帰国後の会議(20XX年〇月14日)
帰国後の会議(20XX年〇月14日)
~かつて作ろうとした国があった。夢の国があった。夢でない事を祈る~
一
調査団が帰国したニュースは、世界を駆けまわった。日本は、承認するだろうか。分裂後の日本の対応が、どうなるか注目していた。アメリカは、承認に二の足を踏んでいた。日本に共和国を暗に管理させ、圧力を加えさせて負担の軽減などを図ろうとしていた。日本の後方(南の地域)にアメリカの影響を持たない国の存在は、大きく戦略の見直しを余儀なくさせることとなる。さらに共和国の存在は、日本の米軍基地の存在を否定させる出来ごとに発展する懸念を持った存在であった。グアムやサイパン、マーシャル諸島などのように農業・漁業を主体で観光に頼る島国であるならば問題にならなかった。米国内では、一応友好を図りつつこの国を見守りながら対応、対策を練ることにしていた。そのためにも日本が承認しない姿勢でこの国を牽制させる必要があった。日本政府には、承認を控えるように、案に圧力を加えてきていた。日本政府も簡単に認めたくなかった。しかし、政府の思惑と別に世論は、認める方向に傾いていた。通常、独立は民族運動が発生し主権を求めて独立する。これが一般的であった。 今回の共和国は、民族の独立運動が発生していない。日本に反発した動きが何もなかった。日本人が圧倒的に多いといえ、色々な国の人達が集まり国を造った。国も公海上に人工の島を造っている。何故日本でないのか、何故日本から独立するのか、日本を見離したようで反発する意見も多かった。取り分け知識人や経済界、そして年配者には多かった。若い人たちは、かっこいいとか、独立したければ勝手にとの雰囲気があった。共和国の独立はうまくいかない。いずれにしても、長続きしないとの意見が圧倒的であった。
二
対策室の会議室では、総理をはじめ対策室のメンバ、調査団のメンバが集まっていた。
「それでは、始めたいとおもいます」倉持の司会ではじまった。調査団は、プロジェクタ上に映し出された映像を示しながら説明をした。すでに放送された映像もあった。
「何故独立するのか、答えてもらえませんでした。この国は、武力行為はとらないと思います。しかし、自分たちの理想を実現しようとすることは、我が国を窮地に追い込むことになる可能性があります。米国、中国もその事に危惧しているのでないでしょうか。複雑な気持ちです。国の建設を会社の立ち上げるかの如く造った危うさがあるのでうまくいくかどうかわかりません。調査団の総意ではありませんが、私個人の意見として、独立を認め、彼らの技術力を吸収、協力して、我が国の活性化に利用することが良いのでないかと思います」映像を説明しながら団長としての意見を述べて締めくった。
「団長の感想に付け加えたい人、感想がことなる人が居られればいってください」司会者の発言を受けて、評論家、議員、マスコミ関係者がコメントを述べた。
共通しているのは、インフラ設備は充実している。出来たばかりの国、サービス部門が弱い、娯楽設備が少ない、マスメデアが弱いとの意見であった。国を運営する人材が不足しているのでないかとの意見もあった。しかし、国の警備、防衛については不思議と自信を持っている発言をしていたことを付け加えていた。総理は、黙って聞いていた。
対策本部長が「皆さん。調査ありがとうございました。皆さんの調査結果については、尊重し検討させていただきます。本日をもって調査団は、解散します。今後、皆さんに色々とご協力ねがうことがあるとおもいますが、その時は、協力よろしくお願いします。マスコミ関係者の方は、一応ここまでとします」と挨拶して会議は終わりとなった。マスコミ関係者は、対策室や政府から発言が無かったことに不満を持った。
対策室を出ていくと、マスコミ関係者は、早速、同僚につかまり質問された。再び、対策室で話した事や、現地での状況を話した。
三
対策室では、調査団と参加した議員が残り会議が再開された。
「調査ありがとうございます。政府としては、与野党一致の形でこの対応にあたりたいとおもいます」総理が言った。
「基本的対策案が、出来ているということですがどうなっていますか」革新党の宮本議員が聞いた。
