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虹の記憶  作者: 湯浅 裕
13/20

夏色の夢

「ニコ、あんまり乗り出したら落ちるぞ。」

「すごい。面白い。波が泡に、なって」

全く聞こえていない。っていっても慎一は聞こえるようには言えてない。

ニコは、船から身体を乗り出しては、波が船体にぶつかって白く泡状になびく波の線を眺めて、船内の前や後ろ、右や左に走り回っていた。

「元気ねぇニコは。」

「どんな身体してんだ。」

「良かったじゃないか。楽しそうで。」

慎一は連絡船のベンチでぐったりと身体横にして起こせないでいた。船酔い。

慎一だけじゃなく柴崎と藤木も、そしてニコと、今野以外のクラスの全員が、あちらこちらでぐったりして甲板に座り込んでいた。

「すごーい、面白い。」

「真辺さん、船、初めて?」

今野が、唯一元気なニコを捕まえて声をかける。

「ううん、は、初めて、じゃない。こ、こんな小さい、ふ船が、は初めて」

「すみませんね。小さくて」今野は頬を引きつらせて苦笑する

ニコは、グレンと別れた後、その落ち込みを心配したけど、残っていたスターリンのアルバイト先で、子供たちと一緒に過ごして元気が出たみたいで、最後のアルバイト料をもらう時は、笑顔で貰っていたという。

グレンを空港で見送ってから、ちょうど2週間後、慎一たち3年5組全員は、学級委員の今野の実家が経営するリゾートホテルの一角のコテージを格安で提供してもらい、2泊3日のキャンプに訪れていた。

今野の実家が経営する今野リゾートへ行くにはまず、島へ渡る船が出ている静岡県の熱海まで行く。東静線は熱海に乗り入れていない為、一旦横浜に出て、JRに乗り換えていく必要があった。クラスの全員と横浜で合流することなる。東彩都駅の次の駅で、寮生の藤木と今野が乗ってきて、さらに二駅向こうで柴崎が乗ってきて、横浜に着くころには12人の集団になっていた。横浜駅でクラス全員と合流する。そして特急列車で熱海まで二時間、そして、船に乗り換えて20分で島に着く。その船の20分が、二人を除く全員を船酔いの症状に苦しめていた。船内はゾンビのように、うーと言う唸り声が漂う。

「今野、あと、どれぐらい?」たまらず慎一は聞く、

「さっき聞いたばっかだろ、あれからまだ5分も経てないから、まだ後15分と思っとけ。」

「うー」

「柴崎、後ろに行こう!波の筋が面白いよ。」

弱っている柴崎を腕をつかんで引っ張るニコ。

「・・・・・私、無理。」

「えー。皆、楽しもうって言ってたじゃん。」

「言ったけどな・・・うっぷ」

「あぁ、ニコちゃん・・・・船を降りるまで待ってもらえる?ヴっぐ」

ニコは不貞腐れて、また一人で船内をウロウロする。  

「今野・・帰りも、ごれ?うっ」

「そうだけど。」

「何だって、こんなショボイ船にすっ ヴんのよ!」

柴崎は今にも吐きそうに、それでも文句を言わずにはいられない模様。

「仕方ないだろう、ジェット汽船は向うのホテルの大口客で満員なんだ。それに、おやじのコネで安く出航してもらってんだから、ショボイとか言うなよ。」

「帰りも、ごれなんて絶対いや、帰りは私、ヘリを呼ぶわ!ホテルの屋上にヘリポートあったでしょう。」

「はぁ?あれは、緊急のドクターヘリ用だよ、一般人は使えない。」

「緊急よ、緊急、急患、ごんな・・・・ヴっ」

「うわー柴崎、ここで吐くな!海に吐け!」

限界に来た柴崎が慌てて船の縁へと行き顔を出す。

「柴崎ぃ~、後ろは、もっと面白いよ~、早く~。」

ニコが、船尾の方向から柴崎を呼ぶ。はしゃぐニコをクラスメート達が、驚いて振り返るが、船酔いで気力がなく首を回すだけ。

「いや、違うのよ、波を見てるんじゃなくて・・・・私、吐いて・・・・うっ。げほ」


ニコと今野以外、全員がフラフラになりながら、船を降りる。

ホテルの裏側、テニスコートとバスケットゴールがある施設の脇をゾンビのようによろよろと通り、ホテルの東側のコテージのあるキャンプ施設に到着する。

今野のお父さんが笑顔で出迎えてくれて、慎一たちは、引きつったあいさつをする。今野のお父さんは4つの部屋の鍵を息子に手渡すと、お昼ご飯はおにぎりをコテージ内に置いてあるから、ごゆっくりと言って、笑顔で去っていった。

「皆、適当に男女別で2つの部屋に分かれてくれ、それから前に言った通り、このキャンプは、クラス全員の親睦と思い出作りが目的だからな、基本、全員で同じ遊びをする。個別で、勝手に行動しないように。」

5組は男女ともに仲がいい、際立ってきつい奴がいない、今までで一番平和なクラスだと言っていい、だからこそ、夏休みに全員でキャンプしようという企画が持ち上がった。そして、誰一人欠けることなく、全員参加で決行できた。ニコもこのクラスのメンバーだからこそ、アルバイトをしてでも行く気持ちになった。

グレンと別れた後、キャンプなんて行かないと言い出すかとヒヤヒヤしたけど、そんな言葉もなく、1週間後には、無表情ながらも普通のニコに戻っていた。柴崎に、結構立ち直り早いなと言ったら、「日本に居ない男をいつまでも引きずって、どうすんのよ。そういうところは男の方が女々しいわよね。ダラダラと気持ちを、はっきり言わない、めんどくさい男もいるしね!」と脇腹を小突かれた。

これでも、はっきり言ったつもりなんだけどなぁ・・・・もっと、はっきりって、そんなの無理だ。外国人じゃあるまいし。

慎一は、ニコが空港でグレンと抱き合っている姿を思い出した。美男美女が抱き合い、フランス語で語り泣き、別れを惜しむそのシチュエーションは、映画のワンシーンの様だった。グレンのように他人の目を気にせず、態度も気持ちもオープンにする・・・・絶対に無理。ん?ニコは海外生活が長い。半分外国人みたいなもんだよな。という事は。ニコはやっぱり、ダイレクトに愛をささやくような、ああいうのが良いんだろうか・・・・いやいや、あんなの無理、無理。絶対、無理。

「それじゃ、今から、部屋に荷物を運んで、落ち着いたら、適当におにぎり食ってくれ。海は、明日な。今日は、晩御飯の準備も兼ねて、このキャンプ施設周辺で、テニスコートとバスケコート使っていいから。風呂はホテルの大浴場も使っていいと言われてるけれど、客室階には絶対に行くなよ。他の客に迷惑だからな。あとは、渡してあるしおりを見て、やってくれ。」

「はぁーい。」

学級委員である今野は、うまくこのクラスをまとめている。3年になって初めて同じクラスになった今野はバスケット部の部長もやっていて、生徒会召集のクラブ部長会議で一緒になるから、3年になってから話す機会の多くなった生徒。 

この仕切具合を見て、自分が1年の時にやった学級委員の駄目っぷりが改めて自覚され情けなくなった。

今野が、このリゾート施設を継ぐなら安泰だ。



「柴崎、テニスに行かないのか?」

「何故、リゾートに来て、テニスやんなくちゃいけないのよ。合宿じゃあるまいし」

幽霊部員となった柴崎は、夏休みは一度もテニス部に顔を出すことなく、合宿も行かなかった。9歳からやっているから、もう飽きたと全くやる気はないらしい。

「それより、ニコは?」

「お前と一緒に居てたんじゃないのか?」

「先に外に行くって飛び出して行ったの。合わなかった?」

「んにゃ?俺ら、今野に頼まれて、夕飯の食材運んでいたからなぁ。」

「コートの方に行っちゃったのかしら」

とあたりを見渡していたら、上から見覚えのある帽子が落ちてきた。3人で上を見上げる。

「ちょっ、ニコ!どこ登ってんのよ!」

「・・・・・・あぁ。逃げちゃった。」

ニコは、枝に足をかけて、更に上へ登ろうとしている所だった。

「ニコちゃん!危ないよ。」

「もう!大きい声出すから、逃げた。」

はぁ~、慎一は大きなため息吐いた。ニコと自分は今の慎一の家がある周辺の野原や田んぼを駆け回って遊んでいた。

それこそ、木登りや、夏はセミやトンボ、カエルを捕まえ、蟻の巣を見つけて観察したり。毎日泥だらけになって、遊んだ。

その整った顔と無表情さから、皆はあまり想像がつかないらしいけど、ニコは結構、野生児だ。

昔から木登りなんてお手の物、海外に住んでいた時は、栄治おじさんと休みの度に山や川へ出かけてキャンプしたり、結構サバイバルな遊びをしていた事も、ここに来る電車の中で聞いていた。ニコがまだ日本に居た頃、慎一も栄治おじさんに何度かキャンプに連れて行ってもらった記憶がある。

ニコは、セミを捕まえようとして木に登って、皆の声で逃げられたと木の上で怒っている。

ショートパンツにポロシャツのラフな恰好でいるニコは、ショートの髪とその身体の小ささで、こんな風に木に登っていたら、まるで小学生の男の子のようだ。慎一は足元に落ちたニコのキャップを拾って声をかける。

「皆、コートの方に行ったぞ。」

「・・・・・・こっちの方が面白いのに。」

「団体行動だからね。ニコちゃん」

「ん~仕方ない。どいて、そこ。」

と言うと、2メートルの高さぐらいから、スタッとジャンプで降りてきた。

「うわっ!危ないじゃないの!」と怒る柴崎

「だから、どいてって言った。」

「違うわよ、あんたの怪我を心配してんのよ!」

あぁ、何言っても無駄だ。育った環境が違い過ぎる。野生児とお嬢様、危機意識のレベルが違い過ぎる。

首をかしげるニコに、拾った帽子を被せた。

「柴崎、野生児に何を言っても無駄だ。ニコは怪我をするまで、やるからな。」

「フン、」

ニコは、ムッとして、テニスコートの方へ歩き出す。

駅前の公園で、気持ちをニコにぶつけて以来、ニコは、まともに慎一と目を合わそうとしない。いつも通り4人で一緒に居るのだけど、会話やその距離は微妙に開いていた。



『グレン、あいつの事を頼む、りのはお前と一緒なら笑顔で居られるんだ。』

『慎一、それ、無理。』

『え?』

『僕、フランス帰る。』

『そんなっ・・・・じゃ、ニっ、りのはどうなる!あいつは、グレンが好きで。グレンを失えば、また・・・・」

『また?』

『りのは大好きな父を亡くして、それで・・それだけが原因ではないけど、心が壊れて、笑顔をなくした。俺では、あの笑顔を取り戻す事は出来なかった。』

『慎一、試合終了か?』

グレンが、青色の瞳で見つめてくる。

『RINOの心に、ずっと大好きなシンチャン居る。フランスでもずっと、いた。 慎一が、試合終了すると、RINOはどうなる?』

『りのは・・・、俺をきらいだと。』

『慎一の好き、小さいか?』

『グレン。』

『RINO、一番に思う慎一、僕、好き。安心』

小さな神社前の階段で、グレンと、携帯電話のメール交換をした。時々、りのの様子を教えてくれと。 

グレンは、早速一枚の写真を送ってきてくれた。その写真は、おそらく、いつも遊んでいたバスケットゴールのある公園でニコを合わせて7人の仲間と一緒に笑うニコの写真だった。

言葉のわからない土地でもすぐに友達が出来るのに、どうして、帰国後の日本ではできなかった?

ニコのせいじゃない、出る杭は打たれる。日本は平均より秀でものは嫌われる。

ニコに日本は狭い。







ニコちゃんは、体いっぱい動かして遊んでいる。テニスやバスケットにクラス全員が楽しんだ。「合宿じゃあるまいし、何でテニスしないといけないのよ」とやる気のなかった柴崎も、ニコちゃんが無理やりコートに誘い出すと、その勝気な性格に火が付き、しまいには、二人で真剣に勝負をしていた。これで素人のニコちゃんに負けたら柴崎の立つ瀬がなかったけれど、一応、威厳は保たれた。

「お前、いっ時、焦っただろ。素人のニコちゃんに負けそうになって。」

「そんなことないよわよ。遊びなんだから。」

「ぷっ・・・・わかりやす。」

「もう、やめてよね。読むの。」

そう言いながらも、柴崎は、亮が本心を読むことに不思議と嫌悪は抱かない。どちらかと言うと、亮の特殊なこの能力は、自分の自己啓発には必要だと思っている。

「突っ立ってないで、そっちの段ボール、持って。」

日が暮れかけの頃から、晩御飯の準備を始める。今野と佐々木さんが作ったしおりには、丁寧に晩御飯の当番も振り分けられていて、本当に学校行事みたいだ。クラス36名の団体で行動するのだから、こういう事は、ちゃんとやっておかないと、不満や不公平が出ては、せっかくの親睦会と言う名目が意味をなくす。でもこのクラスは、誰かかがサボったからと言って、声高に指摘し争う姿勢を見せる者はいない。柴崎が、亮達4人を同じクラスになるように、学園経営者の娘と言う立場を利用して、不正と言うべき事をやったことは間違いない。このクラスにそうした穏やかな者達までも集めたのかと、亮は柴崎に聞いたことがある。流石に、そこまで出来ないわよ!と怒られた。4人以外は偶然の縁で同じになった中等部最後のクラスは、今まで経験してきた中で一番、亮にとっても居心地のいいクラスだった。

今日の晩御飯、キャンプの定番カレーを作る当番になっている柴崎に使われて、コテージからキッチン道具の入った食材を外に運ぶ。お嬢様は人を使うのがうまい。

「何これ。」

「ジャガイモ。」 

「ジャガイモはわかっている。なんだよ、この皮の向き方、もったいな過ぎるだろ。」

「仕方ないじゃない。ピーラーないんだから。包丁で皮を向くの難しいのよ。」

柴崎とニコちゃんを含む女性陣は、ピーラーがなくて、食材の皮を向くのに苦労していた。

うちの学園はお嬢様が多い、柴崎なんかは家に、住み込みのお手伝いさんと料理人がいるぐらいだ。皆、家庭で料理なんてしたことない子が多いのだろう。家庭実習でも、苦心している姿を見るが、ピーラーは家庭科室にあるし、班ごとの食材なんて量はしれている。

