鉄色の海 後編
7
ミルトニアが得た、【李 剥】の名を元に、次々と情報が集まった。
黒川和樹を家に帰した後、バラテンがその名を元に中国のあらゆるデーターベースから情報を拾い、ソフトを使って日本語に翻訳していく。
マスターの知り合いと、康汰の公安の知り合いからも、情報は集まり、それらを擦り合わせて情報の精査をする。そしてやっとレニー・ライン・カンパニーの内情が露呈する。
レニー・ライン・カンパニー・アジア大陸支部代表、レニー・コート綜王の右腕だった男、楊 喬狼は、綜王の実の息子である事が判明した。
佐竹が言っていた、アジア支部はオランダにある世界統括本部の流れに添わないと。
レニーが頭を下げて大連流通を傘下にする代わりに、大連流通の財閥一族が代々継いでいる。それはレニー・ライン・カンパニーの人事理念では異例の事だった。
アジア大陸支部の初代代表を務めたレニー・コート・シュバルツが約5年、本部と大連の仲介をして大連の流通網がレニー・ラインの流通網と精通できるまでになると大連流通の財閥一族、李叙連にその代表の座を明け渡した。李 叙連はレニー・ライン・カンパニーの組織に入る忠誠をレニー・コートを名乗る事で示し、過去の情報を闇に隠して、世界各支部との面子を保ったようだ。大連の次に就任したのが現在の代表である綜王、本名李 喬寛もやっぱり李 叙連の息子。李家は世界をだまして、レニー・ライン・カンパニー・アジアの一族相続を行い支配している。
レニー・ライン・カンパニー・アジアの中で、重要ポストに就いている人間の就任前の情報が全くない者は、李家の一族の人間だと考えて良い。そう考えて辿ると、次々にその隠されていた情報が明らかになっていった。だが・・・・そうして、アジア支部の中心が李家の一族の人間で構成されている事が明らかになっても、肝心のレニー・グランド・佐竹の情報は、公式に発表されている物以外、手に入らなかった。レニー・ライン・カンパニー・アジアのジャパンマネージャーであり乍ら、7年前に突然ロシア大使館の職員に就任したレニー・グランド・佐竹。ロシアの国がどういう意図をもって佐竹を日本のロシア大使館の職員にしたのかもわからない上に、治外法権であるロシア大使館に、その人事に何故だと問い合わせる訳にもいかず、佐竹の情報に関しては、完全にお手上げ状態だった。
文部科学省のある通りを南に下った場所に、ロシア大使館はある。大きな白いビル、門扉に続くブロック塀もが白く、ロシア大使館と書かれたゴールドの表札が上質な舶来さを出していた。
敷地のわりに狭い門扉。何台ものカメラが、長く続いた封建国家の気質を表し、訪れる者を拒むようだった。塀で囲われカメラが何台もあるのは、アメリカ大使館も同じだが、解放感が全く違っていた。
門前に立つ警備員の人に対する警戒感も違った。固い表情を崩さない警備員にレニー・グランド・佐竹に呼ばれていると、ロシア語で話した。日本語や英語であったら門前払いだったかもしれない。訝しげに上から下まで眺めた警備員は、一応の確認を館内へ内線で取り付いだ。佐竹が出かけていて、館内には居ない可能性も危惧したが、自身の運の良さに掛けた。もう時間が無い、向うから最後の仕掛けを向けられる前に、こちらから仕掛ける事も、作戦の内。
警備員が電話を置くのを待つ。電話を置いた警備員は、一転して満面の笑みで、「ようこそ、ロシア連邦へ」と俺を迎え入れる。
足を踏み入れる前に、深呼吸をする。この先は日本ではなく、ロシア領。この中で事を起こせば、日本の法律で裁かれるのではなく、ロシアの法律が適用され、下手すれば国家紛争に発展する可能性を含む。
案内された建物に一歩入り、目に付いたのは、とても大きな一面張りされたステンドグラスの窓。
それを鑑賞用に作られたかと思われる前の階段を登る。そのステンドガラス以外にも、館内は、そこかしらに調度品が上品に且つ大胆に置かれてあった。黒川和樹なら、この芸術のすばらしさをわかるのだろうけれど、残念ながら、自分はこの手の物はさっぱりだった。俺と目線のかわらない長身の夫人が、建物の奥へと案内してくれる。奥行きのある敷地を活かして建てられている為、階段を登った後、ずっと廊下を長く向い合せのドアが並ぶ。およそ建物の真ん中まで来て、長身の夫人は足を止めて一室の部屋をノックした。中からロシア語でどうぞと言う声を聞き、そこが佐竹の部屋だと判明する。
偶然だろうか、その場所は、何かあったらとても逃げにくい場所だった。
露「お連れしました。」
露「ありがとう。ナターシャ。紅茶を頼む。」
露「承知いたしました。」
ナターシャと呼ばれた夫人が頭を下げて部屋を出ていく。
露「ようこそ、ロシア連邦大使館に。」
レニー・グランド・佐竹は、奇襲的に訪問したにもかかわらず、上機嫌で迎え入れる。
柴崎邸の応接室にあるよりデカイ応接セットのソファー、佐竹に促されるまま身を沈めた。
座り心地がとてもいい。沈み込む腰が機動力を欠けさせるのは、佐竹ならではの仕掛けか?
レニー・グランド・佐竹は余裕で微笑み、こちらから切り出す前に、まるで旧友でももてなすように語りかけてくる。
「ロビー正面のステンドグラスを見たかね。」
「あ、あぁ・・・・。」
「素晴らしいだろう!私が、ロシアより彫刻家を呼んで作らせた。7年前、ここに来た時は殺風景な大きな窓があるだけで、館内の調度品も一流とはほど遠い、貧祖な有様だった。」
このロシア大使館のトップ、ロシア連邦特命全権大使でもない、ただの外交特務官でしかない佐竹が、なぜ、館内のインテリアを変える権限がある?やはりレニーの力か?
