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第二章 野薔薇寮の乙女達

 リベレシュタット王立学院は、当初三つの学生寮を持っていた。そこへ、女子学生の入学に併せ、新規に学生寮が一棟建てられた。

 既にあった三つの男子寮が、南寮、東寮、西寮と方角の名前である事に対し、女子寮は空いた方角の北寮ではなく、野薔薇寮と名付けられた。


 野に咲きながらも、美しくあれという願いが込められたのでは、などと言うものもあったが、その名は、建造に際して更地にされた場所が、野荊棘の群生地だった為であり、それらをとりはらう為に難儀したからというのが由来だった。


「新入学の女子生徒は、全部で二十人、そのすべてが、学生寮に入ります」


 監督生と紹介された上級生、ユリアーナの案内で、マルガは四人部屋だというマルガの部屋までの道々、簡単に施設の説明を受けていた。


 皆で食事をとる食堂、共同の浴室の他に、マルガを大いに感動させたのはなんと言っても『図書室』だった。


「この図書室は、女王陛下ご自身が使われていた本を寄贈されたのだそうです」


 ザイトリッヒ領主館の図書室以上の本の数々に、この寮に入れただけでもここに来た意味はある、と、マルガは大いに満足していた。


「あなたが最後の入寮者よ」


 そう言って微笑むユリアーナはたいそう美しく、王都生まれだという彼女は、見た目の美しさもさることながら、物腰が優雅で上品だ。王族や大貴族とは縁遠い海岸出身の、日に焼けた自分など、やぼったく、気後れしてしまうが、ユリアーナはそんなマルガも丁重に扱ってくれる。


 真実、淑女というのはこんな女性を言うのだろうな、とか、『根源に至る恋物語』のヒロイン、リーラは、きっとこんな女性に違いない、とも思った。


「ここが、あなたの部屋よ」


 そう言って、ユリアーナが扉に手をかけようとした時、


パーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーン!!!


 室内から、爆発音がした。一瞬、ユリアーナは扉にかけた手を止めたが、思い切って扉を開けた。


 広い室内には、壁に向かって四つの机が備えられていた。見える範囲に寝台がないとろこを見ると、寝室は、さらに奥の扉の向こうにあるようだ。


 窓際の机の一角で、おそらくは先ほどの爆発音をあげたのであろう、実験器具に囲まれた、白衣の少女がススにまみれて咳き込んでいた。


「メルセデス! 実験は実験室でと言ったでしょう! ここは皆の部屋なのよ」


 ユリアーナは慣れた様子でつかつかと中に入っていき、実験をしていた少女に向かって言った。


「すみません……、先生が準備室にいなくて、実験室に入れなくて……、あ、でも、ここの器具でもできる規模の実験だったので」


 メルセデスと呼ばれた少女は、顔をススまみれにしながらにっこりと笑った。

 立ち上がると、ユリアーナよりも長身で、漆黒の髪を無造作に一つに束ね、服装は馬丁や下働きの男たちが身に着けているような簡素なものだった。その上に着ているのは、かつては白かったと思われるが、あちこち汚れ、裂けている白衣。

 背が高いのと、切れ長の瞳のせいで、どうかすると青年にも見えそうだった。


 メルセデスは、ユリアーナが連れていたマルガに気づくと、自分がススまみれなのもかまわすに近づいて握手を求めてきた。


「やあ、貴女がマルガ? ようこそ、私はメルセデス、趣味が実験なんで、時々こんな風に大きな音をたてることもあるけど、まあ、気にしないで」


 いや、気にするだろう、と、マルガは思ったが言わなかった。不安になってユリアーナを見ると、なんとも言えない苦笑いをしている。


「……マルガです、趣味は読書です、ザイトリッヒから来ました」


 しかし、求められた握手に応じないのは礼儀に反すると思い、マルガは手をさし出した。メルセデスも、握手をしようと手を伸ばしたところで、自分の手がススで汚れている事に気づき、あわてて着ている白衣でススをぬぐい、改めて二人は握手をした。


 メルセデスの手は、大きく、あたたかかった。


 少し変わっているけれど、悪い人ではなさそうだ、というのが、マルガのメルセデスの第一印象だった。


「メルセデス、エラとイリーネは?」


 ユリアーナが尋ねる。おそらくは、もう二人、マルガと同室になる二人の事だろう。実際に授業が始まるのは、明日からの為、どの部屋も、新入生と思われる娘達は、自分の部屋の調度類を整えたり、寮内にいる様子だったが、この部屋は、メルセデス一人だけだった。