今日は一つの大鍋でカレーを36名分作るのだから、皮を向く食材も半端ない。

「ピーラーないだけで、これかよ・・・うわ、ニコっ危ないっ、そんな持ち方。」

やめておけばいいのに、新田がニコちゃんのやる事に口を出す。また始まるな、兄妹喧嘩が。

「・・・・・」

「ちょっと貸してみ。」

そう言ってニコちゃんから取り上げた包丁を使い、新田は鮮やかな手つきで、ジャガイモの皮をむいていく。

「わー、新田君、凄い。」 

「凄かないでしょう。これぐらいできないで将来みんな、どうすんの?」

「どうもしないわよ。お手伝いさんが作るんだから。」

「はぁー。柴崎は、それでいいかもしれないけどさぁ。一般人はそうは行かないだろ。ニコも、もうちょっと練習・・・・あれ?どこ行った?」

新田の言葉にかみつくかと思ったが、ニコちゃんは包丁を取られた時点で、すーとコテージの方に行ってしまっていた。

「拗ねて、あっちに。」

「はぁ~。」

「お前さ、自分が出来るからって、もどかしいの、わかるけどさ。もっと、こう見守れない?」

ニコちゃんが、微妙に新田を避けている。原因はグレンだろう。新田も、そのことに気づいているが、普段通りを貫いている。

新田はグレンと連絡を取り合っている。ライバルともいうべき相手と、どんなやり取りをしてそうなったのかは知らないけど、新田が今、亮でも判断しにくいニコちゃんの行動や気持ちに、動揺せず普段通りで居られるのは、グレンのバックアップがあっての事かもしれない。





慎一が、家庭科部の仁科さんと、大鍋の前で料理話に盛り上がっている。

慎一は、フランス料理店の息子、私がフィンランドに行ってから、店が忙しくて晩御飯の作れない啓子おばさんの代わりに晩御飯を作るようになったと言っていた。慎一の手料理は、啓子おばさんが作る料理と変わらずおいしい。手つきも鮮やかで、それを見たママは、「慎ちゃんモテるでしょう。料理が出来る男の子って人気あるからね」。と言った。

確かに、モテてる。さっきも私の包丁を奪った後は、クラスの女子が群がって、凄いとか、カッコいいとか言われて鼻の下伸ばしていた。別に嫉妬してるわけじゃない。あの得意げな顔に腹が立つだけ。昔から手先のいる事は、慎一に勝てなかった。折り紙も、お絵かきも、粘土も、工作も、楽器のピアニカも、それでいつも、私の不器用を笑うんだ。

「ニコちゃん、何やってるの?」藤木が寄ってくる

「焼きマシュマロ、おいしいよ。」

私は、さっきコテージに置いてある自分の荷物の中から、マシュマロを取ってきて、その辺に落ちている枝にさして、飯盒の火にあぶっていた。

キャンプと言えば、これ♪。パパとキャンプする時は定番のおやつだった。

焼くと香ばしくておいしい。鞄の空いた場所にいっぱい詰めて持ってきた。明日のバーベキューでしようかなと思っていたけど、鼻の下を伸ばした慎一にカレー当番を押しつけたから、暇になって出してきた。

「はい、食べて。」

藤木は、ちょっと躊躇しながら、マシュマロを口にし、顔をほころばせる。

「おいしい!へぇ~マシュマロ焼くと、こんなにおいしの?」

「うん。パパとよくやった。」    

「ニコちゃんのお父さんって、何でも出来る人だったんだね。」

「パパは、何でも知っていた。教えてくれた。何でも自由にさせてくれた。」

パパは私が疑問に思ったことは必ず答えてくれた。答えられない事は、一緒に調べようと言って、図書館に連れていってくれたり、ネットで調べたりして、そうして私は知識を増やした。木に登ったり、崖からジャンプして川に飛び込んだりする危険な遊びも、私が飽きるか怪我するまでやらせてくれて、絶対に怒ることはなかった。りのは女の子でしょ!と怒るのは決まってママで、パパはいつも私の味方でいて、りのは世界が遊び場だもんね。と口癖のように言っていた。

それなのに、私は、大好きなパパの手をふりはらった。大好きなパパを死に追いやった。

「ニコちゃん?」

「皆に配って来よっと。」

読まれたくない。私は焼けたマシュマロを数本持って、藤木のそばから離れた。

藤木がどこまで、人の本心を読み取るのか、わからない。パパが自殺したことは三人とも知っている。

だけどその自殺に追いやったのは私だという事を、慎一は、藤木は、柴崎は知っているのだろうか?

怖くて聞けなかった。

もし、知ったら、皆は・・・

もう、一人は怖い。


 


 

ニコは拗ねたまま、カレー作りに戻ってこない。マシュマロを飯盒の火であぶって、皆に配っている。ニコから包丁を奪った新田が結局、最後までカレーを作って、クラスの女子に囲まれて人気者になっていた。元々モテる容姿の新田が、さらに料理が得意となれば、女子はもうメロメロ。包丁さばきと手際の良さは、贔屓目なしで恰好よい。クラスの女子は目がハート。

新田はそれを狙うとかじゃなくて、素でやっちゃうもんだから厄介。新田は、一年の頃からモテていて、頻繁に告白されている。その相手とは一度も誰とも付き合うことなく断り続けていて。それを面倒だと言っているけど、そうやって誰とも一度も付き合わないからこそ、皆が我こそはと闘争心に火が付き、そのめんどくさいを引き寄せていると新田は気づかない。

「こ、今野君、あ網ない?」

「あみ?」

「む虫取り網」

「ちょっと・・・・。用意してないなぁ。」

今野がニコの要望に困惑している。ニコはここに来てから、少年の様だった。木に登ったり、虫を捕まえたり、野草を香辛料と言って、カレーに入れようとして、新田に阻止された。その新田曰く、小さいころから山を駆け回って遊んでいたから不思議ではないと言う。おまけに海外生活では、父親と山や川に休日の度に遊びに出かけて、サバイバルな遊びをしていたと、ニコ自身も懐かしんでいた。

グレンとの恋が終わってから、ニコはキャンプに行かないと言い出すんじゃないかと、ヒヤヒヤした麗香だったけど、そんな心配はなく、楽しみだと言った言葉に麗香は安堵した。ここへ来てからの、はしゃぎぶりを見てたらわかる。本当はあれが本来のニコなんだなぁと。4年前に父親を無くしてからいろんなことに我慢をしなくては、ならなくなった生活。どんなに辛い事だっただろうかと想像するのは簡単だけど、それを親身に感じることは麗香には難しかった。

「ざ、残念・・・・かカブトの木、み見つけたのに。」

「真辺さんって、こんなキャラだった?」と今野

英「届くとこに居たらいいのになぁ」

ニコが、今野のつぶやきも聞く耳持たずで、また林の中に入っていく。

「あっ、ちょっとニコ!もう、暗くなるから一人で行かないのよ!」

「いいよ、俺ついていくから。」藤木が後を追った。

新田は、ここに来てからはニコを野放しにしている。

普段、学園に居る時の心配性の新田とは思えない。木に登っても怒らないし、虫を捕まえて振り回しても何も言わない。

その目は幼き昔を懐かしんでいるようだった。

グレンの登場は新田にとっても失恋だった。私が、ちゃんと気持ちを伝えなさいと言ったからか、新田はニコに自分の気持ちをぶつけた。その言葉は、私からしてみれば、全然言ってない、回りくどい微妙な言い方をして、と思ったのだけど、新田にとっては精いっぱいの表現らしい。グレンの物言いは、はっきりしてた。ニコを可愛いとか、好きだとか、ニコもそれに、うっとり耳を傾けていた。だから、はっきり言うグレンに取られちゃうのよ。と新田に言いかけたけど、ニコに、嫌いだと言われて、落ち込んでいる新田に何も言えなかった。

ニコが、何を思い、何を貯め込み、何を吐き出せないでいるか、麗香はわからない。藤木ですら、ニコの本心を読むのは、まだまだ難しいという。ニコに何度か、新田の事をどう思っているのか?って聞いたことがある。

ニコはいつも首をかしげて、わからないと言う。そこに居るのが当たり前だった子供の頃と、同じようで、違う気もする。と。

海外に居た頃は会いたいとも思わなくて、日本に帰る時期が迫って、日本には慎ちゃんがいたと懐かしく思い出したという。

その後の帰国からこっちに来るまでの事は、絶対に話さない。私が知っているのは、ニコのお母様から聞いた事のみ。

ニコがひどいいじめを受け、大好きなパパを失い、日本語を話す声を失った。ニコのお母様から聞いた絶望の中、新田のサッカー推薦合格が、ニコのわずかに生きる希望になったのは間違いない。そこは簡単に想像できるのだけど、ニコの口からは聞いたことがない上に、あまりにも無表情すぎて、今一つ身の上話だと結びつかなかったりする。

特待生になってまで、新田を追いかけてきたのなら、もっとこう、新田を好きだという感情が、にじみ出てもよさそうなのに、

と、いつも麗香は不思議に思う。

   

        

     

「それから、夜な夜なあの崖から女の人の泣く声が聞こえて。着物姿の女の人が手をこっちこっちと手招き・・・・・」

「私は、きぃかぁなぁ~い~。すいへーりぃーべーぼくのふね。3.14153・・・」

「柴崎、うるさいよ。」

合宿や修学旅行と違って、引率の大人がいない今回の旅行。夜更かしをしても怒られない。

船酔いで昼ご飯を食べられなかった皆が、夕方4時ごろにはお腹が空いたと言い出して、早めにカレーを作り始めた。残っていた昼ご飯のおにぎりも、飯盒の火に鉄板を引いて焼きおにぎりにして食べた。7時には後片付けも終わって、皆コテージ前で、グループを作っておしゃべりを楽しんでいた。今野が、ダラダラしていても仕方ない、肝試しをしようと言い出し、今その前準備ともいうべき、怖い話をしていた所だ。

柴崎は、この手の話が大嫌いだと、手で耳を塞ぎ、自分の声で怖い話を聞こえないように、思いついたフレーズを適当に言っている。

「ニコちゃんは大丈夫なの?怖い話。」

「平気。もっと怖いのあるから。」

「へぇー何?もっと怖いのって。」

「言わない。」

だろうな。言うわけがない。藤木も苦笑してそれ以上は追及しない。

でもなんだろう、ニコがお化けより怖い物って。慎一は幼き頃の記憶をたどったけど、お化けも、宇宙人も皆と友達になりたいと笑っていた5才頃の記憶がよみがえっただけで、何も思いつかなかった。えりには、よく夜中に怖いから、お兄ちゃんトイレついてきて、と言って起こされたけど、ニコにはよく踏みつけられて起こされ、夜中のトイレには一人で行っていた。

男女ペアで、コテージ裏の小高い丘の上にある展望広場まで行く、というのが肝試しのコース。

文句なしのくじ引きでペアを決めると言って、作ったクジを、今野は、ビニール袋に入れて回る。

慎一は女子の学級委員、佐々木さんとペアになった。良かった。佐々木さんなら、変に気を遣わなくて済む。佐々木さんは女子バスケの部長。クラブ部長会議でハキハキと意見を言う佐々木さんは、さわやかな印象がある。今野と付き合っていると聞いていた。学級委員もバスケも一緒で、これだけ共通の話題があったら、そりゃ付き会うとか言う話になってもおかしくないよなと思った。それに二人は、お似合い・・・・あぁ、ちょっと残念、今野の方が背が低い。

「ちょっと、中島、あんたお化けとか幽霊とか妖怪を呼び寄せるとか、変な体質を持っていないでしょうね。」

「はぁー?そんなの知るかよ。」

何の因果か、去年の学級委員中島とペアになった柴崎は、お化け話の恐怖のあまり、変な逆切れをしている。が。中島も気の毒に、眉間に皺を寄せて柴崎を敬遠している。

藤木とペアになったのは小島さん、どこかの流派の茶道の家元の子だと聞いていて。その肩書きにあった日本的なおとなしい子。あまり大きな声を発しているのを見たことがない。ニコも学校では物静かだが、今日でその化けの皮がはがれた。夕方、ご飯前にセミとカマキリを素手で捕まえて喜んでいるニコの姿を、皆、唖然として、真辺さんって、あんな子だったの?と、ほぼ全員に聞かれた。小島さんの大和撫子は本物。ニコの学園でのおとなしさは、帰国後に被った防衛本能の生きる術だ。

聞かれたクラスメートには「そう、やっとかぶってた猫を脱いだみたいだ」と答えておいた。

そのニコは、今野とペアになったらしい。ちよっと安心する。さっきも二人で話をしていた。カブトムシの話題ってとこが、笑えるけど。

佐々木さんが、この旅行の実行委員であるから、肝試しの順番一番で展望へ向かわなければならない。先に行って、皆が来るの待ち、到着後の取りまとめ役をする。で今野とニコのペアが肝試し最後の順番、皆のスタートを取り仕切るのをやってから、自分たちが登る。何もかも、今野と佐々木の二人の実行委員は、気づかいも行動力もあって頼もしい。

「悪いな、今野とペアじゃなくて。」

歩き出してすぐに、沈黙に耐えられなくて、佐々木さんにそう切り出した。

「そんなことないわよ。皆の憧れの新田君とペアで私、うれしいわよ。」

「佐々木さん、今野と付き合ってるでしょう?」

「ダイレクトに言われると照れるわね。」

「ああ、ごめん。」

「新田君の方こそ、真辺さんと一緒じゃなくて、がっかりしてるんじゃないの?」

「いや別に。がっかりなんて、しないけど。」

「ふふ、あたしも同じ。こういうのって、また違うっていうのかな。今野とは何かと一緒に行動することが多くなって、付き合い始めたけど、何から何まで一緒に居たいとは思わないし、それやったら、息が詰まるわ。彼氏と憧れの人とは別っていうのかな。今野に憧れも駄目って束縛されたら私、速攻で別れるわね。」

「ははは、」

いや、今野は言わないと思う。そういう事を言う性格なら、こんな肝試しなんての、やろうって言わないだろうしな。

「だからっ、こうして、腕組んでもオッケーなのよ。新田君は憧れの人だから。」

と佐々木さんは腕を回してきた。うそっ!?佐々木さんって大胆。びっくりしてドキリとする。

「ええーっ!ちょっと!」

「新田君ってホント、モテる要素、満載よね。」

「えーいや、俺・・・・どこがモテる要素、満載なんだ?」

「そういう、自分で自分の魅力、わからない所がよ。」

からかわれてる?腕を組まれて並んで歩く佐々木さんは、目線が真横だ。やっぱ背が高いなぁ。いつも長い髪をポニーテールで結んでいて、首が長い。さわやかな横顔に慎一は照れ隠しに俯く。足元の懐中電灯に薄く照らされた地面に注意をしながら、しばらく無言で歩いた。

