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民主会の会長(20XX年〇月27日)

民主会の会長(20XX年〇月27日)


   ~花見にお酒を持ち込むようになったのは、いつからだろう

                           桜とお酒合うのだろうか~


                         一


 桜の花は、満開になっていた。桜の名所での花見はいつも混んでいた。花が咲いたとたんに寒さがぶり返したが、今日は穏やかな日和だった。

 日本政府は、総選挙を控え、景気対策、沖縄の普天間基地の移転、財政で紆余曲折していた。沖縄は、沖縄県民が基地の県外移転で日米政府の方針に反対を表明していた。

 日本政府も当初は、県外移転を約束していたが、途中からその約束を明確にしなくなった。依然として景気は停滞していた。経済界の一部では、在庫を抱えていないから復活は早いと、回復を期待していたが設備投資はなく回復していなかった。政府も有効な対策が後手に回っていた。失業率も近年では最多となっており学生の就職難は、過去最高になっていた。高齢者は姥捨て山のような状況を呈しており、毎日のように介護問題が報じられていた。財政も赤字財政が最大になろうとしており、大企業は法人税の減税圧力をかけていた。

 大和共和国は、こんな日本を見捨てるかのように独立の旗を立ち上げた。日本が今後経済復興の戦略として立ち上げようとしている、環境、エネルギー、自動車、医療の技術力を有して独立を宣言し、日本に電力を始めとして技術協力を申し入れて来ていた。

 また沖縄問題を笑うかのように、軍隊を持たない国を立ち上げ、日本政府との秘密の会合では、暗黙に大和共和国の力を遠まわしの表現で、日米軍事同盟の脱却を示唆していた。これを受けて防衛省の一部や与野党の一部から日米安保を解消して、大和共和国と防衛協定を結ぶべきだとの意見があがった程である。


                         二


 大和共和国は、日本政府の政権交代は基本的な地盤は前政権と同様であり、政権交代を伴う政策などしないだろうと見ていた。アメリカ政府も同様であった。しかし、日本政府のトップがあまりにも短期間で交代するのでいら立っていた。沖縄問題は、時間の問題で日本政府はいつものやり方で、国民の目先を変えさせ、“しょうが無いな”とあきらめさせるやり方をするだろうと見きっていた。


                         三


 大和共和国は、現在戦略会議を行っている。日本を分析すると、各政党は硬直していて、当面の内部問題に目がいき、財界、外国勢力からの圧力に対抗できる力はなく、形骸化した国政を行う、ある意味では無政府状況であると見ていた。官僚や力のある派閥の思いつきの力関係で、国を動かすであろうと見ていた。この様な政治状況でもある程度安定した国の運営ができるのは、今まで長年積み上げてきた優秀な官僚組織が存在していて行政が機能している事、技術立国として世界経済を引っ張ってきた力が、落ち込みを防いでいると見ていた。日本には、優秀なビジネスマン、技術者が多くいると分析していた。だから内部からの刺激では変わらないと見ていた。

 共和国の戦略会議は、一般的には国会に通じるものであるが、技術的な事を含めて今後の国の方向をだす会議である。大々的にやるのは、今回初めてである。会議は非公開で行われていた。

東郷は、独立し今後進めて行く上で、どれだけ共和国の組織が、力をつけてきたか試す場としていた。

今までは、個別に一つ、一つやってきた。平行して組織を形成してきた。3年前から少しずつ、横の組織との連携会議を行うなど、組織運営を含めて育ててきた。

 東郷は、今回“あの国で生きたい、働きたい”、“あの国のようになりたい”を目標とした“地上の楽園”構想を全面に出し、構想に沿った戦略の提起を各省、各自治組織に呼び掛けた。その基本方針が昨日会議開催宣言の中で提起されたのである。昨日は、各省の基本戦略構想が一通り発表された。今日は、各行政組織、海外組織、それぞれの共同体組織から構想が説明される。

それらを受けて、明日から2日間で検討され最終日にまとめられ、国会とされる国民会議に提起されるのである。この流れの会議を共和国は、始めて行うのである。共和国がどれだけ精錬されて来たか測れるものである。その間の国民の日常生活や経済活動は、通常通りに行われる。

 世界は、共和国がそのような会議を行っているとは思っていなかった。

忙しい毎日の中で共和国外務省は、茨城空港に向けて100名の交流窓口要員を派遣した。


                        四


 茨城空港は、穏やかな陽射しを受けていた。経済的に成り立つか疑問がつく茨城空港である。日本には、経済的に厳しいとされる地方空港が多々あった。

 内調のメンバは、昨日から茨城空港の近くのホテルに泊まっていた。茨城空港のロビーには、大量の共和国メンバが来ると言うことでマスコミ関係者が多く集まっていた。日本外務省は、課長クラスを始めとして数人迎えに来ていた。国として認めていないので政府用人がくるのにぎりぎりの陣容であった。代わって商工会議所、電力会社関係者、鉄道関係者、さらに航路開設する地方空港の関係者が来ていた。

