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魔の娘と敬虔な王子  作者: かまこ
8/11

8

高く鳴く夜の虫の声に目を覚ますと、あたしは未だ籠の中だった。月光にさらされた格子が銀色に輝いて、夢のつづきを思わせる。

庭の花壇から迷い出たのか、羽の鱗粉を輝かせて蝶が舞う。あたしがそっと前脚をのばすと、入り込んで素直に脚の甲にとまった。その羽のような重みに胸中で感嘆する。

窓の内側からでも虫はすぐに寄ってきたが、こうして望んで触れられるのは初めてだ。

いくら睨んでも無反応だった鳥のことを思い出して、余計にこの小柄な命がかわいく思えた。


「ありがとね」


あたしの声に蝶はわずかに身を震わせて舞い上がり、その軌跡をきらめかせながら視界から消える。なんとなくその残滓を目で追っていると、籠の外に立つ気配が身じろいだ。


「……一緒に寝てもいい?」


普段なら尋ねないことをわざわざ断る少年のために、あたしは床のスペースをあけてやった。彼は首にかけていた鍵を服の中から取り出して、鍵穴に差し入れたようだった。あたしは顔を洗いながら少年が寄り添うのを待ったが、一向に入ってくる様子がない。見ると同じ姿勢のままでじっとこちらを見下ろしている。鉄格子の向こうの瞳は、月明かりの届かない深海の色。


「――あたしを焼くの?」


それは夢のつづき。いかけられる火矢と、燃え盛る檻。耳がちぎれそうな、自分自身の悲鳴。

あたしの言葉にルーは身を震わせて、揺れる瞳でこちらを凝視した。


「な、なんっ、なんで」

「あたしはいいよ」


ルーは顔をくしゃりと歪めると、乱暴な手つきで鍵を回し、音を立てて入り口の戸を開けると、あたしを睨んでそのまま内側から鍵をかけ直した。

「どこで聞いたか知らないけど」と吐き捨てて、ルーは握りしめた拳を格子に打ち付けた。鈍い音。あたしはまた怒らせたのだ。

ルーは冷たい声を出した。


「僕が君にそんなことするって、本気で思ってるの」

「いいよ」

「違う!」


拳を額に押し当てる。怒っているけど、それ以上に傷ついているのだ。


「ルーは」

「聞きたくない!」


少年はしゃくりあげる。あたしの心なさが許せないのだろう。だけどあたしはもう獣で、人の繊細さに共感することはできないのだ。


「……王様も、金色の髪をしてた」


ルーは戸惑ったように泣き顔をあげた。その目が理性を得て、驚愕に見開く。


「何で君が知ってるの」

「夢でみた」

「……夢?」

「焼かれる夢」


耳にするや否や、ルーは口を押さえた。その顔色はみるみる青ざめる。閉めたばかりの鍵を開けようともがくけれど、かなわずにその場に嘔吐した。あたしが腰をあげてそばへ寄ろうとすると、明確な意志を持って手で遠ざけられた。


思い出したのだろう。あの夢はルーの現実で、今も焼き付いている記憶だ。

人のあたしと、小さな獣は、二人で覚えている。記憶が混ざることがあるなんて聞いていなかったが、間違いなくそれが原因だろう。

要するにあたしの勝手で、この子は真っ新に生まれることができなかったのだ。そして傷ついている。現在進行形で。あたしが苦しめている。そしてこの先は、もっと苦しいはずだ。


「あの人が、今のお父さん?」


ルーは頷かなかったけれど、目に見えて体が強張った。


ああ、だからルーは都から帰ってきた夜は決まって泣くのだ。


ちょっと、いくらなんでもずさんな転生先ではなかろうかとお役所仕事を恨んだけれど、あたしが勝手を言わなければ、こんなにややこしくはなっていない。

あんなの、こんなに小さな少年に、耐えられる記憶ではないのに。

それなのにルーは、何度も父王へ会いに行く。自分で自分の傷を抉りにいく。なんのためって、わかりきっている。


今もルーは震えながら泣いている。誰にも頼ることなく。


ああ、わざわざ想起させるようなことを言って、本当にあたしはクズだな。




「悪いけど、今夜は、ここにいて」


ルーはしばらくうずくまっていたけれど、自分の上着を脱いで床を拭くと、そう言いおいてふらふらと立ち上がって出て行った。外から鍵をかける時、「ごめん」と小さく呟いたのは、何に対しての謝罪なのだろう。