「ねぇ、新田君・・・・・真辺さんって・・・・。」

しばらくの沈黙を破ったのは佐々木さん、その先は言いにくそうに黙ってしまった。

「なに?」

「ごめん、こんなこと聞いたら失礼だとわかっているんだけど、ずっと、気になってて。」

「?」

「真辺さんって何かの病気なの?」

慎一は、驚いて真横にある佐々木んさんに顔を向けてしまった。はぁー、これじゃ答えを言ってるようなもんだ。

藤木にまた怒られる、お前は顔にすぐ出るから気を付けろと。

「どうして、そう思う?」

「身体小さいし、学校も休みの日が多いし。この間は長期で休んでいたし。」

長期で休んだのは、この間の発作の入院時。

「それに・・・・。新田君をはじめ、柴崎さんと藤木君、いつも真辺さんを守るように居るから。」

そうか、佐々木さんの目にはそんな風に見えていたのか。

「ごめん。あの・・・・もしかして、このキャンプも無理させるんじゃないかなって心配もあったの」

そう言うと、慎一の腕から手を離した。

「いや・・・・佐々木さん、ありがとう。気遣ってくれて。」

佐々木さんに、こういう指摘されたら、誤魔化しは逆効果だろうなと思った。

「詳しくは言えないけど、まぁ、ちょっと目を離せないというか・・・・。」

「そんなに悪いの?」

「いや、悪くない悪くない、そう言う目を離せないじゃなくて、んー、普通なんだけど・・・、ごめん、ちょっと言えない。でも大丈夫なんだ、本当に」

「そう・・・・。」

腑に落ちないような表情をする佐々木さん、そりゃそうだよな。

「俺は生まれた時から幼馴染で、今も真辺家とは家族ぐるみの付き合いしてるから、無茶するあいつをほっとけなくて

柴崎と藤木は、去年同じクラスで、たまたま事情を知ってしまったから、それで、どうしても俺たちは、ニコに構ってしまうと言うか・・・・」

「そっかぁ。」

「あー佐々木さん、この事は。」

「わかってるわよ、誰にも言わない。それでかぁ、新田君が真辺さんを見る目が普通じゃないの。」

「え?見る目が、普通じゃないって、そんなに違う?」

「うん、違うわよ。なんて言うか・・・・好きとか愛してるを超えて、うーん言葉がないのよね。しいて言うなら【愛おしい】が近いかな。」

愛おしい・・・・。どうだろう。ニコに対する気持ち。言葉に表現できない。ただ、去年の文化祭以来、ニコが死に誘われる声に半分耳を傾けている事を知って、怖くて怖くて。ニコを失いたくない、そればかりを気にしてきた。

ニコの気持ちを無視して、生きてほしいと願った慎一は、ただ気持ちを押し付けただけで何もできず。

だからニコは、慎一に嫌いだと言ってグレンを選んだ。








「ちょっと、先に行かないでよ、私、懐中電灯、持ってないんだから。」

「後ろついて来たら、特に要らないだろ。」

「だったら、もうちょっと私の事、気遣って、ゆっくり歩きなさいよ!」

「めんどくせぇな。」

「めんどくさいって!あんたね!」

「はぁ~。これだから、3次元の女は嫌なんだよ。」

「はぁ?」

麗香のペアの中島は、大きなため息をついて、本当に嫌そうに、やっと足元に懐中電灯の明かりを向けた。

中島は去年、麗香と学級委員をやっている。去年のクラスは男女ともに学級委員の立候補者が出なくて、中島はクジで決まった男子の実行委員だった。麗香は、実行委員を決める時、すでに生徒会に入っていて、他にしたい子がいるなら任せた方が良いと思っていた。だけど女子も誰もやりたがらなくて、松原芽衣の『麗香さんしか、する人いないよね』と言う太鼓持ちの声で、仕方なく兼任することとなった。中島は、全くやる気がなく、ほとんど私一人でクラスをまとめた。ただ一回だけ、文化祭の喫茶店はやたら、やる気を見せて、自分の趣味のメイド喫茶を成功させている。と言っても、成功の立役者は、はっきり言ってニコなんだけど。  

「あんまり、近寄んなよ。」

「近寄るなって!懐中電灯の明かりが、ここなんだから、仕方ないでしょう!私だって、あんたに近寄りたくないわ!」

「良かった、俺は二次元の女しか興味ない。」

「はぁ?」

全く、何なの!こいつ。二次元とか三次元って、こっちだって、あんたみたいな奴、嫌だし興味ないわ!

あぁ、貧乏くじ引いたなぁ。なんだってこんなカリカリしなきゃなんないのよ。こういう時、藤木だったら、何も言わずとも、足元に懐中電灯の光を当ててくれて、ゆっくり歩いてくれるのに、話す話題も困らないしさぁ。

藤木は、小島さんとペアになってたっけ。日本の茶道を代表する流派家元の娘さん、真の大和撫子、その名の通り、日本人形みたいで、おとなしい。あいつ、おとなしいタイプの子にモテるのよね。女にマメで優しい態度に、自分だけに優しくして貰えていると勘違いすんのよね。

この間も、排水溝の溝に鍵を落として困っていた1年生を見つけて、自分から、どうしたのって声かけて、重い排水溝の網を持てと、麗香に手伝わせた。後日その子からお礼としてスポーツタオルもらって喜んでいる藤木に、「馬鹿じゃないの」って貶した麗香に、「女の子には優しくって子供の頃から言われている」と藤木はニヤついて答えた。麗香は怒り心頭だ。(私だって女なのよ!)

あの本心を見抜く能力、あれが困っている子、特に女子には感度が良いみたいで、ほっとけないらしい。掃除のおばちゃんを助けて、脚立を支えている姿を見た時は驚いた、というか呆れた。その反面、男には厳しい。あいつの為にならないと言って、ギリまで助けない。藤木が男子を助ける時は、これ以上ほっといたら、自分に被害が及ぶと判断した時だけ。

それらを考えたら、藤木は結構なプレイボーイと言える。 

と色んなこと事を考えていたら、中島と距離が開いてしまっていた。

「ちょっと、待ちなさいよ!」

「はぁ~。だから、嫌なんだ。」

とまた、ぶつくさ言い始める。だから、こっちだって嫌だっつうの!

いいなぁ小島さんは、藤木と一緒で・・・・・・・ん?今、なんて思った?

いやいやいや、ちょっと待って。これは・・・・・あれよ。

ニコとグレンの恋愛を身近で見てしまったから、影響されて。

そう、ニコとグレンの恋愛模様は、もう日本じゃなかったもの。あそこだけ異国で、まるでフランスの恋愛映画のよう。

結構、衝撃が強かったのよね。

空港でグレンに縋り泣くニコを可愛そうと思う反面、いいなぁ、あんな恋愛してみたいって思った。

だからって・・・・これは、まずい!

手近の男で手を打とうなんて、絶対だめよ。ありえない。

藤木とは卒業まで、生徒会をやらなくちゃ、いけないんだし。

しっかりしろ麗香。恋に恋してどうする。





おとなしい小島さんは、歩幅小さく亮の後ろを黙ってついてくる。この子もあまり表情を動かないタイプの子だけど、ニコちゃんよりはある。そして、おとなしい分、本心は意外にはっきりとした意思を持っている。亮とペアとわかった瞬間の本心は、とても残念がっていた。

「大丈夫?もう少し、ゆっくり歩こうか?」

「ううん、大丈夫」

そう言った瞬間に小島さんは後悔をし、早く展望に着きたい一心で、自分を励ましていた。

亮は、体力に合わせて速度を落とした方が良いのか、それとも早く着きたい一心の気持ちに答えて、このままの速度で登り続けた方がいいのか迷う。黙っているのも気を遣う。何か話す事がないか、亮は考える。最近、柴崎とばかりいるから、亮はこの手のコミュニケーションに関して楽をしていた。柴崎とは気を遣うこともなく、話題は向うから次々に出てきて尽きる事がない。

小島さんを振り返り見る。小島さんは新田の事が、本気で好きだ。今回ペアになれなくて残念がっている。

「新田じゃなくて、残念だったね。」

「ど。どうして?」

あまりにも話題がないから、亮は口走ってしまった。

「あっ、ごめん。そうじゃないかなって思っただけで、気にしないで。」

小島さんは、動揺し警戒してわずかに距離を取る。小島さんは、自分が新田を本気で好きなことを、誰にも悟られずに心に抱いていた。それなのに、あまり接点のない亮に言い当てられては、驚き警戒もするだろう。

「ほら、さっきも、女子達皆、クジじゃなくて新田と行きたいとか、はしゃいでいたから、皆、新田の方が良いのかなって思って。」と、適当な言い訳。

「そ、そんな事ないよ。藤木君でもいいよ。」

〈でも〉って・・・・・苦笑するしかない。

「ははは、お世辞でも、うれしいよ。」

「・・・・・・」黙ってしまう小島さん

「上では星が、きれいに見えるって言ってたね。」

「うん。」

話が続かない。会話は互いの協力が必要だと亮は思う。

ニコちゃんも言葉は少ないけど、亮に気を許してくれてからは、こんなに気まずい雰囲気にはならなかった。ニコちゃんは知識欲が凄い。どんな話にも興味を持つし、自分が納得するまで知り得ないと気が済まない。

だから、亮が一方的にしゃべっていても、その目は聞きたい、知りたい、次は?、その先は?という意思を向けてくる。その要求の目だけはよくわかる。

やっと屋上に到着すると、小島さんは即座に亮から離れて、友達の所に走って行ってしまった。

空を見上げると、今野が言っていたように、神奈川では見られない星の瞬きが輝く。

亮の後から続々と別のペアが小径を上がってくる。いい雰囲気になっているペアもいて、企画は成功と言えるだろう。

そんな中、明らかに仲が悪くなっている二人が到着する。

「もう、最低よ中島、先に行くしさぁ。懐中電灯一人占めして、早くしろとか言うし。三次元の女は嫌だとかぁ、わけのわかんない事ぶつくさ言って・・・。」と柴崎の口から愚痴が満載に出で来る。亮は苦笑して、柴崎の愚痴を一通り聞いて慰める。中島は自他ともに認めるオタクだ。常翔には漫画研究部がない、だから、そっち系等に興味がある生徒は美術部に所属して、その手の絵を描くか、適当な所に入って幽霊部員をして帰宅部になるかのどっちらかだ。中島も美術部所属だが、一度も活動しないで幽霊部員になっている。中島は幼稚舎からのエスカレーター組で、柴崎とは学級委員をやったり、ハワイでのグルーブが同じだったりと何かと縁が蟻ながらも犬猿の仲である。

「だけど、お前、あんなに怖がってた怖い話、その中島のおかけで忘れられているじゃないか。」

「あーちよっと!思い出しちゃったじゃないのよ!」と、腕をさする柴崎。お嬢様は幽霊やお化けの話が苦手だ。

とその時、女の子の突然の悲鳴が下の方から木霊した。

柴崎は声にびっくりして、亮の腕をつかみ、身体を強張せる。

「なっ、なに・・・・」

「ちょっ、痛いよ。柴崎」

亮は、柴崎の腕をはぎ取り、小径の登り口まで覗きに行く。柴崎、中島ペアの順番が15番だった。あと残り3組のカップルが到着するのを待つという所である。新田と佐佐々木さんも亮の側に駆け付ける

16番目の二人組が到着。佐々木さんが、今の悲鳴は?と二人に聞く。

「俺たちじゃないよ」

「私達もびっくりして、後ろを振り返ったもの。」

あと二組、17番目のペアと最後の今野とニコちゃんペアが登ってくるのを待つのみ。

新田の携帯がなった。

この島は、元々、今野の実家が所有していた島。持っていた無人島全体をリゾート開発しないかと、商社から企画が持ち込まれた時、旅館をやっていた今野の実家が島の1/3は今野家所有のままでホテルを建設し、経営するという契約で開発を許したという。今野リゾートの反対側、この丘の反対側の残りの2/3は会員制のゴルフ場がメインの高級リゾート施設が広がる。そんなだから、都会の利便性は失わない、携帯電話の電波塔も設置されていてクリアにつながっていた。

「今野からだ。」そう言って新田は携帯をつなげる。嫌な予感がした。

「もしもし、・・・・・・・・・・はぁ?へび?・・・・・・うん・・・・・・・じゃ、さっきの悲鳴って。」

新田の顔がこわばるのを見て、ニコちゃん絡みだと亮は悟る。





「ひやぁっ!」

木の根に足を取られて、滑った。しりもちをつく前に、しゃがみ込んで地面に手をついて留まった。セーフ、転倒は防いだ。

手についた泥をはたいて、立ち上がる。ん?あれ?ここって展望の小道じゃ・・・ない。

「あれ?えーと、こ、今野、君?」

声に出して呼んでみたけど、虫の音と風が木々を揺らす音にすぐにかき消された。遠くで、ごぉーと耳鳴りのような音がする。耳を澄ませて、どちらから聞こえてくるかを見極めようとしたけれど、よくわからない。自身の身体をその場で回転させて、360度、視界と耳を向けると、同じ景色が周回して繋がり、それが1周なのか半周なのか、わからなくなった。

しまった・・・

自分がどっちの方向から来たのかわからなくなった。

嘘でしょう。私、迷った?