「検討中です。一番は、国内世論の調和です。独立を認めるのは簡単です。日本から逃げ出した国として勝手にしろと、放りだすことも出来ます。泣きついてきても知らないよと突き放す事ですが、しかし彼らは、今まで同朋だった人達です。国内外には、支援者がいると思います。家族、兄弟もいると思います。一緒に移っているのであればよいのですが、多分ばらばらでしょう。彼らは、日本に墓があり、日本で育った歴史があるでしょう。これらの関係を切り捨てる形に持っていくのは忍びないと思っています。規制などの条件をつけることは、彼らにとっても我らにとっても得策でないと思います。彼らは、日本の承認と友好を一番に求めています。これは、国内外にいる彼らの関係者に対する配慮や今後彼らが、我が国への渡航緩和を諮るものだと考えているのです」対策本部長は、現状の懸案について説明した。
総理が、語りだした。
「基本的には、日本は独立を認めない。一国2制度の方式で対応したいと思います。ただし、中国・台湾の関係よりもっと緊密な関係を構築することを前提とします。貿易や交流については、双方が条件を緩和するなどで対応し、国連の加盟は、反対します。つまり将来に向けて、貿易や、人的、文化的交流を図りつつ融和を図っていきたいと思います。共和国の防衛については、我が国は関与しませんが、不当なる他国からの武力侵略が発生した場合は、何らかの支援をしていきたいと思います。米国、中国、韓国など関係国には、その方向で調整を諮って行きたいと思っています。多分、国内外の世論に対して受け入れられるとおもいます。このことは、発表するまで皆さんの胸におさめてもらいます。皆さんの調査に敬意を表して、お話しました」
「総理。いつ発表するのですか」自由党の佐々木議員が言った。
「発表は、明日です」
この後、政府の要員や調査に参加した議員は退席した。対策室のメンバは、各省から参加した調査団が新たに加わることになった。
「共和国は、納得しますかね」法務省出身者の課長が問いかけてきた。
「共和国は、独立を固執しないでしょう。私は、独立承認を推薦しましたが、これは彼らと敵対することでなく友好が第一だと思ったからです。この事は、帰国前夜に外務大臣の本山さんと飲みながら話しました。残念なことでもありますが、日本に組み込まれた場合、お互いに弊害があまりにもありすぎる事でした。彼は、ここまできたから日本がどのような対応しても対応できる準備は出来ていると言っていました。共和国にとって、自治権が認められ、友好関係を基に、貿易や人的交流が行われるのであれば、歓迎すると思います。問題は、日本国内の問題となると思います。私は政府の役人ですから、こんな発言は怒られるかもしれませんがあえて言わしてもらいます」田中が話すと、皆シーンとして聞き入った。
「我が国は、沖縄問題で示されるように、在日米軍の問題含めて自主的な判断が出来ないでいる。米軍による抑止力は多分効果もあるのでしょう。しかし、防衛のみか、貿易、技術協力、外交など自主的な判断が出来ていないと思われる事柄が多い。この意見については反論の方も多いかもしれません。今後彼らが思いきった政策を貿易、外交などに展開して実行してきた場合、我が国内で不満が湧き上がってくるのでないかと思います。一番先に上がるのが、米国との関係に影響でることが予想できます」対策室長は、“言い過ぎだよ”と云いながら
「共和国側は、何か言っていたのかね」と聞いた。外務省出身の調査に関わった課長が付け足した。
「本山外務大臣は、米国だけでなく、中国と北朝鮮の動きのほうが気になるといっていました。米国は、最終的には日本を敵に回したくないと対応するだろうが、中国と北朝鮮は、行動にでてくるかもしれないなといっていました。副主席の3名に関係しているのかもしれません」
「アメリカは、アメリカの防衛網をくぐりぬけて国を造ったのだからあまり良い印象を持っていないよ」
「各省で先ほどの案の問題点と懸案事項を取りまとめてくれますか? 明日検討して、結論をだしましょう。あまり先延ばしできないから」対策室長の吉崎が言った。
四
記者クラブでは、佐藤が共和国の状況を説明していた。
「佐藤君、お疲れです」東京新報の風祭が顔をだした。
「ちょうどよかった。お伺いしようと思っていました。今日は空いていますか」
