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魔の娘と敬虔な王子  作者: かまこ
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2

それから、あたしは強く生きた。白い獣のいうには、これからあたしは何度死んだとしても、また同じように始めることになる。いや、同じではないね、あたしの記憶の持ち越しはこれっきりだし、次は違う母に疎まれる所からだ。その時あたしは自分の運命を嘆くだろう。だけどきっと、生きていけるはずだ。


今回あたしは命とか魂とか、フワフワしたものの存在を感じる機会に恵まれた。自分が魂だけになって、誰かの手に委ねられる心細さと理不尽を知った。

命、大事にしよ、と心に刻んだ。


だけれども。

――生まれてしまえば、痛みとか空腹とか、もっと切羽詰まったもののおかげで死をまぬがれている。


あたしはふつうに、自分がいちばんかわいい。他人の命を奪うくらいなら、空腹に耐えて死を迎える、なんて真似はできなかった。雨の中で震えながら、その選択肢は捨てた。


ありがたいことにこの体にはハンターの才能があるみたいで、難なくウサギやねずみ、それよりも大きな生き物も何度か捕まえた。その肉を食みながら、命というのはふしぎなものだ、と感じたものだ。生きるために襲うわけではない。死を恐れて食べるのではない。お腹が空くからそうするのだ。そしてそれが、あたしの命をつないでいる。



野を移動しても、泉で水を飲んでも、眠る時でも。変わらずこの体はひとりだった。

誰しも避けた。

こういうことだと事前に聞いて知っていたけれど、本能的に嫌われている、というのは結構堪えた。

だからあたしは、湖面を見つめて、自分で自分の姿を認めてやった。はじめは毛玉のようだった。けれどしだいに体は成長し、灰色の猫のようになった。あの時の小さな獣を思い出す。彼は今のあたしの年嵩で天に召されたのだ、と思うと、俄然強気になれた。あたしはうまくやる。絶対に大人になってやる。



そして季節がめぐる。年月があたしの体を逞しくする。


その日は午後の陽気が心地よく、水辺に腰をおろしていた。

あたしの他に獣の影はない。これは徐々に気付いたのだが、虫や魚はあたしを避けない。というか、むしろ、寄ってくる。あたしに触れることはないが、ちょっかいを出すように周りを飛んでみたり、水面にヒレが浮き出るほど高く泳いできたりする。頑強な心を育てているつもりではあるけど、孤独でどうしようもない夜もあるから、慰められた。


さて、とあたしは体を起こす。昼寝は終わりだ。天敵がいないのはこの獣の体に感謝している。悠々と転がっていても、いかな牙も爪もあたしを脅かすことはなかった。だからおそらく、あのときあたしと運命を入れ替えた小さな灰色獣は過失で死んだのだろう。


水鏡に映り込む、美しい黒豹のようなその体。森の深くにしか存在しないような、透き通る美しい緑の瞳。

誰がなんと言おうと、あたしはあたしをカッコイイと思っていた。

すっかり油断していた。


食事を済ませて呑気に散歩していた時だ。

四つの目と、視線があった。


――この体に生まれてから初めて見る、人であった。

それは二人の男だった。あたしが咄嗟に知らんぷりすると、彼らはすぐさま、森の中へ消えていった。


その次の夜。うとうとまどろんでいたあたしは、背中に感じた痛みに目を覚ました。虫が間違えて刺したのかな、と思ったけれど、そんな訳はないと気づく。あたしを傷つける生き物がここにいるはずはない。ならば、と尻尾で払おうとするが、フニャフニャとして自由がきかない。立ち上がれもしなかった。急速に痺れが全身を支配しているとわかった時には、もう意識をなくしていた。


さて、あたしは檻の中にいた。丈夫なつくりで、この体が暴れても多少の時間はもちそうだった。檻は上から麻色の布を被せられていて、全く外の様子が見えない。そして道が悪いのか、足場はガタゴトと揺れた。


