遠く、あなたを覗く
30分で読める短編です。
お蔵にしようかとも思ったんですが、折角書いたので供養のつもりで投稿しました。
学校が終わると私は早々に教室を抜けて公園に急いだ。日はまだ高く、午後四時でも昼間のように明るい。初夏の日差しがじわりと汗ばませる。判を押したような工業団地の連なりを横目に、補充されない自販機の前を通り過ぎる。
待ち合わせ場所の案内板前に到着するが、葵ちゃんが来ている様子はまだなかった。来た道を振り返るが、遙か先の歩道橋までその姿を確認することは出来なかった。
手近なベンチに腰掛けて、バックからカメラを取り出す。高校には持ってきてはいけないことになっているがバレることはない。レンズを本体に取り付け、ピントを回して少し遊ぶ。
……しばらくは来ないか。
撮影場所は既に決めてあったが、改めて下見に行くことにした。
藻の生えた池の貸出ボートは今日も休業。ベビーカーを押す女性はそんなことに気を留めず、私とすれ違う。ベンチで舌を捲し立てるおばちゃん達も、斜面を縦横無尽に走り回る子供達も、皆自分達のこと以外に興味はないようだった。
池を一周して改めて待ち合わせ場所に行くと、携帯を弄る女生徒がいた。私の存在に気付くと、つまらなそうだった顔がパッと明るくなってこちらに小走りにやってくる。
「もー、どこ行ってたのさ。もしかしてイマジナリーモデルと写真撮ってきたの?」
「私葵ちゃんほど妄想豊かじゃないよ。下見に行ってたんだよ」
「どうかなーたまに一人でニヤついてるじゃん」
「え、嘘。ホント?」
葵ちゃんがその時の私のものまねをするみたいにニヤリと笑う。
「うっそー」
跳ねるように園内に逃げていく葵ちゃんを私は怒ったふりをして追い掛けた。
カメラを構えて、シャッターに指を掛ける。そんな風に今日の撮影会が始まった。
「翠は今日の数学のミニテストどうだった?」
「うん、まぁまぁだったよ。葵ちゃんは?」
「ウチもそれなりって感じかなー」
葵ちゃんがただブラブラと歩いているだけの姿を、私は写真に収めていく。
「そういや翠は進路どうするの?」
「とりあえず進学。親が大学は行けってうるさいし。葵ちゃんは?」
「んーウチもたぶん進学かな。まだ働きたくないし。どこ大とか決めた?」
「それはまだ。だから今年の夏休みに見学は行こうとは思ってる」
「体験入学かー先生達イケイケうるさいもんねー」
無言が嫌いな葵ちゃんは、撮影の間ずっと他愛もない話をする。それでモデルが気持ち良く撮らせてくれるならと私はなけなしのコミュニケーション力を精一杯に振るう。
私と葵ちゃんの関係が始まったのは二年前の高一夏からだ。誰もいない屋上でフォトグランプリの雑誌を見ていたら、葵ちゃんが冗談交じりで
「モデルになってあげよっか?」と言ってきたのが始まりだった。
葵ちゃんはクラスの人気者、対して私はクラスの日陰者。葵ちゃんの周りには男女問わずいつもたくさんの人が集まっている。時には野良猫でさえも集まってくる。
猫を愛撫する葵ちゃんはさも自分も猫であるかのように喉を鳴らす。その姿を見ていると、なんとなしに人に好かれる理由が分かる気がした。
――かく言う私だってこうして惹かれている一人なのだから。
私と葵ちゃんの関係性を一言で例えるなら、月を見つめるスッポンだ。
ファインダー越しじゃないと私はあなたを見つめられない。私なんかが直接見ちゃいけない気がするのだ。周りから変な風に見られたくないのもあるし、あなたが私と違って眩しすぎるのも理由かもしれない。
園内をゆっくり一時間半掛けてまわると、撮影は終了した。
近くのコンビニでバイト代としてアイスを奢ってあげる。これが葵ちゃんとの契約だ。
コンビニ前でおいしそうにアイスを頬張る葵ちゃんを横目に今日撮った写真を確認する。
「良いの撮れた?」
「うん、たぶん」
適当に返事をする。正直、これと言って良いのは撮れなかった。一年と二年の時に応募したフォトグランプリでは何も成果を残せなかった。入賞写真は私が撮る写真とは雲泥の差で、どうすれば一枚の写真であそこまで物語性を出せるのか理解が出来なかった。
