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紗月と春樹が“同じ時間の恋人”として歩み始めたその後も、
クロノの空気にはどこかしら、静かな緊張が漂っていた。
何かが近づいている。
それは春樹にも、紗月にも、そしてクロエにも感じられていた。
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ある夜、紗月は店に入ると真っ直ぐ春樹のもとへ来て言った。
「ねえ、ちょっと外、歩かない?」
珍しく紗月から誘われ、春樹は驚いたがすぐ頷いた。
店を出て、街灯の並ぶ夜の散歩道を歩く。
紗月はマフラーを少し上げ、春樹の腕にそっと触れた。
「なんかね……あなたと歩くと、“懐かしい”って思うの。
初めてなのに、ずっとこうしてた気がするんだ」
「……俺もだよ」
紗月は小さく微笑む。
「私ね、ずっと怖かった。
誰かの期待に応えられなくて、
大切な言葉を言えなくて……
失うのが怖くて、逃げてばっかりだった」
「もう逃げてないよ」
「うん。春樹さんがいてくれるから」
紗月は深呼吸をして、春樹を見つめる。
「だからね、ちゃんと言いたいの。
――あなたが、好きです。」
その言葉は、前世では決して言えなかった“命の声”だった。
春樹は紗月の手をやわらかく包み込む。
「俺も……好きだ。
ずっと探してた。
ようやく言えるよ。やっと届いた。」
紗月は泣きそうに笑った。
「やっと……届いたんだね」
ふたりの指先が絡み、夜風の中で静かに寄り添った。
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店に戻ると、クロエはカウンターの奥で静かに微笑んでいた。
「いい顔ですね、おふたりとも」
「クロエさん……実はさっき……」
紗月が照れて頬を押さえると、クロエは嬉しそうに目を細めた。
「ええ、外まで聞こえていましたよ。
ようやく“言えた”んですね」
「……聞こえてたんですか!?」
「私は“この店の時間”の守り人ですから」
守り人――
春樹はその言葉に、以前から抱いていた疑問が胸に浮かんだ。
「クロエさんは……何者なんですか?」
クロエは動じもせず、穏やかに答えた。
「私は“時の狭間”に生きる者。
人が後悔を抱いた時、その心を導く役目なのです。」
「導く?」
「ええ。
やり直しに溺れず、未来へ進めるように。
あなたたちのように――“恋の続きを生きる道”へ。」
春樹は息を呑む。
紗月は、少し震える声で尋ねる。
「じゃあ……私と春樹さんは、進むためにここへ?」
「そうです。
あなたたちふたりは、長い時間、すれ違い続けていました。
出会っても、惹かれあっても――
別れの運命に縛られていた」
クロエはそっと手を胸に置く。
「だから私は、あなたたちを同じ時間に揃えたのです。」
「同じ時間に……?」
「ええ。
春樹さんが“戻らない”選択をし、
紗月さんが“生まれ直した”ことで、
ふたりの魂はようやく同じ瞬間を生きられるようになった」
紗月はそっと春樹の手を握った。
(そうか……だからこんなにも自然に惹かれたんだ)
魂が覚えていた。
心が知っていた。
時間を越えて、互いを求めていた。
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クロエは微笑む。
「これからあなたたちが歩むのは、“未来の時間”。
もう戻る必要はありません。
戻ったって、あの日々には誰もいませんから」
「誰も……?」
「過ぎた時間に人は存在しません。
いるのはあなたたち自身だけ。
そして今は――」
クロエは春樹と紗月の手を見て言う。
「あなたたちが“生きている時間”なのです。」
その言葉が胸に染み渡った。
(そうだ……もう過去に戻らなくていい。
目の前に紗月がいる。)
紗月は春樹の肩にもたれ、小さく呟いた。
「春樹さんと……ちゃんと未来を見たい」
「俺もだよ。
君となら、どこまででも行ける」
クロエが優しく頷く。
「よかった。
本当に……よかった。」
その声には、どこか安堵が滲んでいた。
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その瞬間、紗月が小さく息を呑んだ。
「……あれ……?」
「どうした?」
「今……一瞬だけ……
春樹さんと一緒に、歳をとっていく夢を見たの。
すごく幸せで……手を繋いだまま、白髪になるまで……」
春樹の胸が熱くなる。
紗月は顔を上げ、涙を浮かべて笑った。
「変な夢なのに……すごく“本物”みたいだった。
きっと……未来だよね?」
春樹は彼女の手を握り返す。
「うん。未来だ。
俺たちが、これから生きる未来だよ」
紗月はその言葉に安心したように目を閉じた。




