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灰かぶりの賢者  作者: 夏月涼
第一章 目覚めた賢者
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閑話 『炎の中で』

 炎が、視界を覆い尽くしていた。

 暴虐的なまでの火がその場に広がり、無差別な熱量が周囲を襲う。渇いた口内が水分を求め、からからの喉から意味も分からぬ声が漏れる。


「ぁ……」


 やがて、炎の中に、人の形をした影が現れた。その影は、ゆらゆらと揺らめき、口元を大きく歪めると、


「ハハハハハハ!!!!!」


 天高く響く、嘲笑。

 その男は、今の状況を楽しんでいるかのように、愉悦が含まれた嘲笑を上げた。耳にこびりつくその声は、幼い少女の脳を容赦なく揺さぶる。


 そして、恐怖が身体の内側から這い出てくると、脆い精神を嬲るように蝕んだ。


 ――死ぬ。


 本能が、そう悟っていた。目の前の男には、絶対に勝てない。何をしても、足掻いても、もがいても、自分が死ぬという運命に、何ら影響は与えられない。


 圧倒的な無力感を前に、涙を流しながら呆然とする少女。すると、そこに一人の男が現れた。炎の中にいる男とは違う、少女がよく知る男だ。


「お父さん……?」


 少女に父と呼ばれた男は、煤けた金髪を揺らしながら、少女に穏やかに微笑みかけた。そして、ゆっくりと少女の頭に手を置くと、慈しみが感じられる所作で撫でる。


「シェリル、母さんのところまで逃げなさい」

「ぇ……い、いやだよ! お父さんといるのっ!! いやなの!」


 父は、微笑みを困ったような表情に変えると、涙を流す娘をギュッと抱き締めた。


「大丈夫、お父さんもあとから行くよ。あの人をやっつけるのに、シェリルがいたら戦えないからね」

「でもっ、でも……!!」


 何故かとても儚げに見えてしまう父の笑みに縋るように、幼いシェリルは彼の服を握りしめた。震える手は、愛する父を逃がさないと言わんばかりに、強く、強く、握られている。


「――大丈夫、大丈夫だよシェリル。きっと、また会えるから。約束だよ」

「……っ、約束?」

「うん、約束だ」

「……絶対に?」

「絶対に」


 念押しをする幼いシェリルは、戸惑い、迷いながらも、父の服から手を放した。そして、失ってしまった温もりを求めたくなる衝動を抑え、真っ直ぐ父の目を見る。


「…………」


 炎と同じ赤色の目は、優しげに細められた。

 深い愛情が、行動の節々に滲み出る。


 やがて、


「ほら、行きなさい、シェリル」


 逃亡を促す父の姿に、泣きそうになる。だが、シェリルはそれをグッと堪えて、声を絞り出した。


「絶対にっ、約束だよ、お父さん!!!」


 己を送り出す父親の笑みを振り切って、幼いシェリルは炎の中を駆け出した。


「ハハッ、逃げろ! 逃げて、逃げて、後悔して、笑え!!!」


 後方から響いてくる、呪詛に似た言葉。シェリルは、耳を塞ぎ、涙を流して、母の下を目指す。早く戻って、父を助けなければならない。自分にしかできない。父を救えるのは、自分だけだ。


 頭を埋め尽くす最悪の未来を振り払うように、シェリルは全力で駆けた。裸足の足裏から血が流れ出るのも気にとめず、肺が限界を訴えかけてくるのも無視して、ただ希望という一念を抱いて走り続けた。


