エロが産んだオカネという代物
「リュディアの国には、トモロス山から流れ落ちてくる砂金を除いては、記述するに足るような珍しいことは、他の国ほどには見当たらない……」
(ヘロドトス 「歴史」巻一 九十三節より抜粋)
「……リュディア人は我々の知る限りでは、金銀の貨幣を鋳造して使用した最初の民族であり……」
(同九十四節より抜粋)
豊富な砂金に恵まれた小アジアの古代国家において、史上初めての通貨が生まれました。
その通貨は、ある特徴を伴っていました。
それは……
「エロエロチケットだった!」
燃えるようなスケベ心が通貨を産んだ! というセンセーショナルなお話(?)をするために書いたのが、この文章です。
お金というものは、いったいどこで生まれたのでしょうか?
歴史の教科書では、リュディア王国こそがその嚆矢となったとしていますが、詳細についての説明はありません。
実際には、通貨の誕生以前から取引は存在しました。
古代メソポタミアの頃にも、債務の概念はあり、物々交換の経済も存在しました。そして、特に交換の基準になりやすかった物品は、大麦と銀でした。
大麦が交換や債務の基準になったというのは、不思議でもなんでもありません。
債務が何のために誕生したかといえば、生存の確保、食糧不足への対策にあったのですから。つまり、今年は食べるものが足りないから大麦を「借りる」けれども、来年の収穫で「返す」というわけですね。
単純に生きるための必要から、利益を見越した投資と負債が生まれたのです。
とはいえ、麦は嵩張るし、保存性もいまひとつです。他よりはマシですが。
そこでもっと扱いやすく、長持ちするものが必要でした。
古代メソポタミアは、銅器の時代です。
金属自体が貴重な世界でしたが、銅よりもっと稀少だったのが金であり、銀でした。
銀は腐蝕しにくく、適度に柔らかいので加工にも向いており、実用品を作れるだけの強度もありました。そこで当時の人々は、銀の重さを量って取引に使いました。
そのうちに利便性を考えて、銀の一部を引き千切り、一定の重量にして、リングの形で運搬するようになりました。事実上の通貨です。
経済学の昔の先生方、アダム・スミスなんかは、こういう金属に価値の基準を置くものが通貨の始まりであるとしています。
しかし、これは通貨であって通貨ではありませんでした。
なぜなら、当時の人々は、あくまで「物々交換」をしていたからです。貨幣、という概念はなかったのです。銀には銀固有の価値があり、たとえ取引する相手がいなくなっても、その利用価値そのものが失われるわけではありませんでした。
この、通貨型物々交換経済は、しばらくの間、持続しました。
しかし、銀が真の通貨になることはありませんでした。メソポタミアの諸都市のル・ガル達は、銀を退蔵しました。広く流通させることそのもので得られる利益について、思い至らなかったのでしょう。
そこに革命を起こしたのが、リュディア王国だったのです。
リュディア最後の王、クロイソスは、現代でも大富豪の代名詞です。
その彼の富を支えたのが、リュディア独自の通貨システムでした。
これを読まれているあなたは、「シニョリッジ」という言葉をご存知でしょうか。
ネットで検索すると、通貨発行益という言葉が出てくるかと思います。
例えば、私が古代の王様だとして。
10グラムの純金で、金貨を作ります。
結果、できた金貨の価値は、10グラムの金と同等です。
通貨発行益は、ゼロですね。
では、こうしましょう。
5グラムの純金に、タダ同然の銅を混ぜて、エセ金貨を作ります。
まぁ、実際には、古代においては銅も充分に価値があったのですが、計算を単純にするため、とりあえず無視するとして。
結果、できた金貨の価値は……?
こいつを、10グラムの金と同等の価値として発行したら、どうなるでしょうか?
