第六章 新たな協力者
好奇心で首をつっこむべきような話では無かった。これは、マルガには荷が重すぎる。
ユリアーナの部屋から戻り、マルガは呆然と自分の寝台に座り込んでいた。
ユリアーナは、王太子殿下には、自分はもう気持ちは無いのだと伝えて欲しいと言っていた。けれどそれは彼女の本心では無い。
王太子からユリアーナの気持ちを確かめて欲しいと請われた事、そして、ユリアーナの気持ちを確かめたいと申し出た事、そこについて、マルガに後悔は無かった。
ユリアーナと王太子の感情の昂ぶり、互いを恋い慕う熱を、マルガは肌で感じる事ができた。これは、本だけでは体験できない事だ。実際にマルガが見て、聞いた出来事なのだ。
その鮮やかさ、生々しさはどうだろう。マルガは、まるで自分自身が恋をしているように胸をときめかせた。
ほぅ、と、思わずため息をつくと、向かいのベッドにいたイリーネと目が合った。
「どうしたの? マルガがため息なんて」
「……恋って、ままならないものなのかしら……」
少し自分に酔ったように、マルガは言った。
「恋! 本の虫で、架空の出来事にしか興味が無いのかと思っていたわ!」
イリーネのマルガ像は正しい。実際そうだった。
マルガがぼんやりとしたまま、応えずにいると、イリーネは続けた。
「まさか、王太子殿下ではないでしょうね?! ダメよ? 王太子妃になるのは私なんですからね!」
王太子妃、そんなになりたいものだろうか、王太子殿下の妻に。
「イリーネは、王太子殿下を愛しているの?」
マルガは、ぼーっとしたままイリーネに尋ねた。
「ええ、お慕いしているわ!」
イリーネは即答した。
「王太子殿下のどこに惹かれたの?」
「立派な方だからよ!」
イリーネは、愚問だ、とばかりに胸を張って答えた。
立派な方……かなあ……。マルガは、あのちょっと情けない様子の王太子を思い出した。
マルガは、ユリアーナの気持ちを確かめる為に、マルガを頼った王太子殿下からは、恋をする男性のどこか健気なところを感じ取る事はできたものの、男性として、あるいは、未来の王者として、立派な人物とは思えずにいた。
考え込んでしまったマルガに、イリーネは焦れた。
「で? どっちなの? あなたも、王太子殿下をお慕いしているの?!」
「それはない」
マルガはきっぱりと言い返した。
「じゃあ何よ? 恋って」
「恋に振り回されるのは当事者同士だけではないって事、私はもう寝るわ、おやすみ」
既にメルセデスとエラはそれぞれのベッドで、規則正しい寝息をたてている。夜にあれこれ考えてもいい結論はでないと言っていたのはエラだっただろうか、マルガもまた、眠ることにした。
「何なのよ! もう!」
憤慨するイリーネの声が聞こえてきたが、構わずにマルガは瞳をとじ、すぐに眠りについた。
講師が体調を崩し、作文の講義は休講になった。
食堂や、校内で、王太子から逃げ回っているマルガとしてはありがたかった。
結局ユリアーナが王太子をどう思っているのか、伝えるべき確かな答えを、マルガは決められずにいた。
一番いいのは、話してもらえたなかったと、答える事のような気もしている。
人づてにするような内容ではそもそも無いのだから、直接聞いてくれ、という事だ。自分から確かめてきます、と言いだしたにも関わらず、無責任な事ではあるが、いたしかたない。
しかし、ユリアーナのあの様子だと、直接王太子から答えを求められたならば、心にも無い偽りを口にしてしまうかもしれない。
ここが何とも悩ましかった。
解決しなくてはならない点はひとつ。ユリアーナの心の屈託を取り除く事。
彼女自身が、偽りの無い気持ちを王太子殿下に直接伝える場が必要だった。
その上で、二人でどうするか決めて欲しかった。
すれ違いはロマンスの定石だが、現実で狂言回しのような役割はゴメンだ。
マルガがそんな風に考えるのは思いあがりかもしれないが、自分自身が伝達する第三者になることで、ユリアーナと王太子殿下に齟齬を起こさせてはならない。
好奇心で覗きこみ、結果二人の人間の運命を狂わせる勇気は、マルガには無かった。
誰がに相談したい、マルガは切実に思ったが、内容が内容だけに、頼りになるエラやメルセデスといえど話を持ちかける事ができない。
ある程度、王太子の周辺に詳しく、かつ、その恋心を知っていて、口の固そうな人物……。
女子寮である野薔薇寮へ、男子学生の立ち入りは禁じられていたが、南寮、東寮、西寮の三棟から成る男子寮への、女子学生の立ち入りは許されていた。
