第一回 ムカデ読書感想文
繋げただけであるが、あえてカッコつけて言う。
※これらは時間的に隔たりを持って書かれている。つまりある一種、弁証法的である。
第一の雑考『俳句に関する考えごと』
第一のメモ 自然をよく見るために。
俳句に関するエッセイを読んだ。以下はその書評に満たないメモ書きである。
筆者は少なくとも幼時の頃は、蜜柑山の麓━自然に触れていた。つまり、自然の身体的体験があった。身体が言葉に先行していた。だから、言葉が結びついて会得された。しかし、「合理性」によって、否応なく言葉が身体に先行する場合、言葉が実体験と結びついて会得され得るであろうか。彼はいつまで経っても〈観念の自然〉しか理解できず、「本来の自然」を確信したいという〈観念的な欲望〉に苛まれる。付言しておけば、〈観念の自然〉には恐らく願望が付属している。
自戒の意も存分に込めて、我々は〈観念の自然〉過多で、〈本来の自然〉不足であり、パチモンの〈観念から生じた本来の自然〉を楽しんでいる嫌いがある。
これらは処方箋たりうるか:
•「自然の体験を培えば後でいくらでも追いつける」そして、身体に言葉が先立っているのは、彼があるシステムに縛られているという非常に(サルトル的に)猥褻な状態になっているからである。即ちシステムから解放してやれば良い。これは実際の山歩きなどが体験にあたるのか吟味ができる。
•三島由紀夫の「仮面の告白」という方針。つまり、内面=外面とすることで、言葉=身体と〈観念の自然〉=〈本来の自然〉という図式を打ち出し突き進むやり口。しかし、これではただ意地を張るだけになる。しかも三島由紀夫はあまりに異質で特異点であるため、処方箋としての一般的な方法論になり得ない。
•俳句=歳時記による処方箋の深読み。つまり、歳時記の中にある四季折々を美しく描き出す語彙を蓄えて、俳句の形式にあわせて詠むことで言葉と現実の自然を擦り合わせていくやり口。これは根幹が駄目ならば効果を期待できないように思える。
明瞭でないこと、懸念すべきこと
言葉/身体の関係。あるいはこのような〈近代的な思考法〉の是非。学問的な分析の不足ゆえに印象論的な傾向を持ってしまっていること。処方箋が本当に有効か?
さらに最もいけない点は〈本来の自然〉がどういったものなのか全く示されていない点である。つまり、この概念そのものが観念的な製造過程で生まれたものかもしれない。そこで、〈本来の自然〉の定義づけをしたい。しかし、定義といっても硬直化させることなく、柔軟に書き換え可能なものにするため、あくまで、仮定になるのである。
さて、〈本来の自然〉の「自然」とはここでは、俳句で詠むことの出来る領域に限るだろう。俳句で詠まれる自然は多様である。一般に俳句は短歌とは違い、心情の描写にはあまり分け入らない(描写すること自体は可能である)。しかし、山や川や森などの自然だけでもない。雑踏、都市、住宅街も自然であるのだ。短歌は俳句より長いため、思慕や嫉妬や失望も歌えるのである。
定義をなるべく正確に述べておく。
「自然」とは生態系の相互作用において、時間性と空間性を持ち、人間が知覚できる•経験できる•想像できる現象•事象•事物のことである。
処方箋「自然の体験を培えば後でいくらでも追いつける」の検討
俳句の詠むものは自然、自然を拡張すれば、体験の抽象的な培い方がわかる。
俳句を俳句たらしめるものはこれだけではない。恐らく、俳句は観念より体感の方を好むだろう。言いかえれば原体験に根差したものを好むのだ。しかしここで反論が上がるだろう。体験したこともその体験の現在進行形的持続が終われば、概念にならざるを得ない、と。なるほど過去の体験は全て概念的だろう。しかし、その体験は単なる概念でなくて「記憶」になり得るのではないか?一見すると詭弁だが、これは語彙を弄しているのではない。これは宗教的な法悦とドラッグによる〈法悦〉の違いという類型で論じられる。つまり、前者は苦行の過程が存在するが、後者はただハイになっているだけだ(薬を手に入れるために汗水垂らして稼いだ金は?などというナンセンスは聞きたくない)。例えば、幾分か恣意的かもしれないが、あなたが誰かの書いた登山の記録を読む場合と、あなたの書いた自身の登山の日記を読む場合とを比べて欲しい。どちらの体験が質的に(良いか悪いかではなく)高等だと思えるだろうか?