「俺は一流ではないから、芸術の良さはわからない。」
「くくくく、そうだな、お前の脳は活字の美しさを好むのだったな。」
やっぱり、すべてを知られているか・・・・常翔大学で調べられた俺の脳のデーターもこいつは持っている。
扉がノックされて、ナターシャが紅茶セットを乗せたワゴンを押して入る。そして品よく紅茶を入れ始めた。
露「ロシアに訪れた経歴は無いようだが?ロシア語はどこで?」
露「あなたが気に入った少女がロシア語を話すと聞いて、辞書を丸ごと記憶した。文法と発音はCDを聞いてなぞっているだけだ。」
露「ほほぉ、どおりで、堅苦しいロシア語だと思ったよ。」
露「でも、お上手ですわね。CDを聞いただけで、ここまでお話し出来るなんて。」
ナターシャが微笑みを俺に向けて、ティーカップを置く。
露「ありがとうございます。」
露「いいえ。ごゆっくりどうぞ。」
ナターシャは、上品な笑みと匂いを残して部屋を出ていく。テーブルに色の違う小鉢が2つ置かれている事に不思議に見つめた。
「ロシアではジャムを舐めながら紅茶を楽しむ。アップルとオレンジ好きな方を」佐竹が日本語に変える。
ジャムを紅茶に入れる?ロシアではそうなのか?知らない。頭にある記憶の活字を思いつくまま、引っ張りだしてめくるが、うまく記載された活字を見つけられなかった。佐竹が、オレンジの小鉢を引き寄せて、小さなスプーンでひと舐めした後、紅茶も口に含み、こうするんだという表情を向けてくる。
残った方のアップルジャムを引き寄せ、それに習った。甘い味が口の中に広がるのをダージリンティーが融和し喉の奥へと押し込まれる。
「どうだ?」佐竹が味の感想を求めてくる。
「味覚も俺は一流じゃない」
「ふはははは、ジョークか?お前は柴崎家で何を会得してきた?それとも柴崎家は、施設育ちのお前に十分な食事も与えず飼っていたのか?」挑発だとわかったが、それでも怒りが沸き上がる。
「あなたが知らない戦場に3年、身を置いた。あの場所は人間の五感を狂わせる。」
佐竹の経歴はわからない。だけど、その体つき、手の綺麗さから見て、おそらく荒場を経験した事が無いだろうと推測した。戦場を知らない奴に、その経験を突きつけるのは、卑怯に近い攻撃。
大抵の人間は「戦地」の単語だけで、他人事に目を伏せる負い目が、心理にある。
「あぁ、私は知らない。だが、それがどうした?地球上で戦地と呼ばれる場所は、数パーセントしかない。大多数の者が戦地を知らずに生活をしている。知らずの経験を特別の経験をとした傲慢な皮肉に、私が動揺すると思うか?」
くっ・・・これが格の違いというものか?心理の戦略と人生観をも見透かされている。
「お前がすがる戦地の経歴や、生まれた経緯もすべて、私の元に来れば、一流に替えてやる事ができる。この大使館のようにな。さぁ選ぶがいい柴崎凱斗。私の元で一流となるか、それとも、また子を機犠牲にして、まやかしの二流のままでいるか」
目の前に、総一郎会長を超えるものがある。
『迷うことなく出なさい家から。』文香さんの言葉・・・
駄目だ!違う。
佐竹の魔力を帯びた言葉に手を伸ばそうとするのを抑え込む。
「選ぶ前に、聞きたいことがある。」
「どうぞ。」
「なぜ、あなたがレニーの名を使っている?」
レニーの名はカンパニーの大陸支部代表のみが使える物。その名を使う事は、大陸の頂点に立つ者の栄誉ある証。佐竹は日本のトップでしかない。日本が経済大国ランキング世界2位だとしても、レニーのアジア内では中国の物流量に劣り、立場的には弱いはずだ。そんな佐竹が名乗っていい名前ではないはずだ。それとも、それさえも、レニーの本部が介入できない、アジア独自の力だというのだろうか。
「はははは、そうか、調べがつかなかったか。」
佐竹は腹を抱えて笑う。馬鹿にされている。
「そうだな、雇い主の事を知らなければ、その身を預けられないな。良いだろう、面白い話をしてやる。」
そう言うと、佐竹はジャムを紅茶に全部入れ、かき回し、飲み干した。
「香港に拠点を置き、アジアを占拠していた大連流通は、迫るレニー・ライン・カンパニーに震撼した。このままでは、すべてをレニーに吸い取られてしまうと。大連流通を築き上げた李 叙連」
苦労して、手に入れたレニー・コート大連の本名を簡単に口にする佐竹に驚く。その俺の表情を見て、佐竹がまた笑う。
「くくく、ミルトニアは楊 白龍の居場所のメモを見落とすことなく拾った様だな。」
「なっ!あ、あなたは・・・・」
「私は二流のハニーを、ふさわしい場所に誘導しただけだ。」
震撼する。未来行動も見透かされている。
背中に汗が滴り落ちた。手に入れた切り札も、もしかして、佐竹の想定内の戦略だとしたら・・・
「話を続けよう。お前から、ここに来た勇気の褒美だ。」
笑みの余裕に負けそうになる。
「李 叙連は、大連流通の名を捨てる代わりに、流通網、運営組織はそのままに、世界統括本部の介入をさせない力をもった事は前に話したな。李 叙連は、もう一つ、交渉人コート・シュバルツ自身にも条件を提示した。シュバルツの娘まだ7歳であったアリーナ・コート・シュバルツを差し出せと。」
「7歳の子を?!人質じゃないか。」