一人で男子寮へ立ち入る事に、マルガは少し抵抗を感じていたが、今は躊躇している時間は無い。マルガが動いてしまった事で、ユリアーナはいよいよ自分の気持ちに踏ん切りをつけようとしているし、王太子は王太子でマルガが逃げまわっているのは、望む解答ではないゆえだと思い始めているのでは無いかという気もしている。
マルガの行動の及ばない範囲で、王太子が恋に敗れるのはまったく問題ないのだけれど、自分の関与のせいで、本来結ばれるべき二人が結ばれなかったりしたら、寝覚めが悪すぎる。
目当ての彼は、南寮の図書室にいた。
「あっ、あのっ!」
恐る恐る声をかけると、彼、ゲルトが立ち上がった。
ゲルトは、王太子殿下付きの護衛ではあるが、四六時中一緒に行動しているわけではないらしい。
気のおけない友人をつくる事も、王族が学院に入った理由のひとつという事で、特に寮内においては、意図的に別行動をとっているのだ、と、ゲルトは言った。
男子寮の個人部屋の方へ女性が入ることははばかられ、かといって、男女共有のサロンでは目立ちすぎるという事で、ゲルトが指定したのが、ここ、南寮の図書室だった。
三棟ある男子寮それぞれに図書室はあるが、ここ、南寮は蔵書が少ない為、利用者は少ないのだそうだ。それでも、一見した棚の数は野薔薇寮よりも多く、他二棟の図書室はどれほど充実しているのか、そちらはそちらで見てみたいとマルガは思った。
「俺に用件とは何だろうか」
立ち上がったゲルトは、長身で、王太子よりもさらに頭二つ分ほど大きく見える。イリーネが並んだら、大人と子供に見えるのだろうか、などと、マルガは思ったが、今はおしゃべりをしに来ているわけでは無いので言葉にはしなかった。
「これから話す事は、王太子殿下のお耳に入れないとお約束いただく事は可能でしょうか?」
マルガが言うと、ゲルトは少しけげんそうな顔をした。
「俺は、王太子殿下の護衛だ、王太子殿下の不利になる事、あのお方をないがしろにするような真似はできない」
王太子がそばにいない時のゲルトは、口調も少しぶっきらぼうで、武人らしい鍛えられた体躯や、三白眼なのも手伝って、少し怖い。
けれど、今、ひるんでいる場合ではないのだ。マルガはぐっと足に力を入れて、その場から逃げ出したい衝動をおさえた。
「王太子殿下の、不利になるようなお話ではありません、というか、これは『相談』なのです、どうか、お知恵をお貸しください」
マルガの、真剣な眼差しと気迫に、ゲルトは一瞬ひるんだ。
小娘にすぎないと思っていたマルガの、意志の強そうな瞳に、ゲルトの心臓は少しだけ鼓動を早めた。
「『相談』とは? どういう事だ?」
「……私一人の身には、あまる問題だからです、そしてこの内容を、王太子のお耳に入れるわけにはいかないのです、今は、まだ」
「『今は』とは、いずれは耳に入れて問題ないという事か?」
「はい、いずれは、お話しなくてはならないと思っています、ただ、そのご報告の仕方いかんで、王太子殿下のお望みになる結果は、永遠にかなわなくなってしまうかもしれないのです」
「……つまり、君は、手に入れた情報のとりあつかい方が結果を左右するような代物であり、その取り扱いについて第三者の意見を聞きたい、という事でいいのか?」
「はい、そして、王太子殿下のお気持ちをご存知で、なおかつ私の話を聞いていただけそうな方が、あなた以外いなのです」
マルガは、特別男に媚をうるようなしぐさはいっさいしていなかったが、ゲルトは、素直に自分を頼るマルガを助けたいと感じ始めていた。
「……いいだろう、話を聞こうか」
ゲルトが答えると、マルガはやっと安心したように、表情をやわらげた。
緊張していた顔がほどけるその一瞬を、ゲルトはかわいい、と、思った。
「王太子の身辺のお話であるし、第三者の耳に入るのは好ましくないな、……君、えっと、マルガ、だったか、場所を変えよう、おいで」
おいで、と言って、マルガの手をとろうとしたゲルトの声が、驚くほど、甘く優しく響き、マルガは一瞬どきりとした。思わず差し出された手をとろうとしてしまったが、マルガが躊躇していると、ゲルトは図書室から廊下へ出て行く。マルガは、ゲルトの後を追って、図書館を後にした。
ゲルトがマルガを連れて来たのは、屋根裏部屋だった。
「男子寮には、こんな場所があるんですね……」
小さな窓からは、外を見ることもできる。寮内で一番高い場所にあるようで、視点の位置がとても高い。
「……上級生が隠れてカードゲームをしたりする場所だ、使うのは日が暮れてからだから、今なら……誰も来ないだろう」
誰も来ない、というところで、ゲルトは赤面し、少しまずかったかもしれないという顔をしたが、再び場所を変えようとは言い出さなかった。
「さあ、話を聞こうか」
