19 『英雄集合』
アルフがちょうどミレアと対面し、話し合っている時。王都に降り立ったセルフィは、心中でミレアに謝りながらも、王都の東方向に向かっていた。付き人は既に撒いており、現在は一人で行動している。
「みんな、ミレア……ごめんなさい」
作戦という名を使って、自身を囮にする策略。こんなことをしたと分かれば、仲間は怒り狂うだろう。だが、それでも、『剣聖』の危険性は無視できるものではない。
侵入自体は上手くいったものの、逃亡まで許してくれる確証はないのだ。ならば、誰かが『剣聖』を引き止めるしかないだろう。そして、その役割が務まるのは、セルフィのみ。
もちろん死ぬつもりなど毛頭ないが、その可能性がないとも言えない。だから、もしセルフィが死んだとしても、仲間達には脱出できるような手段は残しておいた。
あとは、全力で生き足掻くだけだ。セルフィが死ぬのが先か、はたまたシェリルを取り戻すのが先か、それだけの話。
「…………」
セルフィは怒号が支配する王都の風景を見て、僅かに物憂げな表情を浮かべた。
そもそも、こんな事態になってしまったのは、他種族を排斥するという理念が、根強く人々の思想に押し入っているからだ。かつて英雄として救ったはずの世界は、望まぬ形に変貌を遂げてしまった。決戦を前にして、ままならない世界を憂うのも仕方のないこと。
「カルロス、あなたの願い、私には果たせそうにありません……。こうしてあなたの子孫と争うなど、本望ではないですが、私にも守るべきものがありますので。――どうか、許して下さい」
無邪気な笑顔を浮かべる初代『剣聖』の顔を思い浮かべながら、願いの成就を果たせなかったことを謝辞。そして、決意を秘めた表情を進行方向へ向けた。圧倒的な圧を感じる、冷徹な『剣聖』の居る方向へ。
「……必ず、生きて帰ります」
フライの速度を上昇させ、たどり着く。眼下に広がる景色は、エルフを屠るために揃えられた屈強な騎士の集団。そして、その先頭でセルフィを見上げているのは、七代目『剣聖』ヴァレニア・ディ・アルフォードだ。
彼女は不敵な笑みを浮かべて、まるでセルフィを待っていたと言わんばかりの態度を見せる。いや、実際に待っていたとしか思えない位置関係だ。
通常ならヴァレニアが森側に対して先頭になっていなければおかしいのだが、彼女は現在、王都に対して先頭になっていた。これは、王都の方面から誰かが来ると分かっていなければ取れない陣形だ。
「…………」
行動を見透かされているようで、思わず唇を浅く噛む。
そして、ヴァレニアはセルフィの動向に気を配りつつも、背後に控えている騎士達に指示を飛ばしていた。すると、騎士達はどんどん森側に下がっていく。あちらも、やる気なのだろう。
意図を汲み取ったセルフィは、フライを解除して地面に降り立つ。薄い翠の髪が風に揺れるが、青色の瞳だけは真っ直ぐヴァレニアを見つめていた。
視線を受けるヴァレニアは、
「お前が、『霊姫』セルフィ・アルクインだな」
「……ええ、そうです」
「かつて魔王を下したパーティーの一人。英雄と呼ばれる、エルフの女王か。それで、今日は何故王都に来た。それも、わざわざ空から」
「少し重要な用事がありまして、できれば邪魔をして欲しくありません」
「そうか、どうやら探し物のようだが、王都の人間には手を出していないようだな。……甘い性格だ」
嘲りを含んだ言葉には、ヴァレニアの考えや性格が如実に表れていた。やはり、冷血。自国の民に手を出されていないことを喜ぶどころか、甘いと断じている。どこまでも、英雄達とは反対に位置する人間だ。
「……私の主義とあなたの主義が交わることはありませんよ。それは分かりきっていることです。そうでなければ、こんな事態を引き起こしてはいない」
「ああ、分かりたくもないよ、お前達の理想や考えなど。すべて殺して、それで終わりだ。『霊姫』、お前を殺して、王都にいるエルフもすべて殺す。それが嫌ならば――私を殺すことだな」
