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防衛とは(20XX年〇月12日)

防衛とは(20XX年〇月12日)


       ~家族は尊い家族は暖かい家族は強い~


                        一


 朝雨が降っていたが、すぐやんだ。この島にきて初めての雨だった。この島においては、恵みの雨でなかろうか。今日は、共和国との最終打ち合わせである。昨日の内部打ち合わせで調査団は、独立を認める方向になっていた。今後は、交流を進めるための条件、交通手段の整備、通信、貿易、通貨・為替、大使館事務所など課題を一つ一つクリアして行く事となる。日本に帰国して調査結果を報告し、速やかに実務を進めることを提案するつもりでいた。

 世界の報道は、日本分裂と流していた。そのために株価は下がり、円安となっていた。今後の対応次第で日本の評価はまだ下がることになる。このことも調査団としてはプレッシャとなっていた。


                        二


 10時に合同会議は始まった。場所は、センタビルの最上階50階である。今日のために用意してくれていた。さすがに高い。この建物には3階まで入れたが、その上は禁止されていた。しかし、今日は50階に上ることができた。

「皆さん。我が国の感想はどうですか。まだまだ至らないところが多いと思いますが、皆さんからのご指摘を真摯に受け止めて、改善するものは改善していきたいと思います。忌憚なく言って下さい」本山が挨拶した。彼は、海外を歩き廻った経験を著作で表している。“ひとり旅”と題した著作を出版していた。旅した国々の人々や国柄を記していて、読む人によっては、面白い本だと好評である。10巻で構成している。その人間が外務大臣をしていた。

 調査団は、この国の目的とか、どのようにして作ったかとか、日本国内の人たちとの繋がりなどについて聞くことは無駄と判断していた。今後の交流は、両国に有益だと判断し促進すべきとしていた。そのために解決すべき懸案事項が、複数あると提案した。共和国側は、この提案を歓迎した。共和国側も考えていた事と共通したものだった。昨日の調査団側で上がった問題で警備、防衛について共和国側に質問した。

「我が国は、銃刀類については禁止しています。警察など警備するものだけ許可し厳重に管理しています。今は、この国の建設に賛同した人たちが住み、日々理想を追求することに励んでいます。しかし、今後については、色々な人達が、我が国に入ってくることが想定されるので警備の強化の必要性は感じています。我が国に銃刀類の持ち込みは、世界最高水準の監視により持ち込みは不可能でしょう。この監視網は、麻薬類についても同様です。このシステムの技術的な面については、お話することは出来ません」内務省警備局長の堺が答えた。

「我が国の防衛は、非武装・中立を追求しつつ強引なる武力侵略に対して断固戦う手段は持つこととしています。現状では、武装は必要ないと思っています」本山が言った。

「今日の世界情勢で、国民の安全を守れるのですか」日本の防衛省出身の前田が言うと

「笑いながら、こんな弱小国に侵略してくる馬鹿な国はいないでしょう。メリットはないでしょう。我が国は、限られた資源、知恵、力を国民のために使うことを第一に考えています」すると保守党の星野議員が

「日本に対してのあてつけのように聞こえますが、その自信の根拠は何ですか」

「済みません。当てつけるつもりはありません。武力を持っていない事こそ一番の武力であるとの信念です。防衛は、話し合いが一番だと思います」調査団の何人かは、この意見に反論しようとするものがいたが、団長の田中が抑えて

「今後は、交流を前提に実務者で協議していくことでは、どうでしょうか。本国に帰り調査結果を報告して判断を仰ぎます。早急なる結論を我が国として出し、交流を進めていくための対策を検討します」

「我が国を承認していただき、平和友好条約のもとで、前向きに両者で解決できる方向を検討できる打ち合わせをしていきたいと思います。我々としては、まず日本と真っ先に友好条約を結びたいと望んでいます」本山が言った。

「その点は、我々日本も同様です。お互い日本語を母国語とする国です。北朝鮮と韓国、中国と台湾のような関係にしたくないですからね。本当は、何故独立だ、世界は日本が分裂したなどの報道もながれている、理由を明確にしたかったのですけどね」調査団長は、ひにくを含めて言った。

「我々は、分裂とは思っていません。日本国憲法の良さを取り入れることが理想実現に必要と考えた人達が、他国の人達に迷惑かけないで国造りをしようとしました、これからも理想の追求を進めて行こうと考えています。日本や世界の皆さんには、判ってもらえるものと思っています」本山言った。

「少し愚痴になっただけです。この話は、今はやめましょう。自由に調査させていただいたことに感謝しています」すでに顔を突き合わせていたこともあるので、緊張の中、穏やかな雰囲気で打ち合わせは進行していった。


