3
――アンケートで、あたしは猫を選ぼうとしたのだ。あの時追いかけなければ、ルリだって死ななかったんだから。
さて、あたしの過去を振り返ろう。
一つ前の生で、ご存知の通り、あたしは人間だった。高校に通いながら、毎日それなりに生きていた。あたしの楽しみは、通学路途中の公園に現れる猫の相手をすること。いや、相手をしてもらうことーーだった。
時々、毎日のこともあれば三日に一度の時もある。決まって猫は噴水の水を飲みながらあたしを迎えた。あたしはあだ名をつけて猫を呼ぶ。餌はやらなかったけど、人に慣れていて、あたしが行くとねだるように足に体をすりつけた。
あたしは噴水の脇に座って、毛づくろいをする猫を眺め、しばらくするとどこかへ去る姿を見送るのだ。
それだけの時間。その繰り返しを積み重ね、あたしはあたしなりに、友情めいたものを感じていたのだ。
ある冬、猫は一週間現れなかった。死んでしまったんだろうか。事故にあったんだろうか。あたしは毎日通い詰めたけれど、とうとう二週間、三週間経っても、その姿に会うことはできなかった。
そして一月後のその夜、あたしは偶然通りかかったあの公園で、猫を見つけた。思わず歩み寄ったあたしから、猫は怯えて逃げた。一月も経てば忘れてしまうのだろう。だけどあたしはその後を追ったのだ。雪道で足元悪く、買い物の帰りで両手は塞がっていたけれど、何も構わなかった。
公園の反対側の出口を抜けた瞬間、猫は道路に飛び出していた。ライトを浴びた猫があたしの呼び声に振り返った瞬間、あたしは荷物を手放して飛び出していた。
叩きつけるような音がした。小さな体が宙に跳ねるのを見た。あたしの手は届かずに、世界はあたしの意識ごと吹っ飛んだ。
そして、気がつけば、顔の見えない受付の前に座り込んでいたのだ。
だからあたしは、むしろ好機と小さな獣を利用したのである。あの瞬間、あたしは確かにあの猫の姿を哀れな獣に重ねた。その不幸を請け負いたくなった。ただ自分の心に巣食う、灰色の靄のような罪の意識を払いたいがために。
にも関わらず、何の咎もない小さな獣だった少年は、あろうことかそんなあたしを庇い、自分の身の内に匿い、今も隣にあって気遣う。寝食を共にする。そうするうち前の生のあたしの年齢に至って、もう青年といって差し支えないような彼に、あたしは尋ねる。彼のそばに侍り始めた最初の日から、時折こうして聞くようにしている。
「ルー。あたしはまだ、ここにいていいの?」
青年は「また?」と呆れたような顔をして振り向き、彼の胸の高さにあるあたしの顔を撫でた。まじまじと観察される。あたしの胸に焦りが生じる。その様を、ルーは認めたのだろう。くすくすと、穏やかに笑う。
「僕のそばに、ずっといて」
額を合わせて、そう囁いてくれる。体をさすってくれる。あたしはホッとして、その手に甘えた。
いつからだろう。この答えを期待するようになったのは。心変わりするのではと、不安を覚えるようになったのは。
「ほら、今日はせっかくお休みをもらえたんだから、早く行こう」
そう言ってあたしを先導する。
この数年で、彼はあたしを徐々に外へ連れ出した。屋敷の使用人も、少しずつあたしに慣れた。今では食事をそばまで運んでくれる。横切る時、肝試しのように声をかけてくれることもある。さすがに触れてはくれないけれど、それは高望みというものだろう。ルーが特殊なのだ。
ぱつり、ぱつり、と、寝そべるあたしのそばにしゃがみ込んで、青年は鋏を器用に操る。己の手を誰かに預ける感覚というのは、まるで富豪にでもなったような気分をあたしにくれた。
天気もいい。日向は暑いが、こうして木陰に休み、木々の隙間を流れる細い風を浴びると、夢心地である。ルーが時々、「手をのばして」「次は反対」と短く声をかけてくれなければ、あたしは簡単に眠りこけてしまうだろう。
短く揃えられた爪にやすりをかけながら、決まって彼は「ごめんね」と口にする。
「本当は、広野に出て遊びたいでしょう。爪だって、飼い猫じゃあるまいし、嫌だろうね、こんなのは」
これはルーなりの、不安の表出だ。つまりおあいこだ。あたしたちは互いに、相手の気持ちを気にしていると伝え合う。
あたしは丸くなった爪をぎゅうぎゅうと握り、その柔らかい肉球でルーの肩に触れた。
「こうして触れるから、この方がいいよ」
ルーは微笑んだ。その切なそうな表情は、あたしの言葉を気遣いからくるものと捉えているに違いなかった。あたしは前脚を地におろし、ルーに背中を向けて丸くなった。尻尾をぴしぴしと地に打ち付け、不服を訴える。
背中に、人の頭の感触が生まれた。
「大好きだよ。これはずっと、ずっとだからね」
そんな風につぶやく声。しかり、あたしは喉を鳴らして応えた。
第六王子は誰よりも敬虔な信徒だった。忙しない政務に追われながらも、週末の集会には必ず顔を見せた。止むを得ず名代を立てた翌週には必ず時間をとって懺悔した。
彼自身は子細を語らないが、その信仰心と神の導きによって魔の娘の魔を支配し、己に仕えさせているという。魔の娘など王子の手にかかれば子猫のようなものだ、と、彼を知る人間は皆口を揃えた。