「少し見せて」と葵ちゃんがカメラを覗いてくると、思わず腕を引いてしまう。
「あ、ごめん」
葵ちゃんが悪いわけじゃない。ただ自分の出来の悪さを隠したかっただけだ。謝らせてしまったことに罪悪感を覚え、私も一言「ごめん」と謝ってから写真を見せた。
「へー結構よく撮れてるじゃん」
いつも通りに言われるとは思っていた。たぶん本心じゃない。繕ったものだと思う。
「この夕日をバックにした陰のやつとか凄い綺麗じゃん」
「そう? ありがと」
よくある構図のよくありそうな写真だ。こう褒められても、上辺だけを撫でられているみたいで何も感じない。きっと私の写真も「これがいいんだろ?」と上辺だけのものだから、そういう所が審査員にも見透かされてしまうのだろう。
だって私自身この写真が良いとは思えないんだから。
その日はそれでお開きになって、日が沈みかける前に私達は別れた。
一人になると私は家とは反対方向の本屋に足を運んだ。無人の雑誌コーナーでお目当てのフォト雑誌を手に取ると、特集ページにも色鮮やかな写真にも目もくれず、お目当てのページを探した。フォトグランプリの結果が掲載される七月号。この日を私は死刑宣告を待つ囚人のように首を長くして待っていた。高校生活最後のフォトグランプリ。せめて一度ぐらいは一次を通過したい。
結果のページを見つけると、淡々と並んだ一次通過者の名前を指でなぞっていく。そして、その指は一度も止まることなく、最後の一人を通過した。
吐きそうだった。
私が写真家になりたいと思ったのは十歳の頃だった。その頃の私は達観した、所謂ませガキだった。そんな頃、写真家のお父さんに写真を見せられて、魅せられた。
私は驚いた以上に、酷くズルいと腹を立て、お父さんの太ももを殴った。
夕焼けに焼かれるただの電線、水溜まりで遊ぶ子供、猫が目を光らせる狭い路地、どこにでもあるありふれた光景なのに、お父さんの目から見えるそれは私が普段から見ている世界よりもずっとずっと魅力的だったのだ。出来ることなら、私もこの世界に入りたい、そう思わされてしまったのだ。
家に帰り、今日撮った写真をパソコンに移して見直す。どれも過去に撮った写真と似たり寄ったりだった。殻から抜け出せていない。そんな気もするが、殻の破り方も破った先の方向性も何も見えていない。溜息が漏れるのも当然だった。
どうすればお父さんのようになれるだろう。以前、直接質問したが、お父さんは
「俺みたいにならなくていいんだよ」と笑って誤魔化してきた。
私は別に強要されてお父さんの背中を追い掛けているわけじゃない。目指したものの先にたまたまお父さんがいただけだ。
「ねぇお父さんは?」
夕飯の準備をしていた母さんは振り返ることもなく
「今日も出張ー」と抑揚もなく言った。
鐘が鳴った。先生は話の最中だったが、チラホラと生徒が糸を切らしたように伸びをする姿を見て、溜息交じりに話しを切り上げた。
先生が次回の範囲を大きめの声で言っていたが、それをちゃんと聞いていた生徒はたぶんほとんどいないだろう。
先生が教室から出ると、授業中の我慢を発散するように一気に騒がしくなる。
ハブられているわけではないが、特に話す相手もいない私はお父さんの書斎から持ってきたカメラ用品のカタログをバックから引っ張り出した。本格的な機材なだけあってどれも私の小遣いでは到底届きそうにもない。見ているだけで満足というやつだ。
しばらくすると、クラスの一端が振りすぎたサイダーのような盛り上がりをみせた。
何だと思い、目線を向けると案の定、葵ちゃんのグループだった。男女八人が集まり、最近ネットで流行ってるゲームをしているようだった。
楽しそうに笑う葵ちゃんはやっぱり可愛かった。私はあのグループに混ざったことは一度もないし、あのグループの人間関係も知らないけど、あのグループが葵ちゃんを中心に形成れていることは端から見ても理解出来た。
