分でも可能で、例えば辞書ならどのページの何行目に書いてあると、すぐに記憶から取り出して辞書引きできるのだから、想像を超える驚き。私が日本語より英語、ロシア語の方が得意だと聞いた凱さんは、ロシア語の辞書をすべて頭に記憶したという。そして、ロシア語会話のビデオを見て、発音と文法の並びのコツを覚えて、話せるようにしたという。私でも知らない単語を使う時があって、逆に教えてもらう事がある反面、発音は堅苦しく、おかしな所が沢山ある。

「えー嫌よ。家族だけで行っても楽しくないじゃない。」

「いいじゃん、家族水入らず」

「もうね、そんな家族水いらずを楽しむような年齢じゃないの!」

「だからって私を巻き込むな。」

「あーもう、めんどくさい!りの!あんた、柴崎家の子供になりなさい!」

「はぁ?」

「そしたら、いちいち、お金の事でうじうじ悩む必要ないのよ!」

恐ろしい、お嬢様の考える事は。

「母一人残して柴崎家の子になれるはずないだろ」

「おば様も入ればいいのよ。柴崎家に。1人も2人も3人も、どうって事ないわよ。」

そりゃ、学校法人の経営している柴崎一族の財力であれば、一人も二人も面倒を見るのは、どうってことないかもしれないけど・・・いやいや、そう言う発想自体が、おかしい。

「いやいや、私だけなら仮にもありそうな話だけど、母は何の名目で柴崎家の家系図に入るんだ?」

「うーん。そうねぇ、父の・・・愛人?」

「怒るよ!」





もう、どうして、りのは、こう堅物なのかしら。

何でも、かんでも、そこまでしてもらう必要はないと、いつも一人で我慢して。

この手の事を言うと、いつも藤木や新田に怒られるから、二人の前では言わないよう注意してるけど、今はいないから、普段から、思っている事を言っちゃった。

りのが、凱兄さんみたく、柴崎家に養子に入れば、お金の事で、りのは我慢しなくて済むし。

二人で休みの度に、海外旅行ができる。日本語を含む4か国語が出来るりのと一緒なら、言語に苦労する事もなく、世界中を回る事ができる。それはすごく楽しい日々だろうと想像すると、わくわくして、本気でどうにかならないかしらと思うのだけど。

「あぁ、寒い。」もう麗華の意識外で唇の細胞が一定条件下で自動アウトプットするかのようにその言葉を繰り返す。りのは呆れた表情で麗華をねめつける。

りのは、考えられないくらい薄着。制服の上に、普段、私服時に着ている膝丈のダウンのコートをさらっと着ているだけで、カイロも張っていないと言う。さすがにタイツは履いている。そう言えば、真冬でもタイツをはかずにハイソックスだった。常翔学園の校則では、校章の刺繍が入った指定のハイソックス以外はダメだが、冬は黒であればタイツを履いても良い。大体みんな真冬になれば、女子はタイツを履く。

でもりのは、いつもハイソックスで、ひざから上、スカートまで少しの面積の生足が、寒そうだと思っていた。「寒くないの?」って聞いたら、いつも「全然」と答える顔が、白くて無表情だったから、見ているこっちが寒くなった。

「うー、寒すぎる。」

「35回目。」

「うそ!数えてんの!?」

「ジョーク。」

「もう!信じるじゃない!りのが言ったら真実味あるんだから!」

「ははは、でも、それぐらい言ってる。寒いって。」

りのが笑う。その笑顔は、女の私でも可愛いと思う。スピーチ大会のバックで映し出されていた家族写真の中の笑顔と同じ、やっと生の笑顔を見れた。りのと呼ぶことに、やっと慣れてきた今、りのはこの無敵の笑顔で笑うようになり、日本語もスムーズに出るようになってきた。無敵の笑顔は、クラスの人気者となり、学年の人気者となり、今は学園のアイドルとなっている。

藤木の胸を借りて泣いていて良かった。私は、皆のりのになった事を、本心から喜ぶことが出来ていた。

「真辺さん」後ろの席から、今野が、りのに声をかけてくる。私もその声に反応して、振り返る。

「うわっ柴崎。すごいなその防寒。」

「寒いの苦手なんだから仕方ないでしょう。」

「だったら、家でテレビ観戦していればいいのに。」とりのは、呆れ気味につぶやく。

吹奏楽部以外は、応援に来ることは強制じゃなく有志で、現地集合の現地解散だ。

決勝戦はケーブルテレビの生中継がある。家で観戦しようと思ったら時間差なく出来る。麗華は1年の時はそうした。で、選手交代で出場した新田の実力とプレイ中の顔を見初めて、来年のバレンタインは、新田慎一に決まりだと心にとどめた。

