3 『初弟子』
「迷宮は地下へ潜るほど、魔物がより強くなっていき、そして最下層に近付いていきます。逆に言うと、迷宮を脱出するには、上へ戻る道を探せばいいわけです」
「なるほど……というか、そもそも迷宮って何でできるの?」
「迷宮についてはまだ謎が多く、知られていないことの方が多いです。残念ながら、何故できるのかは未だに分かっていません」
「百年あって、解明されてないのか」
「はい、迷宮は今のところ四つ確認されていますが、そのどれもが日々成長を続けているらしいです。そして、最下層にたどり着いた人もまだ誰もいません」
「知りたいなら、最下層に行くしかないってことか」
「そうですね」
シェリルの口から次々と語られる情報は、何も知らないアルフにとってはとても有益なものだった。だが、迷宮ができて百年を経過した今でも、迷宮については知られていないことの方が多い。
何故生まれて、何故成長し続けるのか、果たして最下層には何があるのか、肝心な情報に関しては、からっきしだ。
とはいえ、まだ判明していないのならば、自分が調べればいい。幸いにも、その力は十分にある。アルフは先の戦闘を思い返し、微笑を浮かべる。
「あの、アルフさん」
「ん?」
「アルフさんは、どうして迷宮に来たんですか?」
唐突な質問に、アルフは目を瞬かせるが、特に気負うことなく答えた。
「知識欲かな」
「知識、ですか」
「退屈しのぎという面もあるけど、僕は純粋に知識を求めている。だからこそ、僕は知識を与えてくれた君の首輪を外した」
「何故、知識を集めるんですか?」
再び投げかけられた問い。随分と積極的に会話を交わそうとするシェリルだが、アルフもべつに煩わしくはないため、一つ一つ丁寧に答えていく。
「特に意味はないよ。趣味、と言っていいかもしれない。……そういう君こそ、何故そんなに僕について聞きたがるんだい?」
「……私、強くなりたくて」
「? その願いと僕が、どう結びつくの?」
「だってアルフさん、一流の魔導師じゃないですか。アルフさんのことを知れば、少しは強くなる手段が分かるかもって」
「うーん、僕を参考にするのは、あんまり良くないと思うよ」
文字通り、次元が違う。『賢者』であるアルフと並び立ちたいと思うのならば、魔法とは違う面でアプローチをかけなければならない。例えば、『霊姫』セルフィ・アルクイン。彼女は魔法も得意だったが、それよりも精霊術に長けていた。
魔法と精霊術による組み合わせの攻撃は、アルフにも舌を巻かせるほどだ。
とはいえ、あくまでもアルフに並び立つなら、という話だ。英雄とまではいかないものの、それなりに強くなるならば、魔法でも十分可能性がある。
「そもそも君は、何故強くなりたい?」
「……せめて、自分の身くらいは自分で守りたいんです。あんな思い、二度とごめんですから」
「……自衛手段か、なるほど」
奴隷だったら、尚のことその願望は強いだろう。シェリルがどういった経緯で奴隷になったにしろ、これだけの美貌を有していたら、いろいろな意味で危険だ。
と、思考を進めていくうちに、アルフは一つの問題を見つけた。
「そういえば、君、外に出たらどうするの? 首輪は外したとはいえ、もし元主人に見つかったらまずいんじゃない?」
「多分、また奴隷にされますね。だから、何とかして王都を抜け出さないと……」
「……王都、ね。迷宮の上に都市があるのか。じゃあ、案外簡単に、見つからずに抜け出せそうだ」
エルフとはいえ、人口も多いだろうし、早々簡単に見つからないだろう。何か羽織ってできるだけ顔を隠せば、問題にはならないはず。しかし、どこまでも楽観的なアルフの見通しは、
「薄々思っていましたけどーーアルフさん、エルフがどういう扱いを受けているか分かっていますか?」
シェリルのその一言で、打ち砕かれた。