指でフレームを作って、その中に葵ちゃんを入れる。同じ教室、たかだか五メートルも離れていないだろう。そんな近くにいるのに、とてつもなく遠い存在だった。
フレームの中に山路くんが入ってきて、葵ちゃんの肩に手を置いた。葵ちゃんはそれを気に留めることもなく、仲睦まじげに話を続ける。
……やっぱりあの二人付き合ってるのかな。
山路くんは私にでも気さくに話し掛けてくる人だ。容姿端麗成績優秀。出来すぎ君みたいな人だ。一年生の女子が照れくさそうにクラスに訪ねてきたこともあった。葵ちゃんと一緒にいる姿は、正にお内裏様とお雛様。何も違和感がない。対して私と葵ちゃんが並ぶとお姫様と村民だ。不釣り合いなことこの上ない。
フレームの外を見ると、本を読むふりをして私と同じものを見ているであろう芋っぽい女子がいた。あの芋ちゃんもきっと私と同じ気持ちなのだろう。
毎週金曜日の放課後、それが私が葵ちゃんをモデルに写真を撮る日だ。その日、私達は適当に街をブラついていた。女子高生の行列に並んでみたり、映画のポスターのポーズを真似てみたり、葵ちゃんが行きたいとこやりたいことをやっていく。
ミルクティーを飲み歩く葵ちゃんとふと目が合った。
「あのさ、葵ちゃんはどうして下の名前で呼ばせようとするの? 私個人としては少し恥ずかしいから遠慮したいんだけど」
「下の名前で呼び合った方が距離が近い感じがするでしょ? み、ど、り」
ねっとり下から舐められるような呼び方に頬が熱くなるのを感じてしまう。葵ちゃんが指差して笑ってきたので、私はカメラで顔を隠して、お返しと言わんばかりにシャッターを切った。
素数のアイス屋さんでアイスを奢り、私達は椅子に腰掛けた。
「今日はどうだった? み、ど、り」
「だからやめてって。写真はいつも通りな感じだよ」
どうせ見せてと言ってくるので、私は投げやりな形でカメラを差し出した。カメラを受け取った葵ちゃんは慣れた手つきで液晶の画面を操作していく。
「今日もよく撮れてるね」
だろうなとは思っていた。だから「ありがと」といつもみたいに投げやりに答える。葵ちゃんは気にしないし、気にしなくていい。これは私の問題だ。葵ちゃんにとったらこのやりとりは暇潰しのための適当なコミュニケーションの一つなのだ。そこに真剣に答える必要はない。
「でも、不満なんでしょ?」
その瞬間、間の抜けた表情をしてしまったかもしれない。予想外だった。葵ちゃんがこんな踏み込んだことを聞いてくるのは初めてだった。
「……不満だってバレてたの?」
「こう見えても嘘と本音を見分けるのは得意なんだから。というか翠がわかりやすすぎ」
そうだろうか? ……そうなのかもしれない。
「それで、どこが駄目なの?」
言うかどうか躊躇った。どうせ葵ちゃんには理解出来ない。でも、こうして葵ちゃんが興味を持って質問してくることが嬉しいのも事実だった。
舌でよく転がしてから、私は恐る恐る披露することにする。
「……物語性っていうのかな……ワンシーンを切り取って、その写真の前後を想像させるようなものを私は撮りたいんだよ」
どれぐらい理解してくれたのだろうか。「物語性ねぇ」と葵ちゃんは独りごちると、再度写真を見ていった。たっぷりとした間の後、葵ちゃんが私に写真を見せるように前のめりになった。
「こうして見ると、私達付き合ってるみたいだけどね。まるでカップルのデート写真だよ」
咄嗟に、葵ちゃんの目が見られなくなった。
言われてみればそうかもしれない。ついてきているか確認するように振り向く姿、こっちに来てと手招きをする姿、撮られた百枚以上の写真を見ていくと、カメラに笑いかける葵ちゃんの写真はまるでカメラを持つ変人に笑いかけているようだった。
本当の私らは酷くかけ離れた関係なのに、写真で見る私らの関係は仲睦まじいカップルのそれと何ら変わらない。
「ねぇ、本当に付き合っちゃおっか」
「……きゅっ!?」
喉から変なのが出た。
葵ちゃんは私の変な声に吹き出すと
「何今の声っ。赤くなっちゃって、冗談に決まってるでしょ」と、いつもより早口な口調で捲し立て、席を立ち上がる。
