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カフェ クロノス  作者: July
第5章 時間の終わりの宣告
11/17

2

 春樹の指先は、最後のクロノブレンドに触れる直前で止まっていた。


 店内に集まった“違う時間の紗月たち”は、

 誰一人として声を発しない――ただ、祈るように見つめていた。


 少女の紗月は泣きじゃくりながら、

 学生の紗月は震える手で胸を押さえながら、

 大人の紗月は唇を噛み、

 老いた紗月は静かに涙をこぼした。


 どの人生でも、どの時間でも、

 彼女は春樹を愛していた。


 その事実が春樹の胸に、鋭く、深く突き刺さる。


 


 クロエの声が静かに落ちる。


「戻るなら、ここで全てが終わる。

 進むなら――未来に繋がる」


「……未来」


「ええ。“今からふたりが選ぶ未来”です」


 


 春樹は拳をぎゅっと握った。


(俺は……何を望んでいた?)


 過去をやり直すために飲んだコーヒー。

 間違えないため、後悔しないため。

 怖かったから、逃げていたから。


 でも――


 紗月はもう逃げていない。

 どの時間でも、どの人生でも、春樹に向き合ってくれていた。


 少女の紗月が泣きながら叫ぶ。


「やり直しなんていらないよ……!

 “つづき”を、いっしょに生きたいよ……!」


 学生の紗月が涙を袖で拭いながら続ける。


「昨日の私にも、今日の私にも……

 いまの春樹さんが必要なの……!」


 大人の紗月は震える声で。


「もう……あんな別れ方、いや。

 伝えたい言葉が、たくさんあるの……!」


 老いた紗月は穏やかに微笑んだ。


「あなたとなら……未来が見たい。

 最後に、そう思えたのです。」


 


 春樹の喉が熱くなる。


 


(――答えはもう出てる)


 


 春樹はゆっくりとカップから手を離した。


 


「……俺は、飲まない。」


 


 店内が静寂に包まれる。


 


「過去には戻らない。

 君と“未来”を生きる。

 足りなかった言葉も、伝えられなかった想いも……

 これから全部、伝えていく」


 


 その言葉を聞いた瞬間、

 全ての紗月が泣きながら笑った。


 


 クロエは静かに微笑んだ。


「いい答えです。

 これでようやく……あなたたちは“同じ時間”に立てる」


 


 次の瞬間。


 


 クロノの店内に、柔らかい光が満ちた。

 風が逆巻き、時間がほぐれ、世界が溶ける。


 


 紗月たちの姿が一人、また一人と光の粒となって消えていく。


「さよならじゃないよね……?」


 少女の紗月が泣きながら手を振る。


 


「ええ。また会えるわ。

 ……一つの時間で、ひとつの“私”として」


 老いた紗月の声が、静かに溶けていく。


 


 学生の紗月は春樹に微笑んだ。


「待っててくれて……ありがとう」


 


 最後に残った大人の紗月が、そっと春樹の胸に触れた。


「次に会うときは……同じ年の“私”になってるから」


 


 そして光が弾けた。


 


 眩しい閃光の中で、春樹は目を閉じる。


 


 聞こえたのは、懐かしくて新しい声。


 


――「約束ね、春樹さん。」


 


 光が収束し、静寂が戻る。


 


 気がつくと、店には春樹とクロエしか残っていなかった。


 紗月の姿はなく。

 カップもなく。

 ただ、温かな光の余韻だけが残っている。


 


 春樹は胸に手を当てる。


「……彼女は?」


 


 クロエは、どこか誇らしげに微笑んだ。


「今、ひとつの人生として“生まれ直している”わ。

 もう時間は混じらない。

 あなたと同じ世界、同じ瞬間で生きるために」


「会える……?」


「もちろん。

 ただし、彼女が気づくまで待つこと。

 今度はやり直しではなく、“出会い直し”になるのだから」


 


 春樹の胸にじんわりと熱が広がった。


 


(大丈夫だ。どれだけ時間がかかっても――)


 


「何度でも、恋に落ちるさ」


 


 クロエは満足そうに頷いた。


「ええ。恋は必ず“続き”があるから。」


 


 その瞬間、扉のベルが――静かに、柔らかく鳴った。


 


 春樹とクロエが振り返る。


 


 そこには――


 


ひとりの女性が立っていた。


 ふわりと肩までの髪。

 やわらかな瞳。

 息を呑むほど自然で、

 なのに胸が焼けるほど懐かしい笑顔。


 


「ここ……初めてのお店なんですけど。

 コーヒー、飲めますか?」


 


 紗月だった。

 ただの“ひとりの紗月”。

 どの時代とも違う――春樹と同じ時間を生きる紗月。


 


 春樹はゆっくりと――微笑んだ。


「ようこそ。

 出会ってくれて、ありがとう。」


 


 紗月は少し照れて笑う。


「え……?なんでお礼なんて……」


「なんとなく。

 こうして会えたことが、すごく嬉しくて」


 


 紗月は胸に手を当て、不思議そうに言う。


「変なの。初めてなのに……落ち着く。

 あなたに会ったの、今日が初めてなのに」


「うん。……初めてだよ」


 


 言いながら春樹は思った。


(これは“初めて”で、“続き”なんだ)


 長い時を越え、ようやく並び合えたふたりの第一歩。


 


 クロエの声が柔らかく響く。


「おめでとうございます。

 ようやく同じ時間が始まりましたね。」


 


 紗月は照れたように笑って言う。


「えっと……隣、座っていいですか?」


 


「もちろん。」


 


 二人の席に、新しい時間が流れ始めた。


「恋は終わらない。“続き”が始まるだけ。」


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