情報機関(20XX年〇月15日)
情報機関(20XX年〇月15日)
~生きていてよかったと思える理想の国~
一
対策室は、1国2制度を採用した時の問題点を検討していて寝ていなかった。政府は今日にも日本の見解を発表する予定でいた。
外国人記者クラブの会議室は、多くの人たちが集まっていた。日本のマスコミも、外国駐在大使館からも調査団の報告を聞くために来ていた。調査団に参加したNHKのキャスタ、毎朝新聞の白井、日本記者クラブ幹事の佐藤が来ていた。佐藤は、明け方まで酒を飲んでいたが酒の匂いはしていなかった。説明は、NHKキャスタの岡本が行った。プロジェクタに映し出される映像を中心に行われた。質問に入ると、日本と違ってストレートな質問が多かった。
“この国の技術力はすばらしい。承認したほうがいい”
“承認は分裂国家を認めることになるのでないか?”
“日本政府はどうするとおもいますか?“
”日本も裏で、この国の建設を支援していたのでないか“
”テロを養成していないのか“
”本当に軍隊をもたないで国をまもれるのか“
”中国人や韓国人、その他いろいろな国の人を拉致して、共和国の建設に参加させているのでない か“
”彼らの国作りは成功すると思うか“等
色々な質問があった。しかし、調査団で答えられない質問が多かった。各国としても情報収集しないと、対処するためには、しょうが無いだろうなと思った。日本の調査報告が唯一の共和国情報だった。軍隊を持たない国としては歓迎できる反面、本当に国を守れるのかと疑問があり、もろさを持った国として映った。また日本に気兼ねなく、この国と付き合っていけるか、気になるところであった。
共和国と近い国は、アメリカの影響下の島国が多い。アメリカの態度も今後の関心ごとである。この島は、国土面積は、小さいが、自立できる経済力、技術力を備え、世界にない科学技術力をもつ島だった。
外国人記者クラブでのこのイベントの内容は、一斉に世界中に配信された。海外メデイアは、そのままの映像を送信し放映した。
二
各国の情報機関は、すでに動いていた。アメリカ、中国、韓国、北朝鮮、これらの国は、共和国と距離的に近い国である。どのような関係を持つか対策を検討していた。ヨーロッパの国は、科学技術力に関心を寄せ対策チームを発足させていた。イスラエルの情報機関は、アラビア系の住民が共和国に居たことで関心を持った。各国に共通していることは、どこの情報機関網に捕捉されず、この国が実現したことであった。さらに軍事力を持たないが、衛星通信を持った通信技術は脅威であった。信じられなかった。すでに、アメリカ、中国は、侵入して調査にあたったが結果として大した情報収集に至らなかった。日本の調査団が調査し報じた情報以上のものは得られなかった。
三
ドイツの情報機関は、あることに興味をもった。それは、ゴミ収集である。公的機関の下請け業者が請け負っている、ごみの処分と産業廃棄物の処分の流れに日本人が懸っていることに関心をもった。日本の内閣調査室も調査していた。家庭内や企業などで出るゴミは、埋め立ての資源につかわれる。各国ともごみ収集と焼却には頭をなやませており、分別収集などでゴミの再利用やゴミをださない方法を実施していた。
このゴミを目立たないように収集し、焼却しているグループに日本人がいた。日本は、世界でも最大のゴミをだす国である。ゴミ収集は、ほとんど各市区町村に委託されている。何か引っかかるものがあった。産業廃棄物など資源ごみを含めて裏社会の人間が関与して、不法投棄などの問題を起こしている。共和国と関連づけるものは無かったが、人工の島を作るための埋め立てる資源としてゴミ資源が浮かび上がった。ドイツの情報機関もゴミ資源が、使われたのでないかと思った。しかし、遠い所から運ぶだけでも大変である、ゴミの処分に船舶を使用して処分している業者がいないか調査した。
四
アメリカは、一時混乱した、叱責が飛び交った。それだけ深刻だった。世界最強を自負し、最高の技術力と人材を擁している。日本に常駐している情報機関、太平洋艦隊で常時偵察をしている部隊。衛星でも監視している。共和国の近辺では、日本以外に、グアム、ハワイ、マーシャル諸島、ウエーク島を抱えている。こんなことが信じられるかと各情報局の責任者は、叱責した。確かに、穴場であった。北朝鮮、韓国、台湾、中国、ロシアなどの監視は充実していた。日本の南側、東側は、全てアメリカ領である。広い太平洋に小粒のような島を発見するのも大変である。油断といえば油断していた。太平洋戦争以後、この地域でのトラブルは、ビキニ諸島での核実験で被爆した事件以外何もなかった。島は、2.3日で出来たものでない。数年、あるいは10数年かけて構築されている。構築するにあたっては、物資の輸送が必要である。数多くの船舶や多くの建築労働者が必要だ。これらの姿をみかけていないのである。外洋漁船団は見かけた。アメリカの世界戦略は見直しを余儀なくされる事になった。監視衛星からの記録を再度調べなおす作業を始めた。