「疲れちゃった。それじゃあまた月曜日ね」
矢継ぎ早の言動に、入る余地は一切なかった。葵ちゃんは早々に私に背を向け、駆け足に似た早さで、あっという間に角の向こうに消えてしまう。その間、私は呆然とその光景を見ていることしか出来なかった。
……何今の。
いつもは綺麗に完食するアイスは食べかけで、ゆっくりと額に汗を掻くように溶けていく。どうやら私は、嘘と本音を見分けるのは苦手だったようだ。
パソコンに写真を移している間、私はずっと今日のことを考えていた。
『ねぇ、本当に付き合っちゃおっか』
あれは何だったんだろうか。もしかして冗談半分、本気半分だったのだろうか。思い出そうとしても、あのシーンだけが明瞭に思い出せない。あの時の葵ちゃんの顔色は? 表情は? 何か一つでもハッキリと思い出せればあの時の本気度合いが窺えるだろうに。
データを移し終えたパソコンが軽快な音を鳴らして知らせてくる。
画面を見ると、画面一杯に並べられた写真が並んでいた。スクロールしていくと、これまで撮った千枚近い葵ちゃんの写真が流れていき、まるでストーカー、と苦笑いしてしまう。
背もたれに凭れて、丸椅子をクルリと回す。
山路くんとは付き合ってないのかなー。
考え悩ませてくるものは高校三年生の私には山ほどあった。目の前の色恋もそうだが、進路や写真の方向性、次の撮影場所、次の葵ちゃんとの顔の合わせ方に、入試対策などなど、瓦礫の山を前にどれから手を付けようとこまねている状態だ。
崩れかけた雑誌の山のてっぺん、何度も見た七月号の雑誌を手に取り、ページを開く。
カラフルな他のページと違い、簡素な作りのフォトグランプリの選考結果のページ。
もしかしたら見逃していないか、とその項目を見る度に僅かな希望を持ってしまう。こんな無意味な行動も、もう何度目だろう。一次さえも通過できない。それが今の私の実力だ。
世界の終わりにも似た胃の重たさを感じていたその時。
「翠呼んだかー?」
ノックもなしにドアの隙間からヌルリとを顔を出したのは会いたかった黒縁眼鏡のおっさん元い写真家の先生。
「あ、お父さん。お帰り。呼んだって、もう一ヶ月以上前だよ……どこ行ってたのさ」
お父さんは部屋に入ってくると、私の質問に答えるように「ほら土産だ」と箱を投げつけてきて、私は何度か手を滑らせつつもキャッチする。
「……東京バナナ」
「そう、札幌行ってきた」
「東京関係ないじゃん!」
「土産は必要かと」
「札幌のね!?」
そのツッコミが欲しかったと言わんばかりにお父さんは破顔する。私はそれにつられて笑うのが悔しくて、札幌土産の東京を口いっぱいに頬張りムスッとしてやった。
「それで何のようだったんだ? 恋の悩みか?」
「あっても絶対にお父さんにはしないよ。したいのは写真の撮り方についてなんだ」
そう言うが、自分でもどう口で説明すればいいか分からなかった。どうすればお父さんみたいな写真が撮れるの? と訊くのも恥ずかしいし、だからといってプロの写真家に今日葵ちゃんにしたような話をして的外れなことを考えているなと非難されたくもなかった。
お父さんはうーんと唸った後、何を思ったのか
「お前随分写真上手くなったな」
と言い出した。一体何のことを言っているんだ? とお父さんの目線を辿ると、その先には画面いっぱいに表示された大量の葵ちゃんの写真が表示されていた。
「ああああああああああちが、違う、チガう! これはモデルになってもらってるだけで」
「付き合ってるのか?」
「だからモデルなってもらってるだけ!」
「いつから?」
「……去年の夏休みぐらいから」
「そうかー。もう一年近く経つのか。素人の子が一年も付き合ってるくれるなんて、お前の写真に惚れてるか、お前自身に惚れてるかのどっちかに決まってる」
「だからそんなじゃないって」
「今も物語性ってやつに拘ってるのか?」
「え、うん、まぁ少し」
「だとしたらもう充分だと思うけどな。俺はその写真を見て、お前達が付き合ってるんじゃないかって想像したぐらいだし」
「でもフォトグランプリは落選したよ」
