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魔の娘と敬虔な王子  作者: かまこ
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「――アンケート?」


あたしは目の前に差し出された紙とペンとを見比べる。


「ええ、必ずご希望に添える、ということではないのですが、一応みなさんにお聞きしているんです」

「ふうん」


アンケート、アンケートね。


――今回の生に満足していますか。


――来世があるとすれば、何に生まれ変わりたいですか。


人間、犬、猫、猿、鳥、……


あたしのペン先が止まったのを見て、担当者は穏やかに笑う。


「今世と同じものを選んでいただくと、優先的に振り分けられるしくみです」


少し考えて、丸をつけようとして、あたしは顔をあげた。鳴き声が聞こえたような気がしたのだ。


振り返った先にいたのは、四つ足の小さな獣だった。見下ろすあたしに気づくと耳を伏せ、尻尾をお腹の下に隠してその場にペタンと座り込む。全身を震わせて、小さな体をさらに小さく見せている。怖いものから身を隠すみたいに。


「あの子は?」

「ああ、――ですね」

「?」


顔も見えない受付担当は、その声にわずかな苦味を含ませた。


「まだ幼いですが、ちょうどいい。もう一度生まれつけば良いことです」


先ほどまであたしにお悔やみを申し上げていたのと同じとは思えないほど、雑な表現だった。


「あの子も死んだの?」


くすんだ灰色の小さな獣はすっかり縮こまって、その場から立ち上がれないみたいだった。たとえ歩けたとしても、どこにも行き場はないのかも、とぼんやり思う。


他にもたくさんの人や、人でないもの、犬、猫、豚、馬、それらに似てはいるものの、どこか違う生き物たちが、この場には集まっている。目の前に腰かける受付いわく、ここに集うものすべてが死者である。


「ええ、ですがまた、あれは同じモノとして生きることになります」

「へぇ、なんで?」

「アレに生まれ変わりたいと希望する方が、めったにいないからです」

「どうして?」

「その魂ごと、穢れに染まるからですよ」


ゾクリ、とあたしは死後初めて感じる寒気に震えた。たぶん生理的にダメってやつだ。生前に魂の存在なんて実感したことはなかったが、今ならなんとなくわかる。魂は通行証みたいなものだ。それさえ見せればどこへでもいけるもの。なくせば、どこへもいけなくなるもの。自分が存在できなくなるもの。



あたしが受付担当の話を聞くうちに、どこからともなく現れたスラリと白い獣が、怯えてうずくまった小さな獣に追いついた。宥めすかして立ち上がらせ、おそらく優しい言葉をかけている。だけどあたしにはわかった。あの白い獣は「受付担当」だ。あたしの目の前に座るものと同一だ。こどもに声を掛ける前の、嘲るような表情は、きっとそういうことなのだ。

あたしはアンケート用紙を書き終えると、


「待って」


立ち上がって、白い獣を呼び止めた。やっと持ち直した小さなこどもは、後ろからの声にまた腰を抜かしそうになっている。

白い獣は立ち止まると、「どういったご用件で?」というように、あたしに鼻先を向けた。

あたしは小さな獣を指差すと、「交代してくれない?」と提案する。


「どういうことでしょうか」


と、あたしの担当がいつの間にかすぐ横に立って、ごく至近距離で見下ろしてくる。


「だから、この子と、あたしの担当を変えてほしいの。アンケートはそれでいいから」


怪訝な表情を見せたあと、取り出したアンケート用紙を確認すると、真顔になってあたしに本当にいいのかとただす。しっかりと頷き返してやると、担当は今にも気を失いそうになっている小さな獣を抱き上げて、一礼する。


