報道番組(20XX年〇月24日)
報道番組(20XX年〇月24日)
~故郷の山を駆け回る。こうして思い出が作られる~
一
南の空には青空が広がっていた。この国の朝は早い。農作業は朝と夕方しかできない。漁船は、今日も、まだ夜明け前に出かけ帰って来ていた。市場は、魚市場、野菜市場にわかれており賑やかだった。
東郷は、6時から散歩している。これが日課となっている。東郷は、この国を隅から隅まで歩いた事を自慢していた。昨日は日本から帰国した仲野達と会っていた。日本の状況と民主会の人達の状況を聞いていた。遠まわしに安全保障や経済政策など提言してきたが、日本は対応しないだろうと思っていた。政権交代したからといっても日本を動かしきれないだろうと見ていた。日本は、長く保守党政権にひたり、官僚や経済界を作ってきていた。選挙で勝っただけで政権を握る運営力はないと思っていた。
東郷は、いつか日本の夢来を歩きたいと思っていた。夢来人会が運営している夢来が日本には10か所出来ている。
日本から離れて10年である。妻は、現在この国にきているが子供達は、日本に居た。それぞれ結婚している。この国の事は、今日まで家族に話さなかった。妻が知ったのは3年前である。子供達には、独立宣言が表明され、大和共和国の主席として東郷が、話題となり、マスコミが家族、親族に殺到することが想定されるため共和国について話した。子供達は、海外で仕事をしているものとずっと思っていた。2年前に子供達が結婚した時も、大和共和国については話さなかった。妻は、話す事は出来ず調整に苦労していた。日本に行き来する時も悪い事をしている感じがするといつも言っていた。東郷には、7人の兄弟がいるが兄弟達も直前まで知らなかった。
予想通り、マスコミは家族、親族に殺到した。何も知らないから聞かれても話す事はなかった、いや話す事が出来なかった。マスコミは疑った。家族なのだろと皮肉をぶつけてきた。東郷は申し訳ないと思いつつも耐え忍んでもらうしかなかった。しかし、しばらくの間は警護を付けた。
二
東郷は、散歩しながら故郷を思い出していた。小さい時に、近くのお宮で出雲と会った。出雲は怪我をしていた。家に連れて行き消毒薬をかけ赤チンを塗ってやった。それが出雲との出会いの始まりだった。出雲と言う名は田舎には無かった。だから引っ越ししてきた子供と思った。夏休みが終わり秋になっていた。元気になった出雲は東郷の所に遊びに来るようになった。学校では一つしたであった。東郷の家は裕福で無かった。町営の住宅に大家族が住んでいた。近所の子供達は東郷の所に集まった。東郷はガキ大将だった。喧嘩は強くないが、下の子供達の面倒をよく見ていたので集まってきていた。山に、栗やアケビ、柿など子供達を連れて採りに行った。
そこに、出雲が遊びに来るようになった。出雲は、都会から引っ越ししてきた子だと皆思っていた。田舎の場合、名前でどこに住んでいるか判ったが、出雲の名前は田舎では珍しかった。
子供達の世界では、住んでいるところは関係なかった。遊べるかどうかである。東郷はガキ大将の様なものだから、どこには栗があり、どこにはアケビがあるなど知っていた。得意顔で案内出来た。熟れているアケビは、身が割れて中にヤギの糞の様な種があり、それをペロリと口の中に含むと、甘い感覚が口の中に広がる、そして、種をその場で口から吐き出す。まだ熟れていない青い身のアケビは、ポケットに入るだけ入れて持ち帰り、米櫃に入れて、熟れるのを待つのである。東郷が連れ歩く仲間は、同級生か年下であった。アケビの食べ方や採れる場所を知らないから、東郷が教えるのである。出雲は全てが初めての経験で楽しくてしょうが無かった。
しかし、出雲はいつの間にか遊びに来なくなった。皆引っ越しをしたものだ思った。いつしか、出雲の事を忘れて行った。
東郷は、中学卒業後は工業高校へ進学した。工業系の科目が好きだからとの理由でない。家庭が裕福でないから高校卒業したら就職するものと思っていたからである。本来は学校の先生になりたかったが、無理だと思い工業高校へ進学した。高校の勉強は面白くなかった。卒業後は東京方面に就職した。故郷より遠くへ行きたかった。