「うん、まぁ審査員の好みとかあるからな。落選したやつが他のコンテストで賞を取ることもたまにあるし」
お父さんは私とパソコンの間に割り込むと、ずけずけとマウスを操作して、写真を恥ずかしげもなく見ていく。なんだか私が恥ずかしくなってきた。
「翠の写真はそうだなー強いて言うなら、態とらしさが出てるんだよ。モデルの子が素人ってのもあるだろうけど、それよりも写真からこういうのがいいんだろ? って感じの技巧が見え見えなんだよ。写真に馴染ませるぐらいには自然に出来ないと。あとはモデルの子を大切にし過ぎている。被写体の一つと考えないと。これじゃあまるで」
「――まるで?」
「アイドルの写真集だ」
少なからずお父さんの言葉はショックだった。別にアイドルの写真を見下しているわけじゃない。アイドルを撮るカメラマンだってプロだ。ただ私が目指す写真の方向性が違うからだ。アイドルの写真はそのアイドルを如何に魅力的に撮るかに重きを置かれているが、私が撮りたい写真は端的に言えば日常の切り取りだ。何も私は葵ちゃんの写真集を作りたくて撮っているわけではない。私が目指すのは写真家になるための一歩、そのためのフォトグランプリの入賞だ。アイドルを綺麗に撮った写真が入賞出来るとは思えなかったからだ。
翌日、登校すると葵ちゃんはいつものように声は掛けては来ないが手を振って挨拶はしてくれた。こないだの一件は普段する会話のただの一つで私は何も気にも留めていません、と言っているみたいで、気にしている私が馬鹿みたいだった。
迎えた金曜日も、私らは先週とさして変わらない撮影を行い、他愛ない会話をした。
もしあとの時、私が怯まず「じゃあ付き合おっか」と言っていたら、あなたは何て返してきたのだろう。私らの関係はどう変わっていただろう。そんなことばかりを考えてしまう。
一ヶ月二ヶ月と経っても、私の心境は変わらなかった。いつまでもあの時のことばかりを引きずってしまっている。
金曜日の撮影を終え、撮った写真を眺めるとつい私は考えてしまう。
葵ちゃんとこうした関係になる世界線もあったのかもしれない。
付き合っていることを内緒にしている私達は、学校では目配せするだけで喋らないけど、放課後に皆に内緒で待ち合わせをするのだ。そこでクラスの奴らと出くわさないように、クラスの奴らが行かなそうな場所に行き、デートをする。自然公園をブラついたり、河川敷を意味もなく寝転がったり。空がオレンジ色に染まり出したら、あなたは私の影を踏み出して、私がそれを避けようとして、追いかけっこが始まるのだ。夏が終わって秋になれば、今度は落ち葉を踏み始める。カシャリカシャリと乾いた音が面白くて、あなたは笑いながらスキップをし始めるのだ。冬になれば新雪を踏み始める。穢れを知らない精錬されたような新雪をギュッギュッと足跡を付け始めるのだ。倒れてみたり、小さな雪だるまを作ってみたり。そのうち、写真ばかりを撮る私に向けて雪玉を投げ始めて、雪合戦が始まるのだ。
パソコンから目を離すと、一人の現実に引き戻された。
季節は冬。路肩には先週降った雪の残骸が腰の高さまで以前として積まれていた。
私達の関係も以前として変わらず、もうすぐ卒業を迎えようとしている。
きっと私らの関係はこのまま進展することなく、卒業を迎えて、疎遠になるのだ。告白する勇気なんて当然持ち合わせていない。拒絶されるのが怖かったし、今の関係が少しで悪い方へと傾いてしまうのが怖かった。私は卒業する残り僅かな日々もカメラを構え、ファインダー越しにありえたかもしれない世界を覗くのだ。
この世界はたまたまこんな悲しい関係になっただけだ。そう考えると幾らか楽になった。
「今日はどこ行くの?」
放課後、栄えてない駅の裏側、自販機の前で私らは待ち合わせをした。その日、私は少し一歩を踏み出して、山路くんとの関係を訊こうと思っていた。
結果だけを述べる。葵ちゃんは山路くんとは別に、好きな人がいるらしかった。その人は話すと面白くて、夢のことしか考えてなくて、葵ちゃんのことが眼中にない人らしかった。私とは正反対の人だった。
