「舞台転生」(『スクリフェッド』)⑦
* * *
割れんばかりの拍手が市民センターのホールに響き渡る。クラスメイトたちが入場し終えると、指揮者の御子柴と伴奏者の僕が最後にステージに登壇した。
彼は繰り返し止めてくる主治医に、こちらからもまた繰り返し訴え、今日この舞台に上がる事を許可して貰っていたらしく、堂々とした足取りで皆と共に合唱台の上に並んだ。
司会者の紹介と共に、僕と御子柴が生徒たちやご来場の保護者の方々にお辞儀をする。御子柴は皆に向き直り、指揮をする手を挙げる。僕は鍵盤の前に座る。
途端に、中三の苦い思い出が蘇り、心臓が痛い程疼き出した。だが、「届けような」という彼の声が脳裏にリフレインし、徐々にその動悸も意識の外に押し出せるようになった。
さあ、ここからが本番だ。
御子柴が指揮を始める。僕は指を動かし、音を紡ぎ出した。
もしも、水が還る最果ての海のように
生命の還る水源があったとして
私はそこであなたに逢っていたのでしょうか?
この懐かしい気持ちは何なのでしょうか?
暖かな海、あなたが置いて行った揺らう面影の中
あの日の私は包まれ静かに泣いていたのでしょう
輪廻の海。かつて僕たちが失った場所。
僕と彼は遥かな時を渡り、時代を超えた二十一世紀、別の人生として再会した。きっと、それ以前から僕たちは会っていたのかもしれない。
譜面越しに、一瞬だけ合唱台の上の彼をちらりと見る。
彼の顔は、その刹那で焼き付く程凛々しく、堂々としていて、泣いても笑ってもいなかった。まさに、精一杯の我を貫いてそこに存在しているように。
彼は、一切受け入れた。
その身に秘めた爆弾も。二日後、自分のこれからを分ける手術も。
僕も、否定をしなかった。
彼が言った通り、”個性”なのだと受け入れた。彼は確かに、そこに居ると。
悲しい程に眩しい姿だった。彼が居てくれて良かった、と思った。
歌声がホールを飛び回る。
鍵盤を伝う振動が、彼のテノールと響き合う。
僕と彼の心音が、心音が。
遠い、遠い、生命の還る海の中で
私たちは奇跡を繰り返す
いつかまたこの”今”を失い
起源へと融けて一つになる
いつか僕たちは、またこの時代を失う。僕たちは輪廻の海へと融ける。
離れても生まれ変わるだけだと、分かっても少し寂しいけれど。
僕ではない僕が、彼ではない彼に、どれだけもう一度会いたいと願っていたか。
心臓は今、確かに共鳴し合っている。
今はそれだけで、十分だった。
* * *
合唱コンクールが成功してからの事を、僕は敢えて述べないでおく。
恐らくそれは僕と彼にとって最善だった、という事のみが全てだった。
終幕(2XXX年 4月)
僕は改札前のベンチに座り、人を待っていた。
大学に進学して初めての友人である彼と遊びに出かける約束をしていた。
立体映像や飛び交うホログラムに塗れた有象無象の中に視線を向け、約束時間を少々過ぎている彼の姿を探しつつ携帯電話に筆記用の音声を吹き込む。
『もう着いてる?』
数秒後、彼の音声筆記メールが目の前に現れる。
『すぐ近くに居る。そろそろ見えると思うよ』
彼の雰囲気は心地良く、単純に一緒に居て楽しい人だった。何処か懐かしい感じもして、僕が覚えていないような昔に何処かで会った事があるかもしれないとすら思ったが、それは恐らく気のせいだろう。
「お待たせ」
後ろから声を掛けられ、振り返ると彼がすぐそこに立っていた。出会った時から好きだった屈託のない笑みを浮かべた表情に、僕もつい釣られて微笑み、それで居て何故か涙が出てきた。待ち合わせって、こんなに泣けるものだっけ、と思った。
「おはよう。今日は宜しくね」
息を吸い、僕は彼の名前を呼んだ。
(舞台転生・終)