あたしは人間に拉致されたのだ、と悟る。馬車か何かであたしを輸送する人の声が時折耳に触れた。知らない言語だ。だけどなぜかあたしには理解できた。こういう所が、彼らにあたしを『化け物』と言わせるのだろうか。

「……陛下の前に……まずは……」

「裁きの間…神殿…要請を…」


断片的に聞き取れる言葉からするに、あたしは『王』の裁きを受けるために、『都』へ運ばれる道中のようだった。逃げ出そうか、どうしようか。あたしは丈夫な檻を内側から観察した。

あたしはもう大人だから、壊せるだろう。

――ああでも、こどものあの子は、壊せなかったに違いない。

急に腑に落ちた。確信を得た。あの子もこれに乗ったのだ。ガタガタ揺れて、丈夫さだけに特化した硬い床、においでしか外の様子を窺えない檻。

この牢獄には、あたしの同族のにおいが残ってる。



そして日がくれる。あたしを運ぶ人員は、早速に揉めていた。『化け物』を運ぶために夜通し馬を走らせるか、一晩街にとどまって休めるか。代わりの馬をあがなえばいい、いやこれは極秘だからどこから漏れてもいけない、そらなら一刻も早く運ぶべきだ、云々。あたしはあくびしながら聞いていた。

そんな時、誰かの声と共にその場が静まった。その人は面白がるような軽薄な声を響かせる。その場の判断を、彼が請け負うことになった。そしてあたしは、彼の屋敷に運ばれることとなる。


そこで出会ったのだ。

あの子に。




――金の髪に青水色の瞳。頼りない表情。怯えて涙がちになっている。愛らしい、人のこども。

兄らしき青年の背中に隠れ、そこからこっそりと顔をのぞかせる。

悲鳴をあげるのだろうと思った。だってあたしはこの世界でも希少な化け物だもの。


あたしの姿を捉えた瞬間、彼の時間は止まったように見えた。


それは当然、恐れからくるものだと、あたしも、あたし以外のその場にいた人間も考えただろう。だからあたしはここにきて、一番に驚いた。


少年は兄の手を離したかと思うと、駆け出した。どこに? あたしの檻に向かってだ。

その時の周囲の人間の反応といったら、面白かった。あの軽薄な人間ーー少年の兄も、目を白黒させていた。


少年はそんな周りの人間たちを無視して、あたしを見つめて言ったのだ。

「どうして?」と。


「何が?」


あたしはこの生を得て、初めて言葉を操る機会を得た。唸り声と共に練り上げられるその言語は、恐らくこの場に生きるすべての者たちを不安にさせただろう。けれど少年は、そんなことにちっとも構わず、なおもあたしを問い詰める。


「僕を庇ったんでしょう。知ってるよ。見ればわかる。君だってわかるだろう」

「なにもわからないよ」


あたしはあまり他人を気遣う性格ではないが、少年の突飛な行動と発言にはいささか気を揉んだ。こどもはあろうことか、檻の柱を掴んであたしを覗き込む。


「だから! ……だから、君が僕と代わるって言ったこと」


気分が沈んだのだろう、あとの方の声は掠れて小さくなっていた。そうしてあたしはやっと、彼の言葉の意味を知り得た。


「ああ思い出した。あなた、全然変わらないね」


言われてみれば、あのとき縮こまって震えていた獣と、目の前の彼の姿がぴったりと重なる。


「元気そうでよかったよ」


あたしは心からそう言ったが、少年は信じられないものでも見るような目をした。


「……君は、後悔していないの。僕のかわりに、その体になったこと」

「してないよ」


「なんで……」と、彼は泣きそうな顔をする。


「そりゃ、苦労もあったけど、この姿もそんなに悪くないよ」


あたしはふふんと鼻を鳴らした。

黒い毛並みはビロウドのように艶めいて、緑の瞳はエキゾチックな宝石のように美しい。脚もスラリとのびて、尻尾だって蛇のようにしなやかだ。どんなに周囲に疎まれても、あたしは自分の姿を嫌いにはならない。


