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席に座ると、紗月はチーズケーキを嬉しそうに頬張っていた。
その姿は無邪気で、昨日の落ち着いた雰囲気とはまるで違うのに――
仕草のひとつひとつが、胸の奥の記憶をノックする。
「春樹さん、このケーキやばいよ!世界救える!」
「……そんなすごいのか」
「うん!絶対食べたほうがいい!」
笑うたび、テーブルに広がる小さな幸福。
その光景を眺めながら、春樹は思う。
(……話したいことがありすぎる)
昨日の彼女と今日の彼女。
同じ笑顔なのに違う人生。
でも不思議と、どちらの彼女にも惹かれていく。
それが運命なのか、それとも魔法のせいか――
まだわからない。
⸻
「そうだ、春樹さんは好きな食べ物ある?」
「え?……好きな食べ物?」
不意に向けられた質問に少し戸惑いながら、春樹は答える。
「……カレー、かな」
「おお、王道!わかる、カレー最強」
「紗月さんは?」
「私はね……」
そこで紗月は一瞬言葉を止めた。
視線がほんの数センチ泳ぎ、眉がひそめられる。
――何か思い出そうとしている。
その仕草が、昨日の彼女と同じだった。
紗月は小さく息をつき、微笑む。
「……なんだろう。
前にも“誰か”に聞かれた気がして。
答えたことがあるのに……思い出せない」
その言葉に、春樹の心臓が強く脈打つ。
(……昨日、俺が聞いた)
「デジャヴですかね」
「そうかも。でもね……」
紗月は小声で囁くように続けた。
「なんか……懐かしい……」
その言葉は、春樹の胸を締めつける。
昨日と同じだ。
時間が違っても、彼女の魂は何かを覚えている。
コーヒーカップを握る指が、自然と強くなる。
(……言葉じゃ繋がれなくても、心が覚えてくれてるなら)
春樹は思う。
――5分戻って、もっといい返し方をすればいい。
――もっと印象を残せばいい。
昨日は偶然。
だけど今日は、意図して。
初めて、恋のために時間遡行を使うと決めた。
「紗月さん」
「ん?」
「……また話せて嬉しいです」
その言葉に、紗月は一瞬驚き、そして照れたように笑った。
「……なんか、ずるいね。
そういう言い方されるとドキッとする」
その瞬間。
春樹はそっとクロノブレンドに手を伸ばし――飲み干した。
世界が溶ける。
音が遠ざかり、光が巻き戻り、空気が逆再生する。
そして――
5分前。
まだ紗月がケーキを一口食べたばかりの時間に戻る。
「春樹さん、このケーキやばいよ!世界救える!」
「……本当に美味しそうだな」
そして春樹は――微笑んだ。
「紗月さん、君の笑顔の方が救ってるけどね」
言った瞬間、心臓が跳ねた。
自分でもくすぐったくて、照れるほどの言葉。
けれど――
紗月は、ゆっくり固まった。
そして。
「…………え?」
耳まで真っ赤になり、視線を逸らし、カップを持つ手が震えた。
「な、なにそれ……急に……反則……」
声が小さく、けれど確かに嬉しそうで。
その反応に春樹の胸が熱くなる。
(……やり直せる世界なら、もっと伝えられる)
そう思った。
⸻
その時、近くでクロエが静かに囁いた。
「ねえ春樹さん」
「……はい?」
「恋はね……追いかけるだけじゃ、届かないの」
その声は優しく、どこか切ない。
「未来を変えたいなら、“戻る”だけじゃなく……前に進む覚悟が必要よ」
春樹は答えられないまま、紗月の横顔を見つめた。
彼女はまだ照れながら笑っている。
(進む……か)
戻れば、言葉を選べる。
戻れば、もっと上手くできる。
でも――
戻り続ける限り、「次の時間」には行けない。
春樹はそっと息を吸った。
今日、初めて思った。
(……この恋は、“繰り返す”んじゃなく……“重ねていく”ものだ)
紗月がゆっくり言った。
「春樹さん。また、明日も来ます?」
「来ます。絶対に」
「……よかった」
その笑顔は、昨日とも今日とも違う。
“未来が生まれた笑顔”だった。
戻れる時間があるからこそ――進む勇気が必要になる。