「そうだ、人質・・・・徐連は必死だった。世界のレニーが頭を下げているとは言え、自分の出した条件なんて簡単に破棄され、ゆくは大連流通の流通網や組織を全て乗っ取られるのは簡単に予測がついた。条件を飲むにはあまりにも軟弱だ。頭を下げてきている今だからこそ、もっと強靭な手札を掴み取っておくべきだと。なりふり構わず出したのは非人道的な条件。一族の血筋を重きに置く人種だからこそ、それが最適な手札だと信じてやまない。対して、レニー・コート・シュバルツも必死だ。世界制覇が目前のレニー・ライン・カンパニーは、残すはアジアだけ。娘一人を差し出す事でレニーの世界制覇が完成し、自身の名がアジア大陸支部の名誉ある呼称となり、未来永劫、世界に誇示できるのなら、と、その条件を苦悩することなく受け入れた。」
佐竹は、そこで一旦話を切り、立ち上がった。壁際のキャビネットの扉を開けると、ブランデーの瓶を取り出す。ゆっくりとソファーに戻ると、空になったティーカップにブランデーを注ぎ入れた。
「これは紅茶に入れても、いけるぞ、要るか?」
と進めてくるのを断った。佐竹は苦笑し話を続ける。
「レニーの世界制覇の完成と同時に初代アジア大陸支部代表に就いたレニー・コート・シュバルツは、その後5年をかけてアジア流通網と世界の流通網をうまく精通させたと表向きにはなっているが、実際の所は、そう簡単には、大連の組織網を吸い上げる事は出来なかった。ロシアから呼び寄せたシュバルツ派の人材と大連派の人材が対立し、運営はうまくいかない。大幅に流通量を下げ、ひどい経営状況に陥った。徐連は経営悪化の責任をシュバルツに押し付け、レニーの世界統括本部に退陣を直訴する。世界統括本部はそれを認めざるえない。どのような人事でも、本部は一切介入しないというのが、世界制覇の条件だったのだから。」
ここまでしゃべると初めて、佐竹はブランデーを煽った。
「非人道的ではあったが、李 叙連の手腕は見事だ。名前こそ失ったが、組織そのものは手に戻した。レニー・コート大連と名乗り、翌年にはV字回復を果たす。その後、世界のレニーの名を利用し飛躍的に流通量、売り上げを伸ばしていく。この先のアジア大陸支部の歴史は、さすがに調べがついているだろう。」
「あぁ・・・レニー・コート大連の子供が現代表の綜王、李家の血統が代々継いでいる。そして次の後継者になるはずだった男、李 秀劉は1年前に謎の死を遂げている。その弟、李 剥は、あなたが殺したと思っている。」
レニー・グランド・佐竹は、黙ったまま、上質な微笑みを向けてくる。
「あなたは、レニーの世界統括本部の流れを組まないアジアの・・・・李家の独裁を止めようとして、後継者である秀劉を殺した。」
「言ったはずだ、むき出しの野心ほど醜い物はないと。」
「じゃ・・・何故、俺の野心を剥き出そうとする。」
「まだ最初の質問に答えていない。私がレニーの名を使う理由を知らなくていいのか?そう逸るな。」
ティーカップのブランデーをゆっくり口にする佐竹。すべてが佐竹のペース。落ちつけ、無駄には出来ない、皆が今動いてくれている。佐竹のペースに合わせて、残っていた紅茶を口に運んだ。紅茶は温くなっている。
「私の真の名はアレクセイ・李・シュバルツ。」
なっ!突然暴露される名前。
「レニー・コート・シュバルツの娘アリーナが、5年の人質から解放され、ロシアに帰国した翌年に産んだ子が私だ。」
「あ、あなたは・・・・叙連の子?!」
「ロシアに帰国したレニー・コート、真の名はグランド・コート・シュバルツは、李家にその事実を知られないように、身重のアリーナを日本へ移住させ、私の存在をひた隠しにした。李家の一族は、叙連の血を引く人間が、一族外にいる事を知らず、そして初代の真の名も忘れて、私が祖父の名を使っても気づかない。レニーの名の下で、アジア勢力の上に驕っている。」
「・・・・・。」驚きに、息をするのも忘れる
「分かりやすいヒントを与えてやっているのに、愚かな奴らよ。」
叙連の子供、すなわち、現在のアジア代表の綜王と佐竹は異母兄弟。
予想だにしなかった事実に、何をしていいかわからない。落ち着け、ティーカップを口に持っていき、さっき飲み干して何も残っていなことに気づく。そんな俺の動揺を佐竹は楽しそうに笑い、ティーカップにブランデーを注いでくる。一つ息を深く吸い、胸に新しい空気を送る。
「では、あなたは、アジア大陸支部を李家から取り戻そうと?」
「そこまでしか考えが及ばないか?柴崎家に囲われて、世界に向けていた視野を塞がれたか?」
「俺は・・・・・。」
反論できない。16で渡米し学んだ頃の方が、世界を広く視野を向けていた。文香さんの手を掴み、戦場からも逃げ帰ってからだ、目を向けなくなったのは。助けられた恩を隠れ蓑にした。
『帰ってきなさい凱斗。あなたの居場所は私が作ります。』
生き延びてしまった罪ごと、文香さんは抱きしめた。輸血もしてくれた事を知って、この人の為に生きようと誓った。そう、だから、ここで佐竹の手を掴むわけにはいかない!視野を塞がれても。
「反論はしない。俺は、柴崎家に買われた者だ」
「それが、お前の答え、選択か?」
「いや・・・・答えは別にある。」
そう、まだ答えは出せない。連絡がまだ来ない。駄目だったか?