こうすると、この仮定が正しい限りにおいてだが、俳句というものは窮極なまで特異的で個人的かもしれない。ならば、他人の句は一切読まないで一人で黙々と作句するのかといえば、そんなはずはない。我々は孤独を嫌う。俳人だろうと同じだ(それが結果的に枯野に一人でいることになっても)。
両者の関係は、詠い手は特異的なもの十七文字に削ぎ落として普遍性(連続性)をも獲得しており、また、読み手は詠い手の個人的体験に普遍性(連続性)を見出し、あるいは自身の個人的体験との類似を見出していると一見、いえそうだ。しかし、俳句は思想や感情を多く語るものではないため、特異なものに対する傾きはそこまで大きくはないだろう。なのでむしろ詠み手の叙景的原体験が読み手の類似において、一方的だが共有されるという関係だろう。
ここで、「記憶」のない=〈観念の自然〉だけを持った人が俳句を詠むとしよう。彼はどこかで本として読んだ〈観念の自然〉を歳時記の辞書的な意味と照らし合わせて、十七文字に削り落として作り出す。ぼんやりと憧憬を感じる句が生まれる。
「記憶」のある=〈本来の自然〉を持った人が俳句を詠むとどうなるかはいうまでもない。ただし、これは技術的な面が一切関係ないと言っているわけではない。むしろ、精緻なまで磨き上げられた文というのは俳句だけでなく文学全てにおいて必要条件と言っていいほど大切だろう。
処方箋は「記憶のある観念」を持つことで、初めてそれが概念にならなければいけないということだ。
ここで、過去だけでなく、現在や未来の時間軸についても考察しなければならない。だが私が思うに、現在も未来も過去の「記憶」の積み重ねを前提としている。それがない未来の展望などただの吹き上がりに過ぎないではないか。例えば、小学生でも十分に俳句が詠める。その子は蝉の鳴き声を聞いて夏休みの俳句の宿題をいくらでもクリアできる。そしてその子は機械的に書いているように見える。しかし、そうだとしても原体験には根付いている(機械的なのはその子が楽しいと思っていないからだ)。聞いたことも見たことものない虫の鳴き声は決して詠まないのだ。さらに私は俳句は幾分、叙景的であるがゆえに、リアリズムの血筋が入っていると思う(これに関してはあまり説得力を持ち得ないと思う)。たとえ、句の中にゴキブリの声とあってもそれは比喩であり、特異な原体験に他ならない。
俳句というほとんど生ものに近い瑞々しさを持つものは、やはり生きた道程を踏まえて、「自然」を十七文字に込めるのであろう。
しかし、「記憶」のない人はどのようにして、舞い戻ることが可能だろうか。この処方箋には大きな前提が必要である。それはつまり、自身が「記憶」がない=〈観念の自然〉に囚われているということの自覚だ。
この自覚を解きほぐし、自明にする為にはどうすればいいのだろうか。
弁証法的段落(1)
俳句の概念を拡張した。ならば、他の語彙を導入できるのではないか。つまり、俳句という語彙で表現したが、この抽象度ならば、俳句ではなく、「和歌」を措定してもいいのではないか(俳句=和歌)。そうすると、後々雑考との繋がりが分かりやすくなる。最後に、暫定的な言い方をすれば、この文では〈観念的な自然〉からの脱却と〈本来の自然〉の発見を主張しているとなる。
第二の雑考『批評と評論についての考えごと」
ローティの解釈について