それが、後に、麗華の大切な仲間となるなどその時は思いもしなかった。

「その言いぐさは酷いわ。こんなに我慢してんるだから。負けたら、学園に帰れなくしてやる。」

「怖えっ・・・」

「本気でやりかねないから、ジョークに聞こえない」

「二人に同情するよ。」

「今野!何か用があって、りのを呼んだんじゃないの?」

サッカー部の全国大会の決勝戦は、国立競技場で毎年行われる。常翔学園は新田が1年の時3位、去年は選手間同士のいざこざがあり、怪我人も多く、全国大会トーナメント2回戦で敗退した。常翔学園にとっては、去年の成績が近年最悪の成績であるけれど、毎年、ベスト4、8には残って来た。しかしながら、ここ9年ほど優勝旗に手が届いていない。10年前とに2年連続優勝を果たしたのは、この間、表敬訪問に来てくれた大久保選手がいた時代、あの世代は大久保選手だけじゃなく、ほかにもプロサッカーチームで解駅活躍している選手が5人もいて、常翔学園のサッカー史で黄金世代と言われている。新田も藤木がサッカー推薦の実技試験で、ハットトリックを作った時、二人は黄金コンビとうたわれ、黄金時代の再来と言われてきていた。しかし藤木も巻き込まれた一つ上の世代のおかけで、昨年は不調に終わった。それを覆して、決勝までに勝ち進んだ常翔学園は、決勝相手が関西の学校だけに、関東勢の期待を一身に背負う。

「ああ、二人の様子がどうだったかなと思って。選手の控室に行ったんだろう?新田と藤木は、緊張してた?」

「まあね。良い顔してたわよ。ねぇ。」

「あぁ、サッカー馬鹿もここまで来たら大したもん。」

「決勝戦まで来て、サッカー馬鹿って言われる新田って・・・。」

「りのぉ、さすがにそれは、かわいそうよ。」

  



 

この冷たいベンチに座る前、柴崎が選手の控室に行こうと言いだした。選手の控室なんて男子ばかり。いくら私と柴崎がサッカー部の部長と副部長の友達だからと言って、軽々しく行くような場所じゃない。そう言ったのに、入れない雰囲気だったら帰ってくればいいと強引に私を連れていく。柴崎は選手たちが気になって仕方がないらしい。夏休みの時も特に学校に用事もないのに、サッカー部の練習を見に行ったりしていて、最近は、ずっとトーナメントの試合を追っかけて見に行って、マネージャのようにマメにビデオ撮影したりしていた。

半地下の選手の控室に向かうと、控室には入れない1年と2年の部員の集団が、部屋の前の廊下でたむろしている。ドアまでたどり着ける余地もない。ベンチに戻ろうと袖を引っ張っても、柴崎は身動きしない。私達のた姿を見つけた2年生らしき一人の部員が控室をノックして入っていったと思ったら、藤木がドアから顔をだし、手招きした。

「柴崎、りのちゃん、入っていいよ。」

柴崎は、藤木の誘いに喜んで、後輩サッカー部員が両脇に道を開ける真ん中を堂々と歩いて行く。その光景は、まるで、モーゼの受戒のように、はたまた、城の廊下を歩くお姫さまが、階下の者がひれ伏す様。

流石は常翔学園最強のお嬢様と言いたいところだったけど・・・ベンチコート二枚重ねの着膨れした柴崎に、部員たちは不気味に場所を開けているだけとも言えた。私はその着ぶくれした柴崎の体を盾に、隠れるようにして廊下を進む。

部屋に入ると、慎一は、大学から来ているボランティアコーチと何やら、バインダー見ながら、打ち合わせしていた。

一年の時、同じクラスだった岸本君が、勝利の女神の登場!といって拍手をした。

私が弓道で全国優勝してから、どういう経緯か、勝利の女神だと囃し立てられ、何故か学園全体に浸透してしまった。なんとなくそれを浸透させた裏に柴崎と藤木がいるような気がしてならないけれど、それを聞いて抵抗するのも無駄だと諦め、おとなしくしているに限る。

「おぅ、真辺、柴崎、ご苦労だな。」顧問兼元担任の石田先生が、私達に声をかけてくれる。

「あの、め、迷惑なら、た、退出します。」

「いや、迷惑じゃないな。勝利の女神の登場で、見ろよ、こいつら上々の目を。」

いっ、石田先生まで・・・・

「ほら、石田先生も認めてるのよ、りのの事を。」

「や、やめてください、せ、先生まで。」

「まぁまぁ、りのちゃん、今だけ我慢して。」と藤木の頼みだから仕方なく我慢する。

「真辺さんが来てくれたなら、優勝、間違いなしだよな。」

いやいや、私なんかが来るだけで、優勝するって、サッカーってそんな簡単な競技なのか?