金貨が1枚流通するごとに、私は金貨半枚の利益を得ることができます。
ウハウハですね。
まさに錬金術です。
リュディア王国は、シニョリッジを得ていました。
それまで、古代メソポタミアなどで使われていた銀塊は、銀そのものでした。
もっと古い時代のエレクトラム貨も、金の含有率は70%ほどはありました。
それがリュディア王国の発行した金貨はというと、50%ほどしか金を含んでいなかったのです。
ボロ儲けです。
五千円札の表面に「いちまんえん」と書いて流通させるようなモノです。
クロイソスは、笑いが止まらなかったことでしょう。
ですが。
それまでの物々交換経済の人々がこのエセ金貨を見たら、どう感じたでしょうか。
「ふざけんな! 混ぜものだらけじゃねーか!」
ですが、それがまかり通ってしまったのです。
金が目減りしているのですから、価値も目減りしているはず。なのに、受け入れてもらえた。
どうやって?
「……アリュアッテスの陵墓がそれで(中略)これを造営したのは商人や職人、それに淫をひさぐ娘達であった」
「それぞれの団体が残した仕事の量が(中略)娘達の果たした仕事の量が明らかに最も大きかった」
「娘達がみな身を売り、嫁入りするまで自分の持参金を稼ぐのである」
(同九十三節より抜粋)
リュディア王国に残された、巨大な王の墓。これをヘロドトスは見学しに行ったようです。なお、古代における「観光旅行」は、こうした人工物を見に行くもので、ビーチリゾートなんかに行く旅行はなかったようです。
で、その墓を作るには、お金が必要です。誰がどれくらい費用を負担したのか。巨大なモニュメントを建造する出資者の中でも、最大のスポンサーが、なんと売春婦達だった、というのです。
どの王が思いついたかはわかりません。
ただ、リュディア王国の公共事業の一つに売春があり、女性はそこで仕事をこなさなければ、結婚できませんでした。やらなければ嫁入りに必要な持参金が用意できないのですから、未婚のままでいなければなりません。
古代世界において、未婚は一般的ではありませんでした。旧約聖書のエレミアなんかがいい例ですが、主の予言を証するために童貞のままでいた彼は、周囲から変人扱いされていました。
つまり、売春は、やって当たり前のことだったのです。
その売春宿を利用するのに必要なチケットが、王国の発行するエセ金貨でした。
他の方法では娼婦を抱くことができないのです。
ゆえに、価値が生まれます。
人々は、特に男達はエセ金貨を得なくてはならず、そのために通貨の価値を認めなければならなくなりました。
いったんその形で流通し始めると、自分では売春宿に行かない人まで、金貨を欲しがるようになります。
なぜなら「誰かが欲しがることがわかっているから」です。
そして、これが真の意味での通貨の誕生だったのです。
通貨に金を用いたのは、あくまで偽造防止のため。
金そのものの価値ではなく、通貨であるがゆえに価値がある……現在知られている限りで、そのことを世界で最初に認めさせたのが、リュディア王国だったのです。
そのための手段として彼らが用いたのが、エロでした。
「でも、いくらなんでも突飛過ぎないか?」
そう思うのも無理はありません。特に現代人の感情からすれば。
売春は大変なことで、おいそれとやれるものではなく、女性に大きな負担がかかるものと、そうお考えでしょう。
いくら王様が「嫁入り前の娘は、体を売って持参金を作れ」と言ったところで、みんな従うでしょうか?
