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第九章 後夜祭

 肖像画で、その姿は知っていたが、マルガは生まれて初めて、しかもかなりの至近距離で、女王、ベアトリクスに対面した。


 年齢は、すでに五十歳近いというが、とてもそんな風には見えない。内側から光り輝くような気迫と、まっすぐな瞳に、マルガは圧倒されつつも、必死で失礼がないように振る舞った。


「久しいな、ゲルト、うちの愚息が迷惑をかけてはいないか?」


「殿下におかれましては、学究熱心に学ばれておられます、宮廷にいるよりもずっと」


 ゲルトと女王陛下のやりとりは、王とその配下というよりは、親族のそれに近かった。それだけゲルトは女王陛下からの信頼が厚いという事なのだろう。


「そして、マルガ、野薔薇寮は今年初めて寮祭に参加したとか、そなたが、声をあげたそうだな」


 マルガは、直答してよいものか、一瞬ゲルトを見た。ゲルトが君からどうぞ、という様子を見せてくれたので、恐る恐る答えた。


「はい、恐れおおい事ですが」


「いや、むしろ遅いくらいだ、せっかく男女の別なく学ぶ場ができているのだから、同様に楽しみがあっていいはずだ、ありがとう、よくやってくれた」


 そう言って、女王、ベアトリクスはマルガに笑顔を見せた。


 しかし、そう言われて、誇らしい反面、裏の目的あっての事だという罪悪感が、マルガの中で再浮上してしまい、表情に困ってしまった。


「陛下、ひとつよろしいでしょうか」


 マルガとしては、少々女王陛下から不興をかったところで、吹けば飛ぶような身、父や一族に迷惑がかかる事はさすがにないだろうが、直接話をする機会はもうないだろうからと、思い切って切り出した。


 幸い、女王は特に不機嫌そうな様子も見せず、一度だけゲルトの方を見やった。無言でゲルトがうなずくと、


「よし、許す、話してみよ」


 と、マルガが話すことを許してくれた。


「ユリアーナの……事です」


 女王は、一瞬何の事か思案顔をしたが、すぐに誰の話をしているかわかったようで、答えた。


「私の従兄弟、マルコ・グリチーネの娘の事か、……マルコは、叔父上ではなく叔母上に似て、物静かであった、ユリアーナも、万事控えめながら、なかなかにしっかりした娘であった、ユリアーナは今、野薔薇寮の監督生だったか、レオンハルトがそのように言っていたな」


 女王は、そう言って、マルガの言わんとする話に興味を見せた。


 マルガは、背筋を伸ばし、まっすぐに女王に臆することなく、説明を始めた。


 女王への根回しを済ませ、マルガの心は軽くなっていた。あとは、ユリアーナと女王の対面の場をとりもつだけでいい。


「ゲルト、すべてあなたのおかげです、本当にありがとう」


 女王の前を辞して、ゲルトと二人、並んで歩きながら、マルガが言った。


「礼を言うのはまだ早い、全ては、後夜祭だ」


「ええ、そうね、気を緩めてしまうところだった」


 マルガは改めて、姿勢を正した。

 すでに陽は傾き始めており、模擬店も片付けを始めている。


 後夜祭の準備に向かうゲルトとマルガは別行動をしなくてはならないのだが、どことなく離れがたく、中庭へ出る方と、サロンへ向かう方へ別れなくてはいけない場所に来ても、ゲルトは動かずにいた。


