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「本当にあった怖い話」シリーズ

「くいっ」

作者: 詩月 七夜

 もう何年も前のことである。


 自バレしてしまうので、詳細は明かせないが、私はとある町の小さな施設に勤務していた。

 その施設の前には「B川」という川が流れていて、周囲は見渡す限りの水田。

 非情にのどかな環境にある施設だった。


 B川は大きな川ではない。

 川幅も10メートルは無く、釣り人が年中釣り糸を垂らしているごく普通の川だ。

 流れも緩やかで、水深3~4メートルほど。

 なので、とりたてて深すぎるという川でもない。

 豊かな自然の中、カワウやカワセミが飛び交い、時折通る小舟のエンジン音に驚いて、ハクレンが跳ねる…そんなどこにでもある川だった。


 ところが、ある日の朝。

 他の人間が休暇の中、いつものように開所し、事務室内で私ひとり、仕事をしていた時のことだ。

 ふと、玄関で人の声がした。


「すみません」


 その声に応じ、事務所を出ると、玄関に消防署の署員が立っていた。

 用向きを聞くと、


「今朝がた、B川で仏さんが出た」


 とのことだった。

 驚く私に、消防署員は「何時くらいにここに来たか」「こんな感じの人物を見なかったか」など、質問してくる。

 今朝は普通に出勤したが、特に異変は無かった。

 それに(注視していなかったが)川や周辺では、特に該当するような人物はいなかったように思う。

 聴取を終え、署員が帰ってからは、近所に住んでいたパートのおばさんが差し入れを持ってきてくれたので、お茶を飲みながら、この話で盛り上がった。


 やがて、昼休みになり、パートのおばさんが帰った後、再び一人になった。

 この施設は、滅多に電話も鳴らず、来客もなかったので、つまらなくはあったが、一人の勤務というのは気が楽だった。

 なので、昼ご飯を済ませ、満腹感に任せて、自席に突っ伏してうとうとしていた。


 その時だった。

 突然、私の服の左裾が「くいっ」と引っ張られた。


 私は慌てて飛び起きたが、振り返っても誰もおらず、事務所の中はしーんと静まり返っている。

 最初、同僚の誰かがイタズラでもして、隠れてるんだろうと思い、施設中を見回るが、誰もいない。

 うとうとしていたので、気のせいかと思い、もう一度机に突っ伏した。

 やがて、再び睡魔が襲ってきたので、気持ちよくそれに身を任せているところで…


くいくいっ


 私は再び飛び起きた。

 今度はさらに早く反応する。

 誰かがイタズラでやっていたとしても、絶対に隠れる暇などない速度で周囲を見回す。


 しかし。

 事務室の中は、静まり返ったまま、人っ子一人見当たらなかった。


「誰かいますか?」


 念のために声を掛けてみるが、反応は無い。

 それは当然だろう。

 最初に起こされた時に、玄関を施錠しているのだ。

 なので、誰かが出入りできる状態にはない。

 再度、施設内を見回るが、人の気配もない。

 首を傾げるばかりの私は、自席に戻った。

 そして、再度机に突っ伏す。

 ただし、今回は眠気も失せていたので、うまく顔を隠し、身動き一つせず、寝息をわざとたてていた。

 誰かが潜んでいれば、すぐに尻尾を掴んでやれる状態だ。

 この時点では、私はまだ「誰かがイタズラでやっている」という認識だった。

 それが、間違いだったと気付いたのは、三度目に裾を引かれた時だった。


くいっ


 「きた!」と、最速で飛び起きる私。

 そこには…


 誰もいなかった。


 さすがに「おかしい」と思った私。

 今回は、事務所の出入り口扉も閉めてあった。

 それも開閉された様子はない。

 椅子に座ったまま、硬直していた私は、あることに気付いた。


 床の上…ちょうど机に突っ伏した私の左裾の方向の床に何かがある。

 よく見ると。

 床の上が、水で濡れていた。

 そして、その水滴は出入り口の方へと続いている。


 断っておくが、この日は快晴で雨漏りなどが起こることはあり得ない。

 自分で飲み物などをこぼしたわけでもない。