佐竹が訝しげに、じっと見つめてくる。沈黙が場を支配する。場繋ぎに注がれたブランデーを口にした。
味は全くわからなかった。
「何を切り札に持ち込んだか知らないが・・・・まぁいい。その切り札がお前の真の価値を示すだろう。」
そう言って、座り心地の良いソファに背を預けて、体を斜に構えて見据える。
「李家の独裁は落とさなければならないが、大連流通が築いてきた網を、ただ恨み言だけで取り返しても、それは私の力にはなりはしない。そんな腐った物は、踏み台で十分だ。言っただろ、陳腐な野心ほど醜い物はないと。世界が変わる瞬間の音や色は一流の美しさがある。一流には二流、三流の犠牲が付き物。」
アジア支部を二流と称し簡単に踏み台と犠牲にする、佐竹の広すぎる戦略にたじろぐ、この時点で一流になどなれないと理解する
「あなたが、世界を手に入れたい事はわかる。その力があり、実現可能である事も。その壮大な戦略をこんな俺に話し引き入れようとするあなたの真意がわからない。俺の記憶力に価値を見出し、欲しいと言う心情は理解できるが、あなたは、こんな能力を手に入れなくても世界を手にできるはずだ。だから、わからない、何故あなたが、ロシアの外交特務官を兼務しているのが」
そう、すべてが不思議だ。手に入れた情報が操作された嘘であっても、語られる野心に対して、レニー・ライン・カンパニー・アジア支部ジャパンマネージャーは、隠れ蓑にしては小さすぎる。そして、ロシア連邦大使館の外交特務官の兼務も。真の名を知得て、更にその疑問は大きくなった。
「お前には見えないか?世界が民の思惑で動くその軌跡を。」
「民の思惑?」
「私がこの大使館に就任した7年前以前に、何が起きた?」
頭の中にある新聞記事が、高速にめくられ、その見出しだけを浚えていく。
「原発事故・・・」
「そう、日本は太平洋沖で起きたプレート境界地震による発生した津波により、茨城の原子力発電所は壊滅した。日本の安全神話は崩れ、その衝撃のニュースは世界の意識を変えた。原子力依存のエネルギー確保は危険だと、原子力産業で国力を維持するフランスを筆頭に、ヨーロッパ各地で反原子力エネルギー運動が盛んになった。」
7年前、太平洋沖で起きた地震の揺れは、津波となり茨城県の半島にあった原子力発電所に直撃した。津波は想定外の威力を持って建物を破壊し、周囲に放射能被害レベル4という被害をもたらした。
それをきっかけに、世界各地で、脱原発の意識が高まり、この日本も原子力だけに頼らないエネルギー政策を模索しなければならなくなった。
その1プロジェクトが、藤木外務大臣が進めているロシアからガスの安定提供を目指す、ガス輸送パイプラインの建設、日本とロシアを繋ぐロシアの窓口として動いているのが、このレニー・グランド・佐竹。
「その原発事故が起る前と後、世界の闇を這うように思惑がうごめいている。それは何か?お前の記憶力なら、今、その違いを見出せるはずだ。」
まるで、謎解きクイズを出すかのように、ソファーの肘かけに手を置き、軽く握った手に顎を載せて終始笑顔でいる佐竹を見ながら、記憶にある新聞を頭の中で高速にめくっていく。見出しだけを注目して、前後数年の世界情勢を掴んで行く。世界各地で起きるテロ・・・・
「テロ・・・・が、多くなった。」
「やっと世界を巡る流れを、読める脳になったようだな。」
佐竹は預けてあった背をソファーから起こし、空になっているティーカップにまたブランデーを注ぐ。
「フランスで抗議デモをする程度の民間活動家達の集まりCERPAは、日本の原発事故後、エコリズム思想に宗教的要素を組み入れ会員を増やし、世界各地で活動を展開する団体に成長した。それがワールドCERPA、通称Wセルパ。名ぐらいは聞いたことがあるだろう。」
「あぁ・・・」
「Wセルパがフランス周辺だけにとどまらず、世界に活動の場を広げるまでに大きくなったのは、Wセルパの地道な活動だけではない。Wセルパに陰で支援をした巨大な力がある。中東の石油産業国OPECの後ろに隠れる民間組織、世界の石油エネルギーを真に統括するその組織は、裏で舵を取ると意味で名づけられたアンダーグラウンドヘルムスマン、AGH。が日本の原発事故をきっかけに大きく動き出した。Wセルパは、エコリズム思想の裏で資金を手に入れ大きくなった。」
「世界で多くなったテロは、Wセルパの仕業?」
佐竹は黙って頷き、先を続ける。
「反原発に世界が傾けば、石油の需要が伸びる。各地でテロが起きれば各国は自衛の為に軍事力の強化を図る。軍事に使われるエネルギーはやはり石油系統でしか担えない。AGHはそうした思惑の元、世界を裏から牛耳る。」
「じゃ・・・あなたが仲介するロシアからのガスパイプラインは・・・・」
「原子力が危険だからと言って、石油回帰への流れを推し進めるには、もう弱い。新たなエネルギーを求める人々の求心力はは底知ず侮れない。ロシアの地下に莫大なシェールガスが埋まっている事を知った世界はどうだ?ロシアを中心に、各国の関連企業の株価は上昇した。日本ではパイプラインを引く構想があると発表しただけで、建設会社の株価は上昇した。どこの建設会社も決まっていないのにだ。」