「マルガ、……その」


「あっ、私、これから野薔薇亭、給仕当番なので」


 マルガが言いかけると、ゲルトはとてもがっかりして、言葉を続けることをやめてしまった。


「あのっ! ゲルト、中庭へは、野薔薇亭のバルコニーからも出られるから、その、一緒に……」


 行きましょう、と、続けようとすると、それよりも早く、ゲルトが言った。


「ああ、そうだな、そうさせてもらおう」


 野薔薇亭にしているサロンまではあと少しなのだが、マルガは、このままずっとゲルトと並んで歩いていたいな、と、思っていた。


 後夜祭のダンスには、どちらにしろ行けないのだが、もし行けるのならば、ゲルトと踊れれば、と。


 けれど、今は自分の事を考えている場合では無い。


「あ! マルガ、やっと来た!」


 サロンに着くと、イリーネが入り口にいた。


「ユリアーナを見なかった? あの人、後夜祭ではこちらを手伝うって言っていたのに……」


 マルガはぎょっとしてゲルトを見た。

 嫌な予感が当たってしまった。

 ユリアーナは、女王陛下と王太子が来る前に逃げたのだ。


「イリーネ、私、ユリアーナを探してくる」


「え? マルガまで行かれたら、手が足りなくなっちゃう、ダメよ」


 しかし、このままではマルガのもくろみは水泡に帰してしまう。マルガがうろたえていると、ゲルトがつかつかとサロンを通りぬけ、バルコニーからオラフとルーカスを呼んだ。


「ゲルト、お前、何してるんだ」


 と、オラフ。


「もう後夜祭始まるぞ」


 ルーカスは、もう委員の仕事も終わり、楽しむ気まんまんな様子だった。


「お前たち、今はもう手は空いているんだよな」


 ゲルトが念を押すように尋ねた。


「前も言ったろ、俺達は後夜祭のダンスで必ず女の子と踊るつもりだって」


「で、もう相手は決まったのか?」


 ゲルトが尋ねると、オラフとルーカスはバツの悪そうな顔をして、


「それは、まだ、これからだけど……」


 痛いところを突かれたとばかりに、二人はもじもじしている。

 ゲルトは、しめた、と二人の手ををがっしり掴んだ。


「ちょうどいい、二人共、ちょっと手伝え」


 ちょっとまてよ、なんだよそれ、と、不平を言う二人を逃げないように掴みながらゲルトが言った。


「イリーネ、とりあえずこの二人がマルガとユリアーナの変わりに入るから、こき使ってやってくれ、飲み込みは速いはずだから」


「え、ちょっと、ゲルト様?」


 イリーネや、野薔薇寮の女生徒達と一緒なら、と、オラフ達の態度がやわらぎ、ゲルトはイリーネに二人を押し付けた。


「俺は、女王陛下と、レオンハルト殿下をお連れする、だからマルガ」


 ゲルトがマルガを送り出すように言った。


「君は君の役割を成せ」


「……わかった」


 マルガは、ユリアーナを探すために、野薔薇寮へ向かった。

 寮祭期間中とはいえ、女子寮へ部外者の立ち入りはできない、ユリアーナが逃げこむとしたら野薔薇寮内に違いないと、マルガはまっすぐユリアーナとフィーネの部屋へ向かった。


 しかし、そこにユリアーナはおらず、休憩して、最後の当番へ向かおうとしたフィーネと鉢合わせした。


「あ、フィーネ、ユリアーナ来なかった?」


 フィーネは休憩中にユリアーナは来なかったと答え、続けた。


「ねえ、マルガ、私の勘が正しければ、あなた、いままでユリアーナの為に動いていた?」


 あまり時間は残されていない、しかし、マルガは足を止めた。


「フィーネ、私は……」


「あー、急いでるんだよね、ゴメン、……なんか、本当だったら私がもっと気を配らないといけなかったんだけど。……ユリアーナ、一人になりたい時は図書室にこもるの。今日だったら、皆後夜祭へ向かっているからなおさら」


 マルガはパッと顔を輝かせて、


「ありがとう!」


 と、言い残し、その場を立ち去った。


 人も多く、後夜祭がはじまる前の、にぎやかなサロンから来たせいか、図書室はひどく静かだった。人の気配が感じられず、マルガは、もしや、ユリアーナはここにいないのではないかとすら思った。

 しかし、窓際の、カーテンの隅で、息を殺すようにに縮こまったユリアーナがいた。


 日頃の彼女からは想像もつかないような、怒られる事を恐れて逃げている幼児のように、マルガには見えた。


「ユリアーナ」


 マルガが声をかけると、ユリアーナは驚いたように、マルガの方を見た。

 ユリアーナは泣いているのではなかった、震えているのだった。


「ひとつだけ、私に教えて? ユリアーナは、殿下が王太子だから好きになったの? 自分の出自では、王太子妃になれないから、距離を置いたの? もし、殿下が、領主の息子や、騎士だったら惹かれなかった?」


 きっぱりと、マルガは聞いた。


「マルガ……、私は」


 怯えていたユリアーナの瞳に輝きが戻った。


「ユリアーナのお父様が、陛下の従兄弟で、一族の皆様がされた過去は変えられない、でも、それはユリアーナの責任ではないはずよ? 自らの出自で、自分の先行きを捻じ曲げようとしている事を、陛下が聞いたらどう思うかしら」


 ユリアーナが、ゆっくりと、窓際から離れる。

 マルガは、ユリアーナの手をとった。


「そんな風に、逃げたり、隠れたりしていても、何も変わらない、いつものユリアーナだったら、こんなふうにはしないはず、だから、私と来て」


 マルガは、ユリアーナの手を掴み、走りだした。


 階段を降り、廊下を抜け、サロンへ、『野薔薇亭』へたどり着くと、中庭を一望できるバルコニーに、女王ベアトリクスと、王太子レオンハルトがいた。


「ユリアーナ……君は」


 ユリアーナは、ベアトリクスに一礼した。


「陛下、突然に場を騒がせた事、お詫びいたします」


 女王陛下は鷹揚に、そしてどこか愉快そうに、ユリアーナと息子を見た。


 ユリアーナは、先程までの怯えていた幼女ではなかった。監督生らしい、いつものユリアーナは、王太子殿下の前に一歩進み出る。


 マルガは、これ以上その場にいるのはふさわしくないと、こっそりとその場を離れ、バルコニーへの扉を閉じた。


 イリーネが何事か説明しなさいとひどく憤慨していたが、いつの間にか戻っていたメルセデスとエラ、フィーネの三人がかりで諌め、取り押さえた。


「……無事に、終わったようだね」


 ゲルトが、優しそうな瞳でねぎらってくれたので、緊張の糸がゆるんだマルガはそのままその場にへたりこんでしまった。


「マルガ!」


 抱きとめようとしたメルセデスの腕よりも早く、ゲルトがマルガを抱きとめた。

 薄れていく意識の中で、マルガは、何かしっかりとした腕に抱き上げられて、運ばれているのを感じながら、ゆるやかに意識を失った。

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