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灰かぶりの賢者  作者: 夏月涼
第一章 目覚めた賢者
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2 『奴隷の少女』

 ゆらゆらと揺らいでいた景色が、徐々に定まり始める。本棚で覆われていた世界は、いつの間にか赤茶けた壁で構成されており、その上には発光している苔が群生していた。


「ここは……」


 疑問が直ぐ様湧き上がってくるが、それよりも。


「ふむ、随分と手荒い歓迎だ」


 アルフが周囲を見渡せば、何処も彼処も魔物で埋め尽くされている。見たところ大した強さを持たない弱者の集まりのようだが、それでもこれほどの量が集まれば、常人にとっては十分な脅威となる。


 その証拠に、


「ーー誰、ですか」

「……僕の方こそ聞きたいんだけど、こんな魔物の集団の中心で何してるの?」


 あっけらかんとした態度で魔物を眺めるアルフの隣に、地面にへたり込んで涙目になっている少女。綺麗な金髪を持つ見目麗しい少女だ。濡れた睫毛が覆う、吸い込まれるような碧眼に、シミ一つない真っ白な肌。少女らしい凹凸の少ない肢体は、まだまだ成長の余地を残している。そして、最も特徴的なのは、人間より少し長い耳だ。つまり、少女はエルフ。


 随分と綺麗な少女であるが、大した力は持っていない。言ってしまえば、アルフを取り囲んでいる魔物たち以下だ。

 そんな弱者が何故こんな場所にいるのか気になるところだが、


「どうやら、力量差くらいは分かるらしい」


 アルフを取り囲む魔物たちは、突然現れたアルフに対して警戒を顕にし、牙を見せて威嚇する。アルフにしてみれば、小さな子どもが精一杯背伸びしているのを見ている気分だ。

 が、だからといって見逃すわけではない。そのうち魔物の方も痺れを切らして襲いかかってくるだろうし、そうなったら余計な手間がかかる。そうなる前に、殲滅すべきだ。


 アルフが、魔物を手早く始末しようと腕を上げるとーーその腕を、立ち上がった少女が掴む。


「は、早く逃げて下さい! 私が、私が囮になるので、あなたは逃げて下さい!」


 アルフは一瞬、「自殺願望者かな」と失礼極まりないことを考えるが、少女の首を見てそれを改める。

 ーー首輪だ。少女の首には、赤色の紋様が刻まれた真っ黒な首輪がついている。そして、アルフはそれに見覚えがあった。記憶が確かなら、首輪は奴隷に対してつけられるものだ。


 ということは、


「君は、主人に見捨てられたのか」

「っ! そうです、ですから、せめてこの命を役立てたいんです! 早く逃げて下さい!」


 必死の形相で懇願する少女を、アルフは見つめる。べつにアルフは聖人君子ではない。少女を助ける義理も、理由もない。だから、これは気まぐれだ。

 少女が恐怖を押し殺して人を救おうとしているから、というわけでは決してない。


「うん、どうせ魔物は殲滅するんだ。君はその結果として助かるだけだ。だから、僕に感謝したりするなよ」

「え……?」


 言いながら、アルフは少女の腕を優しくどけると、今にも飛びかかってきそうな魔物たちを感情のない瞳で見渡す。

 攻撃用の魔法は、久しぶりに使う。ミスなんてものはありえないが、やり過ぎないようにしなくては。


「ーーウィンド・サイズ」


 やり過ぎないよう、最大限手加減して放った基本的な風魔法。だが、それは、


「……そん、な……一撃で?」


 ーー両断。


 抵抗を許さない神速の風の刃は、一瞬で周囲すべての魔物を真っ二つに両断した。一匹たりとも、討ち漏らしはない。正確無比な魔法のコントロールは、『賢者』の名に相応しい実力だ。


「よし、衰えてないな」


 とんでもないことをしたというのに、当の本人であるアルフは自分の力量が落ちていないことに安堵しただけだ。ありえない光景をまざまざと見せつけられた少女は、呆然とする。