ただただ、戸惑う。レニー・グランド・佐竹の思惑を引き出すつもりが、世界の裏真意を聞かされる。壮大な世界のどこに佐竹の真意が隠されているのか全く分からない。
「私はいずれ、アジアからロシアへ、そしてヨーロッパへと動く、アジアの李家は生かさず殺さず、監視し動かす力が要る。それが出来るのが日本。だから、お前が必要なのだ。世界で数人しかいない記憶力を持つお前の頭脳と、捨てられた命の果てにあがいてきた世界観、そして華族の保護を受けた柴崎凱斗、お前が。」
8
流石と言うべきか、世間に正式公表はされていない華族の存在を知るレニー・グランド・佐竹。だが、あなたは知らない、華族の真の力を。卑弥呼の時代より神に仕えて、この日本を守り続けて来た祈宗の力を。
スーツの内ポケットに入れてある携帯が、バイブ振動を告げてくる。1、2、3、4、5。約束の回数。それは文香さんからの華族の力を証明する吉報の知らせ。
「あなたは、華族の力を軽視している。」
「そうでもないさ、神皇を隠れ蓑にした日本のAGHである華族の力に、敬服するからこそ、私はお前を欲しいと言っている。」
「AGH(舵取り)・・・あなたに日本人の血が流れていなくて良かったと思う。」
佐竹の顔から笑みが消えた。
「この国には、古より染みついた神仰心がある。世界に類のない、神を国の皇として崇めきた神格。華族が神皇を崇めるのは、敬服ではなく心服だ。神皇を隠れ蓑など畏れ多い。」
佐竹はプッと吹き出し、笑う。やはり笑っている時の方が恐ろしい。その笑みに怒りを含めて殺気を放っているから。
「これは失言をした。」
「失言ではなく、失策だ。俺が欲しいが為に、子を人質に取った事、いや、それ以前に、華族の柴崎家が経営する常翔学園を盗品売買の場に使った事が。当時、既に何かの思惑があったのか、ただの偶然だったのかは知らないが。」
佐竹が何かを言うのを待った。だが、佐竹はただ黙ったまま、表情も変えない。仕方なくこちらから切り出した。
「1年前にフランスのボルドー美術館から盗まれた名画、ミューズ・ハリスの受胎告知、窃盗の指示をあなたがしたのかどうかはわからないが、その名画は3日前、香港からロシアへと密輸される途中で、行方不明となった。あなたはその行方を探している。」
「・・・・。」わずかに首を傾けただけの佐竹。
「あなたはその名画の行方を大がかりには捜せない。あまりにも、その名画が有名過ぎて、その盗難の事実が世界的に注目を浴びている物である為に。あなたは、今、イライラしながら、その名画の行方の知らせを待っているはずだ。」
「それが、私の失策だと?高々盗品の絵画の存在ぐらいで」
言葉を遮るように携帯の着信が部屋に響く。俺のではない、佐竹の携帯だ。
訝しげに俺を見つめた後、佐竹は携帯に出る。
中「何だ。」
中国語。次第に佐竹から笑みが消え、険しくなっていく。
中「・・・・・・分かった。」
中国語で話しているという事は、台湾から情報が入ったという事。台湾のレニーに捜査が入ったという知らせの電話だろう。佐竹は電話を切ると、まっすぐ睨みつけてきた。
「柴崎凱斗、貴さま・・・・」
「俺には調べられるルートがある。」
何かわからなかった荷物が、世界を賑わせた盗品、受胎告知であると調べがついた。その情報を元に華族会は日本の国際警察機関を動かして、捜査を行わせた。
しばらく無言のにらみ合い。剥き出しの怒りは恐ろしくない。
今度は部屋の電話が内線の音を奏でる。佐竹は立ち上がり、デスクへの電話を取る。
露「はい。・・・・繋いでくれ。」
「はい、これは・・・・藤木外務大臣から直接のお電話とは一体・・・・・」
ロシア語から日本語に変えた佐竹は、それまで見た事のない険しい表情。
「いえ、そのような事実は・・・・・・・CNN?・世界に・・・・・・何かの間違いでは・・・・・はい、確認して連絡差し上げます、お待ちください。」
佐竹が静かに電話を置く。佐竹が堅苦しいと言うロシア語で言い放ってやった。
露「民が国を動かすのは、この日本でも同じ。それが出来るのが華族会」
佐竹の所に次々と入る電話、中国語、ロシア語、日本語を駆使した冷静な対応は、運転しながらも崩れることなく余裕の様で、車の操作技術も安定していた。
港区のレニー・ライン・カンパニー・アジア、ジャパンの事務ビルに入ることなく、道を挟んだ路上に停めたベンツ。 電話を終えた佐竹が、窓を開けた。レニー・ライン・カンパニー・アジア、ジャパンの正面玄関前の道路はパトカー数台と、警察車両のワゴン車、そして各局のテレビ取材の車と人で混乱していた。
