44 『守る力』
地を震わせるような轟音が、容赦なく鼓膜を叩く。同時に、爆発音と共に振動が身体を襲い、断続的な揺れがその場を何度も震わせた。天井に小さく空いた丸い穴から見える青い空に縋るように、ロザリーは宙へ手を伸ばす。
「怖いです……お母様、お父様……っ」
ロザリーは振動が起きる度に身体をびくりとはねさせ、怯える。爆発音や鳴り止まない足音は、ゆっくりと彼女の精神を追い詰めていった。しかし、この場からの脱出は試みてみたものの、扉は固く閉ざされ、開く様子はない。
「っぅぅ……」
頭を抑え、小さく身体を縮こませる。その姿は、さながら理不尽に怯える子どものよう。
密室に閉じ込められ、外の様子も知ることができず、ただ崩壊の音を聞くのみ。ただでさえ息が詰まる空間であるというのに、気が狂いそうだった。
真綿で首を絞めるように、恐怖が、怒りが、抑えようのない悪感情が身体を蝕む。
――誰か助けて、苦しい、痛い、寂しい、怖い、嫌だ、嫌だ、嫌だ。
無意識のうちに、心が限界を叫ぶ。
狂信者に囲まれる日々で摩耗しきった心は、劇的な環境の変化に耐えられない。とっくに限界は来ていた。ともすれば、それは何かきっかけがあれば、容易く崩壊を始めるほどの綻びだ。
誰にも理解されず、誰も理解できず、誰も救ってくれず、誰も救えない。そんな闇を抱え続け――
「誰か……助けて」
――孤独の闇の中、ロザリーは心が崩れかけていることを理解した。
***
崩落した階段の先。
つい先程、アルフが消失したそこでは、声を荒らげるシェリルとヘロイーズの姿があった。
「アルフさん、アルフさんっ!!!」
「ダメだよ、シェリル!! このままじゃ私達まで巻き込まれる!!」
「でも、アルフさんが、アルフさんがっ!!」
今にも飛び出しそうなシェリルを羽交い締めすヘロイーズ。アルフを見失ったシェリルは、いとも容易く平常心を失ってしまった。シェリルまで消息不明になるという最悪の事態だけは避けようと、ヘロイーズは必死に彼女を止める。
「アルフさんならきっと大丈夫!! あの人はそんな簡単にやられる人じゃない!! それに、もしアルフさんが捕まってるなら、私達が助けないと!!」
「っ! アルフさん!!」
「――シェリル!!!」
じたばたと暴れていたシェリルが、ヘロイーズの声で、ピタリとその動きを止める。シェリルを気遣うようだったヘロイーズの声音は、今ばかりは怒りを含んだものだ。えも言われぬ迫力は、普段のおちゃらけた彼女の態度とはかけ離れている。
「……アルフさんは、私達を信じてるって言ってた」
静かになった空間の中、ヘロイーズはポツリと言葉をこぼした。それは、ここへ向かう前に交わしあった言葉。いつも本心を表に出さないアルフが珍しくこぼした、信頼の言葉だ。
『――信じてるよ、二人とも』
脳内で再生される、確かな声。
シェリルは、さざめき立っていた心が静まっていくのを感じた。そして、胸中でこびりつく不安を洗い流すように、深く呼吸を繰り返す。そんな彼女の様子を見て、ヘロイーズは彼女を解放した。
「……ごめん、ヘロイーズ。取り乱しちゃって」
「いいよ、分かってくれたなら。ふぅー、取り乱すのも分かるけど、しっかりね!」
謝罪を口にするシェリルに、ヘロイーズは激励を送る。その顔には、笑みが。
……しかし、ヘロイーズの浮かべる笑みには余裕がない。いくら虚勢を張ったところで、状況が悪い方に傾いたことは事実なのだ。シェリルとヘロイーズも弱くはないが、アルフの保護がなくなった今の状態は避けたかった事態である。
しかし、こうなった以上、選択肢は二つしかない。
アルフを信じてこの場で隠れて待つか、アルフとの合流を目指して動くことである。
「シェリル、落ち着いたのはいいんだけど、これからどうする? アルフさんは転移っぽい何かの術に巻き込まれちゃったけど……探しに行くか、ここで待つか」
「…………」
もしアルフが捕まっていた場合、当然だが待っていたところで誰も来ない。しかし、捕まっていなかった場合は、彼は必ずここまでやって来るだろう。それは確かだが――
「……行こう、ヘロイーズ。アルフさんを探そう。最悪を想定した方がいい」
「うん! 愛しい人を救いにねっ!」
「っヘロイーズ!」
方針を決定する。
待つより、動いた方が確実だ。
シェリルに同意するヘロイーズのからかいに、シェリルは顔を赤くして言葉を返す。平静を保つための役割でもあるそんな会話を数回交わしていると、
「――話し合いは終わりましたか?」
――ぞわりと、背筋に悪寒が走り抜ける。
本能が鳴らす警鐘に従い、シェリルとヘロイーズは直ぐに声の方向へと顔を向けた。
「ヘロイーズ……」
「うん、これは……ちょっとまずいかも」
目深にフードを被っている人物が一人。体型と声を考えれば、女性だろう。ここにいるということは、彼女も修道女なのか。感じられる圧が、彼女の実力が決して低くないことを伝えてくる。
先程まで魔法で一掃していた神父達とは、まるで実力が違う。アルフによって鍛えられた二人の感覚は、それをしっかりと理解した。
「あなたは……何の用があって、私達に?」
一瞬の間に汗を滲ませながら、シェリルは不気味な雰囲気を纏う修道女の挙動を注視する。油断はできない。気を抜けば死ぬ――そんな確信が、心の中で芽生えていた。
「何の用、ですか? ――すべては試練のためです。かの『賢者』様と共にいるあなた達は、その器が相応しいか、試練を受けるべきなのです! これは運命なのです!! 宿命なのです!!」
大仰に振る舞う修道女の挙動は、やはり狂信者のそれだ。話し合いは通じない。しかし、それでもシェリルは何とかアルフの情報を抜き出そうと、会話を続ける。
「アルフさんは、どこですか? その口振りだと知っていそうですけど……」
「『賢者』様ですか? 『賢者』様も今、己が宿命に従って、試練を受けている最中のはずです。彼ほどの力を、想いを、果たして私達如きが測りきれるのかは分かりませんけど……」
そんなことはどうだっていい、と言いたげな口調で言葉を途切れさせた修道女。どうやら、もう会話を続ける気はないらしい。しかし、シェリルとしてもアルフが捕らわれていないという事実が判明しただけでも大きな収穫だ。
「ヘロイーズ」
「うん、分かってる。アルフさんは絶対にここに来る。だから――」
アルフはここに来る。
それを『信じている』シェリルとヘロイーズは、ただ目の前の脅威を見据える。
実力は高く、シェリルとヘロイーズでも戦ってみなければ勝てるかどうか分からない相手だ。下手をすれば、間違いなく殺される。
今まで誰かに保護されるばかりだったシェリルは、久しく感じる『死』の重圧に呑まれそうになる。
「……私は、あの時とは違う。強く、なったんだ」
父を失ってしまった炎を幻視しながら、シェリルは強い意思を瞳に込める。守るための力は、師匠からもらった。ならば、今度は後悔しないように進むだけだ。
「さて――試練を、始めましょうか」
修道女の殺気を乗せた宣告。
シェリルとヘロイーズは真っ向から、守るという意思のこもった視線をぶつけた。