フィンランドでパパに連れて行ってもらった川遊び。川の渓谷に滑り台のような傾斜になっている大きな岩があって、そこを川の水と共に滑り下りるのが楽しくて、何度も岩の上まで登っては滑り、登っては滑りをしていた。だけど、子供の私は、その岩の上にたどり着くのに時間もかかるし、水遊びだから体力もすぐに消耗してしまう。それでも一瞬の岩すべりの楽しさを求めて、頑張って岩に手を伸ばし、上へと登った。パパは、こういう時、手助けをしてくれない。何をしても怒らない代わりに、何をするにも自分の力でしなければならない。自分で出来ない事、体力が尽きる事は、そこまでだって事。パパは岩の滑り降りる下の場所で、私がこの遊びを終わるまで、待っていてくれていた。6回目の岩登り、体力的には限界に近かった。だけどもっと遊びたい気力だけで、登っていた。ここにロープがあれば楽に登れるのに、そう思った時、目の前にちょうどいい感じでロープがあった。私の他にも家族連れが居て滑っているから。その人たちがロープを垂らしてくれたんだと、遠慮なくロープを手でつかんだ。掴んだロープは、どこにも繋がっていなくて、引っ張った腕は予想に反して空を泳いだ。その勢いに体のバランスを崩し、下に落ちそうになる。身体を強引に前倒し岩にへばりついて、滑落だけは防いだ。だけど両腕の肘をしたたかに岩にぶつけて痛みが走る。落ちなかった安堵に息を吐いた。危なかった。ほっとした時、手に握っていたロープが動き、右腕を這いながら登ってくる。

向かってくる赤い目。チョロチョロと出入りする先端の二手に分かれた細い舌。経験したことのない腕を這う感触。

恐怖で叫んだ。

次の日、私は熱を出して寝込んだ。見たくないのに、蛇の夢ばかり見て、私は蛇の呪いにかかったのかと思った。

あれ以来、蛇は、図鑑で写真を見るのも怖い物。


今野君は、この旅行の実行委員だから、肝試しの最後の順番になっていて、「やっとだね、お待たせ」と言って、展望に向かう小道に私たちは入った。

くじを引いたとき、しゃべったことない男子だったら、どうしよとドキドキしていた。今野君は、バスケ部の部長で、慎一と同じ部長という事もあって仲がいい、佐々木さんと学級委員でもあるから、二人で私に声をかけてくれたりして、クラスの中でも、話をする頻度のある男子だ。だから、今野君とペアとなって、よかったとほっとした。

それでも、二人っきりだと緊張する。今野君は「今日で、真辺さんのイメージ変わったよ。」とか、「フィンランドでオーロラ見た事あるの?」とか、話しかけてきてくれてはいたけれど、受け答えを満足に出来なくて、申し訳ないなと思っている時だった。

頭の上の木の枝が、がさっと音がした。地面を照らしていた懐中電灯の明かりの輪の中に、縞模様のソレが突然現れた。

足の先から頭まで、超高速のぞわぞわが駆け抜けた。私は無我夢中でその場を逃げた。

怖い、怖い。あれはお化けより、幽霊より宇宙人より、人より、ずっとずっと、怖い物。

縞模様のにょろっと長いアレ。その名前を、姿を想像するだけで、背中や腕がぞわっとする。世界で一番、怖くて嫌いなもの。


もう一度、今野君の名前を呼んでみた。すぐに声は木々の雑音に消される。

本当にどうしよう。

遭難!?

パパはなんて言ってたかな?

短いフィンランドの夏、森や川で遊んだ日々、パパは遊びだけじゃなく、薬草の知識や、星の知識、地層の知識、サバイバルの仕方、いろんなことを教えてくれた。

「山で遭難した時、どうしたらいいって言ってたっけ?」

記憶をフィンランドの森へとたどる。





今野からの電話は、ニコが蛇に驚いて、小道から外れて、南の方へ走って行ってしまったという。あまりにも突然の悲鳴に今野は驚いて追いかけるのに遅れた。それでもすぐに追いかけたけれど、ニコの足が速くて見失ってしまったという。あの悲鳴がニコのものだった事を知り、慎一は青ざめた。しかし冷静に考えて、走った事実、声が出ているという点で、発作じゃないと安堵した。

ニコの精神障害の発作、今まで入院を伴う大きなものが二回を慎一は見ている。いずれも悲鳴なしで息が出来なくなり、その場でうずくまり、焦点が合わなくなる。焦点の合わない目に何が映っているのかはわからない、ただいつもパパとつぶやく。だから、足が速くて追いつけなかったぐらいに早く走れているのは、意識ははっきりしている証拠だ、大丈夫だと自分に言い聞かせた。

今野は、電話口でしきりに謝り、そして、ニコを捜索する方法を的確に指示してきた。

「今、そばに藤木いるか?」

「あぁ、いる。」

「藤木が携帯を持ってたら、GPS立ち上げて、俺の居場所を検索しろと言って。」

慎一は言われた通り藤木に伝える。藤木は、即座にここの島の地図を表示して見せてくる。そして赤い丸印が今野だと説明した。

地図上ではこの展望から1キロ斜め下に今野がいる表示だ。

「男子でGPS機能が使える携帯を持っている奴に、真辺さんを探す協力を頼め。」

慎一は携帯を藤木に渡した。こういう戦略的な事は藤木に任せておいた方が早い。

今、展望で今野の到着を待っているクラスの男子は17人、その中で携帯を持って、ここに上がってきている者は15人。その中でGPSを起動でき、電池容量の余裕のある携帯を持っているのは、慎一を含めて、10人しか居なかった。

みんな、携帯を使い過ぎて電池に余裕がなかったり、GPS機能が使えない機種だったり、全て藤木がチェックして選別した。藤木は機械類や流行りもの好き、寮の部屋には、最新の物グッズ雑誌が積まれているらしい。 

慎一の携帯は、春に買い替えたばかりで、最新のものだった。えりが入学祝いに携帯を買ってもらう事を期に、それまでバラバラだったキャリアを家族全員で同じにしようと新田家で決まったものの、そういうことに詳しくない新田家、どうしていいかわからない事を藤木に相談すると、忙しい父に代わって購入の際に付き添ってくれる事になった。そんな中、藤木は新しくなった慎一の携帯を見て、自分も欲しくなったと言って、まだ1年も使っていない携帯を、あっさり買い変えた。柴崎に、もう少し下々の生活を知った方が良いとか言う藤木だか、庶民的にはあり得ない事を何の躊躇もなくやってしまう所が、柴崎に劣らず藤木も上流階級の子だなと慎一は思う。そう、藤木は博多の大地主及び現外務大臣の息子だ。

「みんな、ごめん、迷惑かけて」

「気にするな新田、真辺さんの為なら、俺たち朝まででも探すよ。」

「あぁ、あの真辺さんを見捨てたとなったら、クラスの恥だからな。」

「そうよ!あんた達!ニコを見つけるまで、戻ってくるんじゃないわよ!あと、ニコに何かあったら、あんた達、全員、退学処分だからね!気合い入れなさいよ!」柴崎は腰に手をやり、仁王立ちで慎一たち6人を叱咤する。さっきの悲鳴で怯えていた風体はどこへやら。退学処分・・・冗談だとわかっていても、こいつならマジでやりかねないと誰もが肩をすぼめる。

ニコを探す作戦と言うのは、ここ展望を頂点として南方向へ放射状にGPSを持った10人の男子が、等間隔で丘を降りて探すという単純なもの、今野の居場所から南へ方向へに歩けば、島の南端に出る。言うなれば、追い込み漁的にニコを探すという作戦。今野のいる場所から、およそ100~200メートル間隔保ちながら、6人が声を出して歩いていけば、ニコは誰かに遭遇するのではという観測。島の南端は崖になっていて、どこまでも続く森じゃない、崖にたどり着いた後は海沿いに西へと南下していけば、ホテルのプライベートビーチに、たどり着く。だから捜索的にはそれほど難しくはない、ニコ自身も、崖までたどり着いたとしたら、上へあがらず、コテージ方面へ戻る選択をするだろうという予測も踏まえていての作戦だった。

捜索に参加できない男子と女子は佐々木さんの誘導で、コテージに戻る。それもなるべくゆっくり、こちらも等間隔でニコが小道に戻る可能性を考慮して。そして、念のため展望には、野球部の田中と鈴木が残っていてくれる事になった。

「行くぞ」

「みんな、頼むな。」

藤木が作戦開始のコールをする。こういう時、冷静に頭がまわって、皆を動かす事が出来るのは藤木の方が優れている。慎一は藤木が居てくれてよかったと、心から敬愛する





     

「えーと、落ち着け。」

まずコンパスと地図で方角を特定・・・って持ってない。ない場合は、時計と太陽の位置で・・・って今は、夜。

えーと、夜は・・・・夜に遭難したら、どうするって言ってた?

蛇も怖いけど、ここに一人ってのも怖い。恐怖で頭が回らない。わざと声に出す。

英「落ち着け」露「落ちつけ」仏「落ち着け」

英「思い出せ~。」露「思い出せ~」仏「思い出せ~」

パパの言葉を思い出せ。夜になったら、どうしろって?

パパはなんて言ってた? 

『日が暮れてきたら、もう動かず、ビバークの準備をするんだよ』

ビバーク!そうだビバーク、体力温存のため、朝まで、大きな木の根本や岩の陰、洞窟などで露営する事。

周りを見る、背もたれに出来るような大きな木なんてない。岩もないし、洞窟もない。

「朝までビバークなんて絶対無理、ここにはアレがいる。」

そう思った時、後ろでガサっと草が揺れる音がした。

「ひっ!」

音の正体も確認せずに、とにかくまた走った。

走りながら、思い出した。「山で遭難したら下らず、登れ。」そうだ。登らなきゃ。

月明かりだけでは、先が下っているのか登りなのか、わからない。だから、足の感触だけで、登りを感じる方へ足を向けた。

だけど、すぐに走れなくなった。体力の限界。

英「疲れた・・・・」

今日は、朝の8時に慎一が家まで迎えに来た。昨日の晩は、久しぶりのキャンプがうれしくて中々寝付けなかったのに、6時の目覚まし時計より早く目が覚めた。まるで遠足前の小学生だなと思った。眠かったら電車の中で寝たらいいやと思ったけど、寝る暇もなく柴崎とおしゃべりして、あんなに小さな船に乗るのも初めてだったから面白くて。

ここに着いてからは、柴崎とテニスで勝負して、藤木と慎一とダブルスでも勝負して、1日中、走り回っていた。

立ち止って呼吸を整える。

最後にパパとキャンプをしたのは、フランスに移住する少し前、ジュニア4年の夏だから、今から5年も前。フランスでは、パパは仕事が忙しくてキャンプには行けなかった。私もグレンと遊んでいれば楽しかったから、行かなくても特に不満はなかった。

パパにいろんなこと教わったのに思い出せない。あの頃は、小さいテントは一人で張ることが出来たし、火も起こして、パパにコーヒーを入れてあげる事ぐらい出来ていた。擦り傷は、薬草を見つけて塗って治療したし。

足が重い。

喉が乾いた。

水もない。

そもそも、パパとキャンプしていた時のような荷物が今は全くない。ナイフもロープも、コンパスもない。時計すらもコテージに置いたリュックにつけたままだった。

足も登山靴じゃない、スニーカーだ。

「パパ、どうしたらいい?」

空を見上げたら木々の合間に、上限の月が小さく見えた。





「ニコー!」!

「真辺さーん。」

同時に、展望を降りていく10人は、それぞれ、ニコちゃんの名前を呼びながら、道なきところを下っていく。

携帯だけは絶対に落とすな、と、ストラップのついていない者の携帯は、女子のストラップを借りて、つけるよう指示した。ニコちゃんの捜索がどれぐらいかかるかわからないから、10人の携帯をすべて省電力モードに設定して、余計なアプリ機能はストップさせて電池を温存した。

今野曰く、朝まで見つからなくても、この島は狭いから、日が昇ったら、男子全員と、ホテルの従業員を何人か出して、この島の南東側を探せは見つかるだろう。という楽観的に構えていた。もしかして発作が起きいるかもしれないと思うと、そんな悠長な事は言ってられないと焦ったが、そのことを、ここで軽々しく口にするわけに行かない。ニコちゃんの病気は他言無用の秘密だ。

新田が意外にも、落ち着いている事に、亮は不思議に思い、皆に聞こえないように、理由を聞く。すると、発作ではないとと思うと持論を語る。どうにも、新田の落ち着きが心強い。ニコちゃんに関しては、どんなに亮が強がろうとも、赤子の頃からの幼馴染という木綱は超えられないのだから。

次第に、並び合っていた捜索隊の声が聞こえなくなって来た。遠くでゴォーと言う風と波が混じる音が聞こえる、それがかなりの騒音となって、亮の周囲を取り囲む。亮の呼び声は虚しく押しつぶされていく。

ここまで波と風の音が人の声を消してしまうとは思わなかった。

これじゃニコちゃんに声が届くかどうか怪しい。

懐中電灯の明かりも、闇に包まれて弱弱しい。

しかし、ニコちゃんの怖い物が蛇だったとは、意外だ。昼のニコちゃんの姿を見たら、蛇も捕まえて振り回しそうなのに。

こんな暗い森の中で、一人のニコちゃん、可愛そうに。

さぞかし心細いだろう。







   ・・・・・・ノ。

   ・・・・・リノ・・・イッ。

えっ?地鳴りのような音の合間に、はっきりと名を呼ぶ声が聞こえた。

   ・・・・・リノ・・・・・イッシヨ・・・・ニ。

パパ!

どこ?

周りを見渡しても誰もいない。

   リノ、イッシヨニ    

その声は、地鳴りの音にかき消されるように、小さくなっては大きくなりを繰り返し、次第に遠ざかっていく。

「パパ、待って!置いてかないで!」

声の聞こえる方へ、駆け出した。

パパが呼んでる






「ニコーぉ」

可能な限りの大声で呼んでも、すぐに海からの風や、波の地鳴りのようなゴォーと言う音に吸い込まれていく。

懐中電灯を時々振り回し、どうか、ニコがこの光ら気づいてくれるように願った。その明かりも闇に吸い込まれて頼りない。数メートルのすぐそばしか、光の威力は無いように思えた。

随分下った。慎一はGPSで現在の位置を確認する。赤い点が今野の居場所、今野はニコを見失った方向へまっすぐ進んで、海岸線にたどり着いている。この時点でまだ電話連絡がないという事は、海側に出てもニコは見つからなかったという事。

慎一の現在地は、今野より100メートルほど、北西の位置のまだ森の中腹、今野以外の者の場所はわからない、だけど慎一の位置を藤木が確認して動いて、更に橋本が藤木の位置を確認してと繋いだ追い込み作戦しているから、おおよその範囲は網羅出来ているはず。

ニコは懐中電灯も持たず、携帯もなしで、暗闇で大丈夫だろうか?蛇に驚いて逃げた時は発作を起こしてなくても、途中で起こしていると言う可能性はある。何に反応するか、精神科医すらもわからない。

駄目だ、悪い方に考えるのはよそう。

「ニコは大丈夫だ。」わざと声に出して言う。

ニコはいつだって必ず戻ってくる。大丈夫。空を見上げると欠けた月が小さくぼやけて見える。

携帯の地図をもう一度見る。赤い点がさっきとは違う場所を示している。今野は海岸線を下ってコテージの方へ向かって歩き始めた。

ふと、地図にある、海岸線の窪地が妙に気になった。直線距離でおよそ、500メートルだが、慎一が捜索コースとして決められた線よりちょっと外れた地図の上に当たる。そこは、藤木が海岸線に辿りついたら降りてくる場所だから、慎一がわざわざ登らなくても捜索の範囲に漏れはしない。だけど、そこがとても気になる。