東京に出て来てから間もなく、孤独感にさいなまれていた。何をするために東京にきたのか目的とする物が無かった。多くの人がいる。行きかう人達が沢山いるが、皆知らない人達だった。そんな時に故郷の集いに誘われて参加した集いが、民主会が主催する集いだった。心の癒しを求めて、色々な集いに参加した。そこで民主会の人達に色々と教えてもらった。安全保障条約とは何か、日本国憲法について、憲法の前文の戦争放棄そして自衛隊について学んだ。自由とは、左翼とは、共産党についての話題が話されている中にで、訳が判らないまま、参加して行った。
別の世界だった。今まで生きてきた中に無かった世界だった。資本主義、社会主義、共産主義、核兵器など知らないことだらけだった。沖縄が日本のようで日本でないこともしった。沖縄の人達が東京に沢山出て来ていたがパスポートが必要だった。沖縄に行くのには、パスポートが必要だと知った。このような理不尽がまかり通っていることが許せなかった。時は、70年安保に向けて学生運動が盛んになっていた時だった。東郷の湧き上がる若いエネルギーがこの闘争に参加させた。デモや集会に呼び掛けがあれば参加した。自分が必要とされている。自分が生きているとの実感が湧いた。仕事の同僚や後輩達に声をかけて誘った。仲間を増やして行った。
当時の民主会の会長は伊藤会長であった。60年闘争を戦った人で尊敬していた。伊藤は、同じ故郷だった。東郷を弟のように目をかけてくれた。
ある日、東郷が上野で友達と会って、帰ろうとしている時に、声をかけられた。それが出雲だった。東郷は最初思い出さなかった。顔も当時と違い、年に応じた精悍な感じの顔つきになっている。さらに東郷にとっては、忘れていた存在であった。出雲は、昔故郷の野山を歩き、木の実等を採った当時を話しだした。それで東郷は思い出した。それからである。出雲と色々な話しをするようになった。
三
民主会は、70年安保を過ぎると活動が停滞した。60年安保を戦い、民主会を立ち上げた人達は皆30歳を超えていた。結婚をし、子供もでき、仕事に喜びを感じている人達が増えてきていた。仕事場では中間管理職の役職を担っている人達が民主会を構成し、70年安保闘争で参加した人達との間には壁が出来ていた。民主会を運営する幹部は、多忙で、会を若手に切り替えようとしていた。
そんな時のある日、出雲は東郷に図面を見せた。現在の大和共和国の設計図である。南鳥島の東南の方向に100キロ四方を土台とした島を建設する図面だった。出雲は東郷に協力を求めた。最初は何のことやら判らなかった。夢物語を語る出雲は、冗談かSF小説を書くつもりかなと東郷はからかっていた。出雲は、真剣に粘り強く話すことで、東郷も話しに付き合うようになった。東郷も色々と思い描く空想をその話に入れて行った。其の度に設計図も手を加えられていった。
四
出雲は、大胆なことを話した。それは信じられない事であった。多分信じろと言う事が無茶だった。それが事実だと知ることになるのは数日後だった。車で奥多摩方面に東郷は向かっていた。運転するのは出雲である。土曜日の午後に立川駅で待ち合わせて向かっていた。あたりはうす暗くなっていく。随分奥に入り、道が細くなったところで車は止まった。そこから歩いて山深く入って行った。道は懐中電灯で照らして歩く。一時間程歩いたのだろう、東郷は久しぶりに随分歩き、足がパンパンになっていた。出雲は“着いたよ”と言ったが、周りは真っ暗である。突然灯りが一つまた一つと点き明るくなった。松明の灯りが10本点いた。いつの間にか大勢の人達が其処に居た。東郷は驚くどころか恐ろしくなり、出雲の近くに駆け寄り声をかけた。
「大丈夫だよ。彼らが話した仲間だよ」
出雲は笑いながら東郷に声をかけ、仲間だと言う人達に挨拶をした。
「東郷さん。よくここまで来られましたね。我々は、出雲王子が話した未来人と言うか、貴方が信じられないと思われている者です。王子の要請で貴方の前に現れて見せました。王子が話された内容は、夢でも空想でもありません。貴方方が理想と言う概念を掲げているとの事を聞き、我々とやれるかどうか見させてもらいました。今の貴方方では、夢も夢の世界の理想社会ですが、我々が援助することで可能にする事が出来ます。そのためには貴方を先頭に苦労していただくことになりますが、その覚悟をしていただくことになります。よろしいですか」東郷は驚いた。恐ろしさに震えていたが、出雲が挨拶している仲間の人物が、前に出て来て話しかけてきた内容に驚いた。
