解除
屋上を出たあと、誰も何も言わなかった。
観測員は機材の残骸を確認し、淡々と記録を取っていた。
七瀬は少し離れた場所で、俺の背中の傷を見ている。
「縫う?」
「必要ない」
浅い。
致命ではない。
だから発動もしない。
それだけのことだ。
観測員が立ち上がる。
「隔離は解除する」
昨日、そう言った通りだ。
「ただし、監視は常時」
「好きにしろ」
「好きではない」
即答。
彼女は白衣の袖を整える。
「君は均衡点にいる」
「均衡?」
「死と生の境界」
端末を閉じる。
「そこから落ちれば、反転する」
「落ちなければ?」
「何も起きない」
単純だ。
単純すぎる。
七瀬が言う。
「じゃあ、落ちなければいい」
観測員は七瀬を一瞥する。
「理論上は」
感情のない声。
「だが戦場では、理論は崩れる」
夕日が沈む。
屋上の影が長い。
「明日から通常授業に戻る」
観測員が告げる。
「ただし対外演習候補として記録は回す」
「候補?」
「決定ではない」
わずかに間。
「上が揉めている」
俺の扱いについてだろう。
危険物か。
兵器か。
実験材料か。
校舎へ戻る。
廊下で数人の視線がぶつかる。
昨日より露骨だ。
恐れより、敵意。
代表候補。
特別観測指定。
Eランクのまま。
気に入らないだろう。
教室に入る。
空気が止まる。
誰も何も言わない。
俺は席に座る。
机に指を置く。
震えはない。
七瀬が隣に座る。
「明日、また狙われるかも」
「かもしれない」
「怖くない?」
「判断するだけだ」
彼女は小さく息を吐く。
「あなた、本当に壊れてない?」
「さあな」
本当のところは、わからない。
夜。
寮の廊下。
足音が止まる。
「おい」
振り返る。
二年が三人。
「代表候補だって?」
笑う。
「試させろよ」
囲まれる。
人気のない廊下。
逃げ場はない。
能力の気配が揺れる。
電撃。
刃。
衝撃波。
「ここで死ねば、発動するんだろ?」
面白がっている。
実験だ。
俺を。
電撃が走る。
致命ではない。
反応しない。
刃が肩を裂く。
浅い。
反応しない。
衝撃波が胸を打つ。
壁に叩きつけられる。
息が詰まる。
骨が軋む。
次が来る。
同時に。
出力が上がる。
死ぬ。
そう判断する。
空気が歪む。
三つの攻撃が反転する。
電撃が放った男を焼く。
刃が逆流し、腕を裂く。
衝撃波が胸を打ち返す。
三人が倒れる。
血の匂い。
焦げた匂い。
静寂。
俺は床に手をつく。
呼吸は乱れていない。
足音。
白衣。
観測員。
「やはり」
それだけ言う。
倒れた三人を確認する。
「生存」
淡々と端末に入力。
「挑発に応じた?」
「応じてない」
「そう」
視線が俺に向く。
数秒。
「君は追い詰められないと発動しない」
「ああ」
「なら、追い詰められる状況を排除する」
小さく呟く。
「今後、接触は制限する」
「過保護だな」
「合理的」
即答。
担架が運ばれる。
廊下に赤い線が残る。
翌朝。
掲示板に追記。
――特別観測指定:接触制限。
俺の周囲二メートル以内、許可制。
教室はさらに静かになる。
七瀬だけが、線を越えて座る。
「窮屈だね」
「そうでもない」
本音だ。
静かなほうが楽だ。
観測席。
白衣がこちらを見る。
無表情。
だが、ほんのわずかにだけ。
安堵に似た影が差す。
誰も気づかない。
俺はまだ、生きている。
均衡は保たれている。
今のところは。