翌朝早くにあたしを迎えにきたのはリルゼだった。文句と恐怖たらたらの男たちに、あたしを梱包させ、昨日と同じように運ばせる。

部屋に届けられた籠の布を乱暴にはいで、鍵を開け、あたしを追い出すと、雑巾を持って中の掃除を始めた。

ずいぶん慣れたようだけど、あたしは彼女には謝らなくてはならない。


「リー」

「なんですか」

「クビになったらごめんね」


彼女の仕事を奪うのは本意ではないが、あたしの目指すところでは、そういう結果を伴うしかない。

なったら、というか、「間違いなく職を失うけど恨まないでね」というのが正しいが、そこまで詳しく話して糾弾されるのは今の精神状態では避けたかった。


「……至りませんか、私」


顔をあげずに、リルゼは床を磨き続けている。


「いや、至ります」


至れり尽くせりだ、と言いたかったのに、変になってしまった。リルゼは少しも笑わない。あたしは部屋の隅で小さくなった。


「慣れてますから、平気」


ん?



彼女はそれから一言も発さずに部屋の掃除を済ませ、あたしの食事を用意した。



その夜、ルーはこなかった。世話係曰く、「魔にあてられて寝込んでいる」とのことだった。


あたしは窓辺に立ち、月明かりに照らされた花壇を見下ろした。昨日の蝶がつがいを連れて、ふわふわと舞っていた。あたしの視線に気づいたように、窓のそばまでやってくる。硝子に額をつけて挨拶してやると、しばらく中空を漂ってから食事に帰っていった。



夜が二度明けて、その日の昼食時である。扉がノックされた。ご飯係のリルゼはどこか遠くを見るような目をしながら誰何するが、返事がないので仕方なく扉を開けに行った。

そこに現れたのは、予測していなかった人物で、あたしは内心「ゲッ」と呻く。しかもあろうことか、


「お前、体調は」


道を開けて扉の脇に控えたリルゼにそう声をかけているではないか。


「いつも通りです」


お世話係は全く動じずに答えた。すげえ。

それ以上彼女に関心を寄せずに、その男、ルーの兄はあたしに目をくれた。


「おいお前……そ、そこから動くなよ」


言われなくとも近寄るものか。

しかしこの兄がきたということは、とうとう処断か。しかしそれならわざわざ当人がこなくても、あの頑丈な籠に入れて運べば済むことだ。何できたんだこの人。


……まあ、いいか。

これであたしは目的を果たしたわけだ。少年と別れ、世話係の職を奪うのだ。


あたしはこちらに不躾な視線を送る男に呼びかけた。


「あの、ひとつお願いが」

「な、なんだ!」


半分悲鳴交じりだが、一歩後ずさるだけで飛び上がって走り去ったりはしなかった。


「その人に新しい仕事を見つけてくれませんか」

「……は?」

「だから、あたしがいなくなったら、彼女に職の斡旋をお願いします」


男は「なにいってんだこいつ」とでも言いたげに目をすがめる。クソッ、いちいち苛立たせるな。

あたしが緩やかに尻尾を床にぶつけ始めるのを見て、やっとごくりと唾を飲んだ。


「お前、まさかここから逃げ出すつもりなのか」

「は?」


今度はあたしが間抜けな声を出す番だった。


「……違うのか?」

「あなたこそ、あたしを処分するためにきたんじゃないんですか」


ならとっとと連れてってよ、とタメ口でふんぞりかえるあたしに、男は今度こそ、呆気に取られたように目を見張った。

え? 違うの?


「……聞いた通りだな」


ルーの兄はそれだけ呟くと、あたしの訴えに対する回答は残さずに、開けたままだった入り口からさっさと出て行った。

リルゼがお昼の皿を片付けて扉を閉めてしまうと、部屋には理解の追いつかないあたしだけが残された。

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