出雲が王子である事、すでに既成のレールが敷かれ東郷を仲間として理想社会の実現を目指すと宣言して来た事、東郷に覚悟しろと要求した事など、頭の中が混乱した。何がどうなっているのか、どのように答えればよいのか、出雲が王子だとする集団は、どこの国の集団なのか、犯罪集団に巻き込まれたのでないのか、身の危険は等、一挙に頭の中を駆け巡った。出雲が声をかけた。
「高市さん。まずは座りましょう。それと飲み物をお願いします」一息つかせた。松明の明かりだけである。大勢の人達がいたが、顔は判らなかった。3名の歳老いた人達の近くに10名の人達がいた。皆東郷より年配である。その人達の顔は判った。後で出雲に聞いたら全部で百数十名の人達が居たとのことである。13名の人達が自己紹介をして行く中で東郷の気持ちは落ち着いてきていた。13名の人達を観察する事が出来た。長い話しあいが続いた、東郷はそう思ったが時間は2時間もたっていなかった。話し合いは中断したというか,一旦終了した。広場に薪が組み立てられており火が点けられた。それからは飲み会である、すでに用意されていた。
東郷はいつの間にか酔っ払い眠ってしまった。あまりお酒は強くない。気が付いたらテントの中に眠らされていた、朝だった。テントから出てみると誰もいなかった。跡形もなく皆消えていた。しかし広場となった中央には燃やした跡があった。
「おはよう! 良く眠れたか」出雲が声をかけてきた。振り向くと水を汲んできた出雲が居た。
「皆さんはどうしたの」
「皆帰ったよ。よろしくと言ってね」
東郷は、その後は何も言わなかった。出雲が汲んできた水で顔を洗い、すでに作られていた食事を食べた。まだ2日酔いで頭が痛かった。
これが、彼らと初めて会い、出雲が話している事を信じることになった日である。
その後、民主会のメンバに話すまで、出雲と良く計画を練った。それだけでない、東郷はその日から出雲の仲間に、教育と訓練を受ける事になった。厳しい過酷な訓練だった。
しばらくの間、民主会の活動は停滞する事になった。
五
「主席電話です!」隣で一緒に散歩している秘書の石立から声をかけられて、夢から覚めたように足を止め携帯を取った。
「もしもし。東郷です」北朝鮮に残ったメンバからだった
続いて出雲からのメッセージ電話が入った。出雲は、いま故国と言うか地球から離れて自分の星に帰っていた。こちらに向かっているとのメッセージが転送されてきていた。
出雲には、次の戦略のための物を頼んでいた。今月末に行われる戦略会議で決定されるとその物が使われるようになる。
六
日本の朝のニュース番組で、サッカーのスペインリーグで活躍している大空、イングランドリーグで活躍している橋谷、ドイツリーグの西が大和共和国への国籍を移したいと表明したニュースが報じられた。それに続いてアメリカからのニュースでは、大リーグに今年から参加した村山、星も表明した。さらにゴルフ界から沖田も表明したとのニュースが流れ、テレビ各局は驚きを持って報道していた。今年はサッカーのワールドカップが行われる年である。日本はアジア代表として出場することになっている。表明した3名を日本代表として呼ぶべきだとの声が多かった。しかし。今まで日本代表として試合した事が無い事で、チームとしては不安視もされていた。サッカーの3名は、次のブラジル大会は共和国代表で参加したいとも言っていた。
表明したスポーツ選手は、20歳と21歳という若い、さらに生まれてから今日まで日本で生活したことが無い若者であった。
大空は、カメルーンで生まれ育ちスペインに行き、橋谷はブラジルで生まれ育ちイギリス、西はドイツで生まれドイツで育ち今日である。野球選手はキューバ育ち、ゴルフの沖田はアメリカ育ちである。日本に一度も来ていない、日本を知らないのである。
所属チームのコメントは、チームとしては個人と契約しているので、所属国については本人の問題である、本人の判断に任せるのがベストとコメントしていた。日本のサッカー協会は、緊急会議を招集していた。朝のニュースでは、今後大和共和国への移籍と言うか、亡命となるのか、判らないが経緯が経緯なのでもっと多方面で、出てくるのでないかとの評論家達のコメントを付け加えていた。取り分け科学者などは、出てくるのでないかと言う評論家もいた。