リチャードローティ的なジャーゴンを使って簡潔に言えば、僕はある人を評価する上で(この語彙の選択が正しいかわからないが)、その人の様々な能力の優劣や属性の有無よりも、その人が日々「終焉の語彙」(自分という偶然性、その歴史を記述する上で適切な言語)を探索し続けているかという点を重視している。
だから、僕にはやっぱり業績は大して重要ではない。輝かしい業績があったとして、その裏に何の「語彙」がなければ、酷く空虚に感じられるからだ。そして、知能があるはずなのにそのような行為態度を全く看過する場合、僕はその人を憎みさえするだろう。
批評/評論について ローティ的手法で
ここで僕は批評と評論の差異と対立にぶつかる(いや、ふと浮かんできた)。ただ、その対立軸が正確なものではないようにも感じる。何故なら、両者は「終焉の語彙」の模索において、方法論的な示唆を与えてくれるからである。
僕は批評というものは、それを行うと対象の見方と自己がその企図に相関なく変容してしまう行為だと思う。一方で評論は誠実に対象と距離を置いて対象の欲している効用や伝えたい叫びの内容を冷静に抜き出していく行為であると思う。
ここで、批評/評論を置くと、その対立は曖昧で無味乾燥だと感じる。何故ならばこれは相互補完的なもの、あるいは選択可能なモードであるからだ。
批評を読んだ時に知れるのはその批評の書き手のことだ。一方で評論を読む時はその評論の対象のことである。つまり、評論は私見であることを避けようとする客観よりの意見で、批評は単なる事実を避けようとする私見であるのだ。
僕が思うに、この二つの概念の区別は単なる方向性によるものでしかなく、実践的な面では一方の方策だけでなく、両方とも採られる。解説に近いのが評論で感想に近いのが批評といった具合だ。
しかし、こんなものは量り得ぬ割合というものだ。つまり概念的に区別する必要も論理的整合性もない。
以上が僕の動的な批評と評論の捉え方である。では、静的に批評と評論を捉えるとどうなるであろうか(僕はあまりそれに大きい意味を見出せないのだが)。
それは書き手の信念を固定的にした場合のみ捉えられる。つまり、作品の意図というものがあって、それを探究したい場合(評論の場合)と、作品と関わったことで自己がどのように改変されたかを綿密に記述したい場合(批評の場合)といった感じだ。
しかし、再三言うが、僕はこれにはあまり意味を感じない。何故なら、どちらも時間的に広がりがあるのだ。静的に捉えていた信念は当然移ろうし、去来する。だから、作品の意図=自己の改変の記録となってしまうことも十分あり得るのだ。ただ一般的に言えば、評論の解説的側面はその文章に説得力と妥当性を持たせ、批評の神秘的側面はその文章に格調と一回性を持たせるだろう。
しかしながら(これを追加することでなよなよとよろめくような雰囲気になり、その女々しさに嫌悪感を覚える人もあるだろうが)、静的か動的かどちらかと、二者択一を迫るのは「立場」というものを意固地に掲げてしまう恐れがある。だから、僕は中間で煮え切らない態度をとることになる。
弁証法的段落(2)
〈観念の自然〉からの脱出には、和歌からの活力に後押しされた、批評-評論の活動が役に立つのではないだろうか。しかし、俳句又は和歌から活力が得られる理由が示されていない。活動の先に、活力の根源が見つかればよい。