「承りました」

「あ、待って、その子はそれでいいの?」


了承はいらないのか、と尋ねると、


「その問いは、意味のないものです」


白い獣が代わりに応じた。その一瞬で、あたしの「元担当」は腕の中の獣と共に姿を消していた。

「では付いてくるように」と言って背を向ける白い獣の後を追い、あたしは「人間」の生を投げ打った。



気がつくと生ぬるい土の上に転がり落ちていた。新しい生を得たらしい。いちにいさん、と指折り数えると、兄弟は他にも5匹。全員真っ黒な毛玉のようだ。あたしだけは真っ白。てっきり灰色になるのかと思ったが、母親もあたしと同じ純白の毛並みだった。


それで可愛がってもらえるのかと思いきや、いつまでたっても乳首を吸わせてもらえない。他の兄弟たちがずっと占領しているせいかと思ったが、どうもそうではない。あたしが近づくと、母親は鼻にシワを寄せて威嚇してくるのだ。


そんな!


そんなわけで生まれた瞬間から親に嫌われていた。すぐに外気に体温を奪われ死んでしまうかと思われた。が、生まれたてにしてはしっかりとした前後の脚がついて、真っ白な毛もふさふさと生えていた。そういえば目も見えている。観察したところ、他の兄弟たちは、這って目を閉じたままでお乳を吸っていた。


母親と目が合うと、気味悪そうに逸らされた。邪険にされるのは、このせいか。この体が育ちすぎているから?


しかしいくらなんでも、このままでは死ぬ。あたしは母親が食べ残した胎盤に食らいついた。おそらくあたしと繋がっていた部分は気持ち悪くて口にできなかったのだろう。小さくも鋭い歯で肉を食む。

吐き気がするような光景と思うでしょう、ところがどっこい、あたしは獣である。満たされた空腹にホッと息をつく。しかしここに長居しては、気のたった母親によって命を奪われるかもしれない。我ながら悲惨な想像だが、やられかねない。子供達をあたしという異物から守るために。


あ頬についた血を手の甲で拭い、きちんと舐めとって、一度だけ振り返ると、兄弟たちに心の中で別れを告げた。

さよなら、もう会うこともないでしょう。



森をさまようあたしは出会う獣、出会う獣に、毎度のごとく警戒されまくった。野ネズミ、うさぎなんかはまだわかるが、イタチや山犬にまで避けられた。

率直に凹む。けれど不思議と彼らはあたしを襲わない。何せ生まれたて。ひよこみたいなものなのだから、良い獲物だと思うんだけど。これなら母親から離れなくとも牙を剥かれることはなかったのかもしれない。


――湿った空気。

木々の間から見上げた雲行きが怪しい。降るかもしれない。


戻ろうか、と一瞬思う。出産のために母親が選んだ岩場なら、雨に打たれることもない。

だけど今更戻って、母親が理性をなくさないとも限らない。


今にも空が泣き出そうという時、あたしは運良く発見した、大きな葉の重なり合った茂みの下に潜り込んだ。

バラバラと大粒の雨が、あたしの周囲の枝葉をたたく。

休息が必要だったのだろう。いつしか眠りに落ちていた。




「――記憶を?」


『獣』に生まれ変わるにあたり、あたしは特例的にお願いごとをしても良いと、白い獣は告げた。「人の嫌がることを進んでやるご褒美?」と言ったあたしに、そんなようなものだと獣は答えた。

それならと、あたしは「今の記憶をそのまま持ちたい」とダメ元で持ちかけたのだ。


「お勧めしません」


そりゃそうだよね、みんながみんな、こんなお願いをしたら世界は大混乱だ。


「無理? それなら他には何もないよ」


さあさっさと生まれ変わらせて、と『休め』のポーズで手を組んだあたしを、白い獣はしばし黙って見た。


「あなたの願いは叶えられるでしょう。ただし、あなただけではなく、彼にもその願いは残ります」


つまり、小さな獣も、来世に今の記憶を持ち越すということだ。

それが特例的に認められる条件だと、獣は言った。


「……それは、さすがに向こうも聞かないと。拒否権はないの?」

「はい、今、――了承したようです」


テレパシー的なもので、『担当者』同士はわかりあうようだ。


「そっか。なら、お願いします」


そうしてあたしは、全部覚えている。

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