七
昨日の民放テレビ局で行われた、“大和民主主義共和国を語る”の報道特集がもう一つのニュースの話題を独占していた。
民主会の寺門会長が出席していた。民主会当時の東郷主席の姿を語っていた。共和国との関係については、直接には関係していないが、共和国を作った人達が日本に居る時は、色々な事を話したり、飲んだりして親睦を深めていたと語った。
テレビは、共和国の姿を写しながら共和国代表団の仲野のコメント等を拾っていた。その後に有識者達の座談会が行われた。
経済の活性化を積極的に進めるために、共和国の技術を取り入れて、製造力を強化すべきだとの意見もあれば、彼らに基幹産業を牛耳られるとの反対意見を述べる人もいた。しかし、電力と鉄道電力を提携したのは良い事だとの話しも出た。就職難や高齢者問題については、日本でも北海道や熊本など10か所でやっている事業形態を参考にしたらどうか、彼らもその点を取り入れたいと言っているとの話しが出た。
その10か所は、共和国と結び点いている疑いがある、関係があるから取り入れたいと言っているのでないのかとの意見も出た。
高齢者対策や過疎化対策などうまく行っているのだから、関係があろうが無かろうが良いものは良いで進めるのが、現実的でないかと意見は白熱した。
防衛や外交についての話題になると少しトーンが落ちた。それでも普天間問題が政権を揺るがしている中で、米軍の抑止力の効果をあげている人達が多かった。
「大和共和国に出来て、我々が出来ないのは何故か。財政の苦しい現状の中で防衛予算の削減も含めて検討すべきだ。日米安保を全面的に見直すべきだ」革新党系だと思われる評論家から発言があると、日米同盟は日本にとっても基幹であるから必要だとの意見を持つ人達が多かった。しかし、その人達でも沖縄の負担軽減は必要であるとの矛盾した考えに陥った。つまり沖縄の人達には同情するが、我慢してもらう、それを政府が説得する事が必要となってしまうのである。
沖縄の人達からみれば情けない話である。同情されながら、犠牲になることを、政府含めて本土の人達から長年求められ、これからも犠牲を求められるのだから、誰も解決してくれない。あきらめの気持ちが湧き上がっていた。政権が変わって、沖縄の基地が無くなることを期待していたが、今の日本では実現は厳しかった。
共和国の立場は、沖縄にとって夢のような話し、いや現実だった。軍事専門家の発言が波紋を広げた。
「大和共和国は、アメリカや中国、北朝鮮、ロシア等の軍事力を恐れていない。全て平和外交でやれる自信をもっている。それは何故か。彼らは、軍事力を持っていなくても軍事力を上まわる力が存在している。日本を守ることが出来る程の力だとの情報が入手されている。この事が事実とするならば、彼らと話し合い、協力すれば解決するのでないか」他の人達は、“ガセネタ”だ、そんなことが信じられるか、アメリカが黙っていない等意見が割れた。
「信じられないかもしれない。しかし、共和国の存在自体が、信じられない出来ごとでないか。その信じられない事を、現実的に実現している国だ。この話をガセネタだと出来ない不気味さがある」確かにそうだった。出席者たちは、共和国はなんでもできる力を持っているのでないかと思った。さらに波紋を広げたのは、次の発言だった。
「共和国は、各国の軍事力を分析しており、各国の弱点を見つけているようだとの情報もある。今後日本の自衛隊がその弱点を知りたいのであれば、提供するとの情報もある」
これには皆驚きを隠さなかった。
この発言は、マスコミがリークして評論家が後先考えないで発言したのだろうが、各国の情報機関もこの発言を見逃さなかった。今後、この発言が色々と波紋を広げることになった。
報道番組は、報道番組だった。評論家は評論家である。結論を導くのでなく、提言をまとめるのでもない。観る人、聞く人の判断材料を与えるだけである。政府はこれをどう判断するか判らなかった。しかし、各国の情報機関は判断していた。
桜の花は、散るから美しいのか、上野公園の桜は咲き誇っていた。今日も大勢の人で賑会うだろう。