46 『もう大丈夫』
狂信者達を殲滅したあとの部屋で、アルフは未だに展開されている魔力妨害の効力を持った結界を眺めていた。どうやらこの術は部屋自体に仕掛けられているらしく、術者がそもそもいない設置タイプの結界らしい。
もちろん、アルフならば破壊することは可能だが、彼には少し確かめたいことがあった。それは、狂信者達との戦闘中に思いついていたある仮説。もしこれが正しかった場合、戦術を変えた方が遥かに効率が良い。
「さて、どうなのかな……」
呟きながら魔力を結界に這わせると、扉の時と同じように微弱な魔力が反発するように弾ける。そして、次にアルフは結界に近付くと、そのまま魔力すら纏わずに殴った。大した筋力を持たないアルフの打撃では、結界はもちろんびくともしない。
一見何の意味もない行動と思われるが――確認は、それだけで十分だった。
「……なるほどね」
仮説が正しかったという確信を得たアルフは、少し面白そうな表情を浮かべる。魔力阻害の効果も、狂信者達に魔法が効きにくかった理由も、大体理解した。
「厄介な術だ」
笑みを深めて上滑りな言葉を吐きながら、アルフは結界を突破した。
***
死の気配が、首筋を掠める。視界の隅に消えていく銀色の輝きを見送りながら、ヘロイーズは続いて迫ってくるナイフを寸前で避けた。的確に急所を狙って宙を駆ける銀色の光芒は、ただひたすら速い。それこそ、半魔族であるヘロイーズの目でも追うのがやっとであるほど。
「っ!」
「【ファイアバレット】!」
深い踏み込みの一撃をローブを裂かれながれも避けると、一度後ろに下がって距離を取る。すると、その間を縫うようにして、巨大な炎弾が十を超える数で放たれた。
未だに魔力の練りが甘いものの、熟練の魔導師と遜色ない練度の魔法だ。連携に沿って完璧なタイミングで放たれた魔法は、しかし。
「【呪盾】」
フードを被った修道女が、ひとたび紫色の毒々しい盾を展開すれば、炎弾は簡単に霧散して消える。魔力阻害の効果をまざまざと見せつけられ、シェリルの表情は苦々しいものとなった。
「分かってたけど……強い」
「あはは……うん、私の格好も中々酷いよ」
シェリルは額に汗を滲ませながら、辟易とした目を修道女へ向ける。ヘロイーズは破かれたローブを摘みながら、空笑いを浮かべた。どちらとも、余裕の感じられない表情だ。
近接でヘロイーズが修道女を抑え、隙をついてシェリルが魔法を叩き込む。この布陣に従って行動しているが、まるで崩せそうにない。それどころか、シェリルとヘロイーズばかりがいたずらに体力を消費している。
修道女は汗一つかいた様子はなく、その身のこなしは未だに軽々としたものだ。
「余裕はありませんよ」
「くっ……!!」
二つのナイフを巧みに操る修道女は、休息の暇すら与えずにヘロイーズを攻め立てる。先程から集中力を切らすことなく戦い続けているため、ヘロイーズの体力の方もそろそろ限界が近い。荒々しく吐き出される空気は、相当な熱量を持っていた。
「っ……」
かわし切れなかったナイフの切っ先が頬を浅く裂き、赤の雫が宙を舞う。ヘロイーズは苦々しい表情を浮かべながらも、縦方向の斬撃を紙一重で回避する。しかし、それに追従するように、ナイフが軌道を修正し、超速で迫った。
「なっ!」
「ヘロイーズ!!」
シェリルが叫ぶ中、慌てて身体を動かすも、脇腹に軽い斬撃が入り、鮮血が伝う。だが、それを気にする余裕もなく、次なる斬撃がヘロイーズへ襲いかかる。
途切れることのない銀の一閃は、ヘロイーズを次第に追い詰めていった。有効打を飛ばすこともできず、身体に増えるのは裂傷ばかり。流血による体力の消耗も相まって、足を動かすことすら億劫だ。
――しかし、ここで倒れることは許されないのだ。シェリルでは修道女のナイフを捌き切ることはできない。ここでヘロイーズが持ちこたえないと、どちらにしろ二人とも死ぬ。それを理解しているヘロイーズは、倒れることだけはしない。
「このままじゃジリ貧。なら……シェリル!」
劣勢を再確認したヘロイーズは、修道女の腕を払って強引に距離を取る。当然のように二刀を構えて迫ってくる修道女は、先のやり取りと同じようにシェリルの魔法が足止めをした。ヘロイーズは、修道女が盾を展開して立ち止まっているその一瞬を見逃さない。
「【虚影】」
アルフに教わった闇魔法の名を呟いて、いつでも使えるようにしておく。そして、それと同時に、修道女をシェリルの下へ向かわせないように鉛のように重い足を動かした。パフォーマンスは落ちているものの、半魔族の筋力を遺憾なく発揮し、その速度は修道女を引きつけるのには十分。
床を強く蹴りつけ、身体に残る力を一気に振り絞る。ヘロイーズは致命傷となる斬撃だけ回避し、ただタイミングを推し量る。基礎的な身体能力で圧倒的に負けている分、ヘロイーズ達に勝機があるとすれば魔法による反撃のただ一つだ。ヘロイーズは反逆の意思を瞳に宿し、虎視眈々と隙を窺う。