 伊藤局長を始めとして、残留した共和国メンバは、全員きていた。

内調メンバは10時集合だったが9時に、全員空港の喫茶店に集まっていた。他の内調メンバはいない。

 共和国の航空機は、予定通り10時に茨城空港に着陸した。いつもの静かな着陸である。乗客は全員、バスで空港内の入国管理センター前に着き、入国手続きを開始した。

 出国ゲートには、出国手続きする内調メンバがいた。空港職員は、大和共和国に行くとは知らされておらず、飛び立つ飛行機は午後だったので、早い手続きだと思った。メンバは、外務省が発行した特別許可証を見せて特別ゲートに入り、空港の専用バスにのり大和航空機に近づいて行った。警備の車がきた、外務省の特別許可証を見せると、そのまま通過させてくれた。メンバは、共和国の添乗員に案内され、初めて未知の飛行機に乗り込んだ。その様子を、マスコミ関係者はみていたが、遠くて日本人スタッフが乗り込んだと思わなかった。

共和国関係者も内調のメンバも、日本人であるから見ても判らないのが実情だった。

 飛行機は、11時に静かに飛び立った。着陸と同じで静かな旅立ちだった。

 筧は、座席に着くまでに室内を観察した。通常の飛行機より広く、シートはビジネスクラスのシート配置でゆったりとしている。

 飛び立つときは、一瞬斜めになるがすぐに平行姿勢になった。飛び立つ時は、エスカレータで急上昇する感覚である。下りのほうが応えるかもしれないと思った。添乗員は少なかった。救助処置の説明はされなかった。添乗員に聞くと、今回はしなくてよいとの事だった。飲み物などは、2階にサロン室があるのでそちらで言われた。サロン室では、飲み物、食事が出来るとの事だが、今回は飲み物だけだと言われた。快適である、窮屈さを感じさせない広さを持っていた。政府専用機のため、お客様対応に改装をしたものが、準備中とのことであった。管内放送も通常と変わらない。パソコン、携帯は許可を受ければ使用できるとのことだった。但し、周りに迷惑かけないとの条件である。全員でサロン室に行ってみた。新幹線の食堂車のようなものとイメージしたが、近いイメージであった。今回特別に、飛行機操縦室を見せてくれる事になった。添乗員は笑って、機長に連絡すると、機長が来て案内してくれた。初めてみる操縦室は、5名の乗務員が、画面と各機器を観ていた。室内は、広く漫画の戦艦大和で見るような操縦室であった。宇宙にも行けるとの事だった。この飛行機は、地上2万キロ近い上空を飛んでいる。皆初めて見る各部屋、各設備機器に圧倒されていた。操縦している乗務員は、皆アフリカ系の黒人だった。その事を聞くと笑いながら機長が、飛行訓練しているのがアフリカの人達だけだと言った。

理由について聞くと、笑いながら東郷主席の指示だと言った。操縦の仕事をするためには、日本語だけでなく過酷な訓練に耐えた者だけに与えられた仕事だと言った。訓練は辛かったと笑っていた。日本語教育は、小さいころからやっていたと言った。日本語は違和感なく話す。その他の語学については、笑ってご想像に任せると言うので、武藤がフランス語で話しかけると笑ってウインクしてきた。しかし、何も返答しなかった。 サロン室に戻り、コーヒを頼んだ。

「すごいですね。これには圧倒された、負けてしまいますね」海原が言った。

「勝ち負けの問題でないだろう」

「色々な事を見せてくれたり、話したりしてくれますね。前回海原さん達に見せてくれなかったでしょ! 私達を仲間として歓迎してくれているのでしょうか?」

「肝心な事は、話さないでいるよ。海原君達の時も見せる事が出来る物は、見せ、話したりしている。自信があるのだろう」筧が苦笑いしながら言った。

「私達は、何が出来るのでしょうか?」米塚が言うと

「今は、じっと見るだけだ。出来すぎている。あまりにもね。格が違いすぎると出る釘が打たれる事が起きる。多くの権力者は驚異を感じたら、脅威を除去することに向かう。協力とか学ぶ依然に敵とみる。日本の対応は遅れているからね、巻き込まれないようにするために我々がいる。共和国にとっても、無用な争いをすることは得策でない。だから力で乗り出さない、各国の実情を考慮して、協力姿勢で、各国の内部問題や、混乱すると思うものは、手をださない。利口なやり方だよ。じれったく思うだろうけどね。それと良く教育がされている。選ばれた人間だけをあつめているのかもしれないね」筧が言った。