『現在、レニー・ライン・カンパニー・アジア・ジャパン支社の事務所前に警察車両が多数到着しています。1年前にフランスのボルドー美術館から盗まれた、ミューズ・ハリスの受胎告知が同社のジャパン流通網を経由して、台湾へと持ち込まれたという情報が入り、警察庁国際公安部は全国にあるレニー・ライン・カンパニー・アジア・ジャパン支社の支店へ一斉捜査に踏み切りました。ですが、いかなる国、世界機関の関与を許諾しない経営理念でありますレニー・ライン・カンパニーは、警察の侵入を拒み、ご覧ください、ビルの入り口ではレニー側の警備員と警察官の小競り合いになっております。同社の台湾支社でも同時に当局による捜査が入っています事を考えますと、情報は信憑性の高い物と思われます。全世界が注目するミューズ・ハリスの受胎告知の行方が判明する糸口となるのでしょうか。レニー・ライン・カンパニーは』
佐竹が車内のテレビを消した。
誰がミューズ・ハリスの「受胎告知」を盗んだのかわからないが、李剥はレニー・グランド・佐竹の美術品収集の嗜みを利用して、陥れる計画を立てた。李 剥は香港からロシアへと運ばれる予定だった名画を横取りに成功。タイミングを見計らい、李 剥は、絵画を日本へと送り込む算段になっていた。黒川和樹がレニーのデスウォールより手に入れたお宝は、巧みに隠されて送ろうとしていた才の書類だった。李剥は、ジャパン事務所に名画を送りつけた後、佐竹が盗難の首謀者だと密告して、日本の警察に佐竹を逮捕させようとしていた。そんな李 剥の計画を佐竹は知らない。それらの計画を掴んだ俺たちは、密告の時期を早めた、それによりレニー・ライン・カンパニー・アジア・ジャパン支社の家宅捜査も早くなった。当然、ミューズ・ハリスの「受胎告知」はまだ日本国内にはない。李剥が名画を奪った後、速やかにその計画を実行できなかったのは、日本の警察を動かせる力がなかったためだ。日本の警察は信憑性のない密告では動かない。今、全国のレニー・ライン・カンパニー・アジアジャパン支社の支店に一斉家宅捜査を行えているのは、華族会から指示だからだ。
「真辺りの、柴崎麗香、藤木亮、新田慎一、今後一切、子供達に関わらない事を約束してくれるのなら、名画の場所を教える。」
「ふ、ふはははは、貴重な切り札を子らに使うか。」
「それが俺の選択。後は、あなたが俺の価値を見定め、決めるといい。だけど、俺は柴崎家と縁を切り、華選の位を棄て、華族との繋がりを断つ。古よりこの国を守り抜いてきた華族の力を、あなたに利用されるわけにはいかない。」
窓を閉めた佐竹が、笑みで答える。
「いいだろう、子らに一切手出しはしない。元々、それは、お前の野心を引き出す一策でしかない。・・・その顔、信用ならないか?」
見透かされている佐竹に、無言の答えをした。
「アレクセイ・李・シュバルツの名に掛けて誓う、子らに一切手出しはしない。真の名の下では不服か?」
「いえ・・・・十分です。」
名を大事にするレニーの人間だからこそ、その約束は絶対に守られると俺は確信した。
9
「立ちなさい。」
土下座を崩して、ゆっくりと立ちあがった。目の前には怒った表情の文香さんと、華族会東の宗代表代理、白鳥博通 様が並んで立つ。
パシッと頬に痛みが走った。
「これは、黒川和樹君を巻き込んだ罪」
そして、もう一度頬に痛みが走る。
「これは、あなたが、私に黙って事を進めようと、そして」
もう一度叩こうとした文香さんの手を白鳥様が抑える。
「文香様、もういいでしょう。」
「良くはありません。白鳥様、申し訳ございません。華族会を個人の為に動かしてしまいました。」
「仕方ありません、凱斗君も、それをしてはいけないとわかっていたから、ギリギリまで自分で何とかしようとした。その結果ですから。」
「ですが・・・・」
「もう済んだことです。ここは喜ばなければならない場面ですよ。麗香さん達、子供たちを守れたのですから。」
「・・・・はい。」
「申し訳ございませんでした。」
再度、頭を下げた俺に、白鳥様は肩を叩いてほほ笑む。
レニー・グランド・佐竹を抑止する為、華族会は家宅捜査の情報を全国のみならず、海外メディアにも知らせ、ライブ中継をさせるように手配した。レニー・ライン・カンパニー・ジャパンの支社の責任者である佐竹が、ロシアの大使館職員を兼務している事も、外務省へと伝えられた。ミューズ・ハリスの「受胎告知」の盗難にレニーのジャパン支社が関わっていたとなれば、外務省は世界の批判を考慮して、ガスパイプラインの建設の見直しをせざる得なくならなくなる。事の真相を問う電話だったのが、大使館に届いた藤木外務大臣からの電話だった。
李剥の計画を横取りして、子供らに関わらない事を約束させるための貢物ぐらいに考えていた。だが、世界戦略の拠点としていた日本の、パイプライン建設の見直しは、佐竹にとってかなりの楔となったようだ。俺は、真の名の元に誓ったレニー・グランド・佐竹に、自宅代わりにしているホテルへと届くことを知らせ、李剥の企みを明かした。
一方、台湾の支社の最高責任者であった李 剥は、家宅捜査を行われている最中に、ミューズ・ハリスの「受胎告知」ではない、別の盗品が送られてきたことにより、ミューズ・ハリスの「受胎告知」の盗難関与の疑惑を持たれ当局に拘束された。
レニー・グランド・佐竹は、欲した者とは異なったが、探していた受胎告知の絵画を手に入れ、そして長らく派閥争いをしていた李家の人間の動きを封じたことになる。
