民主会とは(20XX年〇月10日)
民主会とは(20XX年0月10日)
~思い出を調べる過去と今を結びつける~
一
4日目の調査になった。調査すればするほど、この国のインフラ設備は、高度な技術力で構築されていた。何故この国を建設したか。日本国憲法に類似しているのに何故日本ではだめか、狙いは何か。いつから建国を準備したのか。この国に居る人達だけで作ったのか、協力者は居るのか。疑問について、答えをひきだすことは出来なかった。承認しないとした場合、その理由をどうするか。経済封鎖を実施した場合、この国を崩壊させことができるか。軍事力で強引にこの国を従属させる事が出来るかなど、夜の合同会議では白熱した議論が交わされた。全てこの国を否定する条件は、困難だとの認識で調査団は一致していた。
今後の関係を強化することがベターだとの認識が深まっていった。しかし、日本国内の問題を考えると憂鬱であった。共和国の狙いが、日米軍事同盟を解消させることが目的であるならば、国内の保守派やアメリカを怒らせる事が確実であった。この国が自主的に日本に属すると言ってくれることが、一番平和的で問題なく対応できる方法だと団長の田中は思っていた。各行政区の調査チームのリーダは同じ気持ちだった。参加議員達は、中国方式の1国2制度が現実的な対応だと思っていた。マスコミ関係者は、独立承認と1国2制度の半々であった。革新党の宮本議員は、承認・国交で関係強化の意見であった。
二
日本では、共和国の特集が組まれた番組が賑やかだった。色々な評論家などがそれぞれの立場でコメントを寄せていた。経済界は、好意的な面と脅威としてみる面があった。電力業界は、太陽エネルギで全て賄える技術力に興味を持っていた。自動車業界、鉄道など部門も関心が高かった。環境エネルギを推進している立場の人たちは大歓迎である。漁業・農業関係者は、日本の技術が役だっていることに誇らしく思い、高齢者の人たちは、高齢者を大切にしていることで共和国を歓迎していた。しかし、独立を承認するかとなれば、反応は煮え切らないものになった。日本から逃げ出したとの印象が強く、独立に対する反発が多かった。若者は、働くことが生きがいの国のイメージ強く、拒否感を結構持った。年齢が中高年ほど共和国に対して好印象であった。理想通りにいかない、そのうち挫折して崩壊するから独立を認めて切り離したらどうかとの意見もあった。防衛問題も話題となった。非武装・中立を唱える国の姿は、かつて日本社会党が唱えた理念である。現実的でないと評論家が報道番組で言っていた。共和国は、厳密な非武装・中立の立場でない。自衛武装はすると言っていた。現状では自衛のためには、警察力だけで十分であるとの見解であった。
政界や沖縄など米軍基地をもっている地域の人達は、米軍含めてアメリカの動きに関心を寄せ一国二制度の考え方が大半であった。共産党だけは、独立・承認の方向だった。
三
世界も日本から流れるニュースを見ながら驚きをもってニュース特集を組んでいた。
太陽エネルギで賄う電力、通信衛星を所有している科学力、軍隊を持たない国、小さな島国で高度なインフラ技術力を持った国の関心は、並の驚きでなかった。
取り分け、中国・韓国・米国・ロシアは、驚きを通り越していた。中近東諸国は、承認により早急なる国交を進めたいとの意向が強かった。アジア諸国も同じである。タイ、ベトナム、カンボジア、フィリピン、シンガポール、マレーシア、インドネシアなど国交を結びたいとの声明をだした。
国連は、大和民主主義共和国から加入申請があったとの事務局長声明をだした。もはや承認は、さけられない状況である。アメリカも承認の声明をだすのでないかとの噂もたった
。
四
日本では、共和国について調査団からの報告を内閣調査室が分析に取り掛かっていた。対策室への報告も行っていた。
基本的には、承認は認めたくないが、貿易など経済、技術、文化交流を行うべしとの報告である。その後の対応は、対策室がおこなうことであると報告は言っていた。内調が力を注いでいるのは、建国に関わっている共和国幹部や、テレビなどで映し出された人物と通じている国内の組織、または関係者の洗い出しである。関係者を通じて共和国側の狙いを把握することである。日本の政党との関係は、弱いとみていた。