「先日、サッカー選手やゴルフ、野球の選手が亡命希望をだしましたよね。増えていくのかしら」本谷が言うと

「彼らが、大和共和国に行くようになると、もっと出てくるでしょうね。私も前回調査で帰って来た時、影山さんに亡命したい程魅力的だったと言いました」海原が言った。

 館内アナウンスが席に着くようにと流れた。間もなく共和国につくようである。あっという間につくと思った。

「私達が、ミイラ取りがミイラになってしまうのかしら」武藤がそう言いながら席に向かった。筧はあり得ることかもしれない。そうなればそうなってもしかたないと思った。しかし共和国が受け入れるかどうか問題だった。

 

                         五


 寺門は、共和国で行われる戦略会議の出席を、監視が至る所で行われているため見合わせた。マスコミから監視を兼ねて色々とインタビューを申し入れられていた。

共和国主席の東郷とはどんな人物か、民主会をどうして脱退したか、民主会と共和国の関係について、くどいほど聞かれ、コメントを求められた。夢来人会、希望の会は発覚していなかった。それらを含めて民主会として捉えられていた。

 東郷は1999年まで民主会の会長をしていた。同時に夢来人会、希望の会も主催していた。70年代に伊藤が民主会を東郷にゆだねると言いだした。当時の民主会は、停滞していた。解散するかとの話しも出ていた。東郷の会長就任に反対するメンバが多数であった。理由は、若い、学歴が主であった。人物がどうの、人柄などについて話す雰囲気がなかった。寺門、山本、奥村を推す声があった。山本は、解散を支持して会長を辞退した。寺門は、会長を引き受けてもよいと思っていた。寺門自身も東郷に対して反対していた。奥村は、60年代の中ごろに参加したメンバで東郷の先輩であった。弁は立ち、頭も切れ弁護士をやっていた。伊藤会長との付き合いは、寺門が一番長く、サポートはしていた。

当時寺門は、新聞記者をやっていた。記者の仕事をして民主会を運営することについては、厳しかった。寺門は、雑誌社に引き抜かれようとしており、仕事の負担は軽減できればやっても良いと思っていた。民主会は停滞しているが、仲間は、色々な部署で活躍しており、人材ネットワークは広かった。これらのネットワーク人脈を利用できれば面白いと思っていた。奥村も同様であった。奥村は人脈を使った新しいビジネスを構想していた。貿易会社を立ち上げ、日本製品の輸出と技術者を派遣することを考えていた。

 民主会の人材交流は、この様な発展ができる側面を持っていた。この人脈を使うことのメリットを考えていた人達だった。

 伊藤は解散を考えた時、この様な動きが展開されるようになった事で、新たな発展が出来る事でよしとする考えもあった。しかし、違和感があった。

「伊藤さん。民主会は、変節してきたのですかね。故郷色がなくなりましたね。安保闘争がなくなり、結束するものがないから無理なのですね。会員の皆さんは、結婚もし、職場では、地位も得て安定してきて、目指す物が無くなったのですかね。これからは、民主会で無くても良いかもしれませんね。解散でなく縮小したほうがよいのでないでしょうか。結婚した人達、仕事に燃えている人達、世の中についていけない人達、故郷の郷愁に拘っている人達など、分けて運営していくのが一番だと思いますよ。それぞれのグループに分けて、民主会が束ねる。つまり暖簾をかしてそれぞれは、それぞれで運営していく。分散になりますが解散でない」色々な左翼も、右翼も、市民グループも安保反対闘争を戦った組織も、分散していた。時代の流れかもしれない。東郷の単純な発想で、分散は敗北で無い、新たな発展段階だと考えるようになった。その時、東郷と言う人物をあらためてみたのである。皆組織運営に疲れ、視野が利用だ、解散だ、勝手にかき回している様だった。東郷は、学歴は高卒だった。しかし粘り強く、調整したり説得したりしていた。伊藤は色々な事を東郷に教えた。その人物が目の前に居り、民主会の今後を、単純化した提言をしていた。

 大卒出身者が多い幹部は、野心が全面に出ていた。それが嫌だった時に、東郷の発想は清涼剤だった。伊藤は、東郷を次期会長に推薦した。皆驚くと同時に、当然反発した。東郷では荷が重い、寺門を推薦する声が上がった。

 寺門は、伊藤に何故私を推薦しないのだと言った。寺門は、その時の自分を思い出していた。今思うと赤面するところである。東郷で良かったと思う、東郷でないと出来なかったのでないかと思っていた。奥村は、民主会を退会した。既に構築していた人脈を使って事業を始めた。民主会としては規制していないので退会は、認めた。

