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カフェ クロノス  作者: July
第2章 時の隙間で会う人
4/9

1

 次の日、春樹はいつもより早く仕事を切り上げた。

 気づけば足は迷わず、クロノへ向かっていた。


 扉を開けると、コーヒーの香りが迎えてくれる。

 その香りは、昨日までと同じなのに――胸の奥が期待でざわついた。


「いらっしゃい、春樹さん」


 クロエはいつもの柔らかな笑みを浮かべていた。

 しかし、春樹の視線は自然と窓際へ向かう。


 ――いない。


 昨日確かに話した紗月の姿はなかった。


 思った以上に胸が寂しさで締め付けられ、春樹は自分に苦笑した。


(……会って、数時間話しただけなのに)


 たったそれだけの会話だったのに、

 もう「また会いたい」と思ってしまっている。


「……今日はいないみたいですね」


 クロエが小声で言う。まるで心を読んでいるようだった。


「え、いや……別に、誰のことだとか……」


「その言い訳、昨日のあなたの表情にそっくりですよ?」


 春樹は完全に言葉を失った。


 クロエは静かにコーヒーを淹れる。

 ポタ、ポタ、と規則的に豆から落ちるしずくの音。

 それだけが静かに響いていた。


「焦らなくていいんですよ」


「……焦ってるつもりはないですが」


「いいえ、焦ってます」

 クロエは楽しそうに微笑む。

「“運命の相手に気づいた人”は、必ず焦るものです」


「また、そういうことを……」


 そう苦笑したとき――


 扉のベルが鳴った。


 


 振り返ると、そこには――


「…………っ!」


 紗月がいた。

 しかし昨日とはまるで違う。


 


 今日は学生の姿だった。


 短めの制服スカート、リュック、無造作に結んだ髪。

 昨日の上品な大人びた雰囲気とはまるで違う、

 年相応の明るさと幼さが混ざった姿。


「こんばんはっ、クロエさん!」


「いらっしゃい、紗月ちゃん」


 ――紗月。

 間違いない。声も仕草も同じ。


 けれど、彼女は春樹を見ても、表情に戸惑いはなかった。

 何も知らない人を見るような、真っ直ぐな目。


「こんばんは。初めまして?」


 紗月は首を傾げ、にこりと笑った。


 胸が一瞬、ひやりとした。


 ――覚えていない?


 昨日の会話も、笑った時間も、あの寂しげな言葉も。


 まるで、一夜で別の人生に変わってしまったように。


 


 春樹は困ったように笑い返す。


「……初めまして。春樹です」


「私は紗月!よろしくね!」


 その笑顔は、昨日とは違う種類のまぶしさを持っていた。


 


 席に座った紗月は、スマホをいじりながらスイーツメニューを見ていた。


「あっ、前から気になってたチーズケーキ!今日こそ食べる~!」


「はいはい。ゆっくり味わうんですよ?」


「はーい!」


 クロエとのやりとりは、まるで昔からの常連のようだった。

 明るい声。弾む言葉。


 昨日の彼女とは違う。

 でも――

 笑う仕草だけは、同じだった。


「……不思議ですか?」


 隣に立ったクロエが囁くように言った。


「気づいてしまったんですね。

 “同じ人物なのに、違う時間を生きている”って」


 春樹は息を呑んだ。


「どういうことなんですか。昨日の彼女も、今の彼女も紗月なんですよね?」


「ええ。でも彼女は……一つの時間に縛られていない人なの」


「縛られて……いない?」


「簡単に言うなら、彼女は『違う人生を同時に歩いている』のです。ある時代では大人で、ある時代では学生で……別の時間では、絵を描いていたり、旅をしていたり」


 クロエの声は静かだったが、どこか遠くを思わせる響きを帯びていた。


「でも……どの時間の彼女も、あの笑い方だけは変わらないの」


 


 そう言われ、春樹は改めて紗月を見る。


 チーズケーキを一口食べ、目を輝かせる。


「しあわせ~~……!」


 その瞬間――


 昨日と同じ仕草で、同じ表情で、同じ声で、彼女は笑った。


 胸が強く、痛いほど脈打つ。


(……時間が違っても、彼女は彼女なんだ)


 その気づきは、恐ろしくて美しくて、抗えない。


 


 紗月が気づき、手を振った。


「春樹さん、ここ座っていいよー!」


 その言葉に応えるように春樹は立ち上がる。


 


 ――そして思う。


 


「もっと知りたい。

 昨日の君も、今の君も。

 全部……紗月だから。」


 


 彼の指が、そっとコーヒーカップへ触れる。


 


 5分だけ戻れる魔法。


 恋を進めるためなら、迷う理由なんてどこにもなかった。


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