                        三


 夕方、調査団は迎賓館にいた。ここに入るのも初めてである。この国においても迎賓館の使用は初めてだった。

 この国でみる夕焼けはきれいだ。山はないが小さな丘のようなものはある。人工の島とは思えない。この国を設計した者のすごさをあらためて感じる。

 迎賓館は、和洋折衷の建物である。日本のメンバに何が食べたいかとのアンケートで肉料理、魚料理の注文があった。料理は、両方が食べられるバイキング形式の料理が用意された。リラックスした服装でOKだと事前に連絡が言っており南国風のラフなスタイルで集まっていた。

 明日は、帰国できるとの気持ちも重なり盛り上がった。アフリカ、ポリネシア、中国、アメリカそれぞれの国の出身者により民族音楽が演奏された。各テーブルは、日本、共和国混在の構成であった。賑やかな夕食会である。カメラマンもこの時は、カメラを休ませた。テレビも同じだ。

本山外務大臣が、入ってきた。一緒に3名の人間も入ってきた。本山がマイクをもち3名の人物を紹介した。3名は、副主席である。総理の張が挨拶した。

「皆さん、楽しく食事されているところ突然お邪魔します。調査が順調に進んだとのこと、よろこんでいます。今後両国の友好がもっともっとすすむように、皆さんがそのかけ橋になっていただけることを期待しています。楽しんで帰ってください」外務大臣の本山が、迎賓館の利用は、調査団が最初の利用者だと云った。皆、一通り調査を終え、最後の夜だとの思いから賑やかなひと時を楽しんだ。迎賓館での宴は、20時に終わったが、二次会が用意されていた。カラオケに行く者、静かなスナックに行く者、居酒屋に行く者に分かれて言った。飲み屋があることにも驚いた。共和国の幹部である副主席3名は、二次会には欠席した。本山外務大臣は、スナックに調査団の幹部達と同行して行った。スナックに入ると女性がいた。

「本山さん。この国にも飲み屋があるのですね。風俗もあるのですか?」佐藤幹事が聞くと笑いながら

「風俗はありません。飲み屋はありますよ。但し、まだ商売として定着しているほどはありません。予約して店を開いてもらっています。ここは私達が良く使うところです。昨日予約しておきました」

「きれいなひとが多いですね」5名いた女性は美人だった。

「元日本人ですか? 口説いてもいいですかね」

「奥さんに怒られないようにしてくださいね」一斉に笑いが巻き起こった。


                        四


 東郷の妻から娘からメールがあったと朝言われた。多分あまり良い内容でない。妻が、この島にきて3年になる。当初は苦労したようだ。日本での介護士の資格を生かした老人介護を主な仕事をしている。日本と違って老人介護の施設と設備は優れていた。要員もいた。老人医療は無料であり、なにより復活させる医療技術は優れていた。だから介護も楽だった。その他に農作業や保育士も兼ねてやっていた。この国に来た時生涯大学に行き、この国で何をやりたいか、やればよいか、自分の出来る事を見つけることから始めた。同年輩の人や、若い人と話すようになり今の仕事に落ち着いた。夫が主席だろうがコネは効かなかった。但し、夫の仲間の会食などに参加する時は、主席夫人として扱われた。あまりそういった場所に行く事を好まなかった。

 日本に居た時からそうである。今まで堅苦しい場はあまりなかった。国自体がまだオープンになっていなかったこともある。だから自由であった。それがよかったと思った。しかし、この国が独立宣言した時からプレッシャが懸った。これから色々な場所にでていかなくてはならないのかと思うと憂鬱になった。

 その事を東郷に話すと東郷は笑っていた。東郷にとってみれば、日本に居た時より格段に元気になり若返った妻を見て笑うしかなかった。娘からのメールは、日本でマスコミがしつこく付け回すとのこと、お兄ちゃんが怒ってマスコミにどなった事を言ってきていた。

 子供達に何も言わなかった。独立宣言をホームページに乗せる時、話した。マスコミがくることも想定して準備させていた。息子が怒るのだから余程腹に据えかねたマスコミ攻勢だったのだろうと予想された。しかし何もしてやれない自分達で耐え、乗り越えてもらうしかなかった。これからもっと色々なことが発生するだろう。妻にも我慢させるしかないと言った。いつかもっと日本と行き来できるようになる。その時までの辛抱だと話した。妻は“そうだわよね”と言ってその話は終わった。

 日本はまだ寒いだろうなと思いつつ、定例の散歩に出かけていた。今日は調査団と最終の打ち合わせが行われ、迎賓館で食事会が行われると報告を受けていた。

 不法侵入した者たちも何事もなく撤退したようだ。間もなく艦船がひきあげるだろうと思っていた。


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