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露出狂のような文章(下品な文)

人を不愉快にする文。けばけばしい粧飾をした女の小枝のように細い体に相当する。


朝イチのクソタレ。モーツァルトの性癖を、私もこのような形で満たせるとは。

A: 崇高な下ネタとは、ただのお下品を超越した変態趣味へ!私は気違いみたいな病的な人間になりたいのだ!

 チンカスはどんな奴だ?それは、とりも直さずテキストに埋没する、森のような陰毛を持つ篦棒だ!俺はチンカスになりたくない。それだのに、俺の体にまとわりつき、蠢き、蝕む、白アリ達や蛆虫たち━━特にインコの餌になるような白いカラダのワームのような。俺の中にも確かにクズは存在するのだ!それはホメオパシーのように荒唐無稽なものではない!

 塔の上の看守が精神を研ぎ澄ませて、監獄内をライトで舐めるように(!)照らしながら目を光らせているうちは安全だろう。しかし、ふとした瞬間に━それは交代時間かもしれない━目を盗まれてしまうのだ!

 ああ!極悪な囚人を情けなく捕り逃した牢獄はその機能を失い、ただのアスファルトの塊になってしまう。即ちチンカスになってしまうのだ!チンカスは合理的なペニスには必要ない。合理的なペニスは当然、清潔であるべきだ。汚らしいペニスには目も当てられまい。そんなべらぼうは女だけでなく、男の顰蹙も買うだろう。残念な事にミネルヴァの梟は夕焼けが終わり、夜の帳が下りきっても彼に如何なる鳴き声を聞かせてはくれないのだ(聞けたとしても酷く冷たい)。チンカスは愈々、彼は誰時に自身の輪郭すらも失ってしまう。そうして、都会の現場の中で最も死に開かれた仕事から帰還したペニスの大いなる持ち主は、風呂場で彼に一瞥すると早急に洗い落としてしまう。

 排水溝の網の中で、我々は焼却の時を待つのみだ。

 とんでもない悲劇だ!私は自身だけでなく私の知る人には少なくともこんな悲劇に見舞われて欲しくはないのだ。では、チンカスではないとはなんだろうか?それは、テキストの陰茎に顔を埋めるのではない。テキストは一つの勇猛たる流れである。テキストを信じ込む時、テキストは勃起する。テキストに向かって大量の血液が流し込まれるのだ。生理学的過程を経て聳り立つテキストは、大いなる流れ即ち女陰を求めるのだ!しかし盲目なテキストは原理による崇高な性欲によって突き動かされる。そして、如何なる原理も必ず誤謬を含む。そのために彼は失敗するのだ!ペニスは誤ったヴァギナを貫いてしまう!その過程にあるものは全てを薙ぎ倒して、他の言葉による訴えには黙然として、果ててしまうのだ。これでは、豊麗な母を超えることが出来ない。

 ああ!希望の話をするはずが、また悲劇が導出された!夜というのは、特に夜明け前というのはこんなにも人を狂わすというのか!

 しかし!しかし!我々はテキストの陰茎に姦淫されることのない方法(原理を盲信しない道)を取れるはずだ。それは、テキストからコンテキスト(真理は作られる!)へと開かれることだ!お前のペニスやヴァギナは本当にペニスであるのだろうか?また、ヴァギナであるのだろうか?我らはペニスでありまた、ヴァギナでもありうるのだ!それを自覚することができるのが、コンテキストであろう?

 その行為を多少社会的に言い換えれば、つまり、我々はテキストのセックストイを打ち捨てて、コンテキストという絶対無二の享楽を得ることが出来るのだ!

 しかし、コンテキストを感得する道程には幾多もの陥穽に満ち満ちているのだ。我々はパラドキシカルにテキストに埋没するという轍を踏むかもしれないのだ。それはもはや享楽には我々を連れ立ってくれない。虚妄の幻惑によろめいて、虚しく寂寥の天に向かって射精するのみなのだ。それは、たとえ天を越え、月まで沖するとしても、徒爾に終わるだろう。

 言い換えれば、我々は銘々の心に行住坐臥コンテキストを思い浮かべていれど、後光のさすコンテキスト(不動となったとも言えるが、些か自己矛盾した語彙)は、健気なほど純粋に真っ直ぐと、テキスト━━尊崇される偶像に変容してしまうのだ。

 これはかなり難しい。きっとどこかで頓挫する。達したいからこそ行動するが、されど水泡に帰す。絶えず、絶えず、己を監視せねば、いや、自身のペニスが太陽のヴァギナに、或いは自身のヴァギナが太陽のペニスに、一心不乱に特攻しないかを眼差しの目(鏡のような友の目)で見守る関係も必要だろう。