現在、洗い出されているのは、民主会である。国内10箇所を拠点として、全ての都道府県に支部が存在している。政界にでているものはいない。経済界では、中小企業で活躍している人達が多い。農業関係者、漁業関係者、スポーツ、芸能、学者、知識人などにも会員がいた。しかし民主会は、親睦団体で同郷の人達の親睦を図る目的で作られた会のはず、組織だった動きが出来るとは思えなかった。拠点と思われる所には初期の民主会のメンバが長として存在しているが、彼らによって大きくなったのか判らなかった。しかし拠点としたところは、順調に大きくなっていた。共和国のトップの人物が民主会の会員だったことを知るまで、民主会は注目されなかった、気付かなかった。あらためて調査して東郷主席との接点に気がつかされたのである。
民主会は、当初互助会が主体の活動であった。目立たない活動で、勉強会や親睦を図っていた。同郷の人達の就職相談などもやっていた。意図して目立たないようにしていたか判らない。個人としては、有名な人も参加している。秘密組織でもなくオープンな組織である。建前かもしれない。
共和国主席の東郷は、民主会の2代目会長であり、行政の幹部達の出身地が、民主会の拠点だったことも関連があるのでないかと疑いを持った。
東郷には子供が2人いた。二人とも結婚しているようだ。兄弟は7人兄弟で男6人女1人の中で5男だった。両親は2人とも死去している。
民主会は、1960年代に発足している。宗教的な色彩はないが、互助会、ボランテア的な側面が強い団体で発足している。60年安保闘争で全学連の一人として参加した伊藤他10名で作ったようだ。当時は、日米安保反対運動が盛り上がり国会を取り囲む運動は過激であった。アメリカ大統領の来日が阻止させる等学生が戦闘に立って戦われた。しかし安全保障条約を破棄するまでにいたらなかった。10年間の延長を許して終息した。学生や労働界は、傷ついていた。そんな時伊藤は、同郷の仲間を中心に学生を癒し、社会に復帰するための親睦会を作ったようだ。しかし持続するのは大変だったようだ。会員も減って行ったが、70年の安保闘争に向けて再び会員は増えて行った。初期は大学生中心だったが、70年近くなると、高卒の人間も会員にすることにしていた。民主会は、60年時の闘争に参加した人間は少なくなっていたが、若いメンバを加えて会員は増えていた。70年の安保闘争の前には、学園闘争が盛んに行われていた。学生の行動は過激になり、国民から乖離していた。安保反対闘争は、60年の時と違って、統一した運動には至らなかった。学生は色々なセクトに分かれていた。民主会は、積極的に闘争には参加しなかった。70年安保は、自動延長となり終息した。いつでも破棄通告を一方の国がするだけで、1年後には米軍は、日本から前面撤退する。条件的には、軍事同盟破棄を有利にするような体裁をした条約が結ばれた。この事は国民の眼を安保反対からそらせる効果があった。その後、安保闘争は沈静化していった事から、時の日米政府のやり方はうまかったかもしれない。
伊藤は、東大出身の生徒であった。その他の仲間も東京中心の学生で構成されていた。70年闘争の時には、高卒の労働者も迎え入れ世代交代を築いていた。新しく迎え入れた仲間の中に東郷がいた。そして東郷が2代目の会長にした。その後に会員は少しずつ増え今日に至っているが、東郷は2000年に会長を辞めている。3代目会長が寺門になっている。目立った活動もしていない会が、いまでは10箇所の拠点をもち、10万人はくだらない会員を抱えていると思われている。3代目の会長の力が今日の力を作り出したのか、東郷が基礎を築いたのか判らない。中国、韓国、アフリカの人たちが、共和国にいることから世界中に民主会の会員がいるのか、別なのかわからないが、民主会が何らかの役割を果たしているのでないかとの疑いが強くなった。
寺門は、当初のメンバである。伊藤は、鳥取県のお寺の住職をやっている。そこは、民主会の人達がいる夢来を造り、その中にあるお寺の住職である。この会が本当に関与しているのだろうか? 民主会を運営している人達の実態を調査する必要があるが、困難を伴うことが予想された。