第三の雑考『性の対立についての考え』
思考と意識の流れに任せて
小説において、男性作家が女性を描写する際、如何にして男性主観を超え得るのだろうか。これは西洋の伝統を一瞥すれば、ポリス対オイコスをどう解きほぐすかにかかっている。西洋的には、男性主観の女性はポリスから排除されて、オイコスだけに封じ込めれた。では、日本ではどの様な対立として考えられるか。それは平塚らいてうの『青鞜』にある「元史、女性は太陽であった。しかし今は月である……」という文言であると思う(ただ、平塚らいてうは第一期フェミニズムの人なので、あまり強い関連を持たない可能性がある)。
そして、この二つの類似した対立が描ける。「ポリス/オイコス、太陽/月」、という。
小説世界において、この対立は如何に扱われてきたのだろう。僕は自身の能力不足を恨んで、ここでは行わないこととする。ただ、印象論としては、ポリス/オイコスはそもそもがギリシア哲学という男性中心的な概念であるのに対し、太陽/月は婦人運動の女性中心的な概念であるため、ある作家にどちらの対立をたてて、彼あるいは彼女の語彙をぶつけると良いかという示唆は得られると思う。
結局、この二つの対立は根本的には「男/女」ということになる。二つ提示したのはあくまで、西洋にも東洋にも独特の語彙として存在することを示すためである。
さて、僕は日本的な、あまりにも日本的な手法でこの「男/女」の対立を突破したいと望む。僕はそのためには三島由紀夫が一役買うだろうと思う。ちなみに、三島由紀夫はウーマン・リブに対して《バカの骨頂ですね。》と辛辣な目を向けている。
メモ書き形式の雑考
同値関係とは命題との関係である。同値関係は推論の領域には使えるだろうが、語彙の範囲では使用できない。語彙はその使用者によって意味が変異する。つまり、他者同士の語彙を完全な等号で繋ぐことはできない。仮に行ってもそれは既に自分だけの私的な語彙となる。私の方法は他者の語彙同士をぶつけて自分の語彙と融合する弁証法的な手法をとる。
三島由紀夫→一億総女化による日本国土全体に漂うフェミニンな霧の中でダンディズムの美学を屹立と主張した。
三島の嫌ったフェミニンと好んだマスキュリンの差異を明確にしてある一種の浄化をすれば、「女/男」=「菊と刀」となれるのでは?(菊の繊細さと美しさという女性的要素の総体と刀の力強さと勇気という男性的要素の総体)
三島において、その全体性を持っているのは「文化概念としての天皇」である。つまり、「天皇」は「菊且つ刀」である。
三島の嫌ったフェミニンは暴力に対する生理的嫌悪である。彼の冷静な分析の通り、平和だけで平和を成就することも、言論だけで論争を制することもやはりできない。
暴力は目的達成の一手段であり、主体のある者の手段でもある。しかし、暴力的という言葉があるように、主体の認められないものが行使しているように見える場合もある。
三島のとった文武両道とは「創造することと守ること」の合致である。三島のいった、文化の再帰性という要素がここに絡む。
弱者と強者の二項対立。これが政治的にマジョリティとマイノリティの問題に終始するとき、この対立は彼の言う通り、回転する。ならば、彼が《強者を回復する》といったとき、それはアイロニカルなものではないのだろうか?
