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カフェ クロノス  作者: July
第1章 5分だけの奇跡
3/13

2

 その夜、春樹と紗月は他愛のない会話を重ねた。


 好きなコーヒーの味、読んだ本の話、今日の天気のこと。

 どれも特別な話題ではないのに、会話は途切れず、言葉は自然に重なっていく。


 不思議と、沈黙すら心地いい。


 まるで――


 何度もこうして過ごしてきた二人みたいに。



「春樹さん」


 名前を呼ばれるたび、胸が跳ねる。


「ここに来る理由って……ありますか?」


 紗月はコーヒーを両手で包みながら、視線を落とした。

 静かに、けれどどこか寂しげに。


「私はね……少し後悔してるんです。

 ――『ちゃんと伝えなかったこと』を」


「伝えなかった……?」


「ええ。言葉って、言わなきゃ届かないものなんだなって。

 “わかってくれるはず”なんて思い込みで、結局、大切な人に何も言えなかった」


 その声は、過去のどこか遠い場所を見つめているようだった。


 春樹は思わず聞いた。


「その人、今も……?」


 紗月はゆっくり首を振った。


「もう会えません。でも……ここに来ると、時々思うんです。

 『もし時間が戻ったら、きっと伝えられる』って」


 その言葉が胸に刺さる。

 ――クロノブレンドの噂。

 ――5分だけ戻れる魔法のコーヒー。


 彼女は知らない。けれどなぜか、心が同じ方向を向いている気がした。


 


 喉の奥に言葉が溜まっていく。

 その感情が名前を持たないまま、春樹は口を開いた。


「もし……もし、やり直せたら」


「はい」


「その人に、何て言うんですか?」


 紗月は一瞬だけ目を見開き、そして微笑んだ。


「――『会えてよかった』って」


 その笑顔は柔らかくて、胸の奥が痛いくらいに美しかった。


 


 沈黙。


 だけど苦しくない。

 むしろ、二人の間に温かい空気が流れた。


 


 そんなとき、カウンターからクロエが声をかけてきた。


「そろそろ閉店です。名残惜しいなら、また明日も来てくださいね」


 紗月は笑いながらコートを手に取る。


「ねえ、春樹さん」


「……はい?」


「また話せますか?」


 ――鼓動が跳ねた。


「もちろん。俺も……また会いたいです」


 紗月の瞳がほんの少し揺れて、そして嬉しそうに細められる。


「よかった。……そう言ってくれる気がしたんです」


 


 店のドアが開く音。

 夜風がふわりと吹き込み、彼女の髪を揺らす。


「じゃあ――また、ね」


 そう言って手を振る紗月の姿が消えるまで、春樹は見送った。


 扉が閉じたあと、クロエが近づいてきた。


「幸せそうですね。いい出会いだった?」


「……はい。なんか……信じられないくらい」


「そう。なら――気をつけてください」


 クロエは意味深に言葉を落とす。


「時間は優しいけれど、同時に残酷です。

 “やり直すため”ばかり飲み続ける人は、

 いつか“進む未来”を失うことがある」


 その声は、まるで未来を知っているようだった。


 春樹は息を飲んだ。


「……でも」


 カップを見つめながら、呟く。


「もし、たった5分であの人に近づけるなら。

 5分で、もう一度笑わせられるなら。

 ――俺は、それでもいいと思うんです」


 クロエは微笑んだ。

 それは、どこか切なく、あたたかくて――祝福にも似ていた。


「ええ。恋に落ちた人は、みんなそう言うわ」


 静かに、丁寧に、クロエは言った。


「でも覚えておいて。

 恋は“戻るため”じゃなく、“進むため”にあるのよ。」


 


 その夜、春樹は初めて思った。


 ――5分じゃ足りない。もっと知りたい。もっと話したい。

 もっと、もっと――彼女に触れたい。


 


 空を見上げると、月がゆっくりと浮かんでいた。


 未来の形はまだわからない。

 けれど胸の高鳴りが、答えを知っているかのように脈打つ。


 


 これは、偶然じゃない。


 そう確信できる夜だった。


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