内調の影山室長は、懸念材料を吟味しながら、まずは、会の全貌を把握する方法を検討することにした。
五
対策室は、内調の報告書を検討していた。国内世論や周辺国の動向も検討した。調査団から毎日送られてくる情報も検討した。政府としては、アメリカと連絡をとりながら日米同盟を基軸としての方向で調整していた。
沖縄問題で揺れている中で、沖縄だけでなく日米安保に対する根幹に刃が向くことに危惧していた。理想の国など最初から出来るはずがない。いつかつぶれる。人間は、欲望の動物だ。楽したい、儲けたいなど人間の本能を抑制できる事は難しい。理想は、人間がおおくなればなるほど欲望により崩れる。小さな島国で何ができるのか対策室の主だったメンバの思いだった。
六
南区の調査は、ほぼ終了していた。ここにも空港があった。西区の空港より少し小さい、しばらくは開港する予定はないとのこと。第二空港として予備空港の位置付けである。石油や飛行機の燃料等は備蓄されているとのこと。飛行機の格納庫や整備機材、整備士は用意されていると言っていた。
娯楽施設は、各行政区にあるが、この行政区には大きな施設が集中している。精密機器の工場群があった。工場の中は見ることが出来なかったが、造っている機器を展示している会館を見せてもらった。電子機器、医療機器など日本で見たこともない機器が展示してあった。この会館では、展示した機器を通して商談をしていく場所にしたいとのことである。日本でのデータショウ等をイメージしたものである。他の行政区にない大型店がこの行政区にあった。店は開いていないところが多かったが、清掃などはきちんと行われており、きれいな街並みを形成していた。観光客など人口増加で消費人口が増えた時を考慮している。高級品などの品物は、カタログのみであまり陳列されていない。日常品は、それなりで日本と変わりなかった。野菜や魚類は、安かった。肉類は、高めである。加工食品などは、ほとんど日本産などであった。どのような方法で入手しているか、そのルートは明かさなかった。現在、居住している人達においては十分な量で不満はないようだ。
この国の弱点としては、サービス業かなと思われる。出来たばかりの若い国だから許せることですまない。ホテル、デパートなどや娯楽施設などは、日本のサービスからみるとよくない。人の良さ、誠意は感じるが、清廉されたサービスが出来ていなかった。今後の課題だと案内人はいっているけど、国交を結び観光客がくるようになれば、トラブルが発生することが予想される。そのことを案内人に問いかけると「観光省一番の課題として対策を練っている。今は、訓練中」との答えであった。お金を払って来る観光客からみれば、サービスが良くなければ印象が悪くなり、リピート客がいなくなる。
「全てが、優っているのでないのですね。インフラ等の設備、ハード面が優れていても、ソフト面が悪ければだめですね。住民も今のところは、安定して暮らしている。しかし、サービス業は、かつての社会主義国のようだ。機械的に義務感で働いていないところが救いかな。ほころびがありましたね」国土・交通省からのメンバが言った。
七
ジョンソン主任は、青木からの報告を受け、侵入者たちの撤退は、近いと感じていた。まだ20数名近い侵入者がいる。多分中国とアメリカのメンバであろう。このまま問題を起こさないで、撤退するだろうと推測していた。“あすなろ”寮に侵入したメンバは、多分アメリカからのメンバであろう。一番恐れていたメンバであったが、撤退してくれた。現在残っているのは、在日米軍からの特殊部隊であろう。中国からのメンバが、寺で武術訓練をしているところを見ていたことも把握していた。どの部隊も、中央区の行政エリアには侵入していなかった。
八
今日も暑かった。日本ではまだ冬である。間もなく春になるだろう。共和国は、冬を感じることはない。明日を目指す人がいる。明日のために役立つものを得ようとする人がいる。明日をより良くするために生きる。人と人の繋がりは明日のためにある。
南の島の暑さで、凍った人達の心が溶ける事を願う人達がこの島に居た。