「エラは、調理場の手伝いに行っています、イリーネは、あー、多分ー」


 メルセデスは少しだけ困惑した様子を作り、何やら言いあぐねている。


「……わかったわ、サロンね、今日も」


 ため息をついてユリアーナが言った。


「はい」


 メルセデスも何やら恐縮している。


「あなたがそんな風に申し訳なさそうに言う必要はないのよ、メルセデス、イリーネがサロンにいりびたりなのは、あなたが部屋を実験室がわりにしている事と関係ないはずだから」


 ユリアーナの言葉には、めずらしく棘が含まれているように聞こえた。

 マルガから見れば、寮の私室で実験をしているメルセデスも、なかなか問題児に見えるのだが、ユリアーナとメルセデスの話を聞いていると、イリーネというのは、さらに輪をかけた問題児のように聞こえる。


「そうね、まだ、サロンは案内していないし、これから一緒に行きましょう、マルガ。……メルセデスは、夕食までにここを片付けておいてね、基本的に、個人の空間で何をしようと私に咎める権利は無いけれど、同室の皆に迷惑だけはかけないように頼みます」


 一息にユリアーナが言うと、メルセデスは素直に片付け始めた。


「じゃあ、マルガ、また後で」


 そう言うメルセデスは、ユリアーナの注意にそれほど落ち込んでいるようでは無かった。


 サロンに向かう途中、ユリアーナが言った。


「メルセデスは、何か気になる事があると確かめずにはいられない性格らしいの」


 入寮して、まだ数日しか経過していないのだが、既に授業が始まる前から科学実験室に入り浸り、家から持ち込んだという器具を部屋に並べている様は、いっぱしの科学者のようだという。


 そんなふうに言うユリアーナだが、メルセデスという人物を好意的に捕らえているようにマルガには思えた。


 サロン、というのは、三棟ある男子寮と、野薔薇寮の共有設備、食堂などが集中している一角にある。日当たりのよい内庭に面した、寮内でもかなりの好立地にあるそこで、中央に女王のごとく”でん”と、構えた少女が一人と、その周辺に取り巻きよろしく、四人ほどの男性がとりかこんでお茶を飲みながら談笑していた。


 姿をあらわしたユリアーナに驚いたように、四人の男性があわてて立ち上がったが、中央にいた少女は変わらずに座ったままだ。


「あら、監督生のユリアーナ様、ご機嫌いかが、今、実家から持って来たお茶をいただいてところでしたの、よろしければご一緒にどうかしら?」


「いえ、私はけっこうよ、それより、貴女の同室の方がいらしたから、サロンを案内しがてらお連れしたの、今、よろしい?」


 ユリアーナは努めて平静を保とうとしながら、笑顔で少女に向き合っているが、どことなく言葉の節々に棘のようなものをはらんでいるように聞こえる。


「あら、やっといらしたの? ご出身はどちらだったか、海の方からなのよね、ずいぶん遠方からはるばると、お疲れ様」


 自己紹介もまだなのに、少女はマルガの故郷を知っているらしく、感じの悪い様子で言い返した。……マルガは、どことなく言葉に棘をはらんでしまうユリアーナの気持ちが少しわかるような気がした。


「はじめまして、マルガと申します、ザイトリッヒから参りました」


 マルガは、感じの悪い女だな、と、思いっつも、できる限り礼を失さないように挨拶をした。


「はじめまして、私はイリーネ、縁あって同室ね、よろしく」


 イリーネと名乗った少女は、ここでようやく立ち上がったのだが、座っていた時の横柄な態度とはうらはらに、身長がだいぶ、いや、かなり低い。一瞬、学院に入る年齢に達していないのではと思い、マルガは思わずユリアーナを見てしまった。


 そんなマルガの様子に気づいたのか、イリーネは続けて言った。


「こう見えても! 私、十八ですから」


 言い切るイリーネは、背が低い事もあるが、よく見ると童顔で、幼子がせいいっぱい、自分はレディよ! と、言い張っているようにも見えて、何やらほほえましくさえあった。

 マルガは、妹が小さかった頃の事を思い出し、少しなごんだ気分になってしまった。


「ごめんなさい、そんなつもりでは」


 あわてて、そう言って、マルガはメルセデスがそうしてくれたように、イリーネに握手を求めた。


「よろしく、イリーネ」


 マルガがさしのべた手を、イリーネは恐る恐るとり、かるく握手をした。

 すこしつっぱった様子で、感じの悪い娘かと一瞬思ったが、そう悪い人間では無いのかもしれない、マルガは思った。


 サロンを後にすると、ユリアーナは、最後にもう一人、紹介する必要があると言い、マルガを調理場へ連れて行った。


 既に夕食の準備が始まっているようで、男性女性、入り混じって、寮生全員の、つまりは在学中の生徒すべての夕食の準備にとりかかっている。しかも今日は入寮者をもてなす晩餐だそうで、皆忙しそうに準備に追われている。