そこに行けば、ニコに合える。

2年前、慎一が展望公園の丘へと走った時の感覚に似ていた。

そこに居るとは限らない、だけど必ずそこに居る確信。

慎一は、そばにあった木の枝をよけて、駆け出した。

木々の枝をよけ、足元のシダをかき分けた。島特有なのか、生い茂る木々は、どれも細い物ばかり、だから余計に枝葉はしなって、慎一の走りを邪魔をする。そうして次第に、地鳴りのゴォーという音が、大きくなり、視界が広がったところで波のザッザーという音に変わった。

足元の崖下は白いしぶきをあげた波が打ち寄せ、その振動は塩の香りを巻き上げていた。

境界線のない空か海かわからない鈍い紺色が広がっていて、風は波の音と共に、生暖かい空気を顔にぶつけてくる。

視界の左端に人の気配に慎一は凝視する。

いた!ニコだ。

だけど、立つその場所に血の気が引いた。

ニコは、崖のぎりぎりの所に立っていた。

慎一は叫んだ。その声は波が打ち寄せてあげる衝撃音でかき消される。

「ニコ!」

ニコは振り向かない。

距離にして、6、7mほど、ニコは、海に向かって手をゆっくり前に伸ばすと、足も一歩、踏み出した。





リノ、イッショニ、オイデ

「パパ、待って、怖い、蛇がいる。足元にいっぱい。これ以上、いけないの。」

リノ、ソノテヲ・・・・・・

「パパ、手が届かない。待って・・・・置いてかないで。」

リノ、イッショニ・・・・・。

「待って、パパ、一緒に行くから」

・・・・・・リ・・・ノ

「・・・・・ニ・・コ・・・・」

・・・・・・リノ・・・・・イッショ・・・ニ

「ニコ!」

・・・・・シノウ

「危ない!」

生ぬるい風が顔を叩くように抜けていく。

目の前には、どんよりと重い灰色が広がっていた。

聞こえるのは海と風の唸り。私は尻もちをついている。

左腕が痛い。誰かが私の腕を引っ張っている。

「何してんだ!危ないだろう!」見上げると怒った顔の慎一

「え?慎一?」慎一の手に引っ張られて立ち上がる。「パパは?」

「パパ?」

訝しむ慎一に、言ってはいけなかった単語だったと口を噤む。

「ううん、蛇が、蛇が怖いるの」

「もう大丈夫、蛇は、ここにはいないよ」一変して優しく微笑んだ慎一の視線から、私はそらした。

海へともう一度視線を戻す。

海と空との境界線はあいまい、そのあいまいさは、私の記憶と同じ。

過去か?現在か?

境界線が、はっきりしない記憶。

りのと呼ぶパパの声は、過去からの物であって現在でもある。

確かに、聞こえていた。この崖の向うから。

パパは、私を許さない。

その手を振り払り、逃げようした私を。

パパだけが、今の私を求めている。イッショニと。

また、行けなかったのか。

あの手を掴もうとすると聞こえる声、

ニコと呼ぶ、慎一の声。

パパの手をつかもうとするりの。

慎一の声に手を伸ばすニコ。

私は・・・・

どっち?

ちゃんとソノテヲフリハラわず、掴むのは、

過去?現在?


   リノ、イッショニ、オイデ、ソノテヲ・・・・・・








慎一は、今野と藤木に見つけたと電話で報告をした。その電話の合間にも、ニコから目を放さず様子を窺っていた。

特におかしいという事はなく、ニコは海を眺めている。

ニコの捜索は終了し、全員はコテージに帰る。慎一たちはここから海沿いを下ってホテル前のビーチを目指す。

「ニコ、コテージに戻ろう。」

崖の下を覗き込もうとしたニコをその場から引き離し、ニコの手を掴んで歩き出した。だけど握った慎一の手から逃れるようと、ニコはもがいた。  

「離して。歩ける一人で。」

「ごめん。」

手を繋ぐのもイヤなぐらいに、嫌いになったか。と慎一の心はぎゅーと痛んだ。

波の音を聞きながら、慎一はずっと考えながら歩いた。

あれから、ずっと考えてきていた事、何がいけなかったのか?。

人の為を思うのは簡単、だけどそれを言動にするのは難しい。

考え無しに思いのまま行動してきたわけじゃない。

思いと現実に思考しすぎて、何もできなかった。何もしなかった慎一に、きっとニコは怒っている。

「慎一・・・」ニコは立ち止まり、俯いてまごついていた。

「疲れたか?」首を横に振るニコ。慎一は数歩後戻りをして、ニコの顔をのぞきこむ。

「ごめんなさい。」

「いいよ。蛇が上から降ってきたら、誰だってびっくりして」

「違う・・・」

「え?」

「それも謝る事だけど、もっと根本的に謝らなければならない」

「根本的?」ニコは、肩で息を吸い込むと、意気込む様に話し始める。「慎一を追いかけて、学園に入ってしまった事、慎一に迷惑ばかりかけて」

「そんなこと」慎一の否定も聞こえないように言葉は続く

「慎一は優しいから、私を捨てられない。もう、いいよ。幼馴染はやめて、私の事は捨てて。」

きらいだと言われた事より、ショックだった。柴崎に言われたように慎一は覚悟をした。自分を必要とせず、グレンを選ぶニコを。そして、この先、ニコが選んだすべての事に納得して許せる自分になろうと。ニコが自分だけの特別にはならなくても、その根底には、自分たちが双子のように育った幼馴染という揺るがない特別がある。それは、絶対になくならない。それだけは慎一とニコの共通の納得だ。

なのに・・・

ニコは、それを捨ててと言う。

「それ本気?」

俯いたままの顔を更に地面へと落とした動きが、うんと返事しているように慎一には見えた。      

「そんなにイヤか、俺が。俺と幼馴染であった事が。」慎一は思わず大きな声で叫んでいた。ニコが顔を上げる。

「ちがっ!違う!嫌じゃない!」ニコが大きく首を振る。「そうじゃない、ちがう!」ニコが唇を噛む。気持ちをうまく日本語に表せられないもどかしさに、苦悩しているのを見て、慎一は、しまったと反省する。

「私と幼馴染だった事が、慎一の足かせになっている。それさえなければ、慎一はもっと自由に彼女も作れて、サッカーにも集中できる。未来も考えずに追いかけて、学園に入学した事・・・私・・・ずっと・・・」

ニコの目から大粒の涙がこぼれた。

「今まで、一度も迷惑なんて思った事ないよ。俺は、ニコが常翔学園の特待に合格したと聞いた時うれしかった。誇らしかったよ。また昔のように一緒に生活できると楽しみにしていた。」

「でも、私は、む昔のニコじゃない。」

「そうだな。違っていた。最初は戸惑ったよ。どう声かけていいかわからないし。ニコは俺と目を合わさなかったし。それでも、ニコが同じ学校に居る事、クラスに居る事が、うれしかった。」

「慎ちゃん。」

入学当初は、同じ学校に、クラスにニコがいるという事実がうれしかった。その顔が昔と違って笑わなくても、そこに居る事が慎一の安心だった。ニコが居ないと泣いた幼き頃の絶望よりずっと幸せな事だったのに、いつしか欲張って、ニコの笑顔が見たいと思うようになった。それが、ニコにとって難しい事だと知らずに。

「ごめんな。俺は、グレンのようにニコを癒す言葉を持っていない。藤木のようにニコの気持ちを悟る目を持っていない。柴崎のようにニコを楽にしてやる力もない。謝らなければならないのは、俺の方だ。何もできないくせに、色んなことに欲張って、求めた。窮屈な思いをさせたよな。」





「ちがう・・・・違う・・・・私の方が・・・」

欲張りなのはりのの方だ。慎ちゃんからは、十分すぎるほどの安心を貰っているのに、その安心に満足することなく自分の欲望を抑え込むどころか、慎ちゃんにその不満をぶつけ、グレンを求めた。最低だ。こんな最低なりのを、まだ捨てずにいてくれる慎ちゃんに、りのは嫌いだと言った。

「ごめんなさい。嫌いだと言って。ごめんなさい。」

慎ちゃんを傷つけた罪へのごめんなさいは、何度、言ったら許してもらえる?

「謝らなくていいよ。俺たちは、いつも、ごめんなさいなくても仲直りできていた。」

「ごめんなさい」がなくても数時間後には、普通に遊んでいた。あの頃と同じに優しい微笑みの慎ちゃんは、私の頭をポンポンとする。

『ニコ、ちゃんと傷の手当しないと駄目だよ。』

『ニコが痛くなくても、僕が痛いよ。』

幼稚園でガキ大将と喧嘩した時も慎ちゃんは、そう言って頭をポンポンしてくれた。

慎ちゃんの手が、いつも私を安心させてくれた。虹玉を探して迷って不安だった時も、慎ちゃんと手を繋いでいたから、泣かずに歩けた。

「ごめんなさい。」

ソノテヲフリハラったりのは、ごめんなさいを言う言葉を封じられた。

だからパパはりのを許さない。

でも、あの時のように、迎えが来るのを待つ間、誰かの手を握ることを許されるのなら、

私は、慎ちゃんの手を選ぶ。





ニコは、詰まる言葉で、ずっとごめんなさいを繰り返し泣いている。

ごめんなさいを言わなくても仲直りできたあの頃は、喧嘩しても不安じゃなかった。必ず、またその笑顔があるのが当たり前で、失う事がどんな事か知らなかった。

今は、どんなに大丈夫だと言っても、ニコがまた、どこかへ行ってしまうのではないかと、不安でたまらない。

こうして、腕を回して捕まえていても、その細さに小ささに、空を切って消滅してしまうのではないかと錯覚する。

ニコが泣く時しか、このやわらかい髪を触れることが出来ない。さらさらの髪の中に、虚しさが流れ落ちるようだ。

愛おしいと、不安と、虚しいが混じる仲直り。

どんなに喧嘩しても数時間後には笑って、次の遊びをしていたあの頃の単純な心では、なくなった二人。

それでもやっぱり幼馴染という繋がりは捨てたくない。

きっと、また昔のように心から笑える日が来ると思いたい。

それは欲張りの希望。

次第に落ち着きを取り戻し、ニコは顔を上げる。

「行こう、皆が待ってる。」

差し出した慎一の手を、ニコは握る。

慎一が出来ることは、この手を離さない事。

迷子になって離さないでいた、あの頃のように。








かわいい。

私に妹や弟はいないけど、もし、居たらこんな感じなんだろうなぁと、ニコの寝顔を見ながら麗香は思う。

静かな寝息をたてているニコの寝顔。そこには、特待の苦悩や精神的苦痛は何もない、きれいな素顔。

麗香は音をたてないようにそっと、部屋を出た。一階に降りる。クラスメートたちは既に水着に着替えて、海水浴の準備万端だった。「柴崎さん、じゃ私達、先に出るね。」

「うん、行ってらっしゃい。」

「ごめんね。」

「いいの、ニコが起きたら、私達もすぐ行くから」

同室のクラスメートをそう言って玄関で送り出す。

昨日、ニコが見つかったと連絡があった時、心からほっとした。クラスの皆で手を取り合って喜んだ。

新田と手を繋いで帰って来たニコは、少し疲れた様子だったけど、どこも怪我なく、発作もない事に安堵した。

そして、二人の微妙に開いていた距離が、縮まっていたことに藤木と顔を見合わせて、ほほえんだ。

ニコは、疲れた身体を休むことなく、皆に謝ってくるとコテージを回ろうとするから、「明日にすれば?」という意見は、やっぱり聞き入れることなく、一人一人全員を捕まえて謝った。麗香と新田は、謝るニコに一緒について回ろうとしたら、藤木に止められた。

新田には、「女子に印象悪いからやめとけ」と、そして麗香には、「お前の存在が謝罪じゃなくなるからやめとけ」と。

どういう意味よ!と怒った麗香だったけど、藤木の言う事だから、不満を残しつつも我慢して従った。

その後、ニコが、コテージのシャワーを使って、一息ついたのは、もう12時に近かった。

ベッドに横になるとニコは、直ぐに寝息をたてて、眠りについた。

「まだ寝てるのか?ニコは。」

新田と藤木が、水着姿で、麗香達のコテージに迎えに来た。

今は8時50分。しおりでは、8時に朝食、9時から海で遊ぶという予定になっていた。麗香は7時の目覚ましのアラームを鳴らさず止め、ぐっすり寝ているニコを起こさず、今野と佐々木さんにメールを送っていた。ニコを存分に寝かせてあげて、と。

「うん、よっぽど疲れたみたいね。」

「そりゃそうだよ。昨日のダブルスも全力だったからな。」

「寝れてるのなら、安心。」と新田

ニコは、父親を亡くしてから、精神安定剤兼睡眠薬を飲む生活を続けていた。最近は、なるべく飲まないようにしているらしいけど、まだ、時々辛そうにしている時があって、そんな時でも麗香たちは何もできない。

「先に行ってていいわよ。私、ここの鍵も預かってて、ニコが起きるの待ってるし。」

「いや、別に・・・なぁ。」

「あぁ、ニコちゃんほってまで、海で遊びたいってほど子供じゃないしなぁ。」

「プっ、子供じゃないって、昨日、ニコの虫取りに付き合って木に登ってたの誰よ。」

「いや、あれは、ニコちゃんがカブト虫いるかもっていうから。カブトは子供も大人も関係なしの男のロマンだぜ、なぁ新田。」

「野生児のニコと一緒に木に登れるのは、立派に子供だと思うな。」

コテージ内の二階から、ドタドタとバタンという振動が伝わって来た。

「あっ、起きたみたい。・・・・・おはよう、ニコ」

「何故、起こしてくれない!」

「貴重な睡眠を邪魔しちゃダメかなって思って。」

「海の方が大事だ!」

「こら!ニコ、柴崎はお前をの事を思って・・・」

叱った新田の言葉を全く聞いてないニコは、部屋をキョロキョロと見渡して言う

「あれ、皆は?」

「先に行ってもらったわよ。」

「えー、は、早く。水着、着替えなきゃ。」

「あー駄目よ。ちゃんと朝ご飯食べなきゃ。」

結局、こんな時も新田に食事の監視を強いられて、早く海に行きたくてウズウズしているニコは、ムスッとしながらサンドイッチをチマチマ食べる。

目を離すと食事を抜こうとするニコ、プリン以外の食べ物は食べる気にならないという、その体は小さく、入学当初から身長も伸びていないようだった。ニコと友達になって1年、私は、早くにニコを親友だと思っていたけれど、ニコが私を親友だと思ってくれているかはわからない、それぐらいニコは自分の事を話さない。そんなニコが、修学旅行で私に語る自分の事、私を親友だと認めてくれたんだとうれしく思った反面、その悩みがあまりにも衝撃的で。