「君は変わってる」

「そうかもね」


あたしは調子良く鼻を高くした。


「それにしてもあたしは運が良かった。最期にあなたの姿を見られたんだから」


少年は絶句した。思い至ったという顔だった。そう、あたしはこれから、『王の裁き』、つまり十中八九、死を得るのだ。そしてここに運ばれる間に唯一気がかりだったのが、あの時怯えて小さくなっていた、あたしの代わりになった、小さな獣についてだったのだ。

ここにきて彼の姿を拝めたのは、幸運という他ない。


「神様に感謝しようかな」と、冗談っぽく檻ごしに空を仰ぐと、少年はあたしから一歩離れた。別れの挨拶をしてくれるのだろうかと喉を鳴らすあたしを、少年はほとんど睨むような強い目で見据える。


「させない」

「なにを?」

「君は、絶対に殺させない」

「どうやって?」

「……なんとしてでも、僕がさせないんだ」


いきなり恋に落ちた。


それは冗談としても、目を奪われたのは確かである。あの、怯えて丸くなっていた小さな獣が、あたしを死なせないと強い決心を込めて言ったのだから。


「それは、楽しみ」


正直に述べたあたしに、顔を歪める少年。待っていて、と言い残して、彼は心配しながらも近寄ることすらできない兄の元へ歩いて行った。少年が何事が伝えると、お供はみんな文字通りに腰を抜かしていた。愉快だった。あたしは耳の周りを飛んでいた虫に、パタパタと耳を揺らす。



それからすぐ、あたしは少年と共に暮らしていた。


「……狭いところに押し込めて、ごめんね」

「いいよ」


本人は謙遜するが、大層立派な部屋を彼は所有している。さすがにあたしが大の字に寝そべったら溢れるけれど、こどもなら5人は並んで使えるベッド。柔らかな絨毯が敷き詰められた床。小さな机と、本棚と、壁際に寄せられた柱時計。家具が少ないのは、少年が最小限にさせたからだ。ここをあたしの部屋と定め、自分の荷物を隣の部屋に移させた。


あたしは寝台の横にふうわりと重ねられたクッションの上にだらしなくくつろいだまま、少年の謝罪に応じる。ここまでさせておいて、あたしにこれ以上のわがままを許そうとは、心が広いにもほどがある。


少年の名前はルツロア・シュノーエル。なんと王様の六番目の息子である。あの軽薄な男は彼の兄で、つまりあれも王子様である。この屋敷はルツロアが父王から賜ったもので、遊びにきていた放蕩者の兄王子は、怖がりな弟をおどかすためにあたしをここへ寄らせたのだという。

ろくでもない兄だが、今は感謝してやってもいい。


ルツロアの名前はあたしの口では舌が絡まりそうになるので、「ルー」と呼ぶことを許してもらっている。少年はこの横着をお気に召してくれたようだった。


寝起きたばかりの彼はあたしの頭を撫でる。耳がペタンと動くのが面白いのか、ぐりぐりと手のひらでさすっている。あたしとしても不快ではないので、自由にさせてやった。


「そろそろ着替えておいで。お手伝いさんが待ってるでしょう」

「うん……またね」


ルツロア――ルーはベッドから降りると、あたしの頭をまたひと撫でして、てくてくと部屋を出て行った。


あたしは獣である。さらに言うなら、魔の所縁をその身に色濃く宿しながら神の目を謀り天の色に生まれ落ちるも、主上の慧眼に現されたるは黒蛞蝓の毛皮に毒蛇の尾、戯れに他を愚弄する血塗られた牙、生者を嘲笑う毒沼色の眼の前に晒されればいかなる剛の者もた易くその身の内に病を宿し死に至る、その名を持って縛るべき、この世ならぬ脅威、恐るべき魔の娘、……えーっとなんだっけ。ともかく複雑な悪口であたしの名前は辞書に載っているらしい。


あたしはあくびを落とし、クッションの上に丸くなる。カーテンの隙間からちらちらとのぞく光を見て目を細めた。


あたしは獣である。


名前はまだない。


ふふ。

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