現代日本で内閣総理大臣がそんなことを言ったら、その日のうちに辞任は確実でしょう。
しかし、古代においては、そうではなかったのです。
なぜか。
そもそも売春が当たり前で、しかもそれがもともと、政府の公共事業だったからです。
もともと、というところがポイントです。偶然、リュディアの王様のアタマが狂っていたわけではありません。
世界最古の叙事詩として知られる『ギルガメシュ叙事詩』……
この物語の序盤は、こんな内容でした。
『ウルクの王ギルガメシュは三分の二が神、三分の一が人間で、大変に乱暴な男だった。
その粗暴さを見た天神アヌは、彼を改心させるべく、女神に命じて野人エンキドゥを創造させた。
地上に降り立ったエンキドゥはギルガメシュに戦いを挑んだ。
ギルガメシュはその手強さを思い知り、いったん退いた。
そして、計略でもって、エンキドゥの力を削ぐことにした……』
ギルガメシュが呼び出したのは、神殿娼婦でした。
つまり、神殿で働く売春婦です。
『エンキドゥは七日七晩、神殿娼婦を相手に楽しんだ。
その後でギルガメシュは戦いを挑んだ。
足腰が弱りきったエンキドゥは、ついに降参した』
この記述は、古代メソポタミアにおいて、神殿という公共機関が売春を斡旋していた事実を示しています。
古代においては、財貨が負債によって管理・分配されていたのと同じように、性もまた、分配の対象だったのです。
恐らく、そうしなければ国家の結束を維持できなかったのでしょう。
性的に疎外された男達が、都市国家の防衛のために力を尽くすでしょうか。
当時は拳銃も戦車もない世界です。
腕力が大きくものを言う時代に、共同体内部の男達の不満を溜め込むことは、無視できないリスクでした。
要するに、リュディア王国による通貨の発明とは、ただの「つけたし」でした。
もともとあった売春に「王国の公式コイン以外でのエロはまかりならん」と注文をつけただけだったのです。
売春の伝統は、古代ギリシャにも受け継がれました。
例えば船乗りがコリントを目指すのは、商売のためではない、と言われたそうです。
コリントにはアプロディーテの神殿があり、そこには神殿娼婦達がいました。
現代とは違い、売春婦にはそこまでネガティブなイメージがなかった点も無視できません。
体を売ってお金を稼ぐ女性は、独立して生きる存在だとみなされていたようなのです。
ローマでは、少し状況が違ってきます。
剣闘士と同じく、売春は卑しい生業で、ローマ市民権を手にするに値しない職業でした。
なにしろローマは、少子化に苦しんだ社会です。
そのため、経産婦の価値が高く、年齢が高くても出産経験のある女性は重要視されました。
それでも、売春そのものは大変安価に提供されました。
現代換算でワンコイン以下、ワイン一杯分程度の負担しか必要とはされなかったのです。
売春の伝統と同じように、通貨の伝統も受け継がれていきました。
アテネはラウレリオン銀山を抱えていましたが、そこでフクロウ印の銀貨、ドラクマを発行します。
しかし、過酷なペロポネソス戦争を通じて、アテネもまた、通貨の改鋳を繰り返しました。銀の含有率はどんどん落ちていき、しまいには何が素材だかわからないようなものが出回りました。それでも、硬貨の表面にフクロウが刻まれている限り、それはドラクマだったのです。
結局戦争には負けましたが、アテネは最後までドラクマで傭兵に賃金を支払うことができました。
ローマもまた、通貨の旨みを存分に利用しました。
ネロ帝はカエサルやアウグストゥスの経済政策を見習って、通貨の供給量を増やしつつ、改鋳を積極的に進めました。これによって長引く不況は改善されました。
また、ローマにおいては通貨は政治的宣伝手段としても活用されました。表面に皇帝の顔や事業について、刻印したものをばら撒いたのです。現代の考古学者は、セステルティウス青銅貨の表面に刻まれた図柄で、それがいつの時代に発行されたかを知ることさえできます。
ただ、かつてのように、通貨は既に売春とは紐付いていませんでした。
以後、エロとオカネは別々の道を歩みだしたのです。
古代と現代では全然違うところもありますが……
いくつかの出来事には、はっきり共通点が見て取れます。
ビットコインがあれほど値上がりしたのは、なぜでしょうか?
ただのデータでしかないのに、誰かが欲しがるがゆえに価値が高騰し、今に至ったのです。
金属その他に紐付かなくても、きっかけさえあれば、通貨というシステムは、さながら雪だるまのように坂道を転げ落ちていくのです。
世界各地でインセルと呼ばれる、つまり性的に満たされない男性が、しばしば暴力事件を起こしているのはなぜでしょうか。
古代と違って、性の分配が行われない社会だからです。
言い換えると、古代にも同様の問題があった可能性があります。「新石器時代には、一人の男性に十七人もの女性が集中した」なんて研究もあるくらいですから、それはもう、激烈な対立があったことが想像されます。
というわけで……
「エロがお金を作った!」
いかがでしょうか。
つまり、お金の正しい使い方とは、ビットコインの売買で儲けて、そのお金で風俗店に『ピーッ!(自主規制)』