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カフェ クロノス  作者: July
第7章 最後のクロノブレンド
14/17

1

 紗月と春樹が“同じ時間”を歩み始めてから、数日が経った。


 ある夜、春樹がクロノの扉を開けた瞬間――

 胸の奥がざわりと揺れた。


 店内の空気が、いつもと違う。


 静寂。

 深い呼吸のような気配。

 そして――どこか“終わり”に似た空気。


「……クロエさん?」


「こんばんは、春樹さん。紗月さんも」


 クロエはいつもの場所に立っていたが、微笑み方がわずかに違っていた。

 それはまるで、別れを含んだ優しさのようだった。


 紗月が不安そうに尋ねる。


「クロエさん……お店、なんだか静かすぎませんか?」


「ええ。今日は“特別な日”ですから」


「特別な……?」


 クロエはカウンター奥の棚に手を伸ばし、

 ひとつの小さな瓶――最後のクロノブレンドの粉を取り出した。


 その瞬間、春樹と紗月は同時に息を呑む。


「……それ」


「最後の一杯に使うはずだった粉です。

 春樹さんがそれを選ばなかったから……残っています」


 クロエは静かに瓶を見つめる。


「けれど……もう役目を終えようとしています」


「役目……?」


「クロノという店は、“未練を抱えた旅人”を導くための場所。

 あなたたちが未来へ進む決意をした時点で、

 この店は、本来の存在理由を失い始めるのです」


 紗月は驚き、春樹の袖を握った。


「じゃあ……クロノは、なくなっちゃうの?」


「消えるわけではありません。

 ただ、“普通のカフェ”に戻るだけ」


 その言葉に、春樹は深く胸を打たれる。


(クロノは……俺と紗月の“再会の場所”だった)


 魔法のカフェ。

 過去に戻れるコーヒー。

 違う人生の紗月と何度も出会った場所。


 だが――


(戻らないと決めた以上、俺たちにはもう必要ない)


 紗月は唇を噛んだ。


「……でも、なんだか寂しい」


「寂しさは、“未来に向かう準備”そのものですよ」


 クロエは優しく微笑んだ。



 そのときだった。


 カウンター上の古時計が、

 コチ、コチ……と刻んでいた針を突然止めた。


 店内の空気がふっと波打つ。

 風もないのにランプの炎が揺れた。


「な、なに……?」


 紗月が春樹の腕にしがみつく。


 クロエは落ち着いたまま説明した。


「クロノという店は、あなたたちの“時間の乱れ”に反応する場所。

 あなたたちの魂がようやく同じ線に揃った今、

 歪んでいた時間を元に戻そうとしているのです」


「元に……?」


「ええ。“普通の時間”へ。

 過去へ戻る道も、未来を覗く道も……閉じる準備を始めました」


 それはつまり、“魔法の終わり”。


 紗月は春樹の手を握りしめた。


「……怖い。

 魔法がなくなったら……私たち、本当に大丈夫?」


 春樹はそっと彼女の髪を撫でる。


「大丈夫。

 魔法がなくても、俺たちは出会えたんだ。

 もう離れたりしないよ」


 紗月は涙ぐみながら頷いた。


 


 そのとき――

 ふっと視界の端を光がよぎった。


 春樹が振り返ると、

 紗月が“二重”に見えた。


 ひとりは今の紗月。

 もうひとりは――学生時代の紗月。


「え……っ!?」


 紗月自身も驚き、春樹の腕を掴む。


 クロエは落ち着いて説明した。


「大丈夫。これは“時間の揺れ”。

 これまで存在した紗月さんの時間が、最後に揃おうとしているのです」


「揃う……?」


「あなたが生きた“全ての人生”が、一つの線に収束する。

 その過程で、かつてのあなたの姿が混じって見えるだけ」


 春樹は息を呑んだ。


(つまり……

 紗月はようやく“紗月としての人生”を歩み始めるってことか)


 紗月は胸に手を当て、不安げに言う。


「これって……痛くはないのかな」


「痛みはありません。ただ――」


 


 クロエはすこし寂しそうに微笑む。


 


「運命が、もう一度あなたたちを試すかもしれません」


 


「試す……?」


 春樹が問い返すと、クロエは静かに頷いた。


「ふたりが“本当に未来へ進む覚悟があるか”。

 最後に、その想いが確かかどうか――

 時間が問いかけてくるでしょう」


 紗月は春樹の手をぎゅっと握った。


「私……答えられるよ。

 どんな試練が来ても、春樹さんとなら……大丈夫」


 春樹も紗月の手を握り返した。


「俺も。

 未来へ行くって決めたんだ。

 もう逃げたりしない」


 


 二人の“決意”が、静かに空気を震わせた。


 しかし次の瞬間――

 クロエは最後の言葉を静かに落とした。


 


「ふたりが選ばなければいけない最後の道は――

 未来へ行くか、“今”に留まるか。」


 


 その言葉は、

 静かな夜に落ちる雷のように響いた。


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