五
中国も調査を始めていた。この建設に関与している張と孫という人物について洗っていた。内務機関は、すでに張、孫、朴という人物を知っていた。この事を知っている人間は、一部の人間だけであったが知っていた。張は、毛沢東の隠し子であった。かつて毛沢東の妻として実権を持っていた江青が居た。彼女に見つからないようして隠されて育てられた。林彪が失脚した時、中国を脱出してシンガポールの華僑にかくまわれた。中国では、紅衛兵として活動していたが、林彪の失脚とともに毛沢東は、誰にも知られないで脱出させていた。その後については不明である。中国の情報機関は驚いた。歳をとっているが、当時の面影を残している。当時は、劉孔明と名乗っていた。それと孫である。孫は中国共産党の幹部であった。ウイグル自治区の第二書記である。将来を有望視された人物である。天安門事件が勃発した時、関連人物として汚職の濡れ衣をきせられて失脚した。その時ロシア領を経由して脱出した。ロシアが脱出を手伝ったと噂された。その後の消息はつかめていない。劉が脱出する時、部下・仲間が100名近くいたと言われている。それらが全員共和国建設に関わっているかどうか不明である。朴は、脱北者である。金日成の側近だった朴の父親が、世襲制に反対した。現在の金正日に継がせることに反対して失脚した。朴の父親は、身の危険を感じて中国政府に亡命を求めてきた。中国政府は、直接の関与は出来ないが、秘密裏に亡命を助けて脱出させた。一時期パリにいたがその後は不明である。どうも、その子供が共和国の副主席になっている朴でないかと思った。当時の中国政府が、何故脱出に手を貸したか不明だ。脱出を手伝った人間が、情報機関の要員だった事が判明した。当時は、10歳の子供であり、3歳下に妹がいた。朴について北朝鮮は、すでに家族全員死んでいるものとみなしていた。40年の月日がたっている、現在50歳のはずだ。中国にとって3名は、亡霊者だった。死んだと思っていた人間で、中国にとってあまり好ましい人間でなかった。彼らの事は、共産党上層部にも伝えられていた。共和国に侵入したとき、その事を確かめる目的もあったが出来なかった。今後、彼らがどのような手段で出てくるか予測ができなかった。また、中国国内で共和国に関与している組織、人物について調査を進めていた。中国の組織体制を模倣し国を運営する共和国幹部に、亡霊となった彼らがいる事。日本が独立を承認するにしても、しないにしても、中国と台湾の関係と比較されることになる事。米国を牽制する役割になる事を期待しているが、共和国側の体制内に、中国に関与した人物が居る事が気に入らなかった。
六
韓国は、孫と朴2名の副主席が韓国人でないかと思っていた。日本から映し出された映像を見ながら共和国という国を分析検討していた。2名については、北朝鮮の人間かもしれない、在日韓国人、朝鮮人かもしれなかった。メデイアに映し出された映像の人物を知っている人の報告はまだない。時間の問題だろうと思っていた。犯罪をおかしているのでない、亡国して独立に参加しただけだ。自国に迷惑をかけていない。そんな人物の身元を割り出してどうなるであろうか。韓国内務省調査局の鄭は。調査しながらそんな疑問をいだいていた。それよりこの国とどのように付き合っていくかを検討したほうが良いのでなかろうかと思っていた。北朝鮮は、独立を支持した。
七
遠いイスラエルも動いていた。映像にアラブ系の顔をした人物がいたからである。テロ国家として建設されていない、軍隊を持たない国である。アメリカに反発し、日本にも反発した人達が造った国と捉えた。ニュースで流された共和国の映像に目が釘づけとなった。あらためてこの国が、脅威の対象となると捉えた。アメリカの情報網に捕捉されないでこれだけの事業を行い、国を造った姿を見ると、小さな島と言えインフラの整備力、科学技術力を備えている国である。イスラエル情報機関は、日本に要員を派遣した。アメリカにも連絡をとった。
八
共和国では、主席を中心に副主席、内務省、外務省など主だったメンバが集まっていた。各行政区の区長と行政幹部も集まっていた。朴副主席が喋り始めた。
「調査団が帰国しました。これからが本格的な国造りの戦いです。武力を持たないで全世界を相手にする歴史上誰もなしえていない戦いに入りました。ここまでは、想定内の範囲で推移しています。日本は多分認めない結論をだすとおもいます」外務大臣の本山は