彼の天皇が文化概念と政治概念にうまく分けられない点と同じように、彼の文学上の強者と弱者も、政治的な強者と弱者に同一視される恐れが十分にあったはずだ。
私の目論むものは「菊且つ刀」の性質を持つ主体者が万人に適用されることである。つまり、一億総天皇化ともいえる。ただし、ローティのアイロニスト批判(私的な理想の成就を公的な領域で目論む者)にも注意が必要である。そして、三島の絶対者としての天皇は概念であるから、自由に使用して構わない。
こんなことを思いついた。男性性にある他者をサディスティックに縛る(=ある他者をエロティックにできる)性質を追加する。そして、女性性にある他者にマゾヒスティックに縛られる(=ある他者にエロティックにされる)性質を追加する。
強者とは力を行使する者である。弱者とは力を行使される者である。想像力や論理性などは強者も弱者も持っている。しかし、政治的には、弱者による強者の転覆のための道具に使用される傾向がある。そして、三島は文学的には強者の立場に拘った。
暗喩で強者を引き摺り下ろすことは、文学上では容易に行われる。そしてそれが現実に触れるとき、つまり強者の想像力や論理性と合致して、強者は自らを弱者と規定して行動するとき(最悪の場合死んでしまう)、弱者は強者を倒したことになり、弱者はもはや弱者のままではいられない。
三島の手法は硬質なフォルムを保ったままである。しかし、彼の尊崇する天皇は軟質なフォルムを強く持っている。ダンディズムは硬質なフォルムを保持する。
硬質なフォルムというものは、フレキシビリティーを避ける。硬質とは力強く、全てを受け止める性質である。フォルムとはやはり、一貫性と連続性を体得することである。硬質なフォルムは一貫性と連続性を同じものにしようとする。しかしそれは彼の場合には自決の瞬間にしか叶わないものであり、彼自身は持続しない。
これは大事なことだが、彼の言葉の中では、硬質なフォルムを保つことは、「文化概念としての天皇」=「菊と刀」との繋がりを持つ唯一の条件なのである。更に彼は「文化」は最も高貴なものから最も野卑ならものまで包含するとして、それを「全体性」という言葉で表現している。他には「文化」を見る時、こちらも見返される「再帰性」と、「文化」に対してその時可能な限りの最上の貢献をするべき「主体性」をあげている。
彼は今、私に連続性と一貫性を掴み取るためのヒントを残してくれているが、私は彼のような手法を取ることはしない。否、不可能だ。何故ならば、その手法の実行には彼のような敬服すべき知性が必要条件であるからだ。もちろんそれだけでは十分ではない。
二項対立の一般的な解消法(誤魔化しかもわからないが)は「融合」することである。弱者であり強者である、女であり男である、フェミニンであり、ダンディである、菊であり、刀である。一応は解消できたが、しかしこれでは硬質なフォルムはなくなる。硬質なフォルムも包含できなければ二項対立の解消は失敗に終わる。何故なら、この概念は倫理的にも重要であるからだ。三島がこのようなフレキシビリティーに歯止めをかけようとしたのは(フレキシビリティーを止めることが、硬質なフォルムを維持することにつながると思ったのは)、単に彼の私的な領域による詩がそうせしめたためであって、私は硬質なフォルムを保持したまま滑る方法があると信じている。
その鍵になるのは批評精神と評論精神だ。
彼の言う「言論の自由」は天皇の全体制「空間的のみ満足させるが、最終的にはアナーキズムに行き着く(恐れがある)。しかし私の批評-評論精神は、そとそも成立の条件に時間的に広がりがあることを要求する。なぜなら、この概念は満足することがなく、まるで漸近線のような構造を持っているからだ。
批評精神はある人や作品に自己が真正面で衝突し、自己が改変することも受け入れる覚悟のことである。そして、評論精神はある人や作品の文脈を掴み、(美醜等を評価するために)一貫性を探究する気概のことである。ただ、実践的現実的には批評-評論精神となるため、この区別は静的なものである。さらに、どちらか片方だけでは、硬質なフォルムを満足させることができないため、正しく言うならば、批評-評論精神が必要だ、となる。