そして、五十を超える斬撃をかわし、ヘロイーズと修道女の距離が少しだけ開いた時。
――ここだ。
ヘロイーズは片手を上げて直ぐに修道女に狙いを定め、発動が早い使い勝手の良い魔法を叫ぶ。
「【ファイアバレット】!!」
「【呪盾】」
ぼぅと音を立てて唸りを上げた炎弾は、空を切って旋回しながら修道女へ。しかし、ほとんど距離がない状態で放たれたはずの炎弾は、すべて盾によって防がれて消えた。
――だが、それでいい。
どこぞの『賢者』と似通った笑みを浮かべたヘロイーズは、予め発動できるようにしておいた虚影を発動。今まで発動してこなかった魔法に僅かながら動揺している修道女は、二つ目の本命に気付けない。
一瞬で入れ替わった影のヘロイーズが、修道女へ突貫する。今までとは打って変わって、その無謀とも取れる動作に修道女は困惑気味だ。剣筋に少しの迷いが見て取れるが、決定的な隙を見逃すはずもなく、刃を敵の胸に沈みこませていき――
「!?」
「偽物ですよ!! 【ファイアバレット】ォォォ!!!」
余りに軽い手応えに修道女が驚愕すると同時に、分身の後ろに張り付いていた本体のヘロイーズがその姿を現す。にやりと獰猛に笑いながらも手を修道女の腹へ密着させ、全力で魔法を発動させた。
ズドンと重々しい音が辺りに響き、修道女の口元から血が飛び散る。流石の彼女も、至近距離で放たれた魔法を防ぐことはできない。ものの見事に高火力の炎弾の直撃を受けた修道女は、その身体をぐらりと揺らめかせて――寸前で、持ちこたえる。
「!! ヘロイーズ、早く!!!」
「馬鹿みたいに頑丈なっ……!!」
虚影の効果を知っており、作戦の成功に頬を緩ませていたシェリルの表情は一転。最大のピンチの到来に、友の名を強く叫んで駆け出す。同じく油断していたヘロイーズは、焦燥感に駆られながら言葉をこぼし、その場を離れようとする。しかし、
「逃がさない」
「っ……!!」
ダメージを感じさせない俊敏な動きを見せる修道女は、全力で後ろに跳ぶヘロイーズへぴたりと張り付き――その身体に、斜めの線を走らせた。
「ヘロイーズゥゥゥ!!!!」
涙ながらに叫ぶシェリルは、がむしゃらにヘロイーズの下へ駆け寄り、全力の光盾を展開する。そして、ヘロイーズと分断された修道女は、一旦後ろに下がり、荒々しく息をこぼして膝をついた。平気な素振りを見せていたが、やはり身体へのダメージは大きかったのだろう。
だが、今のシェリルにはそんなことは眼中にない。だらだらと大量の血を零す親友の姿に、ただ身体を震わせていた。
「嫌……またこんな……。ヘロイーズ、ヘロイーズ!! また失うなんて……嫌、死なないで、ヘロイーズ!! 置いていかないで!!」
父を失った日を想起しながら、シェリルは慟哭する。また自分のせいで大切な人を失うなんて、絶対に許容できないのだ。
ヘロイーズはぼやけた視界の中、震える声で自分を呼ぶ親友の姿と死の間際の走馬灯が混じり合うのを見た。今までの人生がコマ送りで切り替わっていき、その凄惨な仕打ちが再生される。
魔族と人間の混じり合った化け物として虐げられ、同郷の人間には蛇蝎の如く嫌われた。住んでいた家は両親が亡くなってからは焼かれ、寒々とした夜を一人で何度も乗り越えた。殺されそうになった。身が裂かれそうになるぐらい憎まれた。その存在を否定された。消えたいと思った。死にたいと思った。
『お前なんて死んでしまえ、化け物』
その一言が胸に深々と突き刺さったことは、今でも覚えている。
自分を想う親友の姿と、過去の心傷が混じり合う。無意識の間に恐れていた親友に嫌われる可能性。正体を知られても、果たして仲良くしてくれるだろうか――答えは、はっきりと出ていたのだ。
「はは……」
「ヘロイーズ……?」
ヘロイーズは命が失われていく感覚を味わいながらも、薄らとした笑みを浮かべた。そして、震える手で懐をまさぐり、目当てのものを発見する。彼女がそれを掴み取ると同時に、どうにか動けるようになった修道女がシェリルに向かって駆け始めた。
シェリルへ迫る凶刃。
首筋を狙うその素早い白刃は――
「――血染槍」
凛とした声がその場に響き渡り、刃と刃をぶつけ合う甲高い音が後を追って反響する。シェリルに迫っていた白刃は、彼女の命を刈り取ることはなかった。その間に割り込んだのは、何よりも鮮やかな赤を持つ三叉槍。
「――ヘロイーズ?」
「はは、遅れてごめん。少し怖かったけど――もう大丈夫、シェリルは私が守る」
呆然と親友の名をこぼすシェリルの前には、しっかりと両足を地に着けるヘロイーズの姿が。彼女は赤く染まった瞳と鮮血の槍を修道女へ向け、毅然とした表情を浮かべた。