ヴァレニアが、提げていた剣を抜き放つ。
純白の見惚れるような刀身が姿を顕し、柄の青色の大輪が淡い光を放った。セルフィも何度も見た、『剣聖』の武器。魔具を超えた性能を持つ、過去の遺産であり、製法も不明だ。
――ただ、強い。
持ち主を選ぶという欠点を持っているものの、相応しい使い手が剣を振れば、最強に近い存在へと成る。そんな出鱈目な武器を、ヴァレニアのような英雄の血を引く人間が扱うのだ。その脅威は計り知れない。
「それでも、私は……」
ヴァレニアの殺せという発言に言及しようとしたセルフィだが、痛ましい表情を刹那の間浮かべると、
「――風の精霊ヴォルケ、水の精霊シュネー」
凛とした声が、大気を震わせる。続いて、尋常ではない魔力の奔流が、その場を支配した。紡がれた言葉は、契約を結んだ精霊への呼びかけ。
精霊使いであるセルフィが契約している精霊の数は、二体だ。それぞれの属性の頂点にあたる帝級精霊の、水と風の精霊。最強の一角を担うに相応しい素質は、『剣聖』にも見劣りしない。
濃密なまでの魔力がセルフィの後ろに収縮し、形を成していく。
片方は女性の体型を持ち、感情に揺らぐことのない空色の瞳をヴァレニアへ。
片方は小柄な少年のような体躯を持ち、主に牙を向ける者を威嚇する緑色の瞳をヴァレニアへ。
そして、帝級精霊を呼び出したセルフィは、続けて魔法を行使する。
「グラントウォール」
詠唱を終えると、地面が揺れ、王都を遮るようにして巨大な壁が出現した。これで、簡単に王都へ戻ることはできない。
「帝級精霊……そうか、それで空から……」
大魔法の行使も気にせず、納得顔をしているヴァレニアには、微塵の焦りも見られない。帝級精霊を、しかも二体を前にして平然としている彼女にも、やはり英雄としての器が備わっていると言わざるを得ない。
静かに剣を構え、片足を引いたヴァレニアは、
「では――死ね」
発揮される、英雄の子孫としての力。
轟音と共に地面が踏み砕かれ、破片と砂塵が綯交ぜになって宙を舞う。踏み込まれた地点から直線上に進むヴァレニアの速度は、およそ人間とは考えられないほどのものだ。
「シュネー!」
何とかヴァレニアの姿を捉えられるセルフィは、水の帝級精霊の名を強く呼ぶ。
『剣聖』の斬撃をまともに一撃でも貰えば、死ぬことは確定。そして、速度で『剣聖』に勝つことは不可能に近い。つまり、彼女の斬撃は何としてでも防御しなければならないのだ。
「任せて下さい」
シュネーは落ち着きのある声で断言すると、刃がセルフィに届く間際に水の障壁を作る。がきんと金属同士がぶつかり合ったような音がした後、硬直することなく、一瞬にしてヴァレニアの姿が掻き消えた。続く、連撃。
「……なるほど、硬い」
四方八方から打ち込まれる斬撃に対して、シュネーは的確に防御を合わせていく。ヴァレニアの力をもってしても突破できない水の膜は、見た目によらず頑強であった。
そして、
「ストーム」
「ストーム!」
風の帝級精霊ヴォルケと、セルフィによる同時攻撃。二つの嵐が発生し、ヴァレニアを挟み込むようにして風の刃を撒き散らしていく。
精霊使いの強みは、ここにある。すなわち、精霊と契約者による同時行動だ。今、セルフィが行っているように、一体の精霊が防御に専念し、もう一体の精霊と契約者が攻撃するといったようなことができる。この役割分担が、戦闘においては厄介なことこの上ない。
大地を穿つ二つの強烈な風の力は、しかし。
「――ふっ!」
「やはり、この程度では……」
剣先が霞むと同時、自然災害に匹敵するほどの嵐は、途端に止む。嵐を切るという規格外の力を見せつけてくるヴァレニアは、おもむろに剣を水平に構えると――微笑。
「バーストエッジ」
やけに周囲の時間が遅く感じられ、去来してくる死の気配。セルフィの胸を支配するのは、掻き毟りたくなるような謎の重圧感だった。ヴァレニアの美しい微笑から伝わってくるのは、濃密なまでの殺意である。
――不味い、不味い、不味い!!