『まだ初潮が来てない。パパを亡くしてから、飲み続けていた薬の影響で、味覚もおかしいし、成長も止まってしまった。』

と、ニコは無表情に語った。

ニコの過去は、睡眠を奪い、味覚を奪い、身体の成長も奪ってしまった。新田じゃないけど、その小さい身体を心を心配して、つい、食べろと言ってしまう。食べる気にならない物を無理やり食べさせるのは、可愛そうだけど、海水浴は体力を奪う。今日も1日中遊びは続く。

結局ニコと一緒に海に出れたのは10時近くになっていた。

「やっと眠り姫のお目覚めだね。」

「海!」

ビーチで私達の到着を待っていた今野が出迎えるも、悲しいかな、そんな善意もニコには眼中になく、素通りして走っていく。

「あれの、どこが姫だよ。」

「元気そうで良かった。あっ!」

「また、こけた・・・・元気出し過ぎだよニコちゃん。」

走って行った砂浜で、ニコはこけたまま起き上がろうとしない。

「えっ?やだ、起きないわよ。ニコ、どうして」

駆け寄ろうとしたら、溜息と共に新田に止められた。     

「カニかなんかの穴でも見つけたんだろう。で、なんだこれは、掘ってみよう。おかしいなぁ。何にもないなぁって、はっと気づく、海!海に行かなきゃ。」

新田のアフレコ通りの行動をニコがして、また海に向かって走って行く。

「お前、凄いな。」

「野生児のニコの行動なら、お前より読めるさ。」

「だけどさぁ・・・ニコちゃんの水着姿、初めて見たけど、ちょっとなんだな。細すぎるっていうか。」

「あぁ、あれじゃ、小学生料金で電車、乗れるな。」と今野までも言う。

「顔と身体がアンバランスなのよね。」

「そこがいいんだよ!」急に現れた中島の声に、皆して驚く。

「奇跡だ。リアル二次元!」

「はぁ?」

「アニメ界の神が作りたもうた奇跡のアイドルだ!。」

「ちよっと中島、あんた女に興味なかったんじゃないの?」

「真辺さんは別格だ。去年のメイド服も良かったけど、あの水着姿も最高!ここまでリアルに2次元を再現できる子なんて、そうそういないよ。写真、写真と。」そう言ってスマホ片手に海へ向かう中島に皆が唖然とする。

そして、麗香は「はっ」と、気づく。

「ちょっと!みんなっ!中島に写真取らせたら駄目よ。携帯取り上げて!」

「え?あっ、そうかっ!」藤木が駆けだして中島の手から携帯を取り上げる。

「うわ、何するんだ!やめろ。それには大事な。」

大人になれないニコを、オタクが認めるなんて・・・・

あぁ、どこまでニコは不憫なの。





ニコちゃんは海で泳ぐのは久しぶりと、ずっと楽しみにしていた通り、クラスの誰よりも楽しそうにビーチと海を駆け回っていた。

亮はバーベキューの準備で火を起こしていた。学級委員の今野は、寮仲間である亮に、色んな当番を押し付けてきていた。

「柴崎、お前、ニコちゃんと遊んでやれよ。」ニコちゃんは、今、一人で砂浜の生き物を観察して遊んでいる。

「嫌よ。小学生のニコに付き合っていたら、日焼けで真っ黒になっちゃう。」 

今日の為に買ったという柴崎の水着は、とても海水浴を楽しむような物ではなく、このリゾートをおしゃれ感覚で味わうだけのような、チューブトップと長いパレオ。を優雅に着こなして、パラソルから出ようとしない。ロングビーチチェアーとトロピカルなジュースでもあれば、ここはお嬢様御用達の海外リゾートと見えなくもないが、残念ながら、あるのは小さなパラソルとペットボトルのジュース。パラソルも、食材が痛まないように今野が用意したものを無理やり奪って一人占めしている。

「お前、薄情だなぁ~。」

「藤木だって、ニコの生き物質問に、うんざりして、逃げてきたくせに。」

「俺らは、バーベキューの当番だからだ。なぁ、新田。」

「あぁ。」

新田ですらも、付き合いきれないと嘆いていたのには笑った。新田は、バーベキュー用の食材を手際よく5つのコンロ分に振り分けている。

生き物観察に飽きたのか、ニコちゃんは亮たちが作業している所に来て、何かを探し始めた。    

「ニコちゃん、おかえり。ジュースなら、クーラーボックスに冷たいのあるよ。」

「違う。ないかなぁ。」

「何を探してるんだ?」新田も、ニコちゃんに声をかけたが、無視して、柴崎の所へ行く。

「柴崎、あっち行かない?」

「あっち?」

ニコちゃんが指さす方へ振り向く、ホテルがあるだけ、面白い遊び場があるわけでもなく

「うん、売店行きたい、ついてきて。」

「・・・・・ニコ、プリンは我慢しなさい。それに、ホテルに入ったら駄目だと言われてるでしょう。」

「このくそ暑いのに、プリンって馬鹿か!」また、よせば良いのに、頭ごなしに怒る新田。

「慎一には言ってない!」

「この距離、十分に聞こえる!」

「あー、何で、プリン用意してないの!」

「用意してる方が、おかしいだろ!」

「真辺さんプリン食べたいの?僕が買ってきてあげるよ。」またもや突然現れる中島の余計なアプローチ。

「ほ、ほんとぉ♪」  

「こらープリンで靡くな!」

「そうよ。中島に釣られるんじゃないわよ。」

「ニコちゃん前にも言ったでしょ、プリンあげるからって、知らない人についていっちゃ駄目だって。」

「な中島君は、し知らない、ひ人じゃない。」

「もっとタチ悪いのよ!目を覚ましなさい!」

「うっせーな、柴崎。だから三次元の女は嫌なんだよ。」

「うっせーって!」

柴崎は目をむいて怒る。その本心に殺意に近い感情が沸き起こる、学園の暴君的な存在だった頃の柴崎。

「柴崎!親睦会だぞ、分かってるな。」柴崎は亮の言葉に、冷静に心を落ち着かせる。柴崎は、ちゃんと自分の悪い所を認めて反省の出来る人間、だから亮は、この、人の本心を読み取る力をセーブせずに柴崎をサポートすることが出来ていた。

「柴崎、お前の反省の仕方、面白いな。」

腹を抱えて笑ったら、誰もこの状況を理解できなくて、不思議そうに首を傾けられた。

    





「花火やるぞー」という、今野の掛け声のもと、クラス全員が砂浜に集まる。理事長からの差し入れとして、宅配便で大きな段ボールいっぱいの花火が届いていた。流石は柴崎の父親、その量は半端ない。36名が笑顔になるには十分な量だ

昼間のジリジリとした熱さはなく、海風も出て来て、肌に心地よい。

「花火、初めて。」とニコは段ボールを興味津々に覗く。

「え?やったとことなかった?」

「うん。花火を見に行った記憶はある。やった事はない」

花火大会の帰りにえりが「もう歩けない」とわがままを言って大変だった。慎一の家は夜が忙しいフランス料理店だから、花火は近所の友達の家族に呼ばれてさせてもらった記憶したかない。

ニコは、花火を手にしないで、皆が手に持って火をつける様子をずっと見ている。

「やらないのか?」

「色、変わる。という事は・・・」

「ほら、火をつけてやるから。持ってみ。」

慎一はニコに一本の花火を手渡し、チャッカマンで火をつけてやる。花火の先に火が移ったものの、火薬には着火しないでその火はすぐに消えた。

「ん?出てこない」先端を覗こうとするニコののを慌てて、降ろさせる。

「馬鹿っのぞくな!危ない!」

薬草の知識とか、キャンプの知識とか、オーロラを見たとか、普通では中々できない経験をしてるのに、花火の遊び方を知らないとか、一般レベルの日本の事を知らないニコは、何しでかすかわからない。

やっと着火した花火に、じっと見入るニコ。

チャッカマンを持っている慎一に、こっちの花火もつけてと頼まれる。置き型の花火に着火しようとする慎一にニコはついてくる。

「これは?」

「覗くなよ。危ないから離れて。」

火をつけると、勢いよく火薬の花が咲く。赤や青、黄色に変化し、手に持つ花火より大きい。そのきれいさに、女子たちはわぁーと歓声が上がる。ニコは、無表情にそれを見つめ、今一つ楽しんでいるか楽しんでいないのか、わからない。

後ろで、ヒュ~~パンという、打ち上げ花火の音がして、振り返る

男子は、打ち上げ物系の花火で派手に遊んでいる。

ニコが、派手な花火をしている男子の方へと走って行ってしまった。

「今回、このキャンプ企画して正解だったわ。」ニコが走り去る姿を振り返りつつ佐々木さんが慎一に話しかけてくる。「特に真辺さん、昨日の彼女には驚いた。」

「心配かけて悪かったな。」

「ううん、そのことじゃないの。私ね、谷口と小学校が同じの友達だったの。」

谷口・・・・・慎一とニコが1年1組の時に同じクラスだった。ニコに、酷くきつい態度で、何かと特待生は優遇されていると言い、体育祭をさぼり、すべてをニコに押しつけた。

「1年の頃、谷口の愚痴を色々聞かされていたわ。真辺さんの、あの無表情がむかつくって。馬鹿にされてるみたいだって。私は、真辺さんとそれほど接点がなかったら、谷口程、真辺さんに嫌悪は感じなかったけど、」

慎一は、女子達にチャッカマンを要求されるままに火をつけながら、黙って佐々木さんの話に耳を傾けた。

「だけど、人を避けるように廊下を歩く真辺さんを見る度に、特待を受けてまで何が楽しみで、この学園に来たのだろうって不思議に思っていた。やっぱり特別に頭のいい人は、私達普通の人間とは接したくないのかしらとか、人種が違うのかなって。」

「ニコは・・・・」

「まぁ、後で、新田君が幼馴染だと聞いて、追いかけて来たんだなってわかって納得したけど。谷口はその事にショックを受けててね、あの当時、騙されたとか、酷い言いようだったわ。」

佐々木さんに顔を向けたら、冷やかし半分の微笑みを向けてきた。

「いや、俺はちゃんと・・・・・。」

「わかっていた。谷口がめちゃくちゃな事を言っていたのは。当時の新田君を責めてるわけじゃないの。言い訳に聞こえるかもしれないけど、数少ない小学校からの友達に意見をいう勇気がなかったの私。」

下を向いて、足で砂を掘りながら、心の内を吐き出す佐々木さん。

「3年で初めて真辺さんと同じクラスになった時、正直に言うと嫌だったわ。谷口から聞かされてた先入観もあったし、何より、浮くとわかっている子がいて、クラスがまとまるはずがないって、中学最後のクラスなのに嫌なクラスになりそうって。」

「佐々木さん・・・・」

「だけど、真辺さんって不思議なのよね。あんなに嫌だと思って、先入観も悪いのに、なぜか無視できなくて。気が付いたら真辺さんの姿を追っているの。」

柴崎も昔、同じような事を言っていた。初めは、あの無表情に耐えられなくて、嫌味の一つでも言わなきゃ気が済まないほど嫌だったのに、なぜかニコの姿を探して、いつの間にか無視できない存在になってた。と

「そんな自分に気づいた時、藤木君が、海外でバスケやってたって教えてくれてね。3人でバスケ話に盛り上がったことがあったの。あ~、3人というより、私と藤木君だけがほぼ、しゃべっていたんだけどね、真辺さんは口数少なかったけど、向うで、クラブチームに入ってた事を少しだけ話してくれてね。その時、結構、普通なんだなって思った。」

相変わらず、藤木は抜け目なく手回しをしている。

「でも、私の中の先入観を変えられても、他は全然でしょう。真辺さん自身も、今一つクラスに馴染もうとはしていなかったし、柴崎さんさえ傍に居ればいいみたいな感じがあったし。修学旅行で、どうにかできないかなぁって思ってたんだけど、4人だけ香港だったし。そんな事をね、今野に言ったら、今野が藤木君と相談して、このキャンプの企画を出してきたの。」

「えっ、藤木が?」

「そう、真辺さんがフィンランドに住んでた時、山や川でキャンプして、よく遊んでいたって聞いたことあるから、喜ぶんじゃないかって。」

「じゃ、藤木は、この企画を初めから知って?」

「そうよ、キャンプにしようって言ったの藤木君だもの」

あいつ・・・・。

「成功だったわ。私達は学園では見られない素の真辺さんを見られたし、真辺さんは、皆一人一人に向き合う事ができたし、アクシデントがそうさせちゃったんだけど。だけど、馴染もうとしてなかった真辺さんが、皆に謝らなきゃって思ってくれた事自体が、うれしいじゃない。私達のコテージでは、あの後、真辺さんの話で持ち切りだったのよ。昼間の真辺さんのはしゃぎぶりも合わせてね。」

「ニコの話題って・・・・。」

「悪い事じゃないわよ、焼きマシュマロ配ってくれたり、皆、良い方に印象を変えてるから。それと、昨日の話は言ってないから安心して。」

「あ、あぁ・・・・・ありがとう。」

佐々木さんはふーと大きな息を吐いて、「ごめんね。話に付き合ってもらって、ちょっと吐き出したかっただけなの。」と言って、クラスの女子が固まっている方へ去って行った。

女子バスケ部の部長もやっている佐々木さんは、いつもさわやかで、部長会議でも堂々と話す。そんな佐々木さんは、人の事を悪く言わないイメージを慎一は勝手にもち、女子バスケ部を取り仕切る姿に、少なからず尊敬していた。それが、あの谷口と友達で、最初はニコの事を嫌だと思っていたとは意外な告白だった。だけど、佐々木さんの黒い部分を知っても嫌な感じはしない。逆に人間味が濃くなったというか、親しみがわいた。

パンと一発、広がった花火に、歓声。その視界の端に藤木の姿が目に入った。そうだ、藤木だ。

このキャンプは実質あいつが企画したようなもの。今野と藤木は寮仲間だから、二人が相談しながらやった企画だった事に全く気づかなかった自分も情けないけど、なんか、こう・・・・いつも気が付けばバックに藤木の業があるという事に、慎一は無性に腹が立ってきた。

このキャンプ、佐々木さんが言うように楽しかったし、ニコと仲直り出来たから、成功と言えば成功なんだけど、そもそも、このキャンプの企画がなかったら、ニコはアルバイトしなくて済み、そうすれば、グレンと再会する事なく、ニコと喧嘩しなかった・・・。

元を辿れば、藤木のせいとなる。

ニコの姿を探せば、藤木の後ろでしゃがんで、何かをしている。藤木は女子と話をしていて足元にニコが居る事に気づかない風。よく見れば、ニコは集めた花火の紙を剥いて、火薬を集めている。