「うちの若いのを連れて行っていいかね?」「いいですよ、例の場所にしましょう」
「わかった」佐藤は、他の記者と再び話し始めた。調査団に加わったマスコミメンバは、引っ張りだこだった。各局の報道番組に出席してコメントしていた。最新の科学技術力を持った国、分裂した日本がどうなるか等の報道、高齢者に優しい国、現在の日本にない魅力ある国としての報道が流れた。一方では、戦争放棄など日本を皮肉っている。日本から出て行ったメンバで何が出来る。うまくいくはずがない等の報道もあった。
五
外国人記者クラブは、共和国の調査結果について報告を求めるとして調査団及び対策室、さらに日本記者クラブに会見を申し入れていた。記者クラブの佐藤は、NHK、日日新聞からメンバをだすことで調整した。もちろん佐藤本人も出ることにした。佐藤は、対策室に調査団のビデオの借用を申し入れ、明日(16日)に行うことになった。
六
夜になった。佐藤は風祭と会うために小料理屋“ゆき”に向かった。“ゆき”は、おかみさんの名前の雪絵からつけられた名前である。秋田料理をだす小さな小料理屋である。奥には小さな部屋があった。すでに風祭と若手の2名もいた。若い2名は、顔は知っていたが名前までは覚えていなかった。
「先にはじめていたぞ!」と風馬が言った。「遅くなってすみません」
「まずは、一杯といこう」
若い記者が、徳利をもってお酒をついだ。
「共和国は、良いところだったようだね」
「想像以上でした。街なみ、人間、インフラ。こんな国をよく作ったものだと感心しました。だから、恐ろしいですね」
「素晴らしいなら恐ろしくないのでは?」若い記者はいった。
「いや、共和国が暴力的とか独裁国家とかの恐ろしさでない。あの技術力と国を造った組織力、理想を実現しようとする信念だ。まだ底力が見えない。本当の狙いがわからない。人を引き付ける魅力を持っている。これから我が国に与える影響の予想がつかない」ゆっくり飲みながら風祭が
「東郷に会ったのかね」と言った。
「いや、会えなかったですね。副主席の3名は、会いました。会ったといっても話したわけでないですけどね」
「北海道新聞から参加した館川は、同郷です。先ほど、彼が帰る直前に会って聞いたのですが、朴副主席は、鋭い顔つきの人で、その他の張、孫2名の副主席は穏やかな顔だったと言っていました」
「そうだね。出来たての国の職務を担当するのだから、大変だろうね。実力があるから総理、大臣と兼務をこなしていると思うけど。何故日本人でないのか気になったけどね」
「政府は、韓国や中国に照会したようだけどね。わからなかったようだね」
「東郷は、鳥取県出身のようだね」
「えっ!佐藤さんその情報はどこから入手したのですか? 向こうに行っていても情報がはいるのですね」
「家族や兄弟に押し掛けて聞いたけど、何も知らなかったね。知っていても話さないでいるのかと思ったけど、東郷は、家族、兄弟には話していないようだね」風祭が言った。
「政府は、資金提供している人物の洗い出しを始めているようだけど。資金の流れを断つ積りかね」風祭が続けて言うと。
「どうでしょうかね。色々な問題がありすぎる。あれだけの資金力が用意できることは、もろ刃の剣になるかもしれないですからね。日本の経済力が資金供給できる力があることの証明なのか、それだけの流通力が存在しているから封鎖すると国内の経済に影響が出るかもしれないね。世界の経済の動きを熟知していないと、兆となる金額を動かせないとおもいます。それを誰にも知られないで動かせていますから、止められないと思います」
佐藤が言った。
「しかし、知りたい連中がいるからね。洗い出すだろうね。こわいね」
「偉い人の考えることは、判らないところがありますからね。勝手に土足で上がっていくからね」もう探索に動き出して、ある程度つかめているだろなと佐藤は思った。
「政府は、承認するかね」風祭は聞いた。
「調査団は、承認したらどうかと提案しましたが、私達が居る時は、黙って聞いていましたけどね」若手の記者達は、驚いた顔をしながら聞いた。
「日本を逃げ出した人達が、勝手に造った国を認めるなとの反発もあるのですが」
「君達はどう思うかね」佐藤が聞くと