路肩の雪がなくなると、桜が咲くまではほんの一瞬だった。
卒業式を終えた校門前は怏々として咲く桜で記念写真を撮ろうとする人や、別れを惜しむ人々でごった返していた。
私は無人になった教室からその光景を見下ろしていた。別に誰かと待ち合わせしていたわけでも、誰かが告白してくるかもと僅かな希望を持っていたわけでもない。ただ三年間過ごした学校の桜を一人で落ち着いて撮りたかったのだ。
他人や物事に興味がないと思われている私でも流石にこういうときは考え深く、ゆっくり感傷に浸りたくなる時もある。
「あ、やっぱりいた」
廊下からの声に振り向くと葵ちゃんがいた。私は少し驚いて
「ど、どうしたの?」
「卒業式だもん。折角だから少し喋ろうと思って」
まるで私が断らないと知っているように「嫌だった?」と葵ちゃんが首を傾げてくる。何て返事するのも恥ずかしくて、私は返事のつもりで腰掛ける机を少し右にズレた。
伝わらなければそれでいい。そんなつもりだったのに、葵ちゃんは察しよく満足そうに笑って、私のすぐ隣に座ってきた。
肩がぶつかるぐらい近くで、心臓の音が聞こえないか心配になってくる。
「翠は大学行ってからはどうするの?」
「今と変わらないよ。写真家を目指す」
そう、私達は別々の大学。今伝えなきゃ、恐らく一生伝えられないのに、伝えたい想いが引っかかって出てこない。
「そっかー。じゃあ私ももっと大人っぽい服装にならなきゃなー」
「……今の会話の流れで、どうしてそうなるのさ」
「え? だって、私をモデルにするのも変わらないんでしょ」
「……え?」
心臓の動かし方を忘れてしまった。
「あれ? もしかしてクビ?」
「いや、クビじゃないけど…… そのこれっきりかと思ってて……」
「良かったー」と葵ちゃんが両足を伸ばす。
「私そんな白状じゃないから。アイスの契約は写真家になるまで有効だからね」
私は照れくさくて、言葉に困ってしまう。そんな私を知ってか知らずか
「ねぇ、折角だし。一緒に撮ろうよ。桜で、記念に」と葵ちゃんが私の手を引っ張った。
「え、でも外には山路くん達が」
「どうせ明日から会わないんだから気にしない気にしない」
教室を飛び出し、階段を駆け下りる。形だけの抵抗のまま、私はつんのめるように外へと出た。眼前に広がったのは目を細めたくなるほどの光り輝く桜と、スッポンとお月様が手を繋いで出てきたことに驚くクラスメイト達の姿があった。
自然と集まる視線に私は躊躇い
「やっぱり辞めようよ。恥ずかしいよ」
と抗議したが、葵ちゃんはそれを受理することはなかった。
呆然とする山路くんに葵ちゃんが私のカメラをひったくって渡す。
「ねぇ撮って」
え、あ、うん、と心ここにあらずの山路くんが言われたままにカメラを構える。
桜の下に立ってカメラに振り返ると、目に入る人の視線は全てこちらに向かれていた。
「は、恥ずかしいんだけど」
「気にしない気にしない」
離れようとする私の腕に葵ちゃんが絡んでくる。触れる肩に私の鼓動はピークに達していた。
「それじゃあ撮るよ」
山路くんの声にはいつもの覇気がなかった。
「はい、チーズ」
葵ちゃんが満面の笑みでピースをして、私は隠しきれない恥ずかしさと嬉しさに顔を綻ばせて、変に折れ曲がったピースをした。
その年のフォトグランプリで、その写真は物語性を評価されて佳作に入賞を果たした。
何でも私達の表情や、よれ曲がった写真から伝わる快く思っていないカメラマンの心情、端に映る呆けた視線で二人を注視する観客の様子が良かったらしかった。
私はその雑誌に書かれた選評に「なんだよそれ」と少し笑った。
「結局方向性とか分かんないじゃん」
でもまぁいいかと思う。私達にはまだもう少し時間がある。
しばらくすると葵ちゃんが電話をしてきて
「賞金で、どこで撮るの?」
と暗に旅行に連れてけ、とせがんできた。
だから私はそろそろ、告白してやろうかと企んでいる。
読んで頂きありがとうございました。
感想を頂けたら幸いです。