硬質は批評精神によって保持され、フォルムは評論精神によってその一貫性を知れる。そして、批評-評論精神によって硬質なフォルムは緻密な連続性を悟得し、自己=フォルムの一貫性を絶えず主張しながら変容することができる。フォルムの硬質さは連続性を感得した一貫性の主張によって担保される。
何人も彼が「文化総体としての天皇」と同一のフォルムを今も持ち続けていると言う叫びを論破することはできない。
フォルムに裏打ちされた暴力(守る行為)は批評-評論精神の保護のためにだけ駆動される。一方、無秩序な暴力の氾濫(人間性の解放というドレスを着た悪魔)は「言論の自由」の状態で起こり得るが、批評-評論精神の神秘的或いは卑俗な完璧主義により、自己への哄笑とともに大人しくなる(政治的思想的には右と左の対立に固執することをやめる)。
私の提案する精神を受け入れれば、「文化概念としての天皇」をただ尊崇するだけではなくなる。つまり、硬質なフォルムを持ちながら創造できるため、「菊と刀」としての「天皇」と同等になれるのである。
どの文化に帰依することになるかは偶然性による。ここから引き出される問題はこうである。つまり、「文化概念としての天皇」は普遍化あるいは抽象化できるだろうか。この問いは私の提案が正しければこう言い換えられる。すなわち「批評-評論精神」は抽象化できるか。こうなれば簡単である。このある一種倫理的な側面は一応、日本人以外にも適用可能であろう。ただ、比較的細々としたところで変更は必要だろう。そして、大事なことはこの「精神」は厳しい論理を持って現前に迫ってくるものではなく、選択肢の一つ程度のものでしかないということだ。
いかなる絶対主義も相対主義に溶かし込まれていくが、人に接触する際、その絶対主義は詩として受け止められる。硬質なフォルムを持つ個人に直面するその詩は相対主義の影響を受けない(つまり、公的な視点の監視が入らない)。何故なら、その人はその詩の中にある硬質なフォルムと自分にある硬質なフォルムに語彙の違い、命題の違い、推論の違いはあれど、連続性を見出すからである。また、硬質なフォルムを持たない個人も、その詩に触れて、連続性と一貫性を掴み取ろうと模索し始める可能性も当然ある。
さて、ある程度考えが積み上がったところで、振り返ろう。自明なことだったが、この方法だと、男性作家の男性主観的(理想的)な女性描写の超克は結局、漸近線のような成果しか得られない。つまり、軸という断絶を薄膜のように削いでいって透視する方法。もちろん、その間にも様々な観念や概念が浸透してくる。
しかし以上の精神には決定的な欠点がある。それは、身体を丸ごと捨象している点である。暴力が抽象的になった理由はそのためである。では、身体を含めて再考すると、どうなるだろうか。答えは三島が死ぬだけである。
三島は自身は《私にとっては、まず言葉が訪れて、ずっとあとから、甚だ気の進まぬ様子で、そのときすでに観念的な姿をしていたところの肉体が訪れた》といった。彼は『太陽と鉄』で謂わば、死ぬ為の筋トレ論を書いたが、彼をそうせしめたのは彼が常々感じていた欠落感や劣等感によるものである。病弱な肉体と戦争で死ぬことができなかったこと。これが主因である。それが為で、彼は難解な死ぬ美学を作り上げたのだ。
では、私はここで思うことがある。それは私が身体を捨象した理由は、私の私的な欲求を論理空間だけでも、叶えるためだったのだと。つまり、彼に身体がある限りは、彼は死に向かってしまう。それは彼の「ファンタジー」というものであり、止めようにも止めようがないのだ。何故なら、彼が初めて知覚した肉体は《半ば蝕まれた白木の柱》であったのだから。
もう勘付いているであろうが、私が論理で無理矢理見ようとしたのは、死なずに済む三島美学という不可能性だったのだ。
弁証法的段落(3)
〈観念の自然〉を批評-評論で突破する。そして、その営みのうちに、〈本来の自然〉=「文化概念としての天皇との連続性」=俳句(和歌)が顕出し、自己に活力を与える。更に、フォルムを保持した(倫理的規範の樹立)上で、自己の領域を拡張することで、他者との関係に現実的な面で立ち入ることができるのではないか。そして、文化の活力を享受するには、すなわち批評-評論精神を持って活動するには、他者の存在は不可欠ではないか(ここに関するものが次のムカデ読書感想文)。
ムカデ読書感想文の書き方はこの後も続く可能性が高く、その際は第一回という言い方をする。