第八章 寮祭、始まる
野薔薇寮の出し物は模擬店、ティールームに決まった。場所は幸運にもサロンが割り当てられ、提供する茶や菓子の調理をする者、軽食やお茶の給仕をする者、内装の準備をする者等分担も進み、学業の合間に準備を進めている。
調理部門の担当はエラ、内装はメルセデス、給仕についてはイリーネが仕切っている。エラは、給仕の制服の型紙を起こし、衣装製作にも関わっていた。
マルガは、全体の調整をする事になっていたが、ほとんどイリーネの尻拭いに回っているようなものだった。
「……疲れた」
給仕役についた上級生達と、イリーネが衝突し、その調整に入って戻ってきたところだった。イリーネは一緒では無い。彼女は彼女なりに発散、つまり、男子寮に山ほどいるとりまきのところへ愚痴でも言いに行ったのだろう。
寮祭の最終日、サロンから眺める内庭で、開かれる後夜祭。そこで開かれるダンスは、野薔薇寮の女生徒にも、男子生徒にとっても、堂々とダンスができる貴重な場だ。
後夜祭の間は、野薔薇寮で行うティールームも閉めてしまってもよかったのだが、足の悪いゲストや、高齢の来客者の為、開放する事に決まった。
けれど、かわいい衣装に惹かれて給仕係に立候補したものの、ダンスには参加したいと言う、一部の上級生達と、イリーネが衝突してしまったのだ。
上級生からすれば、下級生がやるべきだと言う。
イリーネからしてみれば、実行委員は自分なのだから自分に従うべきだという。
どちらも理があるようだが、相手の言い分に耳を貸さず、譲歩のしようがないので、ちっとも話が進まない。
その場を収めてくれたのは、ユリアーナだった。
ユリアーナは、マルガ一人を呼んでそっと耳打ちしてくれた。
「例年、陛下と殿下はサロンからお庭をご覧になるの、……多分、今年も」
マルガはユリアーナの言わんとすることを一瞬で理解し、ぽん、と手を打った。
今度はマルガがイリーネに耳打ちする。女王陛下ご一家はサロンからお庭をご覧になるんですって、つまりは……。
「お姉様方がそこまでおっしゃるなら、仕方ありませんわ、後夜祭の給仕は私達が、努めさせていただきます!」
ようするに、目当ての王太子殿下がいないダンスパーティであれば、イリーネにとっては参加する意味をもたないという事だ。『私達』の『達』に誰が含まれているのか、マルガは確認しようかとも思ったが、するだけ無駄なので黙っていた。
上級生達は、すでに王太子殿下に対して過剰な夢をもっていないようで、将来有望な男子学生を捕まえたいという打算があるのか、こうして、互いの妥協点がようやく見つかり、マルガは開放されたのだった。
「……お疲れ様」
ぐったりと自室の机につっぷすマルガにメルセデスが緑茶を入れてくれた。
「うう、ありがとう、メルセデス……」
マルガは緑茶をすすった。
「えらいよね、マルガは」
自分もお茶をすすりつつ、メルセデスが言った。
「そうかな……なんか、あちこちに迷惑をかけてるだけなんじゃないかって気がしてるよ……」
材料の仕入れ、各種材料の調達、委員会から予算は出ているものの、当然ながら予算には上限があり、やりくりして、各係と調整をしなくてはならない。
寮内に知り合いの少ないマルガと、どちらかといえば敵の多いイリーネでは難航する事も多い。そんな時に、助けてくれるのはユリアーナだった。
「ユリアーナがいなかったらどうなっていたか……」
マルガは、心からユリアーナに感謝した。ゲルトと相談している件は、ユリアーナには言っていない。彼女はあくまでも監督生の立場として、マルガを助けてくれているのだ。
「でもさ、マルガが『参加しよう』って声をあげてくれたから、ここまでやれたわけだし、私、今回の準備で野薔薇寮にも、男子寮の方にも知り合いが増えたよ、講義を受けているだけだったらこうはならなかったかも」
そんな風にメルセデスに言われると、うれしい反面後ろめたくもあった。これは一種の『たくらみ』で、野薔薇寮の皆を巻き込んでしまっているとも考えられるからだ。
けれど、今更後戻りはできない。
「私も、大変だけど、楽しい」
それは、マルガにとっても素直な感想だった。
後は、寮祭で一番をとり、女王陛下とユリアーナの一対一の会見を実現させる。
その上で、先のことは、ユリアーナが、王太子殿下が決めてくれれば……。
寮祭まで、あと二日。残りの準備を、滞りなくやりとげなくては。
マルガはお茶をぐいと飲み干した。
最後の二日間、マルガもエラもメルセデスも、ユリアーナでさえ、一生懸命準備をし、寮祭当日がやってきた。幸いにして、晴天にも恵まれ、学院長の挨拶もそこそこに、寮祭の幕は開いた。
マルガは、野薔薇寮の皆でやっている、ティールーム『野薔薇亭』と、実行員の詰め所にもなっている南寮会議室を行ったり来たりしながら、食堂の演目をのぞき見たり、西寮三階が開催している射的で遊び、景品を手に入れたりもした。
エラは、厨房で、不足しがちなケーキを焼いたり、メルセデスは、料理を運ぶために作ったワゴンの調子を見ながら、マルガ同様、他の模擬店などをひやかしたりしてもいる。
