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第一章 目指せ、図書館、書物読み放題

 リベレシュタット辺境、海沿いの街、ザイトリッヒ。


 ザイトリッヒ領主には三人の娘がいた。長女は家を継ぐ為に婿をとり、三女はすでに婚約者がいる身であった。……しかし、次女のマルガは、読書を好み、嫁ぎ先も決まらず、領主館の図書室に朝から晩まで居続け、読書三昧の日々を送っていた。


 ぐずぐずと、図書室の一角から聞こえてくるのは、鼻水をすする音。


 マルガは、本を汚さないように、少し離して置きながら、ハンカチーフで目を抑えながら、読書に没頭していた。


「ううっ」


 と、うめくように言ってから、ずずずずっ! と、ひときわ大きな音で鼻をすすった。


 彼女が没頭していたのは『根源に至る恋物語』という、今となっては古典に属する恋物語。なぜ領主館にこのようなロマンスが置かれているのか、マルガにはわからなかったが、全五十四巻にわたる大河ロマンスは、読書好きのマルガを満足させるだけの力をもった物語だった。全巻通読するのに二ヶ月以上の期間を要し、通読した後も、時折、お気に入りの巻を再読しては、感動にひたるのだった。


 宮廷を含めた王都を舞台にした物語は、マルガに華やかな都を連想させ、憧れを抱かせるのに充分以上の魅力をもっていた。


 美男美女の恋模様、陰謀うずまく宮廷絵巻。


 高貴な生まれでありながら、母の身分の低さゆえに、出世から縁遠くなってしまった貴公子リヒト。


 多くの美女と浮名を流す彼を見守る妻、流刑先で心を通わせる薄幸の未亡人など、時にせつなく、時に過激に紡がれる言葉に、マルガは夢中になり、心をときめかせ、涙した。


 そして、本を読んでいる間、マルガは、嫁ぎ先も決まらず、また、家の手伝いもろくにしない娘である自分を忘れる事ができるのだった。


 マルガは、読書に夢中だった為に、図書室に入ってきた人の気配に気づかなかった。


「お姉様、マルガお姉様っ!」


 すぐそばに、妹のアルマが立っていた。腰に手をあてて、声をかけても反応しない姉にあきれているようだ。アルマは、母ゆずりの亜麻色の髪を、きっちりと結い上げ、エプロン姿だった。恐らくは、炊事場の母を手伝っていたのだろう。

 忙しい自分を呼び出して、図書室まで足を運ばせた父に少しばかり腹を立てているようだ。


 マルガがやっと妹の声に気づき、顔をあげると、アルマはため息をついてから言った。


「お父様がお呼びです、執務室まで来るようにと」


 家族揃っての夕食の後でなく、日中、父が仕事をしているであろう時間に呼び出されるというのは珍しい事だ。


 父に何を言われるのか予想もつかないが、執務時間中の急ぎの呼び出しという事であれば、縁談だろうか。姉が嫁ぎ、妹にも婚約者がいる。早晩、自分にも縁談が降って湧いてくるだろう事は予想していた事だったが、マルガはすでに三件、立て続けに破談になっていた。


 一件目、父の部下の次男。

 屋敷のメイドと以前から深い仲になっていた事が発覚。結局メイドを娶ることに。


 二件目、隣領、副領主の末息子。

 唐突に宗教に目覚め出家。


 三件目、大商人の跡取り息子。

 隠し子が発覚、子供の母親と正式に結婚が決まる。


 マルガ自身に何か不備や断られる要素があったわけでは無いのだが、マルガはなんとなく自分に気持ちが向いていない事がわかってしまう。また、言葉の節々から、何か裏がありそうだと思うと、徹底的にそれを聞き出して、三件とも真相にたどり着いてしまった。


 当のマルガは、別に結婚したくないわけではない。けれど、どうせ嫁ぐのであれば、せめて相愛の相手に嫁ぎたいと思っている。それが贅沢なのだという事は、親の言いつけ通り、次期領主にふさわしい男と結婚した姉や、王都の役人の息子と婚約している妹を見ているとは思う。


 けれど、残りの長い人生を、一顧だにされず生きていく事は、とても辛い事のように思えた。『根源に至る恋物語』のヒロインの一人、リーラのように。


 領主館の執務室を、マルガは勢い良くノックした。


 ややあって、父のくぐもった声がした。「入りなさい」


 ザイトリッヒ領主であるマルガの父は、年齢のわりには体型も崩れておらず、髪の量も減っていない。髪の中に白いものがずいぶんと混ざってはいるが、それはかえって父の壮年らしさを際立たせ、玄人の酌婦などにはむしろもてそうな風貌だ。