「あぁ、なんてたって、女神は俺らのエースの彼女だもんな。勝利を見捨てるわけないよ」

「へっ?か、彼女?」

私は慎一の彼女じゃない。そこは全力で否定!ってする間もなく、次から次へと変な言葉をかけられる。

「その勝利の弓で俺たちの心も打ちぬいてくれ!」

いや、殺人者にはなりたくないし。

「どうぞ、優勝できますように。」

何、その拝み・・・私は生きてるぞ。

おかしな方向にテンションが上がっていくサッカー部男子についていけない。

柴崎に助けを求めようと横を見たら、藤木と何やら話していて、その二人のいい雰囲気を、とてもじゃないけど邪魔できない。

私は、この作り笑顔を、どうしたらいいのだ?

「真辺さんの微笑みは勝利の微笑み。」

さらに拝まれた。まだ続く・・・この変なテンションのチームを慎一と藤木が作りあげたと思ったら、段々腹が立ってきた。

「りの?。」コーチとの打ち合わせが終わった慎一が傍にくる。

「慎一、顔を貸せ!」

「はい?」

「お前が、笑えっ!」





そう言うと、りのは慎一の頬をつまみ、にぃと上げる。いや、あげるというより引っ張られる。

「痛い、何する」

「ふん!」と言ってプイと顔を背けるりのに理解不能に混乱する慎一。最近りのは機嫌が悪い。慎一だけにイライラして突っかかってくるような気がしていた。藤木が慎一と同じことを言っても、怒らず平然といるのに、慎一に対してはいつも全力で怒りをぶつけてくる。そのことを藤木に言うと、

『そりゃ、お前と俺とは関係の密度が違うだろ、りのちゃんは俺とは距離を開けている。お前、そんな事ぐらいで落ち込んでどうするよ。今更なに焦ってんだ。お前ら双子のように育った仲だろ。お前がりのちゃんとの距離をわからないでどうする。』

と言われた。

「痛って~」

「おい~新田、女神を怒らすなよ。勝利が逃げるじゃないか。」

「はい?何のことか、さっぱりなんですけど。」

「目が覚めただろ。眠そうだったから、目を覚ましてやったんだ。」と睨むりの

「はいはい、ありがとねぇ~。」

何か良くわからないけど、女に逆らわないに限る。新田家の教訓。

腕組したりのの手に持っているそれに気づいて慎一は血の気が引く。

「りの、それってまさか。」

慎一の視線に、忘れてたのを思い出したように、りのは表情を一変させ、にぃと不敵に笑った。やばい。

「さ、差し入れ、も、持ってきた。み、皆でどうぞ」

「ウォー!」

「うぉ~」

とサッカー部員の奴らと慎一の雄叫びが重なった。意味が違う!

「だめだっ!それはっ!」

「真辺さんの手作り?」

りのは、しれっとスーパーの袋からタッパーを出して開ける。

「食うな!みんな、それは毒だ。」

あぁ、あれは実験と称する漢方薬の入ったまずい食べ物。

「勝利の女神からの差し入れ、皆ありがたく頂け!」

誰も慎一の忠告を聞かない。

「女神じゃなく、悪魔の食べ物だって・・・。」

りのは、満面の笑顔で配っていく。あぁ皆、だまされてるぞぉー。天使の面を被った悪魔に

終わったな。今日の試合は・・・・

あれを食べてしまっては、試合どころではなくなる。





新田を含めスターティングメンバーは、やはり、いつもより緊張していた。

試合慣れしているとはいえ、その緊張度はいつもよりきつい。博多の小学生チームでキャプテンとして、一度全国大会を経験している亮でも流石に緊張しているのだから、ここに居るメンバーは、もっとだろう。全国大会は初めての経験の新田も一年二年と控え選手として出場はしているが、キャプとしての経験は初めてだ。初めて自分が作り上げたチームで、全国大会の決勝戦、そのプレッシャーは相当の物がある。トーナメントを勝ち進むにつれ、喜びに比例して緊張で顔つきが変わっていくのを亮は見てきた。

どんなに亮がリラックスしろと言っても、無理なのは承知だったけれど、他に打つ手もなく、言い続けるしかなかった。

県内代表のリーグ戦から順調に決勝戦まで進めてきた。最終決戦はどうなるかわからない。

相手は、おととし亮たちが一年の時に優勝していて、毎年必ずベスト4に入ってくる関西の強豪校だ。

願わくはこの学校とは対戦したくないとチーム全員が言っていた学校だけど、常翔学園が勝ち進めば、決勝で対戦する事になると誰もが簡単に予想のついた相手だった。

関東周辺の学校なら、練習試合等で3年間調べ貯めたデーターが使え、戦略を練る事が出来たが、関西や地方の学校となると、去年やおととしの全国大会のビデオを見て、戦力をとるしかなす。しかし、それもたいした戦略は立てられない。どの選手がどこまで成長しているか、癖が治っているかもわからない。しかも亮の本心を読む能力は、ビデオではわからない。自分でも、どこをどう見て相手の本心を見抜くのかわからないけど、おそらく、相手の視線の先や、微妙な顔の筋肉の動き、そしてその場の全体の空気。それらを総合して読むんだと思う。だからビデオでは全くわからない。柴崎が半ば本気で、スパイに行けばいいのよ。なんて言った。