『二日前に家宅捜査されたレニー・ライン・カンパニー・アジア大陸支部ジャパン支社の代表が記者会見を行い次のようなコメントを残しております。
(レニー・ライン・カンパニーは、元来より、全世界において、如何なる国や世界の機関からの、物流品及び関係するすべての顧客情報の協力要請は、確固たる経営理念の元、一切の許諾をしない事を守り続けてきております。この度のフランスのボルドー美術館から盗まれたミューズ・ハリスの名画、受胎告知が、同社のジャパン流通網を経由して、台湾へと持ち込まれたという虚偽の情報により、捜査機関から疑惑を持たれた事は、遺憾でありますが、類のないわが社の特殊な経営理念が、誤解を招く一旦となった事は承知いたしております。また、当名画の行方はフランス国のみならず、全世界が注目し、懸念されているものであり、それは世界の大きな損失になると危惧いたします。我々レニー・ライン・カンパニー・アジア大陸支部ジャパン支社は、家宅捜査時の機関との衝突による不手際をお詫びすると共に、特例として、当該する日の流通網の一部を特定捜査員にのみ開示いたしました。これにより、レニー・ライン・カンパニー・アジア大陸支部ジャパン支社の無関与が証明されました事をご報告いたします。しかしながら、台湾支社の代表が盗難美術品に深くかかわっていた事は、事実であり、各国の支社の経営は独立しているとはいえ、同じアジア大陸支部内の不祥事である事を、深く陳謝いたします。今後は、香港にありますアジア大陸支部本部と協力し、一刻も早く、ミューズ・ハリスの名画、受胎告知の行方が判明する事を切に願い対応していく所存でございます。)
このように、如何なる国や世界の機関からの関与、協力要請を許諾しないレニー・ライン・カンパニー・ジャパン支社が異例の対応した事で、世界は・・・・』
後部座席に乗っている信夫理事長が、リモコンで車内に流れるニュースの音を消した。
「凱斗・・・・一人で抱え込み過ぎたな。早くに相談してくれていたら、華族会はもっとスムーズに事を解決しただろう。」
「申し訳ありません。」
「まぁ、仕方ないか、凱斗はまだ、華族会の真の力を、知らない。」
華選に上籍したのは、総一郎会長が死んだ翌年の二十歳の時、ハングラード大学を卒業しても日本には帰らなかった。総一郎会長のいない柴崎家に迎えられる意味を見いだせなかった。自分を見失い米軍に入隊した。紛争地に送り込まれた後、日本の茨城県沖に発生した津波によって原発事故が起き、全土が混乱に陥った。日本が災害に見舞われ混乱の静定に皇制政務会が発足していたことなど、まったく知らなかった。その頃、特務兵の養成プログラムによる訓練で死に掛けていたから。
皇生政務会は有事の際、内閣府に変わり対処するもので、神皇主権の政務は華族会が実働するもの。クリーンエネルギー推奨団体CERPAがWセルパに成長したきっかけの原発事故による混乱を華麗に均したのは、日本各地で力と財を持つ華族の称号を持つ一族の集まり華族会だった。
「だが・・・・ありがとう。麗香を守ってくれて。」
「理事長、礼は頂けません。それが、総一郎会長より託された、僕の使命ですから。」
「そう、だったな」
バックミラー越しに見る信夫理事長は、年を取り、総一郎会長に似てくる顔を窓の景色へと向けた。
そう、俺は、柴崎家に買われた。麗香を補佐し守る為に。だが、柴崎家の人達は買った物以上の施しをくれた。
位、財、衣、食、住、人、車、時、そして、血と愛をくれた。
華族としてじゃなく、家族として。
返せる物は、柴崎家に仕える働きと
この陳腐な命しかない。
終
英「母に怒られました。そんな事まで考えなくていいと。」
英「そうだろうね。」
英「でも、うちは、本当に。お金なくて。母にこれ以上・・・・」
英「りのちゃん、お母さんは誰の為に頑張っているのかな?」
英「・・・・・・私の・・・・ため」
英「そうだよね。それはりのちゃんが一番わかっているよね。この間、大久保選手に褒められたよね。よく頑張ったねって。どう思った?
英「うれしかったです。認められて。」
英「うん。成果を褒められるより、努力を認められる方がうれしいよね。お母さんも同じじゃないかな。お母さんはりのちゃんの為に仕事を頑張っている。りのちゃんが楽しく学園で生活できるように。りのちゃんの笑顔を見る為に頑張っているんだよ。りのちゃんがお母さんの身体を心配して、我慢する気持ちもわかるよ。だけどそんな我慢するりのちゃんを、お母さんは見たくないはずだよ。」
「・・・・・。」
英「りのちゃんが、我慢するという事は、お母さんの努力を拒否するって事になるんじゃないのかな?」
表情の動きが少ないりのちゃんは、うつむいていた顔を上げて、見つめてくる。
見れば見るほど整った顔のりのちゃん、佐竹が『あれは一流のハニーになる』と言っていた通り、大人になれば、明晰な頭脳も合わせ持つ、最強のハニーになるだろう。恐ろしい未来の危惧を止める事が出来ただろうか?
