血文字
時刻は2時ちょうど、残り時間は4分を切ったところ。
場所は中学校の美術室。
鶏の少年は隠れている棚からモナリザの位置を確認しました。
……彼女はたまたま、鶏の少年からもキャンバスからも一番遠い位置をキイキイ歩いています。
この距離なら、鶏の少年がキャンバスに辿り着き、文字を書いている間にモナリザが追いつくことは無いでしょう。
今しかありません。
犬の少年ですら恐れた殺気に向かって。
……鶏の少年は飛び出しました。
まずは、こっそりとキャンバスへ向かいます。
たまたま彼女の死角になっていたのか、気づかれることなく事が運んでいます。
キャンバスへやっと到着した……、というところで
キイイイイイイイイイイイイ!!
という激しい金切声の様な音がこちらへ向かってきました。
地面に金属が激しく擦れる音。
(……気付かれた!!)
鶏の少年は動揺しながらも、右手人差し指から流れ続ける自分の血液を画材にして、キャンバスに漢字を書き始めました。
震える手で、なかなか思うように進みませんが、先ほどの距離の貯金をうまく利用し、彼女が来るまでに何とか書き終える事に成功します。
完成してほっと一息ついた後、すがる思いで携帯を開きますが……。
携帯の横には……※※※正解!!※※※……の文字は……、出てきていませんでした。
「……まあ、そうですよね……」
鶏の少年が苦笑いすると同時に。
少年の右側から物凄い質量が速度を持って襲ってきました。
鶏の少年は激痛に悶えながらも、最後に伝えなくてはいけない言葉を力の限り叫びました。
「みなさん、隠れていてください!」
隠れていた犬の少年は、鶏の少年の行動が理解できませんでした。
金か銀の絵具を見つけたのか……と思い、鶏の少年が文字を書き終えた直後携帯を確認しましたが、※※※正解!!※※※の文字は出てきていません。
(……答えを、間違えたのか?)
……であれば、全員、死ぬはずです。
だって、携帯にも『ただし、間違った答えをすると、死にます』という、いつもの文章が……。
(……あれ?)
そういえば、今回は確認しなかった気がします。
再度問題文を読んでみると……いつもの文章がありません!!
……つまり、間違っても……死なない?
(じゃあやっぱり、小鳥遊“センセイ”は解答を間違えたのか……?)
いつもの文章が無いことにいち早く気づいた鶏の少年が。
あてずっぽうで答えを書いたのでしょうか?
それはあり得そうですが。
……だとすれば、「隠れていろ」という言葉の意味も分かりません。
ただ……天才の少年の考えが全く理解できない犬の少年にも、これだけは解ります。
(……ここで出ていかないのは、……“男”じゃねえ!)
鶏の少年が発した言葉は、実は犬の少年に向かってのものでした。
仲間思いの犬の少年ならば、現状を打破すべく考えなしに飛び出してくるであろうと。
だから、どうかそれはしないで欲しい、と伝えたかったのです。
結局、鶏の少年の想いを全て無駄にして、犬の少年は出て行ったのです!
……バリバリ……
「う……あ……」
……クチャクチャ……
「ぐ……ぎ……」
横たわる鶏の少年の臓物に夢中でかぶりつく世紀の美女。
そして、少しでも仲間が出てこないように、食べられる痛みに耐えながら息を殺し続ける鶏の少年の前に。
……犬の少年は現れました。
2匹の目が合います。
「が……あ……」
鶏の少年の顔に浮かんだのは、絶望の表情。
なんで、出てきたんですかとでも言う様に!!
「“驢馬塚”ァ! “クソ猫”ォ!
この“不細工”は俺が引き受ける!
お前らは“金”と“銀”の画材を探せ!
ビッと“女”ァ見せろや!!」 ビキビキ!?