 しかし、そこそこの見た目、かつ、領主という立場にも関わらず、父は母ひとすじで、実直、真面目一徹、清廉そのものだ。

 大恋愛のすえに結婚した父と母は、娘達が恋愛する事を大いに推奨はしていたが、そんな両親を見ていると、かえって覚めるのか、姉は早々に父の片腕ともいえる副官の元へ嫁いだ。


 執務室中央のデスクには、父が座し、その近くの椅子には、見慣れない壮年の男性が座っていた。

 父だけかと思っていたマルガはあわててよそ行きの顔をとりつくろい、壮年の男性ににっこり笑って会釈した。


「次女のマルガです」


 そう言って父がマルガを紹介した。


「マルガ、こちらはパーシモン子爵」


「はじめまして、パーシモン子爵、マルガと申します」


 マルガはドレスの裾をわずかにひろげるようにして、うやうやしくお辞儀をした。


 そんなふうに取り繕いながらも、マルガは内心思っていた、これは、縁談かもしれない……と。


 マルガの想像は半分間違っていた。


 パーシモン子爵の用件とは、王立学院への勧誘だった。


 王立学院に女子の入学が認められて二年が経過している。

 順調に入学者は増えているが、もう少し、てこ入れをしたい。

 向学心の高そうな良家の子女に声をかけてまわっているが、嫁ぎ先も決まらず、家でふらふらしている娘、つまりマルガのような娘はあまりいないのだそうだ。


「陛下は、学びたい気持ちがあるならば家柄は問わないとおっしゃってはいるのですが……」


 パーシモン子爵はそう言って語尾を濁し、マルガの父も苦笑している。


 王立学院は、男子の入学については、家柄は問われない。その替り、難解な入学試験を課していた。女子については、今の所試験は行われていない。


 しかし、王太子妃候補の育成が前提となると、さすがに『家柄、出自は問わない』わけにはいかず、さりとて、入学者があまりに少ないようでは、立案した女王に申し訳ないと、適格者を探しているという事なのだが、マルガにはそういったパーシモン子爵の思惑を推し量るほどの思慮は持ちあわせてはいなかった。


「王立学院への入学……」


 マルガはその素晴らしい申し出にしばし呆然となった。


 王都へ行ける。

 そして何より、王立図書館への立ち入りが許される。

 もっと沢山の書物を思う存分読むことができるのだ。


 このままでは、遠からず縁談がきて、嫁ぎ先を決められてしまう。

 そうなれば、顔も知らぬ相手の元へ嫁ぎ、一生自由は無いのだ。

 そう思えば、少なくとも王立学院で学ぶ間の自由は、何物にも縛られない、真実、自由な時間となる。


 もちろん、現在のマルガが不自由かといえばそんな事は無いのだが、これは期限付きのつかの間のものだと考えている。学院への入学とて期間は決まってはいるが、在学期間中は確実な自由が手に入る。目先の利にすぎなくとも、その確実な自由時間はマルガにとってとても魅力的だった。


 そんなマルガとは別に、父には父で思惑があった。


 頑固で一度言い出したら聞かない次女は、自分にそっくりで、マルガの思いは三人の娘達の中で一番予想がしやすい。立て続けに縁談が破談になり、親元でこのまま無聊をかこつよりも、王都で、学院で刺激を受ける事で、得るものもあるのではないかという親心がまずひとつ。

 そして、パーシモン子爵の申し出通りであるならば、王立学院へ入学してくる娘達は、王太子の后候補という事になる。


 家柄から考えて、マルガが王太子妃になる事は難しいだろうが、未来の王太子妃と好を通じる事。そして、あわよくば、その側近にでも取り立てられたならば。


 嫁ぎ先が決まらずとも、一生我が身を食べさせるだけの禄を、得ることも可能なのではなかろうか。


 王立学院出の娘となれば、それなりに箔もつく。父にとっても、マルガの王立学院入学は、マルガとマルガの一族に利はあっても不利益になる事はひとつもない。


 こうして、父と娘の利害は一致し、マルガは王都、王立学院へ入学する事になったのだ。


 マルガは思う。


『目指せ、図書館、書物読み放題』


 マルガの父は思う。


『目指せ王室付き女官』


 ……そして、これは、本当に、あわよくば、で、あるのだが、一族から『王太子妃』が出るかもしれない。わずかではあるが、そんな野心が、マルガの父の中でくすぶり始めていた。


 つつがなく、準備は進み、マルガはパーシモン子爵と共に王都へ旅立った。

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