「藤木、後ろ!ニコを止めろ!」

「えっ!」

慎一の叫びに間に合わず、ニコはチャッカマンで集めた火薬に火をつけた。シュボーンと大きな音と共に炎が上がり、次々と色を変えていく。藤木は驚いて、ニコの腕を引っ張り花火から離す。

「何やったの!ニコちゃん」

「実験」

「はぁ!?」

「危ないなぁ、もう!」

「炎色反応の種類を」

「はぁ~、無茶苦茶だよ。」

慎一はため息を吐いた。



   

お父様からの差し入れ、段ボールいっぱいの花火がすべて終わって片付けはじめた頃、新田が、藤木に詰め寄った。

キャンプの企画に藤木が加わっていた事をやっと気が付いた様子。ちょっと考えればわかりそうなものなのにと、麗香は呆れる。

今野と藤木は寮生、企画を進めるにあたって、サッカー部のスケジュールを考慮して日程を組んだりするのに、今野一人で出来るはずない。それに、麗香もこの企画に力を貸していた。大人が付き添わないこのキャンプが、すんなり通るはずもない。ニコのアルバイト以前の話である。クラス全員でどこかに行きたいと麗香が父に話した段階では、ニコの病気のこともあり、賛同はしてくれていなかった。しかし、ニコには辛い記憶を消しとばすぐらい、楽しい記憶を沢山、作った方が良いとの医師の指導がある事を踏まえて、麗香は父に懇願した。場所を今野の実家が経営しているリゾート地にして信頼を得て、ホテルの屋上にドクターヘリが着陸出来る緊急対応の万全さで、麗香の父は許可をしたのだ。さらに麗香の父は、ニコがお金を理由にキャンプに行かないと言い出す事も予想して、アルバイトの手配も事前にしてあった。

ただ、グレンの登場には、麗香も予想外の事であったけれど。

新田と、藤木の言い争いはまだ続いている。新田の八つ当たりたい気持ちはわかる。このキャンプがなければ、ニコはアルバイトをしなくて済んでいて、グレンとの再会もなくて恋に落ちることはなかった。だから行きつく根源は藤木が余計な計画をした事になるわけで、そんな新田の詰め寄りも、藤木は軽くかわして、まるでじゃれ合っているようで、麗香は、やれやれと首を振る。

ニコが遭難するという焦る事態の起きたキャンプだったが、それのおかげで新田とニコの仲も元に戻って結果オーライだ。

楽しいキャンプになった。と麗香はとても満足に、花火の残り香を胸に吸い込んだ。

















波の音は、揺らぎの音を奏でて、風と共に髪を揺らす。

足元の砂をかき分け、小さな貝殻を見つける。

貝殻は、生き物であった時の証、

一体このビーチにどれぐらいの数の命だった証があるのだろう。


 リノ、イッショニ、オイデ、

    リノ、ソノテヲ・・・・・  


湿気を含んだ生暖かい風の中に、秋の気配含んだ冷たさを拾う。

もうすぐ夏が終わる。

柴崎がのぞき込んで、隣に座る。

「疲れた?大丈夫?」

「ううん、疲れてない。」

疲れは無いが、左の手の甲がヒリヒリして痛い。

さっきの花火で火傷をした。

慎一にバレたら、また頭ごなしに怒られるから黙って我慢。

パパは何しても怒らなかった。

怪我をしても、パパは笑って「また見誤ったね」と言うだけ。

怪我は、楽しいの限界点。

『怪我する前に辞めないと、楽しいは辛いに変わるよ』

パパの言葉。

    

 リノ、イッショニ、オイデ、

    リノ、ソノテヲ・・・・・


『りの、5回目で辞めておけば、楽しいで終えられたんだよ。6回目を登る時、りのは、ちょっとしんどいなって思ったよね。』

『う、うん。』

『りのは限界を見謝った、だから蛇をロープと間違えて握ってしまって、両肘を打撲した。これが本当の登山だったら、りのは滑落して命を落としていたね。』

『あなた!りのに、そこまで言わなくても。りのは十分、怖い思いしたんですよ。』

『さつき、りのは一人っ子だ。りのより先に寿命が来てしまう私達は、いつまでも、そばに居て守る事は出来ない。何事にも全力で突き進んでしまうりのに必要な事は、自分で、自分の限界を把握する感覚だ。限界の手前を知り、やめる決断力。それをパパは、りのに教えておきたい。』


 リノ、イッショニ、オイデ、

    リノ、ソノテヲ・・・・・


手の甲のヒリヒリは限界を見誤った、楽しいの限界点を超えて、辛いに変わった証。

昨日のダブルスの時も、先の柴崎戦で、とっくに疲れていたのに、負けたままなのが嫌で、もう一勝負とやって限界点を超えた。ボールを追いかけて派手に転倒した。右の膝と肘をすりむいて、絆創膏を貼っている。おまけに昨日の夜、森をさまよった時に、どうやら木々の枝ですり切っていたらしく、両足の膝から足首にかけて3か所ほど絆創膏を貼っている。おかしいな。私の限界点、こんなに低かったっけ?パパと山や森で遊ばなくなって5年が経つ、感覚が鈍ってしまったのかもしれない。

「楽しめた?キャンプ。って聞くまでもないか。」柴崎が、私の足の絆創膏を見て吹き出す。「ニコは、絆創膏の数が楽しさのバロメーターね。」

「絆創膏の数は・・・」ダメの証なんだってば。

後ろで、砂浜を踏みしめる気配がして二人で振り返る。

「ゴミ捨て終わった?」

「あぁ、疲れたぁ。」

そう言って、慎一が私の隣に座る。花火の後片付けをさほって藤木とふざけ合っていた罰で、集めた花火のごみをホテル裏のゴミ集積場に持って行く役目を今野くんに言いつけられていた。

「全く、新田のおかけで、えらい目に合ったぜ。」と、藤木も柴崎の隣に座る。

「俺のせいじゃないだろ!お前がだなっ」

「おっ、新田君、状況把握してから発言しなさいよ。」

「うっ、あ、あの、だからだな。」急に、しどろもどろになる慎一「くそっ、明後日からの練習、覚えてろよ!」捨て台詞に対して全く効き目なしの藤木は、ニヤついておどけた調子。

「何の喧嘩?」

「男の喧嘩なんて、大した理由じゃないだから、聞くだけ馬鹿馬鹿しいわよ。」と柴崎。

「ごくろう、ご苦労。」

「ありがとうね新田君、藤木君。」

そう言って寄って来たのは、今野君と佐々木さんと野球部の田中君と家庭科部の仁科さんも加わる。田中君と仁科さんは昨日の肝試しでペアになってから、仲がいい。

私を含め8人のクラスメートの輪になった。

少し向うでも、4人や、6人、それぞれ仲の良い友達同士で、キャンプ最後の夜を惜しんで雑談をしている。


 リノ、イッショニ、オイデ、

    リノ、ソノテヲ・・・・・・

それは、パパが生きていた証の声、

風の音の合間に、繰り返し聞こえてくる。







「へぇー仁科さんは将来、お店を開きたいの?」

「えぇ、高校卒業したら、どこかフランス料理のお店に修行に入りたいとか考えてるんだけど、親がねぇ、大学は行けって、せっかく常翔に入ったんだから、大学を卒業してから行きなさいって、許して貰えそうになくて・・・・」

「フランス料理って言ったら、新田のとこに行ったらいいじゃん。」

「ははは、皆、同じ事を言うのよね。昨日もね、カレー作ってる時に、そんな話で盛り上がったのよね。」

「あぁ、その話は、もうお腹いっぱい。」

昨日、カレー鍋の前で女子に取り囲まれている新田に、少なからず嫉妬していた亮。「何の話?」って割り込む事も考えたけれど、それをすれば、新田の腰巾着的なイメージになりそうでやめた。そんな話になっていたとは。

「でも、なんか、いいよな。親に反対されてもやりたい目標があるっての。」と今野が言う。

「今野君はないの?将来の夢って。」

「あぁ、うーん。あるっていえばあるし、無いって言えば無いのかな。」

「何それ。」

「うーん、なんて言うかなぁ。柴崎ならわかるだろ。」

「ええ、そうね、将来の夢、あるようでないのよね、私達。」

皆が不思議に二人を見る、二人の共通点と言えば、継ぐ稼業が決まっている。それも大きな経営稼業。

「俺達はさぁ、生まれた時から人生の決まりが既にあってさ、それからはみ出た夢を見つけたとしても、はみ出た後悔っていうのかな、そう言うのに悩まされるんだよ。親もさ、別に継ぎたくなかったら、継がなくていいって言うし、継がないからって文句も言わないんだろうけど、でも・・・」

柴崎がその先を繋げた。

「そう言う親の愛情がわかるからこそ、はみ出ることに躊躇するのよね。別にね、嫌じゃないのよ、継ぐことは。私が継いだら、こうしようとか、こうすればいいかなとか、それなりにやりたい事は、まぁあったりするんだけど、それが夢って言うにはねぇ、仁科さんみたいに1から叶えるってものじゃないから。だから、時々ね、継がない別の夢を見る時があるのだけど、物心ついた時から、継ぐって事を意識してきた私達は、まず、継ぐべき将来の意識を脱ぎ捨てる事をしないと、新しい夢に向かえない。」

今野が頷いて話の先を続ける。

「脱ぎ捨てるのも簡単じゃないよな。結構時間かかるっていうか、脱いでる間に、その夢に心、冷めちゃったりしてさ。」

「そうそう、脱ぐこと自体、めんどくさいって、思っちゃったり。」

意外だ。柴崎は「学園を継ぐのが、私の使命的」に、その心は強いものを亮は読み取っていた。いつも学園の事を考えていて、特にニコちゃんの事に関しては、自分の立場や使える武器は何でも使って守ろうとして、そして、それらの経験は、自分が学園を継いだ将来に絶対に役に立つと、心に刻んでいた。

誰よりも分かりやすい柴崎の本心に、亮の読み取れない本心があった。その驚きと、その本心が今野と同じだったことに、言い難い不快感を覚える。

「へぇ~、継ぐ稼業があるってのも大変なのね。」と佐々木さん。

「柴崎の継がない別の夢って何だ?」と新田

「えーいっぱいあるわよ、この間は、女子アナもいいなって思った。」

「この間の大久保選手の司会の時だな、それ思ったの。」

「良くわかったわね。」

「うんうん、あの司会、良かったもの。」

「そう?じゃ本気で目指そうかしら?」

「柴崎さんなら、バラエティ番組でもお笑い芸人を、ビシッと突っ込んでいそうよね。」

「えー、私、そんなイメージ!?」

「そのイメージ以外、何があるってんだ。」思わず、いつもの通りに柴崎の言葉に突っ込んだら、ムッとされて反撃に出られた。

「そう言う、藤木の夢は何なのよ!」

「おっ、聞きたい、藤木って、なんか、何にでも成れそうで、でも、どれもしっくりこないんだよな。」と、今野が余計なことを言う。皆の目が亮に注目する。ニコちゃんまでも、好奇心満載の欲求の目。

「いやいや、俺の夢なんて聞いても面白くないっしょ。新田の夢を聞いてやれよ。」

「何故に、俺にスライドする。」

「そうよ、新田の夢なんてね、私でも言えるぐらい、単純すぎても面白くも、なんともないのよ」

「それ酷くないか?人の将来の夢を面白くないって。」

「じゃ、言ってあげましょうか?新田の夢は、プロのサッカー選手になる事。まずはjリーグで活躍した後、大久保選手みたいに世界のサッカーチームに入って、プレイしたい。違う?」

「あたり。」

「ねっ、誰も面白いって言わないでしょ。」

「おいっ新田、こんなこと言われてんぞ!反論しないのかよ!」

「しない。【女に歯向かうな】は新田家の教訓だ。」

「あははは、新田の夢はさ、俺たちみたいな凡人が言えばさ、夢だけデカイなって面白ろがれるんだけど、新田なら、出来るだろうなって思えるから面白くもなんともない。っていうか、夢じゃなくてもう、現実目標なんだよな。」と、野球部の田中が言う。田中の野球部は夏の大会に予選落ちして、もう3年は引退してしまっている。だから、サッカー部の遅い引退を恨ましいと言っていた。

「そうよね、新田君にそれ以外の夢を語られると、失望ちゃうわよね逆に。特に女子は」

「その夢、ありきの新田だよな。」

「そう、憧れの新田君は、サッカーを含めてブランド化してるのよ。」

「で、あんたの夢は何なの!」と改めて、柴崎が話を振ってくる。

亮に対する期待、当然の成り立ち、物心ついたころから、政治家になる事を刷り込まれて育った亮は、自由に夢を思考する意識を持たなかった。常翔学園のサッカー推薦を希望した事も、どちらかというと家から逃げたい一心でのことだった。

逃げる理由にちょうどサッカーがあった、そして受かった。新田が語る夢を聞くたびに、亮は自分の夢も自由に思い描いて良いのだと考えられるようになった。共に全国大会で優勝し、ゆくはプロに行く。新田となら、それは叶わない夢ではないと思えた。

だが、やっぱり、藤木家が邪魔する。この間の週刊誌騒動で、亮は強く悟った。

言葉にしてはいけない。

藤木家につぶされない為に、利用されない為に。





藤木の将来の夢って何だろうって興味がわく。

藤木は外務大臣の息子、お爺ちゃんも内閣総理大臣を務めた政治家一家。藤木からは口外するなと言われていた。

確か、妹が二人いると聞いていた、という事は、長男の藤木が後を継いでって事が当たり前に期待されているはず。だけど、藤木は、父親を嫌い、絶対に政治家にはならないと言っている。今野君が言うように、藤木なら何でも卒なく成れそうでもあるけれど、政治家以外は、しっくりこない感じもする。

