21 『決着』
ヴァレニアは、突き刺している剣を引き抜くと、上空で佇むアルフを見上げた。彼の正体から予測できるとはいえ、やはり聖剣の能力を知られている。
だが、問題はない。聖剣の能力は、知っていて対処できるものではないから。
「……やっぱり敵に回ると厄介だね、その剣は」
「初代に文句を言ってくれ。もしくは、彼を殺しておかなかったことを後悔するがいい」
「……やっぱり、君とは分かり合えないよ」
「分かりきっていたことだ」
傷を負っていたヴァレニアの頬が一瞬で再生し、彼女から、皮膚にひりひりとした感触を与えるまでの魔力が噴き出る。
急激な魔力と身体能力の上昇。聖剣の力の解放による効果は、彼女の力を更に肥大化させた。
「……才能は、カルロスを上回るか。これだけ時が経っているのに、厄介なものだよ」
アルフは、忌々しいと言わんばかりの表情で吐き捨てると、悠然とこちらを見据えるヴァレニアを睨む。セルフィに安心しろとは言ったものの、やはり彼女を倒すのは難しい。
頬の傷が一瞬で再生したことから分かるように、今のヴァレニアに小さなダメージを与えたところで、数秒とかからず再生されてしまう。そして、大きな傷を与えようにも、聖剣による結界、“聖界”が攻撃を阻むのだ。
「さて、どう攻めたものか……っと!」
「『賢者』、お前も余裕を見せていていいのか?」
「忠告ありがとう」
空中にいるアルフの下へ、数秒でたどり着いたヴァレニア。彼女が燐光を纏う聖剣を振るうと、射程の拡張とでも呼ぶべきなのか、そのまま斬撃がアルフ目掛けて飛んできた。
「ウォーターバレット―コネクト―クリスタル」
アルフは、先程よりも分量が抑えられ、斬撃を相殺するに十分な水の弾を発射して応戦する。空中で衝突した二つの魔力は、お互いを打ち消し合い、あとにはただの水だけが残った。
「……またその詠唱か」
「便利でね」
そして、二重の魔法行使により、二つ目の魔法が発動。重力に従って散っていく水滴達が、強制的に掻き集められる。
「面倒な……」
六花型に凍りついていく水は、強固な結晶となってヴァレニアを閉じ込めた。中には冷気が立ち込め、破壊できないなら、徐々に体温を奪われ、やがて死に至るだろう。
そんな凶悪な結晶に囚われたヴァレニアは、直ぐに結晶を破壊しようとするが、
「グラビティ・プレス」
「…………」
追い打ちと言わんばかりの魔法の追加に、さしものヴァレニアも顔を顰める。アルフは魔法の範囲を狭めて容赦なく威力を上昇させ、結晶もろともヴァレニアを地面に叩き落とした。
結晶が砕ける甲高い音と地面が粉砕される重厚な音が混じり合い、歪な音を生み出す。破壊の原点を避けるようにして地面に降り立ったアルフは、じっと様子を見守った。
――そして、悟る。
「これは……そろそろ僕も、危険を背負わなければならないかもしれないね」
「ごふっ……ぁ、ここ、まで、傷を、負ったのは、初めてだ……」
「カルロスでさえ、そこまでの再生能力はなかったのに……人間やめてるよ」
ヴァレニアは、正常とは言い難い方向に折れ曲がった右足と左腕を引きずり、ずたずたになった身体で破壊の中心から這い出てくる。その姿は、さながら死から蘇るゾンビのようだ。
当然、人間の姿とは思えない。
「あ、ぅ……ふぅ」
「完治、か……聖剣の効果ってカルロスは言ってたけど、折れた骨が数秒で治るのは、いくら何でも出鱈目すぎるよ」
折れ曲がっていた腕と足が生々しい音を立てて正常に復活を遂げるのを見て、つい愚痴をこぼすアルフ。彼は、聖剣の効果により上昇したヴァレニアの再生能力を嘆き、そして驚嘆した。