以前の亮ならやっていたかもしれない。寮の外出許可を取って、関西まで行き、強豪関西勢の試合を見学し、チームの人間関係を読み取るなんて簡単に出来る。だか、亮はサッカー連盟に、誤解と言えども、いいイメージではなく名前が知れ渡っている。サッカー連盟の誰が試合を見に来ているかわからない。目立つ動きなとできるはずもない。それに、もう自分達には相手がどれほどの戦力を持っていようとも、勝つ実力がある。戦略は大事だが、それを超える才能が居る。

相手チームの隙をついて新田がドリブルで上がり、初得点を入れて、そのまま逃げ切るという勝利パターンが亮たちにはあった。

しかし、そのパターンが通用しなくて、危機に陥ったのは、トーナメント3回戦、後半の30分で相手に先制点を取られてしまった。

だらだらと時間だけが浪費していく試合の中で、誰もが新田が何とかしてくれると、そんな思考に溺れていた選手たち。同じパターンで勝ち進んできた常翔学園ならではの陥る状況は、それも承知の上で、それを回避する別の戦略を新田と共にコーチとは戦略を練っていたつもりだったが、どの時点で、戦略を変えるのかまではチーム全体として周知できていなかった。。そうして戦略を変えるには、もう遅すぎる経過時間になった。

どちらも学校も主だった攻撃を仕掛けられない忍耐試合、体力的にも限界に近い残り10分、最後のタイムで監督もコーチも、打つ手なく耐えろと言うだけだった。

『戦略を変えて、仕掛ける。このままでは、こちらが、いや、俺がミスる。』

新田はマークされ続けていた。隙のない執拗なマークが新田に点を入れさせない。

『Dで行かせてください』と監督に訴える新田に、全員が驚いた。Dプランは、今まで練習試合でも使ったことない戦略。その戦略は、新田にボールを一切渡さない、言ってみれば、他の選手を強化すための練習用と言ってもいい。

『嘘だろ!何考えてる!』と口々に言うメンバーに新田は一括した。

『何もしなければ負ける!俺達は、負ける為に練習してきたんじゃない!』

『新田の言う通りだな。』監督が新田の言葉を補足する。

『新田だけが特別メニューの練習をしてきたわけじゃないだろう。お前らも新田と同じだけ、辛い練習をしてきた。自分の技量に自信を持て。新田にボールを回さなくても、勝てるだけの力がお前らにはある。』

『俺は、チーム全員で、この試合を終えたい。』

亮は、結果はもうどうでもいいという新田の本心を読んだ。

新田のそのカリスマ性が、皆のやる気に火をつける。亮が、福岡チームのキャプテンで出来なかった事、いや、この先もきっと出来ない事をやる。これが新田の魅力。皆が新田を信頼し、新田が皆を信頼する。

『藤木、任せたぞ。』と、新田が亮の肩に手をのせる。吸い込まれそうな新田の目、初めて出会った時から、このまっすぐな目は変わらず、先へ先へと進んでいる。

プランDは、新田がミッドフィルに下がり、攻撃には一切加わらない、代わりに亮がフォワードに上がり、新田は囮のように相手を攪乱するようにフィールドを駆けまわる。この体力的にもキツイ時間帯で新田は今まで以上に走り回らなければならない。しかし、ボールは新田にまわさないから、新田は思う存分走り回れる。

この戦略は功を制し、その試合は、残り5分で同点ゴールを決め、延長戦で一点を取り勝利した苦戦の一戦。


今、控室にいる常翔学園サッカー部、キャプテン新田慎一の緊張がメンバー全員に、外に居る後輩までにも伝染してしまっていた。

その緊張が、良い方に転べばいいけれど、一度大きなミスが出ると、それはなし崩しに崩れて、あっという間に、返せない点数差となる。

相手も決勝まで勝ち進んできた強豪だ。一度のミスが命取りになる。それを考えると、どうにかこの緊張をほぐさないと。と考えていた時、ノックして入って来た2年の後輩が、真辺さんと柴崎さんが来てます。と教えてくれた。

おッ、いい所に来たと、横に居た監督の石田先生に確認しようと顔を向けると、聞いていたのか、無言でうなずく。石田先生もこの緊張はまずいと思っていたのだろう。亮は廊下に顔をだして、二人を招き入れた。