 そして、霞みそうになる視界の中、見慣れた里の姿が映る。


「お母さんっ、お父さんがっ、お父さんがっ……!!!」

「シェリル!?」


 泣き叫ぶシェリルは、己の母の下へたどり着いた。

  顔をぐしゃぐしゃにして、ただ父の危険を訴えかけるシェリルの姿にただならぬ気配を感じ取ったのか、セルフィは直ぐにシェリルが告げる方角へ向かった。


 しかし、血に塗れてぼろぼろのシェリルは、里で待つことしかできない。不安と、炎の中にいた男の歪な『声』が胸を支配する中、シェリルは待ち続けた。


 待って、待って、待って、そして。


「――ごめんなさい、シェリル」

「――ぇっ……?」


 大きく見開かれた目。

 今しがた聞いた現実を前に、脳が理解することを拒む。

 そして、意識せぬ間に、頬を一筋の涙が伝った。シェリルは戦慄く身体を抑えるように歯を噛み締め、浅く呼吸を繰り返す。窄まっていく瞳には、何も映っていない。


『ハハッ、逃げろ! 逃げて、逃げて、後悔して、笑え!!!』


 ノイズ混じりに脳内を叩く、忌まわしい声。胸に去来するのは、どうしようもない自分への嫌悪感と、父を失った絶望だった。

 結局、何もできない。無力だ。守られるだけの自分は、無力だ。


「あ、ぁあ……」


『――大丈夫、大丈夫だよシェリル。きっと、また会えるから。』


 ぱちぱちと、炎が跳ねる音が聞こえる。


『――約束だよ』


 身を包む熱量が、手を繋ぐ人を失った冷たい手を強調させる。


 そして、


「あ、ぁあぁぁぁ!!!!!」


 シェリルは、慟哭した。



 ***



「どうして!!」


 父を失って十年と少し。

 シェリルは、目の前で静かに首を横に振る母に、思わず声を上げた。


「あなたは、特例なのです。原因も分からないのに、魔法の使用を認めるわけにはいきません」

「……約束が、違うよ。あの時、父さんを失ったあの日。私は強くなりたいって、だから魔法を……」

「……それでも、駄目です」


 刹那の間、セルフィは表情に陰りを見せたが、ゆっくりと首を横に振った。シェリルはそれを見て唇を噛み締めると、重々しく息を吐く。そして、キッとセルフィを睨みつけた。


「……もういい」

「シェリル!!」


 一言だけ言い残し、シェリルは部屋を飛び出る。後ろからセルフィの声が響いてくるが、走る音で無理にかき消して、聞こえない振りをした。


「シェリル様? 」

「っ……」

「シェリル様!」


 がむしゃらに走っていると、前方には疑問符を浮かべているミレアの姿が。だが、シェリルは声をかけることなく、顔を俯かせて走り抜ける。

 シェリルの様子がおかしいことに気付いたミレアも叫ぶが、シェリルが足を止めることはない。


「はっ……はっ……!!」


 溢れ出す感情を発露させるように、里の中を駆けていく。見知った仲間が声をかけてくるが、返事をする余裕はない。里の結界を抜け、森の中へ出る。


「はぁ……ふっ、ふっ……」


 荒れる呼吸を整え……そして空を見上げた。


「父さん……」


 あの日見た父の笑みを思い浮かべ、ちくりと胸が痛む。

 失わないための力が欲しいと望んでも、それは叶わない。あの時のような思いをしないための力が、欲しかった。誰かを守り通せるだけの力が。


 だが、シェリルの身に宿る体質である“魔力過多”は、諸刃の剣だ。行使すれば行使するほど身体の自壊を引き起こし、滅ぼしていく。制御に失敗すれば、一瞬で身体が消し飛ぶのだ。

 セルフィも“魔力過多”については知らないし、封じる他ない。娘を守るためには、仕方がないのだ。


 重なるすれ違い。

 父を思うシェリルのように、セルフィもまたシェリルを思っている。


 それにも気付かぬまま、シェリルが顔を俯かせ、静かに涙を流した時。


「っあ……!」


 ゴン、と後頭部に強い衝撃。たまらず、どさりと地面に倒れ込んだ。

 そして、視界が暗転し、意識が遠退いていく。感覚すら失い、どんどんと沈む。途切れそうになる意識の中、最後に見たのは、父の優しい微笑みだった。


「ぁ……と、うさん」


 こうして攫われ、王都へ連れて行かれたシェリルは、アルフと出会うことになる。絶望に支配され、何も成し遂げられないまま生を終えるはずだった彼女に、道を示すのだ。


 もう失わないために、守るために、シェリルは『賢者』の弟子となる。

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