カードゲームをする為のテーブルに備わった椅子をすすめられて、マルガは話を始めた。
「ユリアーナは、今も殿下を慕っていらっしゃるようです」
単刀直入に、まずは言った。
「そうか! 殿下もお喜びになる! ……しかし、何故それを、殿下に伝えてはならないのだ」
ゲルトが不思議そうに尋ねる。
「ユリアーナは、自分の出自は王太子殿下のためにならないと思い、距離をとっているんです」
「しかし、殿下は」
「はい、殿下がお望みになれば、ユリアーナを王太子妃にする事も可能だろうと、私も思います。けれど、その事で、王太子殿下のお立場が悪くなる事を、ユリアーナは一番恐れています。……もし、殿下がお心のままに動かれたならば、ユリアーナは、殿下の前から姿を消すことすらいとわないのではないか……と」
マルガは、震えていた。言葉にしているうちに、ユリアーナとのやりとりを思い出したのだろう。王太子を思いながら、互いの立場を慮って素直に思いを伝えられないユリアーナの事を。
ゲルトは、ユリアーナを思いつつ、丁寧に言葉を紡ぐマルガをじっと見ていた。
「……すまない、君を、巻き込んでしまって」
「いえ、私も……最初は、好奇心だったんです、殿下がユリアーナを目で追っている事に気づいて、人の恋路を覗き見するような事をしたから」
震えながら、マルガは自分で自分の身体を抱きしめていた。
「ゲルトさん、私、どうしたらいいんでしょう」
泣くまい、と、瞳に涙を溜めながら言うマルガの姿がいじらしくて、ゲルトは、思わずマルガを抱きしめそうになったが、すんでのところでこらえた。
ゲルトは、思わずあげてしまった手を握りしめて、自分の手のひらをうつようにした。
「まずは、ユリアーナ様の憂いを取り除く事が先決ではないかと、俺は思う」
「それは、どういう……」
ゲルトの言葉に、マルガの表情が少しだけ明るくなった。
「ユリアーナ様が恐れているのは、自分が殿下の側にいる事で、殿下のお立場が悪くなる事を恐れているという、しかし、絶対的な何者かから、それを『許され』たならばどうだろうか」
「でも、ユリアーナは、殿下にそのような事はさせられないと」
「いや、殿下以上の存在がいる」
「……それは、もしかして」
「女王陛下だ」
ゲルトは、決心したように言った。
「女王陛下とユリアーナと殿下とで、話をする場を設ける事ができれば」
「……そんな事って、できるんでしょうか……」
マルガがつぶやくと、ゲルトは答えた。
「間もなく、寮祭の季節だ、寮祭というのは、普段俺達が生活しているこの寮を使い、家族や関係者、近隣に住まう人たち、寮で働く者達をもてなし、労う行事で、盛大に行われる、……毎年、陛下には、来賓としておいでいただいている。そして、寮祭の催し物で、一番好評だった者達に、直接ねぎらいの言葉を下される」
そんな行事があるという事を、マルガは知らなかった。(あるいは、入寮時に説明を受けたのかもしれないけれど、すっかり忘れていた)けれど、確かにゲルトの言うとおり、誰にはばかる事なく、ユリアーナは王太子殿下だけでなく、女王陛下と直接話をする事ができる。
「でも、王太子殿下にあらかじめ根回しはできませんよね?」
「仮に、王太子殿下がユリアーナ様との婚姻を望まれたとして、女王陛下への報告、相談は避けては通れない、殿下が真実ユリアーナ様を愛し、また、ユリアーナ様も殿下のお気持ちに答える心があるのならば、準備などはいらないはず、一切の雑音をとりはらい、当事者同士で会談する場をもつことができたならば、そうそう悪い事にはならないのではないだろうか」
ゲルトの言葉は、力強く、たのもしかった。マルガは、それまで心にのしかかっていた重しが、一瞬軽くなったような気がした。
「確かに……そうかもしれません」
「だが、まずは催し物で一番の好評価をとらなくてはならない、それが、我々にできるだろうか……」
ゲルトは思案する様子を見せた。
しかし、マルガは思った。それならば、王太子殿下とユリアーナの事を言う事無く、『寮祭で一番をとる』ことだけであれば、相談できる者達がいるのではないか。
「力を、貸して欲しい人たちがいます、もちろん、王太子殿下とユリアーナの事についてお話する事はできませんが、『寮祭で一番』であれば、相談にのってもらえるかもしれません、一度、皆に話をしてもいいでしょうか?」
しかし、今、無責任にその名を出すわけにはいかない。マルガは、一度戻って話をしてみると、ゲルトに約束した。
「もし、何か相談したい事があったら、言ってくれ、俺の事はゲルトでいい」
「はい、ゲルト、では、私の事も、マルガと」
マルガは、得難い協力者を得る事ができた。