 なので、床が不自然に濡れている理由が一切ない。

 私の脳裏に、今朝の消防員の言葉がよみがえる。


「今朝がた、B川で仏さんが出た」


 私は声を呑み込んだ。

 まさか…と、思う。

 そうして、2、3分は固まっていた時。


プルルルル…


 不意に目の前の電話が鳴る。

 死ぬ程驚き、恐る恐る受話器に手を伸ばすと、

 背後のパートさんのデスクで、


プルルルル…


 と、もう一台の電話が鳴り始めた。

 さらに、


プルルルル…


 今度は私のデスクの右隣りの上司のデスクの電話が鳴る。

 私は青ざめた。

 先程も書いたが、この施設は来客はおろか、電話が鳴るのも稀である。

 それなのに、事務室の電話が一斉に鳴り始めるなど、それこそあり得ない確率の偶然である。

 実際、今までそんなことは一度も起きていなかった。


(とにかく、電話に出なきゃ)


 私は、震えながら自分のデスクの電話から受話器を取ると、耳に当てた。


「…もしもし」


ゴボゴボゴボ…


 受話器から聞こえて来たのは、人の声ではなかった。

 固まっていた私は、それが水の中に潜った時に聞こえる音だと気付き、咄嗟に受話器から耳を離す。

 思考が停止していた私は、受話器をただ見詰めるだけだった。

 受話器からは、まだ「ゴボゴボ…」という水が流れる音が漏れている。

 こらえきれず、電話台に戻そうとした瞬間、受話器からかすかに、女の声がした。





            “…いっしょに…きて…”





 それは、本当に聞いたこともないような悲しい声だった。

 思い切り、電話を切ると、周囲で鳴っていた二台の電話も同時に鳴り止んだ。

 ドッドッドッ、と自分の心臓の音が、あり得ないほど大きく聞こえたのを今でも覚えている。


 その後、私は施設を施錠し、パートのおばちゃんの家に飛び込んだ。

 事情を説明すると、おばちゃんはただ事じゃない私の様子に、


「分かった。じゃあ、一緒にいてあげる」


 と、事務所まで来てくれた。

 その時戻ると、床の水滴は既にほとんど乾ききっており、事務所の電話も、鳴ることは無かった。

 結局、おばちゃんには終業まで付き合ってもらった。

 おばちゃんは、玄関と事務所に清めの塩を撒いてくれ「これでもう大丈夫」と笑顔で言ってくれた。

 おばちゃんは別段霊媒師とかではないが、その笑顔の頼もしかったこと。


 ただし、夕暮れ時になり、施設を施錠しておばちゃんと一緒に帰る際、どうしてもB川の方は見ることが出来なかった。



 後日。

 B川で上がった仏さんは、女性だったことが判明した。

 理由は定かでは無かったが、おそらく自殺だろうと噂された。


 その女性がどんな理由で、自ら命を絶ったのかは私には分からない。

 ただ、あの日、受話器越しに聞こえた悲しげな声が、今も耳から離れない。

 あんな形で私に呼び掛けてきたのだから、多分、一人で逝くのが相当寂しかったのだろうと思う。


 その後、しばらくその施設に勤めていたが、おばちゃんが撒いてくれた清めの塩が功を奏したのか、怪異の類は一切起こらなかった。

 代わりに、その一年後に中学生がその川で亡くなったという。

 その時の事件は、テレビでも流れたが、原因が何だったのか。


 今も、余計なことを頭の中で思い描いてしまう。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 緊張感に満ち満ちた構成となっており、「怖いけど、続きが気になってつい読んでしまう……」という心惹かれる作品でした。 主人公の一人称視点で淡々と情景が描写されていくも、徐々に主人公の周囲の様…
[良い点] 読み進めていく中でタイトルの意味が分かり、センスが良いなと思いました。 電話が一斉に……は、実際に起きたらかなり怖そうですね。
[良い点] 引き込まれて、くいっくいっ読めました。 [一言] 「本当にあった怖い話シリーズ」なので本当にあったことなんですよね?!o(>_<)o   私、ビビりのくせに怖い話が好きで………。 また、訪…
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