「……わ……わがっだぁ!」
「ば、ば、ばびいいいぃ!」
2匹の少女も恐怖を押し殺して飛び出し、画材を探し始めます。
モナリザが屠殺寸前の鶏を食べるのを一時中断して、犬の少年へと振り返ります。
(こ、こいつ……マジか……)
額縁の中には、辛うじて絵の下方で交差された両手と。
画面いっぱいの貴婦人の顔がありました、
両目は血走っており、口の中には肉食の動物を思わせるような、無数の犬歯が見えます!!
犬の少年は恐怖を隠すかのように1歩踏み出します。
ぴちゃ……。
(……はぁ……!?)
犬の少年の足元には、血溜まりがありました
鶏の少年との距離はまだまだあります。
この量の血液が、同心円状に拡がっているのだとしたら。
鶏の少年は、絶対に助からない!!
(……違う、俺は医者じゃねェ!
決めるのは、小鳥遊“センセイ”本人だ!!)
犬の少年は、モナリザに向かって、精いっぱいの虚勢を張りました。
「よお、“豚野郎”ォ……
お前だよお前、キョロキョロすんな。
よくも俺の“友達公”を“転”ばしてくれたなァ」 !?
キイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイ!!
犬の少年の前口上を無視して、モナリザが飛びかかります。
「良いぜ……久しぶりに、“キレ”ちまったよォ!!」 ビキビキィ!?
こうして、バトルが、始まりました。
唐突に嫌な予感がしたので犬の少年が体を右へ寄せた瞬間、右側に彼女の噛みつきが入りました。
チャンスとばかりに渾身の力でぶん殴りますが、絵画はいったん空中に浮くも、そこから反転。
物理法則を無視して再度犬の少年に襲い掛かります。
(あ、これ、無理だわ!)
次の瞬間の攻防でも、たまたま、勘で避けられたのが3回。
ラッキーが起こっている現時点でも、ジリ貧状態です。
どんなに頑張っても、30秒は持たないでしょう。
「……ぐぐっ!!」
犬の少年が強いと判断したモナリザは、一撃必殺を狙った頭への攻撃をやめ、腕や足へと攻撃部位を変更しました。
あっという間に犬の少年の手足が血まみれになります。
「くッ!!
おいおい! まだ、まだ見つんねェか!?」
痺れを切らして犬の少年が大声を上げます。
「ぐうう! ……まだ、まだみづがらないぃ!」
「ぎん、ぎん、ぎんんんーー」
2匹の少女たちもまた、泣きながら戦っています。
「これは……、年貢の納め時ッてェ奴かァ……」
本当にギリギリのところで持ちこたえながら、犬の少年は呟きます。
そして、犬の少年に限界が来ました。
体中から流れる出血。
ぼやける視界。
次の瞬間、襲ってきた貴婦人に、なす術が無くなったのです。
犬の少年の目の前でぽかんと口を開ける“絶世の美女”。
喉の奥まで見えるその状態で。
(ああ……終わった……)
唐突に、空中に浮かんでいたモナリザが、ガタンと地面に落ちました。
「……?」
やっと呼吸を思い出したように荒い息を吐くと、犬の少年はいつもの絵に戻ったモナリザを見つめます。
続いて、携帯を確認すると。
『2時00分38秒 “第35日目”
5問目 クリア』
……と書いてありました。
ワケが分からないまま、犬の少年は足を引きずってキャンバスへと向かいます。
そして、全てを理解しました。
……キャンバスには、鶏の少年の血文字が書かれています。
しかし、その色は既に赤では無く、数分の時間経過で酸化し、更にキャンバスとの相性のためか、茶色く変色していました。
犬の少年は、その茶色にも似た色の名前を知りませんでした。
そして、これから一生忘れないでしょう。
鶏の少年の命を懸けた1文字は。
『錆』
解答を間違っても良い事。
時間経過による血液の酸化とキャンバスによる劣化。
そして、自分の命を犠牲にする時間すら計算した、まさしく天才のみがたどり着ける、1文字でした。
答えは、錆色でした。