 最も、我々の性器と性欲は全く、火への欲動に耐えられぬ蛾と同じかもしれない。そうなれば、我々は火に入るよりほかない。しかし、そうであっても我々は━━━。

 B: いやいや、ならば、テキストで勃起して、太陽に突っ込んで焼け焦げれば、それでいいではないか!(原理の崇高さにひれ伏して、その高大さに惚ける)

 なぜ、コンテキスト如きに臆せねばならないのだ?生の根源である太陽に焼き殺される(その自分を想像して自己陶酔に耽溺する)。こんな耽美なことはないだろう。しかも、お前のいうことは、下品と変態趣味で粉飾した、ちょいとばかり理知的な平々凡々な内容ではないか。アホらしいぞ!

 お前は、コンテキストに射精することが、絶対の享楽だと、余りにも幼稚に解釈しているらしい。いや、もっと現実的に考えてみよ!お前の射精しているコンテキストは、ただのテキストの寄せ集めではないか!

 お前はどうやらコンテキストに後光を見たようだな?何と皮肉なことだろうな?お前は後光に魅せられて、蛾のように火に入らんとするがあまり、都合のいい、別の後光に魅せられていたんだよ!何と愚かなことだろう!結局はお前には相対的な快楽がお似合いというわけだ!

 A:お前は、確かにテキストをよく読めているではないか。しかし、お前はやはりコンテキストを読めていないようだ。お前も所詮、何かに欲情しておっ立てているのが好きなようだ。

 そうだ、お前の好きな相対的な見方で見てみよう。お前のおかげで俺はもっとよくどこに勃起し、射精するべきかわかったようだ。我々は、いつもどちらかにしか反応しないのだ!我々は自分の性癖にしかペニスをおっ立てたり、ヴァギナを濡らすことができないようだ。我々は今まで、単なるテキストにばかりオーガズムしてきたのだ。ただし、我々は意識に身を任せて、いたずらに言葉を変容させていく。

 我々から失われたものは変態趣味だ!(現在の我々はもはやセックストイと結婚したのだ)しかし、お前のいうとおり変態趣味も一つのテキストであり、そこに射精してもどのみち意味がない。だが、そうなると我々はいよいよどこに射精しても虚しいという事になってしまう。

 たが、相対の中でも絶対は描けるのだ(いつかは相対に溶かし込まれるとしても)。テキストの寄せ集めがコンテキストだ。お前は何か勘違いしている。女神や神とセックスできないから、どこでオーガズムしても必ず空白感に襲われる。そうではないのだ。お前は、超越或いは全体性と性交することだけが享楽だと思っている。しかし、享楽は相対の中でも営めるはずだろう?それをお前は勘違いした。お前はどうやら、どんないい男/女と同衾しても満足しないようだ。悲しいな、お前は如何なる者と寝れてもその者と親密になることは未来永劫叶わないのだ!

 なるほど、私にも欠陥があっただろう。しかしそれは性器の形や大きさが云々程度でしかない。

 テキストとコンテキストのことは、ここで、片付けておこう。我々は浮気性の奴を見習って、テキストとコンテキストどちらとも戯れるのだ。ある時はテキストの美麗な足を撫で、その逞しい腕にひしと抱かれる。そしてある時はコンテキストの強靭な足に眩暈し、嫋やかな腕に触れるのだ。大いなるコンテキストを思いながら、テキストを愛撫する。ほら、どうだ?変態趣味が観念的で抽象的な理想に変化しただろう?私の意識の流れが濁流から清流へと。

 B:先ほどよりかは、見やすくなった。先ほどまでは変態趣味と言っても単なる気違いの発露だった。どうだろうか。俺の意識の流れが、猥褻な言葉を通じて、ある程度整理されただろうか(対立をこえることに向けて)。

 我々は大した顔でもなく、性格がとりわけいいわけでもない、さらには特別能力があるわけでもない塵紙みたいな相手と、どういう訳か絶対的な享楽とそれを裏打ちする関係を得ることができるのだ。そして、それは確かに塵紙よりもいい相手なのだ。

 とかく、我々は背伸びをした装飾をしつつもお互いの性器を曝け出したのだ。個人的には告白病や発露は露出狂的、弱虫、変態趣味と感じて虫が空かない。しかし、我々の所望することはこの下卑た盛装にあらわれており、その所望するところの条件には、やはりこうした暴露が必要なのである。