厨房から動けなくなってしまったエラだったが、食堂の演目を最初から見られる事を楽しんでいるようで、私、今日はもうずっと厨房にいてもいい、などと言い出してしまったので、あわてて上級生に言って交代してもらうという場面もあった。(けれどエラは自由時間をもらっても、引き続き食堂の座席の方へ移り、上演される演劇や音楽を楽しんでいた)
イリーネは、マルガが考えていたよりもずっと働いてくれていた。サロンの入り口で、空席がないか気を配り、できてしまった行列をさばきつつ、待っている客の相手などをして、思っていたよりも卒がない。
しかし、動きの悪い上級生に少しキツめの物言いをしてしまい、またしても揉めそうな場面があったのだが、ユリアーナとフィーネがうまく仲裁してくれたらしい。
マルガはその場面を見ていなかったのだが、後からメルセデスに聞いた。ユリアーナとフィーネは、イリーネをたてつつ、細かく助けてくれている。これは本当にありがたい事だった。
少しだけ休憩しようと、南棟一階の会議室を覗くと、ゲルトが一人でお茶を飲んでいた。男子寮生の多くは、野薔薇亭でお茶を楽しんでいて、中には蜂蜜酒を片手に上機嫌になっている者などもいたが、さすがに実行委員長が飲酒をするわけにはいかないのだろう。
マルガが来たことに気づくと、ゲルトは顔をあげて、笑顔をつくった。
共に実行委員をやるうちに、マルガはゲルトがとてもたのもしく、紳士的だという事を痛感していた。野薔薇寮ではユリアーナに助けられたが、実行委員会の会議ではいつもゲルトが助けてくれていた。
「楽しめているか? マルガ、実行員になってしまうと、中々自分の思うように見て回るわけにはいかないだろう」
マルガは、特にゲルトの声が好きだった。
低く、優しく響く声が。
「ええ、本当、思っていたよりずっと大変、でも、ちょこちょこ見て回ってはいるの、普段過ごしている場所が、こんなふうに変わってしまうのって、新鮮だしおもしろいのね」
マルガは、ゲルトの向かいの席に座り、言った。
「もうじき女王陛下がいらっしゃる、……いよいよだな、これで君も肩の荷が降りるんじゃないか?」
「……そうですね、でも、殿下にもユリアーナにも、結局なんの根回しもしていないままで」
「君は元々場を用意するだけのつもりだったんだろう? 充分よくやったさ」
「王太子殿下はどうですか?」
「ずっと舞台のほうにいるね、板の上にあがってしまえば、誰からも近づいてはこないから、……ユリアーナは?」
「ずっと、野薔薇亭の方に、寮祭を見て回っている様子はなさそうです」
「……そうか」
一度、お二人で対面する場面を設けておいたほうがよかったのではないだろうか、そう、思いながら、実行する事ができずにいた。マルガはそれを少しだけ後悔している。
「マルガ、催し物の最優秀賞はほぼ『野薔薇亭』で決まりだと思う」
すでに食堂入り口に貼りだされた掲示板で投じられた花の数で一目瞭然ではあったが、結果が出せそうな事を、マルガは素直にうれしく思った。
「後夜祭会場の方で、表彰しようと思っていたが、サロンで、今は野薔薇亭だが、そのまま行ってしまおうかと思っている。バルコニーを開放すれば、中庭からも見られるからね、そこでひとつ注意しておいて欲しいんだが……」
「はい」
「ユリアーナが、その場から立ち去らないように」
あっ、と、マルガは思った。ユリアーナは、後夜祭の時に、女王陛下ご一家がサロンで過ごされる事を知っていた。という事は、王太子を避けているユリアーナの事だ、いずこかへ身を隠してしまう可能性があるのだ。当日の喧騒に酔っていたマルガは、ゲルトに指摘されるまで、思い至らなかった。
「確かに……そうですね、ユリアーナは、後夜祭の時、陛下や殿下がサロンに、『野薔薇亭』に来る事を知っていました、という事は、後夜祭が始まる前に姿を隠してしまうかもしれない」
マルガは、あわてて立ち上がった。
すると、会議室の外がざわついている事に気づいた。
「……どうやら、陛下がいらしたようだ、マルガ、一緒においで、殿下とユリアーナはともかく、陛下には、根回しの必要がある」
女王陛下の御前に! 私が! 急な事にマルガは驚いた。今、マルガは野薔薇亭の給仕の為のエプロンドレスを着ている。エラがデザインしたもので、着用する女生徒の皆からも、来客達の評判もよいかわいらしいものだが、このまま陛下の前に出て失礼にあたらないだろうか。
急に身なりを気にし始めたマルガに、ゲルトが言った。
「大丈夫、君はそのままで、とても……」
と、途中まで言ってから、ゲルトはマルガの耳元に唇を寄せ、ささやくように続けた。
「かわいらしいから」
マルガの心臓は、一気にその動きを早め、頬は真っ赤になっている。見れば、言った方のゲルトも照れているのか赤くなっていた。
「さ、おいで」
ゲルトはマルガの手をとり、会議室から連れだした。
女王陛下の御前に出る、とか、失礼がないか、といったマルガの不安は、一気に吹き飛び、ゲルトの手のぬくもりのあたたかさや、さきほどのささやきが、繰り返し繰り返し耳に響いていた。