「どうしたの?」


 眼前に迫ったアルフの姿を見て、少女はようやく我に返った。


「い、いえ。……その、助けて下さって、ありがとうございました」

「言ったはずだよ。僕は僕が必要だから魔物を倒しただけだ、決して君を助けようとしたわけじゃない」


 口調だけ見れば、随分と素っ気ない態度。しかし、ほんのりと赤くなっている頬を見れば、その内心は察せられた。


「ふふっ」

「……何笑ってるの?」

「すいません。でも、感謝させて下さい。命を救っていただいたんですから」

「……まあ、それは君の勝手だけど」


 そう言って視線を切り、改めてアルフは周囲を観察する。

『外』に出た瞬間に魔物に襲われるとは予想外だったが、べつにそれはいい。問題は、ここが何処かということだ。そして、それを知るのに一番手っ取り早いのは、


「ところで、ここがどこか分かる?」

「……迷宮、ですよね?」

「迷宮?」

「え?」


 迷宮、持っている知識を総動員してその単語を探ってみるが、結果は芳しくない。迷宮という言葉の意味は、もちろん分かる。しかし、どうも少女はそういう意味で言っているようには思えなかった。


「三百年で、かなり変わったのか」

「三百年?」

「いや、こっちの話。質問いいかな、迷宮って何?」


 ーー『賢者』の自分が、人にものを尋ねるとは、随分奇妙な感覚だ。だが、それも仕方ないことだ。どうやら、三百年で世界はかなり変化したらしい。


「? 迷宮は、百年くらい前から突然現れた、魔石を持つ魔物の巣のようなものです」

「魔石?」

「魔石は、迷宮に発生する魔物の核になる部分です。どれも、迷宮に入る人なら知っていることなんですけど……」

「なるほど、情報ありがとう」


 迷宮に対しては無知、だというのに魔法の腕前は一流。随分ちぐはぐな状態のアルフを、少女は不思議そうに見つめる。そして、思い出したように声を上げた。


「そうだ、名前をお伺いしてもいいですか?」

「べつにいいよ。僕はアルフだ」


 念のため、家名は伏せる。三百年も前のことなので、名前が正確に伝わっているかは怪しいところだが。


「アルフさんですか、魔王を倒した『賢者』様と同じ名前なんですね」

「……うん」


 家名を伏せたことが早々に功を奏し、何とも言えない気持ちになる。少女はそんなアルフの様子には気付かず、言葉を続けた。


「私はシェリルです。……見ての通り、奴隷ですけど」

「知ってる。……それで、どうする?」

「どうする、とは?」

「君は僕に、曲がりなりにも『知識』を与えてくれた。その対価を、僕は支払おう。何かして欲しいことがあるなら、何でも言ってみてくれ」


 『賢者』として、知識に対する敬意は人一倍だ。だからこそ、アルフはそれ相応の対価を支払う腹積もりだ。


「して欲しいこと、ですか。奴隷を辞めたい、なんて無理ですよね……すいません」

「いいよ。ディスペル」

「へ……?」


 カシャンと音を立てて、金属製の冷たい首輪が、呆気なく落下する。叶いようもない無茶な願いと思っていたものが簡単に叶ったことに、シェリルの思考は停止。

 現実感が伴わないまま首筋に手を触れーーほろりと涙を流した。


 一筋流れれば、もう止まらない。シェリルは滂沱と涙を流し、顔を手で覆う。


「あっぅ、ひっぐぅ……」

「え、ちょっと」


 突然泣き出したシェリルに、アルフは柄にもなく狼狽する。どうするべきか分からないので、ただ見守るしかない。そうして、アルフはシェリルが泣き止むまで、憂慮の面持ちで立ち尽くした。


「すいません、取り乱してしまって……」

「いや、べつにいいよ。泣き止んだばかりで申し訳ないけど、出口がどこか分かる?」

「いえ、すいません。私は無理矢理連れてこられたので……」

「……そうか、仕方ない、自分で探すとしよう」


 アルフがそう呟いた時、僅かにシェリルの表情が曇る。それを不審に思いつつも、アルフが歩き出すと、


「……来ないの?」

「……ついて行っても、いいんですか?」


 躊躇いがちに紡がれた言葉に、アルフはため息。呆れた目をシェリルに向けながら、早口に言葉を並べる。


「ついさっきまで奴隷で、しかも戦闘能力皆無の少女を、魔物がいる場所に置き去りにするほど僕は非道じゃないよ。君がついて来たくないなら、話はべつだけど」


 勝手にしろと言わんばかりに、背を向けて歩き出すアルフ。その背を見てシェリルは、


「ーーありがとうございます」


 深々と腰を折り、不器用なアルフへ最大限の感謝を示す。そして、口元を綻ばせると、その背を追った。

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