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カフェ クロノス  作者: July
第4章 幾度の生、幾度の恋
9/9

2

 紗月の言葉が空気に溶けるように消えていったあと、店内はしばらく静まり返っていた。


 クロノの掛け時計はいつも通り時を刻んでいる。

 だけど春樹と紗月にとっては――別の時間が動き始めていた。


 


 紗月は席に座ったまま、手を胸元に当てていた。

 その指先は震えていて、しかしその瞳は迷っていなかった。


「ねえ、春樹さん」


「うん」


「私……ひとつ、変な夢を見たんです。

 最近ずっと、同じ夢」


 


 春樹は身じろぎする。胸の奥が緊張にざわつく。


 


「どんな夢?」


「夜の街の広場……石畳の道。

 私は白い服を着ていて……

 あなたは、黒いコートだった」


 


 春樹の心臓が跳ねた。


(……覚えている)


 それは夢じゃない。

 紗月が失った“前の人生”の記憶。


 


「そして私は……あなたに背を向けた。

 本当は行きたくなかったのに。

 なのに、振り向けなくて」


 


 紗月は苦しそうに続ける。


「最後に聞こえた声があるの。

 『待ってる』って。

 でも……その声を聞いた瞬間、胸がつぶれたみたいに苦しくなった」


 


 春樹はそっと言った。


「それは、現実だよ。

 君が生きた時間だ」


 


 紗月は目を見開く。


 


「……夢じゃなくて?」


「うん。俺たちは……何度も出会って、何度も別れた」


 


 紗月の瞳に光が戻る。


「じゃあ……私はやっぱり……!」


「君は同じ魂で、違う時間を生きてる。

 そして俺は、君を追いかけるように生きてきた」


 


 その言葉は、運命の告白だった。


 


 紗月は涙をこぼしながら笑った。


「……やだ。なんでそんな顔するの」


「どんな顔だ?」


「私より先に全部思い出してる顔」


 


 春樹も少し笑ってしまう。


「ずっと探してたから。

 名前が変わっても、生き方が変わっても。

 君が誰かになっても……君だってわかった」


 


 紗月は震える声で呟く。


「そんなふうに言われたら……私、もう逃げられない」


 


 そこでクロエが静かに口を開いた。


 


「逃げなくていいのよ、紗月さん。

 だって今回は……“繋がるために会った時間”なんだから」


 


 紗月が振り返る。


「クロエさん……私……」


「怖いでしょう?

 覚えてないのに、心だけが知っている。

 でもね、それは罰じゃなく……願いよ」


 


「願い……?」


「ええ。

 恋は終わるものじゃなく、続きがあるもの。

 あなたたちは“やり直し”じゃない。

 ……続きを生きる恋人たちなの」


 


 その言葉は、確かな未来を示す灯りのようだった。


 


 春樹はそっと手を伸ばす。


「紗月。俺はもう戻らない。

 今日からは未来の話をする」


 


 紗月はゆっくり手を重ねた。


「じゃあ……ひとつだけ言わせて」


 


 息を吸い、震えるまつ毛の奥で意志が灯る。


 


「……私も、あなたを探してた」


 


 その瞬間。


 胸の奥にあった痛みがほどけていく。

 言えなかった言葉、交わしきれなかった想い、

 すれ違い続けた時間が――ようやく繋がった。


 


 紗月は微笑む。

 涙ではなく、希望を宿した笑顔で。


「たとえまた時間が変わっても、違う私になっても……」


 


 その声は澄みきっていた。


 


「必ずあなたに恋をする。」


 


 春樹は答えた。


「その時は、また言うよ。

 ……『会えてよかった』って。」


 


 窓の外、夜空に星がひとつ瞬いた。


 


 まるで二人の魂が、

 ようやく再び並んだことを祝福するように。



「別れなければ、気づけなかった。

 何度生まれ変わっても――私はあなたに恋をする。」

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