サッカー部の連中がヒューヒューと囃し立てる中、柴崎は堂々と、その後ろに隠れるように、りのちゃんが困り顔で入ってくる。

りのちゃんは、あの大久保選手に褒められたあたりから、徐々に特待生である事を嫌な目で見る人間が少なくなり、500満点の成績に次いで、決定的になったのが、弓道の全国優勝。

もう誰もがりのちゃんの努力と実力を認め、悪く言う人間はいない。

弓道部が個人優勝と団体3位の成績をもたらした次の週に、女子バスケ部も県大会でベスト4の成績を上げたり、今までバッとしなかったクラブが、垂れ幕を掲げるほどではないにしろ、良い成績を上げた。

それを、中島のやつが、真辺さんは勝利女神だと言い始め、それに柴崎も調子に乗って煽ると一気に学園中の周知となったった。

「どう、調子は。」柴崎が聞いてくる。亮だけの調子ではなくて、全体の事だと、読み取る。

「あぁ、まぁまぁってところだったけど、お前らが来て上々に変わったみたいだな。」

「お前ら、じゃなくて、りのが来てくれて、でしょう。」

「嫉妬か?りのちゃんに嫉妬するだけ無駄だ。とても勝てっこない。」

「嫉妬なんかしてないわよ。」と若干、頬を膨らませる。

「まあ、そうだな、嫉妬してたら、そんな着ぶくれた恰好で来ないわな。」

「もう!その話題は朝から散々なのよ。うんざり、ほっといて。」

今日は一段と寒い。この部屋はマシだが、外の観客席は極寒だろう。

お嬢様は寒がり。無理せず、家でテレビ観戦していればいいのに。と思ったが、実際それをやられたら、きっと俺は気が加工していただろう。まぁそんな心配もなく、トーナメントが始まった時から柴崎は、マメに観戦に来ていた。

『あんたの能力が私には必要なの!藤木、私と一緒に生徒会をやって。』

2年の3学期に、潤んだ漆黒の目で見つめられ、言われた言葉。

亮の能力を嫌う人間が居ても、必要だと言う人間は今までに居なかった。柴崎の言葉は、亮の存在を認めてくれる大事な言葉となった。むくれた横顔に亮は素直に礼を言う。

「寒いの苦手なのに毎回、ありがとな。それも今日で終わりだ。」

「えっ・・・やっやぁね。藤木、何なの?」照れて顔を赤くする柴崎のわかりやすい本心を可愛いと思う。

突然、新田の痛いという声が聞こえて、亮も柴崎も振り向く。

りのちゃんが、新田の頬を思いっきりつまんで引っ張っている。

「りの!何してっ」

「待て、柴崎・・・」柴崎の腕を掴み、駆け付けようとするのを止める。

「新田の緊張がほぐれた。驚いたな。こうも覿面だとは。」

周りいるメンバーも笑って、緊張がほぐれていくのを確認する。

だけど、りのちゃんが出した差し入れに亮も同じく、青くなって、

「駄目だ、それはっ」と叫んだ。

「ちゃんと見なさいよ。袋とタッパーの文字。」

「新田家からの差し入れか。」

その顔に似合わずりのちゃんはいたずら好きだ。無表情にそれをやるもんだから、亮たちはいつも騙される。

新田は実験と称したいつもの、りのちゃんの手作りの差し入れだとまだ思っていて、本気でメンバーの心配をしている。その光景がおかしい。

亮は、と柴崎ともに吹き出して笑った。

女神からの差し入れを口に入れたチーム全体の空気が、いい感じで和む。

よし、行ける。

亮は確信した。





何も言ってないのに、勝手に皆が、私の手作りだと勘違いして、慎一までもが私が作ったと思い込んでいる。

むかつく。

慎一なんかに、このおいしいキャラメルはあげない。

このキャラメルは、新田家からの差し入れ、秀治おじさんが作った塩キャラメルは、プロの味だ。私の漢方薬入りの差し入れとは違う。

糖分は、心を落ち着かせ、頭の回転をよくする。サッカー部保護者会の役員をしている、啓子おばさんが大きな大会の前には必ず差し入れる。それを忘れて、慎一は私のだと勘違いして、おまけに毒だと悪魔の食べ物だと言う。

タッパーもビニール袋も、店の名前が入ってるのに、何で気づかないかなぁ。ホントこんなんでよく、サッカー部のキャプやってるよ。あぁ慎一がキャプテンだから、こんな変なテンションのメンバーになっちゃんたんだな。皆、可愛そうに。