英「今ね、麗香率いる生徒会が、すごいプロジェクトを進めている。りのちゃん個人だけの為じゃなく、全クラブ対象に、サッカー部のようなバックアップ体制を整えようとね。弓道部の全国大会に合うように、頑張っている。だから、まずは、修学旅行を楽しんで、合宿と遠征の費用の事は、あとで考えよう。」
まだ、気持ちを固められないでいるのか、はいと言う返事は無く、りのちゃんは机をじっと見つめたままだ。
英「それに、香港行きは、キャンセルしてないんだよね。忘れてたなぁ~キャンセルするの。りのちゃんに行ってもらわないと困るんだよね~。キャンセル料、取られちゃうんだなぁ・・・・理事長はお前のミスだから、自分でキャンセル料を出せと厳しくてさぁ・・・僕のポケットマネーから出さなくちゃならないんだよねぇ。僕は、まだ学生なのに酷いと思わない?」
驚いた顔で見上げたりのちゃんは、わずかに苦笑した。
英「大丈夫、香港行の修学旅行には僕も引率するからね、何があっても、サポート出来るから、何の心配なく楽しんで!」
英「楽しむ?・・・日本を出て?」
英「そうだよ。修学旅行は学業プログラムには入っていない。遊びに行くようなもの。りのちゃんが言ったんだよ。」
「・・・・遊び・・・・世界が・・・・遊び場・・・・・」
小さくつぶやいた言葉はあまり聞き取れなかった。
英「皆と一緒に、修学旅行で楽しい思い出を作ろう。」
「はい。」
うるんだ眼がキラキラと輝いた。あぁ、やっぱり行きたかったんだ。やっと説得できたと、ほっとする。
会議室を出ていく、りのちゃんの後ろについて、廊下に出る。
外では、麗香達が、りのちゃんを待っていた。
「話は終わった?」
「うん。」
「行けるわよね。修学旅行。」
「うん・・・・」恥じらったように頷いた、りのちゃん。
「良かった、りのちゃんが行かない修学旅行なんて、収容所に強制収監されにいくようなもんだよ。」
と藤木君は目尻に皺を作った笑顔。
「ほんとよ、私だって、サッカー馬鹿相手二人とずっと一緒だなんて、ぞっとするわ。」
麗香の溜息交じりの愚痴。
「俺を含めんな、サッカー馬鹿は新田だけだ。」
「ええ?」困り顔で優しい溜息をつく新田君。
仲の良い4人のいつもの掛け合いの会話が、普通の日常を示す。これが真の平和。
尻のポケットで携帯のバイブ振動が伝わる。携帯を取り出すと、一緒に入れてあった逆涙型のゴールドのチャームが落ちた。
チャームはチャランと高い音を奏でて、蓋が開いてしまい、中に入っていた玉が転がり出た。
携帯の画面は非通知を知らせている。学園内ではマナーモードに設定している携帯は、長くバイブの振動を続けて、切れる気配がない。
嫌な予感に、普通ではない日常の危機の知らせ。
「これ・・・・虹玉?」
虹色に輝く玉、オパールの宝石を拾ったりのちゃんが、その玉を目の高さに持って行き、しげしげと眺める。
「チャーム・・・ゴールドだわ。」
チャームを拾った麗香が、チャームをパチンと閉めて、その複雑の装飾を眺める。
止まらない非通知のコールに着信ボタンを押す。相手からの言葉を待つ
「柴崎凱斗、礼はいずれ、させてもらう。」レニー・グランド・佐竹。
一言だけそう告げると、電話は切れた。
冷汗が背中を這い落ちた。恐ろしいほどの存在感に感服だ。
「凱兄さん、これ私のと、お揃いだったの?」
携帯を尻ポケットにしまい込み、麗香の方へとごまかしの微笑みを向ける。
「そうだよ。あれ?言ってなかったっけ?ゴールドとシルバーの二種類あるって」
「知らないわ。聞いてない。」
「こ、これは?ほ、本物の虹玉?」
りのちゃんが手のひらにオパールの玉を載せて見せる。
「それは、オパール。オーストラリアが世界一の産出の宝石で。昔付き合っていた女とオーストラリアに旅行に言った時に、このチャームに入れたいから買ってくれと強請られて、買ったんだけどねぇ。帰りの空港で、何だか機嫌を損ねてね。投げ返されちゃったんだ。」
「・・・・・・。」
「そのオパール。欲しかったらあげるよ。」
「もしかして、このチャーム、本当は2つセットで、これも一緒に返されて、処分に困って私に?」
麗香がゴールドのチャームチャラチャラとつまんで振る。
「えっ!あっ・・・・いや、違うよ違う。土産だと言っただろ。」
「わかりやす・・・・・」藤木君が、飽きれた顔でつぶやく。あぁ・・・ここにも嘘のつけない人間が居たんだった
「え、縁起、わ、悪いから、い、要らない」
まるで、汚い物でも触るような手つきで、オパールを返して来るりのちゃん。
「縁起悪いって・・・・」
「おかしいと思ったのよね。凱兄さんが、こんな洒落た物を土産に買ってくるから。」
「違うって・・・。」
「凱さんって、女の人と、どういう付き合い方をしているんですか」新田君が、引き気味でつぶやく。
「どうって、普通に・・・僕からは別れ話を言ったことないよ。いつも勝手に女の方が怒って出ていくんだ」
「・・・・・・。」なぜか絶句する4人。
「一番タチが悪いわ。行きましょ、女心のわからない凱兄さんと一緒にいたら、恋愛運、無くしちゃうわ。」
麗香が、ゴールドのチャームを突き渡して、皆を先導するように、去って行く。
「えっ、ちょっと、麗香、りのちゃん、あぁ、藤木君、新田君!」
理事長室の前で、4人の中学生に恋愛遍歴を駄目出しされる。
「はぁ~。」大きなため息は、平和の象徴だと気づく。
わからない、愛と言うものが、
生まれた時から知らない実母の愛、
知らないからこそ、その愛を強く求める。
知らないからこそ、それが最も美しいと感じる。
知らないからこそ、それが最も尊いのだと信じる。
ここは、子供の声が澄み渡る楽園。常翔学園という名の平和を主張する檻の中。
この学園を守るのが俺の仕事。
もう、誰も犠牲にはしない。命に代えてでも、俺が守る。
手のひらの玉は、虹色の優しい光を放ち、コロコロとその存在を語る。
里香、間に合ったよ。里香と同じ虹の描かれた絵本が好きな子を。
いつか里香の元に逝った時、話すよ。
僕が守れた子供達の楽しい物語を。
だから、待っていて・・・・僕が逝く時まで。