「私は、認めないほうがいいと思います。一時的麻薬を吸っている感じで、今いるのでないかと思っています。オウムの集団が山梨県に造ったようなものでないかと感じます。あの島で何か良くない事をたくらんでいるのでないかと思っているのですが」
「彼らが掲げた理念と言うか、理想の国、そして憲法、独立宣言等どれをとっても反対する理由は見当たらない。誰にも迷惑をかけていない。それでも反対するのかね」
「建前上では、反対できません。でもこの国は危険な感じがするのです。なんとなくです。出来すぎているからかもしれません。焼きもちのような感情も少しあるからかもしれませんが」飲んでいる事もあり、興奮した顔で一気に喋った。風祭が言った。
「多分、政府は認めないね。中国、アメリカに対しての遠慮もあるが、メンツもある。日本と同じような憲法をもち見せつけるように国を造らせては、示しがつかないな。でも技術力は魅力だ。そこが問題だね」
「風祭さん。記者魂が騒ぎ始めますか。青春が蘇ったのでないですか」佐藤は、今日は帰れないなと思った。日本で食べる食事は、おいしかった。向こうでもおいしかったが緊張していたのか、味あうまでいかなかった。佐藤は、ふと妻のことを思い浮かんだ。いつも妻は、何も言わないで送り出す。記者の生活は、思っていた以上に大変だ。最初は、よく喧嘩した、家事のことや、帰りが遅くなったり、家を空けることが多くなったりした。“私は、貴方にとって何なの、必要なの”と言われた。今では、諦めたのか何もいわない。佐藤は、申し訳ないと思いつつ、妻がいる家にかえると落ち着いた。子供は出来なかった。妻はそのことでもいら立っていた。しかし、ある日から何も言わなくなった。知り合いに陶芸教室に誘われ陶芸にのめり込んで行った。今では、自分でも陶芸を教えたりしていた。共和国は、そんな生活が実現できる国だった、気がしただけかもしれない。魅力的で夫婦で将来行って住みたいと思った。
「日本は、もう一度国の在り方を考えさせる事件だな。昔の人が、これからは、俺たちの手で日本を造っていくのだと言っていた時代を思い出すね」風祭が言った。
「風祭さんは、安保闘争を経験したのですよね」
「60年安保と70年安保を経験したね。60年の時デモに参加した。今考えると純粋だった。日本を俺たちの手で作ろうとしていたな。70年の時は、30近かったので別な思いで日本を考えたね。アメリカを敵と見なし、保守党政権打倒を考えていた。身近なところに戦える敵がいて打倒すれば実現できると錯覚していたからね。当時は、取材をしている側だったけど、安保闘争を蔭ながら支援していたね」風祭は、感傷的な思いをにじませながら話した。
「あれから、随分たちましたけど、日本はよくなったのですか、悪くなったのですか」若い記者が聞くと
「お前らは、どう思う」
「私たちは、物心ついたときはバブルの時代で塾に通い、差別と選別でいい学校にいけと育ってきたので、この国をどうするとか考えたことはなかったですね。自分中心で生きてきたので、良い国かといえば良い国だとおもいます」
「だけど矛盾は感じていた。貧富は増す、勝ち組、負け組と選別され、人は殺伐としてきている、負け組は、所詮能力がない人達だ等と言われている。人間の欲望ははてしない、人間社会である限りしょうがない。政治をやる人はやる人がやればいいし、関係ないことには興味を示さない。理想の国とか理想とは何だなんて示されたら戸惑ってしまう。こんなものだろう」
「先輩。あまり皮肉を言わないでください」「我々が造ってきた国は、結果的にこのようになってしまったのだね。今の状態が、理想の国か、我々が造ろうとした国かと言えば違うね。でもこんな国になってしまったね。昔より良くなったはずだよね“佐藤君”。我々の理想は、こんな国だったのかね。青春時代に夢を見ていたということかな」風祭は相当酔ってきた。
「理想とは、国とは、自由とは、青春とは、思いだしますね。その姿があるのですよ。共和国にあるのですよ。風祭さん。私達が夢を見たという国があるのですよ。共和国を支援したい。協力したい。自分も参加したいと思う魅力があるのですよ」酔ったのか佐藤は、涙をながしていた。時間は、夜中の2時を廻っていた。
共和国は暑かった。日本は寒かった。このギャップが今の日本の姿だと思いながら、会話がはずんだ。しかし酔っ払った年寄りの話はいつしか愚痴になって行った。