まだ、女神の食べ物とか言ってる。慎一と一緒でしつこい。

何だか、最近、慎一の顔を見るとイライラする。何か嫌味の一つでも言わなきゃ気が済まない。

おかしいなぁ。子供の頃はこんなんじゃなかったのに。

やっぱり慎ちゃんと慎一は違う。

「りのちゃん、俺も頂戴。」

「あぁ、はい。」藤木が居るところまで、にタッパーを持って行った。

「二人にお願いがあるんだけど、皆がここを出る時に、全員とハイタッチしてもらえる?一人一人に。」

「え?私も?」柴崎が驚いた顔で尋ねる。

「そう、柴崎も。」

「どうして?りのは、わかるわよ。勝利の女から直接、運を頂くみたいな事。でも私は・・・」

「嘘でも何でも儀式的な事って、大事だからな。」

「私は女神でも何でもないじゃない。」

「お前は、学園の代表だろ。お前の父親の元に優勝旗を持って帰る。りのちゃんが、精神的な私心になるなら、お前は現実的な目標だ。両方を心に刻めて行ける、俺たちは強いぞ。」

自信たっぷりの藤木が目じりに皺を作って笑う。藤木はメンバーの精神的な所まで考えて動く。何故、藤木が部長じゃないんだろう。石田先生も慎一を部長に押したと言うのだから、見る目ないんじゃないかと思う。その石田先生がそろそろ時間だと声をかけた

「新田、俺からはもう何もない、お前に任せる」

慎一はハイと返事すると、ドアへ向かう。出て行ってしまうのでは?と一瞬ヒヤリとする

「皆入って。」

こんな狭い部屋に全員は無理だろう。と私と柴崎は、なるべく身を縮めて邪魔にならないようにした。

「入れない奴ら、出来るだけ顔の見える位置に」

慎一がそばにあったパイプ椅子に登って立ち、廊下の方まで見渡して言う。

1年生と2年生の選手以外のメンバーが慎一の言葉通りにキビキビと動く。

慎一が部員全員の顔が自分に向けられたことを確認してから、口を開く、顔つきが変わったように思えた。

「今日で最後!俺たちは、あの優勝旗を持って帰る!暑い日も、寒い日も、雨の日も、雪の日も、あの優勝旗を手に入れる為に毎日、練習してきた!ここに居る全員が、皆が同じ量の練習をしてきたんだ。1年も2年も3年もレギュラーも補欠も関係ない!仲間の信頼と練習量の自信と誇りを武器に、俺たちは、全員で勝つ!」

慎一は一度、深呼吸して、更に大きな声で叫ぶ


「盾は要らない!全員で優勝旗を持ち帰る! 勝ちに行くぞ!」


サッカー部員全員のオーと言う叫びが部屋を揺らす。

慎一の言葉に、レギュラーはもちろん、二年生と一年生の顔つきまでもが変わっていく様を見せつけられた。

「円陣!」

慎一がパイプ椅子から降りる、中央にレギュラーの円陣、その周りにベンチ組、そして1、2年のサッカー部全員がさっと三重の円陣を組んて、常翔学園伝統の掛け声をする。その迫力に、私と柴崎は固まった。これが、慎一と藤木が作ったチーム。

凄い・・・・。

レギュラーメンバーだけならまだしも、ベンチにも座れない一年生の闘志を引き出しているのがわかる。

慎一が全員の心を一つにし、全員が慎一を信頼する。これだけの人数を慎一が・・・。

これが、慎一のカリスマって言うやつ。藤木が常に絶賛していた。これがなければ勝てないと。わかる、これがどんなにすごい事か。

負けたな。そう、素直に認めた。

すると、慎一に対するイライラが無くなっている事に気づく。

そっか、私は慎一にイライラしてたんじゃなくて、自分にイライラしていた。慎一に負けそうになっている自分を認めたくなくて。

私と慎ちゃんはずっと競争してきた。かけっこは、どっちが早いか、縄跳びは何回出来たか、ひらがなも、どっちが先に覚えたか、日焼けまで、どっちか黒いかなんて、生活全部が競争だった。いつも私が少しだけ先にできた。喜ぶ私を慎ちゃんは、くそーと悔しがって、それから私を抜くまで練習し努力するのがお決まりのパターンだった。慎ちゃんは努力して再度、私に挑戦する。私は負けそうなると私は、「ニコはもうそれやってないもん!」と言い訳して、慎ちゃんの努力と成果を素直に認めることはしなかった。