「エルフの、扱い?」
「……敵対関係ですよ。今、他種族と仲良くする種族は、数少ない。魔王を倒した今、あとは他種族と領地や資源の奪い合いです。アルフさんみたいに他種族に親切にしてくれる人は、珍しいんですよ」
「…………」
魔王を討伐したあとの世界。アルフも、完全に平和になるとは思っていなかったが、そこまで酷いとも思っていなかった。魔王という目の上のたんこぶが消えたあと、我執を捨て切れず、そんな事態になったのだろう。
「それは……愉快な話じゃないな」
かつて魔王を討った面々は、種族の垣根を越えてお互いを理解しようとしていた。道中で、すれ違いや衝突はあっても、それを踏み台にして、より強固な絆を結んでいったのだ。
その結果、一人も欠けることなく魔王を討伐することができた。だが、せっかくそうやって仲良くなった面々が、国の陰謀で引き裂かれるなど、不愉快極まりない。
「……となると、一番君が無事に済む手段は」
不安げなシェリルの瞳を見て、そして自分に言い聞かせる。
ーーこの子が、自分で自分の身を守れるくらいになるまで。それまでは、それまでの間だけは、
「ーー僕が、君を保護しよう。もちろん、友人として」
瞬間、シェリルの瞳に、喜びと戸惑いが同時に走るのを見た。守ってくれるかもしれないという喜びと、何故そこまでしてくれるのかという疑念。
残念ながら、疑念の方には答えてあげられそうにないが。それに答えようとするなら、自身が『賢者』であることを告げなければならない。ただの義侠心と答えるのは、いくら何でも無理がある。
「でも、これ以上迷惑は……」
渋るシェリル。彼女は、きっと誠実で聡明だ。だからこそ、シェリルを保護することによって生じるリスクを、アルフに背負わせたくないのだろう。
アルフに危害を加えられる人間なんて早々いないが、シェリルがそれを知る由もない。だから、アルフは彼女に、分かりやすく言い訳を提示した。
「僕は君に感謝しているよ。これだけ、知識を与えてくれたんだ。なら、僕はそれに報いなければならない。借りっ放しは、しょうに合わないからね」
アルフは、シェリルを納得させる詭弁を、つらつらと述べる。きっと、シェリルも気遣われていることに気付いている。だから、
「アルフさん、あなたは……いえ、ご厚意、ありがとうございます」
「僕もここまで関わった相手を見捨てるのは、夢見が悪い。できる限り、君を魔導師として成長させよう。そしたら、さよならだ」
「はい、ありがとうございます」
「……弟子は取らないつもりだったんだけどなぁ」
図らずとも、初弟子ができてしまった。他人に魔法を教える暇があるなら知識を集めるというスタンスを貫いてきたが、今日でそれも最後だ。
付け加えると、人間がいる都市でエルフであるシェリルを育てるのだ。いろいろと手回しをしておかないと、おちおち単独行動もさせられない。真っ先にすべきは、アルフの力の誇示。それも、できるならシェリルの元主人相手に、そして大勢に見せつけるのが望ましい。
「……何か急にやることが増えた。話し合いも済んだことだし、さっさと迷宮を抜けよう」
「はい!」
本格的に移動速度を上げ、出会う魔物はすべてアルフの魔法で瞬殺する。そして、倒した魔物が残す魔石を回収しつつ、一気に上層へ駆け上がっていく。
こんな荒業は、アルフの力があってこそできることだ。普通なら、魔物を警戒しながら慎重に迷宮を進んでいくのがセオリーだ。ちらほらと他の人間が見え始めた頃には、彼らはアルフの戦闘を見て、一様にぎょっとしていた。
アルフの目的は、先に迷宮から出ているであろうシェリルの元主人にあるため、あまり気にしないことにする。
そして、およそ一時間ほど経過して。
「ーーここが、王都」
アルフの眼前には、馬車を引く行商人や鎧で身を固める探求者で賑わう、王都の通りが映っていた。