 2000年に東郷は、突然民主会を引き継いでくれと言ってきた。島に常駐するためだと言ってきた。民主会の幹部をその島に連れて行ってくれた。我々が考えた島を視察でなく見学した。未完成だったが、夢に描いた島、国だった。皆感激し、感動にふるえ涙した。あれから10年、島は大和民主主義共和国として独立宣言し、登場した。


                         六


 寺門は、先日共和国の伊藤局長を訪ねた記者とカメラマン達に会っていた。

「私は、昔記者をやっていました。今は名誉職の会長をやって講演会などに呼んでもらって食っています。先日共和国の伊藤さんから連絡があり、寺門さんならばマスコミの人達の気持ちがわかると思うので真意をきいてもらえませんかと連絡をいただきました。伊藤さんはご存じのとおり初代会長のご子息です。小さい頃からよく知っています。そのご子息が、今は共和国で働いているとは知りませんでした。親父さんとは、たまに会いますが、そんな事を一言も言わないものだから驚いています。しかし、もっと驚いたのは、皆さんが共和国のためになる仕事をしたいと言われていると聞いたことです。どうですか今でもその気持ちに変わりはないですか」

「私達は、結婚している黒田君、北里君も含めて話しあいました。私達がやりたいのは何か、そして何が出来るのか、結婚している事に責任が持てるか等自問自答しながら話しあいました。その結論が共和国に行きたい。共和国のためになる仕事をしたい。そのために何ができるか? カメラマンをしている福西君と平良君は海外でカメラを持って取材していました。共和国には、カメラマンなどの職業が不足している、共和国で働いている人達の姿を、世界に知らせる仕事ができるのでないか、私や黒田君は、記者の仕事でなくてもコミュにテイを仲立ちする報道の役割を、生かせる仕事があるのでないかと考えてお願いしました。あの国には、こうした仕事が、文化面の仕事が少ないと感じているのです。だから売り込みました」寺門は、じっとみんなをみた。30代~40代前半だった。

「奥さんは、了解しているのか。会社や上司には話しをしているのか。あの国の国民になりたいのか」と聞いた。

「私は、妻に話ししました。妻は黙っていました。多分反対だと思います。記者の仕事は時間が不規則な事はしっています。だけど記者の仕事について文句を言った事がありません。子供達の事を考えているのだと思います。私は、子供達のことを考えればあの島、あの国を見せてやりたいのです」平井が言うと

「私の妻は、最初は何を言っているのと反対しました。今では貴方がそこまで思うのであれば、貴方についていくと言ってくれています。上司の大石次長は、ミイラ取りになってしまったかと言っています。但しはっきりするまで預かりとすると言ってくれています」

カメラマン達は独身でフリーであった。

 寺門は、黙って聞いていた。

「先日、サッカー選手、ゴルフ、野球の選手が希望したが共和国は受け入れるかどうか、何も言っていない。今後日本でも出てくると思う。また皆さんのような人達も、出てくるのでないかと思っています。あの国は、今は差別と選別で、国民になる人を選別しているようです。だから皆さんが亡命したいと言っても、受け入れるかどうか疑問です。向こうで日本国民として働きたいとなれば、条件は緩和されます。文化的事業があの国で役立つかどうか、今のところわかりません。今共和国は、交流事業として事務所のスタッフを募集しています。その仕事では希望に沿わないですね」寺門が言うとじっと考え込んだ。

「分かりました、推薦状を書きましょう。効くかどうか分かりません。秘密を守ってもらいます。漏れたらその時点で破談となります。4月に試験があります。共和国の事務所の募集ですが、その時に一緒に受けるようにして下さい。多分試験は受ける事が出来ると思いますが、受けることが出来なければ駄目ですね。皆さんは移籍の試験ですから難しい試験だと思います。試験に通ったら多分3カ月の試行期間に耐えてもらう事になるでしょう。何故ならば、今の共和国は選ばれた人間で構成していますからね。新参の皆さんが、仲間に加わるのだからその覚悟はありますか」寺門の思いがけない提案に皆驚いた。

「覚悟はあります。しかし試験に通る自信はありません」と平井が言った。

「どんな試験ですか」寺西が言った。

「分かりません。個々違う問題が提示されると思います」寺門は笑っていた。

「私は部外者ですから、分からないのが当然ですが、以前、伊藤君に聞いた事があります。今後は、能力試験と深層心理試験をやる必要がでてくるだろうと言っていたけどね」

皆分からなかったが、一つ前進したと思った。


 若い事は、すばらしい。可能性が無限にあるかのように向かう事が出来る。寒さを感じなかった。春が来たと思った。


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