「廊下に整列!」

藤木の号令でまた、キビキビと動いて、短時間できれいに整列を終える。

「行ってくる。」

「待ってるわよ、優勝旗!」

藤木と柴崎がそう言葉を交わすと、あげた手をパチンとならす。

「頑張って。」

「ありがと、りのちゃん。」

私も手を上げる。力強く藤木がパチンとならして、部屋から駆け出していく、

去年同じクラスだった沢田君、隣のクラスの橋本君、1年の時に同じクラスだった、杉本君、

慎一と同じサッカー推薦で入って来て慎一の事を特に慕って、不愛想な私にまで、ちゃんと挨拶をする二年生の永井君、

1年の時の実行委員が一緒だったゴールキーパーの久保君、同じクラスになったことはないけど、私がまだ、誰とも話が出来なくてもそれを邪険にすることなく、楽しい時間を共有してくれた、鈴木君、渡辺君、長谷川君、田中君。私と直接、縁がない後輩たちも、次々とパチンとハイタッチして駆け出して行く。廊下からも整列した後輩たちの掛け声とハイタッチのパチバチという音が、こだまして聞こえてきた。

この一体感・・・。

私、本当はバスケ部に入りたかった。フィンランドの3年からとフランスでやっていたバスケ、チームが一つとなってボールを繋いでゴールを喜ぶ、そんな楽しさを、もう一度やりたかった。

でも声が出なくて、人を避けるようになった私は、無理だと諦めた。慎一と藤木が、サッカーでそれをやっているのを見て、羨ましいと、ずっと思っていた。二人は、そんな一体感までも私に分けてくれる。心が熱くなった。

「新田!約束、破ったら承知しないからね。」

「あぁ、わかってる、任せろ。」

柴崎と慎一がパチンと手を鳴らすと、柴崎は、すっと部屋から出ていく。

あんなに、たくさんのメンバーで埋まっていた部屋が、がらんと、私と慎一だけになった。

「りの・・・」

慎一が、乱れて首元が見えていた私のマフラーに手をかけて、巻きなおした。

何も言わなくてもわかる。その目が、きんぴかのメダルの約束は守ると言っているのが。

無言でうなずいた。余計な言葉は要らない。

私は手を上げる。慎一の手がパチンとかさなって、強くにぎった。

『慎ちゃん、行こう!虹玉を探しに!』

虹に向かって二人、手を繋いで駆け出した、あの時のように。

見上げるようになった慎ちゃんとの身長の差、これが、私を追い抜いて行った差だ。

身長も、技量も、仲間を作る事も、全部、私が立ち止っている間に、慎一は、とっくに私を超えている。そのことに気づかず、負けまいと焦って、イライラしていた。素直に負けを認めると不思議と悔しくない。

「慎一、口開けて。」

私は、タッパーに残っている塩キャラメルを慎一の口に入れた。

「力、出るよ。」

「行って来い!」

私は、慎一の背中を押した。

慎一が部屋から出ていく。

パチパチとハイタッチの音に交じって、「頑張ってください」と後輩の掛け声。

私も廊下に出る。

慎一の後ろ姿が、光にまぶしい。





昔、藤木が慎一に問いた、『努力なんて他の強豪校もやってる。それこそ死にもの狂いで、どこの学校も、同じ努力をやってるのに、勝敗は決まる。あの優勝旗を手にする奴らは、俺たちと、どこが違うのだろうかと考えたことあるか?』と。

慎一はずっと考えてきた、答えはすぐには出なかった。

なんとなく、これじゃないかと思いはじめたのは、藤木が学園に退学届を出した2年の夏、夏の週刊誌の事件の詳細を知って、随分経った頃だった。慎一の一つ上の先輩は、当たりが、きつい先輩達だった。挨拶一つ、頭が下がりきっていないと呼び出されたり、サッカーの技術とは関係のない事ばかりを厳しく言う先輩達だった。八つ当たりのような嫌がらせも多々あった。それが行き過ぎて事件に発展したのが藤木の週刊誌事件。慎一たちの2つ上の三年生の先輩は、そんな気質の2年生とそりが合わなかったようで、その反動か、慎一たち1年を入学当初から可愛がってくれた。レギュラーの座も2年生をすっ飛ばして、慎一や藤木と沢田を頻繁に起用してくれたりしていた。それは1年も2年も関係なく実力重視でスターティングメンバーを決めるという、常翔のサッカー部、何十年と続く伝承の習えだったけれど、2年の先輩たちは良い気分ではなかった。3年生の先輩が全国3位の成績で引退すると、一つ上の先輩たちは、実力重視の伝承を無視して、先輩たちだけでチームを構成するようになった。結果、県内試合でも負けるようになり始めた。藤木の事件をきっかけに、顧問の石田先生が、やっとチームの構成に手入れして、何とか、神奈川県代表には、なったものの2回戦で敗退していた。