警鐘が、がんがんと脳に響き、あれだけは防がなければならないと本能が告げる。
「ヴォルケ、シュネー!!」
「マルチガード!」
焦燥を滲ませた声から意図を汲み取り、精霊二体は全力の防御を展開した。水の障壁が重なり合っていき、それを補強するように風が纏わり付く。この間、二秒。
それだけあれば、ヴァレニアが動き出すには十分だった。
「はぁっ……!!」
「ぐっぅ!!」
まるで紙を貫くように易々と破壊されていく水の障壁。魔力によって形質を変化させている水が、飛沫を上げて散っていく。鳴り止まない破壊の音は、セルフィの死へのカウントダウンでもあった。
「くっ……ぅ!」
あまりの力の奔流に足場が削れ、衝撃と颶風が周囲を無差別に襲う。荒れる大地。歪む大気。ぶつかり合う意思。
森の木々がさざめき、ひゅるひゅるという音が断続的に響き渡る。
残っている障壁は、あと一つ。
突き出しているセルフィの腕からは、裂傷によって血が流れ、飛び散った一滴が頬を汚している。苦悶の表情を浮かべるセルフィには、それを拭う余裕すらない。
そして、最後の障壁が、徐々に形を崩し始めていく。この障壁が不定形へと変化を遂げた瞬間、セルフィは死ぬ。ここで負けるわけにはいかない。何としてでも、防ぎ切る。
セルフィは意思を燃やし切る勢いで、魔力を込め続ける。すると、
「……なるほど、これを防ぐか」
途轍もない推進力を保持していた剣が勢いを失っていき、それに伴って青色の輝きが消失していく。
最後の障壁は不格好な形だが、確かに主を守り通した。守り切ったことを確信したセルフィは、一度距離を置くために風魔法による牽制を放つ。
「はぁ……ふぅ」
息を整え、再び対峙。
バックステップで下がったヴァレニアには、傷はない。対して、セルフィには腕に裂傷が走っている。軽傷といえど、傷を負ったことは確か。そして、確信に近い考えが、セルフィの頭を巡っていた。
――『剣聖』の実力を見誤っていたのではないか。
最初、セルフィはヴァレニアに勝てはしないものの、善戦はできると踏んでいた。一方的な展開は起こらず、停滞のような戦いが繰り広げられるのではないかと。しかし、それは違う。
このまま戦いを続ければ、遠くないうちに押し負ける。そんな確信が、セルフィの中にはあった。魔力は先ほどの攻防だけで三割近く使い果たし、しかもその上で傷を負っている。
対して、ヴァレニアは余力を残しているように見える。剣を構える姿に疲労は微塵たりとも感じられず、まだまだ戦えるはずだ。
訂正をしなければならない。彼女の実力は、セルフィの予想を超えていた。これでは、まるで――
「カルロスを、超えている……!」
空中すら駆け抜け、三次元的な動きでセルフィに迫るヴァレニア。顔に浮かぶものは、笑みはあれど、苦しさを感じさせるものは一つたりともない。足りなかった。英雄でさえ、彼女の戦闘の相手には届き得なかった。
「くっ、はぁ!」
加速していく彼女を前に、攻撃を出せない。防御に専念しなければ、一秒で死ぬ。
「魔力、が……!」
ヴァレニアが剣を振るう度、上昇していく魔力。必然的に攻撃を防ぐために必要な魔力も増えていき、枯渇していく。
――限界は、近かった。
セルフィは手を膝につき、息を荒らげる。そんな彼女を眺めるヴァレニアは、平然としている。ヴァレニアの魔力は、無尽蔵と思えるほどのものだ。
彼女は青色の輝きが強くなってきた剣を再び水平に構えると、
「そろそろ、こいつも起きてきたところだ。終わりにしよう。――バーストエッジ」
魔力があった状態でも防ぐのが難しかった技が、もう一度放たれようとしている。加えて言うならば、ヴァレニア自身の攻撃の威力は留まることを知らずに上昇している。
無理だ、終わり、死ぬ。
もはや、あれを防ぎ切るだけの魔力は残されていない。
「ごめん、なさい、シェリル、ミレア、みんな……」
死を下す剣が迫ってくるのが見える。口をついて出たのは、騙した仲間への謝罪と、会って叱ってやることができなかった最愛の娘への謝罪だ。
「――愛してる」
加速する剣先が、セルフィの喉笛を貫こうとしたその時。
「――自己犠牲なんて僕が許さないよ、セルフィ」
爆音が発生し、屹立していた壁が崩れる。だが、それよりも。
「……何者だ?」
「僕? 僕は戦友に罵声を飛ばしに来た、ただの魔導師だよ」
黒色のローブが揺れ、少し長めの灰色の髪が彼の表情を隠す。軽快な口調。感じられる圧倒的な魔力。懐かしい背中。
見間違いようもない、しかし、何故彼がここに。だが、今はそんなことはどうでもよかった。セルフィの前に立つ彼が、ヴァレニアの刃を止めている。
こんなことをできるのは、
「――アルフ!!!」
「――間に合ってよかった、セルフィ」
雌伏の時を終え、英雄の器を持つ者が集まった。