「調査団は、承認をするように報告したようですが、日本政府は1国2制度を提案してくると思います。今の日本がおかれた状況を考慮すると一番妥当な判断だとおもいます。敵対する方針は出さないとおもいます。これで我々としては、色々な国との外交交渉をすすめていけると思います。平和的で有効関係を構築できるならば、対等、平等、不干渉の条件で進めていきたい。皆さん。予定通り準備をよろしくお願いします」と言った。日本の内部情報を共和国はすでに把握していた。
「我が国においては、武器の持ち込みは、いかなる国、外交特権があろうが認めないことを前提でお願いします。これは来賓についても徹底してください」内務大臣の朴が言った。
「アメリカや中国、ヨーロッパなどの来賓は、多分、警護の目的で圧力をかけるだろと思います」本山が、今後対応しなくていけないだろう圧力について言った。主席の東郷が話始めた
「ここまできました。50年の産物です。しかし、皆さんの報告にも表れているように始まったばかりです。これからが本当の国造りとなります。理想という漠然としたものを、人間社会の理想社会として構築する理想国を発展させましょう。人間が人間とは何かと考え、人間らしく生きていける社会の実現することがこの国です。働き、学び、助け合う。人間が考え出したこの要素を生かす社会です。歴史を造っていきましょう」皆うなずいていた。
「世界に散らばっている仲間達を1年以内に我が国にあつめましょう。近近、次の戦略として総合戦略をだします、準備よろしくお願いします」張がいった。
「飛行機を、100機手配しています。航空局に貸与します」国土・交通大臣が言った。
「これからは、皆さんが我が国の表の顔です。各国の砂漠地帯の緑化事業として共同開発か借地・借用を申し入れてみてください。この国と同様な自治権を持った国造りを次の戦略の一つにしたい。国土・交通省と外務省で協力して検討してみてください」張首相がいったこの提案には、皆驚いた。
「今月末には、打ち合わせしますので関係するところは、検討結果を出すようにしてください」首相の張が言って締め繰った。いよいよ始まる国の本格稼働に皆引き締まる思いと、興奮に身震いした。
共和国は、表の顔としての行政スタッフと裏のスタッフを擁していた。それらを統括する事が主席の役割である。首相の張を表の顔の代表とした。
九
張は、毛沢東の息子である。紅衛兵運動では、ひどい事をしたと思っている。中国を脱出し、シンガポール、マレーシアと経由してアメリカに渡った。ロサンゼルスでは、チャイナタウンの裏世界で活躍していた。アメリカに来るまで、悲惨な生活だった。アメリカきて差別と選別のなかで裏の世界に入って行った。父親である毛沢東は死んでいたが、ある日、日本人の石田とあった。アメリカ人のケネデイが石田を紹介した。石田は不思議な人間だった。張と張の仲間に喧嘩を売ってきた。ケネデイは笑っていたが、張は馬鹿にされたと思い飛びかかっていた。誰もが石田は殴られたとそう思った。しかし逆だった、いつの間にか仲間の前に転がされていた。張の仲間達は、何も出来なかった。それからの張の消息は不明である。中国から供についてきた10名も一緒だった。当時、張は35歳だった。
十
孫は、パリでビジネスマンとして活動していた。元の名は、周丁一である。中国共産党の将来有望な若手幹部であった。その彼が、中国を脱出した後華僑を中心に金融事業を行い、ロンドン、パリ、ニュヨークで投資ビジネスに手を出して成功していた。中国を脱出した時は、悲惨な生活をしていた。しばらくの間、本人は目立たないようにビジネスをした。命を狙われていた事もあるので慎重だった。何度か名前を変え、人相も変えた。ロシアに脱出した時は、死んだ様に偽装したが疑われて中国機関に追われた。その追跡もやがて下火になった時に、金融事業が軌道に乗ってきて、投資ビジネスにも手をだせるようになった。その時に、ゴミ収集と焼却ビジネスで川地にあい、ゴミ収集ビジネスにも手を広げることにした。デンマークの近くの島を買い上げて、焼却工場を造り焼却事業を開始した。川地の支援で工場設備は用意され、ヨーロッパのゴミを集める事業を本格的に開始した。孫は、事業の目途がつくと、第一線での仕事から消えた。事業は、他のものに引き継がれていた。
十一
東郷は、石田、森岡の推薦で張を、川地、鈴木の推薦で孫を、山本、佐々木の推薦で朴を2000年から直属としてこの島に引き取った。そして、張を首相職、孫を金融・財政職、朴を組織関係職に育て、3年前から担当させた。彼らを配置したのは、彼らの能力もあるが、彼らの身を守るためであった。彼らの過去が判明した時に要職につけることで、国として守る事が出来る事もあった。彼は、最初辞退した、日本人でない事などの理由を挙げていたが、東郷は関係ないと無視した。
日本政府は、明日大和民主主義共和国について声明をだすことをマスコミに表明した。
春は、近くまできていた。桜の花はまだ咲いていない。まだ便りはない。しかし春のおとずれの予感はしていた。