1年の時の全国3位の成績と、2年の時の2回戦敗退の差、ここに答えがあると慎一は考えた。

慎一が、この常翔学園の広告塔クラブともいうべきサッカー部の部長を任命されて、最終学年となった4月、

後輩たちが、廊下ですれ違うたび、頭を下げてくる姿に、辟易していた。後輩たちのあの姿は、慎一たちが2年間やって来た当たり前の姿だ。頭を下げていた時、慎一はどう思っていただろうか?先輩に対する尊敬か?敬意か?それとも目をつけられないための、やり過ごしか?思い出そうとしたが、思い出せなかった。思い出せないほどに、心が入っていなかったその挨拶に意味があるだろうかと思った。まして、自分に部長なんて素質はない。任命された時、ずっとそう言って断り続けていたのに、石田先生は慎一の主張を聞き入れてくれなかった。そんな慎一に廊下で会うたびに頭を下げて挨拶をしてくる後輩たち。頭を下げられる度に、そこに溝が出来るような気がしてきた。自分にこんな気持ちがある限り、とても全国優勝なんてできるはずないと慎一は思った。当然ながら藤木に相談した。慎一の話に藤木は、面白い事に目をつけたなぁ。と少々驚き気味に言った。

だからと言って、藤木も何かの策が思いつくわけでもなく、慎一はただただ、後輩に頭を下げて挨拶されることに、違和感を胸にしながやり過ごすしかなかった。

打開策のヒントをくれたのは、りのだった。りのは自分が後輩であった時は、日本語がスムーズに出ない事を先生を通じて先輩たちに理解してもらっていたが、やはり、他とは違うその態度に生意気だと何度か呼び出しを受けたりしていたらしい。

吃音の混じる言葉で必死に先輩に挨拶していたのを何度も見かけていた。我慢すればいい事は何とかなったけれども、自分が先輩という立場になって、相手から突然廊下で挨拶されて頭を下げられることに、りのは心底、困っていた。

『遠く離れた場所からでも大きい声で、頭下げられるのは困る。』

『あぁ、俺も嫌だな。』

『会話も中断するしな。』

『日本は頭下げ過ぎだ。向うではハイと声かけあうぐらいで、それがなくても責められない。』

『あぁ、海外ドラマでも良く見るよな、なんか個々の生活を大事にしてるって感じ』

『それでもちゃんと仲間として団結する時はするんだよな。』

『あぁ、昔、現地で見た青春ドラマでは、ハイタッチが挨拶代りで恰好いいなと思ったな。』

『それって、何かゴールとか決めた時じゃなくて?』

『廊下ですれ違う時。二人の重要な会話をしている上級生のそばを後輩がすれ違う時、目配せのみでハイタッチしていくんだ。上級生同士の会話は途切れない。』

慎一は、それだ!と思った。

朝のおはようと練習終わりのお疲れ様以外は、頭を下げる挨拶を校内外において禁止をクラブ内で提案した。

慎一の提案に、それでは規律が乱れると反対意見もでた。

だけど、慎一は想いの思考を訴え、まずは同級生を説得した。同級のサッカー部員は、そもそも一個上の先輩たちのきつい当たりを経験していたから、すぐに納得してくれた。同級サッカー部員たちの協力で挨拶の禁止がすぐに浸透して、先輩後輩の枠がいい感じで無くなったころから、慎一は廊下ですれ違う後輩たちにハイタッチをして仲間意識を強めた。

自分は、藤木のように気配りがうまくない、慎一が後輩たちにしてやれることと言えば、皆を、年令関係なく仲間である事を認識するぐらい。仲間の顔を一人、一人確認しながら、皆の気持ちをもらっていく、

手から伝わる仲間の思い。

俺たちは43名で戦う。りのと柴崎も合わせたら45名だ。

45名の強い絆がこの手にある。

「藤木、今日こそ答えを出すぞ。」

「あぁ。」


『努力なんて他の強豪校もやってる。それこそ死にもの狂いで、どこの学校も、同じ努力をやってるのに、勝敗は決まる。あの優勝旗を手にする奴らは、俺たちとどこが違うのだろうか?』

    

慎一は、藤木と共にあげた手でパチンと鳴らして強く握り、心を一つにする。

向かう柴の緑が目に広がる。

吹奏楽が奏でる常翔学園の応援曲。45名じゃない。応援席にいる常翔学園の応援団は何人になるだろうか。

この国立競技場だけじゃない。テレビで観戦してくれている同級生もいる。

店に来る近所の常連さんだって、家を出る前に、頑張りなさいよと声をかけてくれた。

遠くフランスからもグレンが頑張れよとメールが来ていた。

過去から慎一に関わったすべての人の思いが、

この手や足にある。

俺達は、全員で勝ちに行く!

冷たい冬の空気に挑み、足を踏み出す。

思いを込めて。





校舎から、弓道部の横に垂れ幕が降ろされた。


祝 優勝 サッカー部、第48回、全国中学サッカー競技大会

祝 優勝 3年真辺りの 第32回全国弓道選手権大会 個人の部


風になびく2つの垂れ幕、

優勝旗は9年ぶり常翔学園の理事長室に飾られた。



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