「おや、ユリアーナ、監督生が何の用事?」


 声をかけてきたのは、四十がらみの恰幅の良さそうな女性だった。


「デボラ、この子、エラの同室の」


 ユリアーナが言うと、デボラと呼ばれた女性が納得したように言った。


「ああ! 最後に来ると聞いていた娘だね、あたしはデボラ、ここの料理番だよ、よろしく、エラは配膳に行ってるから、このまま中をつっきって行ってくれてかまわないよ」


 そう言ってデボラは、調理場から食堂へ抜けるスイングドアの方を示した。


「よろしくお願いします、今日からお世話になります、マルガといいます」


 マルガの挨拶に会釈で応えるデボラを見送って、ユリアーナとマルガは示されたドアから食堂へ抜けていった。そこでは数人の男女がワゴンを押しながら、各テーブルに配膳をしているところだった。


「本来は、めいめい料理は取りに並ぶのだけれど、今日は新入生が揃う日なので、ちょっとしたパーティのようになっているの」


 そう、ユリアーナが説明してくれた。

 しかし、見たところ、調理場といい、食堂の配膳といい、働いているのは、年配の男女が多いように思える。相部屋だというエラが手伝いに入っているそうだが、どうも学生らしいのは彼女だけのようだ。

 皆が皆、調理場の手伝いに入らなくてはならないわけではないようだ。ではなぜ、彼女は調理場の手伝いに入っているのだろう。

 マルガの疑問に気づいたのか、先回りをしてユリアーナが言った。


「エラも、少し変わったところのある子なのよ」


 もはや、ユリアーナは隠す気持ちは無いらしい。どうもマルガの相部屋三人は変わり者揃いと言ってさしつかえなさそうだ。


 黙々と作業をしている、ひときわ若い娘の元へユリアーナはマルガを連れて行った。


「エラ、今少しだけいい?」


 エラは、長身のメルセデスとも、小柄なイリーネとも違って、マルガと同じくらいの目線だったが、とてもスマートな娘だった。少し神経質そうな印象で、髪をひっつめて、やたらと姿勢がよい。


「ユリアーナ、何でしょう」


 声も、少し硬質な印象があった。簡素なグレーの服は、修道女のようにも見える。


「あなたのお部屋の最後の一人を紹介するわ」


 ユリアーナがそう言うと、エラと呼ばれた少女は、マルガを頭のてっぺんからつまさきまでじろじろと舐め回すように見た。


「はじめまして、私はエラ、元は修道女でした、やっとまともそうな方が来てくれてよかったわ、よろしく」


 一息に、表情を変えずににエラは言い切った。マルガは一瞬面食らったが、ひるまずすぐに答えた。


「はじめまして、私はマルガ、ザイトリッヒから来ました、よろしくお願いします」


 ぺこりと頭を下げると、エラはますます関心したようで、


「こんなにきちんとしたご挨拶、久しぶりに見たような気がします」


 そう、ため息まじりにつぶやいた。


「ごめんなさい、マルガ、私、仕事の途中なので、詳しいお話はまた後で」


 そして、ユリアーナに一礼して、エラは配膳作業を再開した。


「エラは、手が空いている時は厨房の手伝いをしているの」


 ユリアーナはそう言って、再びマルガを寮の方へ連れて行った。


「……お疲れ様、マルガ」


 歩きながら、ユリアーナがぽつりと言った。


「いえ、そんな、ユリアーナ様こそありがとうございました、ご案内いただけて助かりました」


「ユリアーナと呼んで頂戴、監督生といっても、歳はそう変わらないし、女子学生が入ってまだあなたたちで三学年目だもの」


「あ、でも、メルセデスだけはちょっと違うのよ、あの子、男の子のふりをして、一度入学しかけているから」


「えええっ!」


「まだ、女子の入学が認められていない頃だから、四年前かしら、彼女、十四歳で入学試験に合格しているの、でも、入学直前に女だってわかってしまって、入学は取り消しになってしまったの」


「すごいですね……」


 マルガは、入学前に一度試験問題を見せてもらった。文法と、音楽はかろうじて何とかなりそうだったものの、それ以外の、幾何学、算術、天文学はちんぷんかんぷんで、まったく解答できる気がしなかった。その入試問題を、最初に会ったメルセデスは合格水準に達する程度の解答ができたという。しかも、わずか十四歳で。


 マルガのメルセデスへの印象は、ユリアーナの言葉で少し修正が必要な気がしてきた。


 最初に案内された部屋の前まで、ユリアーナは送ってくれた。


「もしわからない事や、困った事があったらいつでも相談してね」


 それは監督生としての定型句なのかもしれなかったが、初めて親元を離れ、知り合いのいない学院に一人やってきたマルガにとってはありがたい言葉だった。

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