「いや、俺は・・・思案中だ。」いつもの目じり皺を作って応える藤木に、柴崎は許さなかった。

「はぁ?ここまで引っ張っといて!それはないわ!」

「なんだよ、15歳までに将来の夢を決めないと駄目とか法律あんのか!」

「ないわよ!だけど皆、順番に言ってんのよ、それを何、あんただけ、はぐらかして!」

「ホントに、まだ何も決めてないんだ!なんか文句あんのか!」

「まぁ、まぁ、思案中ってのも、藤木君らしいっていえば、らしいじゃない。」

と佐々木さんのフォローも、柴崎の不満に上乗せされるだけ。  

「どこが!」

「うっせー、人の気持ちにケチつけんな!」

「良く言うわ!いつも私の気持ちにケチつける癖に!」

「柴崎、藤木やめろ。」慎一が止めに入る。これも珍しい。いつも止めに入るのは藤木か柴崎の役目で、喧嘩するのは私と慎一なのに。

だから、慎一の止めは効き目がない。まだ続く二人の喧嘩。

「俺のはケチじゃねぇ。注意だ。アドバイスだ。」

「そんなの頼んでないわよ。いつも勝手にズカズカと!」

「お前が、必要だと言ったんだろ!」

「必要だと言ったのは、私のじゃないわよ!」

隣同士で座る二人は、つかみ合いの喧嘩になる勢いになって来た。慎一が立ち上がって二人の間に割り込み止める。

「やめろって!親睦会が名目のキャンプで喧嘩して、どうすんだよ。」

やっと黙る二人。

「はじめてみた、藤木が女に突っかかる姿。」と今野君。

「ええ、凄い貴重。」佐々木さんも目を丸くしている。

藤木はフンと不貞腐れて柴崎とは反対の方向を向いた。

藤木は女子には優しい。怒らない。あっ、でもこの間、パソコンを壊しかけて怒りにふるふるされたけど、怒られてはいない。

だから柴崎と言い争うなんて、驚き。

「じゃ、藤木の貴重な姿を夢の代わりとして・・・」

「別に貴重でもないわよ」とつぶやいた柴崎に対して、藤木は「ちっ」と舌を鳴らした。藤木の怒りが本気モードで皆が驚愕に固まる。慎一が、「やめとけって」と肩を掴んで制する。

「じゃぁ最後、真辺さん。」今野くんがパチンと手を叩いて、嫌な空気を一新するように声色も変える。

「えっ・・・あっ」しまった。嫌な予感はしていた。このままだと順番に夢を語らなくちゃなんないって、だから頃合いをみて席をはずそうと思っていたのに、柴崎と藤木のレアな言い争いにタイミングを逃してしまった。

「あ・・・うっ」皆の注目が、怖い。こういう時、いつも藤木が助けてくれていた・・・って、とてもそんな様子じゃなくそっぽを向いたまま。柴崎も、まだ怒って鼻息荒い。慎一は、当てにならない。

期待した目が集まる。ど、どうしよう。手が震えてきた。吐きそう。吐き気が込みあげてくる前に、とりあえず何か言って、逃げなきゃ。って、将来の夢なんてないのに言える事は何もない。

「な、ない・・・・ゆ夢」出ない声を絞り出す。皆がポカンとするのを見て、膝に顔をうずめた。

「えーないって?真辺さんが?」田中君が驚いた声で言う。

「真辺さんほど将来、いろんなこと、できそうなのにねぇ。」と仁科さんも言う。

私は、私ほど将来、何でもできない。と言うか、夢なんて、考えたことがなかった。

「ほんと、ないなんて、もったいないよな。」と今野君も言う。

やめて、やめて、私の話をするのは。うっ、ほんとに喉まで込み上げてきた吐き気を無理やり押し込む

誰か、助けて。

「だったら、僕が真辺さんの将来をプロデュースしてあげるよ。」 

と、私の隣、慎一がさっきまで座っていたスペースに座ったのは、中島君だった。

「中島!お前、俺の場所を取るな!」そんな慎一の言葉に聞く耳持たずで、中島君は続ける。

「真辺さんはね、アニメマニアートの読者モデルに応募してグランプリ取るんだ。それで二次元界のアイドルとして人気者に。もう、応募する写真は、あるんだよね~。」と言って、手にしていた携帯を操作する。

「ちょっと!中島!それニコの夢じゃなくて、あんたの夢でしょう!」

「写真あるって、うわっ、お前、それ全部ニコの写真か!」慎一は中島君の携帯を覗き見て叫ぶ。ちらりと見えた写真、それは黒い服の白いレースを縁どったメイド服を着た私。

「そうだよ。ほら、これなんか最高だよね。これにしようと思ってるんだ。絶対にグランプリ間違いないよ。」

と鼻高々に言う中島君の携帯に、皆がどれどれとのぞき込みに来た

今なら逃げられる。

「ほんと、これ、かわいい。これって、去年の文化祭の時のよね。」

と佐々木さんの声を後ろに、そーと、皆に気づかれないように・・・・脱出成功!

波打ち際へと歩く。

去年の文化祭・・・・何故か記憶がない。思い出そうとすると、頭痛と吐き気が起きる。

うっ・・・ほら。拒否反応、何に拒否しているのかが、怖い。

寄せる波がスニーカーを濡らしていく。

微かな記憶は、三人が私を見つめる薄暗い場所、遠くぼやけた満月。それ以外は思い出せない。そして頭にある傷。何故、左の側頭に傷痕があるのか?皆は階段から落ちて頭を打ち、救急車で運ばれたと言うけれど、落ちた記憶は私にはない。

時々、皆の思い出話がわからない。ぽっかりなくなってしまっている記憶が私の中にある。それがどれぐらいの規模であるのかもわからない。皆から聞いて初めて知る記憶喪失の存在。それを知ると、とんでもない不安が襲ってくる。

失くしたいあの記憶は、はっきりとあるのに。

あの記憶よりも無くなった記憶って、いったいどんなに酷い記憶なんだろう。

怖い。

皆には、覚えていないと言えなかった。心配をさせてしまうから。

「夢か・・・。」

口から出たつぶやきは、波にさらわれていく。

将来の夢なんて、私にあると思うこと自体が罪だ。

秋が来るたびに見るパパの夢、あの夢は、私に罪を忘れさせない為の警告。

いつかパパが連れて行くその場所こそが、私の未来。

押し寄せてくる波に手を浸す。左の甲の火傷がしみて痛い。

『限界を見誤ったね。』

パパの声が波音の間に聞こえる。

パパの限界を超えさせたのは私。

だから、パパは私を許さない。

顔を抜ける風の中に秋の気配、

そうまた秋が来る。





中島が携帯で映したニコちゃんの写真は、去年の文化祭の時のメイドさんの時の物。確かにこの笑顔ならグランプリ間違いないだろう、中々の写真の腕前だと亮は思う。笑っているという事は、英語オンリーにしてからのメイドさんだろう。いつの間にか、中島が円の中心となっていた。当のニコちゃんがその輪の中にいない。新田が輪から外れて海の方へと歩み出す。

その向う方へ視線を送ると、蹲った小さい人影、ニコちゃんの姿。

4か国語を操る語学力と、学年トップの頭脳をもつ、その未来は輝かしいと誰もが思うだろう。

夢がないとつぶやいたニコちゃんに、他の者は不思議に首をかしげていたが、その理由を知る亮は、その心情に心が詰まる思いだ。

成り行きとは言え、大人気なく柴崎の言いがかりに食って掛かった自分が腹ただしい。

未だ、中島の携帯写真に食って掛かっている柴崎の腕を引っ張り、輪から外れさせる。そして波打ち際へと指さす。ニコちゃんの姿を見やった柴崎は、眉間に皺を寄せて心配の色を出した。

無言でうなづきあい歩き出す。

一人にさせない。

何にもできなくても、ただ側に居てあげたい。

その気持ちが友の証。

「ごめん、言い過ぎた。」

「私こそ、つっかかって、ごめんなさい。」

柴崎の良い所、ちゃんと悪い所を認めて謝れる事、女子はこれが出来ない子が多い。自分が悪いとわかっていても、「だって」「誰々が」とか言い訳をしてしまう。柴崎にはそれがない。だから亮は、柴崎からの生徒会への誘いを受け入れた。

サンダルに砂が入って歩きにくそうにしている柴崎の手を掴み、引っ張ってやる。

驚いて丸くした目に、照れた喜びの本心を読み取る。読み取る環境に視界の悪さ暗さは関係ない。亮の意志とは関係なく脳が勝手に解析してしまうのがこの能力の特徴。

要らない能力と言いながら、この能力に依存している自分を自覚している。





 リノ、イッショニ、オイデ、

    リノ、ソノテヲ・・・・・・


大好きなニコちゃんマーク、丸を書いて、点を2つと孤を描くように大きな口を引けば、これだけで笑顔になれる世界共通のピースマーク。不器用な私でも簡単に描ける。砂浜に書いたニコちゃんマークは、波にさらわれて消えてしまった。

幼稚園のお絵かき帳、雨の日の室内遊びは、ニコちゃんマークばっかり書いていて、慎ちゃんにニコのお絵かき帳はつまらないと言われた。手先の器用な慎ちゃんのお絵描き帳は、車や、動物、昆虫、いろんな絵が描いてあって楽しい。

慎一の描く夢は、誰もが応援したくなる現実目標。だからこそ、私が足かせになってはいけないのに、慎ちゃんを追い求めるニコは、決別の心をかき消した。

もう、どっちが自分の本心かわからない。

「大丈夫か?」

ほっといてくれない慎一の優しさに、嬉しさと呆れた嫌悪が同時に湧き起こる。

「慎一の夢は、夢らしくていい。」

「成長してない面白くない夢だよ」

成長していない面白くないのは私。砂浜にもう一度、ニコちゃんマークを描く。それはまた波にさらわれて消えてしまった。

「お絵描き帳に描いていた」

「うん」

「慎ちゃんのお絵かき帳は、夢が詰まって楽しかった。私のお絵かき帳は昔からつまらない。」

「ニコのお絵描き帳は、笑顔が詰まっていただろ。」

「いろんなものが消えた。パパも記憶も、夢も・・・成長も」

「ニコ・・・・」

「去年の秋、私は何をしていた?あの写真を私は知らない。」

「あれは、中島が隠し撮りしてたんだから、知らなくて当然だよ。心配しなくても、中島には応募するなって言っといたから。」

立ち上がり、慎一へ向いた。

「そうじゃない、そんなのはどうでもいい!」

 

  リノ、イッショニ、オイデ、

冷たい風が声を運んでくる。

「怖い。消えた記憶が、順番のわからない記憶が、止まった成長が、怖い。」


       リノ、ソノテヲ・・・・・・


海の波の音に混じって聞こえる声。    

「あの声が、すべてを消していく。」

「ニコ?」

「未来も消える。」

両の手のひらを見つめた、左は大きく開いているけど、右は開ききらないで小刻みに震えていた。自分の物であって自分の物でない不思議な感覚。

「そんな事ないよ。ニコだって、ちゃんとつかめる、俺より世界を知っているだろ。」

「その言葉は気休めだ。つかめないのは皆、わかっている。だから!慎一も柴崎も、藤木も私を心配するんだろ!成長の止まった私を!」

追いかけて来た柴崎と藤木が慎一の後ろで足を止めた。

八つ当たり、最低だと思っていても、止められない。私はまた慎一を困らせる。    

   




ニコが嘆く。

消えた記憶が、順番のわからない記憶が、止まった成長が、

怖い。と。

新田がニコの視線につられて振り返る。その顔は助けてくれと求めていた。

消えたものに怖がるニコは、新田の差し伸べる手をつかめない。

藤木と繋がる左手にグッと力が入るのがわかった。

ニコの思い。

につられて目頭が熱くなる。麗香は泣かないように唇をかみ耐える。

(私が泣いてどうする。私は泣くために、ニコのそばに来たんじゃない。)

藤木は私の本心を読んだのかよ、向かう足は同時だった。揃って二人に駆け寄る。藤木はニコの右手をつかみ前に出す。

「ニコちゃんが、未来をつかめなくても、俺たちは一緒にいる。」

続いて新田も、ニコの左手をつかみ前に出した。これで4人の手が輪となりつながった。

「何があっても、この手は離さいわ。ニコを置いていったりしない。」 

「ニコ、見ろ、この輪はニコの好きな、ニコちゃんマークだ。」

新田がそう言って前に出した手を横に伸ばし、麗香と藤木もそれに倣うと大きな輪になった。

     




「夢のお絵かき帳・・・・・」そう言って、唇をかみしめたまま、黙ってしまったニコ。

「ニコの分の夢も描くよ。消えないように。」

慎一は絵を描くことが楽しかったんじゃない。ニコと頭をつき合わせて一緒にいることが楽しかった。

いつも一緒だったニコが居なくなった絶望から目を逸らす為に無理やり作った夢。

そんな夢でいいのなら、いくらでも描いてあげる。

ページいっぱいに大きなニコちゃんマークを、

消えない虹色のマジックで。

「私達も、いっぱい描くわ、消えても、消されても、何度でも、」

「ニコちゃんの未来はないんじゃない。俺と同じ、思案中だよね。」

慎一達は、頷きあう。





「新田の子供のような夢」

「柴崎のあるようで、ないような夢」

「藤木とニコの思案中の夢」

「私達はこの手で、つかむわ!。」

作ったニコちゃんマークの手の輪は、勢いよく空へとあげられた

。高さについて行けず、必死につま先で高くする。

それをみんなが笑う。

「もう!笑うな!」

波間にずっと聞こえていたパパの声は、皆の笑い声で消されていく。

皆が手を繋いでいてくれる未来は、楽しそう。

冷たい風が繋いだ輪の中を通り抜けていく、

夏が終わって、秋が来る。

いいのかな?

皆から少しづつ貰う未来を、

楽しみだと思って・・・・。























「飛ぶ鳥、後を濁さずだ!」

今野がそう叫び、朝早く、慎一達はコテージからビーチまで、ゴミ拾いの清掃をさせられていた。

砂浜と水色の海がキラキラとまぶしい。

昨晩の花火のゴミは、全部拾い集めたと思っていたのに、結構な量のゴミが落ちていた。

帰る日の朝の一時間を清掃時間として、ちゃっかりしおりにも記入されている抜かりない企画力に脱帽する。格安に施設を使わせてもらったのだから、誰も文句を言わず、あの柴崎も従っている。

下を向いて、ごみを拾っていたから、そばに佐々木さんがいることに気づかず、ぶつかりそうになった。

「あっごめん。」

「新田君、真辺さんから目が離せないって、こういう事だったのね。」

「はい?」

呆然と立ち尽くす佐々木さんの前に、見上げるニコが立っていた。

ニコは無表情に佐々木さんと慎一を見比べると、首を傾げ、興味なさそうにゴミ袋を引きずって、去っていく。

「あの絆創膏の多さ・・・。目が離せなくて当然ね。」

あぁ、それも正解、どっちかと言うと、それが一番目が離せない。

昨日、握った左手の甲に違和感を感じ、よく見ると、火傷で水ぶくれになっていた。火薬を集めた実験の時やったらしい、それを汚い海水で浸していた。

「何故、黙って我慢してるんだ!」と慎一が怒ると、ニコはやっぱり拗ねて、それから慎一と言葉を交わさない。



テニスのダブルスで派手にこけて作った擦り傷、右ひざと右ひじの2か所、

花火で作った左手の甲の火傷1か所、

遭難時に木の枝でひっかけて作った足の傷、両足3か所、

2泊3日のキャンプで作った傷の合計6か所。


ニコの傷だらけの夏が終わる。



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