カルロスにも再生能力は備わっていたが、折れた腕や足を数秒で完治させるような馬鹿げた再生能力は持ち合わせていなかったはずだ。例え治すとしても、三十分近くはかかったはず。
やはり、ヴァレニアは最強の騎士だ。
接近戦においては無類の強さを誇り、聖剣の副次効果の再生能力によって、身体の傷は直ぐに完治する。加えて、本来『剣聖』としての欠点である魔力量の少なさも、彼女は克服していた。
あまりの万能さに、アルフでさえも乾いた笑みしか出てこない。
「基礎能力すべてカルロスを圧倒するって……冗談は休み休み言ってよ」
「諦めても構わないぞ、私としてもそちらの方が助かる」
挑戦的に、あるいは高圧的に語りかけてくるヴァレニア。確かに、アルフの勝機は今のところ見えない。そう、今のアルフでは。
アルフは灰色の髪で表情を隠すと、空を見上げる。
「いや、遠慮しとくよ。君が聖剣を解放したように、僕も魔導師らしい力を解放するとしよう。『賢者』の本気だ、たっぷり味わってくれ――魔力許容率三十パーセント、リミットオフ」
魔導師らしい力、すなわち魔力の解放。アルフが持つ“魔力過多”の体質によって生み出される莫大な量の魔力が、可視できるほどに膨れ上がり、大気を強く震わせる。
黒色のローブと灰色の髪が揺れ、合間に、口の端から垂れる一筋の赤い線が見える。身体への負担が激増する中、アルフは不気味に口角を吊り上げた。
比喩表現抜きで、湯水のように溢れ出す魔力。自然とひれ伏したくなるような重圧感が、その場を余すことなく包み込む。これが、『賢者』の魔力だ。
「……どちらが人間をやめているんだか……」
毒づくヴァレニアは、心して剣を構える。既に奥の手は発動された。ここからは、本当にお互いが身を削る戦いだ。一瞬の油断が、死へと繋がる。
「――行くぞ、『賢者』」
「――来なよ、『剣聖』」
爆発的な魔力の波がヴァレニアを襲うが、彼女は臆することなくアルフの下へ疾駆する。ここまでの魔力を持つ者との戦闘は初めてだ。どんな魔法が来るか分からないし、下手をすれば一撃でやられかねない。先手必勝とはよくいったものだ。
後ずさり、距離を取ろうとするアルフへ刺突を繰り出そうとすると、
「フルブースト」
「がっ……!!」
ヴァレニア並の速度で加速するアルフ。アルフが後ろへ下がると思っていたヴァレニアは、彼の拳をまともに腹部にもらってしまった。胃液を零しながら吹き飛んだヴァレニアは、何とか地面に聖剣を突き立てて静止する。
しかし、休息の暇を与えるアルフではない。
「カースバインド―コネクト―アースバインド」
「しっ!!」
ヴァレニアは、続けて飛来する呪いの束縛を切り払い、地面から飛び出てきた緑色の蔓を跳躍によって躱しきる。そして、背面から近づく気配を察知し、振り向きざまに聖剣を振った。
「遅いよ」
「なっ!」
が、振り抜かれた聖剣は、アルフのローブを浅く切るだけに留まり、白色の光芒が、対照的な黒色のローブに映える。刀身に反射するアルフの笑みは、凶悪だ。
アルフはヴァレニアの懐に潜り込み、彼女の腹部に手を当てると、
「インパクトショット」
「……っ!!」
魔力によって発生した衝撃波は、至近距離でヴァレニアの身体を穿ち、彼女の身体は空高く舞って行く。腹部を圧迫した力に臓器は傷つき、ヴァレニアは口から派手に鮮血を零した。
青色の空に赤が混じり、更にそこに灰色も混ざる。
「ウィンド・サイズ」
「“霊駆”」
苦しげに顔を歪めているヴァレニアに迫った無数の風の刃は、しかし。
「ふっ!!」
「ぐっ……」
