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TIGER'S EYE  作者: 嘉川 ジロ
序章
1/1


 1617年、春。

 この日は満月が昇り、夜の大坂(おおさか)は幾分か明るい。大坂夏の陣の後は廃墟同然と成り果てた大坂城を、月光が儚く照らしている。その中で、飲食店の軒先に吊るされた提灯が存在を主張している。

「花のようなる秀頼様を……——」

 最近では、城跡を感慨深気に見る人は少なくなった。まるで、たった数年前にあった戦など忘れたかのように、夜の街を陽気に行き交う人が賑わす。

 人は善くも悪くも順応力が高く、立身出世を目指す武家の人間ならともかく、庶民にしてみれば、国を治める人間が変わったところで、さほど大きな違いもないのだろう。

 いつしか忘れ去られるのであろう城を眺めながら、男は一人、鼻歌混じりに酒を呑む。

「鬼の様なる真田がつれて……」

 右手に徳利を、左手に朱色の艶やかな盃を持って、酒宴の場所は、花も盛りな桜の樹の枝の上である。

 遊び人のような風体の男は、酒の満たされた盃に落ちた桜の花びらを眺めて、満足気に口元に笑みを浮かべる。

「……退きも退いたり加護島(かごしま)へ——」

 盃の中の酒を桜の花びらと共に一息に呑み干して、小さく息を吐く。周りに酒気が漂っているようで、ふわふわと心地が良い気分だ。

 盃を満月に翳すように目上にひっくり返せば、もう一滴も落ちてこない。右手の徳利を揺らすと、この樹に登って一人酒宴を始めた頃より、かなりの量が減っているのが分かった。耳を澄ましても、中で水音が聞こえない。

「んん、ん?」

 徳利もひっくり返すが、中からは数滴雫が溢れるだけで、酒はすっかり空になってしまっていた。落ちて来る雫を大事に盃で受け止めて、溜った少量を嘗めるように呑み干す。これが手持ちでは正真正銘最後の酒である。

 どうにも、桜と満月の組み合わせは酒を容易に勧めるものであるらしい。

「さて、と……」

 名残惜し気に盃を懐に直し、樹の枝の上に器用に立つ。その足下が下駄だとは到底思えない。

「と、と、と」

 酒気でふらつく身体を示すように、バランスをとって揺れる度、軽い口調が口を吐く。腰に下げられた赤い隈取りのある虎の面が軽やかに揺れた。

 ふとそこで、腰元に物寂しさを感じる。

「あ」

 気付いて声を出した瞬間、足下のバランスを崩し、そして男は——落ちた。



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