 AB: そうだ!もはや、テクストとコンテクストの対立など些か重大ではない。無視してよろしいのだ!こんな対立は我々がどんな女の体や男の体のどこに興奮して、つい目で追ってしまうかという下世話談話にも使えんのだ。我々の性癖を公理に挿げ替えることは不可能だ(可能だとしても良い結果は生まれ得ない)!しかも、それらのな試みは、凡そにして体制から睨まれてしまうだろう。お前がいくら筋肉質な男や細身の女を好もうとも、そんなものはお上に向かって話せる代物ではあるまい。

 だが、もしかするとお上が自身の性癖を、ちょうど若き頃の熱病のような見栄のために犯してしまった過ちのように懺悔するかもしれない。こうなると、ここまでお上が下卑てしまえばもはや我々は退廃と共に崇高さへ中指を当てて、パンツを脱いだ猿へと昇華できるだろう。

 そういう者達はこう宣うだろう、「正装のネクタイの捩れが何の問題だ?皮層的な取り繕いに終始する悲愴的な関係は、これまた偏していると言わざるを得ない」。だが、我々は常にパンツを脱いで吠えているわけにもいかん。つまり、賢者になれば、両輪ともなければという思考になるのだ。ただし、あまりに公的な会場であろうとストリッパーでも一人呼び込めば、たちまち大仰なストリップクラブとなることもある。畢竟、我々の欲望が発露する場所は残念ながら公私を問わない。どこでもおっ立てる野郎はおっ立てるのである。

 さて、我々は密会をして最もエロティックなものを見ようと例の如く集うことがあるだろう。しかし、頼んだ娼婦や男娼が小賢しく強かだったらどうなるであろう。我々は見事に騙されて、本来であれば柔らかな女や少年の肌に舌鼓を打っていたはずの時分に剛毅な用心棒に、むしろこちらが可愛がられるという悲劇的な幕切れを迎えるのだ。

 これは密会でなくても、もっと個々人のお楽しみでもよかろう。彼は美人な女の尻を追いかけて夜街をすずろに歩いていたが、掴んでみるとべらぼうな醜女かもしれない。或いは美人局かもしれない。その逆も然りだ。  

 我々は時として自身の性癖の外へと連れ出されてしまうのだ。古来より慣れ親しんだところを、本当に意図せず離れて、思わずチェンジしたくなるような性癖の界隈へと迷い込んでしまう。こんな恐ろしいことはない。

 しかし慣れてくるとその性癖も悪くないものだと思うものが現れるかもしれない。そしてそれを規制する体制に反対するまで愛着が湧くかもしれない。お前が守りたいのはなんだ?モザイクの無い女陰か?少年の乳首か?隆々たる男の陰茎か?緊縛された女の裸か?それはなんでもいい。

 だが、つまり、我々が興奮する対象がそれである必然性はないのだ。我々がそれに悶えてしまうきっかけなどは幼時に行水する女の裸体や男同士の盛り合いを偶然、覗いてしまったが為である。それだけのことだ。これは前述通り、その性癖の溜まり場にひょこっと顔を出したか、或いは連れてこられたに過ぎないのだ。しかしそれだけのことに我々は声を荒げ、ひょっとすると命を張れるのである(愛着を持てば)。なんと感動的な性欲だろう!

 だが、重要な問題が残っている。それは我々は果たして何か興奮できる性的対象を手に入れられているであろうか?(愛着を持っているだろうか?)そしてもう一つ、自身のフェチの範囲で終始していないだろうか?そんなものはいつか勃起不全や不感症になっておしまいだ。だが、我々は性癖を超えていくことにも限界がある。我々は神になって自慰行為に耽ることができないのだ。

 しかし、単なるエロ場面に遭遇しただけで植え付けられたフェチがどういう訳か腹上死を遂げるまで極まる(勃起したテクスト)。その極地まで到達可能でありまた、その極地に行く衝動の原因がいくらでも変えられる(乳房のようなコンテキスト)という気概を持つクソ変態人間になれているか?つまり、驚嘆すべき広い守備範囲の持ち主であり、またどのフェチにだろうと熱狂できる滾るような性欲の持ち主であるかどうか、これは健全な紳士淑女の諸君ならばわかってくれるであろう。

 そして、我々は露出狂としてこの事を共有したいと思っている。だが注意することがある。それは、我々は自身の性器を刮目させる相手をよく選んだ上で勧誘せねばならないということ。つまり、ところ構わず誇示する変質者ではなく、品のある露出狂、ということである。

 そして我々は高らかに誘惑する!さあ!我々は常に賢者である絶倫性欲魔獣になるのだ!


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