刹那の間にアルフの後ろに回り込んだヴァレニアには、刃は届かず。アルフの脇腹に走った裂傷が、ローブにどす黒い染みを作る。血を注がれた純白の聖剣には、一筋の赤い線が流れた。
そして、アルフは傷を負った身体に鞭を打ち、聖剣をそのまま己の脇に挟み込んだ。傷口に刀身が食いこみ、更に鮮血が流れ出す。失血死の危険性を孕んだ行動に、思わずヴァレニアが目を見張った。
そんな意識の隙を、アルフは突く。
「アイススピア!!」
「……!!」
凝固した赤い槍がアルフの身体から飛び出し、ヴァレニアを襲う。捨て身とはアルフらしくない戦法だが、機を逃すほどの馬鹿でもない。現実として、ヴァレニアの四肢には穴が穿たれた。
そして、身動きを制限されたヴァレニアは、聖剣だけは放さずにしっかりと握り締めている。瞳にはまだ戦意が残っており、諦めるという選択肢は存在しないらしい。そんなことは、端からアルフも承知している。
故に、心を崩す。戦意がなくなるまで、諦めるまで、負けを認めるまで、戦い続ける。
「“霊駆”!!!」
「強情だね……!!」
四肢を貫かれた状態で足掻く、執念に近い思いを抱いているヴァレニア。意思の力で血の槍を突き進み、彼女はアルフの胸倉を掴んだ。そして、
「っっ!!!」
明滅する視界。何が起こったか確認しようと目を開くと、真っ赤になった世界が映った。ヴァレニアの姿を見れば、額が割れている。つまり、視界が揺れた原因は、頭突き。
「……そんな、方法で」
「ぐっぅ!!!」
血の槍から解放されたヴァレニアは、身体中から血を噴き出しながらも、空中でたたらを踏むアルフ目掛けて袈裟懸けを放つ。失いそうになる意識の中、迫る聖剣。
「クリスタル……!」
パキパキと音を立てて凍りついた血の結晶が緩衝の役割を果たし、すんでのところで聖剣の勢いを殺した。アルフは、空中で無防備に晒された聖剣を、魔力で覆った手で掴み取る。
もちろん、聖剣の切れ味を防ぎ切ることができず、血が溢れ出す。だが、これでいい。刀身に次々と刻まれる赤い線を確かめながら、アルフはヴァレニアに笑みを向け、
「――クリスタル」
「何っ……!」
赤い結晶に覆われ、純白の刀身を隠していく聖剣。アルフは、重さも増えたそれから手を離すと、未だ再生を終えていないヴァレニアに手を当てる。
想起する、腹部を襲った衝撃。これ以上のダメージは意識を失いかねないと、ヴァレニアは咄嗟に聖剣に魔力を込め、“聖界”を展開した。次いで放たれたインパクトショットが、完全に無効化される。
「そろそろ、落ちろっ……!」
「お前が、落ちろ!」
魔法と剣閃が交錯する度、空中に途方もない衝撃が駆け抜ける。赤と灰の髪を揺らす二人の身体からは、真っ赤な血が滲み出ていた。もう、そう長くはもたない。決着をつけるなら、まだ動ける今だ。
同様の判断を下した二人は、距離を取ると、
「グロームフォース!!!」
「“霊砲”!!!」
雷を纏った白色の極光と、聖剣から膨れ上がった燐光が、王都の空で衝突する。荒れ狂う魔力がアルフとヴァレニアを包み、その場には異常なまでのエネルギーが発生していた。
拮抗する魔力の集合体は、お互いを削り切らんとせめぎ合う。耳に障る高音ががんがんと脳を叩き、血の足りない身体に更なる負担をかけていった。
「『剣聖』!!!」
「『賢者』!!!」
喉が潰れそうなほどの大きい声が響くと、白色の光が世界を包み、青色の空が掻き消える。
しばらくして、色を取り戻した空に残ったのは、
「――僕の勝ちだ」
血で染まったローブを揺らし、『賢者』は地面に倒れ伏す『剣聖』を見下ろした。




